ルネサンス

2017年6月30日 (金)

「レオナルド×ミケランジェロ展」・・・レオナルド「レダと白鳥」

Leda_melzi_uffiziFrancesco_melzi_st_anne_with_the_vi大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第118回  緑深い午後、三菱一号館美術館に行く。緑陰の木洩れ日の中庭で、友人と会話すると美しい日々を思い出す。美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンの宴。悲劇詩人の祝宴の美しい精神の自由な饗宴。失われたレオナルド「レダと白鳥」の面影。
よい画家には、描くものが二つある。人間とその魂である。人間を描くことはたやすいが、魂を描くのは難しい。レオナルド・ダ・ヴィンチ
よい絵画は、知だけが感じ取ることができる音楽や旋律だ。だがそれは困難だ。こうした絵画は滅多にない。それを手に入れられる人はほとんどいない。
ミケランジェロ
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
―――
レオナルドとミケランジェロ
ひとは運命と対峙することがある。だが、知性によって、運命を克服することができる。「運命はわたしたちがつくるものである。いまからでも遅くない。いまをどう生きるかで、未来が決まる」『ガンディー 魂の言葉』。レオナルドとミケランジェロは、困難な環境にあって、運命と対峙し、超克した。不屈の魂である。
レオナルドとミケランジェロの対決
レオナルドとミケランジェロは「宿命の敵」と呼ばれる。レオナルドとミケランジェロは、25歳の年の差がある。レオナルドとミケランジェロは、ルネサンスの類いなき巨匠であるが、対立し、対峙した。比較芸術論争(paragone)で、絵画が優越するとするレオナルドと彫刻が優越するとするミケランジェロは対立した。
五百人広間の壁画
1503年、五百人広間の壁画制作を競作。レオナルドは「アンギアリの戦い」、ミケランジェロは「カッシーナの戦い」を制作した。フィレンツェ共和国のピエロ・ソデリーニがミケランジェロに発注したヴェッキオ宮殿の壁画「カッシーナの戦い」ミケランジェロは下描きが終わった段階で、ユリウス2世によりローマへ呼び戻され、「カッシーナの戦い」は未完に終わった。レオナルド「アンギアリの戦い」は素描から彩色の段階で中断する。
論争
1504年ミケランジェロは「ダヴィデ像」を制作した。「ダヴィデ像」の置き場をめぐって、フィレンツェ市庁舎前の広場に置くか、屋内に置くか論争になった。ミケランジェロは広場に置くことを主張した。
卓越した素描(disegno)
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/岩窟の聖母の天使のための習作」(1483-85年)は、バーナード・ベレンソンに「最も美しい素描」と呼ばれた。1505年、レオナルドは「レダ」を描き、工房を訪れたラファエッロに見せた。ラファエッロは、「モナリザ」と「レダ」の素描を描いた。
ミケランジェロは後年、レダの主題に取り組む。ミケランジェロ「レダと白鳥の頭部のための習作」)1530年)がある。
運命との戦い 失われた母の面影
レオナルドとミケランジェロは、悲傷の少年時代を生きた。レオナルドは、母カテリーナと別れて生きた。父セル・ピエロに捨てられ、祖父叔父に育てられる。祖父叔父は一生、無職のまま生きた。ミケランジェロは、6歳で母が死ぬ。ブオナローティ家は、銀行業を営んでいたが失敗し破綻した。ミケランジェロは、17歳の時から、ロレンツォ・デ・メディチに養育される。しかし、3年後、ロレンツォは死去する。
レオナルドは「レダ」「聖アンナと聖母子」の母、「岩窟の聖母」の天使、他、美しい女性像を探求しつづけた。ミケランジェロは「ヴァチカンのピエタ」「レダ」において美しい女性像を造形しつづけた。二人が追い求めたのは、失った母の面影である。失われた愛は、永遠に美しい。
*レオナルド「レダ」素描1506ウィンザー城王立図書館
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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失われたレオナルド「レダと白鳥」
レオナルド「レダと白鳥」(1503—1519)を求めてヨーロッパを旅した日々を思い出す。レオナルド派「レダと白鳥」は、ボルゲーゼ、ウフィツィでみた。レオナルド派「レダと白鳥」(1505-10年頃 ウフィツィ美術館)は、フランチェスコ・メルツィの作である。フォンテーヌブロー宮殿所蔵品目録にあったレオナルド「レダと白鳥」は、いま、どこにあるのだろうか。
―――
レダと白鳥
絶世の美女レダは、双子の美女クリュタイムネストラとヘレネを生んだ。
テュンダレオスは、テスティオスの娘レダを娶った。レダが余りにも美しかったため、ゼウスは、白鳥の姿となってレダと交わり、2つの卵から2組の双子が生まれた。カストールとポリュデウケースの兄弟とクリュタイムネストラとヘレネの姉妹である。カストールは戰爭の術に通暁し、ポリュデウケースは拳闘の技に熟達、ディオスクーロイ(ゼウスの子)と呼ばれた。姉妹は、スパルタの兄弟と結婚した。ヘレネは、スパルタ王メネラオスと結婚し、クリュタイムネストラは、メネラオスの兄ミュケナイ王アガメムノンと結婚した。(cf.アポロドーロス『ビブリオテーケー』)アガメムノンとメネラオスは、ともにアトレウスの子である。アガメムノンとクリュタイムネストラの間に生まれた子が、エレクトラ、オレステス、イピゲネイアである。2人の美女は運命の子である。クリュタイムネストラは夫である王アガメムノンを殺害し、ヘレネはトロイ戰爭の原因となった。絶世の美女は不幸の原因であった。クリュタイムネストラとヘレネは、美貌ゆえに、人を惑わし破滅させた。美しい容貌の下に、醜い心が隠れている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
https://t.co/httDdX6Bvr
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*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
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展示作品の一部
Francesco Merziレオナルド派「聖アンナと聖母子」1508-20年頃ウフィツィ美術館
Francesco Merziレオナルド派「レダと白鳥」1505-10年頃 ウフィツィ美術館
©Firenze, Gallerie degli Uffizi, Gabinetto fotografico delle Gallerie degli Uffizi
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/<岩窟の聖母>の天使のための習作」1483-85年頃 トリノ王立図書館 ©Torino, Biblioteca Reale
ミケランジェロ・ブオナローティ「<レダと白鳥>の頭部のための習作」1530年頃 カーサ・ブオナローティ©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
レオナルド・ダ・ヴィンチ「大鎌を装備した戦車の二つの案」1485年頃 トリノ王立図書館
フランチェスコ・ブリーナ(帰属) 「レダと白鳥(失われたミケランジェロ作品に基づく)」
1575年頃 油彩/板 500×605 カーサ・ブオナローティ
©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
ミケランジェロ・ブオナローティ「十字架をもつキリスト」1514-1516年、大理石 2500(キリスト像だけで2010)mm、サン・ヴィンチェンツォ修道院聖堂蔵
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★「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、2017年6月17日(土)〜2017年9月24日(日) 東京都千代田区丸の内2-6-2
http://mimt.jp/lemi/
★「レオナルド×ミケランジェロ展」岐阜市歴史博物館、2017年10月5日~11月23日

