日本画

2013年12月27日 (金)

下村観山展、横浜美術館・・・紅葉舞う奥山

20131207紅葉舞い木枯し吹く道を歩いて、美術館に行く。港から吹く風が冷たい。
下村観山『小倉山』屏風は、秋の奥山に鹿が鳴く余情妖艶を感じる。古今集の歌を思い出す。「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(『猿丸大夫集』、詠み人しらず『古今集』秋上215)。観山は、狩野派、やまと絵、ルネサンス絵画、東西の画技を極めてこの絵を描いた。奥深い優美な世界を構築している。日本美術院100年展(東京国立博物館1998)で見たとき、この絵に感動した。
下村観山『小倉山』は、『小倉百人一首』に収められている藤原忠平の和歌をテーマに描いた。だが、私は藤原定家をイメージする。藤原定家は、小倉山の麓の「小倉山荘」で『小倉百人一首』百首の和歌を撰んだ。嵯峨山荘、時雨亭とも呼ばれる。常寂光寺、二尊院、厭離庵は定家の山荘址と伝わっている。
下村観山は、25歳の時「美校事件」で辞任した岡倉天心に殉じて、教授を辞任。30歳から32歳(1903-05)の時、ロンドンに留学し、イタリア・ルネサンス美術に深く魅了された。
*注 1898年、岡倉天心は九鬼隆一に抗議して帝国博物館美術部長・東京美術学校校長を辞任した。天心に殉じて学校教授を辞任する者、橋本雅邦、下村観山、寺崎広業、横山大観、菱田春草など17名に及んだ。天心は自分に殉じて辞職した者を中心に「日本美術院」創設した。天心36歳の時である。
展示作品
下村観山『小倉山』明治42年(1909)、絹本着色、六曲一双屏風、各157.0×333.5㎝、横浜美術館蔵
下村観山『小倉山』墨画 東京藝術大学蔵
『白狐』日本美術院の第1回再興院展の出品作
『月下弾琴』
『酔李白』
『帰去来』
『隠士』
『大原御幸』戸村美術
『魚藍観音』
『木の間の秋』東京国立近代美術館
『春秋鹿図』
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下村観山(明治6年1873~昭和5年1930)は、紀州徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれた。幼い頃から狩野芳崖や橋本雅邦に師事して狩野派の描法を身につけ、明治22年(1889)に東京美術学校に第一期生として入学し、横山大観や菱田春草らとともに、校長の岡倉天心の薫陶を受けた。卒業後は同校の助教授となるが、天心を排斥する美術学校騒動を機に辞職、日本美術院の創立に参画し、その後は日本美術院を代表する画家の一人として、新しい絵画の創造に力を尽くしたことで知られる。大正2年(1913)には実業家・原三溪の招きにより、横浜の本牧に終の棲家を構えた、本市ゆかりの画家でもある。
狩野派の厳格な様式に基礎を置きながら、やまと絵の流麗な線描と色彩を熱心に研究し、さらにイギリス留学および欧州巡見による西洋画研究の成果を加味し、気品ある独自の穏やかな画風を確立した観山。本展では生誕140年を記念し、十代の狩野派修行期から、円熟した画技を示した再興日本美術院時代まで、代表作を含む約140件(展示替えあり)により、画業の全容を紹介する。
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition_web/100/
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岡倉天心生誕150年・没後100年記念 
生誕140年記念「下村観山展」横浜美術館
2013/12/06 - 2014年2月11日

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2013年11月28日 (木)

