密教美術

2016年6月14日 (火)

大日如来の知恵 五智如来の知恵

Dainichinyorai_unkeiDainichinyorai_kongoubujiKuukai大日如来の知恵 五智如来の知恵
密教において、大日如来が宇宙の根本原理であり、至高の存在である。この大日如来の5つの智慧(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を象徴する五智如来がある。大日如来の知恵、法界体性智は、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、他の四智を統合する智恵である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
★五智如来、五智
大日如来は、法界体性智を持っている。
法界体性智は、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、他の四智を統合する智恵である。
*法界体性智=自性清浄心と呼ばれる第9識(阿摩羅識)
阿閦如来は、大円鏡智【鏡の如く法界の万象を顕現する智】を持っている。
*大円鏡智=阿頼耶識 第8識
宝生如来は、平等性智【諸法の平等を具現する智】を持っている。
*平等性智=末那識 第7識
無量寿如来は、妙観察智【諸法を正しく見極め、追求する智】を持っている。
*妙観察智=意識 第6識
不空成就如来は、成所作智【自他のなすべきことを成就せしめる智】を持っている。
*成所作智=前5識(眼識、耳識鼻識、舌識、身識)、五感(眼、耳、鼻、舌、身)による感覚作用である。
★転識得智 9識は、金剛頂経の説く瞑想法(五相成身観)によって各々五智に転じる。
★五智如来、印相
大日如来は、智拳印を結んでいる。
無知や迷妄を退ける堅固な智慧を象徴するものであり、右手は仏界、左手は人間界を表している。
阿閦如来は、右手を下に伸ばす触地印を結んでおり、これは降魔印ともいい、誘惑や恐怖に打ち勝つ不動の心を表している。
宝生如来は、左手を膝の上に置き、右手は下に伸ばして手のひらを前に向ける与願印を結んでいます。伸ばした五指の間からどんな願いでも意のままにかなうという如意宝珠を降らし、人々の願いを成就させることができる。
無量寿如来は、またの名を阿弥陀如来といい「アミユータス」または「アミターバ」。西方極楽浄土の主催者であり、人々を極楽浄土に迎える仏です。定印を結んでおり、結跏趺坐の上に両手を重ねて大指と頭指で倭を作る。
不空成就如来は、サンスクリット語では「アモーガシッディ」。左手は腹前で衣を掴み、右手は胸の高さに上げて掌を前に向けた施無畏印を結んでいる。
釈迦像には「五印」と呼ばれる代表的な印相があり、次のように説明される。
1.説法印(転法輪印)・・釈尊が最初の説法をしたときの印
2.施無畏印・・・・・・・人々のを安心させるときの印
3.与願印・・・・・・・・人々の願いを聞き入れ、望むものを与えようとするときの印
4.定印・・・・・・・・・悟りを開いたときの釈尊の印
5.触地印(降魔印)・・・悟りを開いた釈尊が、悪魔を退けたときの印
*五智・五仏 http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/gochigobutsu.htm
*転識得智 成身会の構造(金剛界五仏と五智)
http://www.ermjp.com/j/temple/mandara/manda/oshie/oshie7.html
                 http://morfo.blog.so-net.ne.jp/2012-02-13
*大日如来 五智如来、印相 
http://barbarossa.red/five-tathagata/
★運慶「大日如来」、金剛峰寺「大日如来」、金剛峰寺「弘法大師坐像」

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2012年10月13日 (土)

