日本画

2020年9月29日 (火)

「竹内栖鳳《班猫》とアニマルパラダイス」・・・生きとし生けるもの、一切衆生悉有仏性

Animal2020_20200929174601

Kswai-gyokudoujpg

Moriyatadashi-1981-1

大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』225回
京都画壇最高峰の画家、竹内栖鳳(1864‐1942)は、四条派・円山派の幸野楳嶺に師事し、狩野派、日本画すべての手法を身につけ、鵺派と呼ばれる。1900年36歳の時、7ヶ月ヨーロッパを旅した。ヨーロッパ美術に衝撃を受け西洋美術の写実技法を身につけ、外形の写実ではなく、本質を捉えることを追求した。77歳で没する。東の横山大観の朦朧派、西の竹内栖鳳の鵺派と並び称される。
【生きとし生けるもの、一切衆生悉有仏性】
日本美術が前提とする世界観とは何か。
生きとし生けるもの、歌を詠まないものはあるか。だが、諸法無我、天地万物あらゆるものには不滅の実体はない。諸法無我と一切衆生悉有仏性(『涅槃経』『如来蔵経』『勝鬘経』)は矛盾する。「龍樹の空思想と如来蔵思想は対立する」立川武蔵『日本仏教の思想 受容と変容の千五百年史』P96『空の思想史』。一切衆生悉有仏性(『涅槃経』『如来蔵経』『勝鬘経』)。
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。『古今和歌集』紀貫之「仮名序」
――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【世界観の研究】教養課程の時「ギリシア神話の世界観」という授業があった。イタリア人の哲学教授、ハンニバル先生の講義。先生は「世界観の研究」を研究していた。「ギリシア神話の世界観」。「キリスト教の世界観」。「量子物理学の世界観」とは何か。イタリア人教授は大学を去り、祖国に帰った。私は、博士課程でプラトン哲学を研究した。その後、空海密教の世界観を研究した。
日本美術が前提とする世界観とは何か。
【初転法輪の仏陀、四諦、原始仏教】仏陀は、人生を苦とみた。四諦は仏陀が最初の説法で説いた。『阿含経』四諦、苦諦と集諦は、迷妄の世界の果と因とを示し、滅諦と道諦は、証悟の世界の果と因とを示す。苦諦【四苦八苦。生老病死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦】集諦、貪欲や瞋恚、愚痴などの心の汚れその根本である渇愛【十二縁起。十二因縁の支分は、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死】滅諦【苦しみの消滅の真理】道諦【八正道、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定】『阿含経』
――
【逆境と戦う藝術家、運命と戦う思想家】売れない藝術家は、どう逆境を超えるか。運命と戦う思想家は、どう運命を変えるのか。
【上智と下愚とは移らず】最上の知者は悪い境遇にあっても下落せず、最下の愚者は 、どんなによい境遇にあっても向上しない。どんなに地位と肩書が高くて富裕でも、知性の貧困は隠せない。地位と肩書が高く高度な職業でも、魂の貧困は隠せない。「論語」陽貨篇。
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
竹内栖鳳《班猫》1924(大正13)年《みゝづく》1933(昭和8)年頃 絹本《蛙と蜻蛉》1934(昭和9)年 紙本《鴨雛》《憩える車》、柴田是真《墨林筆哥》、西村五雲《白熊》、西山翠嶂《狗子》、小林古径《猫》1946(昭和21)年、橋本関雪《霜の朝》、奥村土牛《兎》、速水御舟《昆虫二題 葉蔭魔手・粧蛾舞戯》1926(大正15)年、山口華楊《生》、守屋多々志《西教伝来絵巻》試作、守屋多々志『慶長使節支倉常長』1981(昭和56)年 紙本・彩色 西山翠嶂《狗子》1957(昭和32)年 絹本
――
参考文献
竹内栖鳳展 近代日本画の巨人・・・哀愁のイタリア、『ベニスの月』
https://bit.ly/2Fjzgcx
「円山応挙から近代京都画壇へ」藝大美術館・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https://bit.ly/2KEGwyj
『班猫』(重要文化財)大正13(1924)年 山種美術館 展示期間:9/25~10/14(東京展)、11/12-12/1(京都展)
速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇
https://bit.ly/2KCbOrW
細川家の至宝、珠玉の永青文庫コレクション・・・織田信長「天下布武」と菱田春草「黒き猫」
https://bit.ly/2Pjv8Kx
上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智
https://bit.ly/2GXmVru
「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」山種美術館・・・花の宴
https://bit.ly/2UUizJw

「竹内栖鳳《班猫》とアニマルパラダイス」・・・生きとし生けるもの、一切衆生悉有仏性

――
「竹内栖鳳《班猫》とアニマルパラダイス」山種美術館、2020年9月19日(土)から11月15日(日)まで
https://www.yamatane-museum.jp/index.html

| | コメント (0)

2020年4月 9日 (木)

