日本美術史

2018年7月24日 (火)

「縄文-1万年の美の鼓動」・・・狩猟人の行動様式

Jomon_2018大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第152回
1万3000年前から紀元前1000年まで、1万年間つづいた縄文文化。縄文人は狩猟人、獲物を求めて旅した。縄文人は、弓矢と陥し穴仕掛けで狩猟した。陥し穴は獲物をしとめる仕掛け装置、縄文草創期まで遡る。陥し穴は獣の道に沿って予め計画的に配置した。
縄文土器(Cord marked Pottery)は世界的にも類例がなく独創的。
火焰型土器の4つの角、鶏冠隆起は何を意味するのか。焼町土器のうねる波紋は何を意味するのか。遮光器土偶の目は何を意味するのか。縄文のヴィーナス、縄文の女神、仮面の女神。縄文人はなぜ女性像を作ったのか。ギリシア、エーゲ海を旅した日々を思い出す。エーゲ海文明最古級の「キュクラデス文明の竪琴奏者」はBC2700年である。縄文人は、狩猟採集し移動した。狩猟の成功を祈って儀式、呪術を行ったのか。現代の狩猟人、シュールリアリスムの藝術家の女性像を思い出す。*ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」Paul Delvaux, Venere dormiente,1944
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
国宝「火焰型土器」新潟県十日町市 笹山遺跡出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年 新潟・十日町市蔵(十日町市博物館保管)
重要文化財「遮光器土偶」 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(晩期)・前1000~前400年 東京国立博物館蔵
土偶「縄文のビーナス」(縄文時代中期(前3000〜前2000年)、長野県茅野市棚畑遺跡出土、茅野市蔵、尖石縄文考古館保管)
土偶「縄文の女神」(縄文時代中期(前3000〜前2000年)、山形県舟形町西ノ前遺跡出土、山形県蔵、山形県立博物館保管)
土偶「仮面の女神」(縄文時代後期(前2000〜前1000年)、長野県茅野市中ッ原遺跡出土、茅野市蔵、尖石縄文考古館保管)
土偶「合掌土偶」(縄文時代後期(前2000年〜1000年)、青森県八戸市風張1遺跡出土、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館蔵)
土偶「中空土偶」(縄文時代後期(前2000〜前1000年)、北海道函館市著保内野遺跡出土、函館市蔵、函館市縄文文化交流センター保管)
「焼町土器」(国重要文化財)縄文中期(前3000〜前2000年)、御代田町
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土偶の目的は、1狩りの成功、2安産、3死者の再生復活。祈りであると考えられる。
「縄文のビーナス」(縄文時代後期、棚畑遺跡出)。棚橋遺跡は、当時交易の中心地だった。
矢じり、黒曜石は、長野県産。棚畑遺跡出「翡翠」は「新潟産」。「琥珀」は「千葉県銚子産」。「瀬戸内海周辺で作られた土器」も棚橋遺跡で出土している。(『縄文時代の美 日曜美術館』2018年7月22日)
*「ヴィレンドルフのヴィーナス:Venus of Willendorf」は2万4000年~2万2000年前頃旧石器時代につくられた。スティアトパイグス型(steatopygous臀部突出)の女性像。
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縄文人、弥生人
縄文人は、鋭い矢で動物を射る。弥生人は、農耕し定住し、殺人を行う。弥生時代になると貧富の差が生じ「戦争」概念が入る。縄文時代は弥生時代に比べて殺傷人骨例が圧倒的に少ない。縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期まで6期に分けられる。
縄文人はホモ・サピエンス人の遺伝子をもつ。「新人(ホモ・サピエンス)が15万年前にアフリカ大陸に生まれ、その後世界各地に散らばって行ったことも証明された。人類の祖は大きく3つのグループに分かれてアフリカを旅立ったが、その3つの遺伝子すべてが、日本列島にやってきた。日本人の先祖はロシアのバイカル湖から南下してきた」松本秀雄『日本人は何処から来たか』NHKブックス
「バイカル湖畔から南下し華北に暮らしていたD系統だが、漢民族の圧迫から逃れるためにさらに南下し日本列島にやってきて、縄文人の中核を形成した。弥生時代に渡来した人々は長江流域で水稲栽培をしていたO系統。やはり、漢民族に滅ぼされて逃れてきた」。崎谷満『新日本人の起源 神話からDNA科学へ』勉誠出版
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参考文献
「古代ギリシア、時空を超える旅」東京国立博物館・・・永遠を旅する哲学者
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-30a1.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html
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縄文時代が始まったとされる約1万3000年前。狩猟や漁撈、採集を行っていた縄文時代の人びとが、日々の暮らしのなかで工夫を重ねて作り出したさまざまな道具は、力強さと神秘的な魅力にあふれています。東京国立博物館
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★「特別展 縄文」東京国立博物館 7月3日-9月2日

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2018年5月 3日 (木)

「名作誕生、つながる日本美術」東京国立博物館・・・美の系図、創造のドラマ

20180413大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第145回
春爛漫、百花繚乱、紫の躑躅咲く森を歩いて、花の匂い漂う、夕暮れの博物館に行く。煌めく宗達筆「扇面散屏風」、雪舟筆「四季花鳥図屛風」、超絶技巧と色彩の魔術の若冲筆「雪梅雄鶏図」、等伯筆「山水松林架橋図襖」。藝術家の至高の美の空間が蘇る。
奈良時代の一木彫像から、雪舟、宗達、若冲、等伯、光琳、顔輝、岸田劉生まで。
絢爛豪華な美の系図。空前絶後、前代未聞の比較展示。卓越した巨匠の空間。中国、日本の美の変奏と系譜。「夫レ美術ハ国ノ精華ナリ」岡倉天心。
藝術はなぜ、創造されるのか。なぜ生み出されたのか。死に至るまでつづけられる創作の秘密。藝術家の格闘のドラマ。巨匠たちの、剽窃、模倣、継承、変形、兆戦、創造への果てしない格闘。
雪舟の部屋、宗達の部屋、若冲の部屋。充溢した濃密な巨匠の空間に佇む。異界の空間。藝術は、異界への扉。創作の秘密を解き明かす、巨匠と巨匠の美の系図。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より

