日本美術史

2017年4月20日 (木)

茶の湯、東京国立博物館・・・曜変天目、漆黒の闇のなかに輝く瑠璃色の星

20170411_2Seikadou_youhentenmoku桜満開の森を歩いて、春爛漫の博物館に行く。足利義政、織田信長、千利休、松平不昧、天下の武将や茶人たち。天下の名画、名碗は歴史の波瀾の波を流転した。
戦国の趣味人は、茶会に何を求めたのか。天下布武、安土城、茶の湯。本能寺茶会。織田信長は、新しい価値観を創造した。
信長はなぜ本能寺で殺されたのか。
曜変天目茶碗、幻想的な虹色の斑紋、瑠璃色の輝き、青と藍、漆黒の闇の宇宙。
曜変天目茶碗は、天下の名器天目茶碗のうち、最上級とされる。(『君台観左右帳記』)八代将軍、足利義政が愛した天目茶碗。足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀、南宋時代(静嘉堂文庫蔵)は、三代将軍家光から稲葉家に下賜された。
織田信長が所持した天下の唐物肩衝茶入「初花」「新田」。「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)は、足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
牧谿「観音猿鶴図」「遠浦帰帆図」、「廬山図」玉澗筆。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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永遠を旅する哲学者、時を超え黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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信長はなぜ本能寺で殺されたのか
織田信長と茶会・・運命の本能寺
【織田信長と茶会】天下布武
1567年、信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、古代中国、周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになる。
岐阜城には、山のふもとに迎賓館を作り、山の上に茶室を作る。銀閣寺「漱蘚亭」にならった。*
1568年、10月2日、堺に矢銭を課した織田信長に抗戦しようとする町衆を今井宗久らが説得。この日、今井宗久は、織田信長に、松島茶壺、紹鴎茄子を献上。
1569年、織田信長、丹羽長秀、松井友閑らに命じて、洛中洛外の茶器の名物狩り。
1571年、元亀二年、織田信長、東福寺にて茶会を催す。茶頭は、今井宗久。この年、比叡山焼き討ち。
1574年天正二年、4月3日、織田信長、相国寺にて茶会を催す。蘭奢待を千利休、山田宗及に下賜する。
千利休は51歳の1573年、1574年(52歳)、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴会。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。
運命の本能寺茶会
織田信長は、肩衝茶入「天下の三肩衝」(さんかたつき)を集めるため、本能寺にて、茶会を催す。2つは織田信長が持っていた。*
*「天下の三肩衝」といわれる「楢柴」「初花」「新田」。
博多豪商の島井宗室が「楢柴」をもっていた。
信長の5軍団のうち、明智光秀軍以外の4軍団は京都にいない。信長は70人の供の者だけであった。
【織田信長 最期の茶会】1582年(天正十年)6月1日、本能寺にて信長が茶会を催す。
利休60歳。信長48歳。1582年6月1日、本能寺にて信長が自慢のコレクションを一同に披露する盛大な茶会が催される。この夜、信長は明智光秀の謀反により、多数の名茶道具と共に炎に散った。
【本能寺の変】天正十年、6月1日夜。明智光秀、謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。
怨恨はあり得ない。小和田哲男、谷口克広『集中講義』P.166
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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若き織田信長、苦闘の日々
病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、信長は返り討ち
弘治三1557年、11月2日、病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、清州城で返り討ちする。誅殺。家臣、池田氏。池田恒興らが殺害。信長24歳の時。
池田恒興の子、池田輝政が、姫路城大改修(1601—1609)。5層7階の連立式天守を完成。
1557年、生駒家宗の娘、芳野との間に嫡男、信忠、幼名、奇妙丸を得る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/M42reazRZU
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lbezTP
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曜変天目の再現に挑む陶芸家は、非業の死を遂げる。
なぜ陶芸家たちは、このあまりに高い壁に魅せられ、挑んでゆくのか。 京都の桶谷寧氏は「曜変は世界に残された神秘性の最後の砦」。制作方法は全くの謎、多くの日本の陶芸家が、妖しい宇宙に迫ろうと心血を注いでいる。林 恭助氏は曜変天目に挑み続けている。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀13世紀、南宋時代。東山文化、足利政義の時代から伝世。
★参考文献
曜変天目復元に挑む(2002/10/19日経新聞)
曜変天目誕生の謎に迫る(2004/11/13朝日新聞)
ひと 林 恭助さん(2007/3/16朝日新聞)
曜変の光に魅了され 謎の制作方法に挑む陶芸家たち(2007/6/17朝日新聞)
安藤 堅著『碗の中の宇宙』(2003年9月 新風書房)
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展示品の一部
油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)、国宝
大井戸茶碗 銘 喜左衛門(京都・孤篷庵蔵)、国宝。
志野茶碗 銘 卯花墻、国宝(三井記念美術館蔵)
天下の唐物肩衝茶入「初花」。「遅桜」
黄天目、珠光天目
白天目、竹茶杓
室町幕府8代将軍、足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」(ばこうはん)。
織田信長から贈られた柴田勝家所持の「青井戸茶碗 銘 柴田」。歴史上の著名人に所縁ある茶碗。
青磁輪花茶碗「銘 馬蝗絆」(東京国立博物館蔵)重要文化財 
青井戸茶碗「銘 柴田」(根津美術館蔵)重要文化財、織田信長から贈られた柴田勝家所持。
本阿弥光悦作「黒楽茶碗 銘 時雨」
赤楽茶碗「銘 無一物」(兵庫・頴川美術館蔵)重要文化財、楽焼の始祖、長次郎が作った。千利休好み。
黒楽茶碗「銘 時雨」長次郎(名古屋市博物館蔵)重要文化財 
「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)京都国立博物館蔵、重要文化財
本図を含む瀟湘八景図は、中国の洞庭湖に注ぎ込む瀟水と湘水一帯の景勝を描いたもの。足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
「廬山図」玉澗筆、中国 南宋時代・13世紀、岡山県立美術館蔵(4月11日〜5月7日)重要文化財
牧谿にならぶ中国の著名な画家の一人、日本で高く評価されてきた禅僧画家、玉澗の名品。かつて佐久間将監が茶掛けに合うように裁断したというエピソードがある。
「紅白芙蓉図」李迪筆、南宋時代・慶元3年(1197)国宝、東京国立博物館蔵。南宋の画院画家、李迪による花の絵。1日で白から紅に色を変える酔芙蓉を瑞々しく繊細に描く。
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流転の絵画、牧谿
牧谿「観音猿鶴図」大徳寺、国宝。長谷川等伯「枯木猿猴図」、数々の猿猴図に影響を与えた。牧谿「遠浦帰帆図」。
足利義満から織田信長まで、愛された画家、牧谿。宋末から元初の画僧。蜀 の人。
牧谿『瀟湘八景図』は、足利義満が切断した。『煙寺晩鐘図』は、13代将軍足利義輝を暗殺した松永久秀の手に渡り、続いて彼を降伏させた織田信長、徳川家康の元へ、権力の推移と伴に流転した。
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茶の湯、東京国立博物館
2017年4月11日(火) ~ 2017年6月4日(日)
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2016年5月 3日 (火)