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人・・・哀愁のイタリア

Takeuchi_seihou黄葉の木の下の道を歩いて、美術館に行く。竹内栖鳳の百年前のイタリアの光景をみると、美しい哀愁のイタリアが蘇る。ローマ遺跡の廃墟の光景を描いた水墨画風の屏風『羅馬之図』。『ベニスの月』の水墨画は、涙にむせぶ。ヴェネツィアの憂愁の風景はバイロン『チャイルド・ハロルドの巡礼』(1818)の青春の悔恨と魂の救済を思い出す。
竹内栖鳳『絵になる最初』(1913)の京女は、形姿を超えた美がある。
京都画壇最高の画家、竹内栖鳳は、四条派、円山派、狩野派、日本がすべての手法を身につけ、1900年36歳の時、7ヶ月ヨーロッパを旅した。ヨーロッパ美術に衝撃を受け西洋美術の写実技法を身につけ、外形の写実ではなく、本質を捉えることを追求した。
主な作品
『城外風薫』昭和5(1930)年山種美術館
『絵になる最初』大正2(1913)年京都市美術館
『炎暑』昭和5(1930)年 愛知県美術館(木村定三コレクション)展示期間 9/25~10/14
『班猫』(重要文化財)大正13(1924)年 山種美術館 展示期間:9/25~10/14(東京展)、11/12-12/1(京都展)
『絵になる最初』 大正2(1913)年 京都市美術館
『羅馬之図』明治36(1903)年 海の見える杜美術館 展示期間 9/3~9/23
『ベニスの月』(ビロード友禅)明治40(1907)年 大英博物館
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日本画家の竹内栖鳳(1864-1942)は、京都画壇の近代化の旗手として土田麦僊をはじめとする多くの後進に影響を与えました。
栖鳳は京都に生まれ四条派の幸野楳嶺に学びましたが、積極的に他派の筆法を画に取り入れ、また定型モティーフとその描法を形式的に継承することを否定し、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしました。その背景には、1900年のパリ万博視察のための渡欧がありました。現地で数々の美術に触れ、実物をよく観察することの重要性を実感したのでした。
しかし、やみくもに西洋美術の手法を取り入れたのではないところに栖鳳の視野の広さがありました。江戸中期の京都でおこった円山派の実物観察、それに続く四条派による対象の本質の把握と闊達な筆遣いによる表現は幕末には形式的なものとなり、定型化したモティーフとそれを描くための筆法だけが残されてしまいました。栖鳳は実物観察という西洋美術の手法を参考にしつつ、西洋と肩を並べられるような美術を生み出そうという気概でこれら伝統絵画の根本的理念をもう一度掘り起こそうとしたのです。
本展は、栖鳳の代表作、重要作、長らく展覧会に出品されてこなかった作品約100点、素描などの資料約50点で栖鳳の画業を通観し、栖鳳が新たな時代に築いた日本画の礎を示します。
近年、土田麦僊、上村松園、村上華岳といった代表的な画家のみならず、都路華香、稲垣仲静など、これまで広くは知られてこなかった京都の日本画家たちが展覧会で紹介されています。今回、彼らに大きな影響を与えた栖鳳の画業を振り返ることにより、京都画壇ひいては日本画の近代化という事象を改めて検証することも可能となるでしょう。
http://seiho2013.jp/highlight.html
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★竹内栖鳳展 近代日本画の巨人 その筆は、極限を超える
2013年9月3日(火)~10月14日(月・祝):東京国立近代美術館
2013年10月22日(火)~12月1日(日):京都市美術館
http://seiho2013.jp/
★竹内栖鳳『ベニスの月』( 1907 )

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2013年9月 4日 (水)

