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2026年5月

2026年5月 7日 (木)

王妃ネフェルティティの墓に新説、謎多き王妃は息子であるツタンカーメン王の墓の後ろに隠されていた。紀元前1331年に死んだネフェルティティ王妃

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アリゾナ大学考古学者ニコラス・リーブス、王妃ネフェルティティの墓に新説
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第434回
河合望先生、近藤二郎先生とエジプト大使館で名刺交換した。2025年6月、文化参事官にエジプト航空で、大エジプト博物館に来てくださいと言われる。
【蘇る美しい王妃ネフェルティティ】失った夢だけが美しく見えるのは何故。テル・エル・アマルナ(アケトアテン)、美しい愛の記憶、思い出だけが美しい。甘い愛の記憶。
 第18王朝が最盛期を迎えた紀元前14世紀初頭、強大な権力を持つアメンヘテプ3世が40年以上にわたってエジプトを支配した。彼の死後には、息子のアメンヘテプ4世が王座を継いだ。
 新しい王は、伝統的に信仰の対象となってきたアメン神の寺院や像を破壊し、太陽円盤に象徴されるアテンを唯一神とする信仰を開いた。首都を西の砂漠に位置するアケトアテン(現在のアマルナ)に移し、自らの名も「アメン神は喜び給う」という意味のアメンヘテプから、「アテン神に使えし者」を意味するアクエンアテンへと変えた。彼はまた、この国の芸術に革命をもたらした。自らの姿を、若く理想的な体を持つ王ではなく、大きくふくらんだ腹の人物として描かせるなど、写実的なスタイルを推奨した。
 ネフェルティティ(美しい者が訪れたの意)は、アクエンアテンの第1王妃であった。2人の間に息子がいたという記録はないが、6人の娘がいた。他の古代エジプトの王と同様に、アクエンアテンにも複数の妻がおり、そのうちのひとりは、後にツタンカーメン王となるトゥトアンクアテン(アテン神の生ける似姿の意)の母親であったと言われる。
ネフェルティティ(右)と彼女の夫アクエンアテン王が、6人の娘のうちの3人と遊んでいる図。太陽円盤から降り注ぐのはアテン神の祝福の光だ。(Phootgraph by Kenneth Garrett, National Geographic Creative)
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*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ネフェルティティの墓に考古学者が期待する理由
ツタンカーメンとともに埋葬? 王家の謎が解き明かされるかもしれない
2015.12.24
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/122200055/


ネフェルティティ(右)と彼女の夫アクエンアテン王が、6人の娘のうちの3人と遊んでいる図。太陽円盤から降り注ぐのはアテン神の祝福の光だ。(Phootgraph by Kenneth Garrett, National Geographic Creative)
[太陽から降り注ぐアテンの光線]
 エジプトの王家の谷で新たな発見があるたび、関係者は色めき立つ。今度こそあの女王か? ついに見つかったのか?
 噂の主はネフェルティティ、古代エジプトの伝説の女王だ。未だに見つかっていない彼女の墓を、エジプト学者たちは長い間探し続けてきた。
 今、ネフェルティティの墓発見への期待はかつてないほど高まっている。ツタンカーメン王の墓をレーダースキャンしたところ、壁の奥に隠し部屋があるらしいと判明したためだ。ついにネフェルティティの墓が見つかったのではないか、壁の向こうにはいくつもの部屋が連なり、謎に包まれていた女王の豪華な副葬品で埋め尽くされているのではないかとの憶測が浮上している。(参考記事:「ツタンカーメンの隠し部屋、日本の技術者が活躍」)
 財宝の発見には胸が躍るが、考古学の世界で貴重なのは黄金よりも情報だ。専門家たちは、きらびやかなお宝以上の価値がある情報の発見に期待を寄せている。

古代エジプト美術の象徴とも言える、美しく優美なネフェルティティの胸像。【1912年にアマルナの遺跡で、王宮に仕えた彫刻家の工房跡から発見された。かつてはアケトアテンと呼ばれていたアマルナは、ネフェルティティの夫、アクエンアテンが首都として建設した街だ。】(Photograph by Michael Sohn, Reuters, Corbis)
【エジプト王の変遷を解く鍵】
 現在知られている歴代の古代エジプト王のリストは完璧なものではない。幾人もの学者たちが、細切れの情報を寄せ集めて作り上げたものにすぎず、今も不明点が数多く残っている。ネフェルティティの墓には、そんな王位継承の歴史を明らかにするヒントが眠っているかもしれないのだ。
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 ネフェルティティの時代についてわかっていることを追ってみよう。
 第18王朝が最盛期を迎えた紀元前14世紀初頭、強大な権力を持つアメンヘテプ3世が40年以上にわたってエジプトを支配した。彼の死後には、息子のアメンヘテプ4世が王座を継いだ。
 新しい王は、伝統的に信仰の対象となってきたアメン神の寺院や像を破壊し、太陽円盤に象徴されるアテンを唯一神とする信仰を開いた。首都を西の砂漠に位置するアケトアテン(現在のアマルナ)に移し、自らの名も「アメン神は喜び給う」という意味のアメンヘテプから、「アテン神に使えし者」を意味するアクエンアテンへと変えた。彼はまた、この国の芸術に革命をもたらした。自らの姿を、若く理想的な体を持つ王ではなく、大きくふくらんだ腹の人物として描かせるなど、写実的なスタイルを推奨したのだ。
 ネフェルティティ(美しい者が訪れたの意)は、アクエンアテンの第1王妃であった。2人の間に息子がいたという記録はないが、6人の娘がいたことはわかっている。他の古代エジプトの王と同様に、アクエンアテンにも複数の妻がおり、そのうちのひとりは、後にツタンカーメン王となるトゥトアンクアテン(アテン神の生ける似姿の意)の母親であったとも言われる。
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エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説、
謎多き王妃は息子であるツタンカーメン王の後ろに隠されていた?アリゾナ大学の考古学者ニコラス・リーブス氏が、紀元前1331年に死んだネフェルティティ王妃の墓
2015.08.21
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/
1912年に発見されたネフェルティティの胸像は、エジプト古代遺物の象徴的存在のひとつとなっている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL SOHN, DPA/CORBIS)
[画像のクリックで拡大表示]
 米アリゾナ大学の考古学者ニコラス・リーブス氏が、紀元前1331年に死んだネフェルティティ王妃の墓をついに発見したかもしれないという論文を発表し、注目を集めている。
 リーブス氏が発表した論文によれば、伝説のエジプト王妃の墓は、少し考えればすぐ分かりそうな場所に隠れていたという。ネフェルティティの息子と考えられているツタンカーメン王の墓に隠されたドアがあり、その向こうにある大きな玄室に埋葬されているという。
 歴史的な発見は、様々な憶測を呼ぶものだ。そこで、これまでの経緯を振り返ってみよう。
 ネフェルティティの墓を発見という発表は、過去12年間でこれが3度目だ。
 しかも、最近行われたDNA鑑定によって、1898年に発掘され現在はカイロのエジプト博物館に保管されている、数体のミイラのうちの1体がネフェルティティであるとの見方もある。
壁にあった謎の割れ目
 リーブス氏は、美術品のレプリカ製造を専門とするスペインのファクトム・アルテ社が作成したツタンカーメンの墓の詳細なスキャン画像を分析していた時にそれを発見した。
 少年王ツタンカーメンが眠っていた王家の墓を一目見ようと押し寄せる観光客のために、本物の墓のすぐそばにレプリカが作られており、スキャンによる高解像度画像は、これを建設するために撮影されたものだ。今年2月、スキャン画像を分析していたリーブス氏は、墓の北と西の壁に割れ目があることに気付き、それぞれ封印されたドアの輪郭ではないかと考えた。
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エジプト、ツタンカーメン発掘100年、ツタンカーメンの王墓初公開、100年前の歴史的瞬間が蘇る ナショナルジオグラフィック
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/26/033100181/
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守護の女神 
翼を広げて守護する女神イシス(左)とネフティス(右)と、その周囲にある神聖な文字。王家の谷でファラオ、ツタンカーメンを納めていた黄金の第3人形棺に刻まれたもの。カイロ、エジプト博物館所蔵。(KENNETH GARRETT)
参考文献
王妃ネフェルティティの墓に新説、謎多き王妃は息子であるツタンカーメン王の墓の後ろに隠されていた。紀元前1331年に死んだネフェルティティ王妃
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-981c5c.html
ツタンカーメンの生涯と謎・・・秘められた古代エジプトの宗教的意味
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-207710.html
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp
ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎
https://bit.ly/39mttQ1
守護の女神 翼を広げて守護する女神イシス(左)とネフティス(右)と、その周囲にある神聖な文字。王家の谷でファラオ、ツタンカーメンを納めていた黄金の第3人形棺に刻まれたもの。カイロ、エジプト博物館所蔵。(KENNETH GARRETT)
古代エジプトの象形文字はなぜ魔法の力が宿る「神聖な文字」に?
ヒエログリフの起源と興隆、誰にも読めない文字になるまで、数千年の歴史
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/26/022400107/
2026年5月7日

