ルネサンス

2008年11月24日 (月)

「線の巨匠たち」藝大美術館・・・優雅な線の美しさ

Geidai_2008_3 枯葉舞う森を歩いて、藝大美術館に行く。デッサンと版画の展覧会である。ルネサンス、17世紀オランダの黄金期から19世紀のデッサンを見る。今日、美しい線を描ける画家は少いといわれる。レンブラントの素描は現実的だが、イタリア人の線は優美で甘美である。
■線の美しさ
フランチェスコ・サルヴィアーティ(Francesco Salviati = Francesco de' Rossi,1510 - 1563 )「目を閉じる女性」は、極めて美しい。うっとりするほど美しい線と陰影がある。画家の友人は女性の表情はうつむく顔が美しいといっているがそういう角度である。うつむく顔、目を伏せて口元に幽かに微笑みを湛える女性の表情が甘美である。肌の肌理を表す繊細な暈しと描線、微妙な陰影、瞼の膨らみ、頬のハイライト、顔の巧みな立体感が、卓越した精緻さで表現されている。イタリアの画家サルヴィアーティの素描とレンブラントの素描を比べると、サルヴィアーティにはイタリアの甘美が感じられる。
フランチェスコ・サルヴィアーティ「目を閉じる女性」(1540年頃)、レンブラント・ファン・レイン『十字架降下』(1633年)、ライスダール「木々の間の水車のある風景」(1650年頃)、アレクサンドル・カラーム「木々のある風景」(1842年頃)。これらの作品が美しい。
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本展覧会は、アムステルダム歴史博物館(Amsterdams Historisch Museum)が所蔵する素描コレクションの主要作品から、 ルネサンス以降の西洋の素描芸術の展開と、コレクションとしての素描芸術について辿るものです。
素描:諸芸術の基礎
西洋美術における「素描」は、イタリア・ルネサンスの美術理論家であるヴァザーリ(Giorgio Vasari)が 「三つの芸術(絵画、彫刻、建築)の父」と語るように、あらゆる造形芸術の基礎をなすものとみなされてきました。 すなわち素描は、芸術家が自然を写し取る技術であり、同時に、芸術家の創意の発露であり、芸術作品を作り上げるための基礎的な構想力を示すものと考えられていたのです。 そしてルネサンス以降の素描には、完成作のための下描きという補助的な位置づけを超え、それ自体に芸術としての価値が付与されるようになったのです。
下描きからコレクターズアイテムへ:オランダでの素描コレクション
芸術としての素描は、時代が下ると、さらなる多様性に満ちた発展を遂げます。17世紀のネーデルラントでは、描かれる対象は、 人物像や構図スケッチのみならず、屋外風景や静物も含まれるようになり、さらにそれらは、完成作のための「下描き」としてのみならず、 芸術家のアトリエにおいて、種々のモティーフを描いた「型見本」として制作時に活用されるとともに、弟子たちの訓練のための「教育手本」として利用されました。 そしてこの種の素描作品は、芸術家やアトリエでの使用にとどまらず、 愛好家達によって絵画と同様にコレクションの対象となりました。素描の収集は当初は、創造力の刺激を求める芸術家によって行われましたが、 やがて教養の高いコレクターたちが素描に関心を持ち始め、さまざまな地域、時代の素描作品を、絵画などと同様の芸術作品としてコレクションしました。 彼らにとって巨匠たちによる素描は、芸術的創造の痕跡であり、同時に美術史的な価値を持つ、知的な「コレクターズアイテム」となったのです。
本展覧会では、アムステルダム歴史博物館の所蔵する素描コレクションから、ルーベンス、レンブラントらをはじめ、 17世紀のオランダ・フランドルの芸術家たちの素描群を中心にご紹介します。
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「線の巨匠たち-アムステルダム歴史博物館所蔵 素描・版画展」、東京藝術大学大学美術館、2008年10月11日(土)-11月24日(月・祝)
http://www.geidai.ac.jp/museum/

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2008年10月19日 (日)