Leonardo, Leda and swan, Uffizi, 1505-10
Leonardo, St Anna and Madonna with baby, Uffizi, 1508-20

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2017年2月 7日 (火)

メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族

Giuliano_de_medici_michelangeloPalazzo_medici

大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
ルネサンス最高の美貌とされる。ジュリアーノ。
ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、37歳で死す。ジュリアーノ・デ・メディチ、パッツィ家の陰謀事件で、25歳で死ぬ。
コジモとロレンツォ 容貌魁偉だが、優れた人間性に人は感銘を受けた。ロレンツォの知性と教養に、ナポリ王は圧倒された。
ヌムール公ジュリアーノとウルビーノ公ロレンツォ。ロレンツォ・イツ・マニフィコの遺児たち。
カトリーヌ・ド・メディシス、フランス王アンリ3世王妃となる。運命に翻弄されながら、異国で意志を貫く。

アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である*
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する魂の神殿を旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ】
ルネサンス最高の美貌とされる。
Giuliano di Lorenzo de' Medici、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ
37歳で死す。
(1479年3月12日 - 1516年3月17日)
Giuliano di Lorenzo de' Medici, Duca di Nemours (Firenze, 12 marzo 1479 – Firenze, 17 marzo 1516)
ミケランジェロ『メディチ家礼拝堂』1555年、Michelangelo, Cappela di Medici, 1555
ヌムール公、ジュリアーノ・デ・メディチの霊廟には「夜(眠る若い女性)」と「昼(男性)」、ウルビーノ公、ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチには、「夕暮(年老いた男性)」と「曙(眠りから覚める女性の姿)」と名づけられた彫刻が、施されている。

【ウルビーノ公ロレンツォ】
ウルビーノ公ロレンツォ。ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ(Lorenzo di Piero de 'Medici, Duke of Urbino,1492年9月12日 - 1519年5月4日)
イタリアのフィレンツェの僭主(1516年から1519年までその権力をもつ)、ニッコロ・マキャヴェッリの『君主論』はロレンツォに献上された。27歳で死す。

【コジモ・デ・メディチ】
Cosimo de' Medici,1389 – 1 August 1464 Pontormo
コジモはフィレンツェに納められた税金の65%を負担し、死後ローマ皇帝にならい「祖国の父」「pater patriae」の称号を贈られた。1429年に父が亡くなり、メディチ家当主となる。1433年、政変が起こりフィレンツェを追放される。翌年、反対派のアルビッツィ家が失脚・追放され、コジモはフィレンツェ共和国に帰還する。
Cosimo di Giovanni de' Medici (il Vecchio) and, posthumously, Father of the Nation' (pater patriae); 10 April 1389 – 1 August 1464)

【ロレンツォ・デ・メディチ】
(Lorenzo de 'Medici, Il Magnifico)ロレンツォ・イル・マニフィコ1449-1492

【ジュリアーノ・デ・メディチ】
Giuliano de' Medici, 1453-1478 25歳で死ぬ。

【カトリーヌ・ド・メディシス】
Catherine de Médicis, (1519年4月13日 - 1589年1月5日)
出産後に母が亡くなり、間もなく父も亡くして孤児となる。オルシーニ家の養女となる。0歳。
1527年、フィレンツェにおけるメディチ家の政権は打倒され、カトリーヌは人質とされて女子修道院に入れられる。8歳
1529年10月、カール5世の軍隊はフィレンツェを包囲。【フィレンツェ包囲】10歳
1530年8月12日にフィレンツェは陥落、教皇クレメンス7世はカトリーヌをローマへ呼び寄せる。
カトリーヌがローマを訪れた時、ヴェネツィア大使は「小柄で痩せており、顔立ちに優美さはなく、またメディチ家特有の突き出た目をしている」。カトリーヌは従兄のイポリットと恋仲になっていたが、教皇クレメンス7世は野心家の彼を退け、婿探しを始める。数多くの求婚者がいた。
1533年、ローマ教皇クレメンス7世とフランス王フランソワ1世の間で縁組交渉が纏まり、フランスの第2王子と結婚。14歳。
1534年9月25日、教皇クレメンス7世が死去するとフランス宮廷におけるカトリーヌの立場は悪化。新教皇パウルス3世はフランスとの盟約を破棄。