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2026年5月 5日 (火)

「私の出会ったダリ」女優・岸恵子、芸術のミューズ・・・《記憶の固執》1931、《ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感》』1936、《レダ・アトミカ》1949

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第433回

「私の出会ったダリ」 ダリ 本人と交流があった俳優の 岸恵子 さんに素顔のダリ、芸術家としてのダリ、人間ダリの魅力。1995年放送
ダリのミューズは、ガラであった。カダケスの冬の海に行くと、「内乱の予感」の腕のような木がある。フィゲラス(Figueres)で若いころダリに会った。村人といるときは奇人ではなかったが、記者がいると変人であることを自己演出した。「レダの卵から、私とガラは生まれた。ガラは私の芸術のミューズ。芸術の源泉だ」。岸恵子「私はだれのミューズにもなっていない。ミューズと言われたこともない」。紅いドレスの岸恵子は、藝術のミューズである。私の藝術のミューズはだれか。
ダリとガラの城のような卵の美術館も、今は廃れた。ダリ《記憶の固執》1931「溶けた時計」は27歳の作品、3つの時計が溶けている。時計は溶ける、そのとき、自分の時間、自由が始まる。岸恵子「私はこの作品が好きだ」。《ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感》』1936、カダケスの枯れた木のようだ。と、岸恵子は言う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ダリ《レダ・アトミカ(Leda atomica)》1949、フィゲラスのダリ劇場美術館所蔵。ギリシア神話の「レダ」で、白鳥と台座に座ったスパルタの神話の女王レダが描かれている。《レダ・アトミカ》では、レダはガラの肖像となり、ダリは白鳥に姿を変えて描かれている。彼女の周囲には本、卵、定規、2つの踏み台が浮遊している。背景はおなじみのカタルーニャのカダケスの海岸と岩である。レダはスパルタ王テュンダレオースと結婚した夜、テュンダレオース王が眠っているときに白鳥に姿を変えたゼウスに犯されてしまう。この二重婚姻問題が2つの卵を産むことになり、最初の卵から双子の兄弟カストールとポリュデウケースが、後の卵から双子の姉妹クリュタイムネーストラーとヘレネーが生まれる。
ダリは自分自身をポリュデウケースとみなし、死んだ兄をカストールとみなした。また妹のアナ・マリアをクリュタイムネーストラーに、ガラをヘレネーとみなしている。
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岸恵子。1932年8月11日(93歳)生まれ。11951年に大学入学までという条件で松竹に入社。1953年から1954年にかけて映画『君の名は』3部作が大ヒット。主人公・氏家真知子のストールの巻き方を「真知子巻き」と呼んでマネる女性が出る。1975年、41歳のとき離婚、娘は11歳だった。
私の人生を大きく変えた、3つの節目
結婚が24歳。18年弱の結婚生活の後、41歳で離婚『岸惠子自伝 卵を割らなければ,オムレツは食べられない』を上梓しました。岸さんは『婦人公論』2016年2月7日号で人生を変えた「3つの節目」について語っています。岸さんの人生観
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「41歳で紙一枚持ち出さずに離婚、51歳で作家デビュー。どんな苦境にあっても自由と孤独を取りこんで生きてきた」〈後編〉
https://fujinkoron.jp/articles/-/5257
岸惠子さん「女子高生でデビューし、女優の絶頂期にフランス人監督・イヴ・シャンピと結婚。スターの身分を捨て、ただ世界を見てみたかった」〈前編〉
https://fujinkoron.jp/articles/-/5256
【サルバドール・ダリ(1904-89)】『記憶の固執』1931、『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934、『ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』1936『ナルシスの変貌』37『燃えるキリン』37『ヴィーナスの夢』1939『聖アントニウスの誘惑』46『ビキニの3つのスフィンクス』1947、『記憶の固執の崩壊』1954、「テトゥアンの大会戦」1962、『引き出しのあるミロのヴィーナス』1936『夜のメクラグモ 希望』40『焼いたベーコンのある自画像』41『象』1948『ポルト・リガトの聖母』1950『MeltingWatch溶けた時計』54、『大惨事シリーズ(Série des catastrophes)《ツバメの尾》』1979【初期ダリ】『窓辺の少女』1925『陰鬱な遊戯』29『不可視のライオン』1930『降りてくる夜の影』1931、ダリ『ロートレアモンのカマキリの人肉食』1934
【『記憶の固執』1931】ダリのアトリエからみえるポルト・リガトの海と岩と柔らかい時計がある。ある日の午後、溶けた時計が見えた。「私は二つの柔らかい時計を見た。そのうちひとつはオリーヴの木の枝に嘆かわしい姿でぶらさがっていた。」ダリ『わが秘められた生涯』1942
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参考文献
「私の出会ったダリ」女優・岸恵子、芸術のミューズ・・・《記憶の固執》1931、《ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感》』1936、《レダ・アトミカ》1949
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-c59349.html
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
「NHK日曜美術館50年展」・・・語り継ぐ美 ~時を超えて美を語る言葉、日本美の再発見、超絶技巧、作家の生き様と美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-da8f56.html