若冲展示室で佐藤康宏氏に会う。「若冲は、努力家、天才ではない。文正、陳伯沖を研究した」「名作はたんに天才によって創造されるのではない。巨匠の傑作は天才によって構築されるのではない」
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雪舟等楊は、玉㵎を学び「破墨山水図」を描き、呂紀を学び「四季花鳥図」を描く。狩野元信は雪舟等楊筆と呂紀を学び「四季花鳥図」を描く。
俵屋宗達「扇面散屏風」は「平治物語絵巻」六波羅合戦巻断簡を引用、再構成して作られている。宗達「扇面散屏風」、八 曲一双、金屏風に縦に3つ合計48の扇、一双96の扇が散らされている。平治物語絵巻(13世紀)の戦闘場面、風神図、雷神図の扇がある。17 世紀の空間が黄金に光り蘇る。
伊藤若冲は、文正「鳴鶴図」、陳伯沖「松上双鶴図」を研究して「白鶴図」を描いた。若冲は、1000点以上、宋元画を臨写(模写)する。
長谷川等伯は、能阿弥筆「三保松原図」、自作「山水松林架橋図襖」をへて、「松林図屛風」に到達する。
雪舟絵画は、15世紀から18世紀へ展開する。雪舟「天橋立図、雪舟「四季山水図」15世紀、雪舟「倣夏珪山水図」、夏珪「山水図」、雪舟等楊筆「富士三保清見寺図」15世紀、狩野山雪「富士三保松原図屏風」17世紀、曽我蕭白「富士三保松原図屏風」18世紀。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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【雪舟、47歳の時、遣明船で明に渡る】雪舟(等楊)は備中国に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防国に移る。山口に初めて来たのはまだ拙宗を号としていた1455年頃、28代大内教弘の時代。雪舟47歳の時、1467年、大内氏の遣明船に乗り、念願の明に渡る。明で画の勉強を終えた雪舟は、1469年に帰国し日本各地を転々とした。1483年再び山口に戻り、雲谷庵に定住。創作活動にすべてを注ぎ、1486年、最高傑作「山水長巻」を山口で完成。1506年87歳でこの世を去る。画風は、弟子達に受け継がれ、「雲谷派」と呼ばれる。【雪舟】(応永27年( 1420年)—永正3年8月8日( 1506年))岡山県総社市の宝福寺での小僧時代、涙で鼠を描いた逸話が有名である。*狩野永納『本朝画史』(1693年)。雪舟は、玉㵎を模倣して「破墨山水図」(室町時代1495)を描く。「破墨山水図」は、雪舟が1495年、76歳に制作し弟子の如水宗淵に与えた山水画。東京国立博物館所蔵。雪舟自身の長文の自題がある。自題の中に「破墨の法」を明で学んだと述べているのでこの名があるが技法的には「溌墨山水」。「破墨山水図」自序の中で、雪舟は、かつて中国へ渡り、李在と長有声に画を学んだ、日本では如拙、周文の画を受け継ぐことなどを述べ、如水宗淵のために画学の系譜を明らかにする。
【俵屋宗達、扇絵】17世紀は俵屋宗達とその工房の活躍期。仮名草子「竹斎」元和年間(1615~24)に記された俵屋は、扇絵制作を得意とする絵屋であり、宗達自身 による扇面画も複数残る。宗達や俵屋工房による扇面画、特に扇面屏風類の現存遺例、醍醐寺『扇面貼交屏風』二曲一双が有名である。
【本阿弥光悦と宗達】俵屋宗達は、本阿弥光悦と同時代人。*光悦(永禄元年(1558年)生まれ、寛永14年(1637年)2月3日没)。1602年(光悦44歳)、光悦は厳島神社の寺宝『平家納経』の修理にあたって宗達をチームに加える。50代になった光悦は俵屋宗達との「合作」に取り組み始める。才能と才能の共同制作、『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』。光悦は時の将軍徳川家光に「天下の重宝」と言わしめた書の達人。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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★展示作品の一部
国宝「普賢菩薩騎象像」平安時代・12世紀 大倉集古館蔵
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雪舟等楊筆「倣玉㵎山水図」室町時代・15世紀 岡山県立美術館蔵
雪舟等楊筆「倣夏珪山水図」室町時代・15世紀 山口県立美術館蔵
雪舟等楊筆 国宝「破墨山水図」室町時代・15世紀、東京国立博物館蔵
雪舟等楊筆「四季花鳥図屛風」室町時代・15世紀、京都国立博物館蔵
呂紀筆「四季花鳥図」明時代、15-16世紀
狩野元信「四季花鳥図」室町時代・16世紀
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「平治物語絵巻」六波羅合戦巻断簡 1幅、13世紀、東京国立博物館蔵
俵屋宗達筆「扇面散屏風」17世紀 三の丸尚蔵館
伝俵屋宗達筆「扇面貼交屛風」江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
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文正「鳴鶴図」元明時代、14世紀、相国寺
陳伯沖「松上双鶴図」明時代、16世紀、大雪院
狩野探幽「波濤飛鶴図」江戸時代・17世紀1654年、 京都国立博物館蔵
伊藤若冲筆「白鶴図」江戸時代・18世紀
伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」江戸時代・18世紀 京都・両足院蔵
伊藤若冲筆「仙人掌群鶏図襖」江戸時代・18世紀 大阪・西福寺蔵
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能阿弥筆「三保松原図」室町時代・15—16世紀、
長谷川等伯筆「山水松林架橋図襖」4面、安土桃山時代・天正17年1589年 樂美術館蔵
長谷川等伯筆 国宝「松林図屛風」安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵
菱川師宣筆「見返り美人図」17世紀東京国立博物館蔵
顔輝「寒山拾得図」元時代14世紀
岸田劉生「野童女」1922
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後期展示
雪舟「天橋立図、雪舟「四季山水図」15世紀、雪舟「倣夏珪山水図」、夏珪「山水図」、雪舟等楊筆「富士三保清見寺図」15世紀、狩野山雪「富士三保松原図屏風」17世紀、曽我蕭白「富士三保松原図屏風」18世紀
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参考文献
若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-2b1d.html
「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-7705.html
「京都―洛中洛外図と障壁画の美」・・・幻の花の都
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-97ee.html
長谷川等伯展・・・荒寥たる自然と生命の美
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-33b2.html
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館・・・絢爛たる装飾藝術
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c300.html
『没後500年特別展「雪舟」』(図録、東京国立博物館2002年)
「大琳派展―継承と変奏」東京国立博物館2008
「京都―洛中洛外図と障壁画の美」東京国立博物館2013
「長谷川等伯展」東京国立博物館2010
生誕300年記念「若冲展」東京都美術館2016
「ボストン美術館 日本美術の至宝」東京国立博物館2012
ボストン美術館肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」江戸東京博物館、2006年
「北斎展」東京国立博物館、2005年10月25日(火)~12月4日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=476
――
★創刊記念『國華』130周年・朝日新聞140周年「名作誕生、つながる日本美術」
東京国立博物館4月13日-5月27日
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1889
http://meisaku2018.jp/index.html

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2018年4月11日 (水)

