没後50年 髙島野十郎 展・・・写実絵画と仏教思想
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第441回
東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業して才能を嘱望されながら、なぜ洋画家になる道を選んだのか。なぜ誰も師に就かず、孤独の道を選んだのか。実主義絵画と、仏教思想はどう関わるのか。友人たちに贈った蠟燭の絵はいのちの焔か。
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高島弥十郎の生涯と藝術
髙島野十郎(1890-1975)は、福岡県久留米市出身の洋画家。写実と仏教思想を探求した画家。1904-9年「蓮華」を描く。
福岡県御井郡合川村(現・久留米市)の裕福な酒造家であった髙嶋家の五男に生まれる。本名は彌壽(やじゅ)。福岡県立中学明善校(現・明善高等学校)に学んだ頃から絵に目覚め、長兄の宇朗(詩人)の友人青木繁を知る。
旧制第八高等学校(名古屋大学)を経て1912年東京帝国大学農学部水産学科に入学。1916年、東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業しながらも恩師の銀時計を辞退、画家の道を選び、独学で絵を学んだ野十郎は、特定の美術団体に属さず、流行や時代に迎合することなく、自らの理想と信念にひたすら忠実であろうとした。
1930~33 1930年欧州に向け旅立つ。2月アメリカ滞在。4月スコットランド、グラスゴー滞在。ベルギー、オランダ経由でパリに入る。イタリア、ヴェネツィア近郊キオッジア滞在。パリに戻る。留学や帰郷を挟みながら絵画を探求。1936実家と断絶。1936年赤坂区青山北町4丁目43に住む。東京の渋谷や青山にアトリエを構えていた、渋谷区にゆかりの深い人物でもあり。
1945年空襲で被災、姉スエノの嫁ぎ先中島家に疎開。1948年、港区赤坂青山南町3丁目21に住む。1960年70歳、晩年に千葉県柏市増尾へ移る前の約50年、1975年85歳で死去。没後50年を機に開催する本展は、初公開作品や青木繁、坂本繁二郎、岸田劉生など関連する作家の作品、関係資料を含めた約170点を展覧する、髙島野十郎展としては最大規模の回顧展となります。「蝋燭」や「月」を主題とした代表作を含む、彼の芸術が形成されたルーツを遡り、自身のよりどころとしてきた仏教的思想を読み解きつつ、青年期や滞欧期の作品など、
これまで大きく取り上げられなかった部分にも焦点を当てます。また、野十郎関係者による書簡やメモ等の資料から、彼がひとりの人間としてどのように生き、周囲とどのような関係を築いたのか、彼の人間像にも改めて迫ります。「孤高の画家」と称されてきた髙島野十郎の新たな全貌をお楽しみください。
昭和50(1975)年に85歳で亡くなり、没後5年、昭和55(1980)年に福岡県文化会館(現・福岡県立美術館)で開催された展覧会「近代洋画と福岡県」に《すいれんの池》が出品されたことで無名の画家であった野十郎に光が当てられ、
没後11年、1986(昭和61)年に初の回顧展「写実にかけた孤独の画境 髙島野十郎展」が福岡県立美術館で開催されて以降、連続的に展覧会が開催され、その作品や画業の全体像が明らかになってきた。代表作「蝋燭」や「月」をはじめとする作品は、卓越した技量と、緊張感さえもみなぎる独特の写実的筆致を魅力とする。
【1】《満月》昭和38(1963)年頃 油彩・画布 東京大学医科学研究所蔵
【2】《絡子をかけたる自画像》大正9(1920)年 油彩・画布、福岡県立美術館蔵
プロローグ 野十郎とはだれか
野十郎の回顧展が初めて開催されたのは昭和61(1986)年でした。それ以来、いくつかの展覧会や書籍で紹介されてきましたが、多くの人の目に触れてきたわけではありません。そこで本章では、まず野十郎の全体像を概観します。
【3】《からすうり》昭和10(1935)年 油彩・画布福岡県立美術館蔵 からすうりは、月や蝋燭に並ぶ野十郎作品を象徴するモチーフ。
【4】《ノートルダムとモンターニュ通Ⅱ》昭和7(1932)年頃 油彩・画布 福岡県立美術館蔵留学時代、ノートルダム寺院を望むアパルトマンの窓からの風景を描いた作品。パリでの拠点であったのだろう。
【5】《すいれんの池》昭和24(1949)年 油彩・画布 福岡県立美術館蔵 昭和55(1980)年、福岡県文化会館(現・福岡県立美術館)での展覧会「近代洋画と福岡県」に出品され、野十郎が“発見”されるきっかけとなった作品。
【10】《岸上鎌吉先生像》大正10年代(1921-26)頃 油彩・画布 東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻蔵 野十郎の東京帝大在学時の恩師を描いた作品。柔和な表情や丁寧に描かれた研究室の細部からは、師への敬愛と感謝の気持ちを読み取ることができる。
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2、写実主義と仏教思想
東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業して才能を嘱望されながら、なぜ洋画家になる道を選んだのか。なぜ誰も師に就かず、学校に学ばず、孤独の道を選んだのか。なぜ写実主義絵画を志し、仏教思想はどう関わるのか。高島野十郎の写実主義の核心は何か、仏教思想の核心は何か。なぜ孤高の道を選んだのか。
高島野十郎の「遺稿」の言葉は、即身成仏義を思い出す。