コジモ1世
コジモ1世(Cosimo I de' Medici, 1519年6月11日 - 1574年4月21日)は、初代トスカーナ大公。勇敢な傭兵隊長「黒隊長」ジョヴァンニ(1498-1526年)と、その妻ロレンツォ・デ・メディチの孫マリーアの間に生まれる。
アンジェロ・ブロンズィーノを抱え、多くの肖像画を描かせた。
Bronzino - Eleonora di Toledo with her son Giovanni de' Medici

教皇レオ10世
レオ10世(Leo X 1475年12月11日 - 1521年12月1日)ルネサンス期のローマ教皇(在位:1513年 - 1521年)。本名ジョヴァンニ・デ・メディチ(Giovanni de Medici)。ローマのルネサンス文化は最盛期を迎えた。ロレンツォ・デ・メディチ・イル・マニフィコの次男。

教皇クレメンス7世
クレメンス7世(Clemens VII 1478年[1]5月26日 - 1534年9月25日)
ローマ教皇(在位:1523年 - 1534年)。本名、ジュリオ・デ・メディチ(Giulio de' Medici)。2代前のレオ10世の従弟(パッツィ家の陰謀で殺害されたジュリアーノの遺児)。

アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチ
(Anna Maria Luisa de'Medici, 1667年8月11日 - 1743年2月18日)、ピッティ宮殿で暮らした最後のメディチ家直系。 トスカーナ大公コジモ3世とマルゲリータ・ルイーザ(オルレアン公ガストンの娘)の娘。
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参考文献
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
大久保正雄『美の探求、旅する哲学者、美への旅』
https://t.co/oMWzv4rP2c
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/J9r9OZN2vP
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅
https://t.co/RggoniP3wD
プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅
https://t.co/AC2EF2HKDB
『戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹』
https://t.co/TtfGTKcUEL
美とは何か
【ソクラテスの祈り】
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
哲学者の魂 ソクラテスの死
https://t.co/K1EiSrdg79
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Giuliano di Lorenzo de' Medici, Michelangelo, Cappela di Medici, 1555
Vasali,Lorenzo de 'Medici,ヴァザーリ「ロレンツォ・デ・メディチ」
Pontormo ,Cosimo de' Medici「コジモ・デ・メディチ」
2017年2月7日
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

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2017年2月 1日 (水)

ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス

Tiziano_venere_di_urbino_1535Tiziano_flora_1515大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
ティツィアーノとヴェネツィア派・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス
森を歩いて、冬の午後、都美術館に行く。
イタリアの秋、ヴェネツィアの迷宮都市を歩いた日々。リアルト橋、サン・マルコ寺院、サンジョルジョ・マッジョーレ島、ドカーレ宮殿、ホテル、ダニエリHotel Danieliを思い出す。「ヴェネツィア共和国1200年」の光と影、行きし世の面影。15世紀はメディチ家の世紀、16世紀はヴェネツィアの世紀。旅人は、時の迷路に迷い込む。「ホテル、ダニエリ」、グランドカナルに臨む、迷宮ホテル。ヴェネツィア派は、何故、ヴィーナスのヌードを愛好したのか。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■サン・マルコ寺院の残照
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝いている。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
■ヴェネツィア派の最高傑作 ジョルジョーネとティツィアーノ
ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンを歩き、ヴェネツィアの巨匠の作品を見た旅を思い出す。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510、『嵐』1508。ティツィアーノ『聖母被昇天』1515、『ウルビーノのヴィーナス』1538。
ジョルジョーネ(1477—1510)は、33歳で死ぬ。ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、88歳まで生きる。
ジョルジョ・バルバレッリ・ダ・カステルフランコ (Giorgio Barbarelli da Castelfranco)は謎の画家である。
光彩陸離。ヴェネツィア派は、色彩、線描なき絵画、油彩で、フィレンツェ派と対比される。フィレンツェ派は、線描、テンペラ画。
ティツィアーノの妻セシリア*
ティツィアーノの故郷ピエーヴェ・ディ・カドーレ出身の理髪師の年若い娘。5年にわたってジョルジョーネ家の家政を取り仕切る内縁関係にあった。セシリアと正式に結婚した。1530年8月にセシリアはラヴィニア出産時の産褥で死去した。
★15世紀フィレンツェ、16世紀ヴェネツィア
16世紀は、ヴェネツィアの世紀である。ティツィアーノ、「ハプスブルグ家の宮廷伯爵、黄金拍車の騎士」となる。
15世紀は、メディチ家の世紀である。フィレンツェのルネサンスは、1499年で終焉する。
フィレンツェのルネサンスが滅びたのは、何故か。
■ティツィアーノと皇帝カール5世、フェリペ2世 
ハプスブルグ家の宮廷伯爵
1488、ティツィアーノ、ピエヴィ・ディ・カドーレに生まれる。
ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、ベッリーニの工房で学び、ジョルジョーネに学び、27歳で『フローラ』、50歳で最高傑作『ウルビーノのヴィーナス』を描き、88歳まで生きた。
1515、ティツィアーノ『フローラ』1515、内側から光るような肌の描写。27歳の作品。
1515年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂、ティツィアーノの代表作、祭壇画『聖母被昇天』を描き始めた。非凡な色彩感覚に彩られた絵画。大規模な作品。
1538、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538、50歳の作品。
ティツィアーノ『ダナエ』1544-46、ティツィアーノ58歳の作品。
ティツィアーノ『教皇パウルス3世』1543
ティツィアーノ、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
ティツィアーノ、ヤコポ・ティントレットが弟子になるが、3日で破門した。才能を恐れたためである。しかし、パオロ・ヴェロネーゼは可愛がった。
ティツィアーノは、ミケランジェロの肉体表現に影響を受ける。
1545年、ティツィアーノ、ミケランジェロに会う。ミケランジェロが彼の作品を見たとき、色彩は美しいが、線描がないことを指摘した。*ヴァザーリ『藝術家列伝』
1548年、ティツィアーノ、カール5世にアウグスブルグで会う。後のフェリペ2世にミラノで会う。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
フェリペ2世のために、「ポエジーエ」(1550—1562)、オヴィディウス『変身物語』神話画を描き、スペインに送る。
*1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグで、クラーナハに会う。
ルカス・クラーナハ(父1472~1553年)作『ティツィアーノの肖像』。★
1576ティツィアーノ、ペストに感染、88歳で死ぬ。
■ヴェネツィア年代記、ヴェネツィアの旅人
1477年、ジョルジョーネ生まれる。1510年死す。
1494年、アルブレヒト・デューラー、ヴェネツィアを訪問。第1回。
1500年、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴェネツィアに行き滞在する。*
レオナルドのスフマートとジョヴァンニ・ベッリーニの色彩が融合する。
1505年、アルブレヒト・デューラー、第2回ヴェネツィア訪問。
1528年、ミケランジェロ、ヴェネツィアに滞在。
     パオロ・ヴェロネーゼ、生まれる。1588死す。
1550年、ヴァザーリ『藝術家列伝』第一版、刊行。
1566年、ヴァザーリ、ヴェネツィア訪問。ティツィアーノに会う。
1568年、エル・グレコ、ヴェネツィア滞在。ヴァザーリ『藝術家列伝』第二版、刊行。
1585年3月23日(天正13年旧暦2月22日)天正遣欧使節、ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
1585年、6月3日(天正13年旧暦5月6日)天正遣欧使節、ヤコポ・ティントレットの子、ドメニコ・ティントレットに会う。天正10年(1582)九州のキリシタン大名の名代として長崎を出航した天正遣欧使節。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★主な展示作品
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「フローラ」1515、油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ティツィアーノ「ダナエ」1544-46、油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ「教皇パウルス3世」1543 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「マグダラのマリア」1567年 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ヤコポ・ティントレット「レダと白鳥」1551-54 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ヤコポ・ティントレット「ディアナとエンディミオン(もしくはウェヌスとアドニス)」1543-44年 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ポリドーロ・ダ・ランチャーノ「眠るウェヌスのいる風景」1565
パオロ・ヴェロネーゼ「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」1565
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(フリッツォーニの聖母)」1470年、コッレール美術館
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★参考文献
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」芸術新潮2011年11月号、P56
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市
https://t.co/7tXSdLCUfN
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
https://t.co/lX5zZsb5PL
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これまでのティツィアーノとヴェネツィア派
「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」国立西洋美術館2008
「世界遺産ヴェネツィア展 魅惑の藝術、一千年の都」江戸東京博物館2011
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」国立新美術館2016
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★「ティツィアーノとヴェネツィア派」東京都美術館 2017年1月21日~4月2日
http://titian2017.jp/

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2016年12月30日 (金)

大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」

BotticellinascitaveneresimonettavesAsunsetinflorencefrompiazzalemichel大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
孫崎享×大久保正雄『愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長』
戦略で読み解くルネサンス
2017年1月12日予定【孫崎チャンネル】20:00—21:00
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『愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長』
戦略で読み解くルネサンス
序説、ルネサンスの美術 6人の巨匠
  フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ
  ルネサンスの4大藝術家
  ボッティチェリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエッロ
1、メディチ家の戦い コジモとロレンツォ
  ボッティチェリ『春』1482『ヴィーナスの誕生』1485
  描かれたジュリアーノ・デ・メディチ シモネッタ・ヴェスプッチ
  ミケランジェロ、ロレンツォの家で育てられる。1489―1492
  招かれなかったレオナルド。現代では「万能の天才」と呼ばれる。
2、包囲されたフィレンツェ フィレンツェ包囲網、対教皇庁戦争(1474 – 1480)。
  イタリアの戦国時代 ロレンツォ(1449 – 1469から当主1492)は、稀代の戦略家。
  イタリアの天秤の針。1479、ナポリ王フェランテを説得、和平交渉。
  パッツィ家の陰謀(1478)、陰謀家シクストゥス4世(在位1471 – 1484)。
3、織田信長は、3回包囲された。なぜ、包囲されたのか。
  「天下布武」1567、公家寺家、天皇の権力を無化。楽市楽座1577。永楽通宝の旗印。 
  正親町天皇の綸旨。
  織田信長(1534-1582)が恐れた二人の武将。
  桶狭間の戦い1560、比叡山焼き討ち1571、髑髏盃、天正二年1573正月岐阜城、蘭奢待1574、茶会。安土城天主1579、本能寺の変、天正十年1582、48歳で死ぬ。
  織田信長をめぐる美女、妹お市の方、生駒吉乃。織田信長、利休、茶会
  *大久保正雄『戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹』
4、メディチ家とプラトン・アカデミー
 コジモ(1389—1464)、1439年プラトン哲学の奥義を聴く。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設。Ficinno Opera Omnia, Vol2
 ロレンツォ・デ・メディチ(1449—1492)は、1492年4月8日、43歳で死ぬ。公的な肩  書はない。アンジェロポリツィアーノ、ピコ、思想家たちは、1498年までにつぎつぎと毒殺(砒素)される。ピエロ・イル・フォルトゥオ(愚者)、調略される。フィチーノ(1449—1499)、死ぬ。
 ロレンツォがピコの助言により招いたサヴォナローラに欺かれ裏切られる。間諜=工作員(『孫子』用間編)。シャルル8世のフィレンツェ侵攻1494を予言。1494メディチ家追放。「虚飾の焼却」1498。アレクサンデル6世を批判、怒り受け破門。処刑1498。
5、メディチ家とハプスブルグ家
  メディチ家は、理念に基づいて行動する。
  ハプスブルグ家は、カネと土地、権力の亡者。
6、バロック美術、カラヴァッジョ(1573-1610)、光と闇の画家
  リアリズム、残酷な現実を描く。『斬首されるヨハネ』1608『ホロフェルネスの首を斬るユディト』1596
  ルネサンスと対比。理想主義、対現実主義。
7、ルネサンスが探求する美は何か。本質の美、現象の背後に隠れた真実。魂の美。理想美。
プラトン哲学の美の奥義、魂の哲学、『饗宴』『パイドン』に根拠がある。
この世界には、隠された真実がある。真実を探求することがルネサンス人の使命である。
ルネサンス人は、理想美を追求する。
8、美とは何か
―――――
参考文献
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
大久保正雄『美の探求、旅する哲学者、美への旅』
https://t.co/oMWzv4rP2c
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/J9r9OZN2vP
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅
https://t.co/RggoniP3wD
プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅
https://t.co/AC2EF2HKDB
『戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹』
https://t.co/TtfGTKcUEL
【ソクラテスの祈り】
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i 
哲学者の魂 ソクラテスの死
https://t.co/K1EiSrdg79

