バロック

2022年2月26日 (土)

西洋絵画の500年、カラバッジョ・・・バロック、若者たち、女詐欺師、残酷な美女、欲望に溺れる女

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』272回

バロック美術は、カラバッジョに始まる。15世紀、ルネサンスの調和的美に対して、17世紀、カラバッジョは、光と闇の対比、写実主義、劇的表現を特色とする絵画を始めた。
【カラバッジョの破滅的生涯】
カラバッジョMichelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)は、北イタリアベルガモ近郊カラバッジョ生まれる。6歳の時父が死に、13歳の時ミラノで画家の修業を開始し、1592-93、20代でローマに出る。作品が人気となり支援者を得る。1596年25歳の時、デル・モンテ枢機卿が『女占師』(1596)を買い上げ、枢機卿の館に住む許可を与えられ、上流階級に紹介され、運命の扉を開く。
カラバッジョの生涯は彼の絵画表現以上に激情的である。誹謗中傷、口論、決闘、相次ぐ無法行為のために1600年から1607年、警察と裁判所の監視下に置かれる。1506年、35歳の時、人を殺害し死刑判決を受ける。絵を描いて逃走資金を作り、ナポリへ逃亡。支援者の援助を受けながら、マルタ島、シチリア島へ逃亡をつづける。恩赦を得るためローマへ戻る途中38歳で病死した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【闇の絵画、バロック画家の死】1610年、カラバッジョ38歳。1660年、ベラスケス61歳。1640年、ルーベンス62歳。1669年、レンブラント63歳。1652年、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール58歳。1675年、フェルメール43歳。
【バロック、いかさま師、リアリズムの探求】
カラバッジョ「いかさま師」1595ルーヴル美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625年ルーヴル美術館、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
【バロック、欲望に溺れる女、人殺し女、リアリズムの探求】
フェルメール『恋文』
【カラバッジョ、艶めかしい青年、果物籠をもつ少年】カラバッジョ、艶めかしい青年は、凋落を意味する。朽ち果てる果物。命は儚く短い。この世の命は儚く。この世の美は儚く脆い。
――
1
【カラバッジョ「音楽家たち」1595-6年】3人が楽器を演奏したり歌ったりしている。4人目の天使はブドウの房に手を伸ばしている。中心となるリュート奏者は、カラバッジョの友人であるマリオミンニティ、そして隣の読書をしている人に対面している人が作者カラヴァッジョらしい。少年たちが愛を祝うマドリガル(牧歌的叙情短詩)を練習している、主演奏者のリュート奏者の目は泪に濡れていた。その歌は愛の喜びよりむしろ悲しみを表している。前景にあるヴァイオリンはこの絵画の隠れた5人目の人物を連想させる。
カラバッジョは1595年、枢機卿一家フランシスコ・マリア・デルモンテの要員に加わった。「音楽家たち」は枢機卿への画家の初めての作品だと推定される。
2
【ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625】現代のいかさま師はだれか。医者、弁護士、政治家、僧侶、陽明学者、政治学者、税理士、コンサルタント、営業職、ハウスメーカー、不動産業者。
3
【フェルメール『信仰の寓意』1672】女は、天井から青いリボンで吊り下げられたガラス玉をうっとり見つめる。壁面の画中画は、磔刑図。足元に地球を踏みつけ、床にリンゴ、血を吐くヘビがいる。これは、罪の寓意。この絵画は、何を寓意しているのか。
『絵画の寓意』(『絵画芸術』)とともに、フェルメールが描いた現存する二点の寓意画のうちの一つ。
『イコノロジア』からの寓意
フェルメールが絵画に表現した寓意は、イタリア人美術学者チェーザレ・リーパが著した寓意画集で、1644年にD.P.ペルスがオランダ語に翻訳した『イコノロジア (Iconologia overo Descrittione Dell’imagini Universali cavate dall’Antichità et da altri luoghi)』に多くを負っている。フェルメールはこの『イコノロジア』からさまざまな記述と図像を採用している。例えば女性の衣服の配色、手の仕草、リンゴ、押し潰されたヘビである。リーパはその著書で、美徳の中でも信仰がもっとも重要であると考える。
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展示作品の一部
カラヴァッジョ「音楽家たち」1597年
こちらは、画面内に高密度で描かれた4人の美少年が印象的な作品。1597年、26歳のカラヴァッジョが、最初のパトロンとなったデル・モンテ枢機卿のために描いた
ニコラ・プッサン「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ」1655
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』1630メトロポリタン美術館
ジョルジュ・ド・ラトゥール「ダイヤのエースを持ついかさま師」1625
ヨハネス・フェルメール「信仰の寓意」1672
ベラスケス工房「オリバーレス伯公爵ガスパール・デ・グスマン」(1587-1645年)
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参考文献
カラバッジョ展・・・光と闇の藝術
https://t.co/2TRjfXSHHK
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0 
エル・グレコ展・・・天上界と地上界の融合、 「昨夜私は永遠を見た」
https://bit.ly/3radRHN
フェルメールと17世紀オランダ絵画・・・ドレスデンの思い出
https://bit.ly/3sPtioB
ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史、国立西洋美術館・・・黄昏の帝国、旅の思い出
https://bit.ly/2C7rE7K
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
https://bit.ly/2Q14xnz
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メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年・・・美女の歴史、詐欺師女、残酷な美女、欲望に溺れる女
https://bit.ly/3p6BrUA
西洋絵画の500年、カラバッジョ・・・バロック、若者たち、女詐欺師、残酷な美女、欲望に溺れる女
https://bit.ly/3hrwK3b
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「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」国立新美術館、2022年2月9日(水)~5月30日(月)

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2018年10月25日 (木)

