日本美術史

2022年10月 4日 (火)

「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』291回

曜変天目は、織田信長の見果てぬ夢の残像。幻の曜変天目、もう一つあった。それはだれが所持したか。天王寺屋、津田宗及を経て曜変天目が、大徳寺龍光院に伝った。足利義政、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより。世に残らず。
織田信長【本能寺の変と三職推任問題】天正10年(1582年)4月25日、5月4日両日付けの勧修寺晴豊の日記『晴豊公記』(天正十年夏記)。 4月、信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が、村井貞勝と武家伝奏・勧修寺晴豊とのあいだで話し合われた(三職推任問題)。
【織田信長、三職推任問題】勧修寺晴豊『天正十年夏記』に記載、その中の「御すいにん候て然るべく候よし申され候」。5月になると朝廷は、信長の居城・安土城に推任のための勅使を差し向けた。正親町天皇の皇子誠仁親王、信長の返答の内容は不明である。織田信長は、階級社会の地位に拘泥せず。これが悲劇を招いた。
6月1日、本能寺の茶会。6月2日、払暁、明智光秀の本能寺の変が起こる。
【明智光秀、計略と策謀の達人】「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」「裏切りや密会を好む」「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」ルイス・フロイス『日本史』
参考文献*今谷明『信長と天皇 中世的権威に挑む覇王』1992小和田哲男『明智光秀』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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岩崎彌太郎《一行書「猛虎一声山月高」》と書いたが、どのような青雲の志を抱いたのか。三菱創業の初代岩崎彌太郎、岩崎小彌太は、優れた美術コレクターである。
国宝《曜変天目 (稲葉天目)》。完全な形で日本に現存するのは3点のみとされる。こちらは徳川将軍家より3代将軍家光の乳母・春日局の手を経て、淀藩主稲葉家に伝来した。家光が春日局に、服薬のために献じた。大小の斑文の周りを青色や虹色に輝く光彩が囲み、宇宙の星を覗き込むような心になる美しい茶碗。河野元昭(静嘉堂文庫美術館館長)は、「曜変天目 の美は言葉では語れない」と述べる。
華麗な光源氏の一行と船中の明石君とのすれ違う恋を描いた俵屋宗達の国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》「澪標図」。
国宝《太刀 銘 泡永》、太刀の妖しいほどの輝き。
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★展示作品の一部
国宝《曜変天目 (稲葉天目)》建窯、南宋12-13世紀
重要文化財《油滴天目》建窯、南宋12-13世紀
国宝《太刀 銘 泡永》
唐物茄子茶入《付藻茄子》《松本(紹鷗)茄子》は、信長・秀吉・家康に伝来した大名物。これらは1615年大坂夏の陣で大破したが、その破片を集めて、塗師の名工である藤重藤元(ふじしげ とうげん)・藤巌(とうがん)父子によって漆繕いされて復元された。
国宝 伝 馬遠《風雨山水図》南宋時代・13世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
[前期(10月1日(土)~11月6日(日))展示]
(国宝)《風雨山水図》馬遠筆の伝承を持つ
(重要文化財)画僧・牧谿の《羅漢図》
(重要文化財)酒井抱一《波図屏風》江戸時代・1815年(文化12)頃 静嘉堂文庫美術館蔵
[後期(11月10日(木)~12月18日(日))展示]
国宝 俵屋宗達《源氏物語関屋澪標図屏風》、17世紀
尾形光琳《住之江蒔絵硯箱》(重要文化財)、18世紀、酒井抱一《波図屏風》、
鈴木其一《雪月花三美人図》、19世紀
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【織田信長、中世的権力との戦い】「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。幸若舞」『敦盛 』、麒麟、岐阜城、天下布武、武の七徳、第六天魔王、天正、明晰透徹、安土城天主七層五階、安土宗論。千宗易、狩野永徳、本因坊算砂、天下一の達人を求める。五徳、仁義礼智信。
【曜変天目、建窯、南宋12-13世紀】稲葉天目、大徳寺龍光院、藤田美術館。天下に3碗あるとされるが、もう一つあった。幻の曜変天目。それはだれが所持したか。天王寺屋、津田宗及を経て曜変天目が、大徳寺龍光院に伝った。
【曜変天目、稲葉天目、建窯、南宋12-12世紀、3代将軍家光の乳母春日局旧蔵】曜變、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり、茶碗四寸五分位、高臺ちひさし、土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)
【織田信長と耀変天目茶碗】永禄11(1568)年、織田信長が上洛。天王寺屋、津田宗及の屋敷で、会合衆の集会。永禄12年(1569)百人余りが終日宴を張った。本能寺の茶会、天正10(1582)年6月2日、信長は足利義政所伝の耀変天目茶碗を所持していたが本能寺の変で焼失した。
【織田信長、本能寺の変、天正10年6月2日】
信長は、天正10年(1582)5月29日、僅かの供を連れただけで安土を出発、その日の内に京都の本能寺に入った。信長が京都における宿所としてよく使っていたのが本能寺と、法華宗寺院の妙覚寺で、この時、信長は本能寺を宿所とした。本能寺は、堀と土塁に囲まれ、城郭寺院。本能寺は自ら京都に城を持たなかった信長の定宿であった。
太田牛一『信長公記』によると、5月29日の信長一行は、「御小姓衆二、三十人召列れられ、御上洛」とある。御小姓衆が20~30人で、その他に警固の武士もいるので、少なくとも100人はいた。『当代記』には「百五十騎」とある。
【備中高松城水攻め、羽柴秀吉】信長は安土と京都を往き来している。このときの上洛の目的は何だったのか。ひとつは、備中への出陣のためである。備中高松城を水攻めしている羽柴秀吉からの要請を受け、明智光秀をその応援に向わせ、首尾を見届けるための形式的な出陣。
【三職推任】主目的と思われる朝廷からの「太政大臣か関白か征夷大将軍か、お好きな官に任命しよう」という、“三職推任”に対する返答をするためだった。
【天下三肩衝】信長のねらいは、信長が安土城から名物茶器として名高い九十九茄子・珠光小茄子・紹鷗白天目・小玉澗の絵・牧谿のくわいの絵など天下の逸品38種を運ばせていた。本能寺で大茶会を開くのが目的だった。茶会には、博多の豪商島井宗室のほか、近衛前久ら公家たちが招かれている。茶会の後酒宴になり、信長は本因坊算砂の囲碁の対局をみて床についた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★参考文献
三菱の至宝展・・・幻の曜変天目
https://bit.ly/3yzJMSK
「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、豊臣秀吉、楽長次郎
https://bit.ly/35ZPK2F
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」・・・幻の曜変天目、本能寺の変
https://bit.ly/3UYWOpe
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★静嘉堂創設130周年・新美術館開館記念展I「響きあう名宝─曜変・琳派のかがやき─」
静嘉堂文庫美術館、2022年10月1日(土)から12月18日(日)まで
(静嘉堂@丸の内)住所:東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館 1階
明治生命館(昭和9年〈1934〉竣工)
https://www.seikado.or.jp/

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2022年8月 2日 (火)

ボストン美術館展 芸術×力・・・藝術と権力の歴史

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』286回
人類の歴史は、知恵ある王が支配する国と無能が支配する国との戦いである。知恵ある王が、暴虐王に勝つとは限らない。
【知恵ある王と暴虐な独裁者との戦い】プラトンは「知恵ある王が支配する国家」を理想としたが、優れた王の支配は移ろい、現実には、独裁制、寡頭制、名誉支配制、衆愚制、が出現、最悪の政治形態になると予言した、プラトン『国家』。偉大な王、知的な王、明晰透徹な王、知恵ある王、理想を追求する王。【堕落した国家の諸形態】邪知暴虐な王、残虐王、民から税金を巻き上げる詐欺王、金を巻き上げる守銭奴、邪教を用いて金を巻き上げる邪宗王。権力の歴史は、権力闘争の歴史である。知恵ある王と暴虐な独裁者との戦いが、永遠に繰り広げられる。