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2026年5月 4日 (月)

「NHK日曜美術館50年展」・・・語り継ぐ美 ~時を超えて美を語る言葉、日本美の再発見、超絶技巧、作家の生き様と美

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第432回

桜満開の森を歩いて、藝術大学美術館に行く。日曜美術館は、埋もれた藝術家を発掘してきた。田中一村、高島野十郎、等である。
その他、美術愛好家、知識人、詩人、作家、女優によって、忘れられた美術と美を再発見してきた。女優・岸恵子のダリとカダケス(ポルト・リガート)、フィゲラスへの旅、「レダ・アトミカ」は、美しい思い出である。1995年。
ポール・セザンヌ 《水浴》 1883-87年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
石田徹也 《飛べなくなった人》 1996年 静岡県立美術館蔵。画家として注目を集め出した矢先に、踏切事故のため31歳の若さでその生涯を閉じた石田徹也(1973-2005)。代表作約110点を残した。
《縄文土器 深鉢 火焔型土器》 新潟県長岡市 岩野原遺跡出土 縄文時代(中期) 國學院大學博物館蔵
アルベルト・ジャコメッティ 《ヤナイハラⅠ》 1960-61年 国立国際美術館蔵 撮影:福永一夫
舟越桂《水に映る月蝕》 (右)舟越桂《「水に映る月蝕」のためのドローイング》ともに2003年 個人蔵
曾我蕭白《柳下鬼女図屏風》18世紀、東京藝術大学美術館
曽我蕭白《群仙図屏風》18世紀 東京藝術大学大学美術館
安藤緑山 《竹の子に梅 牙彫置物》 大正–昭和初期 京都国立近代美術館蔵 撮影:木村羊一
月岡芳年 《義経記五條橋之図》 明治14年(1881) 横浜美術館蔵(加藤栄一氏寄贈)
室瀬和美 《蒔絵飾箱「麦穂」》 1985年 個人蔵
塩見亮介 《白銀角鴟面附白絲縅兜袖》 2022年 個人蔵
香月泰男 《青の太陽》 1969年 山口県立美術館蔵
柚木沙弥郎 《いのちの樹》 2018年 松本市美術館蔵
岡本太郎 《遭遇》 1981年 川崎市岡本太郎美術館蔵
岡本太郎(画家)
職業なんてないんだと。人間だと。
誰だって人間だから、芸術だと。
芸術家じゃなくて、芸術だと。
セクションのなかに入ってることが芸術じゃないんですよ。
全人間的に生きることが芸術なんです。(1981年3月8日放送 「アトリエ訪問 岡本太郎」 より)
石田徹也×大槻ケンヂ(ロックミュージシャン)
幼い頃の「未来に対して、人生に対して不安だ」みたいな、みんなが持っているそういうモノを彼が一身に引き受けて絵にしていたかのようなイメージを僕は受けましたね。(ロックミュージシャン 大槻ケンヂ 2006年9月17日放送 「悲しみのキャンバス 石田徹也の世界」 より)
曾我蕭白×大野一雄(舞踏家)
蕭白は私の大先生。なぜなら非常に粗放、あらっぽくみえるけど非常に繊細。目を見ても繊細極まる目だけど、普通の目じゃなくて、浮世をのぞき見しているような。宇宙の構造というか私の構造というか、そういうものとの出会いのような感じで、極まりなく感動をいつも受けさせてもらっている。先生のおかげですよ。(舞踏家 大野一雄 1997年2月16日放送 「奇想の魂 大野一雄・蕭白を舞う」 より)
志村ふくみ(染織家)
色にいのちがあるってことを教えてくれたのは藍ですよね。そういうものがなかったら、色は色ですよね。でも私は色は色ではないんじゃないかという思いで色を染めてる、色を出してるっていう感じですよね。(2005年12月4日放送「京の〝いろ〞ごよみ 染織家・志村ふくみの日々 冬から春へ」 より)
李禹煥(現代美術家)
ほんの最小限の行為が最大限の大きな世界との響きあいになることに望みをかけるわけです。(2005年12月4日放送「出会いの芸術を求めて ~李禹煥 半世紀の挑戦~」 より)
香月泰男(画家)
僕は国家というよりも、国家の原点にあるひとつの家庭というものを大事だと思うんです。国家という目に見えないものは、僕は納得いかない。(1979年8月12日放送 「私と香月泰男」 より)
安藤緑山×前原冬樹(彫刻家) 抜群にかっこいい。曲面に正確な線をいれるのはかなり難しい。だからその筋の正確さとかずっとみていたいぐらいすごい。(彫刻家 前原冬樹 2014年5月11日放送 「明治の工芸 知られざる超絶技巧」 より)
塩見亮介 《白銀角鴟面附白絲縅兜袖》 2022年 個人蔵
塩見亮介(鍛金家) 明治工芸や江戸の名工も、すごい人たちがいっぱいいて、過去の人とも常に勝負してる、未来にもすごい人たちが出てくるだろう。そういう人たちとも勝負してる。(鍛金家 塩見亮介 2023年5月14日放送 「現代の超絶技巧 2」 より)
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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東京藝術大学美術館、プレスリリース
2026年に放送開始から50年を迎える長寿番組、NHK「日曜美術館」。これまで番組に登場した“美”の魅力を伝える展覧会「NHK日曜美術館50年展」が、東京藝術大学大学美術館(東京・上野)で3月28日(土)から6月21日(日)まで開催されます。
本展の見どころ
1.放送50年を迎えるNHK「日曜美術館」を彩った、120点を超える名品を展示。西洋・日本の絵画や彫刻、浮世絵、屏風、土器、伝統工芸などジャンルを超えた名品が勢揃いします。
2.貴重な当時の番組映像・出演者たちがつむいできた言葉が展示室内に! 出展作品がどのように語られ、紹介されたのかを当時の映像や言葉とともに追体験出来ます。
3.第5章 作家の生き様と美~アトリエ&創作の現場では、創作現場の貴重な映像が登場! 制作中の作家の言葉・作品が生み出される瞬間を、作品と共に味わうことが出来ます。
エドヴァルド・ムンク 《マイスナー嬢の肖像》 1907年 ひろしま美術館蔵
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第1章 語り継ぐ美 ~時を超えて美を語る言葉・語らせる作品
1976年4月、日曜美術館は「私と○○」という企画で放送を開始しました。各界の第一線で活躍するゲストが、敬愛する作家や作品への思いを語り、美の本質や創作の背景に迫る内容でした。50年を経た今も、「美を語る言葉」を大切に伝えるという精神は息づいており、繰り返し取り上げられる作家や名品も多くあります。一人のゲストが同じ作家を30年後に再び語ることもあり、語りの熱は時代を超えて受け継がれています。それは作品自体が「語らせる」力を持ち、人々に感動と表現への衝動を呼び覚ます証です。