若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界

20160422花吹雪、花も嵐も踏み越えて、緑深い森を歩いて、美術館に行く。牡丹、躑躅の花咲く。春爛漫、花の匂い漂う森。永遠を旅する哲学者は、守護精霊の豹に導かれて、智慧の羅針盤の指す方向に、歩いていく。新緑の森を森の奥へ、白いドレスの女は森を彷徨い歩く。『老松鸚鵡図』の鸚鵡のように。
瞬間の中に、永遠の今、生命の宇宙と個の宇宙の融一。戦国武将の競争世界を生きてきた、旅する哲学者。陥れる策略、謀反、嫉妬、詐欺、詭計、殺意うずまく階級社会、生き残りをかけて戦い敗れた日々。蘇る哲学者。
「大盈若冲、其用不窮」『老子』。愚者よ、外見で無用と決める愚かさに気づけ。恨血千年土中碧、恨みの血は千年地中に凝結し碧玉となる。花ゆらゆら夕べに散る。森の残照。
見果てぬ夢を見る人は、どのように希望をつなぐのか。「千載具眼の徒を竢つ」(若冲)。千年の後、具眼の士が現われるのを待つ。と絵師はいう。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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若冲は35歳の時、相国寺にて、僧、大典顕常(1719年—1801年)に出会う。売茶翁(1675年—1763年)とも出会う。若冲という名を得て、若冲『動植綵絵』を10年の歳月をかけて完成する(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)。人知れず隠れて、寺院の秘密の部屋で超絶技巧を磨き貫き、技を駆使して、革新的技法、創造的芸術を探求した。裏彩色、色彩の魔術師。8万6千の方眼の中に描かれている極彩色の屏風、『鳥獣花木図屏風』。枡目描きは、西陣織物商、金田忠兵衛がいた。
若冲の超絶技巧の超細密画、微細な生きものの神秘な世界。マクロコスモスとミクロコスモスの調和、宇宙と小宇宙の融一を観照する。寺院の秘密の部屋。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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永遠を旅する哲学者は、千年後に具眼の士が現われるのを待つ。旅する哲学者は、瞬間の永遠、永遠の今のなかに、美と真理を探求する。美は真であり、真は美である。詩人の魂は、怨みにある。李白の美の源泉は、恨みである。
若冲が『動植綵絵』で追求したものは何か。作品を評価してくれる人が現れるまで千年待つ。天上の宇宙と心の中の宇宙。天上の宇宙と心の中の宇宙。若冲は、生きものの神秘と美に魅入られたのか。若冲の絵画『動植綵絵』の方法とは何か。「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である」「いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、わが天上の星の輝きと我が心の内なる道徳律」。内なる宇宙は、何を志向したのか。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』より
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伊藤若冲、謎の生涯
伊藤源右衛門(若冲)(1716-1800)、京都の富裕な青物問屋に生まれ23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭したのはなぜか。84歳まで、絵画を追求した若冲。相国寺、大典に出会い、人生が一変する。師なき領域で独創的藝術を探求した。
南蘋派の絵師、鶴亭に影響を受けて1000点に及ぶ中国絵画の臨写(模写)をするが、模写を止め独創性を追求する。「旭日鳳凰図」(1755)から始まる創造的藝術の探求。
若冲は10年の歳月をかけて『動植綵絵』『釈迦三尊像』『釈迦三尊像』を描き、京都、相国寺に寄進した。
*『動植綵絵』「群鶏図」「老松孔雀図」「老松鳳凰図」「牡丹小禽図」「雪中錦鶏図」「芍薬群蝶図」、鳥、植物、微細な生きものの輝く宇宙。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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★主要作品
『動植綵絵』全30幅(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)、『釈迦三尊像』3幅、相国寺。(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)
伊藤若冲『象と鯨図屏風』紙本墨画 六曲一双 寛政9年(1797年)MIHO MUSEUM
大阪西福寺蔵『仙人掌群鶏図襖絵』(重要文化財)。金地の襖の上に描かれた鶏とサボテンの極彩色の美。「若冲の鶏」。
『菜蟲譜』(佐野市立吉澤記念美術館)。青物問屋の長男として生まれた若冲の動植物への愛情があふれ出ている作品。横10メートル以上に及ぶ作品の中に98種類の野菜、果物、そして56種類の昆虫が描かれている。若冲の画力とユーモア。
『百犬図』(個人蔵)、縦1.4メートルの大画面に、様々な表情と容姿の犬が描き込まれた。
重要文化財『葡萄小禽図襖絵』『松鶴図襖絵』(金閣鹿苑寺)、重要文化財『蓮池図』(西福寺)。
『鳥獣花木図屏風』(18世紀、プライス・コレクション) *日本美術史上、最も謎に満ちた作品*
参考文献
*狩野博幸『その絵師、若冲なり』2016、辻惟雄『奇想の系譜』1970
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★3点の若冲屏風に作者帰属問題がある。*『白象群獣図』( 1772-87年個人蔵)、*『樹花鳥獣図屏風』(18世紀、六曲一双・紙本著色、各137.5×355.6cm)静岡県立美術館
*佐藤康宏(東京大学教授)は「樹花鳥獣図屏風」を「工房作」、「鳥獣花木図屏風」を「作者不明の模倣作」と指摘した。若冲作とされる桝目描きの作品は、ほかに「白象群獣図」がある。白象は若冲作とした。*(佐藤康宏「若冲・蕭白とそうでないもの」『美術史論叢』2010東京大学)
*「若冲屏風」は本人の作? 朝日新聞2010/05/01
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★ これまでの若冲展
*没後200年「若冲展」京都国立博物館、平成12年(2000)
*「若冲ワンダーワールド」、MIHO MUSEUM、2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
*プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、
*愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
*伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
*「皇室の名宝 日本美の華」、若冲『動植綵絵』、東京国立博物館、2009年10月6日~11月3日
*「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日
*「Kawaii 日本美術」山種美術館、伊藤若冲《樹花鳥獣図屏風》(静岡県立美術館)、2014年2月4日(金)~3月2日(日)
*「若冲と蕪村」生誕三百年同い年の天才絵師、サントリー美術館、2015年3月18日(水)~5月10日(日)「象と鯨図屏風」伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵、「白象群獣図」個人蔵
*わが名は鶴亭―若冲、大雅も憧れた花鳥画、神戸市美術館
「桐に鳳凰図」鶴亭筆 宝暦3年(1753年)個人蔵
2016年4月9日(土)~5月29日(日)
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html
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若冲展 生誕300年記念、東京都美術館
2016年4月22日(金)~5月24日(火)
http://www.tobikan.jp/