【権力者と藝術】覇権争いで勝利した国家、封建領主、自由都市、王家の王女、富裕層、富裕商人。権力者は権力を争い、権力者は藝術を愛好し、藝術を外交に用いる。藝術と権力者の歴史をめぐる美術展。
私は思い出す。藝術を愛好した権力者【メディチ家とプラトン・アカデミー】コジモ(1389-1464)、1439年プラトン哲学の奥義を聴く。1463年プラトン・アカデミーをメディチ家カレッジ別荘(Villa Medici di careggi)に創設。【フィレンツェ包囲網】ロレンツォ・デ・メディチ、ナポリ王と和平。ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランソワ2世。【ヴェネツィア】1508年、ローマ教皇ユリウス2世と対立、1538年、プレヴェザの海戦、地中海の覇権失う。
――
【王と権力闘争、藝術を愛好した権力者】【アマルナ美術、エル・テル・アマルナ遷都】アクエンアテン王、ネフェルティティ、13歳の王ツタンカーメン。BC 14世紀中頃【カデシュの戦いBC1286】古代エジプト新王国ファラオ・ラムセス2世、ヒッタイト王ムワタリとカデシュの戦い、カデシュの和約。王妃ネフェルタリ、アブシンベル神殿。【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうける。67年間王位。第19王朝。【ネフェルタリ】ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳薨去。
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【古代都市国家】アクラガス、カルタゴと戦うBC402、コンコルディア神殿。【ペロポネソス戦争】アテナイ、ペリクレス、スパルタと戦う。
【ルネサンス、メディチ家、対教皇庁戦争】メディチ家ロレンツォ、シクストゥス4世と戦う。ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランス・ルネサンス、フランソワ2世、ハプスブルク家マリア・テレジア。
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【ハプスブルク家の戦争】ロレンツォ=デ=メディチが死んだ1492年から2年後1494年、フランス王シャルル8世の軍のイタリア侵入が始まりイタリア戦争が勃発。【イタリア戦争(ハプスブルク・ヴァロワ戦争】第1-5次1494~1559年)。 1527年カール5世のローマ劫略、レパントの海戦(1571)、無敵艦隊の海戦(1588年)。スペイン継承戦争(1701-14)。オーストリア継承戦争(1740年)。シュレージエン戦争(1740年
【ハプスブルク家、蒐集家たち】デューラーを庇護したマクシミリアン1世、ボスを愛好したフィリップ美公、ティツィアーノを召し抱えたカール5世、ボスを蒐集したフェリペ2世、奇想画家アルチンボルトを擁したルドルフ2世、ベラスケスを官僚として重用したフェリペ4世。
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【嵯峨天皇と空海】平城上皇の乱、
【吉備真備、数奇な人生、度重なる左遷、72歳で右大臣、81歳で死す】真備は、23歳で遣唐使42歳で帰国、19年唐に渡った学者として出発。聖武天皇、阿倍内親王(孝謙天皇)、歴代の天皇に仕える。阿倍内親王は阿修羅像のモデル。右大臣・橘諸兄、僧正・玄昉、東宮博士
【平治の乱1159年】藤原信頼と源義朝が、藤原信西にクーデタ。平清盛、熊野詣から京都へ戻り、後白河上皇、二条天皇を六波羅の清盛邸に救出。天皇と上皇を女装させて牛車に乗せる。源義朝、敗北。後継者、源頼朝、13歳、伊豆国に流される。後白河上皇、天下一の大天狗。
【保元の乱1156年】後白河天皇、崇徳上皇、兄弟の対立。藤原信西、藤原信頼の対立。平清盛、後白河天皇を武力により支持。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
「平治物語絵巻」三条殿夜討巻、鎌倉時代・13世紀後半。
 平治元年(1159)に勃発した平治の乱は、その3年前に起きた保元の乱とともに、武士の台頭を示す大きな変革の1つであり、源平争乱の幕開けとなる戦い。「平治物語絵巻」はその約100年後に制作された絵巻、もとは十五巻近い大作。
増山雪斎《孔雀図》、1801、雪斎は、本名を正賢(まさかた)と言い、江戸時代中期に伊勢長島藩(現在の三重県桑名市長島町)を治めた大名。
狩野山雪、老子、西王母図屏風、17世紀
アンソニー・ヴァン・ダイク《メアリー王女、チャールズ1世の娘》1637年頃
Museum of Fine Arts, Boston, Given in memory of Governor Alvan T. Fuller by the Fuller Foundation
カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》1726-1730年頃
――
参考文献
https://bit.ly/2Jc9WBY
ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴2012
https://bit.ly/2C5NsU6
ボストン美術館の至宝展、東京都美術館・・・陳容「九龍図巻」2017
https://bit.ly/3Of7s6v
ボストン美術館、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006
ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎「孔雀図」、「平治物語絵巻」三条殿夜討
https://bit.ly/3cMgcUC
ボストン美術館展 芸術×力・・・藝術と権力の歴史
https://bit.ly/3vzfsJ6
――
「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」・・・絶対権力者が手に入れられない秘宝
理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://bit.ly/2kSINKR
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
https://bit.ly/2Q14xnz
ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国
https://bit.ly/2C7rE7K
――
ボストン美術館展 芸術×力、東京都美術館
2022年7月23日(土)~10月2日(日)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_boston.html

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2022年7月28日 (木)

ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎「孔雀図」、「平治物語絵巻」三条殿夜討

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』285回

私は思い出す。藝術を愛好した権力者、ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランソワ2世。
【藝術と権力者】覇権争いで勝利した国家、封建領主、自由都市、王家の王女、富裕層、富裕商人。権力者は権力争いし、権力者は藝術を愛好し、藝術を外交に用いる。藝術と権力者の歴史をめぐる美術展。
思い出す。藝術を愛好した権力者、古代エジプト新王国ファラオ・ラムセス2世、アクエンアテン王。古代都市国家、アクラガス、アテナイ。ルネサンス、メディチ家、ロレンツォ・デ・メディチ、ヌムール公・ジュリアーノ・デ・メディチ、フランス・ルネサンス、フランソワ2世、ハプスブルク家マリア・テレジア。嵯峨天皇と空海、後白河上皇。
【ハプスブルク家、蒐集家たち】デューラーを庇護したマクシミリアン1世、ボスを愛好したフィリップ美公、ティツィアーノを召し抱えたカール5世、ボスを蒐集したフェリペ2世、奇想画家アルチンボルトを擁したルドルフ2世、ベラスケスを官僚として重用したフェリペ4世。
【吉備真備、数奇な人生、度重なる左遷、72歳で右大臣、81歳で死す】真備は、23歳で遣唐使42歳で帰国、19年唐に渡った学者として出発。聖武天皇、阿倍内親王(孝謙天皇)、歴代の天皇に仕える。阿倍内親王は阿修羅像のモデル。右大臣・橘諸兄、僧正・玄昉、東宮博士
【平治の乱1159年】藤原信頼と源義朝が、藤原信西にクーデタ。平清盛、熊野詣から京都へ戻り、後白河上皇、二条天皇を六波羅の清盛邸に救出。天皇と上皇を女装させて牛車に乗せる。源義朝、敗北。後継者、源頼朝、13歳、伊豆国に流される。後白河上皇、天下一の大天狗。
【保元の乱1156年】後白河天皇、崇徳上皇、兄弟の対立。藤原信西、藤原信頼の対立。平清盛、後白河天皇を武力により支持。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
海を渡った二大絵巻
「吉備大臣入唐絵巻」平安時代・12世紀後半
遣唐使として唐へ渡った奈良時代の学者・吉備真備(695~775)が、唐人の難問に不思議な力で立ち向かうという物語を絵画化した作品。後白河法皇 (1127~1192)が制作させた絵巻コレクションの1つ、当時の絵所預であった常盤光長の筆と伝えられる。
「平治物語絵巻」三条殿夜討巻、鎌倉時代・13世紀後半
 平治元年(1159)に勃発した平治の乱は、その3年前に起きた保元の乱とともに、武士の台頭を示す大きな変革の1つであり、源平争乱の幕開けとなる戦い。「平治物語絵巻」はその約100年後に制作された絵巻、もとは十五巻近い大作。
《吉備大臣入唐絵巻》12世紀、奈良時代に活躍した学者・政治家である吉備真備の活躍を描いた
《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》13世紀、平安時代末期、上皇派と天皇派の対立を背景に起こった平治の乱をテーマ
増山雪斎《孔雀図》、1801、雪斎は、本名を正賢(まさかた)と言い、江戸時代中期に伊勢長島藩(現在の三重県桑名市長島町)を治めた大名。
狩野山雪、老子、西王母図屏風、17世紀
アンソニー・ヴァン・ダイク《メアリー王女、チャールズ1世の娘》1637年頃
Museum of Fine Arts, Boston, Given in memory of Governor Alvan T. Fuller by the Fuller Foundation
カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》1726-1730年頃
オスカー・ハイマン社、マーカス社のために製作《マージョリー・メリウェザー・ポストのブローチ》アメリカ 1929年
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【ボストン美術館、日本美術、公開禁止理由】ボストン美術館、肉筆浮世絵、多数収蔵されている。例えば、傑作、画狂老人卍、北斎『鳳凰図屏風』など、秘蔵。「江戸の誘惑」2006年、以来公開禁止。ビゲローの遺言書により、ビゲローコレクション41.000点の公開禁止。
「江戸の誘惑」江戸東京博物館(2006年)に展示されている作品は、全てウイリアムス・スターシス・ビゲローが収集したコレクション。ビゲローの職業は本来、医師で、モースの導きにより1882年(明治15年)に初来日、日本美術に魅せられて東京に居を構え、モースやフェノロサと共に日本美術品収集の旅をした。更に貧しい日本画家を経済的に援助したり、奈良地方の宝物保存の為の融資を引き受けたりした。岡倉天心による日本美術院(横山大観、下村観山ら)創設時に、2万円(現在の金銭価値にして約2000万円)の寄付をして援助した。約7年間の日本滞在中に収集したコレクションは、浮世絵を始め様々な流派の絵画、刀剣、刀装具類、染織品、漆器、彫刻等、広い分野に渡り、その数は約41,000点に上る。ビゲローが集めたコレクションは、1つ残らずボストン美術館に寄贈され保管されている。明治維新の開国とともに、西洋化の一途を辿る日本に於いて、軽んじられがちだった日本の美術を再び見出し、収集したビゲローは、貴重な日本の伝統文化を美しく保存してくれた人物の1人。
「江戸の誘惑」(2006年)、これらビゲローコレクションは同題目として、110年ぶりに日本へ里帰りしている(神戸、名古屋、東京で展示)。長期に渡ってビゲローの遺志で、門外不出を執り、その数の多さゆえ謎に包まれていたが、1997年に日本からボストンへと研究員による調査団が送られ、初めて陽の目を見た作品も多くあった。これらを代表とするビゲローの700点に及ぶ肉筆画のコレクションは、版画とは異なって注文によって特別に描かれた「特注品」の1点物であり、その価値は、到底計り知る事が出来ない。
ボストン美術館展、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006より
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参考文献
ボストン美術館 日本美術の至宝、東京国立博物館・・・美の宴2012
https://bit.ly/2C5NsU6
ボストン美術館の至宝展、東京都美術館・・・陳容「九龍図巻」2017
https://bit.ly/3Of7s6v
ボストン美術館、肉筆浮世絵「江戸の誘惑」江戸東京博物館2006