「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」・・・花の宴

Togyuu-daigo
Yamatane-sakura-202001
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第213回
春の夕暮れ、山種美術館に行く。3月16日、上野で桜が開花し始めたが、感染症の世界的流行の危機が始まって、不穏な雰囲気である。 2月27日から都内のほとんどの美術館は閉鎖。3月16日、23日、24日、一部の内覧会は関係者に開かれた。閉ざされた美術館の中の閉ざされた展示室に繰り広げられる絢爛たる美。
菱田春草《桜下美人図》1894は、美術学校時代の若き日の作品、菱川師宣の面影の残影があり、孤高の藝術家の出発点である。
【花と詩人】理念を追求した人、王羲之、李白、空海、嵯峨天皇、大伴家持、藤原俊成、藤原定家、織田信長。春の兆し、桜を愛で、桃を愛し、神泉苑で、花の宴を催した文人たち。儚い花、儚い香り、儚い夢、儚い愛、愛別離苦の悲しみを歌った詩人たち。この世の苦しみを、花を愛で宴を催し、時を楽しむ。
桜満開の京都をさまよい歩いたある春を思い出す。春爛漫、桜満開の京都の風景は、はるか昔、宇宙のどこかに刻まれている。人間が知り得る知恵は、すべて、宇宙のどこかですでに完成されている、すでに完全な形で書き刻まれているものの似姿、模写にすぎない。プラトン『メノン』の対話を想起する。
あの春、私は、桜満開の京都に旅して、仁和寺に宿泊、密教寺院を彷徨い、桜の庭をめぐった。1200年前の時に迷いこむ。東寺、灌頂院、大師堂、醍醐寺、三宝院、龍安寺、金閣寺、銀閣寺、清水寺、三十三間堂、大徳寺、妙心寺、南禅寺、東福寺、密教寺院と臨済宗の庭。
富と権力の追求が情報を巧みに制御することによって、富と権力を追求し続け、その矛盾が巨大な怨恨と破壊に成長する時、世界の終わりが来ることを知らねばならない。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【嵯峨天皇の花の宴、神泉苑にて】花(桜)を賞翫しながら漢詩を作って遊ぶ典雅な催し、その始まりが嵯峨天皇の神泉苑の詩宴。神泉苑の詩宴は『日本後紀』弘仁三年(812)二月一二日の記事「神泉苑に幸(いでま)す。花樹を覧(みそな)はし文人に命じて詩を賦せしむ」
【大伴家持 春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女】春の園の紅色に咲く桃の花、その下に輝いている道に佇む乙女よ。『万葉集』巻十九、4139 大伴家持、天平勝宝二(750)年三月一日(4月15日)の暮(ゆふべ)に、春の苑の桃李の花を眺矚めて作る二首
【春夜桃李園に宴するの序 李白】それ天地は萬物の逆旅にして 光陰は百代の過客なり 而して浮生は夢の若し 歡を爲すこと幾何ぞ 古人燭を秉りて夜遊ぶ まことに以(ゆえ)
【新古今歌人、西行(佐藤義清)】鳥羽院の北面武士であったが、鳥羽院の女に手をだし、23歳で出家。「高貴な上臈女房と逢瀬をもった」『源平盛衰記』。女は、待賢門院璋子、璋子は、鳥羽上皇の中宮にして白河法皇の愛妾。
西行は、願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ『山家集』(続古今1527)。歌に詠んだ通り、1190年3月31日、陰暦2月16日、釈尊涅槃の日に入寂。73歳。
【醍醐の花見】豊臣秀吉がその最晩年に京都の醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴。秀吉は畿内から700本の桜を植え、三宝院の建物と庭園を造り、盛大な宴を開いた。息子・秀頼、正室・北政所、側室の淀、三の丸など女房衆1300人余りが参加。秀吉61歳。慶長3年
【天下布武】「武とは戈を止めることである(止戈)」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力行使を禁じ、武器をおさめ、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させる)七徳を備えるべき」『春秋左氏伝』
――
【空海と守敏、神泉苑にて、祈雨修法の争い】天長元年(824年)の大干魃の時、祈雨の修法を東寺の弘法大師(空海)に命じて、神泉苑で執り行われた。西寺の守敏僧都が現れ、自からが先に修法を行うと申出る。祈雨の法を争い、空海が勝利した。『今昔物語集』巻十四、『贈大僧正空海和上伝記』
【藤原定家19歳。世上乱逆追討耳に満つと雖も之を注せず。紅旗征戎は吾事に非ず。だが政治中枢に翻弄されていく】定家34歳、健久7年の政変1196。39歳、新古今和歌集選者1201、元久2年(1205)成立。1221年、承久の乱、後鳥羽上皇隠岐追放。
――
【ヴィスコンティ『ベニスに死す』1971】1911年コレラ感染に襲われるベニス。訪れた老作曲家は、出会った貴族の血を引く美少年の美の虜となる。病に侵された老作曲家、日々少年の姿を追ってベニスの街を彷徨い、死が迫る。マーラー交響曲第5番第4楽章アダージェット。
【天平の疫病】首都、平城京でも大量に感染した。735年(天平7年)から737年6月には疫病、天然痘の蔓延によって朝廷が停止される事態となり、政権を担っていた藤原四兄弟、藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂も全員が感染によって病死。原因は遣唐使、遣新羅使。738年(天平10年)1月まで続いた。
【東大寺、盧舎那仏像】天平の疫病の後、聖武天皇により、農民に土地の私有を認める「墾田永年私財法」天平15年5月27日(743年6月23日)に発布された勅が施行された。聖武は仏教への帰依を深め、東大寺および盧舎那仏像の建造を命じ、各地に国分寺を建立。
――
【理念を探求する精神】理念を追求する精神は、邪知暴虐な権力と戦い、闇の彼方に理想と美を求める。理念の人は、苦難を超えて、輝く天の仕事を成就する。空海、孔子、織田信長、李白、プラトン。即身成仏、仁義礼智、武の七徳、桃花流水杳然去、美の海原の彼方の美のイデア、存在の彼方の善のイデア。
【織田信長】攻撃を一点に集約せよ。臆病者の目には、常に敵が大軍に見える。必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。器用というのは、世間(他人)の思惑の逆をする者だ。人城を頼らば城人を捨てん。仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事をやるのは、雑兵だ。
【真実を追求する人と詐欺を追求する人との戦い】政府、専門家会議は、後者を選択。 愚者と狂人が支配する国。知性と戦略なき国家は、滅亡する。【天下布武】「武とは戈を止めることである(止戈)」「禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財(武力を禁じ、人民の生活を安定
――
東寺・・・春爛漫の京都
https://bit.ly/3aVI9Dy
上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智
https://bit.ly/2GXmVru
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・若草伽藍と聖徳太子の謎
https://bit.ly/2R8JNtG 
「法隆寺金堂壁画と百済観音」・・・法隆寺と百済観音の謎
https://bit.ly/2J66OZZ
「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」山種美術館・・・花の宴
https://bit.ly/2UUizJw
私たちは運命と戦うために生まれた・・・Rinascerò rinascerai, Roby Facchinetti
https://bit.ly/2R7KGCH
――
展示作品の一部
橋本雅邦《児島高徳》、 横山大観《山桜》、 菱田春草《桜下美人図》1894、 松岡映丘《春光春衣》、 小林古径《桜花》、 川端龍子《さくら》、 土田麦僊《大原女》、 奥村土牛《醍醐》1972、《吉野》、 小茂田青樹《春庭》、 速水御舟《夜桜》、 橋本明治《朝陽桜》
特別展「桜 さくら SAKURA 2020 ―美術館でお花見 ! ―」山種美術館
2020年3月14日(土)~5月10日(日) 4月4日以後、臨時休館。
http://www.yamatane-museum.jp/exh/2020/sakura2020.html