大江健三郎が語るフランシス・ベーコン、舟越保武が伝える松本竣介、モデルとなった矢内原伊作が伝えるアルベルト・ジャコメッティなど、各界の第一線で活躍するゲストの言葉と古今東西の作家と作品を紹介します。

ポール・セザンヌ 《水浴》 1883-87年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
セザンヌ×吉田秀和(音楽評論家)
水浴図というのが自然の中にあるものを再現したような絵であるどころか、彼が求めていたあるいは心の中でみていたあるファンタスティックな世界の絵画的実現だ。(音楽評論家 吉田秀和 1996年12月1日放送「セザンヌはなぜ“水浴図”を描いたか」 より)

オーギュスト・ロダン 《考える人》 1880年 静岡県立美術館蔵
ロダン×舟越桂(彫刻家)
ロダンの技術はすごいが、イメージ力というのか、彫刻に物語を組みいれていくときの発想力がすごいなと思う。(彫刻家 舟越桂 2009年6月14日放送 「ロダン 新たな生命の探求者」より)

アルベルト・ジャコメッティ 《ヤナイハラⅠ》 1960-61年 国立国際美術館蔵 撮影:福永一夫
ジャコメッティ×矢内原伊作(哲学者)
ジャコメッティのそういう真実を追求してやまない情熱っていうか。 それこそ真剣な仕事のしかた、あるいは生き方そういったものに非常に私は感動した。(哲学者 矢内原伊作 1977年6月12日放送 「私とジャコメッティ」 より)

岸田劉生×会田誠(美術家)
強い意思を感じますね。 筆先にこう、力がこもっている。こうねりねりと、練り込むような感じで。 決意がこもったような独特な圧がありますよね。俺、俺を見ろ!みたいな。俺が俺であることが大切だというアピールというか。(美術家 会田誠 2019年9月29日放送 「異端児、駆け抜ける!岸田劉生」 より)
石田徹也 《飛べなくなった人》 1996年 静岡県立美術館蔵

松本竣介×舟越保武(彫刻家)
少しほかの風景と違ったかわいらしいというとおかしいが、ほとんどの人はこれが好き。ルソーと共通したものが、素朴なものが出ているし、あそこ歩いているのは竣介という風に私は見てます。いつもひとりで歩いてましたから。非常にきれいな統一された雰囲気をもっておりますね。(彫刻家 舟越保武 1977年10月23日放送 「私と松本竣介」 より)
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第2章 日本美の再発見 古代から明治まで
1950年代の岡本太郎による縄文の美の再発見、1970年代の辻惟雄による江戸の奇想絵画の評価、そして琳派や浮世絵を現代アーティストが再解釈する動きなど、日本美術には、時代や人物の視点によって新たな光を放つ魅力があります。

1976年に始まった「日曜美術館」は、放送初期から北斎や若冲を紹介してきましたが、2016年の若冲展では空前の行列が生まれ、日本美の再評価を象徴しました。2000年代以降は奇想の絵師の特集が増え、「“にっぽん”美の旅」シリーズでは井浦新さんの企画により縄文の美が数多く取り上げられました。

村上隆、大野一雄、井浦新らがつむぐ言葉で、縄文土器・土偶、伊藤若冲、曾我蕭白、葛飾北斎など、日本美術の名品が再び輝きだします。

《縄文土器 深鉢 火焔型土器》 新潟県長岡市 岩野原遺跡出土 縄文時代(中期) 國學院大學博物館蔵
縄文土器×冨永愛(モデル・俳優)
きっと今より厳しい環境で生きていて、その中でもちょっとした楽しみだったりとか、 喜び、幸せというものをより噛み締めて、より大事にして生きてるんだろうなって思うと、アートっていうものがそれに寄り添ってきたんじゃないかなと思いますよね。やっぱり人って生きてる中でどうしてもアートしちゃうんじゃないかなって思います。(モデル・俳優 冨永愛 2026年1月4日放送 「放送開始 50 年特集 時を超え 美を語る」 より)

曾我蕭白×大野一雄(舞踏家)
重要文化財 伊藤若冲 《蓮池図》 江戸時代・天明9年(1789) 大阪・西福寺蔵 ※後期展示:5月12日(火)~6月21日(日)
伊藤若冲×村上隆(アーティスト)
世界を全部自分の手元に捕まえたいという欲求が投影されてる。リアルな自分と等身大の世の中を自分の中に取り込みたいという心の平静の境地がこの作品にある。(アーティスト 村上隆 2000年11月12日放送 「奇は美なり 若冲・細密の世界」 より)

月岡芳年 《義経記五條橋之図》 明治14年(1881) 横浜美術館蔵(加藤栄一氏寄贈)
月岡芳年×楳図かずお(漫画家・芸術家)
弁慶の足元、ドキッとする。ポーズも普通の人は描かない、ドラマチックですよね。今生きていたら映画とか漫画とか作っていそうだな。(漫画家・芸術家 楳図かずお 1999年5月16日放送 「最後の浮世絵師 月岡芳年 怪奇の美」 より)

長沢芦雪×井浦新(俳優)
清々しさというか、作為をまったく感じさせない。あんな表現が自分もいつか出来たらって。やっぱり素直であった方が、何事もうまくいくんじゃないかなって思うんですよ。学び続けながら、その分ちゃんと出していくことが出来る場が、役者の仕事であり、ものづくりの仕事であり。だからちゃんとそこを謙虚な気持ちで素直に。本当に芦雪が、間違ってないよっていってくれているような、こっちに来いよみたいな。(俳優 井浦新 2014年6月8日放送「紀州へ 長沢芦雪×井浦新」 より)
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第3章 工芸 伝統と革新
50年間、日曜美術館が継続して取り上げてきたのが「工芸」です。1976年の「日本伝統工芸展」から始まり、翌年からは「正倉院展」も放送し、日本の優れた工芸美術を紹介してきました。

番組では、正倉院の宝物や、各時代を代表する匠たちの制作風景、そして技と素材に真摯に向き合う姿が映像として残されています。その中には、後に人間国宝となる職人たちの若き日の挑戦や、親から子へと受け継がれる技の葛藤、厳しい時代にも続く伝統継承の奇跡が映し出されています。近年は明治から現代に至る超絶技巧にも注目し、過去の名工の技に学びつつ新たな表現を探る若手作家たちを紹介しています。自然と深く結びついた日本の工芸の誇りと精神は、今もなお匠たちの手の中で脈々と受け継がれているのです。

正倉院宝物(模造)、松田権六、室瀬和美、森口華弘・邦彦、安藤緑山、塩見亮介などの名品をご紹介します。

人間国宝
室瀬和美 《蒔絵飾箱「麦穂」》 1985年 個人蔵
室瀬和美(漆芸家)
作品の中に1つの空気を流してみようって、そういう構想が自分の心の中にあるんです。漆芸家 重要無形文化財「蒔絵」保持者 室瀬和美(1985年9月29日放送 「美と技と用 第32回日本伝統工芸展から」 より)