東西美人画の名作《序の舞》への系譜・・・夢みる若い女、樹下美人

20180331大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第143回
春爛漫、百花繚乱、花吹雪。花盛りの森を歩いて美術館に行く。春高楼の花の宴、夜桜の森の下、酔う人々。いにしえの美人の面影が蘇る。春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女。
美には、魂の美、肉体の美、内面の美、外面の美、見えざる美、表面の美、内面と外面が一致した美がある。美人画の美女は、夢みる若い女、上流階級の毅然とした美女、艶麗な美女。美人画の最高峰は何か。
日本の美人画が描いていない領域がある。日本の美人画は、ラファエル前派、ルネサンスの美女、バロックの美女、新古典主義の美女とどこが異なるのか。
菱田春草「水鏡」(1897)は「美人はいつまでも美にあらず、ついには衰えるときがある」「天女衰相、天女の相が映る」(菱田春草『画界新彩』)。菱田春草は37歳で夭折する。
上村松園「序の舞」1936は「優美なうちにも毅然として犯しがたい気品」(『靑眉抄』)を表現している。
不気味な女たち。妖気を感じる。上村松園「焔」1918、岸田劉生「麗子」1920「野童女」1922、甲斐庄楠音「幻覚」1920、女は、人間の矛盾を映す鏡である。「江戸時代の幽霊は、女がほとんど。女は、抑圧される。抑圧されていた女は、死んで恨みを晴らす。恨みの視覚化が妖怪である。妖怪は、人が抱える矛盾を映す鏡である。」(小松和彦)
岸田劉生がデロリとよんだ甲斐庄楠音は83歳まで生き、岸田劉生は38歳で没した。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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美人画の始まり 樹下美人図
「鳥毛立女屏風図」正倉院宝物 天平勝宝四年(752年) 。「樹下美人図」ともよばれる。天平勝宝八年(756)の『東大寺献物帳』に「六扇」と記載されている。樹下に佇む唐の装束を着た婦人を描いた。シルクロード起源である。
【樹下美人図】春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女。春の園が紅色に美しく輝くように咲いている桃の花の色が、木の下までも照り映えている道に出て立っている乙女よ。(天平勝宝二(西暦750年)年三月一日の暮(ゆうへ)に、春苑の桃李の花を眺矚(なが)めて作る歌二首。大伴家持 (万葉集巻十九、4139)
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より」
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展示作品の一部
鈴木春信「琴を弾く美人」1767「三十六歌仙」1767
勝川春章「青楼美人合鏡」1776
鳥居清長「美南見十二侯」1784
喜多川歌麿「当世三美人」1793
菱田春草「水鏡」1897
鏑木清方「一葉」1940
菊池契月「友禅の少女」1933
甲斐庄楠音「幻覚」1920
上村松園「序の舞」1936
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参考文献
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-ee4b.html
「ザ・ビューティフル ― 英国の唯美主義 1860‐1900」・・・大英帝国の黄昏
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/18601900-9567.html
「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館・・・愛と美の象徴、思想表現の自由の戦い
https://bit.ly/2pJnsnZ
「上村松園展、東京国立近代美術館」2010年9月7日-10月17日
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1f70.html
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このほど、近代美人画の最高傑作である上村松園作《序の舞》(重要文化財)の修理が完成し、本展にてはじめて一般に公開される運びとなりました。上村松園(1875-1949)は、京都に生まれ鈴木松年や竹内栖鳳らに学びながら、独自の美人画様式を確立。官展を中心に活躍し、昭和23年(1948)、女性としてはじめての文化勲章を受章しました。昭和11年(1936)作の《序の舞》は、松園のもっとも充実した時期に制作された代表作のひとつです。
本展では、この機に、江戸時代の風俗画や浮世絵に近代美人画の源流を探りながら、《序の舞》に至る美人画の系譜をたどります。明治中期から昭和戦前期までの、東京と関西における美人画の展開を、松園をはじめ菱田春草、鏑木清方、菊池契月、北野恒富ら著名作家たちの名作を中心に俯瞰いたします。
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2017/bijinga/bijinga_ja.htm
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★東西美人画の名作 《序の舞》への系譜、東京藝術大学大学美術館
2018年3月31日〜5月6日

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2017年4月20日 (木)