| | コメント (0)

2020年2月 4日 (火)

上村松園と美人画の世界・・・肉体の美と叡智の美

Uemurashoen2020
2009
Hishida-oushoukun
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第208回
新春の夕暮れ、山種美術館に行く。美しいものが美しいのは何故か。美人の根拠について考える。上村松園「序の舞」(1936)は、近代美人画の頂点といわれる『東西美人画の名作≪序の舞』への系譜』藝大美術館2018。上村松園の美人画は、喜多川歌麿の系譜であると言われる。喜多川歌麿を超える美人画はないのか。上村松園には、円山応挙の影響を受けた作品がある。円山応挙『江口君図』1794、円山応挙『楚蓮香図』1794、上村松園『楚蓮香之図』1924。
1、美とは何か。
生成界の美、叡智界の美。無色界、色界、欲界、天人の美。
「美とは何か」という問いは、プラトン『ヒッピアスMajor』を想起する。ソクラテスはソフィストを問い詰め、ヒッピアスは「何が美しいか」を語る、例えば<美しい乙女><黄金><美しい神々>。ソクラテスは「何が美しいか」ではなく「美とは何か」を問うているのだという。<視覚と聴覚を通じての快楽>を吟味し論駁する。結局アポリアに陥り、無知を宣告して、対話は終了する。ソクラテス「<視覚と聴覚を通じての快楽>が美しいのは、このゆえに、つまりそれが視覚を通じるがゆえにではないだろうからね。なぜといって、もしこのことがそれが美しくあることの原因だとしたら、もう一方の、聴覚を通じての快楽のほうは、けっして美しくはないだろうからだ。」(299E) 『ヒッピアスMajor』
魂の美を描く美人画が存在する。村上華岳『裸婦図』(1920)。菱田春草『水鏡』(1897)『王昭君』(1902)。横山大観『流燈』(1909)。
2、村上華岳『裸婦図』(1920)
村上華岳『裸婦図』、華岳は久遠の美を目ざした。アジャンタ石窟、『モナリザ』の影響があると、美術史家は説明する。村上華岳(明治21年1888—昭和14年1939)。山水と仏画を主題とした作品を多く描き、東西の様式を吸収し、宗教的境地から生れる芸術性の高い、神秘的な日本画を探求した。51歳で死す。村上華岳の師の一人は、竹内栖鳳(1864-1942)である。