【空海『即身成仏義』】六大無碍にして常に瑜伽なり(体)四種曼荼各離れず(相)三密加持すれば速疾に顕はる(用)重重帝網なるを即身と名づく(瑜伽)法然に薩般若を具足して、心数・心王、刹塵に過ぎたり、各五智・無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり(成仏)。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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写実と慈悲 髙島野十郎「遺稿ノート」より
「寫実(しゃじつの)極致 それを慈悲といふ」髙島野十郎
『世の画壇と全く無縁になることが、私を本当に自由にし私の願う勉強を完全にさせてくれた』
全宇宙を一握する、是れ写実、全宇宙を一口に飲む、是写実
「四曼を一にしてあらはす、それを写実といふ」
髙島野十郎「遺稿ノート」
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参考文献
没後50年 髙島野十郎 展・・・写実絵画と仏教思想
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「没後50年 髙島野十郎展」・・・空海の密教思想への傾倒
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千葉県立美術館、没後50年 髙島野十郎展 プレスリリースより
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参考文献2
空海『秘密曼荼羅十住心論』・・・大日如来は、法界体性智、自性清浄心(阿摩羅識)をもつ
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空海『即身成仏義』、大日如来の知恵 五智如来の知恵
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学問僧、空海・・・空海の生涯と思想
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「没後50年 髙島野十郎 展」図録2025 2026
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3、展示構成
展示作品の一部
プロローグ 野十郎とは誰か
髙島野十郎の画業が世に初めて知られたのは、彼の死後約10年を経た昭和61(1986)年でした。以来、いくつかの展覧会や書籍で紹介されたとはいえ、多くの人の目に触れてきたわけではありません。そこでこの章では、髙島野十郎の人と作品についての全体像を概観します。
《すいれんの池》昭和24(1949)年 油彩・画布 福岡県立美術館蔵
第1章 時代とともに
青木繁や坂本繁二郎、古賀春江など、交流のあった作家や同時代の画風を共有した作家の作品も紹介しながら、野十郎が写実の画風を確立させていく道程を同時代の美術の中で捉え、従来の「孤高の画家」像を解体します。
《田園太陽》昭和31(1956)年 油彩・画布 個人蔵
第2章 人とともに
野十郎と、東京帝国大学からの友人や画家仲間、文化人、著名人との関係やエピソードを作品や資料で紹介し、彼の人間関係や人となり、人生観に迫ります。
《蝋燭》大正時代(1912-26) 油彩・板 福岡県立美術館蔵
《秋の花々》昭和28(1953)年 油彩・画布 個人蔵
《岸上鎌吉先生像》大正10年代(1921-26)頃 油彩・画布 東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻蔵 野十郎の東京帝大在学時の恩師を描いた作品。
第3章 風とともに
ヨーロッパ留学中の風景画や日本全国を旅して描いた四季の風景画を展示し、制作や構図の一貫性を提示するとともに、最新の調査結果を紹介します。
《ノートルダムとモンターニュ通Ⅱ》昭和7(1932)年頃 油彩・画布 福岡県立美術館蔵
《小さき停車場》昭和5(1930)年 油彩・画布(厚紙貼) 個人蔵
《夏雲》昭和23-34(1948-59)年 油彩・画布 個人蔵
《からすうり》昭和10(1935)年 油彩・画布 福岡県立美術館蔵
第4章 仏の心とともに
野十郎が生涯よりどころとしていた仏教に注目し、寺社仏閣をダイレクトに描いたもののほか、霊場巡りへの関心のなかで訪れた場所を描いた風景画、さらには一見すると普通の静物画や風景画に込められた仏教的な考え方を紹介します。
《空》 昭和23(1948)年以降、個人蔵
《雨 法隆寺塔》昭和40(1965)年 油彩・画布 個人蔵
エピローグ 野十郎とともに
本展全体を振り返りながら、もう一度野十郎の作品と世界観に浸っていただく章とします。展覧会を通して揺らぎ、あるいは膨らんだ野十郎像を、ふたたび見つめなおし、身近に野十郎を感じていただけましたら幸いです。
《秋陽》昭和42(1967)年、福岡県立美術館蔵
《桃とすもも》昭和36(1961)年 油彩・画布 個人蔵
《睡蓮》昭和50(1975)年 油彩・画布 福岡県立美術館蔵
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没後50年 髙島野十郎 展 渋谷区立松濤美術館
50 Years after His PassingTakashima Yajuro
2026年7月4日(土)~ 9月6日(日)
前期:7月4日(土)~8月2日(日)/後期:8月4日(火)~9月6日(日)
※会期中、一部展示替えあり
展覧会概要
没後50年 髙島野十郎 展 渋谷区立松濤美術館
展覧会公式HP: https:/
会場 渋谷区立松濤美術館
〒150-0046 東京都渋谷区松濤2-14-14
電話:03-3465-9421 HP: https:/
プレスリリース https:/















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