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2015年6月 6日 (土)

「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」・・・闇に眠りつづける謎

2015042801_2花ざかりの森を歩き、百花繚乱の丘を越えて、新緑の博物館に行く。夕暮れの森、夕暮れの諧調。風薫る春、夜の森、木々は囁く。
支配体制が揺らぐ下剋上の時代、支配階級との戦い、支配階級を戯画化する絵師。「兎と蛙の相撲。兎の耳に噛みつく蛙。」禁じ手を使う弱者。支配階層への抵抗と諧謔。作者はだれか。何を戯画化しているかは謎である。寺院の暗闇で八百年間、眠りつづける謎。
★美への旅、大久保正雄、『旅する哲学者』より
甲巻、「鳥獣戯画」を代表する巻。動物を擬人化、遊戯と儀式に興じる姿を描く。兎と蛙の相撲。兎の耳に噛みつく蛙、禁じ手である。兎と蛙が、猿を追いかける。
乙巻、ほえ合うイヌやつかみ合いをするイヌ。蝶を追う獅子と、後ろ足で頭を掻く獅子。
丙巻、動物を擬人化、囲碁、闘犬などの遊戯に興じる。
丁巻、カエルが描かれた本尊を前に法会が営まれる。甲巻の法会の場面をもとに描かれている。
■展示作品
国宝 鳥獣戯画 甲巻 1巻 平安時代・12世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 乙巻 1巻 平安時代・12世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 丙巻 1巻 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 丁巻 1巻 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺
国宝 明恵上人像(樹上坐禅像)、鎌倉時代・13世紀
国宝 華厳宗祖師絵伝 義湘絵 巻三、鎌倉時代・13世紀
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誰もが一度は目にしたことのある、日本で最も有名な絵巻、国宝・鳥獣戯画。墨線のみで動物や人物たちを躍動的に描いた、日本絵画史上屈指の作品です。全巻の修理を終え、その魅力を一新した鳥獣戯画の全貌を紹介します。国宝の甲・乙・丙・丁4巻とともに、この4巻から分かれ、国内外に所蔵される断簡5幅も集結。現存する全ての鳥獣戯画をご覧頂けます。
また、鳥獣戯画の伝来した京都・高山寺は、鎌倉時代のはじめに明恵上人によって再興され、今なお多くの文化財が伝わります。本展覧会では、高山寺ゆかりの至宝とともに、明恵上人の信仰と深く関わる美術作品を、かつてない規模で展観します。
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特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」東京国立博物館
2015年4月28日(火) ~ 2015年6月7日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1707
http://chojugiga2015.jp/ 

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2015年5月 5日 (火)

「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館

20150318黄昏の丘、黄昏の森を越えて、黄昏の街に行く。黄昏の美術館、夕暮れの諧調。愛を語る星降る夜、花の森。美しい天使は、魂が美しい人を助けるためにやってくる。天は見ている。
夕暮散歩して、出雲大社分祀の道を歩き、美術館に行く。彷徨える藝術家、蕪村の「夜色楼台図」「鳶・烏図」には、苦難に耐える孤高な旅人の美しい姿がある。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
夕暮れの美術館、ソファで図録を読みながら、うたた寝すると、隣の女性が話しかけてきた。「美術館で図録を買っても、開いて見ることはないんです。深いことは何も書いてないんですよ。表面的な浅い事しか、書いてないんです。」と彼女。「若冲ワンダーワールド展を見に、MIHOミュージアムに行ったら、ギリシア彫刻やガンダーラ美術があった。どうしてですか」
大久保正雄『ふしぎな美術館』より
★主要展示作品「若冲と蕪村」
「象と鯨図屏風」、伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵
紙本拓本「乗興舟」、伊藤若冲筆 大典顕常跋 明和4年(1767)頃
「猿猴摘桃図」、伊藤若冲 伯珣照浩賛
「夜色楼台図」国宝 与謝蕪村 18世紀 個人蔵
与謝蕪村「鳶・烏図」18世紀 北村美術館
「山水図屏風 」与謝蕪村筆 六曲一双 天明2年(1782) MIHO MUSEUM蔵
「蜀桟道図」与謝蕪村筆 一幅 安永7年(1778) LING SHENG PTE. LTD(Singapore)
■生誕三百年同い年の天才絵師 若冲と蕪村、サントリー美術館
2015年3月18日(水)~5月10日(日)
正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/index.html

これまでの主な若冲展
若冲ワンダーワールド、MIHO MUSEUM、 2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日

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2014年4月26日 (土)

