ルネサンス

2020年6月27日 (土)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展・・・ルネサンス、ヴェネツィアの放浪画家、マニエリスムの放浪画家

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第217回
資本主義史上最大の感染爆発、美術館は閉鎖され、都市封鎖。世界は時の歩みを止めた。
3月8日、ヴェネツィア都市封鎖、3月17日、パリ都市封鎖、3月22日、NY都市封鎖。
感染爆発を止めるか経済活動か、全体主義か自由主義か、自由か死か、人類は解くことのできないディレンマに直面している。
国立西洋美術館は2月27日から閉鎖、6月18日再開された。ルーヴル美術館は、3月閉鎖、7月6日、再開予定。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ルネサンス美術をイギリスに紹介したことに1つの業績がある。レオナルド工房、ジョバンニ・アンブロージオ・デ・プレディス『岩窟の聖母』1508、はここにある。
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人の密集する文明は異常である。大地の女神からみると、人類は傲慢に繁栄しすぎた。人のいなくなった都市には、碧空、羊、鹿、鳥、動物が現れる。 マリー・アントワネットのプチ・トリアノン宮には、300年前の風景が蘇った。
【人口削減計画】ゼウスは、増え過ぎた人口を調節するためにテミスと試案を重ね、大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意をした。そして、トロイア戦争を起こした。
『キュプリア』によれば,ガイアは、増えすぎた人間の重みに耐えかね,. しかも人間には神 を畏敬する心がまったくなかったため, ゼウスにこの重荷.を軽減してくれるようにと願い出た. ゼウスは同情してまずテーバイ戦争を起こし多数の人間を滅ぼした。
【黒死病、ルネサンス】1348年、フィレンツェで黒死病が流行。『デカメロン』1351。1348から1577年ヴェネツィアまで、イギリス、パリ、6回、感染爆発が起こる。ヨーロッパ全土に黒死病が蔓延。全人口の5割が死亡。1億人。
ヴェネツィアにかかわる2人の、ルネサンスの放浪画家、カルロ・クリヴェリ、マニエリスムの放浪の画家、エル・グレコに、思いを馳せた。
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
https://bit.ly/381zejw
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【放浪の奇才、装飾的で妖艶な祭壇画】カルロ・クリヴェリはヤコポ・クリヴェリの息子である。初めはジャコポ・ベリーニ、ヴィヴァリーニ工房、アントニオとバルトロメオ・ヴィヴァリーニ、ヴェネツィアに住むパドヴァ派の兄弟画家に学んだ。画風の特徴は、柔らかく艶麗な人物像、明確なモデリングと精密なディテール、金属的な装飾。パドヴァ派伝統の画風に触れ、アンドレア・マンテーニャの絵画の影響を受ける。
1457年、カルロ・クリヴェリは既婚女性を誘惑したとして、ヴェネツィアで姦通罪の刑期を務めた。
その後ヴェネツィアを去った。その後、彼はヴェネツィアの南にあるプロヴァンシア・ディ・アンコーナの都市で活動する。1487年からアスコリ・ビチェーノに住み、1482年3月25日、受胎告知の祝日、シクストゥス4世からこの都市が自治権を得たのを記念して『受胎告知』を描く。マルケ地方、ダルマチア地方で祭壇画の画家として「多翼祭壇画」を多数描く。1495年、65歳で死す。
Carlo Crivelli 1430-1495| 初期ルネサンス・ヴェネツィア派
Carlo Crivelli | Italian painter | Britannica
https://www.britannica.com/biography/Carlo-Crivelli
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【放浪の画家】エル・グレコEl Greco (1541年—1614年)、クレタ島に生まれ、1567年、ヴェネツィアへ渡航、ティツィアーノ工房で学ぶ。ローマに行く。アレッサンドロ・フェロネーゼ枢機卿の支援を受ける。1577年春、マドリードに渡航。エル・エスコリアル、トレドへ放浪した。ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488年~1576年)が仕えた、フェリペ 2世のエル・エスコリアル宮殿(1563年~1584年)の絵画制作のために渡航。フェリペ2世の宮廷画家になれず。『聖衣剥奪』(1577-1579トレド大聖堂)が評価されず。トレドに住み工房を営む。ヘロニマ・デ・ラス・クエバスとの間にホルヘ・マヌエルを残す。73歳で死す。
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★主な展示作品
カルロ・クリヴェッリ「聖エミディウスを伴う受胎告知」1486
エル・グレコ「神殿から商人を追い払うキリスト」1600
クロード・ロラン「海港」1644
レンブラント・ファン・レイン「34歳の自画像」1640年
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《劇場にて(初めてのお出かけ)》 1876-77年 油彩・カンヴァス 65×49.5cm
ヨハネス・フェルメール 《ヴァージナルの前に座る若い女性》 1670-72年頃 油彩・カンヴァス 51.5×45.5cm
フィンセント・ファン・ゴッホ 《ひまわり》 1888年 油彩・カンヴァス 92.1×73cm
クロード・モネ《睡蓮の池》(1899)
ジョゼフ・マロード・ ウィリアム・ターナー《ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス》(1829)
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ロンドン・ナショナル・ギャラリー展・・・ルネサンス、ヴェネツィアの放浪画家、マニエリスムの放浪画家
https://bit.ly/3g2iknx
美術館スケジュール2020年・・・旅する哲学者 美への旅
https://bit.ly/2YUimHh
【人口削減計画】ゼウスは、増え過ぎた人口を調節するためにテミスと試案を重ね、大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意をした。
https://bit.ly/2XoaNcd
感染爆発、帝国と都市国家の戦い。この世の果てを超えて、旅する詩人・・・「時の関節が外れた」シェイクスピア
https://bit.ly/2XoaNcd
世界の果てへの旅:The World's End ・・・理念を探求する旅人
https://bit.ly/2WylxmE
ウィルスと人類の戦い・・・感染爆発の歴史、アテネのペリクレス、ルネサンス、厩戸皇子 、盧舎那仏
https://bit.ly/2z32Orl
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★ロンドン・ナショナル・ギャラリー展、
国立西洋美術館、2020年6月18日~10月18日
国立国際美術館、2020年11月3日(火・祝)~2021年1月31日(日)
https://www.nmwa.go.jp/

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2020年2月 1日 (土)

レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年記念「夢の実現」展・・・レオナルドの夢、ルネサンスの夢

