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2026年7月28日 (火)

「長谷川潔展―パリに生きた銅版画家の軌跡」・・・幻想、神秘、静謐な世界

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第442回
長谷川潔の銅版画の世界には不思議な魅力がある。幻想、神秘、静謐な世界はどのようにして生まれたのか。孤高な版画家、長谷川潔は、不滅な世界を築いた。
長谷川潔(1891-1980) は、1919年4月、長い航海を終えて、パリに到着するが、医師の勧めで、南仏、カンヌ。ル・カーネで、転地療養を勧められた。南仏の地で、版画制作の研究を始める。「直刻法」の技法で、アンドレア・マンテーニャ、アルブレヒト・デューラーら、ルネサンスの巨匠の線刻表現に範を求め、ビュランで線を刻む、エングレーヴィング、ニードルで刻むドライポイントの技法を探求する。
東野圭吾の人生と比べると、孤高な世界だ。金儲けにならないが、価値はある。
東野 圭吾(1958年〈昭和33年〉2月4日 - 2026年〈令和8年〉7月23日)、小説家。大阪府大阪市生野区生まれ。1985年『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受賞、小説家デビュー。1999年『秘密』で日本推理作家協会賞を受賞、2006年に『容疑者Xの献身』で直木賞、本格ミステリ大賞を受賞。106作品を残し、63歳で死す。

