地中海

2023年10月 6日 (金)

「永遠の都ローマ」2・・・フォロ・ロマーノ

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第343回

古代ローマ、古代アテナイ、ルネサンスのフィレンツェ、コンスタンティノープル、もし自由に、古今東西の都市の学校を選ぶ、師匠を選ぶことができるならば、どの地、どの師を選ぶだろうか。詩人シラーが言論弾圧に苦しむ18・19世紀ウィーンを選ばないだろう。
【師を選ぶ、学ぶことは重要だが、最も重要なのは先生の質である】【先生を選ぶ】師が優れているか否かが最も重要な要素である【学びの違い】学校、大学では先生を選べない【先生が持っている地図の大きさ】【先生が持つ基礎認知力、先生が持っている体系】空海は、大学寮明経科に入学したが退学、山林修行の旅に出る『聾瞽指帰』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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フォロ・ロマーノを歩くと、夕暮れの光の中に、古代ローマの英雄たち、アントニウス、クレオパトラ、ローマ皇帝、ボッティチェリ、レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ、憂いの藝術家、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ、メディチ家の雄姿、いにしえの人の記憶が蘇る。
カピトリーノの丘、カンピドリオ広場、フォロ・ロマーノ、サトゥルヌス神殿、セプテイミウス・セベルスの凱旋門、コンスタンティヌス帝の凱旋門、コロッセオ、皇帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)、トラヤヌス帝の記念柱、パラティーノの丘、コンスタンティヌス帝の巨像、ここは、ローマ帝国の中心である。
【パンとサーカス《Panem et circenses》に溺れる民衆】食糧と娯楽。古代ローマ市民がこの二つを国家から与えられて満足、政治に無関心になった様を、詩人ユウェナリスが揶揄。現代では愚民政策の比喩。ローマ共和政が前3世紀ごろから中産市民が没落して無産市民(プロレタリア)となっても、市民であるので平民会の選挙権はもっていた。彼らは国や有力者に食料と娯楽を要求し、それらを提供してくれる政権や人物を支持した。食糧はエジプトから輸入された。

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【サトゥルヌス神殿】フォロ・ロマーノのカンピドリオ広場の一角に立つ8本のイオニア式円柱は、サトゥルヌス神殿跡。サトゥルヌスはローマ神話の農耕神で、ギリシア神話の巨人族の神クロノスと同一視される。土星の守護神です。かつてここに古代ローマの国家金庫、アエラリウム・サトゥルニがあった。古代ローマ暦およびユリウス暦の12月17日から12月23日、ここでサトゥルナリア祭が祝われていた。建設時期 紀元前501年、建設者 タルクィニウス・スペルブス。
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【ネロ、本当に暴君か】タキトゥス「年代記」「同時代史」「ゲルマニア」、スエトニウス、カッシウス・ディオ、著名な歴史家の記述によると必ずしも暴君ではない。暴君の人物像は、ポーランドのノーベル文学賞作家ヘンリク・シェンキェヴィチの小説「クォ・ヴァディス」がネロの悪行やキリスト教徒迫害の様子を描き、これが映画化され、悪役イメージが定着した。
【名君、皇帝ネロ】第5代ローマ皇帝ネロ(紀元37~68)は、類いまれな「暴君」として知られる。母を殺害し、キリスト教徒を迫害し、芸術に心を奪われた末に自ら命を絶ったその人生は、小説や映画に描かれた。ところが、その暴虐無人ぶりは虚像に過ぎず、実は帝国繁栄の基礎を築いた「名君」だった。
【ネロ】「皇帝が女神の神殿に足を運び、果てしなき黄金の輝きを発した」64年にポンペイを訪れたネロをたたえる詩編。ネロの2人目の妻ポッパイア・アビナはポンペイの出身で、ネロもしばしばこの街を訪れた。ネロの死から11年後の79年、後方にそびえる火山ヴェスヴィオ山の噴火によってポンペイは火山灰の下に埋もれた。
【ハドリアヌス帝、本当に名君か、恐怖政治、残虐にして寛容】
【マルクス=アウレリウス=アントニヌス】(在位161~180)軍人、政治家であるとともにストア派の哲学を学び自ら『自省録』を著す。哲学者としてもすぐれていたが、パルティアとの戦争に苦しみ、さらにゲルマン人の大規模な侵入が始まり苦戦が続く中、ウィンドボナ付近で病没。実子のコンモドゥスが帝位を継いだが悪政を行い、殺害される。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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五賢帝時代、ネルウァ(在位96~98)、トラヤヌス(在位98~117)、ハドリアヌス(在位117~138)、アントニヌス=ピウス(在位138~161)、マルクス=アウレリウス=アントニヌス(在位161~180)。帝位は、前帝の養子が元老院の承認を受けて継承された。
【ハドリアヌス帝、恐怖政治、残虐にして寛容】皇帝ドミティアヌスが暗殺されて【ネルヴァ】が皇帝になった。そしてそのネルヴァも即位後1年ほどで死す。次の皇帝はハドリアヌスの後見人である【皇帝トラヤヌス】25歳になったハドリアヌスはクルスス・ホノルム(名誉あるコース)と言われるクワエストル(会計検査官)に当選しその後はトラヤヌスに従ってダキア戦争に従軍、ここで十分に戦功を挙げプエラトル(法務官)に当選、ここで属州総督の就任資格を得るとパンノニアインフェリオール(遠パンノニア属州)総督の地位へと昇り詰める。この時31歳【ハドリアヌスの皇帝就任】にはトラヤヌスの皇后であるプロティナの意向が強く働いた。【トラヤヌス暗殺事件】トラヤヌスの死に目にあったのは4人。妻であるプロティナ、姪のマティディア(ハドリアヌスの妻の母)、近衛軍団長のアティアヌス(ハドリアヌスの後見人)、皇帝付きの医師。トラヤヌスの側近であった4人は殺害された。ハドリアヌスは近衛隊長であるアティアヌスが勝手にやったと弁明した。「ハドリアヌスは残虐にして寛容、厳格であるかと思えば愛想が良く、一貫していないことだけが一貫していた」と歴史家は語る。