伊勢の名刹 専修寺 -寺宝からみる公家文化、学習院ミュージアム・・・阿弥陀如来立像、慶俊作
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第436回
皿井舞先生のギャラリートークを聴きました。専修寺の悉皆調査、研究、展示の模様。闇の中から14歳で留学した近衛篤麿の弟、堯猷上人の面影が蘇る。 阿弥陀如来立像(御対面所本尊) 慶俊 木造 金泥塗り・切金 玉眼嵌入 鎌倉時代・延応2年(1240)専修寺蔵、運慶の弟子の作である。
近衛篤麿の弟:常磐井鶴松(堯猷上人)、近衛忠房の三男として生まれた。14歳でドイツ留学。
小学校を終えた後、1885年ドイツに留学した。シュトラスブルク大学でマックス・ミュラー博士に17年間師事、哲学、梵文学を専攻、イギリスなど、欧州各国を歴巡。帰国後京都帝大文学部教授となり、梵語を教えた。
将軍、家茂の婚礼の夫婦鳳凰は、『鳳凰石竹図』林良筆、明時代、16世紀を思い出す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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霞会館記念学習院ミュージアム(東京都豊島区目白1-5-1)にて、特別企画「伊勢の名刹 専修寺 -寺宝からみる公家文化」展を2026年5月22日(金)より6月13日(土)まで開催いたします。専修寺(せんじゅじ)は三重県津市に所在する真宗高田派の本山です。本展では、学習院大学文学部哲学科(美術史学専攻)が実施中の調査によって見出された新発見の美術工芸品などを通じて、門跡寺院が育んできた豊かな文化の一端をご紹介します。
学習院大学文学部哲学科(美術史学専攻)では、令和5年(2023)よりこれまで5回にわたり美術工芸品の悉皆調査を行ってまいりました。本展では、さまざまな文化が交わる結節点としての門跡寺院の姿を示す、選りすぐりの作品をご紹介いたします。
専修寺(せんじゅじ)
日本寺院で5番目の規模
三重県津市一身田町にある真宗高田派の本山・専修寺は、「高田本山」の名で親しまれる伊勢の名刹です。 親鸞聖人の教えを受け継ぐ全国約600カ寺の中心寺院で、伊勢国内の拠点として創建され、関東の本寺焼失後に本山として定着しました。
約三万坪の史跡指定の境内には、国宝の如来堂・御影堂をはじめ多くの文化財が立ち並び、伽藍と門前町が一体となった宗教都市的景観を今に伝えています。
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参考文献
伊勢の名刹 専修寺 -寺宝からみる公家文化、学習院ミュージアム・・・阿弥陀如来立像、慶俊作
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相国寺展、金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史・・・伊藤若冲「旭日鳳凰図」、円山応挙『牡丹孔雀図』
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展示作品の一部
阿弥陀如来立像(御対面所本尊) 慶俊 木造 金泥塗り・切金 玉眼嵌入 鎌倉時代・延応2年(1240)専修寺蔵
桐鳳凰蒔絵書棚、木胎 漆塗・蒔絵 江戸時代後期・1850年代
将軍、家茂の婚姻を祝う調度、近衛家から専修寺に伝わる。鳳凰の夫婦が天板に造形されている。
透彫双耳三足香炉 薩摩焼 陶胎 明治時代~大正時代・19~20世紀 昭憲皇太后御遺品
専修寺蔵
常磐井鶴松(堯猷上人)像 中丸精十郎、カンヴァス 油彩 明治19年(1886)
常磐井 堯猷(ときわい ぎょうゆう、明治5年3月15日(1872年4月22日)[1] - 昭和26年(1951年)1月27日)は、明治から昭和期にかけての僧侶、梵語学者、真宗高田派管長。
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常磐井 堯猷(ときわい ぎょうゆう、近衛 篤麿 (このえ あつまろ)の弟 経歴
近衛忠房の三男として生まれた。小学校を終えた後、1885年ドイツに留学した。シュトラスブルク大学でマックス・ミュラー博士に17年間師事、哲学、梵文学を専攻、イギリスなど、欧州各国を歴巡。帰国後京都帝大文学部教授となり、梵語を教えた。1913年(大正2年)、養父堯煕(叔父でもある)の後を受け真宗高田派管長となり、6年後、男爵を襲爵した。また、帝国東洋学会の創設者でもあり、生涯梵文学研究を続け「梵語辞典」(全11巻を刊行した。
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近衛 篤麿(このえ あつまろ、旧字体: 近󠄁衞 篤麿󠄁、文久3年6月26日(1863年8月10日) - 明治37年(1904年)1月2日[1])は、明治時代の日本の政治家。五摂家筆頭・近衛家第29代当主。位階・勲等・爵位は従一位勲二等公爵。第3代貴族院議長、第7代学習院院長、帝国教育会初代会長などを歴任した。号は霞山。
経歴
生い立ち
文久3年(1863年)6月26日、左大臣・近衛忠房の長男として京都に生まれた。母は島津斉彬養女(島津久長の娘)光子とされているが、島津家の資料では「光蘭夫人(光子)篤麿養母」と記載されている[2]。明治6年(1873年)父が家督を継いだ[3]翌月に35歳で病没したため、祖父近衛忠煕の養子となり家督を相続した(文献によっては忠煕九男と記載)。
明治12年(1879年)に大学予備門に入学したが、病を得て退学を余儀なくされ、京都へ戻った[4]。以後、和漢に加え英語を独学。明治17年(1884年)、華族令制定に伴い公爵に叙せられる。翌明治18年(1885年)に伊藤博文の勧めでドイツ・オーストリアの両国に留学し、ボン大学及びライプツィヒ大学に学んだ[5]。
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細川護熙は、近衛篤麿の曽孫
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伊勢の名刹 専修寺 -寺宝からみる公家文化、学習院ミュージアム、2026年5月22日(金)~2026年6月13日(土)
霞会館記念学習院ミュージアム(東京都豊島区目白1-5-1)
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