「西洋絵画の父 ジョットとその遺産展」損保ジャパン東郷青児美術館・・・雪のアッシジの思い出

San_francesco_20040922私は、10年前、雪のイタリアで考えた疑問を思い出した。
10月10日夜、美術ブロガーの集まりがあり、美術史家、池上英洋氏を招いてギャラリートークを行った。池上氏は、レオナルド・ダ・ヴィンチの専門家である。14世紀のイタリア絵画を前にして、講義をきくのは稀なる経験である。 
■雪のアッシジで考える
 私がはじめてアッシジを旅したのは1998年秋である。この時、フィレンツェで目覚めるとトスカーナは吹雪で、アッシジは雪におおわれ、サン・フランチェスコ大聖堂は、厳粛な空気に包まれていた。下の院に行くと、サン・フランチェスコの遺体が安置されている空間がある。上の院にはジョットの壁画が壁面を埋めつくしている。
 私は、プラトンの哲学を愛し、ギリシア美術を愛している。プラクシテレス『蜥蜴をころすアポロン』、レオカレス『ベルヴェデーレのアポロン』から、レオナルド『レダ』『ヨハネ』まで、なぜこれほどの時間を要したのか。
 ギリシア彫刻の黄金時代、紀元前350年からジョットの時代まで1700年の歳月が流れた。さらにジョットからボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』まで、150年。これほどの歳月を必要とした原因は何なのか。
■「池上英洋教授:ジョットとその遺産展 ギャラリートーク」
池上氏の解説要旨は、以下のようなものである。
 1、ジョットとジョッテスキ
 2、旅する画家、ジョット
 3、ジョットとチマブーエの対比
 4、フレスコ画の技法について
 5、キリスト教のシンボリズム
 6、サン・フランチェスコ、没後2年の列聖
 先生から「ジョットとチマブーエの対比」「ジョットとマザッチョの対比」この2つの対比から考えるようにという指示があった。
■ジョットとジョッテスキ:Giotto E I Giotteschi
 この展覧会は、ジョットとその弟子たちジョッテスキ(Giotteschi)、と呼ばれるべきものである。弟子には、ダッディ、ガッディがいる。14 世紀フィレンツェのジョット派である。
 ジョットの弟子の一人が、ベルナルド・ダッディ(Bernardo Daddi, 1280-1348)である。『携帯用三連祭壇画』Triptych (Bigallo)は、ジョットの重厚な画風に色彩を施し、甘美な趣を漂わせている。この作品の他、『磔刑図』が展示されている。
 ジョットの弟子タッデオ・ガッディ(Taddeo Gaddi, 1300-1366)の子が、アーニョロ・ガッディである。アーニョロ・ガッディ(Agnolo Gaddi, 1350-1396)の作品は、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂の聖歌隊席のフレスコ画、多翼祭壇画の「キリスト磔刑」(ウフィッツィ美術館)がある。ジョルジョ・ヴァザーリ『イタリアの至高なる画家・彫刻家・建築家列伝』の中に、アーニョロの伝記がある。
■旅する画家、ジョット
 ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone, 1267-1337)は、フィレンツェ生まれ。アッシジ、ローマ、リミニ、パドヴァ、ナポリ、ミラノ、フィレンツェなど各地で制作している。弟子のダッディとガッディは同行したが、それぞれの場所で画家を集め工房を組織して制作した。各地の画家が参加しジョットの技法を学んだ。これによってルネサンスの先駆であるジョットの画法がイタリア各地に伝播した。
 ダンテの『神曲』の一節「ジョットのためにチマブーエの名声が霞んでしまった」という言葉が引用されている。第一人者チマブーエの業績を超えたのがジョットである。
 今回の屈指の作品であるジョット「聖母子」(聖セテファーノ・アル・ポンテ聖堂附属美術館蔵)をみると、膝の立体的な形、頬のふくらみが立体的に描写されている。これがジョット様式と呼ばれるものである。
 池上氏がBruno Santi(前ウフィッツィ美術館長)から聞いた話によると、今回来日したジョット「聖母子」は、国外不出、3日前まで極秘とされた。極秘とされたのは2007年レオナルド「受胎告知」出国の時に起きた反対運動を避けるためである。多額の保険がかけられている。
■ジョットとチマブーエの対比
 チマブーエは第一人者であったが、これを革新したのがジョットである。チマブーエの平面的な人物描写に対して、ジョットの様式は、立体的、写実的な描写、体の輪郭の柔軟さ、遠近法の空間の導入、感情表現、が特徴である。先生のレクチュアは、これをフレスコ画の技法をみることによって、ジョットの写実性を実証していた。