速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち・・・燃え上がる生命の炎舞

20130627速水御舟の花は、死の匂いがする。「花の香りは死の香りである。」(大久保正雄『花盛りの京都、幻の都へ』)
御舟の花は、『炎舞』の焔に集まる蛾の群れのように、生命の頂点で命の焔を燃やし、死の匂いを漂わせる。夏の闇に舞う生命の炎舞は、藝術家の美の頂点であり、生の頂点であった。(大久保正雄『魂の美学』藝術家の愛と死)
Wer die Schönheit angeschaut mit Augen,
Ist dem Tode schon anheimgegeben,
Wen der Pfeil des Schönen je getroffen,
Ewig währt für ihn der Schmerz der Liebe!
「美はしきもの見し人は、はや死の手にぞわたされつ。
美の矢にあたりしその人に、愛の痛みは果てもなし。」
(アウグスト・フォン・プラーテン『トリスタン』1825生田春月訳)
速水御舟は、『菊』のような徹底した写実、細密描写から『炎舞』(1925)『名樹散椿』(1929)のような琳派的な象徴的装飾的表現へと展開した。41歳で逝った御舟の頂点は、31歳から35歳であった。
「実在するものは美でも醜でもない。唯真実のみだ。若し我々が確実にその真を掴んだとすれば、そこには美だとか醜だとかと言ふ比較的なものを超えた、より以上の存在を感じなければならない筈だ。或いは夫れをこそ真の美と言ふべきであるかもしれない。」速水御舟☆
☆速水御舟『菊(菊花図)』4曲1双(1921)大正10、紙本金地著色 個人蔵。
速水御舟『絵画の真生命―速水御舟画論』
■主な展示作品
速水御舟『炎舞』(1925)
『牡丹花(墨牡丹)』1934
『白芙蓉』1934年
『昆虫二題』1926年 琳派的、装飾的、幻想的な象徴絵画。『葉陰魔手』では蜘蛛の巣が拡がり蜘蛛に捕えられる。『粧蛾舞戯』では蛾の群れが炎の渦の中に吸いこまれる。
『翠苔緑芝』1928
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山種美術館は、近代・現代の日本画を中心に、とりわけ日本美術院(院展)の画家たちの作品を数多く所蔵しています。2014年に院展が再興100年を迎えることを記念し、当館に縁の深い院展画家、そして当館コレクションの中でも最も重要な院展画家の一人・速水御舟(1894-1935)に焦点をあてた展覧会を開催します。
院展は岡倉天心の精神を引き継いだ横山大観、下村観山らを中心に1914(大正3)年に再興されました。当時の日本画家たちは押し寄せる西洋画に相並ぶ、新時代の日本画を探求しており、再興院展は官展とともに中心的な役割を果たしていました。そのなかでも御舟は第一回目から再興院展に出品し、常に新たな日本画に挑み続けた画家でした。
御舟の約40年という短い人生における画業は、伝統的な古典学習、新南画への傾倒、写実に基づく細密描写、そして象徴的な装飾様式へと変遷しました。一つの画風を築いては壊す連続は、型に捉われない作品を描き続けた、画家の意欲の表れといえるでしょう。
本展では、御舟の芸術の変遷を、再興院展という同じ舞台で活躍した画家たちとの関わりを中心にご紹介いたします。御舟芸術の軌跡は、同門の今村紫紅、小茂田青樹、さらには御舟をいち早く評価した大観、そして安田靫彦、前田青邨など、つながりの深い院展画家たちとの交流や、同時代の院展の動向と密接に関わっていました。当館の誇る御舟コレクションから、古典学習と構成美の集大成《翠苔緑芝》(院展出品作)や、写実により幻想的な世界を表現した《炎舞》【重要文化財】をはじめとする代表作の数々を、同時代の画家たちの作品とともにご覧いただきます。大正期から日本画壇の中心であり続ける再興院展の芸術の神髄に迫ります。
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再興院展100年記念 速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち― 山種美術館
2013年8月10日(土)~10月14日(月・祝)
http://www.yamatane-museum.jp/ 
★速水御舟『炎舞』(1925)

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2012年9月 3日 (月)