茶の湯、東京国立博物館・・・曜変天目、漆黒の闇のなかに輝く瑠璃色の星

20170411_2Seikadou_youhentenmoku大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
桜満開の森を歩いて、春爛漫の博物館に行く。足利義政、織田信長、千利休、松平不昧、天下の武将や茶人たち。天下の名画、名碗は歴史の波瀾の波を流転した。
戦国の趣味人は、茶会に何を求めたのか。天下布武、安土城、茶の湯。本能寺茶会。織田信長は、新しい価値観を創造した。
信長はなぜ本能寺で殺されたのか。
曜変天目茶碗、幻想的な虹色の斑紋、瑠璃色の輝き、青と藍、漆黒の闇の宇宙。
曜変天目茶碗は、天下の名器天目茶碗のうち、最上級とされる。(『君台観左右帳記』)八代将軍、足利義政が愛した天目茶碗。足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀、南宋時代(静嘉堂文庫蔵)は、三代将軍家光から稲葉家に下賜された。
織田信長が所持した天下の唐物肩衝茶入「初花」「新田」。「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)は、足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
牧谿「観音猿鶴図」「遠浦帰帆図」、「廬山図」玉澗筆。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
永遠を旅する哲学者、時を超え黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――
信長はなぜ本能寺で殺されたのか
織田信長と茶会・・運命の本能寺
【織田信長と茶会】天下布武
1567年、信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山に移転し、古代中国、周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めた。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになる。
岐阜城には、山のふもとに迎賓館を作り、山の上に茶室を作る。銀閣寺「漱蘚亭」にならった。*
1568年、10月2日、堺に矢銭を課した織田信長に抗戦しようとする町衆を今井宗久らが説得。この日、今井宗久は、織田信長に、松島茶壺、紹鴎茄子を献上。
1569年、織田信長、丹羽長秀、松井友閑らに命じて、洛中洛外の茶器の名物狩り。
1571年、元亀二年、織田信長、東福寺にて茶会を催す。茶頭は、今井宗久。この年、比叡山焼き討ち。
1574年天正二年、4月3日、織田信長、相国寺にて茶会を催す。蘭奢待を千利休、山田宗及に下賜する。
千利休は51歳の1573年、1574年(52歳)、1575年(53歳)に、織田信長主催の京都の茶会に参加。茶会は宴。利休は、信長と48歳、1570年、出会う。
羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀などの織田家臣、茶の湯に励む。
1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。
運命の本能寺茶会
織田信長は、肩衝茶入「天下の三肩衝」(さんかたつき)を集めるため、本能寺にて、茶会を催す。2つは織田信長が持っていた。*
*「天下の三肩衝」といわれる「楢柴」「初花」「新田」。
博多豪商の島井宗室が「楢柴」をもっていた。
信長の5軍団のうち、明智光秀軍以外の4軍団は京都にいない。信長は70人の供の者だけであった。
【織田信長 最期の茶会】1582年(天正十年)6月1日、本能寺にて信長が茶会を催す。
利休60歳。信長48歳。1582年6月1日、本能寺にて信長が自慢のコレクションを一同に披露する盛大な茶会が催される。この夜、信長は明智光秀の謀反により、多数の名茶道具と共に炎に散った。
【本能寺の変】天正十年、6月1日夜。明智光秀、謀反の原因。怨恨説、野心説、黒幕説。怨恨はあり得ない。小和田哲男、谷口克広『集中講義 織田信長』P.166
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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若き織田信長、苦闘の日々
病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、信長は返り討ち
弘治三1557年、11月2日、病の織田信長を、弟信行が謀反を企て、清州城で返り討ちする。誅殺。家臣、池田氏。池田恒興らが殺害。信長24歳の時。
池田恒興の子、池田輝政が、姫路城大改修(1601—1609)。5層7階の連立式天守を完成。
1557年、生駒家宗の娘、生駒吉乃との間に嫡男、信忠、幼名、奇妙丸を得る。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
戦国時代年代記 織田信長と芸術、明晰透徹
https://t.co/TtfGTKcUEL
織田信長と狩野永徳 戦国武将と藝術
https://t.co/57jbBNMOeG
織田信長の城 安土城、琵琶湖のほとりに聳える
https://t.co/M42reazRZU
若き織田信長、戦国武将、復讐、天下布武
http://bit.ly/2lbezTP
――
曜変天目の再現に挑む陶芸家は、非業の死を遂げる。
なぜ陶芸家たちは、このあまりに高い壁に魅せられ、挑んでゆくのか。 京都の桶谷寧氏は「曜変は世界に残された神秘性の最後の砦」。制作方法は全くの謎、多くの日本の陶芸家が、妖しい宇宙に迫ろうと心血を注いでいる。林 恭助氏は曜変天目に挑み続けている。
*曜変天目茶碗、建窯、12世紀13世紀、南宋時代。東山文化、足利政義の時代から伝世。
★参考文献
曜変天目復元に挑む(2002/10/19日経新聞)
曜変天目誕生の謎に迫る(2004/11/13朝日新聞)
ひと 林 恭助さん(2007/3/16朝日新聞)
曜変の光に魅了され 謎の制作方法に挑む陶芸家たち(2007/6/17朝日新聞)
安藤 堅著『碗の中の宇宙』(2003年9月 新風書房)
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展示品の一部
油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)、国宝
大井戸茶碗 銘 喜左衛門(京都・孤篷庵蔵)、国宝。
志野茶碗 銘 卯花墻、国宝(三井記念美術館蔵)
天下の唐物肩衝茶入「初花」。「遅桜」
黄天目、珠光天目
白天目、竹茶杓
室町幕府8代将軍、足利義政が愛した「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」(ばこうはん)。
織田信長から贈られた柴田勝家所持の「青井戸茶碗 銘 柴田」。歴史上の著名人に所縁ある茶碗。
青磁輪花茶碗「銘 馬蝗絆」(東京国立博物館蔵)重要文化財 
青井戸茶碗「銘 柴田」(根津美術館蔵)重要文化財、織田信長から贈られた柴田勝家所持。
本阿弥光悦作「黒楽茶碗 銘 時雨」
赤楽茶碗「銘 無一物」(兵庫・頴川美術館蔵)重要文化財、楽焼の始祖、長次郎が作った。千利休好み。
黒楽茶碗「銘 時雨」長次郎(名古屋市博物館蔵)重要文化財 
「遠浦帰帆図」牧谿筆(南宋時代・13世紀)京都国立博物館蔵、重要文化財
本図を含む瀟湘八景図は、中国の洞庭湖に注ぎ込む瀟水と湘水一帯の景勝を描いたもの。足利義満の鑑蔵印「道有」があり、のちに織田信長が所持した。
「廬山図」玉澗筆、中国 南宋時代・13世紀、岡山県立美術館蔵(4月11日〜5月7日)重要文化財
牧谿にならぶ中国の著名な画家の一人、日本で高く評価されてきた禅僧画家、玉澗の名品。かつて佐久間将監が茶掛けに合うように裁断したというエピソードがある。
「紅白芙蓉図」李迪筆、南宋時代・慶元3年(1197)国宝、東京国立博物館蔵。南宋の画院画家、李迪による花の絵。1日で白から紅に色を変える酔芙蓉を瑞々しく繊細に描く。
――
流転の絵画、牧谿
牧谿「観音猿鶴図」大徳寺、国宝。長谷川等伯「枯木猿猴図」、数々の猿猴図に影響を与えた。牧谿「遠浦帰帆図」。
足利義満から織田信長まで、愛された画家、牧谿。宋末から元初の画僧。蜀 の人。
牧谿『瀟湘八景図』は、足利義満が切断した。『煙寺晩鐘図』は、13代将軍足利義輝を暗殺した松永久秀の手に渡り、続いて彼を降伏させた織田信長、徳川家康の元へ、権力の推移と伴に流転した。
――
★茶の湯、東京国立博物館
2017年4月11日(火) ~ 2017年6月4日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1828

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2016年5月 3日 (火)

