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2025年11月 7日 (金)

アールデコとモード・・・1925年パリ万博、『グレート・ギャツビー』1925、クライスラービル1930、ルネ・ラリック香水瓶

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第410回
【アール・デコ(art deco)】1925、パリ万国展覧会の名称、Arts Décoratifsから名付けられた、幾何学的装飾様式。ガブリエル・シャネル(1883-1971)。多様な香水瓶のデザインをルネ・ラリック(1860-1945)。クライスラー・ビル1930年竣工。イヴ・サン=ローラン(1936-2008)のミニ・ドレス
【アールヌーボー1900とアールデコ1925】どうちがうのか。【アールヌーボー】1900パリ万博、アルフォンス・ミュシャ、ミュシャ様式、エミール・ガレ。世紀末美術、象徴派、植物の装飾様式。
アールデコ、1925年パリ万博
2025年は、パリで開催された幾何学的装飾芸術の博覧会、通称アール・デコ博覧会から100年目にあたります。この記念の年に、京都服飾文化研究財団(KCI)が誇る世界的な服飾コレクションから、この時代を表す選りすぐりのドレスや資料類約200点を紹介。加えて国内外に所蔵される同時代の絵画、版画、工芸品などを展示し、合計約310点で、現代にも影響を与え続ける100年前の「モード」を紐解く。
【アール・デコ(art deco)】1925、パリ万国展覧会の名称の、Arts Décoratifsから名付けられたのが、装飾様式の「アール・デコ(art deco)」。すっきりとしたライン、大胆な幾何学的な形状、そして鮮やかな色使いを特徴とするこの様式は、当時、野心的な前衛芸術であると評価された。同展覧会には20カ国から出展者が集まった。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【クライスラービルChryslerBuilding 1930】
クライスラー・ビルディングは高さ世界一の超高層ビルを目指して1928年9月19日に着工。1930年5月20日に38メートルの尖塔を追加して319メートルとなり、クライスラー・ビルディングは完成した。5月27日にこのビルは一般に開業した。こうしてウォールタワーを上回り、世界一高いビルの座につくことができた。しかし、翌年の1931年にエンパイア・ステート・ビルディングの完成により、世界一の座を明け渡すことになる。それでもアメリカの1920年代の繁栄の歴史を物語るニューヨークの摩天楼の中の傑作である。
【ルネ・ラリック】Rene Lalique(1860-1945)
ルネ・ラリック(1860-1945)は、19世紀末から20世紀半ばにかけて、アール・ヌーヴォーのジュエリー制作者、アール・デコのガラス工芸家として、二つの創作分野で頂点をきわめた人物として知られています。1900年のパリ万国博覧会、1925年のアール・デコ博覧会で国際的な脚光を浴びたラリックの作品は、工芸の価値を、絵画や彫刻などの純粋美術と同じレベルにまで高めるとともに、生活に新たな美意識をもたらすものとして異例の評価をうけました。21世紀を迎えた現在、そうした見解は改めて確証され、ラリックへの賞賛は日を追って高まりつつあります。
『グレート・ギャツビー』1925年
F・スコット・フィッツジェラルドの1925年の小説『グレート・ギャツビー』。The Great Gatsby 1922年、狂騒の20年代アメリカ。語り手のニック・キャラウェイ、ある晩、彼はイエール大学時代の友人トム・ブキャナンと、彼の妻デイジーの家に招かれる。隣の大邸宅に住むジェイ・ギャツビーなる人物は、毎夜豪華なパーティーを開いていた。ある日ニックはそのパーティーに招かれる。ニックはギャツビーと親交を深めていく中で、彼が5年の間胸に秘めていたある想いを知る。ギャツビーとデイジーはニックのおかげで再び出会い、二人の恋愛は再熱した。
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【デューセンバーグ】1910年代から1937年にかけて存在したアメリカの高級車メーカー。アメリカンドリームの象徴として、多くの人が憧れる存在でした。
特に、1928年に発表された「モデルJ」は、最高級のボディと、当時レーシングカーにしか採用されていなかったDOHCエンジンを兼ね備え、排気量7リッター、265馬力で、3トンもある車体を最高時速192kmまで走らせることが出来るという最高級かつ最高性能の豪華なクルマ。このモデルJの登場により、一躍デューセンバーグの名声は世間に広まることとなりました。
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【タマラ・ド・レンピッカTamara de Lempicka(1898―1980)】
ワルシャワの良家に生まれ、思春期をロシアとスイスで過ごす。18歳で弁護士レンピッキ伯爵と結婚する。翌年ロシア革命でパリへ亡命。働かない夫を尻目に画業で身を立てる決心。時代に翻弄されながらも女性の自由な生き方を実践し、狂乱の時代とも呼ばれた1920年代のパリで独特の作風により、画家として一躍注目された。やがて第二次世界大戦の脅威の中、アメリカに亡命。その後、時代とともに次第に忘れさられていった。そして70年代に再評価され、1980年に82歳でその劇的な人生を終えた。
ロングドレスを着たタマラ「ロングドレスを着たタマラ」
1929年頃/ドラ撮影
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI Photo A. Blondel / D’Ora
《緑の服の女》Jeune fille en vert
1930年/油彩・合板/ポンピドゥーセンター蔵
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA
モデルはレンピッカの娘、キゼットである。この作品においてキゼットは初めて官能的で、意気揚々とした姿で描かれている。緑のドレスは背後ではためき、身体をぴったりと包み、乳房とへその形をあらわにしている。優雅な帽子と手袋をつけた彼女は、究極の女性らしさを体現している。レンピッカは自分自身の若い頃を思い出し、過去の自分を投影し描いたに違いない。つまり、この作品は自画像でもあるのだ。なお、この作品は彼女の最高傑作の一枚として世界の美術館で展示されている。(E・B)
《タデウシュ・ド・レンピッキの肖像》
Portrait de Tadeusz de Lempicki
《タデウシュ・ド・レンピッキの肖像》
1928年/油彩・キャンヴァス/1930年代美術館蔵
© 2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
男は黒く大きなコートを着て、手にシルクハットを持っている。外出しようとしているのだが、あたかも妻であるレンピッカに別れを告げているかのようである。レンピッカは結婚指輪をはめた夫の左手を、未完のままで残すことにした。実際、タデウシュはこの絵のためにポーズをとった時に、タマラと離婚の瀬戸際にいたのだ。レンピッカが描く男たちは大体において暗いトーンで描かれており、そこにはノスタルジーと不安が込められているかのようだ。(E・B)
https://www.ntv.co.jp/lempicka/about/index.html