村上華岳「裸婦図」・・・魂の見えざる美

2012 夏の終わり、「魂」を一時的に黄金色の透明な玉に収めておく「撥遣式」という儀式が、平等院鳳凰堂で行なわれた。魂を器に入れる儀式である。魂を入れる器はあるのか。
真の魂は美しい。美しい魂はまれである。だが、魂は見えない。
この世には、美しい魂と、醜い魂がある。美を装った、醜悪な魂もある。正義を装った偽りの正義がある。魂には器がある。肉体の器、虚偽の器。多くの人は、偽りの器にだまされる。この世は、競争社会、殺し合いの社会。真実が生き残るのは至難である。
魂は、見えない。だが、魂は、言葉のなかに、行為のなかに、思考のなかに、魂の真の姿が現れる。美しい魂が、身口意一致して、この世に現象するとき、真の哲学者が現れる。
村上華岳「裸婦図」には、魂の美が描かれている。
愛には、真実の愛、偽りの愛、肉体の愛、魂の愛がある。本当の愛は、どこにあるのか。人は、魂の果てまで、旅する。
真実を探求する者は、見える現象を超えて、見えざる本質を観なければならない。
知恵を愛する人が、本質に到達する時、真の美しい魂、真実の愛が見える。
大久保正雄
2012/09/03
■「魂」を一時的に黄金色の透明な玉に収めておく儀式「撥遣(はっけん)式」平等院鳳凰堂 @leonardo1498: 平等院鳳凰堂、本尊の魂移す 大規模修理に備え 京都: 朝日新聞2012/09/03 http://bit.ly/PT9epJ
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■平等院鳳凰堂、本尊の魂移す 大規模修理に備え 京都
修理のため本尊の撥遣式が執り行われた平等院鳳凰堂=3日午前11時14分、京都府宇治市
 世界遺産の平等院(京都府宇治市)は3日、11世紀創建の国宝・鳳凰(ほうおう)堂の大規模修理に合わせ、期間中、本尊・阿弥陀如来坐像の「魂」を一時的に黄金色の透明な玉に収めておく儀式「撥遣(はっけん)式」をした。
 鳳凰堂では、本尊を安置する中堂や、左右の翼廊の傷みが進んだため、柱などの塗り直しや瓦のふき替えをする。工期は3日から2014年3月末まで。この間、鳳凰堂には入れず、外観も見ることができない。
 この日は雅楽が奏でられる中、神居文彰住職らが鳳凰堂内へ入り、古式にのっとり儀式を厳かに行った。
朝日新聞2012/09/03
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★村上華岳「裸婦図」1920 山種美術館

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2012年8月 2日 (木)

福田平八郎「牡丹」・・・花の命は短く、美しい

20120526001 静寂な空間のなかに満開の牡丹が咲き乱れている。美しく、悲しく、妖艶である。花の命は短く、美しい時はつかの間である。女の美しさのように。裏彩色から浮かび上がる花の生命、花の魂を感じる。静けさのなかに気品がある。日々、殺し合いのような日常業務のなかで、命を込めた藝術をみると、心癒される。
宗画の細密な写実の技法で描かれた若き日の画家の作品。画家福田平八郎(1892-1974)、32歳の時の作品。大久保正雄
★展示作品
福田平八郎「牡丹」2曲1隻、大正13年(1924)
福田平八郎「漣」昭和7年(1932年)大阪市立近代美術館建設準備室蔵
俵屋宗達、本阿弥光悦 「四季草花 和歌短冊帖」紙本、金銀泥
加山又造「濤と鶴」1977、紙本、彩色。
「百花繚乱 桜・牡丹・菊・椿」展、山種美術館2011でもみた『牡丹』が美しい。
★生誕120年福田平八郎と日本画モダン、山種美術館
2012年5月26日(土)~7月22日(日)

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2010年10月31日 (日)

