« 2025年9月 | トップページ | 2025年11月 »

2025年10月

2025年10月 7日 (火)

円山応挙 革新者から巨匠へ、・・・雪の中の老松と若松、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林の抵抗派竹林七賢


Maruyama-oukyo-mitsui-2025
Ito-jakuchuu-koumyaku-2025
Maruyama-oukyo-18-0-2025
Maruyama-oukyo-mitsui-kinen-2025
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第409回
円山応挙は、二つの要素の対比の空間、森羅万象を描く。雪の中に陽光に輝く老松と若松、青楓と瀑布、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林に集う抵抗派竹林七賢。「雪松図」「青楓瀑布図」「龍門図」「牡丹孔雀図」「竹林七賢図襖」「梅鯉図屏風」。
伊藤若冲「竹鶏図屏風」1790円山応挙「梅鯉図屏風」(1787)は、竹林と鶏、梅と水と鯉。
羅万象を描く円山応挙
伊藤若冲、曽我蕭白、長澤蘆雪ら「奇想の画家」たちに席巻された18世紀江戸絵画だが、
しかし、応挙こそが、18世紀京都画壇の革新者でした。写生に基づく応挙の絵は、超写実主義のように眼前に迫ってきた。応挙の画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、当代随一の人気画家となりました。そして、多くの弟子たちが応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成する。
9月25日、山下裕二先生のギャラリー説明会を聞く。監修者・山下裕二教授からのメッセージ。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
【円山応挙1733~1795】最も魅力的な作品、得意分野は何か。「孔雀図」国宝「雪松図」「美人画」「山水画」「水墨画」「竹林七賢図屛風」「聖賢図」「仔犬図」「釈迦図」、幽霊図「返魂香之図」。円山応挙. 1733~1795(享保18~寛政7) 写実主義を確立。弟子、長澤蘆雪。
円山応挙 革新者から巨匠へ、・・・雪の中の老松と若松、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林の抵抗派竹林七賢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/10/post-13cd31.html
――
若冲、応挙 初の合作新発見 伊藤若冲「竹鶏図屏風」円山応挙「梅鯉図屏風」
円山応挙(1733~1795)と伊藤若冲)(1716-1800)、江戸時代、京画壇のランキングはナンバー1が応挙、ナンバー2が若冲であることが当時の京都の人名録「平安人物志」に記されている。お互い四条通り付近に住むご近所同士だったのに二人の接点を示す史料はこれまでありませんでした。
唯一、応挙が若冲を訪ねたとの記録が残っていますが、おそらく対面は叶わなかったのでしょう。応挙はその前年にすでにこの「梅鯉図屏風」を仕上げていたので、その時若冲を訪ねてもう一隻の進捗状況を尋ねたかったのかもしれません。
二人がじつは合作していたという、この奇跡的に発見された作品は本展が初公開!2024年
【円山応挙の謎】円山応挙は、なぜ、階級社会の中で、亀岡の農民の子から一級の絵師になることができたのか。円山応挙は、なぜ、死の年、一門十三人を率いて、大乗寺襖絵を描いたのか。 応挙の運命の扉を開いたのはだれか。応挙は、京都で、大乗寺、密蔵上人に出会った。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【農家の子から尾張屋】亀岡の農家に生まれた応挙は、京都に丁稚奉公に出て暮らす。15歳の時に玩具屋の尾張屋勘兵衛の世話になる。ビードロや覗き眼鏡を扱っていた尾張屋の元で、応挙は覗き眼鏡に使われる遠近が効いた眼鏡絵を描いた。