「栄西と建仁寺」・・・戦国時代を生きた趣味人

20140325 天下人は、なぜ茶を好むのか。
織田有楽斎は、殺戮に明け暮れる戦国時代、本能寺の変、関ヶ原の戦いを生き抜き、建仁寺正伝院如庵を創設、76歳まで生きた趣味人である。
織田信長は、接客手段としての楽しみや道楽であった茶の湯を、独自の感覚で政治手段に用い、名物とされる茶道具を、土地や金銭に代わる新たな価値基準を創造した。
■空海と嵯峨天皇は、香茶を酌み交わした。
嵯峨天皇と空海は秋の一日、大沢池に舟を浮かべ、茶を汲み交わし逍遥、夕方、空海が山に帰るにあたり、嵯峨天皇が詠まれた詩が『経国集』巻十にある。
与海公飲茶送帰山一首 嵯峨天皇
道俗相分経数年  今秋晤語亦良縁
香茶酌罷日云暮  稽首傷離望雲煙
海公〔空海〕とともに茶を飲み、山に帰するを送る一首
道俗(どうぞく)相分かれて数年を経たり 今秋晤語(ごご)するも亦(また)良縁なり。
香茶酌み罷(やす)みて日云(ここ)に暮れる 稽首(けいしゅ)して離(わか)れを傷み雲煙を望む。
嵯峨天皇は、平城太上天皇の変(薬子の変、810年)、「二所朝廷」を、兵を出して勝利した。
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栄西
栄西(1141-1215)は、臨済宗の開祖、建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られる。建仁2年(1202年)源頼家の外護により京都に建仁寺を建立。建仁寺は禅・天台・真言の三宗兼学の寺であった。以後、幕府や朝廷の庇護を受け、禅宗の振興に努めた。曹洞宗の開祖である道元は、入宋前に建仁寺で修行した。
織田有樂齋如庵
織田信長の弟。信秀の十三人の子の中で十一人は戦死、不慮の死を遂げる。信包、長益の二人だけ天寿を全うした。戦国の殺戮の時代、本能寺の変、関ヶ原の戦いを生き抜き、七十六まで生き残った趣味人である。
織田長益(1547-1622)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。長益系織田家嫡流初代、織田信秀の十一男で、有楽斎如庵(有樂齋如庵)と号し、後世では有楽、有楽斎と称される。千利休に茶道を学び、利休十哲の一人に数えられる。後に自ら茶道有楽流を創始。京都建仁寺の正伝院を再興し、ここに立てた茶室如庵は現在、国宝に指定。
本能寺の変(1582年6月21日、天正10年6月2日)の時は、二条御所にいたが、信長の嫡男信忠自刃をみて、城を脱出、近江安土を経て岐阜へ逃れた。姪の淀殿とは庇護者として深い関係にある。関ヶ原の戦い(慶長5年9月15日、西暦1600年10月21日)後、有楽斎は大和国内で3万2,000石、長孝は美濃野村藩に1万石を与えられた。大坂退去後は京都に隠棲し、茶道に専念、趣味に生きた。元和元年(1615年)有楽斎本人は隠居。元和7年(1621年)12月13日、京都で死去。享年76。
小野篁
小野篁(802-853) 小野篁は平安時代前期の役人であり学者であり歌人である。嵯峨、淳和、仁明三代の天皇に仕えた。宮廷に役人として仕えながら、夜は京都六道珍皇寺の裏手にある井戸から冥途世界に下り、閻魔大王に仕ていた。六道珍皇寺。この世と冥府の堺であるという「六道の辻」のすぐそばにある。平安時代、この近くには「鳥辺野」とよばれる埋葬地があった。珍皇寺、小野篁卿旧跡、篁の亡霊が,珍皇寺門前の六道の辻からに冥府に通ったという伝説がある。
■主な展示作品
建仁寺方丈「四頭茶会」の空間 方丈の正面中央に栄西像と龍虎図を掛け、卓の上に香炉・花瓶・燭台を飾り、栄西に献茶したのち4人の正客と相伴各8人(計36人)に茶を供します。予め抹茶を入れて天目台にのせた茶碗を客にささげ持たせ、そこに4人の法衣をつけた供給(くきゅう)僧が正客から順次、浄瓶(じんびん)の湯を投じて点茶してまわります。
「国宝 風神雷神図屏風」俵屋宗達筆 江戸時代・17世紀 京都・建仁寺蔵
重要文化財「雲龍図」海北友松筆 安土桃山時代・慶長4年(1599) 京都・建仁寺蔵
重要文化財「竹林七賢図」海北友松筆 安土桃山時代・慶長4年(1599) 京都・建仁寺蔵
竹林に世事を逃れ、清談を事とした中国の七人の賢人が略筆で描かれている。老松と竹をわずかに描いた背景は、霧に満ちた深い空間をなし、「袋人物」と称される略筆の人物描写は、友松画の筆力と豊潤さを余すところなく伝えている。
重要文化財「琴棋書画図」海北友松筆 安土桃山時代・慶長4年(1599) 京都・建仁寺蔵
「雪梅雄鶏図」伊藤若冲筆 江戸時代・18世紀 京都・両足院蔵
「山水図」曽我蕭白筆 2幅 江戸時代・18世紀 京都・久昌院
「織田有楽斎坐像」1躯 江戸時代・17世紀 京都・正伝永源院   
「織田有楽斎像 古澗慈稽賛」狩野山楽筆 1幅 江戸時代・元和8年(1622)京都・正伝永源院
■展示構成
第一章 栄西の足跡
第二章 建仁寺ゆかりの僧たち
第三章 近世の建仁寺
第四章 建仁寺ゆかりの名宝
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2014年は、日本に禅宗(臨済宗)を広め、京都最古の禅寺「建仁寺」を開創した栄西禅師(ようさいぜんじ、1141~1215)の800年遠忌にあたります。これにあわせ、栄西ならびに建仁寺にゆかりの宝物を一堂に集めた展覧会を開催します。
本展は、近年研究の進んでいる栄西の著述のほか、建仁寺に関わりのある禅僧の活動を通して、栄西の伝えようとしたもの、そして建仁寺が日本文化の発展に果たした役割を検証しようとするものです。俵屋宗達の最高傑作、国宝「風神雷神図屏風」を筆頭に、海北友松筆の重文「雲龍図」など建仁寺本坊方丈障壁画、山内の塔頭に伝わる工芸や絵画の名品、栄西をはじめとした建仁寺歴代の書蹟はもちろん、全国の建仁寺派の寺院などが所蔵する宝物を展示します。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1632
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開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」東京国立博物館
2014年3月25日(火) ~ 2014年5月18日(日)