十一面観音の美・・・傷ついた純粋な魂に舞い降りる

201210010120121001傷つき血と涙を流しながら、この世を生きている。孤独な戦いの日々。いつ夜明けはくるのか。美と理想を追求する、純粋な魂に、観世音菩薩が舞い降りる。この世は血に塗れた、殺し合いの競争の修羅場。人間は日々殺し合いに明け暮れる。観世音菩薩は、苦しむ人々の声なき声を観じて救うために舞い降りる。
観世音菩薩(観自在菩薩Avalokiteśvara)は、生けるものの苦しみを観ている。観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて、仏身、梵王身、比丘尼身、天身、声聞身、など、三十三の姿に変身する(『法華経』「観世音菩薩普門品、第二十五」観音経)。
 観世音菩薩の海潮音が聞こえる。「妙音、観世音、梵音、海潮音は、かの世間の音に勝る。この故にすべからく常に念ずべし。」「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念」(『法華経』「観世音菩薩普門品」第二十五)
■十一面観音の美
十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされ、女神のような容姿にデザインされる。
2つの仏像が、美しい。十一面観音 法華寺(平安時代、国宝)。十一面観音 向源寺(渡岸寺)(平安時代、国宝)
近江、十一面観音。
近江には、十一面観音が多いことが知られている。高野山の寺院に泊まった時、滋賀の十一面観音をめぐる旅をしている人に出会った。白洲正子『十一面観音巡礼』は、聖林寺の十一面をはじめに、羽賀寺、薬師寺、智識寺、月輪寺と辿って、最後に渡岸寺に到る。
■「十一面観音立像」法華寺(平安時代)は、比類なき美しさ。
艶麗な容姿は、光明皇后を表すといわれ、光背は、蓮の未開の花と葉、他に例をみない形式である。
「天竺の仏師・問答師が光明皇后の姿を模してつくった」という伝承をもつが、実際の制作は平安時代初期、九世紀前半、弘仁貞観時代。空海と嵯峨天皇の文化である。伝承は『興福寺濫觴記』にみられる。法華寺は、聖武天皇の創建、総国分尼寺である。
仏の三十二相八十種好の一つである「正立手摩膝相」を表し、顔貌表現、胸部と大腿部の量感を強調したプロポーション、太いひだと細く鋭いひだを交互に刻む翻波式衣文は平安初期彫刻特有の様式。和辻哲郎『古寺巡礼』、亀井勝一郎『美貌の皇后』はこの像を豊満な女体に例えて絶賛している。
■十一面観音
十一面観音は、その深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩である。観音菩薩の変化身の一つである。
十一面観音の容姿は、通例、頭頂に仏面、頭上の正面に菩薩面(3面)、左側に瞋怒面(3面)、右側に狗牙上出面(3面)、背面に大笑面(1面)をもつ。右手を垂下し、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている。(玄奘訳『十一面神咒心経』に基づく)。
『十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経』によれば、
10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。病気にかからない、一切の怨敵から害を受けない、毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病にならない、一切の凶器によって害を受けない、不慮の事故で死なない。
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法華寺 国宝十一面観音立像特別開扉
法華寺の本尊、木造十一面観音立像(国宝)の特別開扉が行われます。光明皇后がモデルとされ、はっきりした目鼻立ち、長い右手や動きのあるポーズ、特徴的な光背など、仏教彫刻としても優れた評価を得ています。慈光殿では国宝の阿弥陀三尊像と童子像が同時公開されるほか、国史跡名勝庭園も特別公開中です。
2012年10月25日~11月12日 9:00~17:00
奈良市 法華寺  0742-33-2261
http://event.jr-odekake.net/event/122765.html
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〒 : 630-8001奈良市法華寺町882 TEL : 0742-33-2261
URL : http://www.hokkeji-nara.jp/
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★「十一面観音立像」法華寺(平安時代)

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2012年9月28日 (金)