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第207回
レオナルドの夢、ルネサンスの夢。レオナルドは、生涯で完成させた作品、現存する作品は16点の絵画である。多くは未完成の状態か損傷があり、完全な姿で残る作品は4点。『モナリザ』『ヨハネ』『岩窟の聖母』『白貂を抱く貴婦人』。レオナルド『マギの礼拝』(ウフィッツィ)の完成予想はどうなるか、夢がどう実現されるのか。レオナルドの夢、美術史家、池上英洋先生の夢。壮観な展示、壮大なプロジェクト。1月17日シンポジウムも、論者たちが自由闊達、談論風発、知識の楽しみ。
失われた幻の名画『レダと白鳥』がある。これはレオナルド唯一のルネサンス絵画である。フォンテーヌブロー宮殿で消えた、この原作はどこにあるのか。
美術史家に、これからの探求を希望したい。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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1、「1974年のレオナルド」藤井匡 「モナリザ展」東京国立博物館
2、「レオナルドの神秘思想」池上英洋
【レオナルド『ヨハネ』1513-16】遺作、最後の作品、レオ10世=ジョバンニ・デ・メディチの注文か。『饗宴』アンドロギュノス、両性具有、男女一体。グノーシス主義、善悪二元論、魂と肉体、追求すべきは肉体からの解放としての死。『ユダの福音書』『神名論』、Unum。フランソワ1世、フォンテーヌブロー宮殿の装飾回廊。フィチーノ『ヘルメス文書』ピコ『人間の尊厳について』。【アナロギアと終末観】レスター手稿(池上訳)水のスケッチ、草のスケッチ。葉脈→血管→河川。幹→柱→背骨。ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチが死去、フランスへ旅立つ。レオナルド「水は神的存在」、システィーナ礼拝堂、最後の審判、レオナルド「世界の終末」が描かれた可能性がある、1516-19。
3、「《モナリザ》と解剖学」布施英利
【レオナルドの解剖学は受け継がれた】【回内と回外】「最後の晩餐」は見事に回内と回外で、左右、分かれる。【レオナルドの微笑み】モナリザは微笑んでいない。微笑みには二つの微笑み。「モナリザ」は部分がバラバラ、左右、各部。部分の再構成が微笑みを構成する。
4、「レオナルドとスコラ哲学」原基晶【レオナルド『絵画論』メルツィが編纂】レオナルド「プネウマ」アリストテレス説。
5、「レオナルドとカラヴァッジョ」宮下規久朗
【レオナルド『最後の晩餐』は、ミラノ派に影響】カラヴァッジョはミラノ出身。ジャン・ピエトリーニ『最後の晩餐』。ミラノ派静物画。カラヴァッジョ『果物籠』『果物をもつ少年』。フランチェスコ・メルツィ『フローラ』。マルコ・ペロッツィ『サリヴドール・ムンディ』 。レオナルド「キスをする子供たち」、ベルナルディーノ・ルイーニ『聖家族と幼児ヨハネ』(プラド美術館蔵)。
1500年、レオナルド、ヴェネツィアに行く。ヴェネツィア派に影響、スフマート。レオナルドの「振り向くポーズ」。ジョバンニ・ベッリーニ工房、ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」、ジョルジョーネ1510死す。
6、「レオナルドと賢者の石」茂木健一郎
【レオナルド「モナリザ」、生きた証し】レオナルド、画家である、万能の天才ではない。茂木健一郎Magnum Opus。現代の日本は、低劣。超写実絵画は、薄っぺらい。 『動植綵絵』は、伊藤若冲の畢生の大作magnum opusである。もし『動植綵絵』がなかったら、伊藤若冲は超絶技術の奇想の画家ではあったろうが、今の若冲ではなかったろう。生きものへの祈り。
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池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』筑摩書房、2019
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」「藝術新潮」2011.11 10-91頁
宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』岩波書店、2016
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(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、
清水純一『ルネサンスの偉大と頽廃 ジョルダーノ・ブルーノの生涯と思想』
清水純一『ジョルダーノ・ブルーノ研究』
イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
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★参考文献
孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー
https://bit.ly/3aX26KN
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館・・・レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」
https://t.co/yxlgRpwirV
ラファエロ、1505年、レオナルドに会う
https://bit.ly/2vxQDB1
――
池上英洋先生がレオナルド作とした16点は何か。
1)《ジネヴラ・デ・ベンチ》
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
2)《受胎告知》
ウフィツィ美術館蔵
3)《ブノワの聖母》
エルミタージュ美術館蔵
4)《カーネーションの聖母》
アルテ・ピナコテーク蔵
5)《サルヴァトール・ムンディ》
個人蔵(ルーヴル・アブダビ美術館に寄託展示予定)
6)《聖ヒエロニムス》
ヴァチカン絵画館蔵
7)《聖アンナと聖母子》
ルーヴル美術館蔵
8)《白貂を抱く貴婦人》
クラクフ、チャルトルスキ美術館蔵
9)《ラ・ベル・フェロニエール》
ルーヴル美術館蔵
10)《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》
ルーヴル美術館蔵
11)《洗礼者ヨハネ》
ルーヴル美術館蔵
12)《糸巻きの聖母》(ランズダウン版)
個人蔵
13)《岩窟の聖母》第一ヴァージョン
ルーヴル美術館蔵
14)《岩窟の聖母》第二ヴァージョン
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
15)《東方三博士の礼拝》
ウフィツィ美術館蔵
16)《最後の晩餐》
サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会修道院蔵
――
「夢の実現」展、代官山ヒルサイド・フォーラム、2020年1月5日(日)~1月26日(日)
レオナルドのさまざまな顔 ―その多面性をひもとく、代官山ヒルサイドプラザホール
2020年1月17日(金)開場12:30/開演13:00~16:00 http://leonardo500.jp/event 
――
★Adoration Of The Magi  Filippino Lippi 1496 Uffizi Gallery

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2018年7月11日 (水)