大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

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2016年12月12日 (月)

大久保正雄「ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー

Ookubomasao_007Ookubomasao_008大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
メディチ家とプラトン・アカデミー
15世紀に蘇った哲学はプラトン哲学である。1439年7月6日フィレンツェ公会議で、コジモ・デ・メディチはギリシア人哲学者プレトンの講義をきき、プラトン哲学の奥義に感銘をうけ、「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。コジモ・デ・メディチは、1462年マルシリオ・フィチーノにプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を依頼した。コジモは1464年に死ぬ。しかしフィチーノは1477年に完成した。ロレンツォ・デ・メディチ(1449—1492)は1492年死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬが、フィレンツェから始まったルネサンスはヨーロッパ文化史に深い影響を与えた。(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である。(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)フィレンツェ・プラトン主義の愛と美の哲学はミケランジェロたちルネサンスの藝術家に影響を与えた。「魂の美は、肉体における美より美しい」「魂の眼は肉眼が老いる時やっと輝き始める」(プラトン『饗宴』)
――世界の果てでみつけた美しい謎
偉大な都市の片隅に、美しい謎がある。ギリシア、テッサロニキ考古学博物館の「デルヴェニのクラテル」には「ディオニュソスとアリアドネの結婚」が刻まれて、比類なく美しい。スペイン、コルドバのメスキータの林立する列柱室は、美しい闇である。アクロポリス考古学博物館「アクロポリスの少女(コレー)」のアルカイックな微笑みは、何故かくも美しいのか。旅立とう。世界の果てに、美しい謎を探求して。
★黄昏のポンテ・ヴェッキオ、黄昏のフィレンツェ
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミーWHMR 2011.4, 2016.11改定。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
Copyright 大久保正雄
「whamr2016p_3335.pdf」をダウンロード

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2016年10月27日 (木)

クラーナハ展、500年後の誘惑・・・透明なヴェールの女、女の策略

Cranach_yudith1530秋の森を歩いて美術館に行く。青春の日に旅した東欧、ウィーン美術史美術館、ハプスブルク帝国の旅を思い出す。「ヨハネの首をもつサロメ」、血塗られた首と艶麗な女。陰鬱なドイツの暗闇と肉体にまつわる透き通ったヴェール。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿が眠る。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

クラーナハは、陰鬱なドイツの暗闇に、女性ヌード絵画で光をもたらした。透き通ったヴェールは、裸身の肌をあらわす。透き通って肌を隠さないクラーナハのヴェール。見えない極薄のヴェールをまとっている。柔らかな曲線をなす華奢な裸体の線。
ルカス・クラーナハ(1472-1553年)は「女の策略」「女の誘惑」の主題を追求した。「女の策略」「女の誘惑」の主題の絵は、強烈な妖艶、蠱惑的な魅力がある。女たちは、人を欺き陥れる策略がある。男を酒で眠らせ、眠っている間に力を奪う。女の目的は、妊娠出産である。
イヴの誘いに負けて禁断の果実を食べるアダム。敵将ホロフェルネスの寝室に赴き、酒で眠らせ惨殺したユディト。踊りによってヘロデ王を悦ばせ、報酬に聖ヨハネの斬首を手に入れた王女サロメ。王女オンファレの美貌に誘惑され羊毛を紡ぐ羽目になる英雄ヘラクレス。娘たちに酔わされ近親相姦を犯し子を産ませたロト。
1517年、ザクセン公国ヴュルテンブルクのルターの宗教改革から500年の時が流れた。失われたドイツの時間が、宮廷画家の工房から蘇る。
主要展示作品
ルカス・クラーナハ(父)「ホロフェルネスの首をもつユディト」1530
「ヨハネの首をもつサロメ」1530、「ロトと娘たち」1528—30、「サムソンとデリラ」1528—30、「不釣合いなカップル」1530-1540年「ヘラクレスとオンファレ」1537「アダムとイヴ」1537
「ヴィーナス」1532、「正義の寓意」1537、「泉のニンフ」1537、クラーナハ「ルクレティア」1533
陰鬱なドイツ、ルネサンスの光が射さない暗闇
ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach der Ältere、1472年10月4日 クローナハ生まれ、オーバーフランケン1553年10月16日、ヴァイマルに死す)は、1505年頃にウィーンで画を学ぶ、ザクセン公国の都ウィッテンベルクで、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯に宮廷画家として仕える。寓意画、神話画、キリスト教絵画を、大規模工房で大量生産した。16世紀ルネサンスの時代、一点透視図法、空気遠近法、写実的な近代絵画技法に基づくルネサンス絵画の技法の時代に、平面的な宮廷様式で制作した。
神聖ローマ帝国、中世ドイツ封建国家の詐欺
オットー1世は、西欧最大の封建国家を捏造した(962年)。捏造された神聖ローマ帝国(962—1806年)は、19世紀まで存続し、ハプスブルク家の権力の源泉の一つとなる。
宗教改革の欺瞞
ルター「95か条の論題」(1517年)、は「魂の救済は福音書への信仰のみによる」としたが、これ自体が虚偽、詐欺である。「魂の救済は愛と知恵による」
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
―――
クラーナハ展、国立西洋美術館
2016年10月15日(土)~2017年1月15日(日)
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016cranach.html
http://www.tbs.co.jp/vienna2016/
1:蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ
2:時代の相貌─肖像画家としてのクラーナハ
3:グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ
4:時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相
5:誘惑する絵─「女のちから」というテーマ系
6:宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて
―――――
★Lucas Cranach, Judith with nead of Holofernes