「琵琶湖をめぐる、近江路の神と仏、名宝展」三井記念美術館・・・十一面観音と大日如来

20120908_2枯葉舞う午後、十一面観音、大日如来(快慶)をみる。運慶の大日如来は容姿端麗な美しさだが、快慶の大日如来は雄渾である。快慶、若き日の作品である。美術館から歩いて日本橋を渡って、銀座に行く。銀座で渡り蟹のパスタを食べる。密教仏は、波乱の貴族文化の匂いが漂う。
近江は、天智天皇の近江大津宮、壬申の乱の戦場で、聖武天皇の紫香楽宮の故地であり、飛鳥時代、寧楽時代から権力抗争を離れて、離宮が営まれた地である。最澄は788年、比叡山寺一乗止観院を開創。最澄没後823年、延暦寺の号を勅許された。近江には十一面観音が多い。十一面観音は密教仏であり、変化身仏である。
■白洲正子『十一面観音巡礼』は、聖林寺の十一面観音をはじめに、羽賀寺、薬師寺、智識寺、月輪寺を辿って、最後に渡岸寺に到る。
「十一面観音」渡岸寺観音堂を、仏像展、東京国立博物館でみたのを思い出す。渡岸寺観音堂(向源寺)「十一面観音」は、貞観期(平安初期)の作。日本全国に七体ある国宝十一面観音の中でも美しい日本彫刻史の最高傑作の一つ。端麗な容姿、優美なくねる腰が美しい。本面の左右に瞋怒面と狗牙上出面を大きく表し、天冠台上には菩薩面、瞋怒面、狗牙上出面を各2面、背面に大笑面を表す。
■主な展示作品
重文 善水寺「誕生釈迦仏立像」奈良時代。 釈迦の誕生直後の姿を表した金銅仏。
国宝 神照寺「透彫華籠」平安~鎌倉時代。散華供養において、散華を入れる器として用いる華籠。宝相華唐草文透し彫り。
重文 長命寺「透彫華鬘」鎌倉時代。
国宝 延暦寺「金銅経箱」平安時代。
重文 石山寺「如意輪観音半跏像」平安時代。
重文 園城寺「不動明王坐像」盛忠(じょうちゅう)作、平安時代 長和3年(1014)。
重文 葛川明王院「千手観音立像」平安時代。
重文 石山寺「大日如来坐像」快慶作、鎌倉時代。
鎌倉時代初頭に建立された石山寺多宝塔の本尊として安置される。面部裏に著名な仏師快慶の墨書銘がある。快慶の早い時期の作重文 飯道寺、十一面観音立像、平安時代
石部神社「厨子入薬師如来坐像」平安時代。重文
県文 百済寺「紺紙金字妙法蓮華経、開結経共」平安時代。
国宝「聖衆来迎寺、六道絵」 [等活地獄図]鎌倉時代
重文 安楽律院「弥陀三尊二十五菩薩来迎図」鎌倉時代
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近江国一国をおさめる滋賀県は、現在の京都府、福井県、岐阜県、三重県に隣接し、日本一大きな湖・琵琶湖を中心に、その周囲を鈴鹿、伊吹、比良山系などの山並みが連なっています。そして、古くから交通の要衝の地であり、宗教を基盤にした文化が開かれていました。この展覧会は、琵琶湖をめぐる近江の古社寺に伝えられた秘仏、名宝を一堂に展示する、東京で開催される初めての大展覧会です。延暦寺、園城寺(三井寺)、石山寺他、42の古社寺から、仏像、神像、仏画、垂迹画、絵巻物、経巻、工芸品など、国宝6点、重要文化財56点、滋賀県指定文化財21点を含む約100点の名宝が出品されます。近江の豊かな風土と歴史を背景にした「祈りとロマンの世界」に、至極の美術品の数々が誘います。特に絵画は、文化財保護の精神に沿い、会期を3回に分けて、全作品を3回展示替えする贅沢な企画ですので、展示プランに合わせて、再度ご来館いただきたいと存じます。
なお、本展覧会は、東京の三井記念美術館だけで開催するもので巡回しませんので、この機会に是非ご覧いただきたいと思います。
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★琵琶湖をめぐる、近江路の神と仏、名宝展、三井記念美術館
9月8日~11月25日
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html

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2011年10月 1日 (土)