ルーベンス展―バロックの誕生・・・宮廷画家、バロックの荘厳華麗

Rubens_2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第160回
金木犀の香る森を歩いて、美術館に行く。ハプスブルグ帝国の都市を旅した青春の日々を思い出す。ウィーン美術史美術館、プラド美術館、ドレスデン古典絵画館、ルーベンスの部屋。ルーベンスは、ハプスブルク家の宮廷画家、荘厳華麗な三連祭壇画と神話画。イタリア・ルネサンスに影響を受けた教養人。
ルーベンスの絵画は、ルノワールのような豊満な裸体を想起する。53歳の時、2番目の16歳の妻、エレーヌの肉体美である。
――
【ルーベンス、22歳で画家、62歳で死す。1400点の作品】
ルーベンス(1577-1640)、アントウェルペンに生まれる。古典的知識を持つ人文主義者、美術品収集家、七ヶ国語を駆使して、外交官として活躍。ハプスブルク家の宮廷画家。
スペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世から騎士爵位を受ける。対抗宗教改革の主導者の一人。
ルーベンスの父ヤンはオランダ総督オラニエ公ウィレム1世の二度目の妃アンナの法律顧問、愛人となり1570年にジーゲンのアンナの宮廷へと居を移す。アンナの愛人であることが発覚して投獄されたヤン。後に釈放され、1577年にマリアとの間にルーベンスが生まれた。1587年、父、死す。アントウェルペンでカトリックに改宗。
1、ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)  1577-1598
1590年、生活に困窮した母マリアは、13歳のルーベンスをフィリップ・フォン・ラレング伯未亡人のマルグレーテ・ド・リーニュの下へ小姓に出す。アントウェルペンの画家組合、聖ルカ・ギルドへ入会、見習いとして修業する。1598年に修業を終え、画家として出発する。
2、イタリア時代(1600年-1608年)
23歳でイタリアに行き、8年間滞在する。ヴェネツィアに行く。マントバ公の宮廷画家になる。古代彫刻の理想美を絵画化する*。「ラオコーン」「ベルヴェデーレのトルソ」「かがむアプロディーテとエロス」に心酔する。ヴェネツィアで、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェネツィア派の画家に深い影響を受ける。ローマで、カラバッジョの影響を受ける。
1603年、マントバ公の使者として、フェリペ3世への贈物を携えてスペイン訪問。
3、アントウェルペン時代(1609年-1621年)
アントウェルペンに帰り、工房を開く。1611年、三連祭壇画「キリスト降架」「キリスト昇架」(1611-14)アントウェルペン聖母大聖堂を制作。
4、『マリー・ド・メディシスの生涯』制作、外交官として活躍(1621年-1630年)
1621年、フランス王太后マリー・ド・メディシス、パリのリュクサンブール宮殿の装飾に、自身の生涯と前フランス王1610年に死去した夫アンリ4世の生涯とを記念する連作絵画2組の制作をルーベンスに依頼。
24点の絵画からなる『マリー・ド・メディシスの生涯』1625年、ルーヴル美術館蔵。
三連祭壇画『聖母被昇天』(1625-1626)アントウェルペン聖母大聖堂
【外交官、ルーベンス】1628年、イサベラ大公妃の使者として、マドリードに行き、フェリペ4世の宮廷画家となる、ベラスケスにティツィアーノの偉大さを吹き込む。
1629年、フェリペ4世の使者として、ルーベンス、スペインからイギリスに行き、チャールズ1世と和平交渉する。
1630年、スペインとイギリス、和平交渉、成功。
5、晩年(1630年-1640年)16歳のエレーヌと再婚
最初の妻イザベラが死去した4年後、1630年、53歳のたルーベンスは16歳のエレーヌ・フールマンと再婚。エレーヌをモデルとした肉感的な女性像を描く。
痛風を患っていたルーベンス、心不全で1640年5月30日に死去。
『ヴィーナスの饗宴』(1635年頃、ウィーン美術史美術館、『三美神』(1635年頃、プラド美術館)、『パリスの審判』(1639年頃、プラド美術館)
【ルーベンスとベラスケス】
1628年-1629年、宮廷画家。外交官ルーベンス、マドリッド訪問。美術愛好家フェリペ4世により、宮廷内にアトリエを与えられる。ベラスケス、ルーベンスに教えを受ける。ベラスケス、1628年ルーベンスに「ヴェネツィア派ティツィアーノ」の偉大さを教えられる。1629年、1回目のイタリア旅行に行く。1647年、2回目のイタリア旅行(1647-1651年)。
ルーベンス(1577-1640)、アントウェルペンで工房を営み、2階から弟子たちの作業を指揮する。1400点の作品を世に残す。
ルネサンスの巨匠とバロックの巨匠たち
【ティツィアーノ】1528年以降、ティツィアーノ(1488-1576)、40代。ハプスブルグ家、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷伯爵、となる。黄金拍車の騎士の号を受ける。フェリペ2世の肖像画を描く。
1550年、ティツィアーノ、アウグスブルグでフェリペ2世に会う。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
――
【バロック】カラヴァッジオの光と闇、ベラスケスの宮廷画、ルーベンスの華美、レンブラントの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの静謐な空間。
暗闇の中に差し込む一条の光。蝋燭の光に照らされた顔。16世紀から17世紀、光と闇を描いたバロックの画家たち。徹底した写実主義で劇的な光の効果を描いたカラヴァッジオ、暗闇の中にともる光で宗教画を描いたラ・トゥール、深い闇と静謐な光を描いたレンブラント。カラヴァッジョは17世紀の画家に深い影響を与えた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い』
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展示作品の一部
ルーベンス「聖アンデレの殉教」1638-39油彩カンヴァス306cm×216cm マドリード、カルロス・デ・アンベレス財団
ペーテル・パウル・ルーベンス「法悦のマグダラのマリア」(1625-28)リール美術館
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニと工房「聖テレサの頭部」(17世紀半ば)
ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》 ワシントン、ナショナル・ギャラリー
ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》 ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
――
参考文献 
バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1
カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術
https://bit.ly/2NJNcyQ
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス
http://bit.ly/2Ho8bR0
「ティツィアーノとヴェネツィア派展」東京都美術館
https://t.co/jijpFTn66k
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール: 光と闇の世界、国立西洋美術館
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2005_192.html
『ルーベンス展―バロックの誕生』図録2018
――
ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は、バロックと呼ばれる壮麗華美な美術様式が栄えた17 世紀ヨーロッパを代表する画家です。彼は大工房を構え時代に先駆ける作品を量産し、同時代以降の画家たちに大きな影響を与えました。さらにその能力は画業にとどまらず、ヨーロッパ各地の宮廷に派遣されて外交交渉をも行いました。
本展覧会はこのルーベンスを、イタリアとのかかわりに焦点を当てて紹介します。イタリアは古代美術やルネサンス美術が栄えた地であり、バロック美術の中心もローマでした。フランドルのアントウェルペンで育ったルーベンスは、幼いころから古代文化に親しみ、イタリアに憧れを抱きます。そして1600年から断続的に8年間この地で生活し、そこに残る作品を研究することで、自らの芸術を大きく発展させたのです。本展はルーベンスの作品を、古代彫刻や16世紀のイタリアの芸術家の作品、そしてイタリア・バロックの芸術家たちの作品とともに展示し、ルーベンスがイタリアから何を学んだのかをお見せするとともに、彼とイタリア・バロック美術との関係を明らかにします。近年では最大規模のルーベンス展です。国立西洋美術館
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2018rubens.html
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★ ルーベンス展―バロックの誕生、国立西洋美術館
2018年10月16日(火)~2019年1月20日(日)