3、菱田春草、東京美術学校事件、急進派として懲戒免職。美人画『王昭君』、幻の『雨中美人』
明治31年1898、東京美術学校事件で、急進派として懲戒免職。菱田春草『王昭君』は、悲劇の美女の姿、美しい魂を描く。菱田春草『水鏡』(1897)天人の衰えを水鏡に表現する。菱田春草『黒き猫』(1910)は、『雨中美人』(1910)、六曲一双を描いていたが完成せず、代わりに黒き猫を出品した。翌年、38歳で死す。菱田春草(1874-1911)
4、村上華岳の師、竹内栖鳳(1864-1942)
竹内栖鳳『飛天舞楽図』草稿1911(東本願寺蔵)。栖鳳は、天女を描くことに腐心した。「竹内栖鳳『散華』1914年(大正3)絹本着色 6曲1隻(京都市美術館蔵)。東本願寺から大師堂門の天井絵の依頼を受けた栖鳳は、その題材に飛翔する天女を選びます。この構想は実現しなかったのですが、竹内栖鳳《散華》は、その折に試作として制作されたものです。(山崎妙子)山種美術館」
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
★参考文献
図録『日本美術院創立100周年記念 近代日本美術の軌跡』東京国立博物館1998
村上華岳「裸婦図」・・・魂の見えざる美
https://bit.ly/2UjDGoL
上村松園展・・・美人画の系譜
https://bit.ly/2OoIu8B
村上華岳「裸婦図」・・・崇高なヌード
https://bit.ly/2OlGQo8
上村松園、美人画の粋・・・夏の緑陰の午後
https://bit.ly/2UjE8Dt
竹内栖鳳展 近代日本画の巨人・・・哀愁のイタリア、『ベニスの月』
https://bit.ly/394zM7A
東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人
https://bit.ly/394A5zg
黒き猫は、37歳で病で亡くなった菱田春草の孤高な姿を思い浮かべる。
細川家の至宝、珠玉の永青文庫コレクション・・・織田信長「天下布武」と菱田春草「黒き猫」
https://bit.ly/2Pjv8Kx
「円山応挙から近代京都画壇へ」藝大美術館・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https://bit.ly/2KEGwyj
「大浮世絵展」・・・反骨の絵師、歌麿。不朽の名作『名所江戸百景』、奇想の絵師
https://bit.ly/34AB3Bz
「没後50年 横山大観」国立新美術館・・・天心と憂愁の詩人、『屈原』悲愴美
https://bit.ly/2OEJ9mq
――
上村松園と美人画の世界、山種美術館、1月3日(金)~3月1日(日)

| | コメント (0)

2019年6月27日 (木)

速水御舟『炎舞』『粧蛾舞戯』『名樹散椿』、山種美術館・・・舞う生命と炎と闇

Hayami2019
Hayami1926
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』185回
初夏の夕暮れ、美術館に行く。藝術家は、苦難を超え、運命と戦い、真実在を追求する。速水御舟は、生涯、新しい絵画を探求し努力しつづけた。松本楓湖の弟子の時代、細密画の時代、琳派の時代、人物画の時代。速水御舟が追求した梯子の頂上とは何か。細密画の極致、琳派の画法か。速水御舟が追求した、真実在とは何か。
「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」『速水御舟語録』1935。「実在するものは、美でも醜でもない。唯真実のみだ。」速水御舟『私の行く道』1932
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護精霊があなたを救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【速水御舟40歳で死す】速水御舟は、31歳で『炎舞』(1925)、35歳で『名樹散椿』(1929)。40歳で死ぬ。妻は92歳まで生き、長女、速水弥生(大正11生まれ)は長寿である。
速水御舟(1894-1935)は、『炎舞』の炎に舞う蛾のように40年の短い生涯を終えた。短い人生のうちに、不滅の傑作、『炎舞』(1925)31歳、『粧蛾舞戯』(1926)、『翠苔緑芝』(1928)、35歳で『名樹散椿』(1929)、『京の舞妓』(1920)、『樹木』(1925)を残した。
大正8年25歳の時、浅草駒形で市電に足を轢かれ左足切断する。不運にめげず画業に精進する。不朽の傑作『炎舞』を残し、40歳で死す。死因は腸チフス。
――
松本楓湖、今村紫紅と出会う
速水御舟は、松本楓湖の画塾、安雅堂に、14歳の時、入塾する。17歳で『瘤取之巻』を描く。画塾の先輩、今村紫紅と出会う。23歳で日本美術院同人に推挙される。
――
速水御舟の頂点1920-1929
細密画1920-1923 26歳から29歳
『京の舞妓』(1920)『菊花図』(四曲二双屏風1921)は、緻密な細密画の極致である。岸田劉生の影響を受けて、リアリズムの絵画を描き始めた。細密画の系列には『輪島の皿に柘榴』、『寒鳩寒雀』があり、異様に緻密な世界に圧倒される。リアリズムの極致である。『京の舞妓』(1920)の醜悪をも描く、写実の背後に細密画の世界がある。『桃花』(1923)には、宋代、院体花鳥画の影響がある。
琳派の画法1925-1929 31歳から35歳
俵屋宗達の画法を研究して、琳派の画面構成を意識し、装飾的、構成的様式を打ち立てる。
不滅の傑作、『炎舞』(1925)、『粧蛾舞戯』(1926)、『葉蔭魔手』(1926)『翠苔緑芝』(1928)、『名樹散椿』(1929)を制作する。
――
渡欧、1930年、36歳
御舟は、1930年、ローマ「日本美術展覧会」に美術使節として、横山大観とともに渡欧した。客船で洋行し、大観と同じ食卓を囲んだ時のメニューに御舟が書いた手紙が残っている。10か月間、イタリア、ギリシア、フランス、スペイン、イギリス、ドイツ、エジプト、各地を旅した。
渡欧の目的の一つは、エル・グレコを見るためで、トレドに行った。「
『アクロポリスのコレー』(1930)『アルノ河畔の月夜』(1931)に旅の思い出が留められている。この時、ジョット、エル・グレコに感動し、人物画の造形に影響を受けたといわれる。
素描、『女二題』の女性をえがく線に表れている。
――
晩年、無色透明、40歳
晩年の作品は、花の絵が多い。死の匂いが漂う。『春の宵』『桔梗』『牡丹花』1934
「技法の究極は無色透明だと思う。画道の学徒は種々の技法を習得し、而して次第に脱落させ――無色透明にかえったとき、技法の真諦に逢着する」『塔影』9巻8号、1933
――
美しい線
今日、美しい線、緻密なデッサンを描ける画家は少ないといわれるが、御舟の「牡丹写生図巻」「昆虫写生図巻」(1925)には、まれにみる美しい線、細密画のデッサンの存在を見ることができる。美しい花の花弁、妖しい蛾の美しさが、一すじの線によって描かれている。
絶筆『円かなる月』には、死の匂いが漂っている。
1910年(明治43年)作「小春」から、1935年(昭和10年)最後の作品となった「盆梅図(未完)」、平塚市美術館にて約120点、展示された。
――
主な展示作品
《瘤取之巻》、 《錦木》、 《山科秋》、 《桃花》、 《柿》、 《春昼》、 《百舌巣》、 《炎舞》【重要文化財】、 《昆虫二題》、 《供身像》、 《翠苔緑芝》、 《名樹散椿》【重要文化財】(6/8-7/7展示)、 《紅梅・白梅》、 《オリンピアス神殿遺址》、 《埃及(エジプト)土人ノ灌漑》、 《青丘婦女抄 蝎蜅(カルボ)》、 《豆花》、 《写生帖》、 《春池温》、 《椿ノ花》、 《あけぼの・春の宵》、 《桔梗》、 《牡丹花(墨牡丹)》、 《秋茄子》 
――
参考文献
『速水御舟 作品集』2019
【開館50周年記念特別展】『速水御舟の全貌―日本画の破壊と創造』2016
速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち・・・燃え上がる生命の炎舞
https://bit.ly/2yEOkKf
速水御舟展、平塚市美術館・・・細密画の極致、炎に舞う儚い生命のように
https://bit.ly/2IbuZVt
――
生誕125年記念、速水御舟、山種美術館、6月 8日(土) ~ 8月 4日(日