「大日如来」・・・ギリシア美術から密教美術へ

2011 せみ時雨の真夏の午後、森を歩いて友人と、国立西洋美術館と東京国立博物館に行く。
ギリシア美術から、平安初期の密教美術、十三世紀の運慶まで、同時に見ることができるのは類まれなる邂逅である。ギリシア彫刻に刻まれた不滅の光輝、密教彫刻に刻まれた不屈の精神が輝いている。悪の嵐が吹き荒ぶとき、疾風怒濤の時代を生きて耐えぬいた、不羈奔放の精神が存在する。悪と戦い、正義を追求する不屈の精神が時を超えて蘇る。
金剛界の大日如来が智拳印を結んで、闇のなかで瞑想している。
■ギリシア美術から「空海と密教美術」への旅
ギリシア彫刻をみてから、浄瑠璃寺「広目天」、運慶「大日如来坐像」をみる。古代ギリシアから『空海と密教美術』へ、時を超える旅である。激震と動乱の大地にあって、人類史の風雪を耐えた美との僥倖の邂逅である。九世紀の密教彫刻には、白鳳美術、天平美術の精華が凝縮されている。ヘレニズム時代のギリシア美術から、紀元前1世紀ガンダーラ彫刻、アジャンタ石窟(ヴィハーラ窟、グプタ様式)、北魏様式、南梁様式(6世紀)、白鳳美術、天平美術、仏教美術の歴史を、一瞬のうちに回想する。
■失われた美の幻影
この世に残されたローマ時代のコピーをみると、時の彼方から、失われたプラクシテレス「クニドスのアプロディーテ」(BC360)が浮かび上がる。運慶の大日如来をみると、東寺講堂の失われた「大日如来」(承和6(839)年)の面影が蘇る。
東寺の失われた「大日如来」(承和6(839)年)は、空海入滅の年完成された「五智如来」の一つである。運慶「大日如来」をみると、幻の大日如来の彫刻が蘇る。運慶は、建久8年(1197)東寺講堂の仏像の大規模な修復を行った。東寺の大日如来坐像は、七頭の獅子の台座の上に乗っていたと推定される。≪注「中心毘瑠遮那如来。頭載五智宝冠、坐七獅子座上結跏趺坐、結界法印」(善無畏訳『尊勝仏頂修瑜伽法儀軌』巻上)≫
■「大日如来坐像 厨子入」(鎌倉時代初期、栃木、光得寺所蔵)、「大日如来坐像」(鎌倉時代初期、真如苑所蔵)は、運慶「大日如来坐像」(奈良、円城寺、1176年作)に似ている。「大日如来坐像 厨子入」は四頭の獅子の上に乗っている。台座の七頭の獅子に乗っていたと推定される。密教仏は、動物の上に乗った如来、菩薩が多い。
■「大英博物館 古代ギリシャ展-究極の身体、完全なる美」国立西洋美術館、2011年7月5日(火)~9月25日(日)http://t.co/2V6tVM4
「空海と密教美術展」東京国立博物館、2011年7月20日(水)-9月25日(日) http://t.co/afSbLQQ
「運慶とその周辺の仏像」東京国立博物館本館2階14室、2011年7月12日(火)-2011年10月2日(日)

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2011年8月 7日 (日)