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2018年3月10日 (土)

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス

20180224大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第140回
ベラスケスの絵を見ると、早春のイベリア半島、スペインの大地を旅した日々を思い出す。『アランフェス協奏曲』をきくと、スペインの哀愁が蘇る。アルハンブラ宮殿、トレドのアルカサール、ロンダの断崖。プラド美術館、ベラスケス『ラス・メニーナス』、ヒエロニムス・ボス『快楽の園』。サン・トトメ教会のエル・グレコ『オルガス伯の埋葬』。
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ベラスケス「王太子バルタサール・カルロスの騎馬像」。フェリペ4世の子、6歳の姿を描いた絵画。馬の前足を上げる凛々しい雄姿。スペイン・ハプスブルグ帝国の王位を継ぐ予定だったが16歳で亡くなった。フェリペ4世の王女マルガリータ・テレサは、14歳で結婚、21歳で死ぬ。権力至上のハプスブルグ帝国は、青い血の血族結婚で滅びる。
ベラスケスは、19世紀半ばエドゥアール・マネに発見されるまで知られざる画家だった。
*大久 保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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17世紀、スペイン・ハプスブルク帝国の落日、美術の黄金の世紀
■ディエゴ・ベラスケスDiego Velázquez (1599-1660)
1623年、24歳の若さで国王フェリペ4世の王直属の画家になる。33年間の宮廷画家、官僚生活を内心は嫌悪していた。1652年宮廷配室長になり、王宮の鍵を管理する。官僚の激務で、61歳で死す。心筋梗塞。
1628年—1629年、宮廷画家。外交官ルーベンス、マドリッド訪問。美術愛好家フェリペ4世により、宮廷内にアトリエを与えられる。ベラスケス、ルーベンスに教えを受ける。ベラスケス、1628年ルーベンスに「ヴェネツィア派ティツィアーノ」の偉大さを教えられる。1629年、1回目のイタリア旅行に行く。1647年、2回目のイタリア旅行(1647~1651年)。1651年ベラスケス、イタリア旅行から帰国。5歳の王女マルガリータを描く。最高傑作『ラス・メニーナス』1656『白衣の王女マルガリータ』1656
ベラスケスは、破天荒な天才画家ではなく階級社会に従順な優等生宮廷画家である。だが2度のイタリア旅行で、藝術に目覚め、人間に目覚めた。
■フェリペ4世Felipe IV, 1605 在位1621—65 60歳でマドリードで死ぬ。
2人の王妃、イザベル、マリアナ
王妃マリアナは息子バルタサール・カルロスの婚約者であったが、早世したためその父フェリペ4世の2番目の妻となる。フェリペ4世が溺愛した妹マリア・アンナ王女の子である。伯父と姪の結婚である。
フェリペ4世の子女は、14人がいるが、ハプスブルク家は広大な領土を守るため血族結婚を繰り返し、フェリペ4世の子どもたちは殆ど幼くして夭折する。
バルタサール・カルロス(1629年 - 1646年)、マルガリータ・マリア・テレサ(1651年 - 1673年)、フェリペ・プロスペロ(1657年 - 1661年)。
■王女マルガリータ・テレサ・デスパーニャMargarita Teresa D’Espagna (1651—1673)
王女マルガリータは、14歳で結婚、21歳で死ぬ。ベラスケスの死後13年、1673年、死去。
■ハプスブルク家の蒐集家たち 太陽の沈まぬ帝国、帝国の落日
ティツィアーノを召し抱えたカール5世、スペイン王フェリペ2世は、ヒエロニムス・ボスを愛好した。フェリペ4世は、ベラスケスを宮廷画家、官僚にした。アルブレヒト・デューラーを庇護したマクシミリアン1世、マクシミリアン1世の子、フィリップ美公は、ヒエロニムス・ボスを愛好した。これがスペイン王宮に残る。ブリューゲル1世を愛好したルドルフ2世。
フェリペ2世は、太陽の沈まぬ帝国を築く。スペイン絶対王政の最盛期。1571年、レパントの海戦で勝利、ポルトガル併合。カトリック政策で、オランダ独立を招く。1588年、無敵艦隊がイギリスに敗れる。
帝国の落日、フェリペ4世は、スペイン・ハプスブルク家を滅亡に導くが、美術蒐集家として名を残す。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
ディエゴ・ベラスケス「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」1635年頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「狩猟服姿のフェリペ4世」1632-34年、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「メニッポス」(1638頃)
ディエゴ・ベラスケス「バリェーカスの少年」1635-45年、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「マルス」1638年頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像」1635頃、プラド美術館蔵
ディエゴ・ベラスケス「東方三博士の礼拝」1619年頃、プラド美術館蔵
ティツィアーノ「音楽にくつろぐヴィーナス」1550頃、プラド美術館蔵
ペーテル・パウル・ルーベンス「聖アンナのいる聖家族」1630頃、プラド美術館蔵
ヤン・ブリューゲル(父)、ヘンドリク・ファン・バーレン、ヘラルト・セーヘルスら「視覚と嗅覚」1620年頃、プラド美術館蔵
ルーベンス&ヨルダーンス「アンドロメダを救うペルセウス」1639-41年プラド美術館蔵
ルーベンスの絶筆とされ、死後、弟子ヨルダーンスが完成させたことになっている。
デニス・ファン・アルスロート「ブリュッセルのオメガングもしくは鸚鵡の祝祭:職業組合の行列」616 年プラド美術館蔵
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参考文献