ボストン美術館展 芸術×力・・・増山雪斎「孔雀図」、「平治物語絵巻」三条殿夜討

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理念を探求する精神・・・ギリシアの理想、知恵、勇気、節制、正義、美と復讐
https://bit.ly/3sIf3RW
メディチ家の容貌、ルネサンスの美貌 理念を追求する一族
http://bit.ly/2kSINKR
ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
https://bit.ly/3C2fXNP
ハプスブルク家、600年にわたる帝国・・・旅する皇帝と憂愁の王妃
https://bit.ly/2Q14xnz
ハプスブルク家、600年にわたる帝国コレクションの歴史・・・黄昏の帝国
https://bit.ly/2C7rE7K
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古今東西の権力者たちは、その力を示し、維持するために芸術の力を利用してきました。威厳に満ちた肖像画は権力を強め、精緻に描写された物語はその力の正統性を示します。
また、力をもつ人々は、自らも芸術をたしなんだほか、パトロンとして優れた芸術家を支援しました。その惜しみない支援によって、数多くのすばらしい芸術作品が生み出されたのです。
さらに、多くの権力者たちは貴重な作品を収集し、彼らが築いたコレクションは、今日の美術館の礎ともなっています。
本展では、エジプト、ヨーロッパ、インド、中国、日本などさまざまな地域で生み出されたおよそ60点の作品をご紹介します。私たちが鑑賞する芸術作品が本来担っていた役割に焦点を当て、力とともにあった芸術の歴史を振り返ります。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_boston.html
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ボストン美術館展 芸術×力、東京都美術館
2022年7月23日(土)~10月2日(日)

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2021年11月30日 (火)

鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』260回

鈴木其一・夏秋渓流図屏風、群青色の水の流れ金色の線が衝撃的である。百合と紅葉、林と渓流が主役なのか。樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉、熊笹、樹木に張り付く苔。其一は何を描こうとしたのか。
『夏秋渓流図屏風』の誕生にかかわる先行絵画。円山応挙「保津川図」の渓流の水の流れは強烈である。山本素軒「花木渓流図」は樹林を流れる渓流の構図、渓流の群青は独創的である。鈴木其一は関西旅行して京都の寺院の絵画を研究した。『夏秋渓流図屏風』は40代半ばの最高傑作。師、酒井抱一をこの作で超えたのか。62歳で死す。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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円山応挙(1733年6月12-1795年8月31日)『保津川図屏風』(1795年)62歳で死す。
京都市中にある京友禅の老舗に代々受け継がれてきた絵画。天才絵師・円山応挙の絶筆。八曲一双の屏風絵『保津川図屏風』、高さおよそ1.5m、幅は各隻5mに迫る特大の屏風絵。右隻には水しぶきを浴びそうな迫真の激流、左隻は、ゆったりとした渓谷の風情。この大作を、応挙は亡くなる1カ月前に描き上げた。保津川上流にある丹波国の村の農家に生まれた応挙は、10代前半で京の都へとやって来た応挙は南蛮渡来の眼鏡絵と出会う。眼鏡絵とは西洋の透視図法で描かれた絵をレンズで見る。応挙は、写生を基に絵を描いた最初の絵師、1000人を超える弟子を抱えた。
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展示作品の一部
鈴木其一・夏秋渓流図屏風19世紀
圓山應舉「保津川図」1795、18世紀(千總)
山本素軒「花木渓流図」17-18世紀、個人蔵、山本素軒、生年不詳、没年1706 師匠、山本素程、狩野派。尾形光琳の師だったと言われる素軒
其一の関西旅行の記録『癸巳西遊日記』(鈴木其一原本、鈴木守一写)19世紀
酒井抱一「夏秋草図」(東京国立博物館)
酒井抱一『青楓朱楓図屏風』
《檜蔭鳴蝉図》谷文晁筆 日本・江戸時代 19世紀 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵
参考文献
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」東京都美術館・・・世に背を向け道を探求する、孤高の藝術家
https://bit.ly/2BUy4rl
「円山応挙から近代京都画壇へ」藝大美術館・・・円山応挙「松に孔雀図」大乗寺
https://bit.ly/2KEGwyj
鈴木其一・夏秋渓流図屏風・・・樹林を流れる群青色の渓流、百合の花と蝉、桜の紅葉
https://bit.ly/2ZCzN3x
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佐藤 康宏
「鈴木其一・夏秋渓流図」(根津美術館)は、この1双の屛風絵を中心に据えて、現代人も驚かす強烈なイメージが、どのようなイメージの脈絡の上に生まれたのかを探ろうとする特別展です。
 狩野常信をはじめとする檜を描いた先行作例とか、圓山應舉が屛風に渓流を描く「保津川図」(千總)、樹木と渓流を組み合わせる山本素軒の「花木渓流図」、其一の関西旅行の記録である『癸巳西遊日記』などが、動員されます。
 こういうソース探しの試みは本の挿図でやってもいいではないかと思われるかもしれませんが、「名作誕生」(東京国立博物館、2018年)でも実際の作品を並べてみるのは、新たな実感を伴うものではなかったでしょうか。どうぞ体験なさって下さい。
 ほかに其一作品もいろいろ出ています。「秋草・波に月図」の小屛風など、表裏の絵が互いに映り合う洒落た趣向です。少し展示替えがあり、酒井抱一「夏秋草図」(東京国立博物館)は、会期の終盤、12月7日-12月19日の間だけお出ましです。
 「夏秋渓流図」は鈴木其一(1796?-1858)の40代半ばの作と推定されるのですが、やはり彼の最高傑作ですね。その後は概してつまらなくなります。残念だなあと思いますが、自分自身も人様からそんなふうに見られているかもしれませんので、責めるのはやめましょう。11月5日 17:02
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鈴木其一(1796-1858)の筆になる「夏秋渓流図屏風」は、岩場を削る水流のある檜の林を確かな現実感をもって描いた画面に、異様な感覚を抱かせる描写が充満する作品です。
其一は、江戸の地で、一世紀前の京都で活躍した尾形光琳(1658-1716)を顕彰し、「江戸琳派」の祖となった酒井抱一(1761-1828)の高弟ですが、徹底した写実表現やシャープな造形感覚、ときに幻想的なイメージを加え、個性を発揮しました。
そんな其一の画業の中心にあるのが、最大の異色作にして代表作でもある「夏秋渓流図屏風」です。2020年に、其一の作品としては初めて、重要文化財に指定されました。
本展では、抱一の影響や光琳学習はもとより、円山応挙や谷文晁、古い時代の狩野派など琳派以外の画風の摂取、そしてそれらを、自然の実感も踏まえつつ統合する其一の制作態度を検証して、本作品誕生の秘密を探ります。
根津美術館
https://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/
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重要文化財指定記念特別展、鈴木其一・夏秋渓流図屏風
根津美術館、2021年11月3日[水・祝]-12月19日[日]