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2016年9月25日 (日)

ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市

Giorgione_sleeping_venus1510_3Tiziano_venere_di_urbino_1535大久保正雄「旅する哲学者 美への旅」第87回

灼熱の夏の午後、美術館に行く。ヴェネツィアでみたジョルジョーネ『嵐』、ドレスデンでみた『眠れるヴィーナス』を思い出す。ヴェネツィア、アカデミア美術館を散歩した日。水煙の煙る春の午後。
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝く。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
アカデミア美術館は、1817年に建設された。色彩のヴェネツィア派といわれるが、暗鬱な色調のキリスト教美術。私は、ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンで見た、ヴェネツィア派の絵画を思い出す。ジョルジョーネの謎の絵画。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

■多産と豊饒の象徴、ヴィーナス
ヴェネツィア最大の巨匠ティツィアーノ ティツィアーノは、ヴィーナスとクピドをよく描いた。ヌードのヴィーナスは、結婚の記念画として愛好された。ヴィーナスは、多産と豊饒の象徴である。
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』(1535)。ヴィーナスの膚は、煌めいている。線はない、色彩の魔術。宝石のように輝く皮膚の美。
■謎の画家ジョルジョーネGiorgione、謎の絵画
ティツィアーノの師は、ジョルジョーネである。若くして亡くなった。青春の画家である。
ジョルジョーネ『嵐 テンペスト』1505—8 嵐の瞬間を描いた傑作。西洋絵画史、最初の風景画。
ジョルジョーネ『テンペスト』(1505)は、乳呑児を抱く裸婦、立ち尽くす男、嵐、意味不明な、「謎の絵画」である。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510。自然描写のなかに眠れるヴィーナス。
ヴェネツィア派で、よく描かれる構成となる。
■ヴェネツィアの黄金時代、11世紀から15世紀。
ヴェネツィアは、地中海、エーゲ海に船で君臨した。栄光の海都市国家は、滅亡した。
これからが、これまでを決める。
変わることなく、とこしえに、揺るぎもしない。かくも試練に耐えた心のあるかぎり。地上は決して砂漠ではない。(バイロン)
★1500年、レオナルドは、ヴェネツィアを訪れ、ヴェネツィア人に、スフマートを教えた。
★ヴェネツィア・ルネサンスは、1440年ころから1580年まで。
ベッリーニから、ティツィアーノまで。
■19世紀、滅びの都ヴェネツィアを愛する。ロマン派詩人たち
ロマン派詩人は、イタリア、ヴェネツィアを愛した。ロマン主義は、1798年から1836年まで。1818年、詩人シェリーはメアリーを連れてイタリアに赴き、フィレンツェ、ピサ、ナポリ、ローマ各地を転々としながらプラトンの『饗宴』を翻訳し、詩『縛を解かれたプロメテウス』を作った。詩人バイロンは、ヴェネツィアをたびたび訪れた。
ロマン派詩人は、自由奔放と愛を追求して、地中海へ旅する。
■ワーズワース「ヴェニス共和国の滅亡」
(William Wordsworth,On the Extinstion of the Venetian Republic)
彼女はかつて華やかなる東洋を領有し、
そしてまた、西方の防衛なりき。
ああヴェニス、初めて生まれし自由の子、
その価値は誕生を辱めることなかりき。
かつて征服されたることなき輝かしき自由の市、
いかなる狡計も篭絡(ろうらく)することなく、いかなる暴力も犯すことなかりき。
ヴェニスがその配偶を娶らんときは、
永劫の海原を彼女は選ぶべかりき。
かかる栄光あせ、光栄ある称号消え失せ、
その力衰うるを見るも何をかせん。
それど追惜(ついせき)の貢物は
その永き歴史の終わる日にぞ払わるべき。
われらは人間、かつて華やかなりしものの影、
消えて跡なきに至るとき、悲しむべきものなり。
田部重治訳『ワーズワース詩集』岩波文庫1957