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」・・・フェリペ4世と宮廷画家ベラスケス

バロック カラヴァッジョ、光と闇の巨匠たち
https://t.co/3Ny54JCgH1

ハプスブルク帝国年代記 王女マルガリータ、帝国の美と花
https://t.co/T2it2d8Zb1
ハプスブルク帝国、ヴェラスケス、黄昏の光芒
http://bit.ly/2zGK4N2
スペイン・ハプスブルグ家、太陽の沈まぬ帝国、黄金の世紀
http://bit.ly/2oulcAv
マクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝1493年—1519年)
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-09fb.html
ハプスブルク家の蒐集家たち「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展」
http://bit.ly/2DiTQnd
大高保次郎「宮廷画家ベラスケスの挑戦と革命 ボデゴンと肖像から物語絵へ」『プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光』図録
――
マドリードにあるプラド美術館は、スペイン王室の収集品を核に1819年に開設された、世界屈指の美の殿堂です。本展は、同美術館の誇りであり、西洋美術史上最大の画家のひとりであるディエゴ・ベラスケス(1599-1660年)の作品7点を軸に、17世紀絵画の傑作など61点を含む70点をご紹介します。
17世紀のスペインは、ベラスケスをはじめリベーラ、スルバランやムリーリョなどの大画家を輩出しました。彼らの芸術をはぐくんだ重要な一因に、歴代スペイン国王がみな絵画を愛好し収集したことが挙げられます。国王フェリペ4世の庇護を受け、王室コレクションのティツィアーノやルーベンスの傑作群から触発を受けて大成した宮廷画家ベラスケスは、スペインにおいて絵画芸術が到達し得た究極の栄光を具現した存在でした。本展はそのフェリペ4世の宮廷を中心に、17世紀スペインの国際的なアートシーンを再現し、幅広いプラド美術館のコレクションの魅力をたっぷりとご覧いただきます。
http://www.nmwa.go.jp
――
★日本スペイン外交関係樹立150周年記念
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」国立西洋美術館、2018年2月24日-5月27日
兵庫県立美術館、2018年6月13日(水)~10月14日(日)

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2016年4月18日 (月)

カラヴァッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術

Caravaggio_20160301Caravaggio_2016大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
花の蕾がふくらみ、羽化する春、桜の森を歩いて、美術館に行く。秘書は黒いドレスを着てやってきた。敵の首を切る美女、自己陶酔する美青年、エロティックで暴力的なバロック趣味の様式。闇と光の藝術をみて、彼女は興奮していた。
初夏、灼熱のローマを旅した日々の思い出。緑深い森、バロックの館、ローマのバルベリーニ宮殿(Palazzo Barberini)でみたカラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を切るユディト」(1598)を思い出す。美しき壮絶。イタリアは、詩と藝術、恋愛とエロスの王国である。
敵将の首を切る美女、恍惚の聖者、自己の美貌に溺れる美青年『ナルキッソス』(1599)、いかさま師、朽ち果てる果実、犯罪者として殺される聖者と首を切る役人。この世の流血の惨劇。権威を装った詐欺師が世に溢れている。*カラバッジョ「いかさま師」(1595)、ラ・トゥール「いかさま師」1(635)。*ボス「いかさま師」(1505-15)から「価値観の逆転、権威の失墜」が、イメージ化された。
『エマオの晩餐』(1606)の深い闇の中の光、『果物籠をもつ少年』(1593-94)の朽ち果てていく果実。殺人、首切、いかさま、流血、涙、恍惚、陶酔。闇の中の美女。なんでもありのこの世。闇の中の光。カラヴァッジョは、殺人事件(1606年5月)後、コロンナ家に潜伏して『エマオの晩餐』を描き逃走資金を作った。神から贈られた卓越した才能をもちながら、人を殺した理由は何か。カラヴァッジョの殺意の原因は何か。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』より
■カラヴァッジョの破滅的生涯
カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)は、北イタリアで生まれ、6歳の時父が死に、13歳の時画家の修業を開始し、20代でローマに行く。作品が人気となり支援者を得る。25歳の時、デル・モンテ枢機卿が『女占師』(1596)を買い上げ、枢機卿の館に住む許可を与えられ、上流階級に紹介される。
35歳の時、人を殺害し死刑判決を受ける。絵を描いて逃走資金を作り、ナポリへ逃亡。支援者の援助を受けながら、マルタ島、シチリア島へ逃亡をつづける。恩赦を得るためローマへ戻る途中38歳で病死した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
■バロックの巨匠たち
ベラスケスの宮廷画、ルーベンス、レンブラントの闇、ラ・トゥールの蝋燭、フェルメールの静謐な空間。
暗闇の中に差し込む一条の光。蝋燭の光に照らされた顔。16世紀から17世紀、光と闇を描いたバロックの画家たち。徹底した写実主義で劇的な光の効果を描いたカラヴァッジオ、暗闇の中にともる光で宗教画を描いたラ・トゥール、深い闇と静謐な光を描いたレンブラント。カラヴァッジョは17世紀の画家に深い影響を与えた。
■ルネサンスの血とバロックの闇
メディチ家は、卓越した美的趣味、知性をもち理想主義(Idealism)を探求した。フィレンツェは対教皇庁戦争で包囲される(1474年-1480年)。ジュリアーノ・デ・メディチは25歳で暗殺され、ロレンツォは1492年43歳で死に、ルネサンスの詩人ポリツィアーノは40歳で毒殺され、思想家ピコ・デラ・ミランドラは31歳で毒殺され、フィチーノは1499年死んだ。メディチ家は、旧権力と戦い破れた。
カラヴァッジョは、ルネサンス藝術が追求しない残酷な現実を直視し、現実主義(Realism)を探求した。カラヴァッジョの深い闇は、ルネサンスの過酷な現実を100年の時をへて形象化した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
■緑陰深い森、バロックの館
緑陰深い森、バロックの館でみた絵画を思い出す。カラヴァッジェスキとカラヴァッジョの敵たち。カラヴァッジオ『愛は全てを征服する』(1601)は、敵対するジョヴァンニ・バリオーネ『肉体の愛と精神の愛』*によって批判され、カラヴァッジョ『ホロフェルネスの首を切るユディト』(1598)は、アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を切るユディト』(カポディモンテ美術館)*に深い影響を与える。
Giovannni Baglione,Amor sacro e Amor profane(1602–1603)
Artemisia Gentileschi, Giuditta che decapita Oloferne(1614–20)
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カラバッジョ展、国立西洋美術館・・・光と闇の藝術