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2021年7月 7日 (水)

三菱の至宝展・・・幻の曜変天目

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第247回

初夏の午前、三菱一号館美術館に行く。三菱150年。岩崎弥太郎、弥之助、久弥、小弥太、4代のコレクションの展示。岩崎弥太郎はどうして成功したのか。岩崎弥太郎は汽船3隻で財閥の基礎を築いた。
曜変天目をみると、茶の湯を愛好した織田信長を思い出す。
【織田信長、中世的権力との戦い】「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。幸若舞」『敦盛 』、麒麟、岐阜城、天下布武、武の七徳、第六天魔王、天正、明晰透徹、安土城天主七層五階、安土宗論。千宗易、狩野永徳、本因坊算砂、天下一の達人を求める。五徳、仁義礼智信。
【曜変天目、建窯、南宋12-12世紀】稲葉天目、大徳寺龍光院、藤田美術館。天下に3碗あるとされるが、もう一つあった。幻の曜変天目。それはだれが所持したか。天王寺屋、津田宗及を経て曜変天目が、大徳寺龍光院に伝った。
【曜変天目、稲葉天目、建窯、南宋12-12世紀、3代将軍家光の乳母春日局旧蔵】曜變、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり、茶碗四寸五分位、高臺ちひさし、土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)
【織田信長と耀変天目茶碗】永禄11(1568)年、織田信長が上洛。天王寺屋、津田宗及の屋敷で、会合衆の集会。永禄12年(1569)百人余りが終日宴を張った。本能寺の茶会、天正10(1582)年6月2日、信長は足利義政所伝の耀変天目茶碗を所持していたが本能寺の変で焼失した。
【織田信長、本能寺の茶会、本能寺の変、天正10年6月2日】
信長は、天正10年(1582)5月29日、僅かの供を連れただけで安土を出発、その日の内に京都の本能寺に入った。信長が京都における宿所としてよく使っていたのが本能寺と、法華宗寺院の妙覚寺で、この時、信長は本能寺を宿所とした。本能寺は、堀と土塁に囲まれ、城郭寺院。本能寺は自ら京都に城を持たなかった信長の定宿であった。
太田牛一『信長公記』によると、5月29日の信長一行は、「御小姓衆二、三十人召列れられ、御上洛」とある。御小姓衆が20~30人で、その他に警固の武士もいるので、少なくとも100人はいた。『当代記』には「百五十騎」とある。
【備中高松城水攻め、羽柴秀吉】信長は安土と京都を往き来している。このときの上洛の目的は何だったのか。ひとつは、備中への出陣のためである。備中高松城を水攻めしている羽柴秀吉からの要請を受け、明智光秀をその応援に向わせ、首尾を見届けるための形式的な出陣。
【三職推任】主目的と思われる朝廷からの「太政大臣か関白か征夷大将軍か、お好きな官に任命しよう」という、“三職推任”に対する返答をするためだった。
【天下三肩衝】信長のねらいは、信長が安土城から名物茶器として名高い九十九茄子・珠光小茄子・紹鷗白天目・小玉澗の絵・牧谿のくわいの絵など天下の逸品38種を運ばせていた。本能寺で大茶会を開くのが目的だった。茶会には、博多の豪商島井宗室のほか、近衛前久ら公家たちが招かれている。茶会の後酒宴になり、信長は本因坊算砂の囲碁の対局をみて床についた。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』

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展示作品の一部
国宝《曜変天目(「稲葉天目」)》建窯、南宋時代(12~13世紀)、(公財)静嘉堂蔵
国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》のうち「関屋図」、俵屋宗達、江戸時代・1631(寛永8)年、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:8月18日(火)~9月22日(火)】
国宝《風雨山水図》伝馬遠、南宋時代(13世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
重要文化財《龍虎図屏風》のうち「虎図」、橋本雅邦、1895(明治28)年、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
『イエズス会士書簡集(アントワネット旧蔵書)』18世紀、(公財)東洋文庫蔵
重要文化財《太刀 銘 髙綱 (附 朱塗鞘打刀拵)》古備前高綱、鎌倉時代(12~13世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
大名物《唐物茄子茶入 付藻茄子》南宋~元時代(13~14世紀)、(公財)静嘉堂蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
『八千頌般若経』17~19世紀、(公財)東洋文庫蔵
国宝《倭漢朗詠抄 太田切》平安時代(11世紀)、(公財)静嘉堂蔵【会期中場面替えあり】
国宝『古文尚書』初唐時代(7世紀)、(公財)東洋文庫蔵【展示期間:8月18日(火)~9月22日(火)】
国宝『春秋経伝集解』平安時代(12世紀頃)、(公財)東洋文庫蔵【展示期間:7月8日(水)~8月16日(日)】
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参考文献
「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、豊臣秀吉、楽長次郎
https://bit.ly/35ZPK2F
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
三菱の至宝展・・・幻の曜変天目
https://bit.ly/3yzJMSK
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土佐国(高知県)安芸郡井ノ口村の地下浪人の家に生まれた岩崎弥太郎が、苦心惨憺の末、知人を誘って海運業を営む九十九商会――現在の三菱を興したのは、明治3年(1870)のことであった。今年令和2年(2020)は、それから数えて150周年の節目に当たっている。これを記念する特別展が、この「三菱の至宝展」にほかならない。
三菱ゆかりの静嘉堂文庫と東洋文庫、三菱経済研究所、三菱一号館美術館、さらに三菱金曜会や広報委員会が力を合わせ、その優れたコレクションの全貌を堪能していただけるよう智恵を絞った。三菱が文化的に果してきた貢献――現代の言葉でいえばフィランソロフィーをも感じ取っていただければ望外の喜びである。
三菱一号館美術館は、来日して我が国近代建築の基礎を築いたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルが設計建設した、三菱一号館をそのままに復元してなったものである。またコンドルは、弥之助の深川邸洋館、高輪邸、久弥の茅町本邸、小弥太が弥之助3回忌に際して建てた世田谷区岡本の廟なども手がけている。
その後久弥が駒込に建てた東洋文庫、小弥太が岡本に造った静嘉堂文庫は、コンドルにも学んだ桜井小太郎が完成させたものである。このように三菱・岩崎家が愛して止まなかったコンドルが没してから、今年は100周年の節目にも当たっている。
饒舌館長 http://jozetsukancho.blogspot.com/
http://jozetsukancho.blogspot.com/2021/07/blog-post_03.html
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三菱創業150周年記念 三菱の至宝展、三菱一号館美術館、6月30日(木)-9月12日(日)

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2021年3月28日 (日)

「あやしい絵展」・・・退廃的、妖艶、エロティック、表面的な「美」への抵抗

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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第239回

「あやしい絵」、背後にあるものは何か。
失われた幸せ、衝撃から髪を靡かせて疾走し遁走する、葛藤と救済。隠されたドラマは何か。
異界から聖なる者を誘惑する女、一途な執着の女、この世では結ばれない男女の愛、落城寸前の我が子秀頼を守ろうとする淀君、生霊、略奪愛。
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな 鳳晶子『みだれ髪』1901
泉鏡花『高野聖』、「安珍清姫伝説」、近松門左衛門『心中天網島』、淀君の苦悩、運命の女(Femme fatale)、六条の御息所の生霊(謡曲『葵上』)、与謝野晶子『みだれ髪』、河竹黙阿弥『處女翫浮名横櫛』、『京の舞妓』。
【果たせぬ夢を果たし、晴らせぬ恨みを晴らす】生老病死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊集苦。果たせぬ夢を果たし、晴らせぬ恨みを晴らす。この世に渦まく悪逆非道、鬼畜、化粧せる不正、不条理に反抗、怨敵調伏する。
北野恒富の屛風『道行』は近松門左衛門「心中天網島」を題材としているが、幕末の志士、高杉晋作「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」の都々逸を合わせて展示されている。
幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、挿図をみると、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティック、「単なる美しいもの」とは異なる。「あやしい絵」のほとんどは、女たち、虐げられた者たちである。江戸時代からつづく、封建制、階級社会、抑圧された者たちの世界。鳳晶子『みだれ髪』1901年、ロマン主義の花が開く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
月岡芳年『魁題百撰相』は、戊辰戦争の兵士たちを、江戸初期の人物の姿を借りて表したシリーズ。実際に芳年は上野戦争の現場を訪れ、傷ついた兵士や遺体を模写したという。流血したその姿からは、無念さや気迫が感じられる。
安本亀八「白瀧姫」1895年頃(明治28年頃)桐生歴史文化資料館蔵
藤島武二装丁、鳳晶子『みだれ髪』1901年(明治34年
稲垣仲静「猫」1919年頃(大正8年頃)星野画廊
上村松園『焰』大正7年、東京国立博物館 [展示期間:3月23日~4月4日]
速水御舟『京の舞妓』、東京国立博物館
曾我蕭白『美人図』江戸時代(18世紀)、奈良県立美術館、東京展のみ、3月23日~4月4日
橘小夢『安珍と清姫』大正末頃、弥生美術館 [後期展示:4月20日~5月16日]
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ《マドンナ・ピエトラ》1874年、郡山市立美術館
アルフォンス・ミュシャ「ジスモンダ」1986
甲斐庄楠音「畜生塚」大正4(1915)年頃、京都国立近代美術館蔵
甲斐庄楠音「幻覚(踊る女)」大正9(1920)年頃、京都国立近代美術館蔵
甲斐庄楠音「舞う」大正10(1921)年
甲斐庄楠音《横櫛》大正5年頃、京都国立近代美術館、通期展示
岡本神草「拳を打てる三人の舞妓の習作」1920、京都国立近代美術館
岡本神草「口紅」1918、京都市立芸術大学資料館
岡本神草「仮面を持てる女」1922、京都国立近代美術館
岡本神草「骨牌を持てる女」1923、京都国立近代美術館
北野恒富『道行』大正2年1913頃、福富太郎コレクション、3月23日~4月4日
北野恒富『淀君』大正9(1920)年
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参考文献
田中麗子「あやしい絵 通史」
「あやしい絵展 図録」毎日新聞社2021
上村松園展・・・美人画の系譜
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1f70.html
「ラファエル前派の軌跡展」・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「怖い絵展」
http://bit.ly/2z8eCTV