【暴君、ハドリアヌス】はユダヤ教徒を徹底的に弾圧した。永遠の都エルサレムにはユダヤ教徒は立ち入り禁止にし、殺害されたユダヤ教徒は50万人。48歳のローマ皇帝ハドリアヌスが15歳ぐらいのギリシアの少年アンティノウスを愛した。アンティノウスがエジプトで溺死した時には人目をはばからず女性のように泣いたという。溺れた川のふもとにアンティノポリスという都市を作る。【ローマ法大全】ハドリアヌスはユスティニアヌスの600年ぐらい前にローマ法を大全化した。【パンテオン】ハドリアヌス帝の時代に再建された。建設したのはアウグストゥスの片腕であるアグリッパだが、現在の形に再建したのがハドリアヌス。【恐怖政治、ハドリアヌス】はティベリウスほどの恐怖政治はではないが、トラヤヌスの4人の腹心たちと後継者問題においては粛正を断行している。フスクスに死を強要した理由は不明である。アエリウスの代わりに後継者としての白羽の矢が立っていたのがマルクス・アンニウス・ヴェルスという16歳の少年だった。この少年が後の【マルクス・アウレリウス・アントニヌス】。ただ皇帝になるには若すぎたので、ハドリアヌスはアントニウスという50歳ぐらいの男を呼び、アンニウスを養子にすることを条件に自分の養子にすることを告げた。このアントニウスこそが5賢帝の4人目【アントニウス・ピウス】である。南川高志『ローマ五賢帝』1998、2014 講談社学術文庫p.222-224
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【たセプティミウス=セウェルス帝】コンモドゥスが192年に暗殺された後、2~3年の混乱の後に、軍事政権。146年生まれ(在位193~211)65歳で死す。
【暴君、カラカラ帝、享年29】ローマ帝国の五賢帝時代に続き、セウェルス朝を始めたセプティミウス=セウェルスの子で帝位を継承。在位211~217年。本名はマルクス=アウレリウス=アントニヌス(五賢帝の最後の皇帝と同じ名前だが関係はない)で、父の遠征先の属州ガリアのリヨンで生まれた。いつも着用していたガリア風の長い上着のことをカラカラといったので、それが彼の呼び名になった。ローマ市民権を拡大したアントニヌス勅令の制定や公共浴場の建設等で知られる、歴代のローマ皇帝の中でも暴君の一人とされ、パルティア遠征中に部下の近衛兵に殺害された。新保良明『ローマ帝国愚帝列伝』2000講談社選書メチエp.184
【近衛隊長マクリヌス】は現場に駆けつけ悲嘆の素振りを見せる。カラカラには世継ぎがいないので急ぎ次の皇帝を選出しなければならない、パルティアの大軍が迫っていた。マクリヌスは兵士の推戴を受けて即位した。1年後にはカラカラの遺児と称する【14歳の少年エラガバルス】を担いだ一派が挙兵して帝位を奪った。【皇帝エラガバルス】(204年~222年 (在位218年6月8日~222年3月11日)のもとで東方的な密儀宗教がローマに持ち込まれ、宮廷は淫乱な空気に満ちる。男性社会であるローマで女性を登用するなど、進歩主義的。アントナン・アルトー『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』(1934年)。近衛兵は222年、皇帝を殺害、屍体をティベル川に投げ込み、その従兄弟【アレクサンデル・セウェルス】を担ぎ出した。このアレクサンデルも235年に軍隊によって殺害。
【軍人皇帝の時代、235年から284年まで50年、皇帝が70人輩出】財政危機、経済・政治危機
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【コンスタンティヌス大帝】4世紀初頭のローマ帝国皇帝。帝国の分裂、混乱を克服し専制君主政を確立し、313年にキリスト教を公認。330年コンスタンティノープルに遷都し、強大な帝国を再建したが、その死後、再び帝国は分裂。
【ユスティニアヌス帝、異教徒迫害】529年にアテネのアカデメイアがユスティニアヌスの命令によって国家の管理下に置かれた。このヘレニズム教育機関の事実上の閉鎖がおそらく最も有名な事件であろう。多神教は積極的に弾圧された。小アジアだけで7万人の多神教徒が改宗したとエフェソスのヨハネスは述べる。
【永遠の都ローマ、皇帝の死、藝術家の死】ユリウス・カエサル55歳、アウグストゥス帝51歳、ネロ帝31歳、ハドリアヌス帝62歳、コンスタンティヌス大帝60歳、ユスティニアヌス帝81歳、ミケランジェロ88歳。シクストゥス4世70歳。最高権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【コロッセオ、フラヴィウスの闘技場】ネロ帝の巨像(コロッスス)があった。ネロポリス。
【カピトリーノ美術館】「永遠の都」と呼ばれるローマ、世界でもっとも古い美術館の一つ、ローマ・カピトリーノ美術館。カピトリーノ美術館が建つカピトリーノの丘は、古代には最高神を祀る神殿が建設、現在はローマ市庁舎が位置する、ローマの歴史と文化の中心地である。【カピトリーノ美術館の歴史】1471年ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことに始まり、以後、古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、ローマの名家からもたらされた絵画などを収蔵してきた。
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参考文献
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
https://bit.ly/3xYWHQv
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
https://bit.ly/3orQacm
「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-29f875.html
「永遠の都ローマ」2・・・フォロ・ロマーノ
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-450352.html
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永遠の都ローマ展、東京都美術館、9月16日(土)~ 12月10日(日)
福岡市美術館にも巡回予定、福岡市美術館 2024年1月5日(金)~ 3月10日(日)