空海と密教美術・・・「胎蔵曼荼羅」「金剛界曼荼羅」

201107_528pxkongokai 雷鳴の鳴る夏の夕暮れ、森の中を歩いて、博物館に行く。
両界曼荼羅は、何度みても魅了される。密教美術の秘宝である。
両界(両部)曼荼羅図には、胎蔵曼荼羅、金剛界曼荼羅がある。胎蔵曼荼羅は、正しくは「大悲胎蔵生曼荼羅」(maha-karuna-garbhodbhava-mandala)と呼ばれ『大日経』(善無畏訳『大毘廬遮那成仏神変加持経』)の所説を図像化したものとされる。『金剛頂経』(不空訳『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経』)をもとにして描かれている。だが仏典の所説と図像化された曼荼羅は一致しないことが研究者によって指摘されている。
国宝「両界曼荼羅(西院曼荼羅)」が東京で展示されるのは、16年ぶり。寺院でもみることが稀有な至高の秘宝である。
金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅が意味するものは何か。両界曼荼羅の象徴の意味は、いまだ解明されていない。美と形に秘められた、象徴とその哲学的意味を考えねばならない。
■高雄曼荼羅、西院曼荼羅、血曼荼羅
1、国宝「両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)」平安時代9世紀初め 京都・神護寺 (胎蔵界:2011.7/20~7/31)、(金剛界:8/2~8/15)空海が灌頂に用いたと伝えられる。
2、国宝「両界曼荼羅図(西院曼荼羅)伝真言院曼荼羅」平安時代9世紀後半 京都・東寺 (胎蔵界:7/20~8/21)、(金剛界:8/23~9/25)
この世に伝わる最も美しい極彩色の曼荼羅。国宝。
3、重文「両界曼荼羅図」(血曼荼羅)平安時代12世紀、高野山・金剛峯寺。
久安5年(1149)の火災で焼失した金剛峯寺金堂の東西両壁用に、平清盛の寄進によって制作されたと伝えられる。清盛が胎蔵界の大日如来の宝冠に自らの頭の血を混ぜて彩色したとの伝えある「血曼荼羅」。胎蔵界 (8/16~9/4)、金剛界(9/6~9/25)
■西院曼荼羅(『伝真言院曼荼羅』)九世紀後半、東寺
空海の師・恵果は、宮廷画家の李真などに曼荼羅を描かせ、五鈷杵、五鈷鈴、金剛盤という密教法具、経典、犍陀穀糸袈裟、仏舎利八十粒などを弘法大師空海に授けた。
空海が中国から持ち帰った曼荼羅は損傷し複製が作られたと推定される。『伝真言院曼荼羅』〈西院本〉。宮中の真言院で用いられたと伝えられ、金剛界、胎蔵界からなる曼荼羅。東寺に現存する曼荼羅のなかでもっとも古く、極彩色の曼荼羅の最高傑作である。九世紀の作と推定される。
顕教と異なり密教は法身説法である。「金剛界曼荼羅」は大日如来を中心に、千四百六十一の尊像を秩序のもとに配置している。密教の世界観を象徴的に表現している。
■「金剛界曼荼羅」は、成身会を中心に、三昧耶会、微細会、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会の九会からなる。
■「胎蔵曼荼羅」は、中台八葉院を中心に、周囲に、遍知院、持明院、釈迦院、虚空蔵院、文殊院、蘇悉地院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障院が、同心円状にめぐり、すべてを囲む外周に外金剛部院(最外院)からなる。
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参考文献
石田尚豊『曼荼羅の研究 研究篇・図版編』1975東京美術
石田尚豊『両界曼荼羅の智慧』東京美術1979
田中公明『曼荼羅イコノロジー』平河出版社1987
宮坂宥勝『密教思想論』筑摩書房1984
大久保正雄『プラトン哲学と空海の密教―書かれざる教説(agrapha dogmata)と詩の言葉―』「象徴とその哲学的意味」「酒乱第5号」2011
■空海と密教美術展 東京国立博物館
会期:2011年7月20日(水)-9月25日(日)
★西院曼荼羅(『伝真言院曼荼羅』)九世紀、東寺
201107_533pxtaizokai

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2011年7月31日 (日)