「あやしい絵展」・・・退廃的、妖艶、エロティック、表面的な「美」への抵抗
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明治期、あらゆる分野において西洋から知識、技術などがもたらされるなか、美術も西洋からの刺激を受けて、新たな時代にふさわしいものへと変化していきました。
このような状況のもとで生み出されたさまざまな作品の中には、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティックといった「単なる美しいもの」とは異なる表現がありました。これらは、美術界で賛否両論を巻き起こしつつ、激動する社会を生きる人々の欲望や不安を映し出したものとして、文学などを通して大衆にも広まっていきました。
本展では幕末から昭和初期に制作された絵画、版画、雑誌や書籍の挿図などからこうした表現を紹介します。
1.一度見たら忘れられない名画たち
日本近代の美術における美しさの「陰画(ネガ)」をご紹介。上村松園の《焰》や《花がたみ》、鏑木清方《妖魚》等、「あやしい」魅力にあふれた作品が勢揃いします。
2.ディープな「あやしい」作品が盛りだくさん
甲斐庄楠音《横櫛》、橘小夢《安珍と清姫》、秦テルヲ《血の池》等、脳裏に焼きつくほど美しく強烈な「あやしさ」をそなえた作品が多数出品されます。
3.私たちを捉えて離さない「あやしい」物語
安珍・清姫伝説、「高野聖」等の物語はさまざまな作家を魅了し作品に展開されました。非現実であったり「あやしい」女性が登場したりする物語は、明治、大正期のみならず今の私達にも魅力的に映ることでしょう。
4.西洋美術も!
アルフォンス・ミュシャ、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、オーブリー・ビアズリー、エドワード・バーン=ジョーンズ等、日本の画家達に影響を与えた西洋美術の作品もあわせて紹介します。

1章:プロローグ 激動の時代を生き抜くためのパワーをもとめて(幕末~明治)
2章:花開く個性とうずまく欲望のあらわれ(明治~大正)
 1 愛そして苦悩―心の内をうたう
藤島武二と田中恭吉の絵画。彼らに影響を与えたアール・ヌーヴォーのアルフォンス・ミュシャ、ラファエル前派ロセッティ、象徴派。
 2 神話への憧れ
古事記のイザナギノミコトとイザナミノミコトの物語を題材にした『黄泉比良坂』(1903)、青木が人間の生命の始源ととらえた海を題材にした『運命』(1904)。
 3 異界との境で
泉鏡花『高野聖』の修行僧、宗朝が傷ついて汚れた体を親切な女に川で洗い流して癒してもらう艶めかしい場面、美貌の女の色香に惹かれる迷う僧。だが彼女は男を動物に変えてしまう魔女。橘小夢作『高野聖』。谷崎潤一郎『刺青』の女郎蜘蛛が背中に彫られた少女を描いた橘小夢作挿絵『刺青』。
 4 表面的な「美」への抵抗
豊臣秀吉の側室である淀君、北野恒富《淀君》(1920)。暗闇から浮かびあがる、口を一文字に結び先を見据えたその表情。
島成園の《無題》(1918)は、顔に痣のある女性を描く。島は「あざのある女性の運命とこの世を呪う気持ちを描いた」と語る。
 5 一途と狂気
物語の挿絵が、浮世絵の系譜にある場面を重視したものから、登場人物の内面を描くものへと移り変わった。近松門左衛門『心中天網島』を題材とした北野恒富《道行》(1913)は、死を決意したふたりの悲しみの表情と、それを象徴する鳥の姿。
3章:エピローグ 社会は変われども、人の心は変わらず(大正末~昭和)
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/ayashii/
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「あやしい絵展」東京国立近代美術館、2021年3月23日(火)~5月16日(日)
「あやしい絵展」大阪歴史博物館、2021年7月3日~8月15日

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2021年1月30日 (土)