孤高の藝術家、ミケランジェロ・・・メディチ家の戦いと美の探求、プラトンアカデミー

      Michelangelo-aurelioamendolamichelangelo Michelangelo_pieta_1499_detail大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第149回
ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する人間の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない」「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』* (1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、美しい糸杉の丘、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、人間の曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
――
【メディチ家と法王庁との戦い】メディチ家はシクストゥス4世と戦い、ミケランジェロはユリウス2世と対決する。メディチ家ジュリアーノはパッツィ家の陰謀で暗殺され、ロレンツォは1492年死に、詩人ポリツィアーノは毒殺され、ピコ・デラ・ミランドラも毒殺され、フィチーノは1499年死ぬ。ジョルダーノ・ブルーノは1600年死ぬ。
ミケランジェロは、銀行家ブォナロティ家は没落、6歳で母が死ぬ。14-17歳の時、ロレンツォの家にて養育される。ミケランジェロ、理想の美の探求が始まる。メディチ家とプラトン・アカデミーに教えられる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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1、メディチ家の戦い 黄金時代のロレンツォ
ボッティチェリ『春』1482『ヴィーナスの誕生』1485『東方三博士の礼拝』1476。
描かれたジュリアーノ・デ・メディチは25歳で死ぬ。シモネッタ・ヴェスプッチは23歳で死ぬ。ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』1476。コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ、ピエロ、ポリツィアーノ、ボッティチェリ(1445-1510)の容姿が描かれている。
ミケランジェロ(1475-1564)は、ロレンツォの家で養育される(1489-1492)。88歳まで生きる。
招かれざるレオナルド、ミラノへ去る。現代では「万能の天才」と呼ばれる。
2、ルネサンス、包囲されたフィレンツェ ロレンツォ暗殺の陰謀、フィレンツェ包囲網、対教皇庁戦争(1474-1480)。イタリアの戦国時代。ロレンツォ(1449-1492 1469から当主)は、稀代の戦略家であり教養人である。イタリアの天秤の針。1479ナポリ王フェランテを説得、和平交渉する。
パッツィ家の陰謀(1478)。真の犯人は、フィレンツェに敵対する、戦争好き陰謀家の法王。陰謀家シクストゥス4世(在位1471-1484)の陰謀。銀行家パッツィに命じる。
3、メディチ家とプラトン・アカデミー
コジモ・デ・メディチ(1389-1464)は、1439年、哲学者ゲミストス・プレトンからプラトン哲学の奥義の講義を受け感銘する。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設する。(Ficinno Opera Omnia, Vol2) マルシリオ・フィチーノにプラトン全集の翻訳を託す。
ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は、1492年4月8日、43歳で死ぬ。公的な肩書はない。アンジェロ・ポリツィアーノ、ピコ、思想家たちは、1498年までにつぎつぎと毒殺(砒素)される。ピエロ・デ・メディチ・イル・フォルトゥオ(愚者)が、敵に調略された。1499年、マルシリオ・フィチーノ(1449-1499)、死ぬ。
4、孤高の藝術家、ミケランジェロ 古代の美の探求
【メディチ家の戦いの精神史】理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』にはルネサンスの美貌が刻まれている。レオ10世の依頼でヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(Giuliano de' Medici duca di Nemours.1479-1516)像を制作1526—31。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「ラオコーン」レオカレス「ベルヴェデーレのアポロン」「ベルヴェデーレのトルソ」の美を探求した。
5、ルネサンス 古代彫刻の発見
「ラオコーン」は1506年ローマ、ネロの黄金宮殿跡にて発見された。ロドス島の3人の彫刻家の原作による。ハリカルナッソスのレオカレス原作による「ベルヴェデーレのアポロンBelvedere Apollo」は、1499年アンティウムのネロの夏の離宮から発見され、「エスクィリーノのヴィーナスEsquiline Venus BC1c」はエスクィリーノの丘から発見された。ミケランジェロは「ベルヴェデーレのトルソBelvedere Torso」を研究し天井画に応用した。
古代ローマの皇帝ネロ(54-68)や皇帝ハドリアヌスは、ギリシア文化を愛した。ネロはギリシア彫刻を愛しコレクションを所蔵していた。ネロはギリシア彫刻を集め宮殿に並べていた。古代彫刻の数々の傑作「ラオコーン」「エスクィリーノのヴィーナス」「ベルヴェデーレのアポロン」は、ネロのコレクションのなかにあった。ネロはパラティヌスの丘からカピトリヌスの丘まで「渡り宮殿」(ドムス・トランシトリア)を建設したが、ローマが大火で炎上し、廃墟の跡に「黄金宮殿」(ドムス・アウレア)を建設した。エスクィリヌスの丘は、黄金宮殿の跡である。ネロは美を追求した。美に溺れ、美的趣味を探求した詩人皇帝である。
6、メディチ家とプラトン・アカデミー
15世紀に蘇った哲学はプラトン哲学である。1439年7月6日フィレンツェ公会議で、コジモ・デ・メディチはギリシア人哲学者プレトンの講義をきき、プラトン哲学の奥義に感銘をうけ、「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。コジモは、1462年マルシリオ・フィチーノにプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を依頼した。コジモは1464年に死ぬ。しかしフィチーノは1477年に完成した。ロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)は1492年死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬ。だが、フィレンツェから始まったルネサンスはヨーロッパ文化史に深い影響を与えた。*
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である。*フィレンツェ・プラトン主義の愛と美の哲学はミケランジェロたちルネサンスの藝術家に影響を与えた。「魂の美は、肉体における美より美しい」「魂の眼は肉眼が老いる時やっと輝き始める」*
7、プラトン哲学の奥義
プラトン・アカデミーの思想家が学んだプラトン哲学の奥義は、魂の哲学と美の哲学である。「魂は不死不滅である」。「本質は眼で見ることができない」「本質は心の眼によってのみ見ることができる」。「魂の美が存在する」「魂の美は、肉体における美より美しい」。魂と本質の哲学である。プラトン哲学の影響は、フィチーノ『プラトン神学』『饗宴注解』に顕著である。*
8、ルネサンスの終焉、メディチ家追放、サヴォナローラの死
ロレンツォがピコの助言により招いたサヴォナローラに欺かれ裏切られる。サヴォナローラは、間諜=工作員(死間『孫子』用間編)である。シャルル8世のフィレンツェ侵攻(1494年)を予言。1494年、メディチ家、フィレンツェから追放される。「虚飾の焼却」1498年、ルネサンスの藝術、焼かれる。サヴォナローラ、法王アレクサンデル6世を批判、怒り受け破門。1498年5月23日、シニョーリア広場にて処刑される。16世紀、ミケランジェロのマニエリスムの時代、17世紀、カラヴァッジョのバロックの時代が始まる。マニエリスムの藝術家は、フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)を駆使する。*
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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*ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』(1530)  フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)
ミケランジェロ『ダヴィデ=アポロ』Michelangelo,Davide=Apollo(1530)にはミケランジェロ彫刻の特徴となる要素が全て詰まっている。「大理石でできている。そして、コントラポストのポーズをとっているが、それ以上にミケランジェロ独特のフィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)という螺旋状の曲がりくねる動きが見られる。このポーズは彼の絵画『聖家族』でも用いられ、その他の多くの芸術家たちも真似をしている。マニエリスムの藝術家たち。ミケランジェロは、レオナルドと同様、解剖学を研究してその結果を背中や腰の筋肉に反映している。この作品は未完成である。ミケランジェロの作品には、大理石の欠陥や彼自身の思いによって未完のものが多くある」第3章ミケランジェロについて描かれた絵画や文献から彼自身の人間性について。「大理石の塊の中には、すでに潜在的に完成された像が内包されており、自由になるのを待っている。彫刻家はその像を解放するのだ」とミケランジェロは言っていた。それは、「人間の魂が肉体の束縛から解放されて、魂の世界に到達できる」という新プラトン主義の考えと共通する」ルドヴィーカ・セブレゴンディ、報道内覧会にて2018年6月18日
――
参考文献
大久保正雄「美の奥義 プラトン哲学におけるエロス(愛)とタナトス(死)」2013
大久保正雄「魂の美學 プラトンの対話編に於ける美の探究」上智大学1993
大久保正雄「ギリシア悲劇とプラトン哲学の迷宮 ―ことばの迷宮―」2010
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説と詩のことば―」2011
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)
(プラトン『饗宴』)
ミケランジェロ作品一覧
ミケランジェロ『ピエタ』1498-1500ミケランジェロ『ダヴィデ』1504ミケランジェロ『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』1526-31ミケランジェロ『勝利』1526-30ミケランジェロ『ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ』1524-31
『階段の聖母』1492『ケンタウロスの戦い』1492『バッカス』1497『復活のキリスト』1521『フィレンツェのピエタ』1547-1553『ロンダニーニのピエタ』1564
『聖家族』1507『システィーナ礼拝堂天井画』1512『最後の審判』1541
「ミケランジェロと理想の身体」図録、国立西洋美術館2018
片桐史恵.「ミケランジェロの死生観に関する一考察 : 作品「ピエタ」を中心に」
――
★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術
https://bit.ly/2KFGXvc

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2018年7月 8日 (日)