若冲展、東京都美術館・・・『動植綵絵』、妖気漂う美の世界

20160422大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 花吹雪、花も嵐も踏み越えて、緑深い森を歩いて、美術館に行く。牡丹、躑躅の花咲く。春爛漫、花の匂い漂う森。永遠を旅する哲学者は、守護精霊の豹に導かれて、智慧の羅針盤の指す方向に、歩いていく。新緑の森を森の奥へ、白いドレスの女は森を彷徨い歩く。『老松鸚鵡図』の鸚鵡のように。
瞬間の中に、永遠の今、生命の宇宙と個の宇宙の融一。戦国武将の競争世界を生きてきた、旅する哲学者。陥れる策略、謀反、嫉妬、詐欺、詭計、殺意うずまく階級社会、生き残りをかけて戦い敗れた日々。蘇る哲学者。
「大盈若冲、其用不窮」『老子』。愚者よ、外見で無用と決める愚かさに気づけ。恨血千年土中碧、恨みの血は千年地中に凝結し碧玉となる。花ゆらゆら夕べに散る。森の残照。
見果てぬ夢を見る人は、どのように希望をつなぐのか。「千載具眼の徒を竢つ」(若冲)。千年の後、具眼の士が現われるのを待つ。と絵師はいう。
*大久 保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
――――――――――
若冲は35歳の時、相国寺にて、僧、大典顕常(1719年—1801年)に出会う。売茶翁(1675年—1763年)とも出会う。若冲という名を得て、若冲『動植綵絵』を10年の歳月をかけて完成する(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)。人知れず隠れて、寺院の秘密の部屋で超絶技巧を磨き貫き、技を駆使して、革新的技法、創造的芸術を探求した。裏彩色、色彩の魔術師。8万6千の方眼の中に描かれている極彩色の屏風、『鳥獣花木図屏風』。枡目描きは、西陣織物商、金田忠兵衛がいた。
若冲の超絶技巧の超細密画、微細な生きものの神秘な世界。マクロコスモスとミクロコスモスの調和、宇宙と小宇宙の融一を観照する。寺院の秘密の部屋。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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永遠を旅する哲学者は、千年後に具眼の士が現われるのを待つ。旅する哲学者は、瞬間の永遠、永遠の今のなかに、美と真理を探求する。美は真であり、真は美である。詩人の魂は、怨みにある。李白の美の源泉は、恨みである。
若冲が『動植綵絵』で追求したものは何か。作品を評価してくれる人が現れるまで千年待つ。天上の宇宙と心の中の宇宙。天上の宇宙と心の中の宇宙。若冲は、生きものの神秘と美に魅入られたのか。若冲の絵画『動植綵絵』の方法とは何か。「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である」「いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、わが天上の星の輝きと我が心の内なる道徳律」。内なる宇宙は、何を志向したのか。
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』より
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伊藤若冲、謎の生涯
伊藤源右衛門(若冲)(1716-1800)、京都の富裕な青物問屋に生まれ23歳で家業を継ぎながら、40歳で次弟に家督を譲り、異常に緻密な細密画に生涯没頭したのはなぜか。84歳まで、絵画を追求した若冲。相国寺、大典に出会い、人生が一変する。師なき領域で独創的藝術を探求した。
南蘋派の絵師、鶴亭に影響を受けて1000点に及ぶ中国絵画の臨写(模写)をするが、模写を止め独創性を追求する。「旭日鳳凰図」(1755)から始まる創造的藝術の探求。
若冲は10年の歳月をかけて『動植綵絵』『釈迦三尊像』『釈迦三尊像』を描き、京都、相国寺に寄進した。
*『動植綵絵』「群鶏図」「老松孔雀図」「老松鳳凰図」「牡丹小禽図」「雪中錦鶏図」「芍薬群蝶図」、鳥、植物、微細な生きものの輝く宇宙。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――――――――――
★主要作品
『動植綵絵』全30幅(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)、『釈迦三尊像』3幅、相国寺。(宝暦7年頃1757年から明和3年1766年)
伊藤若冲『象と鯨図屏風』紙本墨画 六曲一双 寛政9年(1797年)MIHO MUSEUM
大阪西福寺蔵『仙人掌群鶏図襖絵』(重要文化財)。金地の襖の上に描かれた鶏とサボテンの極彩色の美。「若冲の鶏」。
『菜蟲譜』(佐野市立吉澤記念美術館)。青物問屋の長男として生まれた若冲の動植物への愛情があふれ出ている作品。横10メートル以上に及ぶ作品の中に98種類の野菜、果物、そして56種類の昆虫が描かれている。若冲の画力とユーモア。
『百犬図』(個人蔵)、縦1.4メートルの大画面に、様々な表情と容姿の犬が描き込まれた。
重要文化財『葡萄小禽図襖絵』『松鶴図襖絵』(金閣鹿苑寺)、重要文化財『蓮池図』(西福寺)。
『鳥獣花木図屏風』(18世紀、プライス・コレクション) *日本美術史上、最も謎に満ちた作品*
参考文献
*狩野博幸『その絵師、若冲なり』2016、辻惟雄『奇想の系譜』1970
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★3点の若冲屏風に作者帰属問題がある。*『白象群獣図』( 1772-87年個人蔵)、*『樹花鳥獣図屏風』(18世紀、六曲一双・紙本著色、各137.5×355.6cm)静岡県立美術館
*佐藤康宏(東京大学教授)は「樹花鳥獣図屏風」を「工房作」、「鳥獣花木図屏風」を「作者不明の模倣作」と指摘した。若冲作とされる桝目描きの作品は、ほかに「白象群獣図」がある。白象は若冲作とした。*(佐藤康宏「若冲・蕭白とそうでないもの」『美術史論叢』2010東京大学)
*「若冲屏風」は本人の作? 朝日新聞2010/05/01
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★ これまでの若冲展
*没後200年「若冲展」京都国立博物館、平成12年(2000)
*「若冲ワンダーワールド」、MIHO MUSEUM、2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
*プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、
*愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
*伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
*「皇室の名宝 日本美の華」、若冲『動植綵絵』、東京国立博物館、2009年10月6日~11月3日
*「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日
*「Kawaii 日本美術」山種美術館、伊藤若冲《樹花鳥獣図屏風》(静岡県立美術館)、2014年2月4日(金)~3月2日(日)
*「若冲と蕪村」生誕三百年同い年の天才絵師、サントリー美術館、2015年3月18日(水)~5月10日(日)「象と鯨図屏風」伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵、「白象群獣図」個人蔵
*わが名は鶴亭―若冲、大雅も憧れた花鳥画、神戸市美術館
「桐に鳳凰図」鶴亭筆 宝暦3年(1753年)個人蔵
2016年4月9日(土)~5月29日(日)
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html
――――――――――
若冲展 生誕300年記念、東京都美術館
2016年4月22日(金)~5月24日(火)
http://www.tobikan.jp/

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2015年6月 6日 (土)

「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」・・・闇に眠りつづける謎

2015042801_2花ざかりの森を歩き、百花繚乱の丘を越えて、新緑の博物館に行く。夕暮れの森、夕暮れの諧調。風薫る春、夜の森、木々は囁く。
支配体制が揺らぐ下剋上の時代、支配階級との戦い、支配階級を戯画化する絵師。「兎と蛙の相撲。兎の耳に噛みつく蛙。」禁じ手を使う弱者。支配階層への抵抗と諧謔。作者はだれか。何を戯画化しているかは謎である。寺院の暗闇で八百年間、眠りつづける謎。
★美への旅、大久保正雄、『旅する哲学者』より
甲巻、「鳥獣戯画」を代表する巻。動物を擬人化、遊戯と儀式に興じる姿を描く。兎と蛙の相撲。兎の耳に噛みつく蛙、禁じ手である。兎と蛙が、猿を追いかける。
乙巻、ほえ合うイヌやつかみ合いをするイヌ。蝶を追う獅子と、後ろ足で頭を掻く獅子。
丙巻、動物を擬人化、囲碁、闘犬などの遊戯に興じる。
丁巻、カエルが描かれた本尊を前に法会が営まれる。甲巻の法会の場面をもとに描かれている。
■展示作品
国宝 鳥獣戯画 甲巻 1巻 平安時代・12世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 乙巻 1巻 平安時代・12世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 丙巻 1巻 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺
国宝 鳥獣戯画 丁巻 1巻 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺
国宝 明恵上人像(樹上坐禅像)、鎌倉時代・13世紀
国宝 華厳宗祖師絵伝 義湘絵 巻三、鎌倉時代・13世紀
――――――――――
誰もが一度は目にしたことのある、日本で最も有名な絵巻、国宝・鳥獣戯画。墨線のみで動物や人物たちを躍動的に描いた、日本絵画史上屈指の作品です。全巻の修理を終え、その魅力を一新した鳥獣戯画の全貌を紹介します。国宝の甲・乙・丙・丁4巻とともに、この4巻から分かれ、国内外に所蔵される断簡5幅も集結。現存する全ての鳥獣戯画をご覧頂けます。
また、鳥獣戯画の伝来した京都・高山寺は、鎌倉時代のはじめに明恵上人によって再興され、今なお多くの文化財が伝わります。本展覧会では、高山寺ゆかりの至宝とともに、明恵上人の信仰と深く関わる美術作品を、かつてない規模で展観します。
――――――――――
特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」東京国立博物館
2015年4月28日(火) ~ 2015年6月7日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1707
http://chojugiga2015.jp/ 