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2023年9月30日 (土)

「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第342回
フォロ・ロマーノを歩くと、古代ローマの英雄たち、ローマ皇帝ネロ、エジプト王妃クレオパトラ、憂いの藝術家ミケランジェロ、メディチ家ヌムール公ジュリアーノの雄姿、いにしえの人の美しい記憶が蘇る。
カピトリーノの丘、カンピドリオ広場、フォロ・ロマーノ、サトゥルヌス神殿、セプテイミウス・セベルスの凱旋門、コンスタンティヌス帝の凱旋門、コロッセオ、皇帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)、トラヤヌス帝の記念柱、パラティーノの丘、コンスタンティヌス帝の巨像、ここは、ローマ帝国の中心である。
カピトリーノ美術館の歴史は、シクストゥス4世が1471年4つの彫刻を寄贈して始まるとされるが、シクストゥス4世はメディチ家を弾圧した陰謀教皇である。
【「カピトリーノのヴィーナス」AD2C】原作は、プラクシテレス「アフロディーテ」、プラクシテレスの息子、小ケフィソドトスの彫刻(BC4C-3C)である。ローマンコピー、ギリシア彫刻のローマ帝国時代の摸刻である。ローマ文化はコピー文化。オリジナルは皇帝像である。(Musei Capitolini)
【永遠の都ローマ、皇帝の死】ユリウス・カエサル(前100~前44年)55歳、アウグストゥス帝(前63~前14年)49歳、ネロ帝(紀元37~68)31歳、ハドリアヌス帝(76~138)62歳、コンスタンティヌス大帝(274?~337)63歳、ユスティニアヌス帝(483~565)81歳、ミケランジェロ(1475年3月6日~1564年2月18日)88歳。シクストゥス4世(1414~1484)70歳。最高権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【陰謀教皇、シクストゥス4世】【1478年のパッツィ家の陰謀】に加担してメディチ家の打倒をはかったが失敗。これは【ロレンツォ・デ・メディチとその兄弟を暗殺】してフィレンツェの支配者の地位にジロラモ・リアリオをつけようとした企てであった。計画の首謀者とされたピサ大司教はシニョリーア宮殿の壁に吊るされて殺された、教皇庁とフィレンツェは以後2年におよぶ戦争状態に突入。同時にシクストゥス4世はヴェネツィア共和国に対してフェラーラ公国を攻撃するようすすめる。別の親族にフェラーラを治めさせる意図があった。教皇の陰謀はイタリアの都市君主たちを怒らせ、同盟を結ばせる。教皇の示唆によって【1482年におこなわれたヴェネツィア軍のフェラーラ攻撃】に対して、ミラノのスフォルツァ家、フィレンツェのメディチ家、ナポリ王国のみならず本来教皇の同盟者であった人々までが同盟を組んでこれを阻止。
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【皇帝ネロ、彫刻コレクション】黄金宮殿にあった。この遺跡の中で発見された彫刻は、「ラオコーン」バティカン博物館に移されている。カピトリーニ美術館の「瀕死のガリア人」やローマ国立博物館(アルテンプス宮)の「妻を殺して自殺しようとするガリア人」の像などが有名。「美しい尻のヴィーナス」(Venus Kallipygos)BC1世紀。オリジナル作品は、紀元前300年頃にギリシアで作られたブロンズ像であった。16世紀に頭部が欠けた状態で、ローマ皇帝ネロに関連する遺跡から発掘された。彫像はイタリアの名門貴族ファルネーゼ家のコレクションに加えられた後、現在のナポリに移動された。
【パンとサーカス《Panem et circenses》に溺れる民衆】食糧と娯楽。古代ローマ市民がこの二つを国家から与えられて満足、政治に無関心になった様を、2世紀、詩人ユウェナリスが揶揄。現代では愚民政策の比喩。ローマ共和政が前3世紀ごろから中産市民が没落して無産市民(プロレタリア)となっても、市民であるので平民会の選挙権はもっていた。彼らは国や有力者に食料と娯楽を要求し、それらを提供してくれる政権や人物を支持した。食糧はエジプトから輸入された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
《マイナスを表す浮彫の断片》 1世紀  カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
カラヴァッジョ派、メロンを持つ
ドメニコ・ティントレット 《鞭打ち》 17世紀 カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
《カピトリーノのヴィーナス》 2世紀 カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
本展では、古代ローマ彫刻の傑作《カピトリーノのヴィーナス》が初来日し、東京会場限定で展示。同作は、古代ギリシア最大の彫刻家プラクシテレスの作品に基づく女神像であり、ルーヴル美術館の《ミロのヴィーナス》、ウフィツィ美術館の《メディチのヴィーナス》と並ぶ、古代ヴィーナス像の傑作として知られている。本展は、門外不出の彫刻を目にすることができる貴重な機会となる。
古代ローマ建国を伝える伝承・神話
《カピトリーノの牝狼(複製)》 ローマ市庁舎蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
本展は、全5章から構成。まず第1章では、ローマを象徴する「カピトリーノの牝狼」を起点に、古代ローマの建国にまつわる伝承や神話に光をあてる。ローマ建国神話を代表するエピソードのひとつが、軍神マルスと巫女レア・シルウィアのあいだに生まれた双子、ロムルスとレムスを育てる牝狼の物語だ。本章では、《カピトリーノの牝狼(複製)》を展示するとともに、建国神話を表す古代彫刻やメダルなどから、その表現の伝統をたどってゆく。
《イシスとして表わされたプトレマイオス朝皇妃の頭部》
紀元前1世紀から紀元後1世紀 カピトリーノ美術館分館モンテマルティー二美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
古代ローマ帝国は、紀元前1世紀、ユリウス・カエサルとその遺志を継いだオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)によってその礎が築かれ、続く皇帝たちのもとで繁栄することになった。第2章では、古代ローマ帝国の栄光に焦点を合わせ、歴代ローマ皇帝や帝国ゆかりの女性たちの肖像などを紹介。また、帝国の栄華を象徴する《コンスタンティヌス帝の巨像》の一部を原寸大複製で展示する。
ローマ、芸術の霊感源として
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《トラヤヌス帝記念柱の正面全景》
1774-75年 ローマ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico del Museo di Roma
ディオニュソス、ハドリアヌス帝時代、カピトリーノ美術館
数多くの古代遺跡を擁するローマは、17世紀以降、グランドツアーの隆盛などを背景に、イタリア内外の芸術家に着想を与えてきた。第5章では、古代建築やその装飾といったローマ美術からインスピレーションを得て制作された作品に着目。古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」を題材とする版画や模型に加えて、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージやアントニオ・カノーヴァなどの名品も目にすることができる。
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参考文献
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第1巻、ギリシアの神々、ローマ帝国、秦の始皇帝、漢の武帝、飛鳥、天平、最澄と空海
宗教の謎、国家と宗教の戦い、第2巻、アカデメイア、ルネサンス、織田信長
https://bit.ly/3Tcilcj

ヴィーナスの歴史、パリスの審判、三人の女神、トロイ戦争、叙事詩の円環・・・復讐劇の起源
南川高志『ローマの五賢帝――「輝ける世紀」の虚像と実像』1998初刊 2014講談社学術文庫p.82-83
南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』 (岩波新書) 2013
南川高志『ローマ皇帝とその時代 元首政期ローマ帝国政治史の研究』創文社
スエトニウス『ローマ皇帝伝』岩波書店
プルタルコス『英雄伝』岩波書店
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古代ローマ帝国の遺産・・・豹を抱くディオニュソス、帝国の黄昏
地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり・・・ギリシア文化の輝き
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
「永遠の都ローマ展」・・・カピトリーノのヴィーナス
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-29f875.html

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特別展「永遠の都ローマ展」は、「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介する展覧会。世界でもっとも古い美術館のひとつ、ローマ・カピトリーノ美術館の所蔵品を中心とする作品とともに、2000年を超える歴史と文化をたどってゆく。
カピトリーノ美術館が建つカピトリーノの丘は、古代には最高神を祀る神殿が置かれ、現在はローマ市庁舎が位置するなど、ローマの歴史と文化の中心地であった。カピトリーノ美術館の歴史は、1471年 教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことに始まり、以後、古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、ローマの名家からもたらされた絵画などを収蔵してきた。
2023年は、日本の明治政府が派遣した「岩倉使節団」がカピトリーノ美術館を訪ねて150年の節目にあたります。使節団の訪欧は、のちの日本の博物館施策に大きな影響を与えることになりました。この節目の年に、ローマの姉妹都市である東京、さらに福岡を会場として、同館のコレクションをまとめて日本で紹介する初めての機会となります。
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永遠の都ローマ展、東京都美術館、9月16日(土)~ 12月10日(日)
福岡市美術館にも巡回予定、福岡市美術館 2024年1月5日(金)~ 3月10日(日)

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2022年2月 5日 (土)

ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス

Pompei-2022
Dionysos-pompei-2022-tnm
Dionysos-pompei2022
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』269回