■フレスコ画の技法について
 剥がされたフレスコ画から、フレスコ画の技法を垣間見ることができる。
 今回展示されているジョットの「嘆きの聖母」(サンタ・クローチェ聖堂附属美術館蔵)の前で、フレスコ画制作についての説明を聞く。このフレスコ画は、1966年、フィレンツェのアルノ河の洪水で衣服の彩色が消失し、シノピア(下絵)の線だけが残っている。
 フレスコ画は、砂と石灰を混ぜて作った漆喰で壁を塗り、その上に粉の顔料で絵を描く手法である。濡れた石灰の上に顔料を乗せて描けば、石灰水が顔料を覆って空気中の二酸化炭素と反応して透明な結晶になる。顔料はこの結晶に閉じ込められて美しさを保つ。耐久性は抜群で数千年間、保たれるという。
 シノピア(sinopia)は、フレスコ画の下書きに用いられる赤褐色の顔料(酸化第二鉄)である。後でその上に描かれる画は乾かぬうちに急いで描かなければならない。シノピアの画の方の出来栄えが良いことが通例である。実例として、アッシジのサン・フランチェスコ、上の院(Basilica superiore)にあるJacobo Toritiが描いたDio Creatorの「イエス」のシノピアとフレスコの画像を比較して見ると、圧倒的にシノピアの方が優れている。
 下層の淡彩画の影をつけることをグリザイユという。グリザイユ(grisaille)とはフランス語で無彩色の明暗だけで描いた絵の総称で油絵の下地として使われる技法。グリザイユは光がつくる影の部分をグレー調の濃淡だけで描き入れ、陽があたる明るい部分はグリザイユしないで地の色をハイライトとしてそのまま残すことで陰影のある絵にする事ができる。全体を明暗でとらえ最後に着彩するのでその後の作業が楽になり、全体としての纏まりもよくなる。
 ジョルナータ(giornata)という用語についての説明があった。ジョルナータとは一日のという意味で、フレスコ画は漆喰が生乾きの時に描かなくてはならず、一日の面積をいう。ジョルナータの縁の重なりの上下を見ると描かれた順序がわかる。部分よって一日で出来る仕事の量はことなる。これを研究している学者がいる。学者は閑な商売だといわれる所以である。顔と手は多くの時間がかかることがこれによってわかる。ジョルナータの技法は、ジョットが創始したものである。
■キリスト教のシンボリズム
 聖母、聖人のアトリビュートには、キリスト教のシンボリズムがある。
 例えば、「赤いひわ」は、キリストの茨の冠の棘を抜いた時に、返り血を浴び赤い斑点が付いたと考えられ、受難の象徴とされた。
 聖ニコラウスは手に「三つの玉」を持っている。持参金がない女は、娼婦とならざるをえない三姉妹を憐れみ、金の玉を与えたことによる。
Giotto_tower ■美術史における位置づけ
 私は1998年にフィレンツェで、美術史家Marvin Eisenbergに会ったが、彼の専門はLate medieval art historyだと言っていた。ロレンツォ・モナコ(Lorenzo Monaco:1370-1425,Firenze)が専門である。(『祭壇画』Adoration of the Magi 1422 Tempera on wood, Galleria degli Uffizi, Florence、参照)
 ジョットの絵画は、ゴシック様式とよばれるが、ジョットの美術史における位置づけは何か、この点を先生に質問した。
 池上氏は、ジョットをProto Renaissance様式としてとらえている、と語った。
■「神の吟遊詩人」フランチェスコ・・・ばら色の夕暮れの町にて
 聖フランチェスコ(1181-1226)が、13世紀のイタリア人に強い影響を与えた原因は、腐敗した教会のなかにあって、貧しく美しい生きかたを示したからである。
 フランチェスコの詩『太陽の讃歌』(Cantico delle creature)に現れている心が自由なルネサンスの精神を呼び覚ましたのだろう。花咲き乱れるウンブリアの野、自由に心の翼を広げるイタリアの野の風景に、この詩は息づいている。
たたえられよ わが主 姉妹なる月と星によって
おん身は月と星を天にちりばめ
光も清かに 気高くうるわしく作られた 『太陽の讃歌』より
■「西洋絵画の父 ジョットとその遺産展」
~ジョットからルネサンス初めまでのフィレンツェ絵画~
2008年9月13日~11月9日
損保ジャパン東郷青児美術館
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index2.html
Giotto_madonna_dc Lorenzo_monaco_ador_mag 