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【アールヌーボーとアールデコ】
【アールヌーボー】1900パリ万博、アルフォンス・ミュシャ、ミュシャ様式、エミール・ガレ
【ミュシャ様式、アール・ヌーヴォー】
1895年元旦、アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』のポスターでパリのアート・シーンの注目を集め始める。アール・ヌーヴォー様式の発信源の一つとなるジークフリード・ビングの画廊、メゾン・ド・ラール・ヌーヴォーがオープン。
ミュシャのデザインは「ミュシャ様式」というニックネームで大衆に親しまれ、「アール・ヌーヴォー」と同義語になる。優美な女性と、繊細な線、大胆な構図、曲線と円形、花の装飾。
1898年、ウィーン分離派展に参加。フリーメイソン、パリ支部の会員。
1900年、アール・ヌーヴォー、終息。ミュシャ様式、忘れ去られる。
【エミール・ガレ】(1846-1904)アール・ヌーヴォー
エミール・ガレ(1846–1904)はフランス北東部ロレーヌ地方の古都ナンシーで、父が営む高級ガラス・陶磁器の製造卸販売業を引き継ぎ、ガラス、陶器、家具において独自の世界観を展開し、輝かしい成功を収めました。
ナンシーの名士として知られる一方、ガレ・ブランドの名を世に知らしめ、彼を国際的な成功へと導いたのは、芸術性に溢れ、豊かな顧客が集う首都パリでした。父の代からその製造は故郷ナンシーを中心に行われましたが、ガレ社の製品はパリのショールームに展示され、受託代理人等を通して富裕層に販売されたのです。1878年、1889年、1900年には国際的な大舞台となるパリ万国博覧会で新作を発表し、特に1889年の万博以降は社交界とも繋がりを深めました。しかし、その成功によってもたらされた社会的ジレンマや重圧は想像を絶するものだったと言い、1900年の万博のわずか4年後、ガレは白血病によってこの世を去ります。
ガレの没後120年を記念する本展覧会では、ガレの地位を築いたパリとの関係に焦点を当て、彼の創造性の展開を顧みます。フランスのパリ装飾美術館から万博出品作をはじめとした伝来の明らかな優品が多数出品されるほか、近年サントリー美術館に収蔵されたパリでガレの代理店を営んだデグペルス家伝来資料を初公開します。ガレとパリとの関係性を雄弁に物語る、ガラス、陶器、家具、そしてガレ自筆文書などの資料類、計110件を通じて、青年期から最晩年に至るまでのガレの豊かな芸術世界をお楽しみください。
■参考文献
アールデコとモード・・・1925年パリ万博、『グレート・ギャツビー』1925、クライスラービル1930、ルネ・ラリック香水
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/11/post-ddf546.html
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、2019
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム・・・ミュシャ様式、線の魔術、運命の扉、波うつ長い髪の女
https://bit.ly/2SsUxTb

シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
https://bit.ly/2vikIlL

クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2uUs3pu

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道、国立新美術館・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
https://bit.ly/2QbsUwT

「ミュシャ展 パリの夢、モラヴィアの祈り」2013
http://www.ntv.co.jp/mucha/

「ミュシャ展 『スラヴ叙事詩』」国立新美術館2017
アール・デコとモード 京都服飾文化研究財団(KCI)コレクションを中心に、三菱一号館美術館、2025年10月11日(土)~2026年1月25日(日)

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