超絶技巧
安藤緑山 《竹の子に梅 牙彫置物》 大正–昭和初期 京都国立近代美術館蔵 撮影:木村羊一

第4章 災いと美
2020年、コロナ禍により美術館が休館し、番組の継続も危ぶまれる中で日曜美術館は大きな危機を迎えました。しかし「美を届けることを止めない」という信念のもと、過去の映像を活用した「蔵出し日本絵画・西洋絵画シリーズ」や、困難な時にこそ分かち合いたい作品を紹介する「♯アートシェア」などが生まれました。中でも「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」は、災いと人間の表現の関わりを美の視点から見つめ直す象徴的な番組でした。古来より人は災厄に向き合う中で美を通してそれを理解し、昇華してきたことが明らかになり、社会の災害や戦争にも同様の姿勢が見られます。

本章では、災いと向き合い、理解し、受け止めるために美が果たしてきた役割とその力を考えます。香月泰男、靉光、野見山暁治、石内都などの作品とあわせてパブロ・ピカソの傑作「ゲルニカ」を原寸大高精細映像で展示します。

疫病
作者不明 《肥後国海中の怪》 1846年 京都大学附属図書館蔵 ※前期展示:3月28日(土)~5月10日(日)
アマビエ×小野正嗣(作家)
健康に楽しく周りの人と出会い言葉を交わし合いながら美術について語り、笑ったりすることがどれほど人間にとって本質的な活動かと強く感じられる。(作家 小野正嗣 2020年4月19日放送 「疫病をこえて 人間は何を描いてきたか」 より)

戦争
香月泰男 《青の太陽》 1969年 山口県立美術館蔵

自然災害
野見山暁治(画家)
悲しいとか何とかとか、なんか違う。人間に限らず生物というものははかないもの。大きな中でただうごめいているだけ なす術がない。(2014年3月9日放送 「行き暮れてひとり ~画家 野見山暁治のアトリエ日記~」 より)
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第5章 作家の生き様と美 ~アトリエ&創作の現場
作家のアトリエは、歓喜や苦悩、葛藤、孤独といったあらゆる感情が交錯する、美の舞台裏です。日曜美術館では1980年から「アトリエ訪問」シリーズを通して、多くの作家の創作現場を紹介してきました。散乱した空間もあれば道場のように整然とした場もあり、そこには作家それぞれの生き様と個性が刻まれています。作品がまさに誕生する瞬間に立ち会うことは、創造の核心に触れる特別な体験です。

岡本太郎、柚木沙弥郎、志村ふくみ、加山又造、李禹煥、舟越桂、諏訪敦、山口晃など、放送時の映像とともに制作の過程で作家が語る言葉に耳を傾けながら、創造という行為の深淵を。

柚木沙弥郎 《いのちの樹》 2018年 松本市美術館蔵
李禹煥(現代美術家)
ほんの最小限の行為が最大限の大きな世界との響きあいになることに望みをかけるわけです。(2005年12月4日放送「出会いの芸術を求めて ~李禹煥 半世紀の挑戦~」 より)
岡本太郎 《遭遇》 1981年 川崎市岡本太郎美術館蔵
山口晃 《ショッピングモール》 2015年~ 桐生市(大川美術館寄託)
山口晃(画家)
シャッター商店街問題になっているけれど、これ描いて何になるんだっていうわけじゃないが、ふるさとの絵を一枚描いておこうかしら、描く時にそこは画題をぴりっと利かせたいというのもありまして。
ショッピングモールっていうのは、巨大さをみると街が一つできちゃったような。あそこまで大きいと街でいいんじゃないかしらと。普通の商店街に壁作って屋根をかけて、「あれ?新しいショッピングモールだわ」とか言ってね。ショッピングも出来るじゃないかしらとまちがった人がきて流行りやしないかと。空想は空想ですけど、そういうしたたかな生き残り戦略じゃないですけど。(2015年4月19日放送 「画伯! あなたの正体は? ドキュメント・山口晃」 より)
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参考文献
「NHK日曜美術館50年展」・・・語り継ぐ美 ~時を超えて美を語る言葉、日本美の再発見、超絶技巧、作家の生き様と美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-da8f56.html
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」・・・孤高の画家、人生の光芒、彼岸への旅
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/09/post-236a16.html
「没後50年 髙島野十郎展」・・・空海の密教思想への傾倒
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-fc2837.html
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NHK日曜美術館50年展
会場:東京藝術大学大学美術館(東京・上野)
会期:2026年3月28日(土)~6月21日(日)
休館日:月曜日(ただし5月4日は開館)
公式サイト:https://nichibiten50.jp/
巡回先:静岡県立美術館2026年7月18日(土)~9月27日(日)/大阪中之島美術館2026年10月10日(土)~12月20日(日)

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2026年5月 3日 (日)

島薗進、宗教学講演会「宮沢賢治・ゴッホ・菩薩道」5月31日上智大学1号館202教室、14時~16時、参加費1000円。他大学も可。ソフィア文化芸術ネットワーク 上智大学ソフィア会、03-3238-3041

島薗進、宗教学講演会「宮沢賢治・ゴッホ・菩薩道」5月31日上智大学1号館202教室、14時~16時、参加費1000円。他大学も可。ソフィア文化芸術ネットワーク 上智大学ソフィア会、03-3238-3041

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【質疑応答:島薗進×大久保正雄】『ことばによる戦いの歴史としての哲学史」理想社、哲学、美術評論。
宮澤賢治(1896-1933)明治29年、岩手県花巻生れ。盛岡高等農林学校卒。富商の長男。日蓮宗徒。1921(大正10)年から5年間、花巻農学校教諭。中学時代からの山野跋渉が、彼の文学の礎となった。教え子との交流を通じ岩手県農民の現実を知り、羅須地人協会を設立、農業技術指導、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上をめざし粉骨砕身するが、理想かなわぬまま過労で肺結核が悪化、最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行った。生前刊行されたのは、詩集『春と修羅』童話集『注文の多い料理店』(1924)のみ。
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★★★★★
参考文献
島薗進×大久保正雄『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-9dce13.html
1、宮澤賢治『雁の童子』、『インドラの網』について
2、天正、織田信長、改元の目的は何か。
3、密教真言について
4、【藝術と魔術】
5、学問の不可欠な要素について
【解説】 質疑応答『死生学 ファンタジーと魂の物語』2019
大久保正雄