【狩野派から円山派】円山応挙は、狩野派の石田幽汀に学んだ、一方、西洋由来の遠近法の眼鏡絵、中国絵画の影響も受け、後に綿密な写生と伝統的な装飾性をあわせた独自の様式を確立した。応挙の元では息子の応瑞や山口素絢、長沢芦雪ら多くの絵師が育った。虎の絵を得意とする岸派、竹内栖鳳、上村松園に受け継がれていく。応挙の画風に南画の情趣を融合させて四条派を確立した呉春。円山・四条派の全容に迫る展覧会。
「円山応挙から近代京都画壇へ」・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
若冲は35歳の時、相国寺にて、僧、大典顕常(1719年—1801年)に出会う。売茶翁(1675年—1763年)とも出会う。若冲という名を得て、若冲『動植綵絵』を10年の歳月をかけて完成する(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)。人知れず隠れて、寺院の秘密の部屋で超絶技巧を磨き貫き、技を駆使して、革新的技法、創造的芸術を探求した。裏彩色、色彩の魔術師。8万6千の方眼の中に描かれている極彩色の屏風、『鳥獣花木図屏風』。枡目描きは、西陣織物商、金田忠兵衛がいた。
若冲の超絶技巧の超細密画、微細な生きものの神秘な世界。マクロコスモスとミクロコスモスの調和、宇宙と小宇宙の融一を観照する。寺院の秘密の部屋。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――
永遠を旅する哲学者は、千年後に具眼の士が現われるのを待つ。旅する哲学者は、瞬間の永遠、永遠の今のなかに、美と真理を探求する。美は真であり、真は美である。詩人の魂は、怨みにある。李白の美の源泉は、恨みである。
若冲が『動植綵絵』で追求したものは何か。作品を評価してくれる人が現れるまで千年待つ。天上の宇宙と心の中の宇宙。天上の宇宙と心の中の宇宙。若冲は、生きものの神秘と美に魅入られたのか。若冲の絵画『動植綵絵』の方法とは何か。「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である」「いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、わが天上の星の輝きと我が心の内なる道徳律」。内なる宇宙は、何を志向したのか。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』より
――
【伊藤若冲、謎の生涯】
伊藤源右衛門(若冲)(1716-1800)、京都の富裕な青物問屋に生まれ23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭したのはなぜか。84歳まで、絵画を追求した若冲。相国寺、大典に出会い、人生が一変する。師なき領域で独創的藝術を探求した。
南蘋派の絵師、鶴亭に影響を受けて1000点に及ぶ中国絵画の臨写(模写)をするが、模写を止め独創性を追求する。「旭日鳳凰図」(1755)から始まる創造的藝術の探求。「動植綵絵」20「群鶏図」に溢れる鶏への愛はなにゆえか。
若冲は10年の歳月をかけて『動植綵絵』『釈迦三尊像』『釈迦三尊像』を描き、京都、相国寺に寄進した。
*『動植綵絵』「群鶏図」「老松孔雀図」「老松鳳凰図」「牡丹小禽図」「雪中錦鶏図」「芍薬群蝶図」、鳥、植物、微細な生きものの輝く宇宙。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
生誕300年、若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
■主な展示作品
三井家が援助したこんぴらさんの襖絵、特別出品
重要文化財「遊虎図襖(16面の内)」円山応挙筆 天明7年(1787) 香川・金刀比羅宮/虎の毛皮を見て描いた応挙、モフモフ感に注目!
新発見の若冲、応挙初の合作、東京初公開!
左:「竹鶏図屏風」 伊藤若冲筆 寛政2年(1790)以前 個人蔵/右:「梅鯉図屏風」 円山応挙筆 天明7年(1787) 個人蔵/若冲の鶏、応挙の鯉、それぞれの得意な画題で競い合う!
応挙の傑作、国宝「雪松図屏風」と重要文化財「藤花図屏風」が登場!
国宝「雪松図屏風」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 三井記念美術館 【展示期間:9月26日~ 10月26日、11月11日~24日】/陽光にきらめく新春の雪景色に注目!