| | コメント (0)

2013年12月27日 (金)

下村観山展、横浜美術館・・・紅葉舞う奥山

20131207紅葉舞い木枯し吹く道を歩いて、美術館に行く。港から吹く風が冷たい。
下村観山『小倉山』屏風は、秋の奥山に鹿が鳴く余情妖艶を感じる。古今集の歌を思い出す。「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(『猿丸大夫集』、詠み人しらず『古今集』秋上215)。観山は、狩野派、やまと絵、ルネサンス絵画、東西の画技を極めてこの絵を描いた。奥深い優美な世界を構築している。日本美術院100年展(東京国立博物館1998)で見たとき、この絵に感動した。
下村観山『小倉山』は、『小倉百人一首』に収められている藤原忠平の和歌をテーマに描いた。だが、私は藤原定家をイメージする。藤原定家は、小倉山の麓の「小倉山荘」で『小倉百人一首』百首の和歌を撰んだ。嵯峨山荘、時雨亭とも呼ばれる。常寂光寺、二尊院、厭離庵は定家の山荘址と伝わっている。
下村観山は、25歳の時「美校事件」で辞任した岡倉天心に殉じて、教授を辞任。30歳から32歳(1903-05)の時、ロンドンに留学し、イタリア・ルネサンス美術に深く魅了された。
*注 1898年、岡倉天心は九鬼隆一に抗議して帝国博物館美術部長・東京美術学校校長を辞任した。天心に殉じて学校教授を辞任する者、橋本雅邦、下村観山、寺崎広業、横山大観、菱田春草など17名に及んだ。天心は自分に殉じて辞職した者を中心に「日本美術院」創設した。天心36歳の時である。
展示作品
下村観山『小倉山』明治42年(1909)、絹本着色、六曲一双屏風、各157.0×333.5㎝、横浜美術館蔵
下村観山『小倉山』墨画 東京藝術大学蔵
『白狐』日本美術院の第1回再興院展の出品作
『月下弾琴』
『酔李白』
『帰去来』
『隠士』
『大原御幸』戸村美術
『魚藍観音』
『木の間の秋』東京国立近代美術館
『春秋鹿図』
――――――――――
下村観山(明治6年1873~昭和5年1930)は、紀州徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれた。幼い頃から狩野芳崖や橋本雅邦に師事して狩野派の描法を身につけ、明治22年(1889)に東京美術学校に第一期生として入学し、横山大観や菱田春草らとともに、校長の岡倉天心の薫陶を受けた。卒業後は同校の助教授となるが、天心を排斥する美術学校騒動を機に辞職、日本美術院の創立に参画し、その後は日本美術院を代表する画家の一人として、新しい絵画の創造に力を尽くしたことで知られる。大正2年(1913)には実業家・原三溪の招きにより、横浜の本牧に終の棲家を構えた、本市ゆかりの画家でもある。
狩野派の厳格な様式に基礎を置きながら、やまと絵の流麗な線描と色彩を熱心に研究し、さらにイギリス留学および欧州巡見による西洋画研究の成果を加味し、気品ある独自の穏やかな画風を確立した観山。本展では生誕140年を記念し、十代の狩野派修行期から、円熟した画技を示した再興日本美術院時代まで、代表作を含む約140件(展示替えあり)により、画業の全容を紹介する。
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition_web/100/
――――――――――
岡倉天心生誕150年・没後100年記念 
生誕140年記念「下村観山展」横浜美術館
2013/12/06 - 2014年2月11日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月28日 (木)