空海と密教美術展・・・理念と象徴

2011072001 真夏の午後、森の道を歩いて、博物館に行く。霧深い森の高野山、真夏の金剛峰寺、遥かな時の旅を思い出す。空海全集、密教の哲学書を耽読した夏の日々を思い出す。
世界は不正と悪と無知にみちている。現代は隠された悪に満ちている。隠され隠蔽された悪が現れ虚偽が明らかとなるとき、世界は二つに割れて戦いが始まる。理念なき国家、私利私欲に支配される時代、権力の中枢には悪が存在する。知恵と真実と正義を実現するためには、悪と戦わねばならない。空海の立体曼荼羅には、悪と戦う存在、憤怒相の存在がある。空海の時代は、現代と同じく悪との戦いの時代であった。
密教美術は空海の思想を現したものだが、思想を知ろうとする者は少ない。空海の理想と象徴とその哲学的意味を知らなければならない。
■「聾瞽指帰」空海筆 平安時代8-9世紀、高野山・金剛峯寺
空海が延暦16年(797)に著述した『三教指帰』の自筆草稿本と推定される。書体は行書が主体で処々に草書体。文中には文字の入れ替えを示す顛倒符・脱字の加筆などがある。空海が24歳の時に書いたと推定される。若き日の空海の雄渾で迫力がある書、美しい。
この書物がこの世に伝来した由来は不詳である。上下巻合わせて約二十メートル。全巻展示。必見。
空海筆「聾瞽指帰」と最澄筆空海著「請来目録」を比較して見ると、二人の思想家の性格の差異に気づく。
■立体曼荼羅・・・東寺
平安初期の密教彫刻は、写実主義と理想美を湛えている。奈良彫刻の仏師による。
降三世明王は、三面八臂の姿で、二本の手で「降三世印」を結び残りの手は弓矢や矛などの武器を構える勇壮な武将の姿で、両足で地に倒れたシヴァと妻ウマを踏みつけている。
大威徳明王は、六面六臂六脚、神の使い水牛に跨っている。六つの顔は六道(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界)をくまなく見渡す役目を表現し、六つの腕は矛や長剣等の武器を把持して法を守護し、六本の足は六波羅蜜(布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を怠らず歩み続ける決意を表している。
四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)は、仏の住む世界を支える須弥山の四方向を護る。六欲天の第一天、四大王衆天の主。帝釈天(インドラ)に仕え、八部鬼衆を所属支配し、仏法を守護する。
■空海と密教美術
密教美術は、空海の思想、『大日経』『金剛頂経』の思想を表現する象徴である。象徴の根底に哲学的意味がある。
空海は、延暦10年(791)大学に入学するが退学。延暦16年(797)十二月一日『聾瞽指帰』『三教指帰』を執筆。空海の謎の歳月が流れる。延暦23年(804)七月六日、空海は日本から唐への使節である遣唐使の一員として唐へ渡る。十二月長安に行く。長安で1年3ヶ月の短期間のうちに唐文化を吸収し隆盛し衰退しつつある密教の奥義を修める。師恵果阿闍梨から密教流布を託される。空海が師恵果から学び、仏師たちに作らせて唐から日本へ持ち帰った伝来品、唐時代の曼荼羅、祖師像、仏像、密教法具が、この世に伝えられてきた。
参考文献
大久保正雄『プラトン哲学と空海の密教 ―書かれざる教説と詩の言葉―』2011
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■主な展示作品
空海の書
「聾瞽指帰」空海筆 平安時代8-9世紀、高野山・金剛峯寺(上巻:7/20~8/21下巻:8/23~9/25)
「灌頂歴名」空海筆、弘仁3年、812年、京都、神護寺 7/20~8/21
「風信帖」空海筆、平安時代9世紀、京都、東寺 8/23~9/25
「大日経開題」空海筆、平安時代9世紀、醍醐寺 7/20~8/21
「金剛般若経開題残巻」空海筆、平安時代9世紀、京都国立博物館 8/23~9/25
最澄の書
空海撰「請来目録」最澄筆、平安時代9世紀、東寺 7/20~8/21
空海の著作
『即身成仏品』空海撰述 1巻 平安時代・9世紀 高野山・金剛峯寺 8/23~
空海伝来の密教法具
「金念珠」空海所持、唐時代9世紀、高野山、龍光院7/20~30
「三鈷杵」飛行三鈷杵、空海所持、金銅製。唐時代9世紀、高野山、金剛峰寺。三鈷杵の爪が一つ折れている。 7/31~8/11
「五鈷鈴」金銅製。唐時代9世紀。
「金念珠」伝空海所持 唐時代 高野山・龍光院。順宗皇帝から贈られたという伝があるが根拠不明である。(7/20~7/30)
「諸尊仏龕」空海請来 唐時代・8世紀、高野山・金剛峯寺蔵
■両界曼荼羅
「両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)」平安時代9世紀初め 京都・神護寺 (胎蔵界:7/20~7/31)、(金剛界:8/2~8/15)空海が灌頂に用いた。
「両界曼荼羅図(西院曼荼羅)伝真言院曼荼羅」平安時代9世紀後半 京都・東寺 (胎蔵界:7/20~8/21)、(金剛界:8/23~9/25)中国伝来の原作の香を伝える極彩色の最も美しい曼荼羅。この世に残る曼荼羅の最高傑作。
「両界曼荼羅図」(血曼荼羅)平安時代12世紀、高野山・金剛峯寺。久安5年(1149)の火災で焼失した金剛峯寺金堂の東西両壁用に、平清盛の寄進によって制作されたと伝えられる。清盛が胎蔵界の大日如来の宝冠に自らの頭の血を混ぜて彩色したとの伝えあり「血曼荼羅」。胎蔵界 (8/16~9/4)、金剛界(9/25)
密教仏
「大日如来坐像」平安時代9世紀、高野山・金剛峯寺
「阿弥陀如来および両脇侍像」平安時代 仁和寺
「法界虚空蔵菩薩坐像」「蓮華虚空蔵菩薩坐像」唐時代 京都・東寺(観智院)
「薬師如来および両脇侍像」平安時代10世紀 京都・醍醐寺
「如意輪観音菩薩坐像」平安時代 京都・醍醐寺
「蓮華虚空蔵菩薩坐像」(五大虚空蔵菩薩) 1躯 平安時代・9世紀 神護寺
「業用虚空蔵菩薩坐像」(五大虚空蔵菩薩) 1躯 平安時代・9世紀 神護寺
「薬師如来坐像」 1躯 平安時代・9世紀 大阪・獅子窟寺
「千手観音菩薩立像」 1躯 平安時代・10世紀 香川・聖通寺
立体曼荼羅
「金剛法菩薩坐像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「金剛業菩薩坐像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「降三世明王立像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「大威徳明王騎牛像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「梵天坐像」平安時代・承和6年(839)京都・東寺(教王護国寺)蔵
「帝釈天騎象像」平安時代・承和6年(839) 京都・東寺(教王護国寺)蔵
「持国天立像」平安時代・承和6年(839) 京都・東寺(教王護国寺)蔵
「増長天立像」平安時代・承和6年(839) 京都・東寺(教王護国寺)蔵

「宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱」平安時代・10世紀 京都・仁和寺蔵。空海が唐で書写した密教経典を30の冊子に仕立てた国宝『三十帖冊子』を納める箱。延喜19年(919)、醍醐天皇から冊子用の箱として下賜された。
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■空海と密教美術展 東京国立博物館
会期:2011年7月20日(水)-9月25日(日)
東京国立博物館 平成館
主催:東京国立博物館、読売新聞社、NHK、NHKプロモーション 特別協力:総本山仁和寺、総本山醍醐寺、総本山金剛峯寺、総本山教王護国寺(東寺)、総本山善通寺、遺迹本山神護寺 協力:真言宗各派総大本山会、南海電気鉄道
★参考文献
宮坂宥勝『密教思想論』筑摩書房1984
宮坂宥勝『空海 生涯と思想』筑摩書房1987
宮崎忍勝『私度僧 空海』河出書房新社1991
渡辺照宏・宮坂宥勝『沙門空海』筑摩書房1967
『弘法大師空海全集 第一巻思想篇一』筑摩書房1983「秘密曼荼羅十住心論」
『弘法大師空海全集 第六巻詩文篇』筑摩書房1984「三教指帰」「聾瞽指帰」
「日本思想体系5空海」『秘密曼荼羅十住心論』岩波書店1975
大久保正雄『プラトン哲学と空海の密教―書かれざる教説と詩の言葉―』2011

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2011年5月16日 (月)