「ミケランジェロと理想の身体」・・・孤高の藝術家、ミケランジェロ、生涯と藝術

Michelangelo2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第148回
ミケランジェロ『ダヴィデ・アポロ』(1530)をみると、イタリアを旅した青春の日々、憂愁のフィレンツェを思い出す。ゴシック藝術はキリスト教主題だが、ルネサンス藝術では古代ギリシア主題を表現する藝術家があらわれる。一点透視図法、遠近法、スフマート、曲線美を追求する。ルネサンスの藝術家は、なぜ古代ギリシアの美を追求したのか。
メディチ家の戦いの精神史に、理念を探求する者の苦悩が刻まれている。ミケランジェロ『ピエタ』『ダヴィデ』『ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ』に、ルネサンスの美貌が刻まれている。ロレンツォの時代、ユリウス2世の時代、レオ10世、クレメンス7世の時代。詩人の時代。ミケランジェロは88歳まで人間の美を探求する。「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない」「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」ミケランジェロ
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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1、【ミケランジェロ、苦難の少年】1475年、アレッツォ近郊フィレンツェ共和国のカプレーゼに生まれた。銀行家ブオナロティ家に生まれるが、銀行業は没落。ミケランジェロ一家は石工の一家と共にセッティニャーノに住む。1481年ミケランジェロ、6歳の時、長い闘病生活の末、母フランチェスカが死去。苦難の人生の旅立ち。
2、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、運命の扉】13歳のときに画家ドメニコ・ギルランダイオに弟子入り。1489年メディチ家ロレンツォ・デ・メディチがギルランダイオに、最も優れた弟子を求め、1490年から1492年、ミケランジェロはメディチ家が創設したプラトン・アカデミーに参加。ロレンツォの家で養われる。1492年4月8日ロレンツォ・デ・メディチ、死去する。
3、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、美しき青春】14-15歳、メディチ家のサンマルコ庭園に通う。古代彫刻を学ぶ。ロレンツォの家にて『階段の聖母』(1491年)『ケンタウロスとの戦い』(1492年)制作。1492年4月8日、ロレンツォ・デ・メディチ、死去。17歳の時、メディチ家を去る。21歳、ローマにて『クピド』『バッカス』(1496年)を制作。
4、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、最高傑作】23歳で『ピエタ』(1498年) 枢機卿ジャン・ピエールのために製作を開始。フィレンツェ共和国のために、29歳で『ダヴィデ』(1504年) を制作。天才と呼ばれる。
ミケランジェロ『ピエタ』は、若い女の膝に死せるキリストが横たわっている。憂愁のただよう空間、若い女の悲しみ、子の死。なぜ若いマリアが刻まれたのか。6歳で死別した母の面影が蘇る。
ミケランジェロ『ダヴィデ』(1504年) 。イスラエル人の羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテと戦い、投石器から放った石で倒し、剣で首を斬る。巨人に立ち向かう人間。フィレンツェ共和国が包囲された対抗勢力に対して戦う姿。
*【ダヴィデ、ゴリアテと戦う】イスラエル人の羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテと戦い、投石器から放った石を額に当てて昏倒させ自らの剣で首を刎ねて絶命させた。「第一サムエル記第17章」。
*1501年フィレンツェ造営局は26歳の若きミケランジェロに委託することを決定した。1501年8月16日、ミケランジェロはこの困難な仕事を引き受ける契約を正式に交わした。1504年1月25日、ダヴィデ像の置き場所をめぐる会合を開き、シニョーリア広場に決定。1504年9月8日に公開された。
5、【ミケランジェロ、法皇ユリウス2世と確執】1503年デッラ・ローヴェレ家ユリウス2世が法皇になる。1505年『ユリウス2世霊廟』制作依頼される。1508年、天井画制作を依頼される。ミケランジェロ天井画制作を嫌う。1512年、37歳『システィーナ礼拝堂天井画』完成。1513年、ユリウス2世、死去。
6、【ミケランジェロ、メディチ家レオ10世】1513年、ロレンツォ・イル・マニフィコの息子レオ10世、教皇に即位。1516年、41歳の時、レオ10世が、サン・ロレンツォ聖堂ファサードを依頼。1521年、レオ10世、ルターを破門。レオ10世、死去。『ミネルヴァのキリスト』(1521年)サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会。
7、【ミケランジェロ、メディチ家クレメンス7世】1524年、49歳、クレメンス7世の委嘱により『ラウレンツィアーナ図書館』建設開始。1526年、51歳、メディチ家墓廟にウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ墓廟『黎明』『黄昏』(1524-1531) に着手。ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ墓廟『昼』『夜』(1524-1531)制作。
8、【ミケランジェロ、ローマ】1534年、クレメンス7世死去。ミケランジェロ、59歳、ローマに移住。1541年、68歳、『最後の審判』除幕。
9、【ミケランジェロとヴィットリア・コロンナ】1535年、貴婦人ヴィットリア・コロンナと出会う。ミケランジェロ、60歳。ミケランジェロ、300篇のソネットを、ヴィットリオ・コロンナに書く。1547年、ヴィットリア死す。(Vittoria Colonna, 1490-1547)。ミケランジェロ65歳、ヴィットリア50歳のとき、『ヴィットリア・コロンナを描いたミケランジェロの素描』大英博物館所蔵(1540年)。
10、【ミケランジェロ、旅の果て】
1548年、73歳の時、サン・ピエトロ大聖堂建築監督に任命される。84歳の時、『ロンダニーニのピエタ』(1559-1564)制作。ミケランジェロ、1564年、88歳、ローマにて死す。
11、【孤高の藝術家、ミケランジェロ、孤高な性格】ミケランジェロは、気難しく自尊心が強く人を寄せ付けぬ性格で、孤高の藝術家である。敵対する者に対しては容赦なく、復讐した。教皇レオ10世「ミケランジェロは誰の手にも負えない」。ルドヴィーカ・セブレゴンディ
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【レオナルド、波瀾の生涯】この上なく美しかったレオナルド・ダ・ヴィンチの容貌の素晴しさは、見る者のどんなに悲しい気持をも晴れやかにした。彼が口を挟むと、どんなに頑固な意志も、肯定にも否定にも自由に転じた。彼の力はいかなる激しい怒りをも抑え、また右手で鉄の鐘や、鉄の馬蹄を鉛の如くよじ曲げることができた。ヴァザーリ『芸術家列伝』
レオナルド・ダ・ヴィンチは実に快く会話をし、人の心を惹きつけた。また、何も所有しておらず、無一物というべきで、ほとんど働かなかったが、常に従者を雇い馬を飼っていた。馬をたいへん愛し、他の動物も全てこの上なく愛し、忍耐強く飼い慣らしていた。ヴァザーリ『芸術家列伝』
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「ミケランジェロと理想の身体」展示作品の一部
『ダヴィデ=アポロ』ミケランジェロ・ブオナローティ
1530年頃 フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵 高さ147cm 大理石 Firenze
『若き洗礼者ヨハネ』ミケランジェロ・ブオナローティ
1495-96年 ウベダ、エル・サルバドル聖堂/ハエン(スペイン)、メディナセリ公爵家財団法人蔵 高さ130cm 大理石
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参考文献
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー2016
https://t.co/yxlgRpwirV
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
https://bit.ly/2kSINKR
「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、レオナルド「レダと白鳥」
https://t.co/K67IitKt5r
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
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★「ミケランジェロと理想の身体」国立西洋美術館、2018年6月19日-9月24日
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

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2017年6月30日 (金)