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2013年10月10日 (木)

「京都―洛中洛外図と障壁画の美」・・・幻の花の都

20131008狩野永徳『洛中洛外図屏風』をみると、哀愁のイタリア、憂愁のフィレンツェ、旅した美しい日々を思い出す。レオナルドの憂愁、さまよえる孤独な藝術家ミケランジェロのダヴィデの肉体、イタリア景観図の思い出である。
花の都フィレンツェは皇帝軍に包囲されて落城寸前である。ヴァザーリ『1530年のフィレンツェ包囲の眺めL'Assedio di Firenze』(ヴェッキオ宮殿、クレメンス7世の間1560-61)。フィレンツェ共和国の滅びの光景である。
京都が、洛中洛外図に描かれたのは、応仁の乱によって、京都が炎上してから後である。上御霊神社で、応仁の乱(1467年~1477年)は始まった。花の都の美しかった思い出、美しい京都を蘇らせるのが、画家の技である。
国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』狩野永徳筆
国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』は、相国寺の七重塔からみた京都の景観である。黄金の雲の間からみえる京都の風景が夢のように美しい。16世紀最高の巨匠狩野永徳、23歳の時の作品である。洛中洛外図の最高傑作。将軍足利義輝が日本を代表する絵師狩野永徳に描かせ、永禄8年(1565)に完成し、義輝没後に織田信長が入手して、上杉謙信へ贈った。金の雲間から尖った屋根がみえる。登場人物は老若男女2500人。若き永徳の細密画に圧倒される。
岩佐又兵衛筆『洛中洛外図屏風 舟木本』
『洛中洛外図屏風 舟木本』は、東寺の五重の塔からみた京都の景観である。
左隻「祇園祭」。三条大橋と高瀬川に架かる小橋が続くあたりに、祇園祭の風流が行きかう。東寺の堂内で僧たちが読経しているが、隅で若い人を抱きしめる僧の姿がみえる。
右隻「五条大橋」。花見の宴が終わり桜の枝や扇、日傘をもった集団が、身をくねらせて踊りながら賑やかに橋をわたっていく。酔いつぶれて二人に肩を担がれている男。四条河原には、人形浄瑠璃、遊女歌舞伎など芝居小屋が犇いて、人々の浮世への欲望が余すところなく活写される。
『洛中洛外図屏風 歴博乙本』16世紀
上京隻「御霊祭」上御霊神社の御霊祭の神輿二基が通りを巡行する。
17世紀京都の風景、琳派
狩野永徳『洛中洛外図屏風』をみると、光琳の優雅な絵画を思い出す。尾形光琳『紅白梅図』は、下鴨神社の御手洗川にかかる輪橋(そりはし)を描いた。輪橋の側に梅の木があり「光琳の梅」と呼ばれる。『燕子花図』六曲屏風は、上賀茂神社摂社、太田神社にある「太田ノ沢杜若群落」を描いた。琳派の代表者、尾形光琳(万治元年1658年-享保元年6月2日1716年7月20日)は、俵屋宗達の藝術に憧れ研究した江戸時代の画家、工芸家。「艶隠者」と呼ばれる(辻惟雄)。貴族的、唯美主義的作家。貴族的、美麗な日本の華麗、繊細な美学を構築した。
花盛りの京都
理念なき政治が、人間と国家を危機に陥れる。戦略なき国家に、滅びの影が訪れるとき、私は花盛りの京都に逃避行した。
桜満開の京都、花盛りの密教寺院に滞在した。しばし憂いを忘れて、春爛漫、醍醐寺の桜満開の時から紅枝垂れ桜が咲き、花吹雪舞うときまで、花めぐりする。死の相の下にみると、生命あるこの世のものが限りなく美しい。(大久保正雄『東寺、春爛漫の京都』2011)。
★参考文献
図録『京都―洛中洛外図と障壁画の美』2013
川尻秋生『平安京遷都』2011
「夢と陰謀の平安京」 左方郁子『京都 謎とき散歩』1997
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教―書かれざる教説と詩のことば―」2011
大久保正雄「花盛りの京都、幻の都へ」2013
宮坂宥勝・梅原猛『生命の海<空海>』仏教の思想9角川文庫1996
河内将芳『信長が見た戦国京都 城塞に囲まれた異貌の都』2010
■展示作品
第1部 都の姿─黄金の洛中洛外図
史上空前☆国宝・重要文化財指定「洛中洛外図屏風」全7件が一堂に
国宝・重要文化財に指定されている7件をすべて展示。これらが一堂に会する展覧会は、本邦初。
★国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』狩野永徳筆 室町時代・16世紀(山形・米沢市上杉博物館蔵)
[展示期間:2013年10月8日(火)~11月4日(月・休)]
★重要文化財『洛中洛外図屏風 舟木本』岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀(東京国立博物館蔵)
★重要文化財『洛中洛外図屏風 歴博乙本』室町時代・16世紀(国立歴史民俗博物館蔵)
[展示期間:2013年10月8日(火)~11月4日(月・休)]
重要文化財『洛中洛外図屏風 歴博甲本』室町時代・16世紀(国立歴史民俗博物館蔵)
[展示期間:2013年11月6日(水)~12月1日(日)]
重要文化財『洛中洛外図屏風 福岡市博本』江戸時代・17世紀(福岡市博物館蔵)
重要文化財『洛中洛外図屏風 勝興寺本』江戸時代・17世紀(富山・勝興寺蔵)
重要文化財『洛中洛外図屏風 池田本』江戸時代・17世紀(岡山・林原美術館蔵)
第2部 都の空間装飾─障壁画の美
1 王権の象徴─京都御所
重要文化財『群仙図襖』狩野永徳筆 安土桃山時代・天正14年(1586) 京都・南禅寺蔵
重要文化財『賢聖障子絵』狩野孝信筆 江戸時代・慶長19年(1614)京都・仁和寺蔵
2 仏法の荘厳─龍安寺
龍安寺の襖絵。明治の廃仏毀釈で散逸した。現在、メトロポリタン美術館とメトロポリタン美術館所蔵が12面を所蔵している。
★「列子図襖」江戸時代・17世紀 メトロポリタン美術館所蔵
★「琴棋書画図襖」江戸時代・17世紀 メトロポリタン美術館所蔵、シアトル美術館所蔵、京都・龍安寺
超高精細映像「龍安寺の石庭」の四季。
3 公儀の威光─二条城
二条城二の丸御殿黒書院一の間、二の間を飾っていた狩野尚信筆の障壁画、全69面。
城のシンボル、二の丸御殿大広間四の間を飾る狩野探幽筆「松鷹図」15面を展示。
二条城から全84面の障壁画を一挙展示
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京都の市中(洛中)と郊外(洛外)の景観を高い視点から見下ろして描いた「洛中洛外図」は、室町時代から描かれはじめ、江戸時代を通して数多く制作されました。
そのほとんどが屏風絵で、四季が巡るなか、御所(皇居)をはじめ貴族や武家の御殿、名高い寺社、観光名所をとりあげて、そこに暮らす人々の生活を余すところなく描き出した風俗画です。
現存する「洛中洛外図屏風」は100点ほどが知られていますが、本展では狩野永徳が手がけた「洛中洛外図」の最高峰「上杉本」や岩佐又兵衛の「舟木本」など、国宝、重要文化財の7件すべてを展示します。
当時の都市景観を反映したこれらの「洛中洛外図屏風」は、美術的な価値だけでなく、建築史など、さまざまな分野でも高い資料的価値をもっています。
一方で、黄金の光をまとう「洛中洛外図」は、当時の現実の京都を描いたのではなく、それぞれの絵の注文主と制作者たちが夢見た京都を描いているともいえます。それらを対照しながら、かつての都を俯瞰してみましょう。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1610
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「京都―洛中洛外図と障壁画の美」東京国立博物館
2013年10月8日(火)~2013年12月1日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1610
http://www.ntv.co.jp/kyoto2013/