没後70年 吉田博展・・・月光の桜、光る海

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』235回
春の予兆の森を歩いて美術館へ行く。桜の蕾はまだなく人影疎ら。森鷗外の観潮楼から春の海が見えたのだろうか。
吉田博は、貧困の中で洋画を学び、水彩画で、水と光の陰影の繊細な表現を極めた、風景画、版画の巨匠。《雲井桜》1899は、月光の陰影の繊細な水彩絵画である。デトロイト美術館で買上られた。後に《雲井櫻》木版画1926年(大正15年)に結晶する。
《ヴェニスの運河》は、夏目漱石『三四郎』1908に描写される。《光る海》1926、《猿澤池》1933は、ダイアナ妃の執務室に飾られていた。
吉田博は44歳で木版画を始め、49歳から絵師、彫師、刷師の技を極めた。吉田博の技術の凄さは、すり重ねにある。複雑な色彩表現のために重ねた「摺数の平均は30数度」、江戸時代の浮世絵は10数度である。「亀井戸」1927年88度、「東照宮」1937年は80度、「陽明門」1937年では96度刷っている。
――
吉田博(1876~1950)
【久留米】1876年、旧久留米藩士・上田束秀之の次男として、久留米市に生まれる。1888年、福岡県立修猷館に入学。1891年、修猷館の図画教師であった洋画家・吉田嘉三郎に画才を見込まれ、吉田家の養子となる。1894年、水彩を描き始め、【18歳】三宅克己の勧めで上京して小山正太郎が主催する不同舎に入門し、明治美術会の会員となる。1898年、明治美術会10周年記念展に、『雲叡深秋』、『雲』などを出品。
【23歳で渡米】貧乏だがフリーアの推薦状を得て、片道だけの渡航費で、1899年、中川八郎と共に渡米し、デトロイト美術館で「日本画家水彩画展」を開催。翌1900年、ボストン美術館で2人展を開催。二度の展覧会で水彩画の殆どが売れ、合計2919ドル。当時の日本人の年収の数十倍を手にする。ヨーロッパへ旅する。結局世界各地を7年間に渡って旅した。そして終生のテーマを確信する。帰国直後の言葉。「画家は、自然と人間の間に立って、それをみることが出来ない人のために自然の美を表してみせるのが天職である。」ヨーロッパ各地を巡り帰国した後、太平洋画会や文展、帝展で活躍。
反骨精神【吉田博、白馬会、黒田清輝と対立】日本画壇の中心は黒田清輝の率いる白馬会によって占められていた。明治45年、36歳。黒田清輝を殴る。
吉田博《精華》1909年(明治42年)文展、東京国立博物館所蔵)は、白馬会・黒田清輝に対抗したヌード。
黒田清輝の淡い色彩を特色とする明るい外光派は「新派」と呼ばれ、官僚的な色彩を持つ「旧派」と呼ばれる明治美術会の委員として扱われた。
【44歳で木版画を始める】1920年、大正9年(44歳)新版画の版元の渡辺庄三郎と出会い、渡辺版画店から木版画の出版を開始。ボストンを拠点に、フィラデルフィア、デトロイトなどで展覧会を開催。【49歳からの挑戦】工房を設立。通常分業で行う彫りや摺りも自ら手がけるほど没頭。
1925年、欧州歴訪の後に帰国し、新宿区下落合に吉田版画スタジオを創設、木版画『アメリカ・シリーズ』、『ヨーロッパ・シリーズ』を自ら版元となり出版を開始。「世界百景」を目指して71景まで制作。享年73。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
吉田博《雲井桜》水彩1899
《ヴェニスの運河》1925年(大正14年)
《ウェテホルン》東京都現代美術館所蔵 1925年(大正14年)
《スフィンクス》東京都現代美術館所蔵 1925年(大正14年)
《スフィンクス 夜》東京都現代美術館所蔵 1925年(大正14年)
《雲井櫻》木版画千葉市美術館所蔵 1926年(大正15年)
《瀬戸内海集 帆船 朝》那珂川町馬頭広重美術館所蔵 1926年(大正15年)
《瀬戸内海集 帆船 夕》那珂川町馬頭広重美術館所蔵 1926年(大正15年)
《瀬戸内海集 光る海》1926(大正15)年 木版、紙 37.2×24.7cm
《猿澤池》1933(昭和8)年 木版、紙 37.7×24.6cm
《冨士拾景 朝日》大正15(1926)年
《瀬戸内海集 帆船 朝》大正15(1926)年
《東京拾二題 亀戸神社》 1927年(昭和2年)
《上野公園》昭和13(1938)年
《蘇州》昭和15(1940)年
《光る海》大正15(1926)年
ゆらめくまばゆい光の煌めきが、丸鑿の跡で巧みに表わされています。千変万化する光や大気を描き出すことを目指したその繊細きわまりない表現は、ときに自ら手がけたほどの彫りや摺りの技法に対する深い理解から生み出されました。海景の連作『瀬戸内海集』の第一作。
《溪流》昭和3(1928)年
木版画の制作は、摺り重ねる版が多いほど難しく、そのうえ紙が大きい場合には、水分を含んだ紙が伸縮し、よりズレが生じやすくなります。縦54.5㎝、横82.8㎝という、木版画としては大判の紙に摺られたこの作品は、摺りのズレを克服した、見事な完成度をみせる迫力満点の大作です。
《劔山の朝》
朝日に紅く染まる剱岳の尾根と雲たぎる夏空。一方で、手前の野営はいまだ濃い闇に包まれています。色彩のグラデーションや摺りの技法の細やかな変化により、ダイナミックに広がる自然の光景が見事に表現された、シリーズ『日本アルプス十二題』のなかでもひときわ美しい作品。
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参考文献
「没後70年 吉田博展 図録」毎日新聞社2021
日曜美術館「木版画 未踏の頂へ~吉田博の挑戦~」2016
没後70年 吉田博展・・・月光の桜、光る海
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福岡県久留米市に生まれた吉田博(1876-1950)は、若き日から洋画に取り組み、幾度もの海外体験を通じて東西の芸術に触れながら、独自の表現と技法を確立しました。画家として才能を発揮した吉田は、画業後期にはじめて木版画に挑戦し、新たな境地を切り開きます。深山幽谷に分け入り自ら体得した自然観と、欧米の専門家をも驚嘆させた高い技術をもって、水の流れや光の移ろいを繊細に描き出しました。画家の没後70年という節目に開催する本展は、初期から晩年までの木版画を一堂に集めるとともに、版木や写生帖をあわせて展示し、西洋の写実的な表現と日本の伝統的な版画技法の統合を目指した吉田博の木版画の全容を紹介します。
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没後70年 吉田博展
Yoshida Hiroshi: Commemorating the 70th Anniversary of His Death
東京都美術館、2021年1月26日(火)~3月28日(日)
京都高島屋 2021年1月5日(火)~1月18日(月)
福岡県立美術館 2020年10月16日(金)~12月13日(日)

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2020年11月 3日 (火)

「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、豊臣秀吉、楽長次郎

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』228回
【失われた美】織田信長は、足利義政が所持した耀変天目茶碗(『君台観左右帖記』記載)を手に入れていたが、本能寺の変で消失した。天正10(1582)年6月2日。耀変天目茶碗は、天下に3碗伝わるのみ。

【織田信長と千宗易(利休)】永禄11(1568)年、織田信長が上洛、茶の湯に対して異常なほどの興味を示して名物狩りをくりかえした。松永久秀から九十九茄子茶壺が献上される。信長の茶頭として津田宗及、今井宗久と共にとりたてられ、天下一の茶頭の地位を築く。
【織田信長と耀変天目茶碗】永禄11(1568)年、織田信長が上洛。天王寺屋、津田宗及の屋敷で、会合衆の集まり。永禄12年(1569)信長の家臣・柴田勝家と佐久間信盛など百人余りが終日宴を張った。本能寺の茶会、天正10(1582)年6月2日、信長は足利義政所伝の耀変天目茶碗を所持していたが本能寺の変で焼失した。
【織田信長と津田宗及】天正元年(1573)11月23日、妙覚寺の信長の茶会、津田宗及、塩屋宗悦、松江隆仙の3人の商人が招かれ、信長から手厚いもてなしを受ける(宗及『他会記』)。天正2年(1574)2月3日、信長岐阜城の茶会に宗及一人出席、大歓待を受ける(宗及『他会記』)。
【織田信長と蘭奢待、津田宗及】天正2年(1574)4月3日、信長の相國寺茶会、梅雪の手前のあと正倉院から切り取った蘭奢待を扇子にのせて楽しみ、津田宗及と利休に分け与えた。これについて宗及は自慢げに書き遺している(宗及『他会記』)。
【大徳寺龍光院、耀変天目茶碗、津田宗及】龍光院秘蔵の「耀変天目茶碗」は津田宗及所蔵の茶道具の名品の一つ、慶長17年(1612)、堺の天王寺屋が断絶したため宗及の次男で龍光院の開祖・江月宗玩に渡った。以来400年の眠りについた。
参考文献 (『なにわ大阪を作った100人』中村修也『戦国茶の湯倶楽部』大修館書店、永島福太郎編『天王寺屋会記』影印本 淡交社)
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【東山文化、わび・さび・幽玄】室町時代中期、8代将軍足利義政(在位1443~73)の時代に義政が営んだ東山山荘(慈照寺銀閣)を中心にして生み出された文化。書院造り、茶の湯・華道・水墨画・能・連歌など新しい芸術が興り、わび・さび・幽玄の境地が重んじられた。連歌に飯尾宗祇が出た。水墨画が禅僧の間に行われ、相阿弥、雪舟によって完成の域に達し、また大和絵(土佐光信)に漢画の技法をとり入れた狩野派、狩野正信が生まれた。金工では後藤祐乗、蒔絵では幸阿弥が有名。建築には唐(から)様と和様をあわせた新和様も発達,住宅に書院造が作られた。公家文化と武家文化の融合、後世の日本文化の源流となる。
【能阿弥著『君台観左右帖記』秘伝書】書名の君台は将軍の御座所で、その飾り方についての左右の侍者の帳記(記録)という意味。原本はなく写本として残る。能阿弥本系には数種あり、文明8年(1476)3月12日の日付があり、大内左京大夫にあてて書かれたとする『群書類従』巻361に所収された。内容は1.六朝~明の中国画家を上中下に品等別して画題,画体,姓氏号等を注記した部分、2.座敷飾の方法を図入りで説明(いわゆる御飾記)、3.茶器・諸道具の種類・性質を解説。足利義政の同朋衆、能阿弥の著と伝えられる。
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千利休と豊臣秀吉の確執
【千宗易(利休)】本名は田中与四郎、号は宗易。1522年大阪堺の魚問屋、田中与兵衛の子に生まれた。父は堺で高名な商人、宗易は店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に入る。18歳の時に当時の茶の湯の第一人者・武野紹鴎の門を叩き23歳で最初の茶会を開いた。
【堺、地下の茶】今井宗久、千宗易、16世紀。【侘茶の完成、楽焼、美濃焼、高麗茶碗】千宗易、楽長次郎、古田織部
【正親町天皇】天正13(1585)年(63歳)秀吉が関白就任の返礼で正親町天皇に自ら茶をたてた禁裏茶会を利休は取り仕切り、天皇から「利休」の号を勅賜される。(それまで宗易)。
その名は天下一の茶人として全国に知れ渡る。
【山上宗二、処刑】天正18 (1590)年利休(68歳)、秀吉が小田原で北条氏を攻略した際、利休の愛弟子・山上宗二が、秀吉への口の利き方が悪いとされ、その日のうちに処刑。
【黒楽茶碗】天正19(1591)年1月13日の茶会で、派手好みの秀吉が黒を嫌うことを知りながら、「黒は古き心なり」と平然と黒楽茶碗に茶をたて秀吉に出した。(69歳)2月23日、利休は突然秀吉から「京都を出て堺にて自宅謹慎せよ」と命令を受ける。利休が参禅している京都大徳寺の山門を2年前に私費で修復した際、門の上に木像の利休像を置いたことが罪に問われる。
天正19(1591)年2月28日、(69歳)秀吉から切腹を命じられる。
天正19(1591)年、利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられる。前田利家や、利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず、
【利休切腹】天正19(1591)年京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。享年69。切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図るおそれがあり、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだ。死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形で晒された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
志野茶碗、卯花墻「国宝」16-17世紀、三井記念美術館
 安土桃山時代に美濃で焼かれた茶碗。国宝指定された茶碗の内、国内産は2碗、その1つ。志野釉と呼ばれる、意外にも人工的に金属を使用しない(原料は長石という天然石のみ)釉薬を使った白色が特徴。
志野茶碗 銘 振袖 美濃 安土桃山~江戸時代・16-17世紀、東京国立博物館蔵
 白色の釉薬を掛けた志野の茶碗。白肌を透かしてすすきの文様が見え隠れ。美濃(岐阜県)では、16世紀後半、白い釉薬の下に鉄絵具で日本初の下絵付けを行う志野を作り出した。
重要文化財「油滴天目」南宋、12-13世紀、九州国立博物館
古田織部 が所持したと伝わる。黒い釉に浮かぶ銀色の粒子状の模様が幻想的、油滴天目のなかでも名椀。
重要文化財「泰西王侯騎馬図」神戸市美術館、17世紀に描かれた洋風画、神聖ローマ皇帝、トルコ皇帝、モスクワ大公、タタール王が描かれている。
花鳥蒔絵螺鈿聖龕、16-17世紀、九州国立博物館
重要文化財「織田信長像」(狩野宗秀筆 長興寺蔵)。 信長一周忌の天正11年(1583)6月2日に、信長家臣与語久三郎正勝が報恩のために狩野宗秀に肖像画を描かせて、兵火で焼けたのち再建に手を貸した長興寺に寄進した 。狩野松栄の次男で、狩野永徳の弟。
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参考文献
「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ
https://bit.ly/3lDIoIq
「桃山―天下人の100年」2・・・金碧障壁画、織田信長と狩野永徳、秀吉と長谷川等伯
https://bit.ly/31DlCc0