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カラヴァッジョ展、国立西洋美術館
2016年3月1日(火)~2016年6月12日(日)
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

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2012年10月26日 (金)

リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝・・・虚飾の館

20121003大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
虚飾の美は、真の美ではない。後期バロックの装飾過剰な美術は、退廃藝術である。バロックの過剰装飾、悪趣味な飾りは、限りなく醜い。バロックの美術について、イタリアのファッション・デザイナーが美しくないといっている。物欲と権力と虚栄に溺れた醜悪。ルーベンス(1577-1640)の脂肪のついた豊満な肉体の女は、バロックの堕落である。
貴族の美術蒐集も、薬物依存と同様、陶酔を生の至上とする物質への魂の奴隷状態である。金銭と地位と権力を集積すればするほど、精神は醜い。物質的に豊かで地位があればあるほど、精神は腐っている。腐臭を放っている。
では、魂の美しさとは何か。魂の醜さについては、プラトン『国家』第2巻、第9巻。魂の美しさについては、プラトン『国家』第4巻、第5巻に書かれている。
*大久保 正雄『プラトン哲学のエロスとタナトス』
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■富と権力と虚飾について
「人間がこの世に存在するのは、金持ちになるためでなく、幸福になるためである。」スタンダール
「一生の終わりに残るのは、人が集めたものではなく、人に与えたものである。」ジュエラール・シャンドリー
「富に執着し、名誉、利欲に執着し、自分自身に執着する。この執着から苦しみが生まれる。」華厳経
「酒や薬物に頼って前後不覚の陶酔を生の至上のものとする悪癖を身につけてしまった人間に待ち構えているのは、ほかの何をもってしても軽減されない夥しい苦しみであり、ついで魂の没落であり、そして、この世からの早過ぎる敗退である。あらゆる誘惑の克服は不可能であっても、これはやめるべきだ。」丸山健二
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■展示作品の一部
アンソニー・ヴァン・ダイク《マリア・デ・タシスの肖像》1629/30年]
ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》1616年頃
ペーテル・パウル・ルーベンス《占いの結果を問うデキウス・ムス》「デキウス・ムス」連作より 1616/17年
ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルヴィア》1616/17年頃
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《キューピッドとしゃぼん玉》1634年
フリードリッヒ・フォン・アメリング「夢に浸って」1835年
フランチェスコ・アイエツ「復讐の誓い」1851年
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「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」
オーストリアとスイスの間にあるリヒテンシュタイン侯国。同国の国家元首であるリヒテンシュタイン侯爵家は、優れた美術品収集こそが一族の栄誉との家訓のもと、500年以上にわたってヨーロッパ美術の名品を収集してきました。その数は3万点に及び、英国王室に次ぐ世界最大級の個人コレクションといわれています。本展では同コレクションから139点の名品を選りすぐり、日本で初めて公開します。世界屈指のルーベンス・コレクションからは、愛娘を描いた《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》など10点が一挙に来日。ラファエッロ、クラナッハ、レンブラント、ヴァン・ダイクをはじめとする巨匠たちの名画や、華麗な工芸品が一堂に並びます。
侯爵家が所蔵するルーベンス作品は、30点余りを数え、世界有数の質と量を誇ります。本展では、その中から選び抜かれた10点を一挙に公開します。5歳の頃の愛娘を描いた《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》は、父ルーベンスの愛情を感じさせる傑作。ほかにも、ルーベンス渾身の歴史画「デキウス・ムス」連作から、約3×4メートルの大作が来日します。
ウィーン郊外ロッサウの侯爵家の「夏の離宮」は、華麗なバロック様式を特徴とし、その室内には今もなお、いにしえの宮廷さながらに、侯爵家の所蔵する絵画、彫刻、工芸品、家具調度が一堂に並べられています。本展では、その室内装飾と展示様式にもとづいた「バロック・サロン」を設け、華やかなバロック宮殿の雰囲気を再現します。また、日本の展覧会史上初の試みとして、天井画も展示。総合芸術としてのバロック空間を体感していただけます。
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★「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」国立新美術館
2012年10月3日~12月23日 六本木・国立新美術館、
2013年1月5日~3月7日 高知県立美術館、
2013年3月19日~6月9日 京都市美術館.
http://www.asahi.com/event/liechtenstein2012-13/