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人・・・哀愁のイタリア、『ベニスの月』

Takeuchi_201309030Seihou_201309Takeuchi1904大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』 より
黄葉の道を歩いて、美術館に行く。竹内栖鳳の百年前のイタリアの光景をみると、美しい哀愁のイタリアが蘇る。ローマ遺跡の廃墟の光景を描いた水墨画風の屏風『羅馬之図』。『ベニスの月』の水墨画は、涙にむせぶ。ヴェネツィアの憂愁の風景はバイロン『チャイルド・ハロルドの巡礼』(1818)の青春の悔恨と魂の救済を思い出す。
竹内栖鳳『絵になる最初』(1913)の京女は、形姿を超えた美がある。
京都画壇最高の画家、竹内栖鳳は、四条派、円山派、狩野派、日本がすべての手法を身につけ、1900年36歳の時、7ヶ月ヨーロッパを旅した。ヨーロッパ美術に衝撃を受け西洋美術の写実技法を身につけ、外形の写実ではなく、本質を捉えることを追求した。
――
展示作品の一部
『城外風薫』昭和5(1930)年山種美術館
『絵になる最初』大正2(1913)年京都市美術館
『炎暑』昭和5(1930)年 愛知県美術館(木村定三コレクション)展示期間 9/25~10/14
『班猫』(重要文化財)大正13(1924)年 山種美術館 展示期間:9/25~10/14(東京展)、11/12-12/1(京都展)
『絵になる最初』 大正2(1913)年 京都市美術館
『羅馬之図』明治36(1903)年 海の見える杜美術館 展示期間 9/3~9/23
『ベニスの月』(ビロード友禅)明治40(1907)年 大英博物館
――
日本画家の竹内栖鳳(1864-1942)は、京都画壇の近代化の旗手として土田麦僊をはじめとする多くの後進に影響を与えました。
栖鳳は京都に生まれ四条派の幸野楳嶺に学びましたが、積極的に他派の筆法を画に取り入れ、また定型モティーフとその描法を形式的に継承することを否定し、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしました。その背景には、1900年のパリ万博視察のための渡欧がありました。現地で数々の美術に触れ、実物をよく観察することの重要性を実感したのでした。
しかし、やみくもに西洋美術の手法を取り入れたのではないところに栖鳳の視野の広さがありました。江戸中期の京都でおこった円山派の実物観察、それに続く四条派による対象の本質の把握と闊達な筆遣いによる表現は幕末には形式的なものとなり、定型化したモティーフとそれを描くための筆法だけが残されてしまいました。栖鳳は実物観察という西洋美術の手法を参考にしつつ、西洋と肩を並べられるような美術を生み出そうという気概でこれら伝統絵画の根本的理念をもう一度掘り起こそうとしたのです。
本展は、栖鳳の代表作、重要作、長らく展覧会に出品されてこなかった作品約100点、素描などの資料約50点で栖鳳の画業を通観し、栖鳳が新たな時代に築いた日本画の礎を示します。
近年、土田麦僊、上村松園、村上華岳といった代表的な画家のみならず、都路華香、稲垣仲静など、これまで広くは知られてこなかった京都の日本画家たちが展覧会で紹介されています。今回、彼らに大きな影響を与えた栖鳳の画業を振り返ることにより、京都画壇ひいては日本画の近代化という事象を改めて検証することも可能となるでしょう。東京国立近代美術館
http://seiho2013.jp/highlight.html
――
★竹内栖鳳展 近代日本画の巨人 その筆は、極限を超える
2013年9月3日(火)~10月14日(月・祝):東京国立近代美術館
2013年10月22日(火)~12月1日(日):京都市美術館
http://seiho2013.jp/
★竹内栖鳳『ベニスの月』( 1907 )

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 4日 (水)