稲垣仲静「猫」・・・深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている

20100915_inagakichuseicat悲運の天才画家、夭折した画家、孤独死した画家。世に埋もれた画家、不世出の鬼才がこの世に蘇り、再評価されている。
高島野十郎「蝋燭」、田村一村「アダンの木」、稲垣仲静「猫」。
■25歳で夭折した画家、稲垣仲静(1897-1922)
凄絶なリアリズム、美醜を超越した美、孤高の藝術世界。退廃的で官能的な日本画。妖しい魅力を放つ、猫、軍鶏、鶏頭、太夫。
猫は、猫ではなく、化生のもの、妖怪である。化粧の女でもある。
凄絶で緻密な軍鶏、鶏頭をみると、生と死の深淵を覗く思いである。
「軍鶏」1919、京都国立近代美術館蔵
「太夫」1919年頃、京都国立近代美術館蔵
「猫」1919、星野画廊蔵
「鶏頭」1919
「深淵」1921
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」Nietzsche『善悪の彼岸』
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■稲垣仲静、稲垣稔次郎展
大正期の日本画壇を風靡した国画創作協会展に、京都市立絵画専門学校在学中より入選を果たし、克明な自然描写の中に、官能性や狂気を表現する画家として将来を嘱望されながら、大正11年に25歳の若さで亡くなった稲垣仲静(1897-1922)。その弟で染色作家として名をなし、昭和37年に型絵染の人間国宝に認定された稔次郎(1902-63)。兄弟の父は日本画家であり工芸図案家でもあった稲垣竹埠(ちくう)で、兄弟でそれぞれの道を継ぐような形となりましたが、その根幹に共通するものは、身の回りの自然を凝視し、形象化しようとする強い意志でした。
弟は早逝した兄を終生尊敬し、ことある毎に「兄貴と二人展をしたい。兄貴には負けへんで」と語っていたといいます。今回の兄弟回顧展は、その念願を果たすもので、また兄・仲静にとっては、没後すぐに開催された遺作展以来約九十年ぶりとなる本格的な回顧展です。
日本画と工芸。ジャンルは異なりますが、自己の求める芸術を産み出すことに苦心しつつも邁進した兄弟の「芸術熱」を見て取ることができる、絶好の機会になることでしょう。
京都国立近代美術館、笠岡市立竹喬美術館から巡回し、いよいよ東京での開催です。
稲垣仲静(いながき ちゅうせい)
明治30(1897)年京都生まれ。本名は広太郎。
明治45年に京都市立美術工芸学校に入学、大正6(1917)年同校卒業後、京都市立絵画専門学校に進学。当時、一学年上には前田荻邨や山口華楊、一学年下には堂本印象ら京都画壇の中心画家達が在籍していた。
在学中の大正8年、第2回国画創作協会展に出品した《猫》が初入選して画壇の注目を集める。卒業後の大正11年には福村祥雲堂が主宰する「九名会」のメンバーに選ばれ、同会展にも出品。しかし同年、腸疾患のため25歳の若さで夭折した。(プレスリリースより)
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京都国立近代美術館 平成22年5月18日(火)~6月27日(日)
笠岡市立竹喬美術館 平成22年7月17日(土)~8月29日(日)
★練馬区立美術館 平成22年9月15日(水)~10月24日(日)

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2010年10月18日 (月)

上村松園展・・・美人画の系譜

2010090701shoen 浮世絵の美人画の系譜は、鈴木春信、鳥居清長、菱川師宣、勝川春章、喜多川歌麿、渓斎英泉。春信は初期的、歌麿は艶麗、英泉は下品。江戸末期の歌川豊国、歌川国貞、歌川国芳は退廃的、浮世絵のバロックである。
この系譜の上に、鏑木清方と上村松園がある。日本画の美人画は、芸妓、色町の世界であり、階級社会が背景にある。清方は明治の女学生、松園は町娘も描いた。
前期、後期展示をみた。
「焔」1918、「序の舞」1916、「花がたみ」1915、「蜃気楼」「娘深雪」1914、「砧」1938、「雪月花」1937他を見る。
「焔」は東京国立博物館近代絵画室の暗がりでみた時、怨霊が立ち上がってくるようであった。足がない。六条御息所は葵の上への屈辱と嫉妬から生霊になり葵の上を取り殺す(謡曲「葵上」)。
上村松園:明治8年(1875)-昭和24年(1949)女性の目を通して美人画を描いた。「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(松園)を目ざしたという。
素描を含む100点以上が展示される。これまでの最大規模の展覧会。
■美しくない美人画
松園は、線の美しさ、淡い色彩の美しさが特質である。絵の中の女性は美人ではない。
レオナルド、カラヴァッジョ、ジョン・エヴァレット・ミレイのような内面の深みは、日本画には欠ける。
美人画は好みの女でなければ、魅力はない。
■上村松園展
東京国立近代美術館9月7日-10月17日
京都国立近代美術館11月2日-12月12日