ローマ帝国のヘレニズム文化、ディオニュソス神が流行していた。20年前のイタリアの旅を思い出す。ナポリ、ポンペイ、ナポリ考古学博物館に旅した。30軒あるパン屋、ヴェスビオス山噴火で埋もれた1万人の市民。4頭立ての馬車の轍の跡が刻まれた石畳の道路、円形劇場、円形闘技場、秘儀荘の壁画「ディオニュソスの秘儀」。
紀元79年10月24日、ヴェスビオス山の噴火によって消えた都市、ポンペイ。噴火で埋もれた都市、ヘレニズム文化。ローマ帝国の別荘地であり、貴族、富裕層とそれを支える商人、生産者の都市、『博物誌』37巻の著者プリニウスが寄港して、死亡した。
牧神ファウヌスの家のエクセドラ『アレクサンドロス大王のモザイク』。イッソスの戦いの場面を描く、左の騎馬の人物がアレクサンドロス3世、右で戦車に搭乗しているのがダレイオス3世。
竪琴奏者の家のペリステュリウム(中庭)。悲劇詩人の家のアトリウム(広間)。
『豹を抱くディオニュソス』、神殿に置かれていたのか。
『豹を抱くディオニュソス』が出土した、ソンマ・ヴェスヴィアーナは、472年、ヴェスビオス山噴火で埋もれた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【「アレクサンドロスのモザイク」】ポンペイの「ファウヌス(牧羊神)の家」から出土したモザイク、騎馬の人物がアレクサンドロス3世、戦車に搭乗しているのがダレイオス3世。 前4世紀末のギリシアの画家フィロクセノスが描いた『イッソスの戦い』を題材にした作品をモザイクによる忠実な模写。前100年頃、または前2世紀末の作とみられる。ナポリ国立考古学博物館蔵
【ポンペイ、プリニウス】79年8月24日、南イタリアのヴェスヴィオ(ウェスウィウス)山が噴火、山麓のポンペイ、ヘルクラネウムなどの町を大量の降灰が襲った。ナポリ近くの軍港ミセヌムに在任していたローマの艦隊司令官、博物学者プリニウスは、噴火を知って急遽救援に向かいスタビアエに上陸した。自ら火山性ガスに直撃され、命を落とした。プリニウス『博物誌』37巻、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23年⁻79年)。ティトウス帝(ウェスパシアヌス帝の子)は復興委員会を設置。生き残ったポンペイの市民1万人はネアポリスに移住させた。
【『三美神』】まるで、ラファエロ『三美神』1504-05年のようであるが、ラファエロはポンペイを見ていない。
――
【ディオニュソス、ゼウスとセメレの子】豊穣神,酒神。バッコス(Bakchos)とも呼ばれる。ゼウスとセメレの子。母がヘラの奸計にはめられ、ゼウスに雷神の正体を示すよう強要して、熱によって妊娠中に焼殺された。ゼウスによって母体から取出され、父神の股の内に縫込められ、月が満ちるとそこから出されてセメレの姉妹のイノに預けられた、イノもヘラによって発狂させられた。ゼウスは彼をニュサという土地に移し、ニンフたちに養育させた。
【ディオニュソス教、エウリピデス『バッコスの信女』】葡萄の木を発見、その栽培と葡萄酒の製法を広めた。遍歴の後、故郷テーバイに帰る。王のペンテウスが反抗したため、王の母を含めた女たちを狂乱させ、ペンテウスを八つ裂きにさせた。この熱狂的な女性信徒をバッカイ(『バッコスの信女』)、マイナデスと呼ぶ。小鹿の皮で身を包み、霊杖(テュルソス)を持ち、牡牛の姿をしたディオニュソスに従って、松明をかざして夜の山野に狂喜乱舞した。トラキア、マケドニアで流行した陶酔的豊穣神と,小アジア伝来の植物神崇拝とが合体して成立した。
【ディオニュソス、アリアドネと結婚】最後には冥府に行き、冥府から母を上界に連れ戻して、母子ともにオリュンポスの神々の仲間入り、テセウスによってナクソス島に置去りにされたアリアドネを妻に娶って、彼女も女神の仲間入りをさせた。ディオニュソスの祭祀は、アテネではギリシア悲劇を発生させ、オルフェウス教と結びついて、ヘレニズム時代に流行する密儀宗教の一つとなる。
【ディオニュソス、ディオニュソス劇場】ザグレウスの名のもとにオルフェウス教と、イアッコスの名のもとにエレウシス密儀と関係、冥界神となる。その祭礼を大ディオニュシア祭、ギリシア悲劇の起源となる。
【ディオニュソス、秘儀荘】ポンペイの〈秘儀荘〉に見られる。ローマ帝国世界で密儀神として広く崇拝された。ディオニュソスの秘儀が行われた。
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【復讐する精神、アレクサンドロス】アレクサンドロスは、父王フィリッポス2世を側近貴族によって暗殺、復讐を果たして人生の旅に旅立つ。紀元前336年、アレクサンドロス20歳。織田信長は、織田信勝の二度目の謀反に復讐を果たし、人生の冒険に旅立つ。弘治三(1557)年、信長24歳。
【理念を探求する精神】プラトンは知恵を探求、邪知暴虐なディオニュシオス王と対峙。孔子は仁義礼智信を追求、遍歴15年の果て74歳で死す。空海は即身成仏を追求、東寺立体曼荼羅構築。嵯峨天皇は平城上皇の乱と戦い810年坂上田村麻呂を大納言に任じて成敗、弘仁文化を築く
【家父長制patriarchy、呪縛との戦い】アレクサンドロス大王、フリードリッヒ大王、織田信長、嵯峨天皇、レオナルド・ダ・ヴィンチ。家父長制:父系の家族制度において、家長が絶対的な家長権によって家族員を支配・統率する家族形態。父系原理に基づく社会の支配形態【易姓革命、孟子】君主は、天子、天の子であり、天命を受けて地上を支配する。現王朝の政が善くなければ新たに天命を受け現王朝を倒し、新王朝を興す者が現れる。姓という語は、生と女からできており、古代母系制をとどめる『字統』。母が天に感じて生んだ子、天子。マリアの受胎
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
ポリュクレイトス「槍を持つ人、ポンペイ、1世紀
「パン屋の店先」フレスコ画
「ディオニュソスとヴェスヴィオ山」
「葡萄摘みを表したアンフォラ」
「踊る牧神ファウヌス」ポンペイ、1世紀
「豹を抱くディオニュソス」ソンマ・ヴェスヴィアーナ、1世紀
「ペプロフォロス」ソンマ・ヴェスヴィアーナ、1世紀
「猛犬注意」「書字版と尖筆を持つ女性」
「伊勢海老とタコの戦い」「猫と鴨」
「ナイル河風景」「葉綱と悲劇の仮面」
牧神ファウヌスの家のエクセドラ「アレクサンドロス大王のモザイク」、1世紀、復元
竪琴奏者の家のペリステュリウム(中庭)。悲劇詩人の家のアトリウム(広間) 、1世紀、復元
――
参考文献
高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店
高津春繁『アポロドーロス ギリシア神話』岩波書店
高津春繁『古代ギリシア文学史』岩波書店
高津春繁『印欧語比較文法』岩波書店
高津春繁『ギリシア・ローマ古典文学案内』岩波書店
古代ローマ帝国の遺産・・・豹を抱くディオニュソス、帝国の黄昏
https://bit.ly/3fsF7dZ
アレクサンドロ大王 世界の果てへの旅
https://t.co/RCwJNrJirZ
大久保正雄『地中海紀行』53回アレクサンドロス大王1P45
フィリッポスは、アレクサンドロスの妹の結婚式で、暗殺された。
マケドニア王国 フィリッポス2世の死 卓越した戦略家
https://t.co/xcCI2H0le5
大久保正雄『地中海紀行』54回アレクサンドロス大王2P52
アレクサンドロス帝国の遺産はどこに残されたのか
王妃オリュンピアス アレクサンドロス帝国の謎
https://t.co/GqhV2l84wK
ポンペイ・・・埋もれたヘレニズム文化、「アレクサンドロス大王のモザイク」、豹を抱くディオニュソス
https://bit.ly/3orQacm
――
「ポンペイ」東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2128
「ポンペイ」東京国立博物館、2022年1月14日(金)~2022年4月3日(日)
京都市京セラ美術館2022年4月21日~7月3日
九州国立博物館10月12日~12月4日