ヴェネツィアの3大巨匠 ティントレット、ヴェロネーゼ、パッサーノ
パオロ・ヴェロネーゼ『レヴィ家の饗宴』1573
カルパッチョ『リアルト橋の奇跡』1496
ジェンティーレ・ベッリーニ『サン・ロレンツォ橋での聖十字架の遺物の奇跡』
Miracolo della Croce caduta nel canale di San Lorenzo 1500年
■★謎の画家ジョルジョーネGiorgione,1477—1510
ジョルジョーネは、33歳頃亡くなった。作品はわずかに6点しか現存していない。
ジョルジョーネ『嵐 テンペスト』1505—8
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510
■★ヴェネツィア最大の巨匠ティツィアーノTiziano,1488—1576
ティツィアーノは、80代まで画きつづけた。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『聖母被昇天』1516—1518、ティツィアーノ20代の作品、出世作。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『受胎告知』1559年-1564年頃サン・サルバドル教会
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』1535
■大久保正雄『地中海紀行』
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
■展示作品
パオロ・ヴェロネーゼ『レパントの海戦の寓意』
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『受胎告知』1563-65年頃
サン・サルヴァドール聖堂
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「聖母子」「アルベルティ―ニの聖母」1560年頃
■アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち
ジョヴァンニ・ベッリーニからクリヴェッリ、カルパッチョ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼまで
2016年7月13日(水)~10月10日(月・祝)国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/venice2016/
2016年10月22日(土)~2017年1月15日(日)国立国際美術館
★Giorgione, Venus1510
★Giorgione, Tempesta1505—8
★Tiziano,Venere di Urbino,1535
大久保正雄2016年9月25日

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2016年4月 5日 (火)

レオナルド・ダ・ヴィンチ『糸巻きの聖母』・・・レオナルド最後の旅

Da_vinci_madonna_with_the_yarnwindeLeonardo_da_vinci_madonna_of_the_yaDavinci_giovanni00春雷の鳴る午後、桜咲く道を散歩して、博物館に行く。『糸巻きの聖母』を編集長と一緒にみる。春の川は黄昏の光をうけ、春の海ひねもすのたりのたり。幻のレオナルド『レダ』を求めて、ヨーロッパの古城を探索した日々。失われた時の思い出。私は魂の果てを探求したが、魂には果てがない。哲学者は永遠を旅する。美への旅。アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェの中庭で流れる水の囁きを聴き、ロワールの古城をめぐりレオナルドの孤影に逢い、フォンテーヌブローの森の貴族の館で幻の『レダ』をみる。ロレンツォの弟ジュリアーノ・デ・メディチは、レオナルドの唯一のメディチ家の庇護者だった。森のなかの城館で、夢の中にロレンツォとジュリアーノが立ち現われ、プラトン哲学の奥義を語る。「汝の敵はだれか、考えよ。汝の敵は師だ。化けの皮を被った詐欺師だ」。私は敵がだれか察知した。違いが分かる人が創造的世界を作る。偽物は世界を腐敗させる。ルネサンスは、コジモ・デ・メディチがプラトン哲学の奥義を受けた時(1439) *に始まる。メディチ家は運命の扉を開いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
■レオナルド最後の旅
3枚の絵画
『糸巻きの聖母』(1501)はフランス王ルイ12世の秘書官フロリモン・ロベルテによって発注され、ブロワ城に渡る(1507)。レオナルド(1452-1519)とフランス王家との接触の始まりである。1516年秋、メルツィとサライを連れてアンボワーズ城に移り住む。「主席画家、技師、並びに建築家」の称号をアンボワーズの宮廷で与えられる。レオナルド64歳。
フランソワ1世(1494-1547)は、『聖アンナと聖母子』の下絵に彩色させるために、レオナルドをフランスに呼んだ。
1517年10月10日、レオナルドは、訪問した枢機卿ルイジ・アラゴーナに3枚の絵を見せる。『ジュリアーノ・メディチ(1453-1478)*のために描かれたあるフィレンツェの婦人の肖像』(モナリザ1503-1505)*『洗礼者聖ヨハネ』(Leonardo,San Giovanni,1514)『聖アンナと聖母子』(1510)。1519年4月23日付け遺言書のなかで、レオナルドは「画家の技術と仕事に関するすべての道具類と肖像画」をフランチェスコ・メルツィ(1493-1570)に遺贈する。メルツィは最後まで師と行動をともにする。*ロレンツォ(1479-1492)の弟。
『岩窟の聖母』
『岩窟の聖母』(Vergine delle Rocce, louvre)は、1483-1486年の間に制作されたが、注文主の満足を得ることができず、その結果ルイ12世が1500-1503年頃に作品を取得した。フランソワ1世コレクションに所蔵される。(louvre)
ヴァザーリ『藝術家列伝』は「フランス王にみとられてレオナルドは亡くなった」と書くが。フランソワ1世はサンジェルマン・アン・レーにいて会えなかった。
レオナルド派『レダ』
レオナルド『レダ』(Leonardo,Leda,1506*)は、フォンテーヌブロー宮殿に17世紀まで所蔵された。所蔵品目録に1692,1694まで記録がある。*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデア』より
★主な展示作品
『糸巻きの聖母』(1501) バクルー版 Leonardo, Madonna with yarnwinder
レオナルド派、ロンバルディアの画家『洗礼者聖ヨハネ』1530-1535年、カポディモンテ美術館、Leonardo, San Giovannni,Capodimonte
■「レオナルド・ダ・ヴィンチ」天才の挑戦「糸巻きの聖母」
2016年1月16日(土) ~4月10日(日)、江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
★【城から消えたダ・ヴィンチ ~「糸巻きの聖母」の数奇な旅~】
02月11日(木) 08:15 ~08:59【NHK総合テレビ】
レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」の数奇な旅。イギリス・ノーサンプトンシャー地方に、現在の「糸巻きの聖母」の所有者 第10代バクルー公爵リチャード・スコットがいる。ボートンハウスはバクルー公爵家が所有する館のひとつで、「イギリスのベルサイユ」とも称される。バクルー公爵家の歴史をたどると、フランスの縁の深いレイフ・モンタギューへと繋がる。この館にはフランスから渡ってきた品が数多く残されている。公爵家が所蔵するコレクションは英国王室のコレクションに並び称される。
その中には、レンブラントの「読書する老女」など世界的に知られる名作があり、レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻きの聖母」も含まれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」など数々の名作を残したが「糸巻きの聖母」は、彼が49歳と円熟期に描いた作品。レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長(*アレッサンドロ・ヴェッツォシ)はこの絵に、巨匠の哲学や精神が込められていると話す。イタリア・フィレンツェ。この街にはルネサンスという大輪の花が咲いた。ウフィツィ美術館にはルネサンス期を代表する芸術家の石像が並ぶ。
1507年「糸巻きの聖母」はフランス王ルイ12世の側近の手に渡る。フランス国王が居城としていたブロワ城。ここでの聖母と国王についての記録が残っていた。レオナルドはその後、国王に招かれ、晩年をフランスで過ごした。
★『糸巻きの聖母』(1501) ランズダウン版Leonardo, Madonna with yarnwinder
★『糸巻きの聖母』(1501) バクルー版Leonardo, Madonna with yarnwinder 
★レオナルド『洗礼者聖ヨハネ』1513-1516、ルーヴル美術館、Leonardo, San Giovannni,Louvre