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2009年12月23日 (水)

清方/Kiyokata ノスタルジア―鏑木清方の美の世界・・・美女の姿態

20091117_211月17日、冷たい雨の中、六本木に行く。美人画家は、容貌、目、唇、指先、姿、面影、様々な女の姿態、形象の中に女性美を探求する。鏑木清方には、春信、春章の影響がみられる。浮世絵師、鈴木春信、勝川春章、鳥文斎栄之を好んだ。「春宵」「嫁ぐ人」(鏑木清方記念館)他、明治時代の女学生をみると、風俗画の中に時代の情緒が封じ込められている。清方は、近代日本の美人画家、上村松園、伊東深水と並び称せられる。日本の美人画は、様式化された美を追求する。「初夏の化粧」(大正5)「口紅」(昭和14)、化粧する女が美しい。だが、悩める美女の美しさに美は極まる。「道成寺・鷺娘」(1918福富太郎コレクション)「春の夜のうらみ」(1922新潟県立美術館)がある。内覧会で15年ぶりに、山脇晴子・日本経済新聞文化事業局長に会った。
■悩める美女
「桜姫」(1923新潟県立美術館)は、歌舞伎狂言「清玄桜姫」による作品。僧の清玄が桜姫の容色に道を誤る。桜姫に恋した僧清玄が破門の末、殺されて執念が残り桜姫に纏わりつく物語である。桜姫が身をよじり、おびえて顔を手で覆っている場面が描かれている。悩める美女。身をよじる女の姿は、ミケランジェロの彫刻のようである。日本のバロック。鏑木清方の最高傑作である。
展示構成
第一章 近代日本画家としての足跡
第二章 近世から近代へ-人物画の継承者としての清方
第三章 「市民の風懐に遊ぶ」-清方が生み出す回顧的風俗画
第四章 清方が親しんだ日本美術
第五章 清方の仕事-スケッチ、デザイン
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近代日本画に大いなる足跡を残した巨匠、鏑木清方(1878~1972)。彼の目は、明治から昭和という激動の時代にあって、なお人々の暮らしに残る、あるいは消えつつあるものを捉え、特に人物画において独自の画境を開いてきました。また、清方は伝統的な日本美術から多くのことを学んでおり、自身の画風にも色濃く反映されています。
本展は、近代に残る江戸情緒、そして自身が学んだ古きよき日本美術という、清方にとっての2つのノスタルジアに焦点をあて、清方芸術の魅力を探ろうとするものです。清方の代表的な名作はもちろん、初公開となる清方作品、清方旧蔵の肉筆浮世絵など、これまでの清方展では紹介されることのなかった作品も出品されます。本展を通じて、近代の日本画家という枠組みを越え、近世以前からの連続的な歴史の中で浮かび上がる、鏑木清方の美の世界をお楽しみください。
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★清方/Kiyokata ノスタルジア―名品でたどる 鏑木清方の美の世界―
サントリー美術館
2009年11月18日(水)~2010年1月11日(月・祝)
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/09vol06/index.html

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2009年11月27日 (金)

速水御舟展、新山種美術館・・・炎と闇

20091001 40歳で夭折した画家、速水御舟は、「炎舞」「名樹散椿」他、不朽の名画を残した。「炎舞」の舞い飛ぶ蛾と炎と闇は何を象徴するのか。「名樹散椿」の枝を広げる樹木と舞い散る花弁は、何を意味するのか。御舟の絵画空間は美しく深い。
御舟は1930(昭和5)年、大観らとローマ日本美術展覧会美術使節として10ヶ月間渡欧、13か国48都市を訪れて、ヨーロッパ美術を見た。エルグレコ、ジョットに影響を受けて、人物画を模索し死に至るまで画境を追求した。未完の「婦女群像」1934が残されている。御舟の見果てぬ夢を辿る展覧会である。