「桃山―天下人の100年」3・・・茶の湯、足利義政、織田信長、今井宗久、千宗易、豊臣秀吉、楽長次郎

織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
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特別展「桃山―天下人の100年」東京国立博物館 平成館 特別展示室
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2043
2020年10月6日(火) ~ 2020年11月29日

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2020年10月25日 (日)

「桃山―天下人の100年」2・・・金碧障壁画、織田信長と狩野永徳、秀吉と長谷川等伯

Kanou-eitoku
Momoyama-2020
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』227回

織田信長の築いた城、麒麟の城 小牧山城。天下布武の城、岐阜城。第六天魔王、幻の安土城。「理想に近づこうと努力すればするほど、理想は遠ざかっていくものだ。しかし、理想の実現よりも、はるかに価値あることは、熱い思いをもって前に進み続けることである」『魂の言葉』
【天下一の優れた才能を集める織田信長、鸞翔鳳集】信長のもとに集まった才能。千宗易、狩野永徳、軍師、沢彦宗恩、祐筆、武井夕庵、野面積み、穴太衆、本因坊算砂、阿弥陀寺、清玉上人、弓衆、太田牛一。【天下布武】武の七徳を備えたものが天下を治める。七徳は、暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする。
織田信長の弓衆、太田牛一が信長の上洛(1568)から本能寺の変(1582)までを記録した。
【安土城】『信長公記』巻九「安土山御天主の次第」天正4(1576)年
「上七重め、三間四方、御座敷の内、皆金なり。そとがは、是れ又、金なり。四方の内柱には、上り龍、下り龍、天井には天人御影向の所、御座敷の内には、三皇、五帝、孔門十哲、商山四皓、七賢などをかかせられ、ひうち、ほうちゃく、数十二つかせられ、狭間戸鉄なり。数六十余あり、皆、黒漆なり。御座敷の内外柱、惣々、漆にて、布を着せさせられ、その上、皆黒漆なり」
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【狩野永徳、金碧障壁画】狩野永徳(1543‐1590(天文12‐天正18)が金碧濃彩、金箔の上に描いた金碧障壁画はほとんど消滅した。琵琶湖湖畔に構築した安土城天主閣、天正4(1576)年竣工、天正10(1582)年本能寺の変の10日後、焼失。安土城と聚楽第は、1582年本能寺の変、1595年秀次自刃で灰燼に帰す。狩野永徳は、悲劇の絵師である。
狩野永徳は、現存する作品は約10点。「洛中洛外図屏風」「唐獅子図屛風」「檜図屛風」「花鳥図襖」(聚光院)、「許由巣父図」(東京国立博物館蔵)「伯夷叔斉図」。
【狩野永徳、怪々奇々】狩野永徳は1543(天文12)年、狩野派三代目棟梁・狩野松栄の長男源四郎として生まれる。幼少時から画才を発揮し、天文21(1552)年10歳のとき祖父・元信に伴われ、将軍・足利義輝に謁見(『言継卿記』)。20代前半で《洛中洛外図屏風 上杉本》(1565)、父松栄とともに三好長慶の菩提を弔って永禄9(1566)年に創建された「四季花鳥図」大徳寺聚光院の「花鳥図襖」を制作した。34歳(天正4、1576)のとき織田信長の絵師となる。秀吉の聚楽第、大阪城に携わる。京狩野二代目・狩野山雪とその子・永納『本朝画史』(1693)は、永徳を「恠恠奇奇(怪々奇々)、自ずから前輩不伝の妙を得て、もって一時に独歩す」と評し、国宝「檜図屏風」はこの一節を象徴する永徳最晩年の作と考えられている。天正18 (1590) 年歿、48才。
【長谷川等伯と秀吉】長谷川等伯は、大徳寺「山水図襖」(天正17(1569)年)を描き、秀吉の命で、秀吉の子鶴松が3歳にして亡くなった菩提寺、祥雲寺「楓図壁貼付」文禄元年(1592)を描く。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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<参考文献>「朝日日本歴史人物事典」『障壁画全集 大徳寺真珠庵・聚光院』、土居次義『永徳と山楽』、武田恒夫『日本の美術94号 狩野永徳』(至文堂)
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展示作品の一部、狩野永徳、長谷川等伯
狩野永徳 国宝「檜図屏風」安土桃山時代・天正18年(1590)東京国立博物館蔵
狩野宗秀「織田信長像」天正11年(1583) 愛知・長興寺 重要文化財 11月3日
 信長の一周忌に信長の家臣、与語久三郎正勝が狩野永徳の弟、狩野宗秀に描かせたもの。
長谷川等伯 国宝「楓図壁貼付」安土桃山時代・文禄元年(1592)頃 京都・智積院蔵
長谷川等伯 国宝「松林図屏風」安土桃山時代。六曲一双 16世紀 東京国立博物館蔵
草稿ともいわれる。靄に包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を、粗速の筆で大胆に描きながら、観る者にとって禅の境地とも、わびの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現をなし得た。等伯(1539-1610)の画技には測り知れないものがある。彼が私淑した南宋時代の画僧牧谿の、自然に忠実たろうとする態度が、日本において反映された希有の例であり、近世水墨画の最高傑作。東京国立博物館
狩野山雪 重要文化財「籬に草花図襖」江戸時代(1631)京都・天球院蔵
紺糸威五枚胴具足 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 宮城・仙台市博物館蔵
曽我直庵筆「龍虎図屛風」安土桃山~江戸時代・16~17世紀 東京国立博物館蔵
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重要文化財「泰西王侯騎馬図」神戸市美術館、17世紀に描かれた洋風画、
神聖ローマ皇帝、トルコ皇帝、モスクワ大公、タタール王が描かれている。
重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻、(書)本阿弥光悦筆、(絵)俵屋宗達筆、江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵
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狩野永徳の作品
松に叭々鳥・柳に白鷺図屏風 六曲一双 紙本墨画 - 九州国立博物館蔵
瀟湘八景図 一幅 紙本墨画 - 個人蔵(九州国立博物館寄託、黒田侯爵家旧蔵
現存しない作品
安土城障壁画 - 天正4年(1576年)
大坂城障壁画 - 天正13年(1585年)
聚楽第障壁画 - 天正15年(1587年)
天瑞寺障壁画 - 天正16年(1588年)天瑞寺は大徳寺内に秀吉が創建したものだが明治7年(1874年)、廃寺になった際、建物とともに障壁画も失われたとされる。
所在不明の作品
安土城之図 - 天正9年(1581年)以前
天正9年(1581年)、織田信長が安土を訪れた宣教師・ヴァリニャーノに贈った安土城之図屏風は、「日本で最も優れた職人」「画筆を動かすのに最も巧なる画工」といた史料の記述から永徳筆と考えられている
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参考文献
「桃山―天下人の100年」2・・・金碧障壁画、織田信長と狩野永徳、秀吉と長谷川等伯
https://bit.ly/31DlCc0