速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち・・・燃え上がる生命の炎舞

Gyoshuu201320130627大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
速水御舟の花は、死の匂いがする。「花の香りは死の香りである。」(大久保正雄『花盛りの京都、幻の都へ』)
御舟の花は、『炎舞』の焔に集まる蛾の群れのように、生命の頂点で命の焔を燃やし、死の匂いを漂わせる。夏の闇に舞う生命の炎舞は、藝術家の美の頂点であり、生の頂点であった。(大久保正雄『魂の美学』藝術家の愛と死)
Wer die Schönheit angeschaut mit Augen,
Ist dem Tode schon anheimgegeben,
Wen der Pfeil des Schönen je getroffen,
Ewig währt für ihn der Schmerz der Liebe!
「美はしきもの見し人は、はや死の手にぞわたされつ。
美の矢にあたりしその人に、愛の痛みは果てもなし。」
(アウグスト・フォン・プラーテン『トリスタン』1825生田春月訳)
速水御舟は、『菊』のような徹底した写実、細密描写から『炎舞』(1925)『名樹散椿』(1929)のような琳派的な象徴的装飾的表現へと展開した。41歳で逝った御舟の頂点は、31歳から35歳であった。
「実在するものは美でも醜でもない。唯真実のみだ。若し我々が確実にその真を掴んだとすれば、そこには美だとか醜だとかと言ふ比較的なものを超えた、より以上の存在を感じなければならない筈だ。或いは夫れをこそ真の美と言ふべきであるかもしれない。」速水御舟☆
☆速水御舟『菊(菊花図)』4曲1双(1921)大正10、紙本金地著色 個人蔵。
速水御舟『絵画の真生命―速水御舟画論』
■主な展示作品
速水御舟『炎舞』(1925)
『牡丹花(墨牡丹)』1934
『白芙蓉』1934年
『昆虫二題』1926年 琳派的、装飾的、幻想的な象徴絵画。『葉陰魔手』では蜘蛛の巣が拡がり蜘蛛に捕えられる。『粧蛾舞戯』では蛾の群れが炎の渦の中に吸いこまれる。
『翠苔緑芝』1928
――――――――――
山種美術館は、近代・現代の日本画を中心に、とりわけ日本美術院(院展)の画家たちの作品を数多く所蔵しています。2014年に院展が再興100年を迎えることを記念し、当館に縁の深い院展画家、そして当館コレクションの中でも最も重要な院展画家の一人・速水御舟(1894-1935)に焦点をあてた展覧会を開催します。
院展は岡倉天心の精神を引き継いだ横山大観、下村観山らを中心に1914(大正3)年に再興されました。当時の日本画家たちは押し寄せる西洋画に相並ぶ、新時代の日本画を探求しており、再興院展は官展とともに中心的な役割を果たしていました。そのなかでも御舟は第一回目から再興院展に出品し、常に新たな日本画に挑み続けた画家でした。
御舟の約40年という短い人生における画業は、伝統的な古典学習、新南画への傾倒、写実に基づく細密描写、そして象徴的な装飾様式へと変遷しました。一つの画風を築いては壊す連続は、型に捉われない作品を描き続けた、画家の意欲の表れといえるでしょう。
本展では、御舟の芸術の変遷を、再興院展という同じ舞台で活躍した画家たちとの関わりを中心にご紹介いたします。御舟芸術の軌跡は、同門の今村紫紅、小茂田青樹、さらには御舟をいち早く評価した大観、そして安田靫彦、前田青邨など、つながりの深い院展画家たちとの交流や、同時代の院展の動向と密接に関わっていました。当館の誇る御舟コレクションから、古典学習と構成美の集大成《翠苔緑芝》(院展出品作)や、写実により幻想的な世界を表現した《炎舞》【重要文化財】をはじめとする代表作の数々を、同時代の画家たちの作品とともにご覧いただきます。大正期から日本画壇の中心であり続ける再興院展の芸術の神髄に迫ります。
――――――――――
再興院展100年記念 速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち― 山種美術館
2013年8月10日(土)~10月14日(月・祝)
http://www.yamatane-museum.jp/ 
★速水御舟『炎舞』(1925)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 3日 (月)

村上華岳「裸婦図」・・・魂の見えざる美

2012大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
夏の終わり、「魂」を一時的に黄金色の透明な玉に収めておく「撥遣式」という儀式が、平等院鳳凰堂で行なわれた。魂を器に入れる儀式である。魂を入れる器はあるのか。
真の魂は美しい。美しい魂はまれである。だが、魂は見えない。
この世には、美しい魂と、醜い魂がある。美を装った、醜悪な魂もある。正義を装った偽りの正義がある。魂には器がある。肉体の器、虚偽の器。多くの人は、偽りの器にだまされる。この世は、競争社会、殺し合いの社会。真実が生き残るのは至難である。
魂は、見えない。だが、魂は、言葉のなかに、行為のなかに、思考のなかに、魂の真の姿が現れる。美しい魂が、身口意一致して、この世に現象するとき、真の哲学者が現れる。
村上華岳「裸婦図」には、魂の美が描かれている。
愛には、真実の愛、偽りの愛、肉体の愛、魂の愛がある。本当の愛は、どこにあるのか。人は、魂の果てまで、旅する。
真実を探求する者は、見える現象を超えて、見えざる本質を観なければならない。
知恵を愛する人が、本質に到達する時、真の美しい魂、真実の愛が見える。
大久保正雄
2012/09/03
■「魂」を一時的に黄金色の透明な玉に収めておく儀式「撥遣(はっけん)式」平等院鳳凰堂 @leonardo1498: 平等院鳳凰堂、本尊の魂移す 大規模修理に備え 京都: 朝日新聞2012/09/03 http://bit.ly/PT9epJ
――――――――――
■平等院鳳凰堂、本尊の魂移す 大規模修理に備え 京都
修理のため本尊の撥遣式が執り行われた平等院鳳凰堂=3日午前11時14分、京都府宇治市
 世界遺産の平等院(京都府宇治市)は3日、11世紀創建の国宝・鳳凰(ほうおう)堂の大規模修理に合わせ、期間中、本尊・阿弥陀如来坐像の「魂」を一時的に黄金色の透明な玉に収めておく儀式「撥遣(はっけん)式」をした。
 鳳凰堂では、本尊を安置する中堂や、左右の翼廊の傷みが進んだため、柱などの塗り直しや瓦のふき替えをする。工期は3日から2014年3月末まで。この間、鳳凰堂には入れず、外観も見ることができない。
 この日は雅楽が奏でられる中、神居文彰住職らが鳳凰堂内へ入り、古式にのっとり儀式を厳かに行った。
朝日新聞2012/09/03
――――――――――
★村上華岳「裸婦図」1920 山種美術館