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2013年8月 8日 (木)

和様の書・・・典麗、優美、華麗、繊細な世界

20150713三跡の一人、藤原佐理の『離洛状』をみると、流麗で奔放な文字の流れが美しい。奔放不羈の精神を感じる。李白の詩を想起する美しさである。李白失脚の原因になった『清平調詞』二を思い出す。「一枝の濃艶露香を凝らす。雲雨巫山枉げて斷腸。借問す漢宮誰か似るを得ん。可憐の飛燕新粧に倚る。」京洛を離れた藤原佐理は、六点の作品が残っている。五点が詫び状である。(大久保正雄『魂の美学』)
書の美しさは、文字の美しさだけではなく、心の美しさ、磨き上げられた精神の美しさを現わす。鍛え上げられた技のみならず、洗練された精神にこそ美はある。精神の美しさは、知恵、勇気、節制、正義、不屈の魂にある。李白、プラトン、空海の精神を思い出す。美しい魂と美しい肉体をもって生きた詩人たち、思想家たち。(大久保正雄『魂の美学』)
琳派の書、『鹿下絵和歌巻』本阿弥光悦筆、絵俵屋宗達は、新古今和歌集の世界を、書と絵で現わす美しい至宝である。
国宝『本願寺本三十六人家集』『古今和歌集』(元永本)藤原定実筆は、料紙と散らし書きの書が絶妙の美的世界を現出する。
「古今和歌集(高野切)」は、典麗、優美、華麗、繊細な世界。仮名の最も美しく完成された姿である。
「鹿下絵和歌巻」本阿弥光悦筆、絵、俵屋宗達(17世紀、五島美術館)は、様々な鹿の姿態を金銀泥のみを使用して描いた下絵に、本阿弥光悦(1558―1637)が『新古今和歌集』より二十八首を選び、散らし書きした巻物の断簡。図は雄鹿とそれを振り返る雌鹿を描き、「思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ」後鳥羽院宮内卿『新古今和歌集』巻第四「秋歌上」第365番の和歌を散らし書きした部分である。
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主な展示作品
国宝「竹生島経」平安時代・10世紀後半~11世紀初 東京国立博物館蔵
国宝「扇面法華経冊子」(巻第一、観普賢経)平安時代・12世紀。大阪・四天王寺蔵
国宝「古今和歌集 巻第二十(高野切)」伝紀貫之筆、平安時代・11世紀。
国宝『古今和歌集』(元永本)藤原定実筆。平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵。[展示期間:2013年7月13日(土)~9月8日(日)]
『古今和歌集』の現存最古の完本です。元永3年の奥書から「元永本」と呼ばれ、14種類もの文様を摺り出した日本製の唐紙(からかみ)を色とりどりに配置した調度手本(ちょうどてほん)。藤原行成の曾孫・定実(?~1077~1119~?)が、散らし書きも駆使しながら、全2帖を見事に書き上げた。
国宝「本願寺本三十六人家集」(貫之集上、順集) 貫之集上:藤原定実筆、順集:藤原定信筆。平安時代・12世紀 京都・西本願寺蔵
[展示期間:貫之集上 2013年7月13日(土)~8月12日(月)、 順集 2013年8月13日(火)~9月8日(日)]
歌仙36人の家集を粘葉装(でっちょうそう)の冊子本全37帖(現存)に書写。中国製・日本製の唐紙(からかみ)、染紙 (そめがみ)などを使って破り継ぎ、切り継ぎなどしながら、金銀箔や下絵を施した美麗な装飾料紙。当代一流の能書20人が分担執筆しており、調度手本の最高傑作。
「四季草花下絵和歌巻 」本阿弥光悦筆。江戸時代・17世紀 個人蔵。[展示期間:2013年7月13日(土)~8月4日(日)]
国宝「白氏詩巻」藤原行成筆、平安時代・寛仁2年(1018) 東京国立博物館蔵
国宝「平治物語絵詞 六波羅行幸巻、詞書:伝藤原教家筆。鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵 平治元年(1159)に起きた平治の乱を題材とする『平治物語』を絵巻化。美しい色彩と、群像表現が巧み、動乱の緊迫した状況を見事に描く。詞書きは一筆で、その書風には、藤原忠通の曾孫・教家の弘誓院流の影響がある。
「鹿下絵和歌巻」本阿弥光悦筆、絵、俵屋宗達(17世紀、五島美術館)。
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わが国の書の歴史は、漢字の伝来以来、中国の書法の影響を受けて発展しつつ、遣唐使廃止の頃になると国風文化が広まり、筆致に柔らかみが加わります。平安時代中期には、小野道風・藤原佐理・藤原行成の三跡(さんせき)と呼ばれる能書が登場し、繊細、典雅な「和様(わよう)の書」が完成します。併行して、万葉仮名、草仮名(そうがな)を経て女手(おんなで、平仮名)が成立し、「高野切(こうやぎれ)」に代表される日本独自の仮名の美が生まれました。 以後、日本の書は、仮名と漢字が融合した和様の書を中心に展開します。なかでも藤原行成の子孫は、宮廷の書役(かきやく)を長く勤め、その書はのちに世尊寺流と称され、書道史上に重要な位置を占めました。室町時代は多くの書流が型を踏襲した没個性の書となりますが、江戸時代に入り、本阿弥光悦、近衞信尹など上代様を展開させたダイナミックな書が生まれ、以降は「御家流」とよばれる実用の書が一般に普及します。
この展覧会は、こうした和様の書の魅力とともに、宮廷文学や料紙(りょうし)工芸など、書に関わる多様な日本文化に触れていただく機会となります。
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特別展「和様の書」
東京国立博物館 平成館 特別展示室   2013年7月13日(土) ~ 2013年9月8日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1602
http://wayo2013.jp/
「鹿下絵和歌巻」本阿弥光悦筆、俵屋宗達絵。