「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ
https://bit.ly/3lDIoIq
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
林進「宗達を検証する」(10)風神雷神図屏風と伊勢物語図色紙の成立
http://atelierrusses.jugem.jp/?cid=22
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特別展「桃山―天下人の100年」東京国立博物館 平成館 特別展示室
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2043
2020年10月6日(火) ~ 2020年11月29日

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2020年10月14日 (水)

「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ

Momoyama-2020-1
Kanou-eitoku-1565
Hasegawa-touhaku-kaedezu-1592
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』226回

金木犀の香り漂う森を歩いて博物館に行く。戦国時代は、愛と復讐の壮大なドラマが展開した。エリザベス朝悲劇と同時代である。
【戦国武将の死】将軍足利義輝、三好三人衆が暗殺(永禄の変)、足利義昭、遺志を継ぐ。元亀4年(1573)、幕府滅亡。戦国最強の武将、上杉謙信は川中島の戦いで武田信玄に勝つ。武田信玄は人望あり「人は石垣、人は城」、52歳で病死。1578年、上杉謙信は49歳で飲酒死。明晰透徹な織田信長は、1579年、藝術の極致、安土城建築、1582年、光秀の謀反で、49歳で死ぬ。
【藝術を愛好した信長】織田信長は、千宗易を登用、狩野永徳を重用し、茶の湯の天下の名器を集め、穴太衆を採用、天下の名人を発掘、名城安土城を築き、志半ばで世を去る。正親町天皇は、戦乱をくぐりぬけ天正14年69歳まで生きる。
【バロックと戦国】織田信長は、揚羽蝶模様の陣羽織を纏って指揮。信長は西洋甲冑を着て、世界制覇を狙うイエズス会士フランシスコ・カブラルと対峙。宣教師から武器調達、タイ製弾丸で長篠の戦いに勝つ。
1563年ルイス・フロイス来日、1571年レパントの海戦、1575年長篠の戦、石山本願寺戦争1570-80、「宣教師の征服計画」秀吉、グネツキ・オルガンティノ、高山右近説得(聖イグナシオ洞窟教会)、国友火縄銃、石山戦争終結。「われは神である」信長、1582年6月2日、本能寺の変で自刃。
1598年9月13日、ハプスブルグ帝国フェリペ2世の死後、5日後に、秀吉は61歳で死ぬ。
【織田信長、安土城、狩野派】この世から消滅した狩野派絵画、安土城。天主、7層5階。地上5階地下2階。7階、信長の部屋、6階は儒教、「孔門十哲」「三皇五帝」、5階は仏教、「釈迦十大弟子」「釈迦説法」、3階は花鳥図、「岩の間」「竹の間」「松の間」。2階は道教、「呂洞賓図」「西王母」。天正四~七年、安土城天主完成。天正十年6月2日、本能寺の変の10日後、炎上する。太田牛一『安土日記』『信長公記』
【利休切腹】天正19(1591)年京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。享年69。切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図るおそれがあり、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだ。死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形で晒された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
織田信長像、狩野宗秀、天正11年、1583、愛知、長興寺、重文
唐獅子図屛風、狩野永徳筆 安土桃山時代・16世紀 宮内庁三の丸尚蔵館蔵
国宝 洛中洛外図屛風(上杉家本)狩野永徳筆 室町時代・永禄8年(1565)山形・米沢市上杉博物館蔵
織田信長が、上杉謙信に贈った。京の都を描いた屛風。狩野永徳が23歳で描いた。天を突くように聳える相国寺の七重の搭、金雲の間に見え隠れする色鮮やかな景物が、都の雰囲気を伝える。
国宝 檜図屛風 狩野永徳筆 安土桃山時代・天正18年(1590) 東京国立博物館蔵
天正18年(1590)、秀吉の命により建てられた八条宮(後の桂宮家)邸を飾った襖絵。信長、秀吉に好まれ桃山画壇を牽引した狩野永徳の力強い描写が辺りを威圧する生命感。
国宝 楓図壁貼付、長谷川等伯筆 安土桃山時代・文禄元年(1592)頃 京都・智積院蔵
秀吉が、3歳で夭折した長男鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲寺(現在の智積院)の襖絵。狩野永徳の大画様式にもとづきながら叙情性が加えられている。
重要文化財 四季花鳥図屛風、狩野元信筆 室町時代・天文19年(1550)兵庫・白鶴美術館蔵
狩野派による金屛風のうち、制作年が明らかな最古例の一つ。画中に作者の狩野元信(1477~1559)自身による生年入りの落款があり。
重要文化財  豊国祭礼図屛風、岩佐又兵衛筆、江戸時代・17世紀 愛知・徳川美術館蔵
慶長9年(1604)8月に行われた秀吉7回忌の臨時祭礼の情景を描いたもの。豊国神社と方広寺大仏殿を背景として、秀吉を追慕し、祭りを楽しみ熱狂する人々の様子が描かれる。
重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻、(書)本阿弥光悦筆、(絵)俵屋宗達筆、江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵
大胆に描かれた鶴の群れ。そこに和歌を配置するの、光悦の腕の見せどころ。桃山美術の到達点を示す、光悦と宗達の合作。
重要文化財 銀伊予札白糸威胴丸具足、安土桃山時代・16世紀 宮城・仙台市博物館蔵
伊達政宗が豊臣秀吉より拝領した甲冑で、全身の防具を揃いの仕立てに誂える「当世具足」の形式が整いつつあったころの名品。
重要文化財 紺糸威南蛮胴具足、安土桃山~江戸時代・16~17世紀 東京国立博物館蔵
関ヶ原の合戦の直前、徳川四天王のひとり榊原康政(さかきばらやすまさ)が家康から拝領した甲冑です。兜と胴はヨーロッパの甲冑を参考にしたもの。
本庄正宗、長船長光、徳川将軍家ゆかりの名刀を収めた刀装「黒漆打刀」2口が初公開。伝家の宝刀 #本庄正宗 と、家康から紀州徳川家・頼宣に伝わった太刀 #長船長光 の刀装で、残念ながら刀身は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に供出され、行方不明
重要文化財 聖フランシスコ・ザビエル像、神戸市立博物館
国宝 檜図屏風 狩野永徳筆、東京国立博物館
国宝 松林図屏風 長谷川等伯筆、東京国立博物館
重要文化財 花鳥蒔絵螺鈿聖龕、九州国立博物館
重要文化財 泰西王侯騎馬図屏風、神戸市立博物館
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参考文献
織田信長、本能寺の変、孤高の城、安土城、信長の価値観
https://bit.ly/39FAMQc
織田信長、第六天魔王、戦いと茶会・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/3gqTr5n
織田信長、茶を愛好、本能寺の変、天下布武、天下の三肩衝・・・戦う知識人の精神史
https://bit.ly/2R1G0fU
織田信長の苦悩、信長と道三、復讐の嵐。連動する美濃と尾張、帰蝶と絶世の美女、生駒吉乃
https://bit.ly/2ZvHEwX
「京都―洛中洛外図と障壁画の美」・・・幻の花の都
https://bit.ly/2GDWgUp
長谷川等伯展・・・荒寥たる自然と生命の美
https://bit.ly/3mZhoEI

「桃山―天下人の100年」東京国立博物館・・・室町幕府崩壊、戦国武将、愛と復讐の壮大なドラマ

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政治史における安土桃山時代は、1573年の室町幕府の滅亡から1603年の江戸幕府開府までの30年間をさします。この30年間に花開いた、日本美術史上もっとも豪壮で華麗な「桃山美術」を中心に、室町時代末期から江戸時代初期にかけて移り変わる日本人の美意識を数々の名品によってご紹介します。
戦国の幕開けを象徴する鉄砲伝来が1543年、島原の乱鎮圧の翌年、ポルトガル船の入国を禁止し、鎖国が行われたのが1639年。豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし天下統一を果たした1590年が、その100年間のほぼ中間地点といえます。安土桃山時代を中心として、日本は中世から近世へ、戦国武将が争う下剋上の時代から、江戸幕府による平和な治世へと移り変わります。本展は、室町時代末期から江戸時代初期にかけての激動の時代に生まれた美術を概観し、美術史上「桃山時代」として語られるその美術の特質を、約230件の優品によってご覧いただこうというものです。
激動の時代に、「日本人」がどう生き、どのように文化が形作られていったのか、約100年間の美術作品を一堂に集め概観することで、日本美術史のなかでも特筆される変革の時代の「心と形」を考える展覧会です。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2043
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特別展「桃山―天下人の100年」 東京国立博物館 平成館 特別展示室
2020年10月6日(火) ~ 2020年11月29日

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