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2016年4月 3日 (日)

ボッティチェリ展、「書物の聖母」・・・蘇るルネサンス

Sandro_botticelli_madonna_del_libroBotticelli_adorazione_dei_magi_uffi桜の蕾が膨らむ森を歩いて、啓蟄の日、美術館に行く。春のイタリア、トスカーナの野を彷徨い歩いた日々、百花繚乱のイタリアの旅を思い出す。友人は黄色のドレスを着て黄色い靴と黄色いバッグをもってやってきた。ルネサンスは、コジモ・デ・メディチが、プラトン哲学の奥義を受けた時(1439)に始まる。メディチ家は運命の扉を開いた。美しい魂は蘇る。春爛漫、再会と再生と蘇り。美の女神、幸運の女神が舞い降りてくる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
プラトン・アカデミーの人々
ボッティチェリ(Botticelli,1444-1510)は、数少ない純粋なルネサンス絵画を描いた。ルネサンス藝術の源泉である。プラトン・アカデミーの詩人から教えを受けた。
ボッティチェリ『春』1482、『ヴィーナスの誕生』1485、『ミネルヴァとケンタウロス』1482、『ヴィーナスとマルス』1483、『ナスタジオ・オネスティの物語』1483。
ボッティチェリの美しい聖母子像は、美人画と聖母子像の源泉である。
『マニフィカートの聖母』1480-81、『書物の聖母』1480-81、『石榴の聖母』1485。『東方三博士の礼拝』(1475)に、コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ、ピエロ、ポリツィアーノ、プラトン・アカデミーの人々の顔が刻まれている。
ルネサンスの死
1492年ロレンツォが死に、プラトン・アカデミーの詩人、思想家たちが次々に死ぬ。1499年、ルネサンスは終焉する。1494年イタリア戦争が勃発、フランス王シャルル8世がフィレンツェに入城し、メディチ家を追放した。サヴォナローラは、1494年から98年までフィレンツェの実権をにぎり神政政治を行い「虚飾の焚刑」(97)を行ったが、教皇アレクサンデル6世によって破門され、焚刑に処せられる。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美への旅』より
★ボッティチェリ『書物の聖母』1480-81
★ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』(Adorazione dei Magi)1475
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ボッティチェリ展、東京都美術館
2016年1月16日(土) ~ 4月3日(日)
http://www.tobikan.jp/

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2015年4月 4日 (土)

「ルネサンスの都フィレンツェ メディチ家とプラトン・アカデミー」米田潔弘×大久保正雄

「ルネサンスの都フィレンツェ メディチ家とプラトン・アカデミー」対談、米田潔弘×大久保正雄
フィレンツェにルネサンスが生まれたのは何故か。カレッジ別荘、メディチ家と芸術、アカデミア・プラトニカの思想は何か。ルネサンスの本質を考える。
Firenza_santa_maria_del_fiore_2上智大学1号館203教室
2015年5月31日 13:30~15:00
米田潔弘
『メディチ家と音楽家たち』音楽之友社、「ルネサンスのネオプラトン主義的世界観」「イタリア・ルネサンスのネオプラトン主義運動-マルシリオ・フィチーノ時代のフィレンツェ文化」、「コシモ1世とその時代」、共著『原典イタリア・ルネサンス人文主義』『ヨーロッパ国際体系の史的展開』『ヨーロッパ中近世の兄弟会』
大久保正雄
『ことばによる戦いの歴史としての哲学史』理想社、「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」、「ミケランジェロ、苦悩する藝術家、さまよえる孤独な魂」、「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮」「魂の美学 プラトンの対話編に於ける美の探究」
大久保正雄『地中海紀行』
http://homepage3.nifty.com/odyssey/00c8c001.html
美への旅、大久保正雄、『旅する哲学者』より
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/
司会、畑中紀子
☆上智大学ソフィア会、ASF2015、NEXT100プロジェクト
☆ソフィア文化芸術ネットワーク
★問い合せ:上智大学ソフィア会 03-3238-3041
上智大学、四谷キャンパス地図
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

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