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長谷川潔《思想の生れる時》 1925年、ドライポイント、手彩色(雁皮紙刷り)、町田市立国際版画美術館藏
《思想の生れる時》1925年には、象徴派のルドンの影響がある。
《アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船》1930年、《丘の上の村 サン・メーム》1930年には、静謐な世界がある
万物は本質的に同じ
2041年、一本の樹木が「ボン・ジュール」語りかけ挨拶をしてきた。啓示的体験をした。「草木にも人間の目鼻立ちと同じように意味があり、万物は本質的に同じなのだ」「白昼に神を視る」長谷川潔。《一樹(ニレの木)》1941年
《一樹(ニレの木)》1941年、ドライポイント、町田市立国際版画美術館蔵。荒廃した世界の中で、1本の木が人間の顔のような姿。第5章 静物画 ―マニエール・ノワールの宇宙
1950年代後半、長谷川は伝統的なマニエール・ノワール(メゾチント)の制作に立ち返り、深遠な黒を背景とする象徴性を帯びた静物画を制作する。
長谷川潔《アカリョムの前の草花(草花とアカリョム)》 1969年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵
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長谷川潔の世界には、老子の万物斉同、華厳経の事事無碍法界、空海の即身融一の思想があると思う。
「アクアリウムの前の草花は水を、水は魚を、魚は虫を、虫は草花を、と次々と連想を進めると大自然のあらゆる存在物は一大円形を形成する」長谷川潔 1969 図録p124
アクアリウムの前の草花は、魚と渾然一体、事事無碍法界、理事無碍法界、事物が理によって、渾然一体となる世界観を表現している。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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参考文献
「長谷川潔展―パリに生きた銅版画家の軌跡」・・・幻想、神秘、静謐な世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/07/post-f462e3.html
オディロン・ルドン 夢の起源・・・「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-7414.html
「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と象徴派、ロマン主義の苦悶
https://bit.ly/3pw5x2g
「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」・・・集団肖像画の巨匠の生涯と没落
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2026/07/post-40e824.html
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「長谷川潔展―パリに生きた銅版画家の軌跡」
https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/26/260711/
日本を代表する版画家長谷川潔(1891-1980)は第一次世界大戦後に単身渡仏し、同地で生涯を終えました。失われつつあった銅版画の古典技法マニエール・ノワール(メゾチント)を独自の形で復興させ、版画の歴史に大きな足跡を残し、またエングレーヴィング、アクアチントなど様々な技法を探求しました。モノクロームで表現された深遠な精神世界は、今なお多くの人を惹きつけています。
長谷川の作品は日本の版画界に大きな影響を与えましたが、彼の活躍の舞台はやはりパリでした。1920年代から版画家としての才能を発揮した長谷川は、まもなくフォーヴの画家・版画家デュフィに見いだされ、マティス、ピカソ、シャガールら名だたる画家が名を連ねる「独立画家=版画家協会」に加わりました。またフランスの人々に日本の版画を紹介することにも尽力した長谷川は、日本の古典文学にエングレーヴィングのイラストレーションを添えた挿絵本『竹取物語』を手がけています。本展では、長谷川に影響を与えた十九世紀以前の版画や、パリで交流した同時代画家の作品とともに、町田市立国際版画美術館が所蔵する日本有数の長谷川潔作品コレクションを中心に初期から晩年に至る名品を展覧します。
展示室では、身近な物を描きながら、無限の奥行きを感じさせる作品に出会えるでしょう。そこには、深く沈む黒とやわらかに澄んだ白とが静かにひびき合っています。その前に立つとき、見えるものは一つではないのかもしれません。見つめるまなざしにだけ、ひらかれるものがあります。ぜひ会場で作品と向き合ってください。「町田市立国際版画美術
第1章 銅版画の研鑽 ―古典技法の発見と刷新
1919年、銅版画を学ぶためにフランスに渡った長谷川は、銅版をビュランで刻むエングレーヴィングなどの高度な技法を会得し、失われつつあった古典技法マニエール・ノワール(メゾチント)を独自の手法で復興させました。本章では長谷川の作品を技法別に紹介します。
長谷川潔 《思想の生れる時》 1925年、ドライポイント、手彩色(雁皮紙刷り)、 町田市立国際版画美術館蔵
長谷川潔 《アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船》1930年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵
第2章 パリの版画界 ―画家たちとの交友
1920年代初頭、フォーヴの画家ラウル・デュフィと知り合った長谷川は、彼が創設に関わった「独立画家=版画家協会」に勧誘されるなど活動の幅を広げ、次第にパリの版画界で注目されるようになりました。本章では、1920-30年代の長谷川の作品を、アンリ・マティス、パブロ・ピカソ、ジャン=エミール・ラブルールら同協会の画家たちの作品と並べて展示します。
長谷川潔 《オランジュと葡萄》1932年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵
長谷川潔 《二つのアネモネ》 1934年、アクアチント、町田市立国際版画美術館蔵
第3章 『竹取物語』 ―フランスで刻まれた日本の美
渡仏後に「日本の尊厳」を知ったという長谷川は、1920年代後半から竹取物語を題材とする銅版画の制作に取り組み、1933年に挿絵本を完成させました。本章では、口絵から文字の図案、紙の種類にまでこだわった長谷川の珠玉の挿絵本をご紹介します。
長谷川潔『竹取物語』《「貴公子たちの求婚」の章 挿絵》1927-34年(1934年刊)、エングレーヴィング、ドライポイント、町田市立国際版画美術館蔵
第4章 自然 ―白昼に神を視る
第二次世界大戦中もフランスに留まった長谷川は、物心両面の苦労を重ねる日々のなかで創作活動を続け、ありふれた樹木や草木にも神秘が宿ることに気づいたといいます。本章では、戦中・戦後の長谷川が自然のかたちを克明に描き出した版画をご紹介します。
長谷川潔 《一樹(ニレの木)》1941年、ドライポイント、町田市立国際版画美術館蔵
第5章 静物画 ―マニエール・ノワールの宇宙
1950年代後半、長谷川は伝統的なマニエール・ノワール(メゾチント)の制作に立ち返り、深遠な黒を背景とする象徴性を帯びた静物画を制作するようになりました。本章では、激動の時代を生きた長谷川の集大成とも言える晩年の代表作が一堂に会します。
長谷川潔 《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)》1963年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵
「長谷川潔展―パリに生きた銅版画家の軌跡」
https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/26/260711/
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館所蔵 長谷川潔展―パリに生きた銅版画家の軌跡」
2026年7月11日(土)~ 9月23日(水・祝)

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