重要文化財「藤花図屏風」円山応挙筆 安永5年(1776) 根津美術館 【展示期間:10月28日~11月10日】/水墨と着色のコントラストが見事!
多彩な人物表現
「大石良雄図」 円山応挙筆 明和4年(1767) 一般財団法人武井報效会 百耕資料館 【展示期間:10月28日~11月24日】/忠臣蔵の主人公を等身大で描いている
「元旦図」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 個人蔵/初日の出を拝む応挙の後ろ姿!?
生き物に向けられる温かなまなざし
「雪柳狗子図」 円山応挙筆 安永7年(1778) 個人蔵/仔犬のキャラクターが大人気
「木賊兎図」 円山応挙筆 天明6年(1786) 静岡県立美術館 【展示期間:10月28日~11月24日】/触れたくなるような、ふわっふわの毛並み
山形県指定文化財 「鼬図」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 本間美術館 【展示期間:9月26日~10月26日】/下から横から正面から、応挙の観察眼が光る
「虎皮写生図屏風」 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 本間美術館/リアルに描かれた虎柄のヒミツ
「青楓瀑布図」 円山応挙筆・皆川淇園賛 天明7年(1787) サントリー美術館 【展示期間:9月26日~10月26日】/清涼感あふれる 夏の滝
「華洛四季遊戯図巻」(下巻) 円山応挙筆 江戸時代・18世紀 徳川美術館 © 徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom/洛中のにぎわいを写す尾張徳川家ゆかりの絵巻
応挙の傑作、国宝「雪松図屏風」は、三井記念美術館が所蔵する作品のなかでもっとも有名な作品の一つとして知られていますが、今年度は、秋に開催される開館20周年記念特別展のなかで公開されます。本展の監修を手掛けるのは、美術ファンから厚い支持を集める山下裕二教授。大阪中之島美術館で先行して公開され、伊藤若冲とのコラボ作品(合作屏風)として話題となっている「梅鯉図屏風」も東京で初公開となります。応挙の傑作が一堂に会し、華やかな展示内容となる本展。
近年、同時代を生きた伊藤若冲、曽我蕭白ら“奇想の画家”たちの人気に押され気味の円山応挙。応挙こそが、18世紀京都画壇の革新者。写生に基づく応挙の絵は、当時の鑑賞者にとって、それまで見たこともない眼前に迫ってきたのです。その画風は瞬く間に京都画壇を席巻、多くの弟子が応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成しました。本展では、応挙が「革新者」から「巨匠」になっていくさまを、重要な作品を通して知ることができます。
――
円山応挙 革新者から巨匠へ、三井記念美術館、
監修者・山下裕二教授からのメッセージ
円山応挙は、従来より江戸時代を代表する画家として、確固たる地位を占めて高く評価されてきました。しかし近年、伊藤若冲をはじめとする「奇想の画家」たちの評価が高まるにつれて、いくぶんその注目度が低くなっていることは否めません。
しかし、応挙こそが、18世紀京都画壇の革新者でした。写生に基づく応挙の絵は、当時の鑑賞者にとって、それまで見たこともないヴァーチャル・リアリティーのように、眼前に迫ってきたのです。そして、そんな応挙の画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、当代随一の人気画家となりました。
そして、多くの弟子たちが応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成することとなりました。応挙の絵は、21世紀の私たちから見れば、「ふつうの絵」のように見えるかもしれません。しかし、18世紀の人たちにとっては、それまで見たこともない「視覚を再現してくれる絵」
として受けとめられたのです。この展覧会では、そんな応挙が「革新者」から「巨匠」になっていくことを、重要な作品を提示しながらみなさんに見ていただきたいと思います。
開館20周年特別展 円山応挙―革新者から巨匠へ
会場:三井記念美術館(東京都中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階)
会期:2025年9月26日(金)~11月24日(月・振休)