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2013年8月29日 (木)

地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅

Venuspresentantheleneaparis177780_g大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
人が本当に見ることができるのは心によってだけである。本質は、目で見えない。美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』より
――
地中海は、藝術家、思想家たちを魅了してきた。
燦めきの海、エーゲ海の旅は、美しい思想を思い出す。美しい思いは美しい人を引き寄せる。最高の藝術作品は美しい人生である。エフェソスの幻のアルテミス神殿に佇むと、ヘラクレイトスの思想を思い出す。
紀元前6世紀、ピュタゴラスは、サモス島からイタリアのクロトンへ旅した。紀元前4世紀、プラトンは、イタリアへ旅した。
ローマ皇帝は、ギリシアに魅せられ、地中海を旅した。15世紀、ルネサンス人は、ギリシアとローマ帝国の藝術に憧れた。愛の女神ヴィーナスの国。
17世紀、画家クロード・ロラン(1600-1682)はイタリアで生涯を終えた。18世紀、ギャヴィン・ハミルトン(1723-98)は、イタリアと古代彫刻に魅せられイタリアで生涯を終えた。フランス革命の画家たち、ダヴィッド、アングル、フランソワ・ジェラールは、イタリアに魅せられ旅した。
ゲーテは、1786年イタリアに旅立ち、『イタリア紀行』(Italienische Reise,1816-1817)を書いた。スタンダールは、イタリアに憧れ、1799年、陸軍少尉としてイタリア遠征し、『イタリア紀行 ローマ、ナポリ、フィレンツェ』("Rome, Naples et Florence",1817)を書いた。スタンダールは、軍人となっても馬に乗る事も剣を振るう事も出来ず女遊びと観劇に現をぬかした。『恋愛論』("De l'amour", 1822)を書き、第一の結晶作用、情熱恋愛、恋愛至上主義、「己の全存在を賭けての愛」を主張した。
ドイツ古典主義の詩人アウグスト・フォン・プラーテン(August Graf von
Platen-Hallermunde,1796-1835)は、バイエルン出身だがイタリアを永住の地と定め、シチリアのシラクサで死んだ。詩集『ベネチアのソネット』(1825)『トリスタンとイゾルデ』(1825)を残した。
ロマン主義の詩人バイロン(1788-1824)は、イタリア、ギリシアに憧れ、『チャイルド・ハロルドの遍歴』(Childe Harold's Pilgrimage, 1812)を書き、1823年ギリシア独立戦争へ身を投じる。詩人シェリー(1792-1822)は、ギリシアに憬れ、『縛を解かれたプロメテウス』(Prometheus Unbound)を書き、地中海で死んだ。
リルケ(1875-1926)は、アドリア海に臨む孤城ドゥイノの館に滞在し、イタリア、エジプト、スペインを旅し『ドゥイノの悲歌』(1923)『オルフォイスへのソネット』(1923)を書いた。
ニーチェ(1844-1900)は、1879年から1889年まで様々な都市を旅し、哲学者として生活した。夏はスイス、サンモリッツ近郊ジルス・マリア、冬はイタリアのジェノヴァ、ラパッロ、トリノ、フランスのニースで過ごした。『ツァラトゥストラかく語りき』(Also sprach Zarathustra, 1883-91)、『善悪の彼岸』(Jenseits von Gut und Böse, 1886)、哲学書はこの10年間に書かれた。
地中海は、知恵と愛、幸福、美の国である。愛の女神ヴィーナスの国である。
哲学者たち、藝術家たちは何を求めて旅したのか。藝術家たちが地中海を旅したのは何故か。
(大久保正雄『地中海紀行』)
――
■「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」
パリスの審判、トロイア戦争の原因の有名な場面である。
ギャヴィン・ハミルトン(1723-98)Gavin Hamilton (1723, Lanarkshire – 4 January 1798, Rome)。新古典主義の画家。1740年代グラスゴー大学とローマで学ぶ、1756年ローマにもどり、イタリアで生涯を終えた。イタリアに魅せられ、40年イタリアに暮らし、古代彫刻「アルテミス」「パリス」などローマ彫刻を発掘した。
ギャヴィン・ハミルトンは、1785年、レオナルド「岩窟の聖母」the National Gallery, London, of Leonardo da Vinci's Virgin of the Rocksを購入し、ロンドンへ送った。
「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」の絵を2度、描いている。
(参考文献 大久保正雄『地中海紀行』)
"Venus giving Paris Helen as his wife" ,by Hamilton (1782-1784), held by the Palazzo Braschi, Rome
"Vénus présentant Hélène à Pâris", 1777-80, Musée du Louvre

地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり・・・ギリシア文化の輝き

――
ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり―
La Méditerranée dans les collections du Louvre
東京都美術館 企画展示室/2013年7月20日(土)~9月23日(月・祝)
http://louvre2013.jp/
http://t.co/UzLTzJnLAH
展示構成
「序 地中海世界—自然と文化の枠組み」
「Ⅰ 地中海の始まり―前2000年紀から前1000年紀までの交流」
「Ⅱ 統合された地中海―ギリシア、カルタゴ、ローマ」
「Ⅲ 中世の地中海―十字軍からレコンキスタへ(1090-1492年)」
「Ⅳ 地中海の近代―ルネサンスから啓蒙主義の時代へ(1490-1750年)」
「Ⅴ 地中海紀行(1750-1850年)」
――
★ギャヴィン・ハミルトン「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」1777-80年頃 Vénus présentant Hélène à Pâris, 1777-80, Musée du Louvre

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2013年8月14日 (水)

ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり・・・ギリシア文化の輝き

Louvre2013_2Louvre2013大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。人が本当に見ることができるのは心によってだけである。本質は、目で見えない。美しい夕暮れ。美しい魂に、美しい女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
蝉時雨の夏の午後、美術館に行く。燦めきの地中海、エーゲ海を旅した日々。壮麗なアルテミス神殿の幻、ギリシア文化の輝き、エフェソス博物館。
地中海は、エジプト、エーゲ海、ギリシアの神々、アプロディーテ、アルテミス、エロス。美的象徴に溢れている。「われらが海」と呼んだローマ皇帝、十字軍、ルネサンス人、ルネサンス王フランソワ1世、18世紀、藝術家たちの地中海への旅。地中海は美と知恵の源泉である。地中海への旅は、人間的、知的、美的な導きとなる。地中海紀行は、精神の王国への道案内である。(大久保正雄『地中海紀行』)
ディアナは、画家ギャビン・ハミルトンによって、イタリアで発掘された。ディアナは、1700年の眠りから画家によって目覚めた。
女神ディアナは、ギリシア神話ではアルテミス、狩の女神、アポロンの妹である。女神アルテミスは、森の神として、兄弟神アポローンとともに「遠矢射る」の称号をもち、古典時代の神話では、狩猟と純潔を司る処女神。エペソスは、アルテミス女神崇拝の一大中心地で、壮麗なアルテミス神殿は有名であった。月神ルーナと同一視される。
――
1700年の眠りから目覚めた女神アルテミス。通称「ギャビーのディアナ」100年頃
清楚な容貌と肩に手をやる佇まいが美しい。ギリシア風の短い衣装から、狩りの女神アルテミスと推定される。18世紀、スコットランドの画家ハミルトンが、ローマ近郊ギャビーで発掘した。紀元前4世紀の名高い彫刻家プラクシテレスの様式を汲む作品のローマ時代の模刻である。1808年にルーヴルに収蔵されて以来、初めて館外に出品される。ルーヴルの傑作の一つ。
パリス、「ランズダウンのパリス」130年頃
パリスは、ギリシア神話のトロイア王子。フリギア帽を被った若々しい青年を、繊細に表したこの像は、古代ギリシアの高名な作品のローマ時代の模刻。ハドリアヌス帝の別荘から発掘された。
ギャヴィン・ハミルトン「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」1777-80年頃 Vénus présentant Hélène à Pâris, 1777-80, Musée du Louvre
ギャヴィン・ハミルトン(スコットランド 1723-98)Gavin Hamilton (1723, Lanarkshire – 4 January 1798, Rome)。新古典主義の画家。イタリアに魅せられ、ギリシア彫刻を発掘する。40年イタリアに暮らし、ローマで生涯を終えた。
――
■主な展示作品
ギリシア神話の象徴的イメージを用いた作品が42点ある。
「赤像式クラテル(壺):農業の女神デメテルの麦の穂を受け取る、ギリシアの英雄トリプトレモス」
.「赤像式杯:踊るサテュロス、コッタボス遊び (酒を鉢に投げ入れて恋占いをする遊び)をする会食者」
「カンタロス(高脚杯)と柘榴を持つ、葡萄と酒の神ディオニュソスの浮彫」
.「競技者に与えられるオリーヴ油を入れる黒像式アンフォラ:アテネの守護女神アテナ(A面)、競技者(B面)」
「アテネ式黒像式杯:英雄ヘラクレスとケンタウロスのネッソス(内側の底部分)」
「コリントス式アラバストロン(小型の香油入れ):白鳥および神話の怪物ゴルゴンの頭」
「浮彫装飾:神話の怪物ゴルゴン」
「赤像式クラテル(壺):牡牛に変身した主神ゼウスによる王女エウロペの掠奪」
「赤像式アンフォラ:薪の上で焚刑に処されるリュディア王クロイソス(A面)、ギリシアの英雄テセウスとペイリトオスによるアマゾン族の女王アンティオペの誘拐(B面)」
「カルピス(水瓶):ギリシアの英雄ヘラクレスによるエジプト王ブシリスの殺害」
「エジプト様式の男性像:ディオニュソスという名のギリシア人がエジプトの神々に献呈したことがギリシア語とエジプト語で記される」
「カラトス(ヤナギ細工の籠)を頭に乗せたギリシアとエジプトの混合神、愛と豊穣の女神アフロディテ=イシスの小像」
「巨大彫像の断片:エジプトの聖牛アピスとギリシアの神々が融合して生まれた混合神セラピスの頭部」
「彫像断片:ディアデマ(宝石入り帯状髪飾り)を冠したエジプトの地母神イシスの頭部」
「エジプトの守護の神ベスとオリエントの神アッティスの彫像:アッティスはギリシアの女神キュベレに同伴する神」
「玉座に鎮座し、杯とタンバリンを持つギリシアの女神キュベレの小像」
「翼をもち、女性の胸をした神話の創造物スフィンクス像」
「浮彫断片:占星術と天文学のムーサ(女神)、ウラニア」
「カルタゴの豊穣の女神タニトの標章とヘルメスの杖(蛇が巻きついた杖)が彫られた破風付き石碑:碑文「主よバアル・ハモンへ、ハンニバルの息子ムットゥンバアルがこの願いを捧げた。主は、彼の声を聞き、祝福してくださったから」」
「ポエニ語の碑文が刻まれ、星、女神タニトの標章、ヘルメスの杖、馬の頭が彫られた破風付き石碑:碑文「バアル神とバアル神に向き合うタニト女神にムットゥンがこの願いを捧げた。神はその声を聞き、祝福してくださった」」
「彫像断片:酒と演劇の神バッカスの従者サテュロスの頭部」
「ローマの石棺:人間の創造とその運命を表すティタン族プロメテウスの伝説」
「床モザイク:カリュドンの猪を狩るギリシアの英雄メレアグロスの伝説;葉冠の中の鴨のつがい;葉冠の中の男性胸像」
「ローマの神サトゥルヌスに捧げる碑文のある牡牛の頭部」
「水槽の床モザイク:魚のいる海の中でイルカと遊ぶキューピッドたち」
「床モザイク断片:狩りをするキューピッドと植物模様」
「ギリシア語銘文と、蛇の髪をした神話の怪物ゴルゴンの頭部が表されたメダイヨン」
「騎士とグリフォンの装飾が施された腕輪」
「ギリシア神話の英雄ヘラクレスの妻、デイアネイラを掠奪するケンタウロスのネッソス」
「ラファエロに基づくエウロペの掠奪を描いた、ウルビーノ司教ジャコモ・ノルディの紋章入りの皿」
「皿:エウロペの掠奪」
☆ヨーロッパの名前の由来となったエウロペはフェニキア(現レバノン)王の娘、白い牡牛に姿を変えたゼウスに連れ去られた。
「懐中時計:エウロペの掠奪」
「エウロペの掠奪を表した浮彫装飾のあるレキュトス(小型の香油入れ)」
「エウロペの掠奪」34. -37.
ギャビン・ハミルトン「トロイアの王子パリスに、スパルタのヘレネを引き合わせる愛の女神ヴィーナス」
「アルテミス:信奉者たちから贈られたマントを留める狩りの女神」通称「ギャビーのディアナ」
「トロイアの王子パリス」
「大聖堂に転用された、シチリア島シラクーザのミネルヴァ神殿の側面」
「アテネのアクロポリス、オリンピア・ゼウス神殿のテラスからの眺め」
展示構成
序章 海、大地、港、交易の島々
第1章 初期の交流 ―紀元前の東地中海―
第2章 我らが海 ―ギリシア、カルタゴ、そしてローマ―
第3章 十字軍の時代(11~13世紀)
第4章 オスマン帝国と西洋 ―16~18世紀の地中海―
第5章 芸術家の地中海旅行(18~19世紀)