「レオナルド×ミケランジェロ展」・・・レオナルド「レダと白鳥」

Leda_melzi_uffiziFrancesco_melzi_st_anne_with_the_viLeonardomichelangelo2017大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第118回 
緑深い午後、三菱一号館美術館に行く。緑陰の木洩れ日の中庭で、友人と会話すると美しい日々を思い出す。美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンの宴。悲劇詩人の祝宴の美しい精神の自由な饗宴。失われたレオナルド「レダと白鳥」の面影。
よい画家には、描くものが二つある。人間とその魂である。人間を描くことはたやすいが、魂を描くのは難しい。レオナルド・ダ・ヴィンチ
よい絵画は、知だけが感じ取ることができる音楽や旋律だ。だがそれは困難だ。こうした絵画は滅多にない。それを手に入れられる人はほとんどいない。
ミケランジェロ
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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レオナルドとミケランジェロ
ひとは運命と対峙することがある。だが、知性によって、運命を克服することができる。「運命はわたしたちがつくるものである。いまからでも遅くない。いまをどう生きるかで、未来が決まる」『ガンディー 魂の言葉』。レオナルドとミケランジェロは、困難な環境にあって、運命と対峙し、超克した。不屈の魂である。
レオナルドとミケランジェロの対決
レオナルドとミケランジェロは「宿命の敵」と呼ばれる。レオナルドとミケランジェロは、25歳の年の差がある。レオナルドとミケランジェロは、ルネサンスの類いなき巨匠であるが、対立し、対峙した。比較芸術論争(paragone)で、絵画が優越するとするレオナルドと彫刻が優越するとするミケランジェロは対立した。
五百人広間の壁画
1503年、五百人広間の壁画制作を競作。レオナルドは「アンギアリの戦い」、ミケランジェロは「カッシーナの戦い」を制作した。フィレンツェ共和国のピエロ・ソデリーニがミケランジェロに発注したヴェッキオ宮殿の壁画「カッシーナの戦い」ミケランジェロは下描きが終わった段階で、ユリウス2世によりローマへ呼び戻され、「カッシーナの戦い」は未完に終わった。レオナルド「アンギアリの戦い」は素描から彩色の段階で中断する。
論争
1504年ミケランジェロは「ダヴィデ像」を制作した。「ダヴィデ像」の置き場をめぐって、フィレンツェ市庁舎前の広場に置くか、屋内に置くか論争になった。ミケランジェロは広場に置くことを主張した。
卓越した素描(disegno)
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/岩窟の聖母の天使のための習作」(1483-85年)は、バーナード・ベレンソンに「最も美しい素描」と呼ばれた。1505年、レオナルドは「レダ」を描き、工房を訪れたラファエッロに見せた。ラファエッロは、「モナリザ」と「レダ」の素描を描いた。
ミケランジェロは後年、レダの主題に取り組む。ミケランジェロ「レダと白鳥の頭部のための習作」)1530年)がある。
運命との戦い 失われた母の面影
レオナルドとミケランジェロは、悲傷の少年時代を生きた。レオナルドは、母カテリーナと別れて生きた。父セル・ピエロに捨てられ、祖父叔父に育てられる。祖父叔父は一生、無職のまま生きた。ミケランジェロは、6歳で母が死ぬ。ブオナローティ家は、銀行業を営んでいたが失敗し破綻した。ミケランジェロは、17歳の時から、ロレンツォ・デ・メディチに養育される。しかし、3年後、ロレンツォは死去する。
レオナルドは「レダ」「聖アンナと聖母子」の母、「岩窟の聖母」の天使、他、美しい女性像を探求しつづけた。ミケランジェロは「ヴァチカンのピエタ」「レダ」において美しい女性像を造形しつづけた。二人が追い求めたのは、失った母の面影である。失われた愛は、永遠に美しい。
*レオナルド「レダ」素描1506ウィンザー城王立図書館
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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失われたレオナルド「レダと白鳥」
レオナルド「レダと白鳥」(1503—1519)を求めてヨーロッパを旅した日々を思い出す。レオナルド派「レダと白鳥」は、ボルゲーゼ、ウフィツィでみた。レオナルド派「レダと白鳥」(1505-10年頃 ウフィツィ美術館)は、フランチェスコ・メルツィの作である。フォンテーヌブロー宮殿所蔵品目録にあったレオナルド「レダと白鳥」は、いま、どこにあるのだろうか。
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レダと白鳥
絶世の美女レダは、双子の美女クリュタイムネストラとヘレネを生んだ。
テュンダレオスは、テスティオスの娘レダを娶った。レダが余りにも美しかったため、ゼウスは、白鳥の姿となってレダと交わり、2つの卵から2組の双子が生まれた。カストールとポリュデウケースの兄弟とクリュタイムネストラとヘレネの姉妹である。カストールは戰爭の術に通暁し、ポリュデウケースは拳闘の技に熟達、ディオスクーロイ(ゼウスの子)と呼ばれた。姉妹は、スパルタの兄弟と結婚した。ヘレネは、スパルタ王メネラオスと結婚し、クリュタイムネストラは、メネラオスの兄ミュケナイ王アガメムノンと結婚した。(cf.アポロドーロス『ビブリオテーケー』)アガメムノンとメネラオスは、ともにアトレウスの子である。アガメムノンとクリュタイムネストラの間に生まれた子が、エレクトラ、オレステス、イピゲネイアである。2人の美女は運命の子である。クリュタイムネストラは夫である王アガメムノンを殺害し、ヘレネはトロイ戰爭の原因となった。絶世の美女は不幸の原因であった。クリュタイムネストラとヘレネは、美貌ゆえに、人を惑わし破滅させた。美しい容貌の下に、醜い心が隠れている。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
愛と復讐 アイスキュロス『オレステイア』三部作
https://t.co/httDdX6Bvr
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*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
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展示作品の一部
Francesco Merziレオナルド派「聖アンナと聖母子」1508-20年頃ウフィツィ美術館
Francesco Merziレオナルド派「レダと白鳥」1505-10年頃 ウフィツィ美術館
©Firenze, Gallerie degli Uffizi, Gabinetto fotografico delle Gallerie degli Uffizi
レオナルド・ダ・ヴィンチ「少女の頭部/<岩窟の聖母>の天使のための習作」1483-85年頃 トリノ王立図書館 ©Torino, Biblioteca Reale
ミケランジェロ・ブオナローティ「<レダと白鳥>の頭部のための習作」1530年頃 カーサ・ブオナローティ©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
レオナルド・ダ・ヴィンチ「大鎌を装備した戦車の二つの案」1485年頃 トリノ王立図書館
フランチェスコ・ブリーナ(帰属) 「レダと白鳥(失われたミケランジェロ作品に基づく)」
1575年頃 油彩/板 500×605 カーサ・ブオナローティ
©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarroti
ミケランジェロ・ブオナローティ「十字架をもつキリスト」1514-1516年、大理石 2500(キリスト像だけで2010)mm、サン・ヴィンチェンツォ修道院聖堂蔵
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★「レオナルド×ミケランジェロ展」三菱一号館美術館、2017年6月17日(土)〜2017年9月24日(日) 東京都千代田区丸の内2-6-2
http://mimt.jp/lemi/
★「レオナルド×ミケランジェロ展」岐阜市歴史博物館、2017年10月5日~11月23日

Leonardo, Leda and swan, Uffizi, 1505-10
Leonardo, St Anna and Madonna with baby, Uffizi, 1508-20

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2017年2月 7日 (火)

メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族

Giuliano_de_medici_michelangeloPalazzo_medici

大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
ルネサンス最高の美貌とされる。ジュリアーノ。
ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、37歳で死す。ジュリアーノ・デ・メディチ、パッツィ家の陰謀事件で、25歳で死ぬ。
コジモとロレンツォ 容貌魁偉だが、優れた人間性に人は感銘を受けた。ロレンツォの知性と教養に、ナポリ王は圧倒された。
ヌムール公ジュリアーノとウルビーノ公ロレンツォ。ロレンツォ・イツ・マニフィコの遺児たち。
カトリーヌ・ド・メディシス、フランス王アンリ3世王妃となる。運命に翻弄されながら、異国で意志を貫く。

アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である*
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
永遠を旅する哲学者は、時を超えて、理念を追求する魂の神殿を旅する。美のイデアへの旅。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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【ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ】
ルネサンス最高の美貌とされる。
Giuliano di Lorenzo de' Medici、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ
37歳で死す。
(1479年3月12日 - 1516年3月17日)
Giuliano di Lorenzo de' Medici, Duca di Nemours (Firenze, 12 marzo 1479 – Firenze, 17 marzo 1516)
ミケランジェロ『メディチ家礼拝堂』1555年、Michelangelo, Cappela di Medici, 1555
ヌムール公、ジュリアーノ・デ・メディチの霊廟には「夜(眠る若い女性)」と「昼(男性)」、ウルビーノ公、ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチには、「夕暮(年老いた男性)」と「曙(眠りから覚める女性の姿)」と名づけられた彫刻が、施されている。

【ウルビーノ公ロレンツォ】
ウルビーノ公ロレンツォ。ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ(Lorenzo di Piero de 'Medici, Duke of Urbino,1492年9月12日 - 1519年5月4日)
イタリアのフィレンツェの僭主(1516年から1519年までその権力をもつ)、ニッコロ・マキャヴェッリの『君主論』はロレンツォに献上された。27歳で死す。

【コジモ・デ・メディチ】
Cosimo de' Medici,1389 – 1 August 1464 Pontormo
コジモはフィレンツェに納められた税金の65%を負担し、死後ローマ皇帝にならい「祖国の父」「pater patriae」の称号を贈られた。1429年に父が亡くなり、メディチ家当主となる。1433年、政変が起こりフィレンツェを追放される。翌年、反対派のアルビッツィ家が失脚・追放され、コジモはフィレンツェ共和国に帰還する。
Cosimo di Giovanni de' Medici (il Vecchio) and, posthumously, Father of the Nation' (pater patriae); 10 April 1389 – 1 August 1464)