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 2日 (木)

生誕120年福田平八郎と日本画モダン・・・福田平八郎「牡丹」、花の命は短く、美しい

20120526001大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
静寂な空間のなかに満開の牡丹が咲き乱れている。美しく、悲しく、妖艶である。花の命は短く、美しい時はつかの間である。女の美しさのように。裏彩色から浮かび上がる花の生命、花の魂を感じる。静けさのなかに気品がある。日々、殺し合いのような日常業務のなかで、命を込めた藝術をみると、心癒される。
宗画の細密な写実の技法で描かれた若き日の画家の作品。画家福田平八郎(1892-1974)、32歳の時の作品。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
★展示作品
福田平八郎「牡丹」2曲1隻、大正13年(1924)
福田平八郎「漣」昭和7年(1932年)大阪市立近代美術館建設準備室蔵
俵屋宗達、本阿弥光悦 「四季草花 和歌短冊帖」紙本、金銀泥
加山又造「濤と鶴」1977、紙本、彩色。
「百花繚乱 桜・牡丹・菊・椿」展、山種美術館2011でもみた『牡丹』が美しい。
――
★生誕120年福田平八郎と日本画モダン、山種美術館
2012年5月26日(土)~7月22日(日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月31日 (日)

稲垣仲静「猫」・・・深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている

20100915_inagakichuseicat大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
悲運の天才画家、夭折した画家、孤独死した画家。世に埋もれた画家、不世出の鬼才がこの世に蘇り、再評価されている。
高島野十郎「蝋燭」、田村一村「アダンの木」、稲垣仲静「猫」。
■25歳で夭折した画家、稲垣仲静(1897-1922)
凄絶なリアリズム、美醜を超越した美、孤高の藝術世界。退廃的で官能的な日本画。妖しい魅力を放つ、猫、軍鶏、鶏頭、太夫。
猫は、猫ではなく、化生のもの、妖怪である。化粧の女でもある。
凄絶で緻密な軍鶏、鶏頭をみると、生と死の深淵を覗く思いである。
「軍鶏」1919、京都国立近代美術館蔵
「太夫」1919年頃、京都国立近代美術館蔵
「猫」1919、星野画廊蔵
「鶏頭」1919
「深淵」1921
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」Nietzsche『善悪の彼岸』
――
■稲垣仲静、稲垣稔次郎展
大正期の日本画壇を風靡した国画創作協会展に、京都市立絵画専門学校在学中より入選を果たし、克明な自然描写の中に、官能性や狂気を表現する画家として将来を嘱望されながら、大正11年に25歳の若さで亡くなった稲垣仲静(1897-1922)。その弟で染色作家として名をなし、昭和37年に型絵染の人間国宝に認定された稔次郎(1902-63)。兄弟の父は日本画家であり工芸図案家でもあった稲垣竹埠(ちくう)で、兄弟でそれぞれの道を継ぐような形となりましたが、その根幹に共通するものは、身の回りの自然を凝視し、形象化しようとする強い意志でした。
弟は早逝した兄を終生尊敬し、ことある毎に「兄貴と二人展をしたい。兄貴には負けへんで」と語っていたといいます。今回の兄弟回顧展は、その念願を果たすもので、また兄・仲静にとっては、没後すぐに開催された遺作展以来約九十年ぶりとなる本格的な回顧展です。
日本画と工芸。ジャンルは異なりますが、自己の求める芸術を産み出すことに苦心しつつも邁進した兄弟の「芸術熱」を見て取ることができる、絶好の機会になることでしょう。
京都国立近代美術館、笠岡市立竹喬美術館から巡回し、いよいよ東京での開催です。
稲垣仲静(いながき ちゅうせい)
明治30(1897)年京都生まれ。本名は広太郎。
明治45年に京都市立美術工芸学校に入学、大正6(1917)年同校卒業後、京都市立絵画専門学校に進学。当時、一学年上には前田荻邨や山口華楊、一学年下には堂本印象ら京都画壇の中心画家達が在籍していた。
在学中の大正8年、第2回国画創作協会展に出品した《猫》が初入選して画壇の注目を集める。卒業後の大正11年には福村祥雲堂が主宰する「九名会」のメンバーに選ばれ、同会展にも出品。しかし同年、腸疾患のため25歳の若さで夭折した。(プレスリリースより)
――
京都国立近代美術館 平成22年5月18日(火)~6月27日(日)
笠岡市立竹喬美術館 平成22年7月17日(土)~8月29日(日)
★練馬区立美術館 平成22年9月15日(水)~10月24日(日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)