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2013年5月14日 (火)

「国宝 大神社展」・・・謎の七支刀

2013040902藤の花の匂いが立ち込める五月の晴れた午後、博物館に行く。
大神神社の森厳な森を歩いた時、原始の息吹を感じた。日本の神域で、神聖な空気を感じるのは、大神神社の神域、磐座神社、狭井神社、三輪山禁足地である。
頂上付近には高宮神社、その奥には厳粛に祀られた奥津磐座が鎮座し、三輪山には無数の磐座がある。拝殿横に立つ「巳の神杉」と呼ばれる神木がある。三輪山はその姿がとぐろを巻いた蛇に喩えられ水の神、蛇神でもある。本居宣長は「大和に都があったころ、ただ大神といえば三輪の神のことだった」と書いた。三島由紀夫『奔馬』(『豊饒の海』第二部)で、若い剣士が滝に打たれる場面が出てくる。
学生時代、山の辺の道を歩いた時、石上神宮に行き、七支刀をみたいと申し出た思い出がある。
■国宝「七支刀」石上神宮・・・謎に満ちた刀
国宝「七支刀」(古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵 全長74.8㎝)
七支刀は、その特異な形状が有名である。謎に満ちた刀である。
刀身の両面に金象嵌された61文字の銘文は、
泰□四年□月十六日丙午正陽造百錬鋼七支刀□辟百兵宜供供候王□□□□作 (表)
先世以来未有此刀百済□世□奇生聖音故為倭王旨造□□□世 (裏)
中国の東晋の年号である「太和」「泰和」、西暦369年説が有力である。銘文の意味は、
泰和4年丙午正陽、百錬の鋼の七支刀を作った。百兵を避けることができる。先世以来このような刀は未だ存在しない。百済王の太子が倭王のためにこの七支刀を作った。
石上神宮
http://www.isonokami.jp/about/c4_2.html

石上神宮の国宝七支刀と物部氏の布留遺跡 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_10_28.htm
■展示作品
国宝「七支刀」(しちしとう)古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵、[展示期間:2013年4月9日(火)〜展示期間延長:5月12日(日)まで]
国宝「方格規矩鏡」(ほうかくきくきょう)古墳時代・4〜5世紀 福岡・宗像大社蔵
国宝「海獣葡萄鏡」唐または奈良時代・8世紀 千葉・香取神宮蔵
唐から舶載された形式の白銅製の鏡。獣をかたどった鈕を中心に、葡萄唐草文の地文に、獅子・馬・鹿・麒麟・鳳凰・蜂・蟷螂などが配されている。同形の鏡が正倉院に伝わる。
重要文化財「春日神鹿御正体」(かすがしんろくみしょうたい) 南北朝時代・14世紀 京都・細見美術館蔵
春日大社の使いである鹿をかたどった金銅製の作品。白雲の上に立ち、鞍に立てた榊には春日の本地仏5体が線刻されている。春日大社の祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、常陸国鹿島から春日の地へ移座したときの様子を表している。同じ構図の絵画作品も出品される。
国宝「橘蒔絵手箱」及び内容品(たちばなまきえてばこ) 南北朝時代・明徳元年(1390) 和歌山・熊野速玉大社蔵[展示期間:2013年4月9日(火)〜5月6日(月・休)]
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■日本人は古来、自然のなかに人知を超えたものを感じ、山、岩、木など自然物の中に神を見出し、畏れ敬ってきました。やがて神々を祀る神社が建てられ、祭神の調度品である神宝や、祭神の姿をあらわした神像などがつくられました。神社は、神聖な場所として尊崇され、神像や宝物が大切に守り伝えられてきました。 この展覧会は、伊勢神宮の第62回式年遷宮を機に、神社本庁をはじめ、日本全国の神社の全面的な協力を得て、神社の宝物や日本の神々に関する文化財を総合的にご覧いただく、貴重な機会となります。
■「国宝 大神社展」東京国立博物館
4/9(火)〜6/2(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1573

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2013年4月 2日 (火)

飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―・・・木に宿る木霊

2013011202円空は、旅する僧侶である。旅の中で仏像を刻んだ。一刀両断する形の美。神秘と美といのちが木の中にある。一刀彫で切断した断面に、自然界の美が現れる。微笑みを湛えた木の仏像の美。木のなかに眠る木霊を掘り起すのが、円空の彫刻の技である。
美濃国竹が鼻の人、幼より出家して寺にあったが、二十三歳の時遁走して、大峰山等に籠もって、法隆寺、園城寺で修行を修め、東国を巡って蝦夷地に渡った。後、飛騨の千光寺に寓した。北海道、青森から、南は三重県、奈良県までおよぶ旅に出たのはなぜか。北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜、飛騨地方には、後期像が多い。30代から諸国を遍歴した円空。なぜ遍歴の生涯を送ったのか。孤独と強い意志は、何ゆえか。