【ロレンツォ・デ・メディチ】
(Lorenzo de 'Medici, Il Magnifico)ロレンツォ・イル・マニフィコ1449-1492

【ジュリアーノ・デ・メディチ】
Giuliano de' Medici, 1453-1478 25歳で死ぬ。

【カトリーヌ・ド・メディシス】
Catherine de Médicis, (1519年4月13日 - 1589年1月5日)
出産後に母が亡くなり、間もなく父も亡くして孤児となる。オルシーニ家の養女となる。0歳。
1527年、フィレンツェにおけるメディチ家の政権は打倒され、カトリーヌは人質とされて女子修道院に入れられる。8歳
1529年10月、カール5世の軍隊はフィレンツェを包囲。【フィレンツェ包囲】10歳
1530年8月12日にフィレンツェは陥落、教皇クレメンス7世はカトリーヌをローマへ呼び寄せる。
カトリーヌがローマを訪れた時、ヴェネツィア大使は「小柄で痩せており、顔立ちに優美さはなく、またメディチ家特有の突き出た目をしている」。カトリーヌは従兄のイポリットと恋仲になっていたが、教皇クレメンス7世は野心家の彼を退け、婿探しを始める。数多くの求婚者がいた。
1533年、ローマ教皇クレメンス7世とフランス王フランソワ1世の間で縁組交渉が纏まり、フランスの第2王子と結婚。14歳。
1534年9月25日、教皇クレメンス7世が死去するとフランス宮廷におけるカトリーヌの立場は悪化。新教皇パウルス3世はフランスとの盟約を破棄。

コジモ1世
コジモ1世(Cosimo I de' Medici, 1519年6月11日 - 1574年4月21日)は、初代トスカーナ大公。勇敢な傭兵隊長「黒隊長」ジョヴァンニ(1498-1526年)と、その妻ロレンツォ・デ・メディチの孫マリーアの間に生まれる。
アンジェロ・ブロンズィーノを抱え、多くの肖像画を描かせた。
Bronzino - Eleonora di Toledo with her son Giovanni de' Medici

教皇レオ10世
レオ10世(Leo X 1475年12月11日 - 1521年12月1日)ルネサンス期のローマ教皇(在位:1513年 - 1521年)。本名ジョヴァンニ・デ・メディチ(Giovanni de Medici)。ローマのルネサンス文化は最盛期を迎えた。ロレンツォ・デ・メディチ・イル・マニフィコの次男。

教皇クレメンス7世
クレメンス7世(Clemens VII 1478年[1]5月26日 - 1534年9月25日)
ローマ教皇(在位:1523年 - 1534年)。本名、ジュリオ・デ・メディチ(Giulio de' Medici)。2代前のレオ10世の従弟(パッツィ家の陰謀で殺害されたジュリアーノの遺児)。

アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチ
(Anna Maria Luisa de'Medici, 1667年8月11日 - 1743年2月18日)、ピッティ宮殿で暮らした最後のメディチ家直系。 トスカーナ大公コジモ3世とマルゲリータ・ルイーザ(オルレアン公ガストンの娘)の娘。
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参考文献
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/J6q12oMYUX
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
大久保正雄『美の探求、旅する哲学者、美への旅』
https://t.co/oMWzv4rP2c
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/J9r9OZN2vP
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅
https://t.co/RggoniP3wD
プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅
https://t.co/AC2EF2HKDB
『戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹』
https://t.co/TtfGTKcUEL
美とは何か
【ソクラテスの祈り】
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
哲学者の魂 ソクラテスの死
https://t.co/K1EiSrdg79
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Giuliano di Lorenzo de' Medici, Michelangelo, Cappela di Medici, 1555
Vasali,Lorenzo de 'Medici,ヴァザーリ「ロレンツォ・デ・メディチ」
Pontormo ,Cosimo de' Medici「コジモ・デ・メディチ」
2017年2月7日
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』

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2017年2月 1日 (水)

ティツィアーノとヴェネツィア派・・・・光彩陸離、滅びゆくルネサンス

2016_tizianoTiziano_venere_di_urbino_1535_uffiz大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
ティツィアーノとヴェネツィア派、光彩陸離、滅びゆくルネサンス
森を歩いて、冬の午後、都美術館に行く。
イタリアの秋、ヴェネツィアの迷宮都市を歩いた日々。リアルト橋、サン・マルコ寺院、サンジョルジョ・マッジョーレ島、ドカーレ宮殿、ホテル、ダニエリHotel Danieliを思い出す。「ヴェネツィア共和国1200年」の光と影、行きし世の面影。15世紀はメディチ家の世紀、16世紀はヴェネツィアの世紀。旅人は、時の迷路に迷い込む。「ホテル、ダニエリ」、グランドカナルに臨む、迷宮ホテル。ヴェネツィア派は、何故、ヴィーナスのヌードを愛好したのか。

美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
■サン・マルコ寺院の残照
グランド・カナルを船で行き、サン・マルコ広場に上陸すると、サン・マルコ寺院は黄金の残照に輝いている。夢の都。水の都、迷宮都市。ヴェネツィアの干潟(ラグーナ)の上に立つ、幻の都市。夢うつつの迷宮都市。
■ヴェネツィア派の最高傑作 ジョルジョーネとティツィアーノ
ヴェネツィア、フィレンツェ、ドレスデンを歩き、ヴェネツィアの巨匠の作品を見た旅を思い出す。
ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』1510、『嵐』1508。ティツィアーノ『聖母被昇天』1515、『ウルビーノのヴィーナス』1538。
ジョルジョーネ(1477—1510)は、33歳で死ぬ。ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、88歳まで生きる。
ジョルジョ・バルバレッリ・ダ・カステルフランコ (Giorgio Barbarelli da Castelfranco)は謎の画家である。
光彩陸離。ヴェネツィア派は、色彩、線描なき絵画、油彩で、フィレンツェ派と対比される。フィレンツェ派は、線描、テンペラ画。
ティツィアーノの妻セシリア*
ティツィアーノの故郷ピエーヴェ・ディ・カドーレ出身の理髪師の年若い娘。5年にわたってジョルジョーネ家の家政を取り仕切る内縁関係にあった。セシリアと正式に結婚した。1530年8月にセシリアはラヴィニア出産時の産褥で死去した。
★15世紀フィレンツェ、16世紀ヴェネツィア
16世紀は、ヴェネツィアの世紀である。ティツィアーノ、「ハプスブルグ家の宮廷伯爵、黄金拍車の騎士」となる。
15世紀は、メディチ家の世紀である。フィレンツェのルネサンスは、1499年で終焉する。
フィレンツェのルネサンスが滅びたのは、何故か。
■ティツィアーノと皇帝カール5世、フェリペ2世 
ハプスブルグ家の宮廷伯爵
1488、ティツィアーノ、ピエヴィ・ディ・カドーレに生まれる。
ティツィアーノ・ベチェッリオ(1488—1576)は、ベッリーニの工房で学び、ジョルジョーネに学び、27歳で『フローラ』、50歳で最高傑作『ウルビーノのヴィーナス』を描き、88歳まで生きた。
1515、ティツィアーノ『フローラ』1515、内側から光るような肌の描写。27歳の作品。
1515年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂、ティツィアーノの代表作、祭壇画『聖母被昇天』を描き始めた。非凡な色彩感覚に彩られた絵画。大規模な作品。
1538、ティツィアーノ『ウルビーノのヴィーナス』1538、50歳の作品。
ティツィアーノ『ダナエ』1544-46、ティツィアーノ58歳の作品。
ティツィアーノ『教皇パウルス3世』1543
ティツィアーノ、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
ティツィアーノ、ヤコポ・ティントレットが弟子になるが、3日で破門した。才能を恐れたためである。しかし、パオロ・ヴェロネーゼは可愛がった。
ティツィアーノは、ミケランジェロの肉体表現に影響を受ける。
1545年、ティツィアーノ、ミケランジェロに会う。ミケランジェロが彼の作品を見たとき、色彩は美しいが、線描がないことを指摘した。*ヴァザーリ『藝術家列伝』
1548年、ティツィアーノ、カール5世にアウグスブルグで会う。後のフェリペ2世にミラノで会う。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
フェリペ2世のために、「ポエジーエ」(1550—1562)、オヴィディウス『変身物語』神話画を描き、スペインに送る。
*1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグで、クラーナハに会う。
ルカス・クラーナハ(父1472~1553年)作『ティツィアーノの肖像』。★
1576ティツィアーノ、ペストに感染、88歳で死ぬ。
■ヴェネツィア年代記、ヴェネツィアの旅人
1477年、ジョルジョーネ生まれる。1510年死す。
1494年、アルブレヒト・デューラー、ヴェネツィアを訪問。第1回。
1500年、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴェネツィアに行き滞在する。*
レオナルドのスフマートとジョヴァンニ・ベッリーニの色彩が融合する。
1505年、アルブレヒト・デューラー、第2回ヴェネツィア訪問。
1528年、ミケランジェロ、ヴェネツィアに滞在。
     パオロ・ヴェロネーゼ、生まれる。1588死す。
1550年、ヴァザーリ『藝術家列伝』第一版、刊行。
1566年、ヴァザーリ、ヴェネツィア訪問。ティツィアーノに会う。
1568年、エル・グレコ、ヴェネツィア滞在。ヴァザーリ『藝術家列伝』第二版、刊行。
1585年3月23日(天正13年旧暦2月22日)天正遣欧使節、ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
1585年、6月3日(天正13年旧暦5月6日)天正遣欧使節、ヤコポ・ティントレットの子、ドメニコ・ティントレットに会う。天正10年(1582)九州のキリシタン大名の名代として長崎を出航した天正遣欧使節。