参考文献
大久保正雄『地中海紀行』
図録『ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり』
高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店

地中海 四千年のものがたり・・・藝術家たちの地中海への旅
ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり・・・ギリシア文化の輝き

――
本展はルーヴル美術館の全8美術部門が総力を挙げて「地中海」をテーマに企画し、西洋と東洋を結ぶ地中海世界の四千年におよぶ歴史的・空間的な広がりを、ルーヴルが誇る200点を超える収蔵品で展観するものです。
西洋と東洋の出会いの地で誕生した作品群は、多彩かつ個性的であると同時に、地中海を舞台に生み出された諸文化の影響関係を生き生きと伝える魅力あふれるものです。
注目すべきは、清楚な容貌と自然なたたずまいが美しい古代彫刻の傑作「アルテミス、通称 ギャビーのディアナ」。また、ロココ美術の華麗な作品やフランスの画家シャセリオーによるオリエンタリズムあふれる絵画など、多くの貴重な文化財が特別出品され、地中海の魅力にせまります。
http://louvre2013.jp/
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ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり
東京都美術館 2013年7月20日(土)~9月23日(月・祝)
午前9時30分~午後5時30分(金曜日は午後9時まで)
9月16日(月・祝)、9月23日(月・祝)は開室、9月17日(火)は閉室
主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、ルーヴル美術館
日本経済新聞社、NHK
http://louvre2013.jp/

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2011年10月20日 (木)

ヴェネツィアの黄昏

Venezia201110大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
初めてヴェネツィアを旅したのは、トスカーナの葡萄の葉が黄金色に色づく秋である。カナル・グランデからサンマルコ広場に上陸すると、黄昏のサンマルコ寺院が、夕日に煌めいていたのを思い出す。迷宮都市ヴェネツィアは、夢のように、美しく儚い国である。黄昏のヴェネツィアにたたずみ、波光きらめく海をみると、マーラー「アダージェット」を思い出す。二度目にヴェネツィアに訪れたのは、春だった。地中海航路の豪華客船がヴェネツィアに寄港するために往来している。エーゲ海に航海する船影に、ギリシアの面影が蘇る。
水上の迷宮都市ヴェネツィア。迷路のような道を歩くと、儚さの美に陶酔を感じる。藝術家たちはヴェネツィアを愛し旅した。詩人ワーズワース、詩人バイロンが詩に歌い、ヴィスコンティが映像に残したヴェネツィアの滅びの美。バイロンは36歳の若さでギリシアでこの世を去った。ヴェネツィア共和国は、千年栄え、1797年滅亡した。春のヴェネツィアを旅してから10年の時が流れた。いま、ギリシア財政破綻に始まる、欧州危機、イタリア財政危機、米国国債デフォルト危機に世界は揺れている。大国の滅亡の兆し、『大国の興亡』の時代である。国家は滅び、藝術は滅びても、美しい精神は滅びない。
■ヴィスコンティ『ベニスに死す』Morte a Venezia (1971)
黄昏のヴェネツィアにたたずみ、波光きらめく海をみると、「アダージェット」を思い出す。ヴィスコンティ『ベニスに死す』に流れるマーラー『交響曲第5番』第4楽章「アダージェット」である。この曲は、作曲家マーラーが恋愛関係にあったアルマにあてた音楽によるラブ・レターだといわれる。ヴィスコンティは、映画の中でマーラーとアルノルト・シェーンベルクを登場させ二人の間に「美についての論争」を作品化している。ヴィスコンティ監督作品は『地獄に堕ちた勇者ども』La caduta degli dei (1969)が最も美しい。彼の作品はつねに、滅び行くものと若き生きものとの対比が構築されている。
■ヴェネツィア共和国Repubblica di Venezia
ビザンティン時代、東ローマ帝国に属したが、実質的に自治権を持っていた。697年、ヴェネツィア人は初代総督を選出して独自の共和制統治を始めた。これがヴェネツィア共和国の始まりである。外敵の脅威に対して結束し、836年にはイスラムの侵略を、900年にはマジャール人の侵略を撃退した。
「外敵の脅威に対する結束」が≪コムーネ(共同体)≫である。
1797年、ナポレオンはヴェネツィアに最後通告を突きつけ、議会を解散させた。これによりヴェネツィア共和国は滅亡した。地中海に君臨した海の帝国の終焉である。歴史上、最も長く存続した共和国である。
■バイロン「ヴェニス」
魔術師のふる杖(つえ)にこたえるかに
浪間から、その楼閣は眼のまえに浮かびあがる
千年、――そのおぼろげな翼は私のまわりにひろがり
滅びゆく栄光は、はるかな昔に微笑(ほほえ)みかえす
その昔、属領はみなその翼ある大理石(なめいし)の獅子像(ししぞう)にひれ伏し
ヴェニスは荘厳にも百の島の王座に坐した。
―――――
いまは、耳にひびく音楽もまれとなり
かのよき日は去ったが、――美の面影はなおただよい
国々はほろび、芸術は消えたが、――自然は滅びぬ
思い出すのは、そのかみの日のヴェニスの懐かしさ。
祝祭に満ちあふれた、歓びの宮
地上の楽園、イタリアの仮面。
『チャイルド・ハロルド』第四巻より 阿部知二訳『バイロン詩集』
■ワーズワース「ヴェニス共和国の滅亡」(William Wordsworth,On the Extinstion of the Venetian Republic)
彼女はかつて華やかなる東洋を領有し、
そしてまた、西方の防衛なりき。
ああヴェニス、初めて生まれし自由の子、
その価値は誕生を辱めることなかりき。
かつて征服されたることなき輝かしき自由の市、
いかなる狡計も篭絡(ろうらく)することなく、いかなる暴力も犯すことなかりき。
ヴェニスがその配偶を娶らんときは、
永劫の海原を彼女は選ぶべかりき。
かかる栄光あせ、光栄ある称号消え失せ、
その力衰うるを見るも何をかせん。
それど追惜(ついせき)の貢物は
その永き歴史の終わる日にぞ払わるべき。
われらは人間、かつて華やかなりしものの影、
消えて跡なきに至るとき、悲しむべきものなり。
(田部重治訳)
■参考文献
John Julius Norwich. , A History of Venice. Vintage Books. New York, 1989.
阿部知二訳『バイロン詩集』小沢書店、1996
阿部知二訳『バイロン詩集』新潮文庫1967
田部重治訳『ワーズワース詩集』岩波文庫1957
山内久明訳『対訳ワーズワース詩集』岩波文庫1998
『ヴィスコンティ集成 退廃の美しさに彩られた孤独の肖像』フィルムアート社1981
(cf.欧州危機で死屍累々『ZAKZAK』2011.09.15)
■世界遺産「ヴェネツィア展」魅惑の芸術-千年の都
江戸東京博物館2011年9月23日(金)~12月11日(日)
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp