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2011年5月26日 (木)

レンブラント 光の探求/闇の誘惑・・・闇の中の光

20110312大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
レンブラントは、黄金の世紀17世紀のオランダの画家であり「光と影の魔術師」と呼ばれる。「Rembrandt:The Quest for Chiaroscuro」「明(chiaro)と暗(scuro)の探求」をテーマとする美術展である。「黒い版画」の時代から「光の絵画」の時代へと、レンブラントの明暗表現を探求する。光と陰の対比ではなく、微妙な陰影、諧調を追求した。「深く力強い明暗表現」と「絵画性」とパンディヌッチに評価された。
【『夜警』 人生の果てに見たもの】19歳で工房独立、21歳でアムステルダムに行く。『夜警』(1642)を完成させたが人生は暗転。1642年30才の若妻サスキアが死に、女召使ヘールトヘも死去、子供も次々に死亡。50歳で破産。版画印刷機を売却。63歳で死去するまで、絵画制作を続けた。1663年7月20才若い愛人ヘンドリッキェ(38才)にも先立たれ、レンブラントが人生の果てに見たものは何か。
主要展示作品
《東洋風の衣装をまとう自画像》1631年パリ市立美術館Petit Palais/Roger-Viollet
《音楽を奏でる人々》1626年アムステルダム国立美術館Collection Rijksmuseum, Amsterdam
《石の手摺りにもたれる自画像》第2ステート、1639年アムステルダム、レンブラントハイスThe Rembrandt House Museum, Amsterdam
《病人たちを癒すキリスト(百グルデン版画)》第2ステート、1643-49年頃 国立西洋美術館
『ヘンドリッキェ・ストッフェルス』1652ルーヴル美術館
『3本の十字架』1653レンブラントハイス
『エッケ・ホモ 民衆に晒されるキリスト』1665レンブラントハイス
■展示構成
1、 黒い版画:レンブラントと黒の諧調表現
2、 淡い色の紙:レンブラントの和紙刷り版画
3、 とても変わった技法:レンブラントのキアロスクーロ
4、 2点の傑作版画:『3本の十字架』『エッケ・ホモ 民衆に晒されるキリスト』
■「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)は、黄金の世紀と呼ばれた17世紀を代表するオランダの画家であり、古くより「光と影の魔術師」「明暗の巨匠」と呼ばれ、光の探求や陰影表現、明暗法を終生追求した作家でした。
本展は、版画と絵画におけるレンブラントの「光と影」の真の意味を再検討しようとするもので、オランダ・アムステルダムのレンブラントハイスの協力のもと、アムステルダム国立美術館、大英博物館、ルーヴル美術館などが所蔵する世界中の重要なレンブラント作品で構成されます。レンブラントハイスはアムステルダム中心地にある、かつてレンブラントが住んでいた家を美術館に改築したもので、そこにはいまも当時のアトリエなど、画家の面影が残っています。レンブラントの明暗表現を考察する上で重要な役割を演じた版画と絵画を取り上げ、その初期から晩年にいたる作品まで、オランダの巨匠レンブラントがどのように明暗表現に取り組んだかを辿ります。約100点の版画を中心に、レンブラントの明暗表現の特徴を示す約15点の絵画と素描を加え、また版画作品のうち約30点は和紙に刷られたものを展示します。レンブラントは1647年頃から当時のオランダの東インド会社を通じてもたらされた和紙を使い始めました。遠い異国の地の日本の未知の紙がレンブラントの明暗表現にとってどのような役割を果たしたのかといった視点からもレンブラント芸術を解き明かします。レンブラントによる「光の探求」、そしてみるものを惹き付けてやまない「闇の誘惑」、レンブラントが追求した光と影の芸術の世界にどうぞご期待ください。「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」資料より。
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「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」
国立西洋美術館3月12日(土)~6月12日(日)
名古屋市美術館2011年6月25日(土)~9月4日(日)

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2010年9月25日 (土)

カラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を切るユディト」・・・バルベリーニ宮殿

Caravaggiojudithholofernes201009大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
枯葉舞い散る森を歩いて、美術館に行く。もう一度、カポディモンテ美術館展に行き、アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」を見る。
10年前、ローマのバルベリーニ宮殿(Palazzo Barberini)で見たカラヴァッジョ「ホロフェルネスの首を切るユディト」1598を思い出す。
宴で酒を飲み眠っているホロフェルネスの首を剣で切るユディト。首から鮮血が噴き出す場面である。若くて美しい女が敵将を殺すところに美がある。若い美女と将軍と老いた召使い。光と闇、美と醜、老若の対比の中に、愛と憎しみがある。ユディトのモデルは十八才の娼婦フィリデ・メランドローニ、後に彼が殺害するラヌッチョ・トマッソーニの愛人である。カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio1571-1610)、27才の時の傑作。

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2009年6月11日 (木)