*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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★主な展示作品
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「フローラ」1515、油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ティツィアーノ「ダナエ」1544-46、油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ「教皇パウルス3世」1543 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「マグダラのマリア」1567年 油彩、カンヴァス、カポディモンテ美術館
ヤコポ・ティントレット「レダと白鳥」1551-54 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ヤコポ・ティントレット「ディアナとエンディミオン(もしくはウェヌスとアドニス)」1543-44年 油彩、カンヴァス、ウフィツィ美術館
ポリドーロ・ダ・ランチャーノ「眠るウェヌスのいる風景」1565
パオロ・ヴェロネーゼ「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」1565
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(フリッツォーニの聖母)」1470年、コッレール美術館
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★参考文献
宮下規久朗「ヴェネツィア 海の都の美をめぐる」芸術新潮2011年11月号、P56
大久保正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
https://t.co/FmdQyofuL9
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち、黄金の残照に輝く迷宮都市
https://t.co/7tXSdLCUfN
ヴェネツィア 迷宮都市 美への旅
https://t.co/hjc7vHF74b
ヴェネツィアの黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-363a.html
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
https://t.co/lX5zZsb5PL
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これまでのティツィアーノとヴェネツィア派
「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」国立西洋美術館2008
「世界遺産ヴェネツィア展 魅惑の藝術、一千年の都」江戸東京博物館2011
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」国立新美術館2016
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★「ティツィアーノとヴェネツィア派」東京都美術館 2017年1月21日~4月2日
http://titian2017.jp/

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2016年12月30日 (金)

大久保 正雄「ルネサンス、メディチ家と織田信長」

BotticellinascitaveneresimonettavesAsunsetinflorencefrompiazzalemichel大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
理念を探求する魂は、苛酷な現実と戦い、天の仕事を成し遂げる。メディチ家は、ゲミストス・プレトンからプラトン哲学を学び、理念を探求する。織田信長は、階級社会、既存の価値を否定、武の七徳を追求、謀反に始まり、謀反に死す。壮絶な人生。美と藝術を愛する、偉大な王、思想家、藝術家は、苛酷な現実と戦い、輝く天の仕事を成し遂げる。
大久保 正雄「愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長」
The soul that explores the idea fights against the evil of reality and accomplishes the work of heaven. The Medici family learns Plato's philosophy from Gemists Preton and explores secret doctorine of Plato.
Oda Nobunaga denies the class society, the ancient regime value, pursues the seven virtues of Bu, begins in rebellion, and dies in rebellion.
A magnificent life. A great king, thinker, and artist who love beauty and art accomplish the work of the shining heaven.

Ookubo Masao: Renaissance The Medici family and Oda Nobunaga. Labyrinth of Love and Beauty
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孫崎享×大久保正雄『愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長』戦略で読み解くルネサンス。
2017年1月12日、放送予定【孫崎チャンネル】20:00—21:00
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『愛と美の迷宮、ルネサンス、メディチ家と織田信長』
戦略で読み解くルネサンス
序説、ルネサンスの美術 6人の巨匠
  フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ
  ルネサンスの4大藝術家
  ボッティチェリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエッロ
1、メディチ家の戦い コジモとロレンツォ
  ボッティチェリ『春』1482『ヴィーナスの誕生』1485
  描かれたジュリアーノ・デ・メディチ シモネッタ・ヴェスプッチ
  ミケランジェロ、ロレンツォの家で育てられる。1489―1492
  招かれなかったレオナルド。現代では「万能の天才」と呼ばれる。
2、包囲されたフィレンツェ フィレンツェ包囲網、対教皇庁戦争(1474 – 1480)。
  イタリアの戦国時代 ロレンツォ(1449 – 1469から当主1492)は、稀代の戦略家。
  イタリアの天秤の針。1479、ナポリ王フェランテを説得、和平交渉。
  パッツィ家の陰謀(1478)、陰謀家シクストゥス4世(在位1471 – 1484)。
3、織田信長は、3回包囲された。なぜ、包囲されたのか。
  「天下布武」1567、公家寺家、天皇の権力を無化。楽市楽座1577。永楽通宝の旗印。 
  正親町天皇の綸旨。
  織田信長(1534-1582)が恐れた二人の武将。
  桶狭間の戦い1560、比叡山焼き討ち1571、髑髏盃、天正二年1573正月岐阜城、蘭奢待1574、茶会。安土城天主1579、本能寺の変、天正十年1582、48歳で死ぬ。
  織田信長をめぐる美女、妹お市の方、生駒吉乃。織田信長、利休、茶会
  *大久保正雄『戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹』
4、メディチ家とプラトン・アカデミー
 コジモ(1389—1464)、1439年プラトン哲学の奥義を聴く。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設。Ficinno Opera Omnia, Vol2
 ロレンツォ・デ・メディチ(1449—1492)は、1492年4月8日、43歳で死ぬ。公的な肩  書はない。アンジェロポリツィアーノ、ピコ、思想家たちは、1498年までにつぎつぎと毒殺(砒素)される。ピエロ・イル・フォルトゥオ(愚者)、調略される。フィチーノ(1449—1499)、死ぬ。
 ロレンツォがピコの助言により招いたサヴォナローラに欺かれ裏切られる。間諜=工作員(『孫子』用間編)。シャルル8世のフィレンツェ侵攻1494を予言。1494メディチ家追放。「虚飾の焼却」1498。アレクサンデル6世を批判、怒り受け破門。処刑1498。
5、メディチ家とハプスブルグ家
  メディチ家は、理念に基づいて行動する。
  ハプスブルグ家は、カネと土地、権力の亡者。
6、バロック美術、カラヴァッジョ(1573-1610)、光と闇の画家
  リアリズム、残酷な現実を描く。『斬首されるヨハネ』1608『ホロフェルネスの首を斬るユディト』1596
  ルネサンスと対比。理想主義、対現実主義。
7、ルネサンスが探求する美は何か。本質の美、現象の背後に隠れた真実。魂の美。理想美。
プラトン哲学の美の奥義、魂の哲学、『饗宴』『パイドン』に根拠がある。
この世界には、隠された真実がある。真実を探求することがルネサンス人の使命である。
ルネサンス人は、理想美を追求する。
8、美とは何か
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参考文献
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミー
https://t.co/yxlgRpwirV
大久保正雄『美の探求、旅する哲学者、美への旅』
https://t.co/oMWzv4rP2c
メディチ家年代記 メディチ家礼拝堂の幽明境
https://t.co/jfr10GQn6W
ルネサンス年代記 ミケランジェロ、孤独な魂
ピエタ、メディチ家礼拝堂、卓越した藝術、見出された才能
https://t.co/ejOdghjAJM
ルネサンス年代記 ボッティチェリ ルネサンスの理念
https://t.co/mjMEiIw7xi
ルネサンス年代記 レオナルド最後の旅、フランソワ1世
https://t.co/UMusFWGFOz
ロワールの古城めぐり フランソワ1世、カトリーヌ・ド・メディシス
https://t.co/J9r9OZN2vP
ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
『孫子』、戦略、時代を超える知恵の結晶、知への旅
https://t.co/RggoniP3wD
プラトン、アカデメイア派2000年 美への旅
https://t.co/AC2EF2HKDB
『戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹』
https://t.co/TtfGTKcUEL
【ソクラテスの祈り】
旅する哲学者、ソクラテスの戦い ソクラテスの祈り
https://t.co/gW05rsb44i
哲学者の魂 ソクラテスの死
https://t.co/K1EiSrdg79