質疑応答、島薗進×大久保正雄『死生学 宗教の名著』2018
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-6c7b.html
1、宗教にある「遊戯人」の要素について 
2、宗教における「現世の階級社会、価値観の否定」について
3、織田信長と禅僧、沢彦宗恩、禅の老荘思想について
4、空海の密教とプラトン哲学の世界観について
5、宗教、学問、藝術は、運命と環境との戦い
6、3つの時間論。自分が生きたい時間論を選ぶならば、何を選びますか
7、『銀河鉄道の夜』の主題。
8、若き日にもっていた純粋さ、心の美しさを多くの人は失う。純粋さ、心の美しさを持ちつづけるために必要な精神、美質とは何か。島薗先生のご意見をお聞きします。

島薗進×大久保正雄「死生学 ファンタジーと宗教」2017
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-8f05.html
1、宗教とは何か
大久保正雄
宗教の本質は何か。信仰。祈り。儀礼。幻想。癒し。救い。神殿。聖なる空間。宗教の定義は何か。例えば、*ソクラテスの祈り(プラトン『パイドロス』)*「當麻寺、中将姫の聖衆来迎練供養会式」
2、宗教が生まれる原因は何か
3、世界観の選択。世界の様々な宗教の世界観(Weltanschauung)の選択、その根底にあるものは何か。
4、藝術家と宗教について。孤高の藝術家、壮絶な人生を生きる藝術家。藝術家は、苦悩の人生、壮絶な人生を生きる時、思想、宗教を心の支えとする。例えば、李白、葛飾北斎
5、ファンタジーには、天から降りてきた人のテーマがある。純粋な魂が、天から降りてきて、地上で苦の修行をして、天に還る。例えば、『星の王子さま』、宮澤賢治『雁の童子』、プラトン『パイドロス』魂のミュートス。*
6、織田信長と天の思想。織田信長は、天の思想をもっていて、自らの仕事を天命と考えていたといわれる。安土城天主閣は、5層7階の天主閣、儒教、道教、仏教の世界観の屏風絵があった。天正の暦を天皇に採用させた。織田信長は、ローマから西洋の考えを輸入しようと考えた。宗教弾圧、藝術弾圧したのは、秀吉、家康である。(*大久保正雄『メディチ家と織田信長』)
7、『秘密曼陀羅十住心論』。空海『秘密曼陀羅十住心論』『秘蔵宝鑰』『聾瞽指帰』。
8、父殺しのテーマと宗教の誕生はどうかかわるのか。
9、人の痛みを知る心をもつことは極めて難しい。どのようにすれば、人の痛みを知る心を持つことができるのか。
10、理念の崩壊は『純粋理性批判』から始まった。『純粋理性批判』によって形而上学が否定された。「形而上学の崩壊」によって宗教の理想、プラトンの理念の崩壊が始まった。
島薗進×大久保正雄「死生学 人の心の痛み」2016
1、他界からの訪問者。「他界からの訪問者」の物語、「他界憧憬」について。(宮澤賢治『風の又三郎』。「純粋な魂が、天界からやってきて、この世で苦難を経験し、天界へ帰って行く」という世界観がある。
2、輪廻転生。「世界の宗教の中で、輪廻転生の思想をもつ人々がいる。他方もたない人々がいる。宗教学からみると、世界観はどのように違うのか。
3、「人は、どのようにして、他の人の痛みを感じることができるようになるか。」
日本人は、人に痛みに共感することができない、といわれる。日本人は、英国人、中国人よりはるかに下位。OECDのある調査で世界最下位。「自力で生きていけない人たちを助けるべきだとは思わない人、日本38%、
4、【ギリシア人の死生観】
大久保正雄「ギリシア人の死生観は「人間にとっては、この世に生まれてこないことが幸せであり、生まれてきたら早く死ぬことが幸せである。」。「宮澤賢治『よだかの星』に似ている。これは、現代人の考えと違うと思われる。宗教学者として、どのように考えますか。」「ギリシア悲劇、ソフォクレス『コロノスのオイディプース』(1224-1227)、ソフォクレスに先立つ前6世紀のエレゲイア詩人テオグニス『エレゲイア詩集』」
5、幸せとは何か。「宗教学者が考える「幸せとは何か」。例えば「幸せとは何か。」ホセ・ムヒカの考えは、幸せとは生きることに喜びを見出すこと。情熱を傾ける何かが必要。歩きつづけることが幸せ。目標に向かって戦う者は幸せ。希望があるから。貧しい人とは少ししか持っていない人ではない、もっともっといくらあっても満足しない人である。『知足』が大切。若い人でも、心が老いた人がいる。我々は発展するために地球にやってきたのではありません。幸せになるために地球にやってきたのです。2016年4月8日。ホセ・ムヒカ「4つの教訓」 1. 消費主義に支配されるな 2. 歩き続けよ  3. 同じ志を持つ仲間を見つけて闘争せよ 4. 自分の利己主義を抑えよ 
6、仏教の根本前提。「『仏教の根本前提』は、何であるか。プラトン哲学の根本前提は、『魂の不死不滅、輪廻転生、イデアの存在、想起説』。この4つの思想である。プラトン『パイドロス』魂のミュートスは、4つの前提の上に成り立つ。魂は、一組の馬とその手綱を取る馭者からなり、翼をもち宇宙をかけめぐる。魂が神の行進について行けなくなると、地上に落ち肉体のうちに誕生する。何かを認識することは、かつて魂が見たイデアを思い出す(想起する)ことである。
*注 縁起説「原因に縁って結果が起きる」。
*注 十二縁起。無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死→(無明に繋がる)。
*仏陀は、人生を苦とみた。苦の原因は、十二縁起。
7、空海のことば『答叡山澄法師求理趣釈経書』。「古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。」空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』。(真理の道を究めるために道を探求したが、現代の人は、地位名誉と利益のために道を探求する。) 空海の言葉は、現代の学問の世界にも当てはまる。地位と名誉と利益のために行動する御用学者が極めて多い、例えば原子力安全委員長、斑目春樹氏。宗教学者として、どう思われますか。
*古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは、道を求むる志にあらず。
空海『答叡山澄法師求理趣釈経書』(叡山の澄法師、理趣釈経を求めたるに答うるの書)
島薗進「その通りです。日本人は、狭い道、専門家の道を考える、茶道、書道など。中国の道はより根源的。本質的な人間の道がある。」
8、比叡山焼き討ち。【織田信長、比叡山延暦寺、焼き討ち(元亀二、1571年 】根本中堂焼き討ちはなかった、と戦国史研究者、小和田哲男が分析している。比叡山延暦寺は、現在どのような見解ですか。最澄空海の時代から7百年後、比叡山は利権団体化した。信長の「天下布武」は、臨済宗妙心寺派の僧沢彦宗恩(たくげんそうおん)の教示による。公家寺家の利権を攻撃することが目的である。浅井朝倉に与する比叡山を明智光秀が攻撃。(*比叡山焼き討ちに関する考古学的調査、滋賀県による、小和田哲男『集中講義 織田信長』)
島薗進 「織田信長は、一向宗(浄土真宗)を徹底的に攻撃した。世俗権力と合体して大衆を動かしたからである。比叡山焼き討ちは、大規模ではなかったと思う」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html