| | コメント (0)

2025年10月 1日 (水)

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」・・・フィンセント、弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、100年の物語

Gogh-_-met-0912-2025
Gogh-oosaka-1888-2025
Gogh-1885-2025
Gogh-18895-metropolitan-2025
Gogh__starry_night__google_art_project18
Goghwheatfield-with-crows-korenveld_met_
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第408回
ゴッホは、絶望を超えて立ち上がる。孤独で不屈な藝術家。彼の遺志を継ぐ人々。100年の物語
「音楽のように人を慰める何かを僕は絵画で伝えたい」「100年後を生きる人々にも自分の絵を観てもらいたい」ゴッホは1880年、27歳で画家になる決意をした。フィンセントは美術商ビーグル商会に16歳で働き、弟テオは15歳で働く。1888年35歳でアルルに住む。
【ゴッホ1853-1890、37歳で死す】弟テオ(1857-1891)、画商としてフィンセントを経済支援。ゴッホ死後4ヶ月テオ病死。テオの妻ヨー、ゴッホ作品を200点保管、展示。ゴッホのテオ宛手紙を出版。【テオとヨーの息子フィンセント・ウィレム】(1890年1月31日 - 1978年1月28日)、1966年ゴッホ財団設立、1973年ゴッホ美術館設立。
【ゴッホと宮澤賢治】宮澤賢治は、ゴッホ『糸杉』1989を愛好した。『春と修羅』1924自費出版。妹トシ、弟清六2001、賢治を理解し支援。友人の及川四郎『注文の多い料理店』の出版を熱望。ゴッホは、人間関係を構築できず苦悩。画商の弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム1978だけが理解支援した。
不遇な人生【死後才能が発掘された藝術家・詩人・思想家】田中一村(1908-1977)69歳で死す。宮澤賢治(1896-1933)、37歳で死す。高島野十郎(1890年(明治23年)8月6日 - 1975年(昭和50年))、85歳で死す。ゴッホ(1853〜1890)37歳で死す。藝術への献身、貧困、忍耐、孤立、無私、迫害、殉教、早世、自殺。イエス・キリスト「わが神よ、どうして私を見捨てたの?」マルコ伝、15章34節
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【ゴッホの人と藝術】1853-1890
【ゴッホ、絶望の旅立ち】フィンセント・ヴァン・ゴッホは、1853年3月30日、フロート・ズンデルト村に生まれた。祖父と父は牧師。男3人、女3人の6人兄弟の事実上の長男。1869年(16歳)美術商グーピル商会に就職するが解雇。1876年(23歳)新聞広告で知った英国の小学校教師の職を得て、仏語、独語を教える。ロンドン近郊の貧民街の様子に衝撃を受ける。1878年(25歳)ブリュッセルの伝道師養成学校に入る。79年、半年間の期限付き、伝道師になるが解任。1885年(32歳)3月、父が脳卒中で急死。父子は最後まで理解し合えず。父は死んだ。
1880年から1890年まで。ゴッホ、画家活動10年、27歳から37歳、
【ゴッホ、ハーグ派、灰色派】ハーグ時代、ハーグ派、灰色派、第二のレンブラント、ヨゼフ・イスラエルス「貧しい人々の暮らし」、バルビゾン派、ミレイ「種をまく人」(1850)を尊敬、影響を受ける。ゴッホの師、アントン・マウフェ「雪の中の羊飼いと羊の群れ」。ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」1885。
【パリ】1886年、パリに行く。パリ以後、「自画像」を40枚描く。「パリの屋根」1886。印象派の父、カミーユ・ピサロに会う。浮世絵の国日本に憧れアルルへ旅立つ。
【ゴッホ、アルルへ】1888(35歳)、ゴッホ、35歳でアルルに移住する。10月、「黄色い家」でのゴーガンとの共同生活が始まる。1888年12月、(35歳)「耳切り事件」、ゴーガンは2か月でアルルを去る。ゴッホ「麦畑」アルル1888。「種をまく人」(1888)3枚(クレラー・ミュラー、ファン・ゴッホ美術館、「日没を背に種をまく人」ビュールレ・コレクション)。「ひまわり」(1888)7枚。描く。「ローヌ川の星月夜」1888。「アルルの跳ね橋」1988。
【ゴッホ、サン・レミ時代】独自の境地に到達する。ゴッホ《星月夜》(1889 MoMA)サン・レミ1889年6月《糸杉のある麦畑》(1889 MET)。ゴッホ「薔薇」サン・レミ。