ルーヴル美術館展、17世紀ヨーロッパ絵画・・・図像学の講義。クリュセイスを探す

Louvre2009_0_2Claude_rollain大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』   
芒種の日、雨の森を歩いて、美術館に行く。美術倶楽部の会合があり、美術史家を招いて、展示室にて鑑賞する。17世紀ヨーロッパ絵画の名画を目のまえに見ながら、美術史家・池上英洋氏によるレクチュアである。ルーヴル美術館による展示構成は分かりにくいので「17世紀ヨーロッパ芸術のパトロネージ」という主題の下に、各部屋を巡りながら講義をきく。
★17世紀の三大権力
バロック絵画をよりよく理解し楽しむために、17世紀の三大パトロン、資金源である「教会、宮廷、商人」によって、テーマを探求する。対抗宗教改革とは何か、そしてそれと連動した文化の特徴とはいかなるものだったか。
 1、教会(教皇庁、カトリック教会、イエズス会)イタリア。対抗宗教改革の時代。宗教改革に対抗するプロパガンダ図像。無原罪の御宿り、聖母、使徒。
 2、宮廷(絶対王政による君主専制国家、および貴族階級)フランス、スペイン。君主称揚主題、救済実現目的の主題、教育目的。肖像画、歴史画、神話画、宮殿壁画、礼拝堂。
 3、商人(17世紀から新たに登場した第3のパトロン)オランダ、イギリス。室内装飾用のニュートラルな主題。集団肖像画、静物画、風景画、風俗画。ヴァニタス(Vanitas)などの寓意図像。
★図像学の講義
 ムリーリョ「無原罪の御宿り」のマリアは、熾天使(Seraphim)によって、囲まれている。熾天使は、燃える天使であり、偽ディオニシウス・アレオパギタが定めた天使の九階級のうち最上の天使である。
 カラヴァッジョ「果物籠」にはじまるヴァニタスの寓意は「形あるものはすべて壊れる、生あるものは枯れる」、無常を意味する。
 ラトゥール「大工ヨセフ」は、一点光源でしかも手を透かしている。カラヴァッジェスキの影響が濃厚だが、カラヴァッジョは天井から光源が照らしている。一点光源。
 カルロ・ドルチ「マリア」の唇と袖の赤はイエスの血の象徴である。
 クロード・ロランClaude Lorrain「クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス」1644(Odysseus returns Chryseis to her father)。
画中の女性クリュセイスを皆で探して夢中になる。美術館で名画を目のまえに行う、図像学の実践的講義は、果てしなくつづく。
★深夜の宴
 夜の美術館で8時半閉館まで耽溺し堪能した。その後、先生と女子大生たちと一緒に宴に向かう。宴は深夜12時までつづいた。「酒杯を傾けて藝術談議をするのは、至福の時間です」と美術マニアの女性はいう。
★「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」国立西洋美術館
2009年2月28日(土)~6月14日(日)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-9bb1.html
★★★★★

ルーヴル美術館展、17世紀ヨーロッパ絵画・・・図像学の講義。クリュセイスを探す

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2009年5月24日 (日)

ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画・・・バロックの世紀、17世紀

Louvre2009大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
緑深い五月、森の緑陰を歩いて、美術館に行く。17世紀ヨーロッパ絵画は、イタリア・バロック、カラヴァッジョの影響の下に展開した。
イタリアは、カラヴァッジョ、カラッチの時代である。
■17世紀ヨーロッパの巨匠は、スペイン:ベラスケス、フランドル:ルーベンス、ヴァン・ダイク、ロレーヌ:ラ・トゥール、オランダ:レンブラント、フェルメール、ハルス、ロイスダール、フランス:プッサン、クロード・ロラン。オランダ絵画の黄金時代を迎えた。
■カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio:1571-1610)、カラヴァッジョ派の特徴は明暗の対比、闇の様式である。その影響が、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、初期フェルメールに濃厚に存在する。クロード・ロランは、イタリア・バロック古典主義アンニバーレ・カラッチ(Annibale Carracci:1560-1609)の風景画に影響を受けた。
フェルメール「レースを編む女」は、静かな室内で手紙を読み、物思いに耽る女性を描いたフェルメールの一連の作品、17世紀オランダ風俗画の代表作。右手下に置かれた小さな書物は聖書であり、レース編みが女性の勤勉さを象徴する。光のある空間、一瞬の中の永遠を表現している。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工ヨセフ」幼子キリストがもつ蝋燭がただ一つの光源である。炎の光はキリストの顔を照らし出し幼子の左手を透かして観る者に届く。光と闇の空間が、一本の蝋燭によって照らされる。静寂と神秘にみちた世界である。
カルロ・ドルチ「受胎告知 天使」は天使の甘美な美しさを湛えている。閉館後の美術館、時のたつのを忘れて若い女性がうっとりと見惚れている。魂を魅せられている。
■展示作品
Ⅰ.「黄金の世紀」とその陰の領域
フランス・ハルス「リュートを持つ道化師」1624年頃
ル・ナン兄弟「農民の家族」
フェルメール「レースを編む女」1669年−1670年頃、油彩・カンヴァス(板に貼付)24cm × 21cm
フランス・プルビュス(子)「マリー・ド・メディシスの肖像」1610年
Ⅱ.旅行と「科学革命」
クロード・ロラン「グリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス」1644年
ディエゴ・ベラスケスとその工房「王女マルガリータの肖像」1654年
ペーター・パウエル・ルーベンス「ユノに欺かれるイクシオン」1615年頃
ヨアヒム・ウテワール「アンドロメダを救うパルセウス」1611年
Ⅲ.「聖人の世紀」、古代の継承者
シモン・ヴェーエ「エスランの聖母」1640-50年頃
カルロ・ドルチ「受胎告知 天使」1653-55年頃
カルロ・ドルチ「受胎告知 聖母」1653-55年頃
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工ヨセフ」1642年頃
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「6人の人物の前に現れる無原罪の聖母」1662-65年頃
ウィレム・ドロスト「バテシバ」1654年
ヤーコプ・ヨルダーンス「4人の福音書記者」1625-30年頃
グェルチーノ「ペテロの涙」1647年
■17世紀は、肖像画、風俗画、静物画、風景画、あらゆる分野の絵画が豊饒に実る黄金の世紀である。
とらさんの「Art & Bell by Tora」によると「黄金の世紀は、革命の時代であり、経済の革命、芸術の革命、信仰の革命(キリスト教内部)が同時に進行し、ヨーロッパに均衡と調和を齎した古典時代であったが、20世紀以降の現代は、変動・紛争・対立の時代である。その両者を比較し、考察することがこの展覧会の目的」である。
http://cardiac.exblog.jp/10424751/
――――――――――
「黄金の世紀」と呼ばれる17世紀ヨーロッパは、レンブラント、ベラスケス、フェルメール、ルーベンス、プッサン、ラ・トゥールといった優れた画家を、綺羅星のごとく輩出しました。本展ではこれらの画家の作品をはじめ、ルーヴル美術館が誇る17世紀絵画の傑作を展示いたします。
華やかな宮延文化が栄えた17世紀は、貧困や飢餓といった陰の領域、大航海時代、科学革命と富裕な市民階級の台頭、かつてないほどの高まりをみせた聖人信仰など実に多様な側面をもっています。それらは画家たちの傑出した才能と結びつき、数々の名作を生みました。本展は17世紀の絵画を通じ、様々な顔をもつこの時代のヨーロッパの姿を浮かび上がらせようという意欲的な試みでもあります。フェルメールの名作《レースを編む女》をはじめ、出品される71点のうち、およそ60点が目本初公開。さらに30点あまりは初めてルーヴル美術館を出る名品です。まさに「これぞルーヴル」、「これぞヨーロッパ絵画の王道」といえる作品群を堪能していただく貴重な機会となることでしょう。
★「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」国立西洋美術館
2月28日(土)~6月14日(日)
http://www.ntv.co.jp/louvre/
★★★★★★★★★★