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2008年3月12日 (水)

『ウルビーノのヴィーナス』国立西洋美術館・・・美と愛の女神

Titian_venus_of_urbino_2 古代ギリシアから、ローマ、ルネサンス、マニエリスム、バロックにいたる、2000年に及ぶ愛と美の女神をめぐる展覧会である。
初日に見る。『ウルビーノのヴィーナス』の前には、一人も人がいない。イタリアの美術館のように、一人で時間を楽しむことができる。フィレンツェで3度『ウルビーノのヴィーナス』をみたが、見に行く価値がある。イタリア各地の美術館から藝術品が集められている。
■ティツィアーノ・・・幸運な画家
 16世紀ヴェネツィア派の最盛期、最大の画家。フィレンツェ派とヴェネツィア派の対立は、「レオナルド、ミケランジェロの素描」と「ティツィアーノの色彩」の対立であった。
 美術史上最も長寿な藝術家の一人。人生のそれぞれの段階を経て変化しながら成長しつづけ、晩年に頂点を極める。まれにみる幸運な画家である。若くして死んだジョルジョーネの後をつぎ、絵を描きつづける。ジョルジョーネの後半生を生きた。未完のジョルジョーネの作品『眠れるヴィーナス』(1510)を完成させる過程で、詩情を身につけた。
 1540年代、神聖ローマ帝国カール5世がパトロンになり、スペイン王フェリペ二世が顧客となった。
 バロック時代のルーベンス、ベラスケス、レンブラントに影響を与え、ロマン派のドラクロワ、ゴヤ、印象派、マネに影響を与えた、近代絵画の先駆者である。
■ルネサンスの巨匠たち・・・不運な人生
 これに対して、ルネサンスの偉大な藝術家たちは、不運な人生を生きた。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ。
 運命と戦い、運命と対峙し、運命に彷徨い、運命に死んだ藝術家である。
 私は、運命と戦い対峙した藝術家に、深く共感する。
■ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538
 ティツィアーノ48才ころ、円熟期の作品。ティツィアーノの最高傑作。
 えがかれたのは「女か、女神か」をめぐって諸説ある。蠱惑的な、誘惑するまなざしは、ヴェネツィアの高級娼婦を思わせるが、人をひきつけ魅惑する迫力は、ルネサンス藝術の一つの頂点である。必見。
 古代ギリシアから、アプロディーテは、人を魅惑し誘惑する、美と愛の女神である。
 古代から、ラテン語で、ウェヌスには、★★★★の意味がある。・・・・★は禁句。
■紀元前5世紀、古代ギリシアから、17世紀バロックまで
「有翼のエロス」赤像式アプリア 紀元前5世紀
「ドイダルサスのアプロディーテ」 ローマ時代の模刻 1世紀
「メディチ家のアプロディーテ」
ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538
「眠るエロス」 2世紀

☆『ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜』国立西洋美術館、2008年3月4日~5月18日
http://www.venus2008.jp/

★ギリシア神話についての問題
1、アプロディーテとは何ですか?
2、エロスとは何ですか?
3、パリスの審判とは何ですか?
4、3美神とは何ですか?
5、アモールとプシュケーの物語とは何ですか?

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