展示作品
「護法神立像」円空作 2躯 江戸時代・17世紀 岐阜・千光寺
「護法神立像」円空作 1躯 江戸時代・17世紀 岐阜・千光寺
「三十三観音立像」(円空作 江戸時代・17世紀 岐阜・千光寺蔵)
「両面宿儺坐像」円空作 江戸時代・17世紀 岐阜・千光寺蔵
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■東京国立博物館140周年 特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」 
各地の霊山を巡り、生涯で12万体の仏像を彫ったという円空(1632-95)。円空は訪れた土地の山林の木を素材にして、あまり手数を掛けずに仏像を造りました。表面には何も塗らず、木を割った時の切断面、節や鑿跡がそのまま見える像が多くあります。木の生命力を感じさせ、素朴で優しい円空の仏は江戸時代以来村人に親しまれ、今も多くの人の心をひきつけます。この展覧会では、「両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)」など、岐阜・千光寺所蔵の円空仏61体を中心に岐阜県高山市所在の100体を展示します。穂高岳、乗鞍岳など円空が登った山の名前を書いた像もあります。 林立する飛騨の円空仏。展示室に飛騨の森の空気が満ちることでしょう。
円空が彫った仏像は、表面には何も塗らず、木を割った時の切断面、節や鑿跡がそのまま見えるのが特徴です。本展覧会では、木の生命力を感じさせ、素朴で優しい円空仏100体を展示。個性豊かな作品の中でも印象的なのが、白洲正子が著書『十一面観音巡礼』で美しいと記した「三十三観音立像」(円空作 江戸時代・17c 総高61.0~82.0cm 岐阜・千光寺蔵)です。もとは50体以上あったともいわれていますが、現在残っているのは31体のみ。近隣の人々が病になった時などに貸し出しているうちに戻って来なかったものもあるからだといわれています。1体ごとに異なる表情にご注目ください。
http://www.tnm.jp/
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東京国立博物館 本館 特別5室   
2013年1月12日(土)~2013年4月7日(日)

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2012年5月22日 (火)

蕭白ショック!!曾我蕭白と京の画家たち・・・狂狷の画家、蕭白

Sogashouhaku_2012041001Sogashouhaku_2012041002エアポート成田に乗って千葉駅に行く。蕭白『美人図』は、女がぼろぼろになった手紙を口に銜えている。女の執念の果ての姿である。
蕭白の代表作『群仙図屏風』は日本美術史上類をみない奇想天外な絵画。右隻から、袋に薬草の枝を入れた医師董奉(扁鵲)、簫を吹く簫史、八仙の一人李鉄拐と呂洞賓。左隻に、不気味な子供を連れた林和靖、水盤から魚を取り出す左慈、美人に耳垢を取らせる蝦蟇仙人、彼らを虚ろな表情で眺めている西王母。仙人、唐子、鶴や鯉など不老長寿を願うめでたい象徴が散りばめられている。
蕭白は「狂者こそ聖人へ至る最短距離の心地であると説く芥川丹邱、服部蘇門ら京都の陽明学左派の儒教思想に影響を受けた」(狩野博幸)。
儒学は中庸を尊ぶが、それが求められなければ次善のものとして「狂」を追求する。一途に理想に走り、自分の意思を曲げないことである。「子曰く、中行を得てこれに与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざるところあり。」(『論語』子路篇、第十三、二十一)
曾我蕭白は、狂狷の画家である。洗練された雲谷派の山水画と狂気にみちた人物画が融合している。白井華陽『画乗要略』は雲谷派を学んだことを指摘している。蕭白の真体水墨画には流麗な描線や垂直に切り立った崖の描写など雲谷派の影響がある。蕭白自身は室町時代の画家曾我蛇足の画系に属すると自称し、落款には蛇足十世と記している。
■展示作品
「美人図」絹本着色、一幅 奈良県立美術館
「李白酔臥図屏風」六曲一双 三重県立美術館
「瀟湘八景図」八幅
「竹林七賢図」襖八面
「波濤群鶴図」襖十二面 三重県立美術館
「松鷹図」襖五面
「群仙図屏風」(文化庁)六曲一双 紙本著色 1764年(明和元年)重要文化財
「美人図」
「月夜山水図屏風」(近江神宮)六曲一双 紙本著色 重要文化財 指定名称は「楼閣山水図」
高田敬輔「山水図屏風」六曲一双、滋賀県立近代美術館「竹林七賢図屏風」「楼閣山水図」
■参考文献
狩野博幸・横尾忠則『無頼の画家 曾我蕭白』(新潮社、2009年)
辻惟雄『奇想の系譜』美術出版社1970年3月
『曾我蕭白 無頼という愉悦 円山応挙が、なんぼのもんぢゃ!』京都国立博物館2005年
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18世紀の京都を彩った個性的な画家たち 蕭白、応挙、若冲、大雅、蕪村。
江戸時代中期、西洋や中国の文化を取り入れる動きが美術にも波及し、特に京都では個性的な画家が多く活躍しました。曾我蕭白(1730~1781)もその一人です。蕭白は京都の商家に生まれ、父を早くに亡くして画業で身を立てました。室町時代の画家曾我蛇足に私淑して曾我姓を名乗ります。盛んに出版されるようになった版本の画譜を活用し、室町水墨画に学んだ復古的な作品を多く残しました。巧みな技術に裏付けられた独特の作品世界は現代人をも魅了します。
蕭白が伊勢地方(現在の三重県)で制作した作品は今も三重県内に多く伝わっています。今回の展覧会では修復を終えた、斎宮の旧家永島家伝来の障壁画(全44面、重要文化財、三重県立美術館所蔵)を中心に蕭白の画業を振り返ります。また、蕭白前史として、蕭白が師事したと思われる高田敬輔や、京都で活躍した大西酔月ら復古的な画風の画家を紹介します。円山応挙、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村らの作品も展示し、蕭白のいた江戸時代中期の京都画壇の豊かさを併せてご覧いただきます。首都圏では1998年以来久々の蕭白展となります。
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2012/0410/0410.html
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■蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち 千葉市美術館
4月10日(火)~5月20日(日)
☆会期中に大幅な展示替えがあります。4/10~4/30、5/8~5/20
★蕭白『群仙図屏風』

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