ルーヴル美術館展、17世紀ヨーロッパ絵画・・・図像学の講義。クリュセイスを探す

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2008年5月18日 (日)

ピーター・グリーナウェイ 『レンブラントの夜警』・・・レンブラント破滅の謎

Peter_greenaway_nightwatchingRembrandt_nightwatch大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より  
テアトル・タイムズスクエアにて、2月1日見た。
レンブラント(1606-1669)は35歳だった。「絵筆は画家の武器だ。何でも可能だ。侮辱も告発も」自信に満ちて悪を告発したレンブラント。レンブラントと人生を変えた3人の女たち。経営者としての妻、愛欲の召使、天使のような最後の女。愛に去られ、愛に滅び、愛に救われる。何故、富と名声をえたレンブラントは破滅したのか?謎を解く鍵は『夜警』(1642)である。
『英国式庭園殺人事件』1982『コックと泥棒、その妻と愛人』(1989)の名匠、ピーター・グリーナウェイ監督。マニアな人々、必見。
――
17世紀オランダ・バロック絵画、最高の名作『夜警』(1642)の謎。
なぜ、莫大な富と名声を極めた画家が、転落の人生を歩んだのか?
家の書庫で資料を調べたらグリーナウェイ監督のいうとおり、『夜警』(1642)以後、レンブラント(Rembrandt Harmensz. van Rijn 1606-1669)は没落した。
――
マニアの集まる映画館・・・テアトル・タイムズスクエア、2008.2/29まで 新宿高島屋タイムズスクエア12階
★日本で、一館だけ上映している。マニアな人が集まる映画館である。中高年層、若い女性が多い。だが普通の人々ではない、三菱電線視聴室に集まる<究極の音マニア>のように。知識があるけど変な人々、マニアな人々。映画館のなかに美容室がある。絶景のみえる美容室。*絶景美容室 Jacques Moisant[ジャックモアザン]新宿店 タイムズスクエア12階から望む絶景は圧巻。昼間は都内を一望できる景色、夜は新宿高層ビルの夜景を楽しめる。
――
★ ピーター・グリーナウェイ 『レンブラントの夜警』2007
1641年、オランダのアムステルダムで35歳のレンブラント(マーティン・フリーマン)は、画家としての成功と大いなる富を手にしていた。妻(エヴァ・バーシッスル)は無事男の子を出産し、彼の人生は順調に進むかに見えた。だが、アムステルダム市警団から集団肖像画を依頼され、渋々その仕事を引き受けたことで彼の運命は大きく変化する。シネマトゥデイ
Yahoo映画   https://bit.ly/2F0ZoYS
――
「レンブラントの夜警」レンブラントが生きた時代のオランダを絵画的/演劇的な空間に再現(大場正明)
 画家として不動の地位を築き上げたレンブラントは、なぜ失墜し、破産宣告を余儀なくされることになったのか。
 シャルル・マトンは「レンブラントへの贈り物」(99)で、「トゥルプ博士の解剖学講義」に着目し、トゥルプという権力者がレンブラントを経済的に追い詰めるドラマを作った。グリーナウェイはこの新作で、「夜警」に着目する。この大作を通して、絵のモデルとなった権力者たちの悪行の数々を告発したレンブラントは、陰湿な報復にさらされていく。
 だが、この映画の魅力は、名画をめぐる謎解きだけではない。近代資本主義の出発点は、レンブラントが生きた時代のオランダにある。グリーナウェイは、そんな社会を、歴史を踏まえてリアルに視覚化するのではなく、すべてを徹底して「夜警」から読み取り、絵画的/演劇的な空間に再現する。そしてそこからは、現代にも通じる勝者と弱者の関係、欲望や孤独が浮かび上がってくる。
 かつて「コックと泥棒、その妻と愛人」(1989)でサッチャー時代のイギリスの光と影を描き出したグリーナウェイが、「夜警」の謎解きを繰り広げながら見つめているのは、現代社会の光と影でもあるのだ。2008年1月10日映画.com
――

★予告編「レンブラントの夜警」
http://eiga.com/official/nightwatching/introduction.html
★『夜警』(3.63メートル×4.37メートル)実物大複製が、タイムズスクエア13階に飾られている。
★オランダ、あなたは何を連想しますか?

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