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2015年5月 5日 (火)

「若冲と蕪村」・・・黄昏の美術館

20150318大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
黄昏の丘、黄昏の森を越えて、黄昏の街に行く。黄昏の美術館、夕暮れの諧調。愛を語る星降る夜、花の森。美しい天使は、魂が美しい人を助けるためにやってくる。天は見ている。
夕暮散歩して、出雲大社分祀の道を歩き、美術館に行く。彷徨える藝術家、蕪村の「夜色楼台図」「鳶・烏図」には、苦難に耐える孤高な旅人の美しい姿がある。
美への旅、大久保正雄『旅する哲学者』より
夕暮れの美術館、ソファで図録を読みながら、うたた寝すると、隣の女性が話しかけてきた。「美術館で図録を買っても、開いて見ることはないんです。深いことは何も書いてないんですよ。表面的な浅い事しか、書いてないんです。」と彼女。「若冲ワンダーワールド展を見に、MIHOミュージアムに行ったら、ギリシア彫刻やガンダーラ美術があった。どうしてですか」
大久保正雄『ふしぎな美術館』より
★主要展示作品「若冲と蕪村」
「象と鯨図屏風」、伊藤若冲筆 六曲一双、右隻左隻寛政9年(1797) MIHO MUSEUM蔵
紙本拓本「乗興舟」、伊藤若冲筆 大典顕常跋 明和4年(1767)頃
「猿猴摘桃図」、伊藤若冲 伯珣照浩賛
「夜色楼台図」国宝 与謝蕪村 18世紀 個人蔵
与謝蕪村「鳶・烏図」18世紀 北村美術館
「山水図屏風 」与謝蕪村筆 六曲一双 天明2年(1782) MIHO MUSEUM蔵
「蜀桟道図」与謝蕪村筆 一幅 安永7年(1778) LING SHENG PTE. LTD(Singapore)
■生誕三百年同い年の天才絵師 若冲と蕪村、サントリー美術館
2015年3月18日(水)~5月10日(日)
正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/index.html

これまでの主な若冲展
若冲ワンダーワールド、MIHO MUSEUM、 2009年9月1日(火)~ 12月13日(日)
プライスコレクション 若冲と江戸絵画、東京国立博物館、2006年7月4日(火) ~ 2006年8月27日(日)、愛知県美術館、2007年4月13日(金)~ 6月10日(日)
伊藤若冲アナザーワールド、千葉市美術館、2010年5月22日(土) ~ 6月27日(日)
「若冲展」、相国寺承天閣美術館、2007年5月13日-6月3日

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2013年10月10日 (木)