【オーベール時代】ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。ゴッホオーベール・シュル・オワーズ。
【ゴッホ、最後の境地】ゴッホ「薔薇」サン・レミ。オーベール・シュル・オワーズ時代、ゴッホ最後の2か月。ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」オーベール・シュル・オワーズ1890。「糸杉と星のある道」1890、オーベール・シュル・オワーズ。ピストル事件、フィンセントは7月29日に死亡した。
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
【ゴッホ、孤独な人生】
ゴッホは、人間関係を構築できない、孤立を極めた。家族と社会との軋轢に苦悩した。友人も愛もない。画商の弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、だけが理解した。
1870、27歳、画家になる決意をするが作品は売れず、弟テオだけが彼を援助した。売れた絵は生涯1枚だけ。1888、ゴッホは、ゴーガンに剃刀をもって襲いかかる。アルルにて耳切り事件、1989サンレミにて、病院入院。糸杉を描く。1890オーベール・シュル・オワーズにて拳銃事件、2日後37歳で死す。油絵約850点を残す。4か月後、弟テオ、死す。
【画家生活10年】ゴッホは、10年間で、2000枚のデッサン、850枚の絵画を描いた。ゴッホが描かなかった絵画がある、それは何故か。
【ゴッホの謎】何故、ゴッホは、画廊勤務、伝道師を辞めたのか。何故、ゴッホは、ゴーガンに剃刀をもって襲いかかり、アルルにて耳切り事件、拳銃自殺したのか。
【藝術家、思想家と運命との戦い】思想と藝術を生みだすのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、魔術である。敵との闘争における武器である。思想家は人生の戦いにどう挑み、逆襲するのか。美のイデアのための戦いである。思想と藝術は悩める人の魂を癒す音楽である。醜悪な敵との正義の戦い。思想は悲しみと苦しみから生まれる。
【レオナルドが描いて、ゴッホが描かなかったテーマ】ゴッホが描かなかったテーマは何か。レオナルド、ボッティチェリ、ラファエロ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ミケランジェロ、ブロンズィーノ、巨匠はヴィーナスを描いた。ルノワールは、こればかり描いた。
【印象派画家たち、絶望的人生】印象派の画家は、ほとんどゴッホのように絶望的人生を生きた。画家として成功した富豪画家がいる。
【魂の叫び】美しい心は美しい言葉となる。心は言葉になり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は性格となり、性格は運命となる。運命に歯向かい、逆境と戦う、美麗な王妃は、残虐王に幽閉され、美を探求する王子は、残虐な王に虐待される。
【運命との戦い、美の女神】藝術家、思想家は、運命と戦う。邪知暴虐と戦い、この世の闇の彼方に美を求める。虚無の神殿にて、美の女神へ供物を捧げる。美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい夕暮れ。美しい魂に、美の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
【テオとヨーの息子フィンセント・ウィレム】(Vincent Willem van Gogh, 1890年1月31日 - 1978年1月28日)、1966年ゴッホ財団設立、1973年ゴッホ美術館設立。1925年、母ヨーが亡くなり、フィンセントの絵、素描、手紙などを相続した。ヨーはフィンセントの絵画作品だけでなく、その手紙を世に広めることを志し、1914年にテオ宛の書簡集を発行していたが、フィンセント・ウィレムはその使命も引き継いだ。1932年、テオからゴッホに宛てた手紙をまとめた書簡集を出版。テオ宛の書簡だけでなく、エミール・ベルナール、アントン・ファン・ラッパルトなどその他の人物との手紙のやり取りもまとめた完全版書簡集の出版を計画し、ゴッホ生誕100年に合わせて、1952年から1954年までの間に、オランダで全4巻の書簡集を出版した。
――
1891年1月25日、1歳の誕生日を迎えるわずか6日前に父テオが病死。母ヨーは、幼いフィンセント・ウィレムと義兄の遺作約200点を抱えてオランダに移り、その年の春からアムステルダム近郊の村バッセムに住み始めた。1901年、ヨーが画家ヨハン・コーヘン・ホッスハルクと再婚し、一家は1903年にアムステルダムに移った。