島薗進×大久保正雄『死生学 人の心の痛み』2016
1、他界からの訪問者、2、輪廻転生、3、人はどのようにして他の人の痛みを感じることができるようになるか、4、ギリシア人の死生観、5.幸せとは何か、6、仏教の根本前提、7、空海のことば『答叡山澄法師求理趣釈経書』、8、比叡山焼き討ち
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-8607.html
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島薗進、宗教学講演会「宮沢賢治・ゴッホ・菩薩道」5月31日上智大学1号館202教室、14時〜16時
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-f6ed6f.html
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第431回

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2026年5月 1日 (金)

「アンドリュー・ワイエス展」・・・ベッツィとの出会い、クリスティーナとの出会い、海からの風、オルソンハウス

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第430回

躑躅咲く、新緑の森を歩いて、美術館に行く。
アンドリュー・ワイエス(1917-2009)の絵画は、ベッツィとの出会い、クリスティーナとの出会い、オルソン・ハウスとの出会いによって生まれた。《クリスティーナの世界》1948年は、クリスティーナが丘を這ってオルソン・ハウスに上って行く、貧しく障害を負って次第に体が不自由になっていくクリスティーナ。
【アンドリュー・ワイエスのリアリズムとは何か】
【20世紀アメリカ美術】
アンドリュー・ワアンドリュー・ワイエス《クリスティーナの世界》(1948)、《海からの風》(1947)は、20世紀アメリカ美術を代表する絵画である。
20世紀アメリカ美術は、サルヴァドール・ダリとパブロ・ピカソの影響を強く受けている。
アンドリュー・ワイエスとジョージア・オキーフは、アメリカの僻地の画家で、日本人には、人気が高い。
だが、現代アメリカ美術、NY等で高く評価されているのは、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタイン、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、デビッド・ホックニー、である。と、藤田一人氏は分析する。私はデビッド・ホックニー『ナイトホークス』(Nighthawks)が好きだ。*
*デビッド・ホックニー『ナイトホークス』(Nighthawks)は、アメリカ合衆国の画家エドワード・ホッパーが1942年に描いた油絵である。
深夜のダウンタウンのダイナーの大きなガラス窓越しに、その中にいる3人の客と1人の店員を描いている。ダイナーから漏れた光が、さびれた都会の暗い街並みを照らしている。タイトルは、直接的にはヨタカのことだが、「夜遊びする人」「夜型人間」という意味もある。 完成から数か月でシカゴ美術館が3,000ドルで購入し、今なお同館の所蔵品となっている。この作品は、ホッパーの作品の中で最も有名なものと評されており、アメリカ美術において最も認知されている絵画の一つ。
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【アンドリュー・ワイエス(1917-2009)】
アンドリュー・ワイエスは第一次大戦下1917年、ペンシルベニア州チャズフォードに生まれた。父親のニューウェル・コンヴァース・ワイエスは人気の挿絵画家で、地域の名士。ワイエス家の裕福で文化的な環境に育った。ワイエスは5人兄姉の末っ子で、長女・ヘンリエット、次女・キャロラインは画家、三女アンは作曲家。芸術一家だった。アンドリュー・ワイエスの息子も画家。裕福な極めて恵まれた環境を生きる芸術家一族である。
鉛筆素描、水彩画、ドライブラッシュ、テンペラ画、4つの技法を用いた。*P208
【ベッツィ・ジェイムズとの出会い、クリスティーナ・オルソンとの出会い】
1939年、出会ったばかりのベッツィ・ジェイムズに連れて行かれオルソン・ハウスで、クリスティーナ・オルソンに会った。ベッツィは、富裕階級で恵まれて育ったアンドリュー・ワイエスが、貧しく障害を持つクリスティーナにどのように反応するか試した。【魂が試される時】ワイエスは、クリスティーナと弟アルヴァロと良い関係を築き、30年間、オルソン家を描き続けた。30「オルソンの家」1939*
23歳の頃に父の反対を押し切って結婚した妻のベッツィは、生涯の大きな支えとなった。1945年、父親ニューウェル・コンヴァース・ワイエス(N.C.ワイエス)は、アンドリュー・ワイエスが28歳の頃に踏切事故で急逝。父の死はワイエスの生涯に影を残した。
《クリスティーナの世界》(1948)、12月NY近代美術館が購入。《海からの風》(1947)、
1951年、33歳、自身も肺の病気で片肺の半分を切除する大手術を受け、臨死体験をする。「生と死」に敏感になったと言われている。
【1943年NYニューヨーク近代美術館「アメリカンズ、1943:リアリストとマジック・リアリスト展、にアンドリュー・ワイエスは選ばれる】アルフレッド・H・バー・ジュニアは、マジック・リアリズムを「写実技法によって、夢幻的、幻想的な視覚世界を表現する」と定義する。*カタログ1ワイエスという画家。
1963年、JF・ケネディ大統領より「メダル・オブ・フリーダム大統領自由勲章」授与が決定。
子供時代から近くにリトル・アフリカと呼ばれたコミュニティがあり、深い親交があった。存命中には「親友たち」と題してアフリカ系アメリカ人を描いた絵を集めた展覧会も開催した。
ワイエス自身の家系もスイス系やイギリス系、生家の隣人で絵のモデルになったカール・カーナーはドイツからの入植者。
代表作《クリスティーナの世界》(1948)に描かれたクリスティーナ・オルソンの父は、スウェーデンからの船員、オルソン・ハウスの娘と結婚、家を引き継いだ。移民国アメリカ、多様なルーツの人と交流した。
【アンドリュー・ワイエスのリアリズムとは何か】
アンドリュー・ワイエスの写実主義を円山応挙の写実主義と比較すると、まったく描いている世界が違う。【円山応挙1733~1796】の世界は、風景、水、動物、人間を描く、代表作は、「孔雀図」国宝「雪松図」「松に孔雀図」「美人画」「山水画」「水墨画」「竹林七賢図屛風」「聖賢図」「仔犬図」。円山応挙は、自然の本質を描く。
アンドリュー・ワイエスの写実主義は、自分の出会った風景、人々、一言でいうと「私小説」絵画である。アンドリュー・ワイエス《クリスマスの朝》 1944年は、友人の死を描いている、死を主題とするシュールレアリスムに通じる世界である。傑作である。《クリスティーナの世界》1948年は、クリスティーナが丘を這ってオルソン・ハウスに上っていく姿、貧しく障害を負って次第に体が不自由になっていくクリスティーナ。妻となるベッツィの友人である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
アンドリュー・ワイエス《クリスマスの朝》 1944年 テンペラ、パネル、マイロン・ケニン・コレクション、ミネアポリス
《自画像》 1945年 テンペラ、パネル 63.5×76.2cm ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン、ニューヨーク National Academy of Design, New York, USA/Bridgeman Images. コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
スケッチブックを脇に抱え、怒ったような表情を浮かべる自画像です。ワイエスは自らの心に響く何かを求めて日々自宅の近隣を散策しながらスケッチを重ねた。高名な挿絵画家である偉大な父が、踏切事故により突然この世を去ってしまった時期に描かれた。
《クリスティーナ・オルソン》 1947年 テンペラ、バネル 83.8×63.5cm マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
200点以上のワイエス作品でモデルを務めたクリスティーナ・オルソンを描いた作品。病気により足が不自由であった彼女は自由に歩き回ることが出来なかった。彼女は、陽の光あふれる外と暗い室内のちょうど境に腰を下ろし、内と外をつなぐ役目を与えられている。風になびく彼女の髪は、室内の静的な暗さと対照的に、明るく生命感のある外の空気の動きも表現しているようである。