「京都―洛中洛外図と障壁画の美」・・・幻の花の都

20131008狩野永徳『洛中洛外図屏風』をみると、哀愁のイタリア、憂愁のフィレンツェ、旅した美しい日々を思い出す。レオナルドの憂愁、さまよえる孤独な藝術家ミケランジェロのダヴィデの肉体、イタリア景観図の思い出である。
花の都フィレンツェは皇帝軍に包囲されて落城寸前である。ヴァザーリ『1530年のフィレンツェ包囲の眺めL'Assedio di Firenze』(ヴェッキオ宮殿、クレメンス7世の間1560-61)。フィレンツェ共和国の滅びの光景である。
京都が、洛中洛外図に描かれたのは、応仁の乱によって、京都が炎上してから後である。上御霊神社で、応仁の乱(1467年~1477年)は始まった。花の都の美しかった思い出、美しい京都を蘇らせるのが、画家の技である。
国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』狩野永徳筆
国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』は、相国寺の七重塔からみた京都の景観である。黄金の雲の間からみえる京都の風景が夢のように美しい。16世紀最高の巨匠狩野永徳、23歳の時の作品である。洛中洛外図の最高傑作。将軍足利義輝が日本を代表する絵師狩野永徳に描かせ、永禄8年(1565)に完成し、義輝没後に織田信長が入手して、上杉謙信へ贈った。金の雲間から尖った屋根がみえる。登場人物は老若男女2500人。若き永徳の細密画に圧倒される。
岩佐又兵衛筆『洛中洛外図屏風 舟木本』
『洛中洛外図屏風 舟木本』は、東寺の五重の塔からみた京都の景観である。
左隻「祇園祭」。三条大橋と高瀬川に架かる小橋が続くあたりに、祇園祭の風流が行きかう。東寺の堂内で僧たちが読経しているが、隅で若い人を抱きしめる僧の姿がみえる。
右隻「五条大橋」。花見の宴が終わり桜の枝や扇、日傘をもった集団が、身をくねらせて踊りながら賑やかに橋をわたっていく。酔いつぶれて二人に肩を担がれている男。四条河原には、人形浄瑠璃、遊女歌舞伎など芝居小屋が犇いて、人々の浮世への欲望が余すところなく活写される。
『洛中洛外図屏風 歴博乙本』16世紀
上京隻「御霊祭」上御霊神社の御霊祭の神輿二基が通りを巡行する。
17世紀京都の風景、琳派
狩野永徳『洛中洛外図屏風』をみると、光琳の優雅な絵画を思い出す。尾形光琳『紅白梅図』は、下鴨神社の御手洗川にかかる輪橋(そりはし)を描いた。輪橋の側に梅の木があり「光琳の梅」と呼ばれる。『燕子花図』六曲屏風は、上賀茂神社摂社、太田神社にある「太田ノ沢杜若群落」を描いた。琳派の代表者、尾形光琳(万治元年1658年-享保元年6月2日1716年7月20日)は、俵屋宗達の藝術に憧れ研究した江戸時代の画家、工芸家。「艶隠者」と呼ばれる(辻惟雄)。貴族的、唯美主義的作家。貴族的、美麗な日本の華麗、繊細な美学を構築した。
花盛りの京都
理念なき政治が、人間と国家を危機に陥れる。戦略なき国家に、滅びの影が訪れるとき、私は花盛りの京都に逃避行した。
桜満開の京都、花盛りの密教寺院に滞在した。しばし憂いを忘れて、春爛漫、醍醐寺の桜満開の時から紅枝垂れ桜が咲き、花吹雪舞うときまで、花めぐりする。死の相の下にみると、生命あるこの世のものが限りなく美しい。(大久保正雄『東寺、春爛漫の京都』2011)。
★参考文献
図録『京都―洛中洛外図と障壁画の美』2013
川尻秋生『平安京遷都』2011
「夢と陰謀の平安京」 左方郁子『京都 謎とき散歩』1997
大久保正雄「プラトン哲学と空海の密教―書かれざる教説と詩のことば―」2011
大久保正雄「花盛りの京都、幻の都へ」2013
宮坂宥勝・梅原猛『生命の海<空海>』仏教の思想9角川文庫1996
河内将芳『信長が見た戦国京都 城塞に囲まれた異貌の都』2010
■展示作品
第1部 都の姿─黄金の洛中洛外図
史上空前☆国宝・重要文化財指定「洛中洛外図屏風」全7件が一堂に
国宝・重要文化財に指定されている7件をすべて展示。これらが一堂に会する展覧会は、本邦初。
★国宝『洛中洛外図屏風 上杉本』狩野永徳筆 室町時代・16世紀(山形・米沢市上杉博物館蔵)
[展示期間:2013年10月8日(火)~11月4日(月・休)]
★重要文化財『洛中洛外図屏風 舟木本』岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀(東京国立博物館蔵)
★重要文化財『洛中洛外図屏風 歴博乙本』室町時代・16世紀(国立歴史民俗博物館蔵)
[展示期間:2013年10月8日(火)~11月4日(月・休)]
重要文化財『洛中洛外図屏風 歴博甲本』室町時代・16世紀(国立歴史民俗博物館蔵)
[展示期間:2013年11月6日(水)~12月1日(日)]
重要文化財『洛中洛外図屏風 福岡市博本』江戸時代・17世紀(福岡市博物館蔵)
重要文化財『洛中洛外図屏風 勝興寺本』江戸時代・17世紀(富山・勝興寺蔵)
重要文化財『洛中洛外図屏風 池田本』江戸時代・17世紀(岡山・林原美術館蔵)
第2部 都の空間装飾─障壁画の美
1 王権の象徴─京都御所
重要文化財『群仙図襖』狩野永徳筆 安土桃山時代・天正14年(1586) 京都・南禅寺蔵
重要文化財『賢聖障子絵』狩野孝信筆 江戸時代・慶長19年(1614)京都・仁和寺蔵
2 仏法の荘厳─龍安寺
龍安寺の襖絵。明治の廃仏毀釈で散逸した。現在、メトロポリタン美術館とメトロポリタン美術館所蔵が12面を所蔵している。
★「列子図襖」江戸時代・17世紀 メトロポリタン美術館所蔵
★「琴棋書画図襖」江戸時代・17世紀 メトロポリタン美術館所蔵、シアトル美術館所蔵、京都・龍安寺
超高精細映像「龍安寺の石庭」の四季。
3 公儀の威光─二条城
二条城二の丸御殿黒書院一の間、二の間を飾っていた狩野尚信筆の障壁画、全69面。
城のシンボル、二の丸御殿大広間四の間を飾る狩野探幽筆「松鷹図」15面を展示。
二条城から全84面の障壁画を一挙展示
――――――――――
京都の市中(洛中)と郊外(洛外)の景観を高い視点から見下ろして描いた「洛中洛外図」は、室町時代から描かれはじめ、江戸時代を通して数多く制作されました。
そのほとんどが屏風絵で、四季が巡るなか、御所(皇居)をはじめ貴族や武家の御殿、名高い寺社、観光名所をとりあげて、そこに暮らす人々の生活を余すところなく描き出した風俗画です。
現存する「洛中洛外図屏風」は100点ほどが知られていますが、本展では狩野永徳が手がけた「洛中洛外図」の最高峰「上杉本」や岩佐又兵衛の「舟木本」など、国宝、重要文化財の7件すべてを展示します。
当時の都市景観を反映したこれらの「洛中洛外図屏風」は、美術的な価値だけでなく、建築史など、さまざまな分野でも高い資料的価値をもっています。
一方で、黄金の光をまとう「洛中洛外図」は、当時の現実の京都を描いたのではなく、それぞれの絵の注文主と制作者たちが夢見た京都を描いているともいえます。それらを対照しながら、かつての都を俯瞰してみましょう。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1610
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「京都―洛中洛外図と障壁画の美」東京国立博物館
2013年10月8日(火)~2013年12月1日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1610
http://www.ntv.co.jp/kyoto2013/

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2013年8月 8日 (木)