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2009年11月15日 (日)

古代ローマ帝国の遺産・・・豹を抱くディオニュソス、帝国の黄昏

Roma_2009Dionysos2009大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
秋の夕暮れ、黄葉の森を歩いて西洋美術館に行く。子豹を抱くディオニュソスは、ギリシアの甘美な美しさを湛えている。友人の編集長と対話しながらみる。ローマ彫刻に囲まれると、古代のヴィラの対話する空間が蘇る。古代の霊が蘇ってくる。アウグストゥス、ティベリウス、『ローマ皇帝伝』『対比列伝』の世界がある。ギリシア彫刻とローマ彫刻を比較すると、ローマ人の狡猾さとギリシア人の耽美的な精神の対比が浮かび上がる。子豹を抱くディオニュソスは、他に作例がない。葡萄の蔦の飾り、ヒュマティオンが繊細、眼差しが美しい。
彫刻は2000年の歳月を超えてやってきた旅人である。「アウグストゥス」は、狡猾なローマ皇帝の顔である。「カリアティド」はアクロポリスのエレクテイオン神殿のコピーである。「アレッツォの青銅のミネルバ」は、ギリシア人彫刻家の作品である。「豹を抱くディオニュソス」うっとりするほど美しい。必見。ポンペイから出土した「フレスコ画の壁画」、「モザイクの噴水」、古代ローマ時代の別荘、地中海のみえる瀟洒な邸の佇まい。溜息がでるほど美しい。
ローマ帝国は滅びても、藝術は残る。ホラティウスとロバートへリックの詩を思い出す。「ギリシアは、征服されたが、猛き征服者を圧倒し、藝術を荒れたローマにもたらした」Horatius。「時のある間に薔薇の花を摘め、時はたえず流れ、今日ほほえむ花も明日には枯れる」Robert Herrick。
■展示構成
第一章 帝国の誕生
第二章 アウグストゥスの帝国とその機能
第三章 帝国の富
映像資料「古代ローマ帝国 ポンペイ『庭園の風景』」
1) 現在の遺跡「黄金の腕輪の家」2)壁画《庭園の風景》を、もとの場所で鑑賞 3) 約2000年前の邸宅「黄金の腕輪の家」とその生活風景
■主要展示作品
《皇帝座像(アウグストゥス)》ヘルクラネウム(現エルコラーノ)、通称「バシリカ」の矩形のエクセドラ出土 白大理石 高さ215cm 後1世紀中頃 ナポリ国立考古学博物館
《カリアティド》前1世紀末-後1世紀初頭221cmフィレンツェ国立考古学博物館
《アレッツォのミネルウァ》アレッツォ出土 ブロンズ 高さ150.5cm 前3世紀 フィレンツェ考古学博物館 MUSEO ARCHEOLOGICO NAZIONALE FIRENZE, Centro Promozioni e Servizi Arezzo
ミネルウァはギリシアの女神アテナと同一視されるローマの女神。知性および技術の守護神、戦いの女神。
《豹を抱くディオニュソス》ソンマ・ヴェスヴィアーナ、ステルツァ・デッラ・レジーナ地区出土 白大理石 高さ152cm(現存部分106cm)紀元前後1世紀 ノーラ考古学博物。
《ペプロスを着た女性(ペプロフォロス)》ソンマ・ヴェスヴィアーナ出土、白大理石、高さ116センチ、後2世紀、ノーラ考古学博物館蔵
《アポロ像》後1世紀 ナポリ国立考古学博物館 
■古代ローマ帝国の遺産―栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ―
国立西洋美術館開館50周年記念事業
国立西洋美術館2009年9月19日(土)~12月13日(日)
http://roma2009.jp/index.html

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2009年10月20日 (火)

古代カルタゴとローマ展 きらめく地中海文明の至宝・・・地中海の多様な文化の様式

Cartago_venus_2009 秋の夕暮、美術館に行く。有翼日輪、スフィンクス、愛と美の女神アフロディーテ、エロスとプシュケ、戦いの女神ミネルヴァ、水浴するヴィーナス、化粧するヴィーナス。地中海の多彩な図像がある。カルタゴはエジプト、ギリシア、ローマ帝国、地中海の多様な様式が融合する文化空間である。カルタゴは紀元前9世紀に建国、名将ハンニバルが戦った第2次ポエニ戦争をへて紀元前146年滅亡する。紀元前1世紀ローマ帝国により復興、ローマ、アレクサンドリアに次ぐローマ帝国第三の都市となり繁栄する。ローマ建築の床と壁を彩るモザイクに、古代カルタゴの追憶が蘇る。フェリーニ監督『サテリコン』のローマ貴族の庭を思い出す。
■展示作品
第一章 地中海の女王カルタゴ
有翼女性神官の石棺BC3世紀:カルタゴのネクロポリスから出土した大理石製の石棺。棺の形式はエジプト型、傾斜の鋭い屋根形をした蓋はギリシア様式。
第二章 ローマに生きるカルタゴ
ヴィーナス像頭部2-3世紀
ライオン像2世紀
バラのつぼみを撒く女性5世紀、縦190cm横140cm
メドゥーサ3世紀
エロスとプシュケ4世紀、カルタゴ博物館
地中海の島々と都市3-4世紀、モザイク、縦533‐536cm横492cm1995年、チュニジア西部・ハイドラ遺跡の一般家屋跡。キプロス、クニドス、ロドスなど古代地中海の12の都市や島々が描かれている。
――――――
 地中海沿岸の白い街並みからサハラ砂漠まで多彩な顔を持つチュニジアは、古くから積み重なる歴史と民族、そして文化が溶け合い独自の文化を育んできました。
 紀元前800年フェニキア人によってこの地に建国された都市国家カルタゴは、東西地中海の貿易中継地として栄華を極めました。地中海を巡っての宿敵ローマとのポエニ戦争、名将ハンニバルの活躍、その悲劇的な結末は今日まで伝説として語り継がれています。
 本展では、カルタゴ遺跡群からの出土品と世界一のモザイクコレクションを誇るチュニジア国立博物館群の名品160点余を通して、ギリシア、ローマ、カルタゴによって繰り広げられた古代地中海世界の壮大なドラマとカルタゴで花開いた優美な芸術・モザイクを紹介します。
★チュニジア世界遺産 古代カルタゴとローマ展 -きらめく地中海文明の至宝-
大丸ミュージアム・東京(大丸東京店10階)
2009年10月3日-10月25日(日)
http://www.karutago-roma.jp/top.html

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