御舟はこれまでくりかえし観てきたが、何度みても見飽きない美しさと深さを秘めている。*
*「速水御舟展」山種1976、「日本美術院創立100年記念展 近代日本美術の軌跡」1998東京国立博物館、「速水御舟展」山種2004年、「速水御舟展」平塚市美術館2008、「琳派から日本画へ」山種2008年。
■展示作品
≪炎舞≫(重要文化財)1925、≪名樹散椿≫(重要文化財)1929、 ≪山科秋≫、≪桃花≫、≪春昼≫、≪百舌巣≫、 ≪昆虫二題葉蔭魔手・粧蛾舞戯≫1926、≪翠苔緑芝≫1928、 ≪紅梅・白梅≫、≪豆花≫、≪オリンピアス神殿遺址≫1931、 ≪暗香≫、≪牡丹花(墨牡丹)≫1934、≪あけぼの・春の宵≫、 ≪秋茄子≫他 特別出品 ≪婦女群像≫1934、「渡欧日記」1930、他120点。
展示構成
第1章:画壇からの出発
第2章:古典への挑戦
第3章:渡欧から人物画へ
第4章:挑戦者の葛藤
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大正から昭和を駆け抜けた日本画家・速水御舟。40年の短い生涯におよそ700余点の作品を残しましたが、その多くが所蔵家に秘蔵されて公開されることが少なかったため、「幻の画家」と称されていました。
 初期の南画風の作風から、細密描写、象徴的作風、写実と装飾を融合した画風、そして水墨画へと、御舟はその生涯を通じて、短いサイクルで次々と新しい試みに挑み続け、常に挑戦者であろうとしました。
 新「山種美術館」開館記念特別展では、当館所蔵の≪炎舞≫≪名樹散椿≫(重要文化財)を始めとする120点の御舟作品に加え、本邦初公開となる未完の大作≪婦女群像≫(個人蔵)および1930(昭和5)年の 渡欧日記(個人蔵)などを出展します。
 これらの新出資料を通じて、1935昭和10年40歳の若さで急逝した御舟が新たに目指していた方向性が明らかになることでしょう。本展では、山種美術館所蔵の御舟作品をすべて展示し、皆様にいま一度、御舟作品の凄みを体感していただきたいと思っています。
■新山種美術館開館記念特別展「速水御舟-日本画への挑戦-」
会期:2009年10月1日(木)~11月29日(日)
山種美術館 〒150-0012 東京都渋谷区広尾3-12-36
http://www.yamatane-museum.or.jp/

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2009年7月31日 (金)

村上華岳「裸婦図」・・・崇高なヌード

2009 霊と肉の調和
「肉であると同時に霊でもあるものの美しさ」である。肉体と精神性、妖艶と聖性、官能美と知性の覚醒の境地という相反する要素、対立する要素の不思議な調和がある。
幽玄な森を背景に、一人の薄絹をまとった女。女性は耳飾、胸飾、首飾、臂釧、腕釧などの装身具を身につけていて、印度の仏像彫刻のようである。豊麗な体は、透明な衣の繊細にして強い描線で縁取られている。
■美の根源のエロス
女は艶麗でありかつ、清純な姿である。たたたずまいに立ち上る仄かな色香。肌理細やかな肌に、幽かな朱色。艶然として仏像のようなまなざし。美の根源にはエロスがある。
縦163 cm、横109 cm、現身の等身大の作品である。
近代日本画を作り上げた画家、村上華岳1888-1939(明治21-昭和14)。51才で亡くなった画家、32才の作品。
村上華岳「裸婦図」1920(大正9)第3回国画創作協会展、絹本・彩色・額(1面)163.6×109.1cm
山種美術館所蔵、「上村松園、美人画の粋」山種美術館にて、7月26日。

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