大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

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2016年12月12日 (月)

大久保 正雄「メディチ家とプラトンアカデミー」『ルネサンスの美と世界遺産』世界遺産アカデミー

Ookubomasao_007Ookubomasao_008大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄「メディチ家とプラトン・アカデミー」『イタリア・ルネサンスの美と世界遺産』世界遺産アカデミーより
メディチ家とプラトン・アカデミー
15世紀に蘇った哲学はプラトン哲学である。1439年7月6日フィレンツェ公会議で、コジモ・デ・メディチはギリシア人哲学者プレトンの講義をきき、プラトン哲学の奥義に感銘をうけ、「アカデミア・プラトニカ」(プラトン・アカデミー)を構想した。コジモ・デ・メディチは、1462年マルシリオ・フィチーノにプラトンの原典とカレッジの別荘を与え、プラトン全集の翻訳を依頼した。コジモは1464年に死ぬ。しかしフィチーノは1477年に完成した。ロレンツォ・デ・メディチ(1449—1492)は1492年死に、プラトン・アカデミーの思想家たちは、1498年までに次々と死ぬが、フィレンツェから始まったルネサンスはヨーロッパ文化史に深い影響を与えた。(cf.清水純一『ルネサンス 人と思想』、イヴァン・クルーラス『ロレンツォ豪華王 ルネサンスのフィレンツェ』)
アカデミア・プラトニカは「美しい精神をもつ人々の自由な集まり、プラトンに捧げられた集まり」である。(cf.アンドレ・シャステル『ルネサンス精神の深層-フィチーノと芸術-』)フィレンツェ・プラトン主義の愛と美の哲学はミケランジェロたちルネサンスの藝術家に影響を与えた。「魂の美は、肉体における美より美しい」「魂の眼は肉眼が老いる時やっと輝き始める」(プラトン『饗宴』)
――世界の果てでみつけた美しい謎
偉大な都市の片隅に、美しい謎がある。ギリシア、テッサロニキ考古学博物館の「デルヴェニのクラテル」には「ディオニュソスとアリアドネの結婚」が刻まれて、比類なく美しい。スペイン、コルドバのメスキータの林立する列柱室は、美しい闇である。アクロポリス考古学博物館「アクロポリスの少女(コレー)」のアルカイックな微笑みは、何故かくも美しいのか。旅立とう。世界の果てに、美しい謎を探求して。
★黄昏のポンテ・ヴェッキオ、黄昏のフィレンツェ
大久保正雄「イタリア・ルネサンスの美と世界遺産」世界遺産アカデミーWHMR 2011.4, 2016.11改定。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
Copyright 大久保正雄
「whamr2016p_3335.pdf」をダウンロード

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2016年10月27日 (木)

クラーナハ展、500年後の誘惑・・・透明なヴェールの女、女の策略

Cranach2016大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
秋の森を歩いて美術館に行く。青春の日に旅した東欧、ウィーン美術史美術館、ハプスブルク帝国の旅を思い出す。「ヨハネの首をもつサロメ」、血塗られた首と艶麗な女。陰鬱なドイツの暗闇と肉体にまつわる透き通ったヴェール。残虐趣味とエロスは、カラヴァッジョに通じる。マニエリスムの時代である。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿が眠る。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――
クラーナハは、陰鬱なドイツの暗闇に、女性ヌード絵画で光をもたらした。透き通ったヴェールは、裸身の肌をあらわす。透き通って肌を隠さないクラーナハのヴェール。見えない極薄のヴェールをまとっている。柔らかな曲線をなす華奢な裸体の線。
ルカス・クラーナハ(1472-1553年)は「女の策略」「女の誘惑」の主題を追求した。「女の策略」「女の誘惑」の主題の絵は、強烈な妖艶、蠱惑的な魅力がある。女たちは、人を欺き陥れる策略がある。男を酒で眠らせ、眠っている間に力を奪う。女の目的は、妊娠出産である。
イヴの誘いに負けて禁断の果実を食べるアダム。敵将ホロフェルネスの寝室に赴き、酒で眠らせ惨殺したユディト。踊りによってヘロデ王を悦ばせ、報酬に聖ヨハネの斬首を手に入れた王女サロメ。王女オンファレの美貌に誘惑され羊毛を紡ぐ羽目になる英雄ヘラクレス。娘たちに酔わされ近親相姦を犯し子を産ませたロト。
1517年、ザクセン公国ヴュルテンブルクのルターの宗教改革から500年の時が流れた。失われたドイツの時間が、宮廷画家の工房から蘇る。
――
展示作品の一部
ルカス・クラーナハ(父)「ホロフェルネスの首をもつユディト」1530
「ヨハネの首をもつサロメ」1530、「ロトと娘たち」1528—30、「サムソンとデリラ」1528—30、「不釣合いなカップル」1530-1540年「ヘラクレスとオンファレ」1537「アダムとイヴ」1537
「ヴィーナス」1532、「正義の寓意」1537、「泉のニンフ」1537、クラーナハ「ルクレティア」1533
――
陰鬱なドイツ、ルネサンスの光が射さない暗闇
ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach der Ältere、1472年10月4日 クローナハ生まれ、オーバーフランケン1553年10月16日、ヴァイマルに死す)は、1505年頃にウィーンで画を学ぶ、ザクセン公国の都ウィッテンベルクで、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯に宮廷画家として仕える。寓意画、神話画、キリスト教絵画を、大規模工房で大量生産した。16世紀ルネサンスの時代、一点透視図法、空気遠近法、写実的な近代絵画技法に基づくルネサンス絵画の技法の時代に、平面的な宮廷様式で制作した。
神聖ローマ帝国、中世ドイツ封建国家の詐欺
オットー1世は、西欧最大の封建国家を捏造した(962年)。捏造された神聖ローマ帝国(962—1806年)は、19世紀まで存続し、ハプスブルク家の権力の源泉の一つとなる。
宗教改革の欺瞞
ルター「95か条の論題」(1517年)、は「魂の救済は福音書への信仰のみによる」としたが、これ自体が虚偽、詐欺である。「魂の救済は愛と知恵による」
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
―――
クラーナハ展、国立西洋美術館
2016年10月15日(土)~2017年1月15日(日)
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016cranach.html
http://www.tbs.co.jp/vienna2016/
1:蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ
2:時代の相貌─肖像画家としてのクラーナハ
3:グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ
4:時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相
5:誘惑する絵─「女のちから」というテーマ系
6:宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて
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★Lucas Cranach, Judith with nead of Holofernes

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