和様の書・・・典麗、優美、華麗、繊細な世界

20150713三跡の一人、藤原佐理の『離洛状』をみると、流麗で奔放な文字の流れが美しい。奔放不羈の精神を感じる。李白の詩を想起する美しさである。李白失脚の原因になった『清平調詞』二を思い出す。「一枝の濃艶露香を凝らす。雲雨巫山枉げて斷腸。借問す漢宮誰か似るを得ん。可憐の飛燕新粧に倚る。」京洛を離れた藤原佐理は、六点の作品が残っている。五点が詫び状である。(大久保正雄『魂の美学』)
書の美しさは、文字の美しさだけではなく、心の美しさ、磨き上げられた精神の美しさを現わす。鍛え上げられた技のみならず、洗練された精神にこそ美はある。精神の美しさは、知恵、勇気、節制、正義、不屈の魂にある。李白、プラトン、空海の精神を思い出す。美しい魂と美しい肉体をもって生きた詩人たち、思想家たち。(大久保正雄『魂の美学』)
琳派の書、『鹿下絵和歌巻』本阿弥光悦筆、絵俵屋宗達は、新古今和歌集の世界を、書と絵で現わす美しい至宝である。
国宝『本願寺本三十六人家集』『古今和歌集』(元永本)藤原定実筆は、料紙と散らし書きの書が絶妙の美的世界を現出する。
「古今和歌集(高野切)」は、典麗、優美、華麗、繊細な世界。仮名の最も美しく完成された姿である。
「鹿下絵和歌巻」本阿弥光悦筆、絵、俵屋宗達(17世紀、五島美術館)は、様々な鹿の姿態を金銀泥のみを使用して描いた下絵に、本阿弥光悦(1558―1637)が『新古今和歌集』より二十八首を選び、散らし書きした巻物の断簡。図は雄鹿とそれを振り返る雌鹿を描き、「思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ」後鳥羽院宮内卿『新古今和歌集』巻第四「秋歌上」第365番の和歌を散らし書きした部分である。
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主な展示作品
国宝「竹生島経」平安時代・10世紀後半~11世紀初 東京国立博物館蔵
国宝「扇面法華経冊子」(巻第一、観普賢経)平安時代・12世紀。大阪・四天王寺蔵
国宝「古今和歌集 巻第二十(高野切)」伝紀貫之筆、平安時代・11世紀。
国宝『古今和歌集』(元永本)藤原定実筆。平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵。[展示期間:2013年7月13日(土)~9月8日(日)]
『古今和歌集』の現存最古の完本です。元永3年の奥書から「元永本」と呼ばれ、14種類もの文様を摺り出した日本製の唐紙(からかみ)を色とりどりに配置した調度手本(ちょうどてほん)。藤原行成の曾孫・定実(?~1077~1119~?)が、散らし書きも駆使しながら、全2帖を見事に書き上げた。
国宝「本願寺本三十六人家集」(貫之集上、順集) 貫之集上:藤原定実筆、順集:藤原定信筆。平安時代・12世紀 京都・西本願寺蔵
[展示期間:貫之集上 2013年7月13日(土)~8月12日(月)、 順集 2013年8月13日(火)~9月8日(日)]
歌仙36人の家集を粘葉装(でっちょうそう)の冊子本全37帖(現存)に書写。中国製・日本製の唐紙(からかみ)、染紙 (そめがみ)などを使って破り継ぎ、切り継ぎなどしながら、金銀箔や下絵を施した美麗な装飾料紙。当代一流の能書20人が分担執筆しており、調度手本の最高傑作。
「四季草花下絵和歌巻 」本阿弥光悦筆。江戸時代・17世紀 個人蔵。[展示期間:2013年7月13日(土)~8月4日(日)]
国宝「白氏詩巻」藤原行成筆、平安時代・寛仁2年(1018) 東京国立博物館蔵
国宝「平治物語絵詞 六波羅行幸巻、詞書:伝藤原教家筆。鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵 平治元年(1159)に起きた平治の乱を題材とする『平治物語』を絵巻化。美しい色彩と、群像表現が巧み、動乱の緊迫した状況を見事に描く。詞書きは一筆で、その書風には、藤原忠通の曾孫・教家の弘誓院流の影響がある。
「鹿下絵和歌巻」本阿弥光悦筆、絵、俵屋宗達(17世紀、五島美術館)。
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わが国の書の歴史は、漢字の伝来以来、中国の書法の影響を受けて発展しつつ、遣唐使廃止の頃になると国風文化が広まり、筆致に柔らかみが加わります。平安時代中期には、小野道風・藤原佐理・藤原行成の三跡(さんせき)と呼ばれる能書が登場し、繊細、典雅な「和様(わよう)の書」が完成します。併行して、万葉仮名、草仮名(そうがな)を経て女手(おんなで、平仮名)が成立し、「高野切(こうやぎれ)」に代表される日本独自の仮名の美が生まれました。 以後、日本の書は、仮名と漢字が融合した和様の書を中心に展開します。なかでも藤原行成の子孫は、宮廷の書役(かきやく)を長く勤め、その書はのちに世尊寺流と称され、書道史上に重要な位置を占めました。室町時代は多くの書流が型を踏襲した没個性の書となりますが、江戸時代に入り、本阿弥光悦、近衞信尹など上代様を展開させたダイナミックな書が生まれ、以降は「御家流」とよばれる実用の書が一般に普及します。
この展覧会は、こうした和様の書の魅力とともに、宮廷文学や料紙(りょうし)工芸など、書に関わる多様な日本文化に触れていただく機会となります。
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特別展「和様の書」
東京国立博物館 平成館 特別展示室   2013年7月13日(土) ~ 2013年9月8日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1602
http://wayo2013.jp/
「鹿下絵和歌巻」本阿弥光悦筆、俵屋宗達絵。

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2013年5月14日 (火)

「国宝 大神社展」・・・謎の七支刀

2013040902藤の花の匂いが立ち込める五月の晴れた午後、博物館に行く。
大神神社の森厳な森を歩いた時、原始の息吹を感じた。日本の神域で、神聖な空気を感じるのは、大神神社の神域、磐座神社、狭井神社、三輪山禁足地である。
頂上付近には高宮神社、その奥には厳粛に祀られた奥津磐座が鎮座し、三輪山には無数の磐座がある。拝殿横に立つ「巳の神杉」と呼ばれる神木がある。三輪山はその姿がとぐろを巻いた蛇に喩えられ水の神、蛇神でもある。本居宣長は「大和に都があったころ、ただ大神といえば三輪の神のことだった」と書いた。三島由紀夫『奔馬』(『豊饒の海』第二部)で、若い剣士が滝に打たれる場面が出てくる。
学生時代、山の辺の道を歩いた時、石上神宮に行き、七支刀をみたいと申し出た思い出がある。
■国宝「七支刀」石上神宮・・・謎に満ちた刀
国宝「七支刀」(古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵 全長74.8㎝)
七支刀は、その特異な形状が有名である。謎に満ちた刀である。
刀身の両面に金象嵌された61文字の銘文は、
泰□四年□月十六日丙午正陽造百錬鋼七支刀□辟百兵宜供供候王□□□□作 (表)
先世以来未有此刀百済□世□奇生聖音故為倭王旨造□□□世 (裏)
中国の東晋の年号である「太和」「泰和」、西暦369年説が有力である。銘文の意味は、
泰和4年丙午正陽、百錬の鋼の七支刀を作った。百兵を避けることができる。先世以来このような刀は未だ存在しない。百済王の太子が倭王のためにこの七支刀を作った。
石上神宮
http://www.isonokami.jp/about/c4_2.html

石上神宮の国宝七支刀と物部氏の布留遺跡 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_10_28.htm
■展示作品
国宝「七支刀」(しちしとう)古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵、[展示期間:2013年4月9日(火)〜展示期間延長:5月12日(日)まで]
国宝「方格規矩鏡」(ほうかくきくきょう)古墳時代・4〜5世紀 福岡・宗像大社蔵
国宝「海獣葡萄鏡」唐または奈良時代・8世紀 千葉・香取神宮蔵
唐から舶載された形式の白銅製の鏡。獣をかたどった鈕を中心に、葡萄唐草文の地文に、獅子・馬・鹿・麒麟・鳳凰・蜂・蟷螂などが配されている。同形の鏡が正倉院に伝わる。
重要文化財「春日神鹿御正体」(かすがしんろくみしょうたい) 南北朝時代・14世紀 京都・細見美術館蔵
春日大社の使いである鹿をかたどった金銅製の作品。白雲の上に立ち、鞍に立てた榊には春日の本地仏5体が線刻されている。春日大社の祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、常陸国鹿島から春日の地へ移座したときの様子を表している。同じ構図の絵画作品も出品される。
国宝「橘蒔絵手箱」及び内容品(たちばなまきえてばこ) 南北朝時代・明徳元年(1390) 和歌山・熊野速玉大社蔵[展示期間:2013年4月9日(火)〜5月6日(月・休)]
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■日本人は古来、自然のなかに人知を超えたものを感じ、山、岩、木など自然物の中に神を見出し、畏れ敬ってきました。やがて神々を祀る神社が建てられ、祭神の調度品である神宝や、祭神の姿をあらわした神像などがつくられました。神社は、神聖な場所として尊崇され、神像や宝物が大切に守り伝えられてきました。 この展覧会は、伊勢神宮の第62回式年遷宮を機に、神社本庁をはじめ、日本全国の神社の全面的な協力を得て、神社の宝物や日本の神々に関する文化財を総合的にご覧いただく、貴重な機会となります。
■「国宝 大神社展」東京国立博物館
4/9(火)〜6/2(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1573

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