《屋根窓Dormer Window》1947、丸沼芸術の森
《海からの風》(1947)丸沼芸術の森
《オルソン家の終焉》 1969年 テンペラ、パネル 46.5×49.5cm クリーブランド美術館
The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
1967年から68年にかけての冬、オルソン姉弟が相次いで亡くなる。姉弟が亡くなって最初の夏、ワイエスはオルソン姉弟の家(オルソンハウス)を訪れて本作を描いた。複雑な海岸線が特徴的なメイン州。その入江の一つに今でもオルソンハウスはひっそりと建っている。
《オルソン家の終焉》1969年、水彩、丸沼芸術の森
《花びら》 1991年 水彩、紙 75.5×56cm ボストン美術館 Museum of Fine Arts, Boston, Bequest of Sandra Sheppard Rodgers コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
《薄氷》1969年 テンペラ、パネル 110.2×121.9cm 株式会社三井住友銀行 コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
クリスティーナ・オルソンの亡くなった次の冬に描かれた作品で、氷の下に枯れ葉が沈んでいます。氷の下は死の世界を表すかのようですが、ワイエスはその枯れ葉が自身の重ねた経験や出会った人々であり、死そのものではないと語っています。
《灯台》 1983年 テンペラ、パネル 84.5×57.8cm ユニマットグループ コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art/ARS, New York/JASPAR, Tokyo
《粉挽き場》 1962年 テンペラ、パネル 77.5×130.8cm フィラデルフィア美術館 Philadelphia Museum of Art: Gift of the Honorable Walter H. Annenberg and Leonore Annenberg and the Annenberg Foundation, 2007-13-3 コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
描かれているのは独立戦争時代からの歴史ある粉挽き場と職人の家。この建物は後にワイエスが入手して増改築を行い、夫妻の新居とした。建物の間の二羽の鳩は、ここが夫婦二人の世界となることを暗示している。
アンドリュー・ワイエス《鷹の木》1973年ドライブラッシュ、成田ゴルフ俱楽部
《灯台》 1983年 テンペラ、パネル 84.5×57.8cm ユニマットグループ コピーライト2026 Wyeth Foundation for American Art/ARS, New York/JASPAR, Tokyo
灯台の内部を描いた作品、開かれたドアの手前に犬が座り、ドアの奥には階段が見える。
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参考文献
「アンドリュー・ワイエス展」・・・ベッツィとの出会い、クリスティーナとの出会い、海からの風、オルソン・ハウス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-26552f.html
生誕120 周年サルバドール・ダリ―天才の秘密―・・・魔術的写実主義、ヴィーナスの夢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-0c6967.html
「ルイーズ・ブルジョワ展:、地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」・・・毒親との戦い、悪魔祓い
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2024/10/post-90e3d1.html
ピカソとその時代・・・藝術の探検家、7人の恋人、7つの時代
https://bit.ly/3D8mYir
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-00e373.html
キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ・・・美の根拠はどこにある
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-8e9885.html
円山応挙 革新者から巨匠へ、・・・雪の中の老松と若松、瀧を昇る鯉、牡丹と孔雀、竹林の抵抗派竹林七賢
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/10/post-13cd31.html
「アンドリュー・ワイエス展」図録、東京新聞、2026
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東京都美術館
20世紀アメリカ具象絵画を代表する画家アンドリュー・ワイエス(1917-2009)。第二次世界大戦後に脚光を浴びたアメリカ抽象表現主義、ネオ・ダダ、ポップアートといった動向から距離を置き、ひたすら自分の身近な人々と風景を描き続けました。その作品は眼前にある情景の単なる再現描写にとどまるものではなく、作家自身の精神世界が反映されたものとなっています。彼の作品には、窓やドアなど、ある種の境界を示すモティーフが数多く描かれます。境界は、西洋絵画史のなかで古くから取り上げられてきたテーマですが、ワイエスにとってはより私的な世界との繋がり、あるいは境目として機能しています。本展は、その境界の表現に着目して、ワイエスが描いた世界を見ていこうとするものです。
1. ワイエスの没後、日本初となる待望の回顧展
1974年に東京と京都で33万人を集めた日本で最初の個展以来、1995年、そして2008~9年にもワイエスの展覧会が開催され、日本でのワイエス人気は不動のものになりました。本展はワイエス没後はじめてとなる、国内待望の展覧会となります。
2. テーマは「境界」。アンドリュー・ワイエスの精神世界へ
ワイエスの作品には窓や扉など、「境界」を示すモティーフがたびたび表れます。それらはワイエスにとって生と死、画家自身の精神世界と外の世界をつなぐものだったと考えられます。本展では「境界」に着目し、彼の作品を見つめ直します。
3. 日本初公開となる作品多数
ホイットニー美術館(ニューヨーク)の《冬の野》(1942年)、フィラデルフィア美術館の《冷却小屋》(1953年)、フィルブルック美術館の《乗船の一行》(1984年)をはじめ、10点以上が日本初公開。あらためてワイエスの魅力にふれる機会となるでしょう。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2026_wyeth.html
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アンドリュー・ワイエス プロフィール
1917年7月12日、アンドリュー・ワイエスは、高名な挿絵画家だったニューウェル・コンヴァース・ワイエス(N.C.ワイエス)の5番目の子としてペンシルヴェニア州チャッズ・フォードの自宅で生まれました。幼い時から父の手ほどきを受けて画家の道へ進み、1937年の個展では全作品が完売するなど、若くして頭角を現します。同時代の前衛的な芸術からは距離を置き、生涯にわたり故郷のペンシルヴェニア州と夏を過ごしたメイン州を拠点に身近な世界を精緻に描き続けました。
ワイエスの作品には、アメリカ合衆国の土地やそこに刻まれた歴史、反映されそこに生きる人々の姿が描き出されており、アメリカ国内で高く評価されました。2007年にはブッシュ大統領から芸術勲章を授与されています。日本での人気も高く、1974年の初の回顧展以降、度々展覧会が開催されてきました。2009年1月16日に老衰のため亡くなりますが、アメリカの国民的な画家として今なお高い人気を誇っています。
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「アンドリュー・ワイエス展」東京都美術館4月28日(火)~7月5日(日)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2026_wyeth.html

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