1907年、デルフト工科大学に入学して機械工学を学び、1914年、卒業した。その後、フランス、アメリカ合衆国、日本などでエンジニアとして働いた。1920年初頭、オランダに戻り、学生時代からの友人Ernest Hijmansとともに、オランダで初めての経営コンサルタント会社を設立。名前が同じ画家ゴッホとの混同を避けるため、甥であるフィンセント・ウィレムのことを「エンジニア(技師)」と呼んで区別する。
――
■「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」展示作品の一部
「画家としての自画像」(1988〜87年)
「種まく人」(1888年)
「羊毛を刈る人」(1889年)
「アブサンが置かれたカフェテーブル」(1887年)
「夕暮れの農家」1985
――
【ゴッホ、1853-1890】最も魅力的な作品は何か。
「ジャガイモを食べる人々」「夕暮れの農家」(1885)、「種まく人」「夜のカフェテラス」「アルルの跳ね橋」「日没を背に種まく人」1888年、《糸杉のある麦畑》(1889 MET)渦巻く夜空と大きくそびえる糸杉を描いた《星月夜》(1889 MoMA)、「烏の飛ぶ麦畑」(1889)
ゴッホ家が受け継いできたファミリーコレクションに焦点を当て、ファン・ゴッホ美術館の作品を中心に、ゴッホ作品30点超とその他の巨匠たちの作品を紹介します。ヨーが生前の印象とそっくりだと語った「家宝」の自画像。
――
【宮澤賢治1896-1933】100年の物語
宮澤賢治、37歳で死す。弟、宮澤清六(1904年~2001年)97歳まで生きる。宮澤賢治の遺稿を出版。妹トシ(1898~1922年)24歳で死す。『永訣の朝』『無声慟哭』【詩集『春と修羅』1924】
【宮澤賢治1896-1933】妹トシの手紙「兄上様の天職と一家の方針とが一致する事が何よりも望まれ候」妹トシ(1898~1922年)、日本女子大卒論と将来について兄に相談。大正7年11月24日付。父政次郎との確執を妹トシは認識。
【弟、宮澤清六(1904年~2001年)】賢治の遺稿を託される。岩手県立盛岡中学校(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)卒業、家業を手伝う。1926年、花巻で宮澤商会を開業。金物・建材・電導材・自動車部品を扱い、1942年まで営業。光原社の設立は、賢治の盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)時代の同級生が契機である。同級であった及川四郎(1886年~1974年)が、賢治の『注文の多い料理店』の原稿を読み、その出版を熱望した。「光原社」という社名自体も、宮沢賢治自身が命名した。
――

参考文献
ゴッホ・・・ハーグ派、灰色派から印象派、糸杉への道
https://bit.ly/3hySZ7S

「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」東京都美術館
http://bit.ly/2zluV3g

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」国立新美術館・・・光の画家たちの光と影
http://bit.ly/2oiNKhb

ルノワール『イレーヌ』・・・非情な運命が襲いかかる、波瀾に立ち向かう
https://bit.ly/2ZlgdIp

印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで・・・枯葉舞う秋の夕暮れ
https://bit.ly/2Mwg63Z

孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84

「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」国立新美術館2010
https://bit.ly/3Cf9rCk

「ゴッホ展 孤高の画家の原風景」東京国立近代美術館2005年3月23日~5月22日
ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント・・・糸杉と星の道、種をまく人
https://bit.ly/2W3o6RF

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」・・・フィンセント、弟テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、100年の物語

――
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
2025年9月12日(金)~12月21日(日)
愛知県美術館 2026年1月3日(土)~3月23日(月)

| | コメント (0)

« 2025年9月 | トップページ | 2025年11月 »