東寺・・・空海と『伝真言院曼荼羅』

1200 春爛漫、桜満開の京都、醍醐寺の桜が咲き、東寺の紅枝垂れ桜の花吹雪が舞うまで、密教寺院に滞在した。東寺には学生時代から七度訪れたが、両界曼荼羅をかの地で見たことはない。見たのは「創建1200年記念 東寺国宝展」世田谷美術館でである。金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅が意味するものは何か。春のうららかな光の中で考えた。
■『伝真言院曼荼羅』九世紀後半(東寺蔵)
『伝真言院曼荼羅』〈西院本〉。宮中の真言院で用いられたと伝えられ、金剛界、胎蔵界からなる曼荼羅。東寺に現存する曼荼羅のなかでもっとも古く、極彩色の曼荼羅の最高傑作である。九世紀の作と推定されるが、遠い異国の薫りがする。
「金剛界曼荼羅」は、成身会を中心に、三昧耶会、微細会、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会、降三世三昧耶会の九会からなる。
「胎蔵曼荼羅」は、中台八葉院を中心に、周囲に、遍知院、持明院、釈迦院、虚空蔵院、文殊院、蘇悉地院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障院が、同心円状にめぐり、すべてを囲む外周に外金剛部院(最外院)からなる。
空海が曼荼羅を用いる所以は、恵果阿闍梨の言葉による。「真言秘蔵は経疏に隠密にして、図画を仮らざれば相伝すること能わず。」(空海『請来目録』)
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■「創建1200年記念 東寺国宝展」世田谷美術館1995
東寺は平安京の鎮護を目的として造営され、823年、弘法大師空海に下賜されました。以来、真言密教の根本道場として、また鎮護国家の官寺として、教王護国寺とも呼ばれ、1200年の歴史を経てきました。五重の塔や、縁日「弘法さん」でも有名ですが、そこに息づく文化財、美術品については案外知られていません。古くは平安京の羅城門上に置かれていたという、中国で唐時代に作られた「兜跋毘沙門天立像」、また空海が制作指導したという、立体曼荼羅を構成する講堂内21体の尊像、日本に現存する最古の彩色曼荼羅「両界曼荼羅図(伝真言院曼荼羅)」など、知る人ぞ知る明宝がずらり。
 本展では、その「兜跋毘沙門天」「伝真言院曼荼羅」はもちろん、”弘法筆を択ばず” の諺でも知られた、弘法大師自筆の「風信帖」をはじめ、国宝29点、重要文化財88点、重要美術品1点を含む、選りすぐった170点余が公開されます。
 インドを発祥の地とし、中国、チベットへも伝播した密教は、広大な宇宙観を特徴とし、今なお、人々を惹きつけてやみません。日本における密教の二大源流の一つ、真言密教を具現する造形表現と、それらが構成する空間を、ぜひ現代に生きる美として御観賞ください。
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参考文献
京都国立博物館他編『創建1200年記念 東寺国宝展図録』朝日新聞社1995
『特別展「国宝 醍醐寺展 山からおりた本尊」図録』東京国立博物館2001
『弘法大師入唐1200年記念「空海と高野山」図録』東京国立博物館2005
松永有慶『密教 インドから日本への伝承』中公文庫1989
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2011年4月25日 (月)

東寺・・・春爛漫の京都

Img_0624桜満開の京都、花盛りの密教寺院に滞在した。しばし憂いを忘れて、春爛漫、醍醐寺の桜満開の時から紅枝垂れ桜が咲き、花吹雪舞うときまで、花めぐりする。死の相の下にみると、生命あるこの世のものが限りなく美しい。仁和寺、龍安寺、金閣寺、醍醐寺、東寺、銀閣寺、妙心寺、大徳寺、清水寺をめぐり桜を眺める。枯山水の庭には彼方の世界がある。時の流れを超えた壮麗な寺院、東寺に佇む。樹齢120年の巨樹、八重紅枝垂桜「不二桜」は満開である。大日如来と薬師如来に祈りをささげる。文明の滅亡を憂うる時、ギリシア神話のプロメテウスの火と神の怒り、千二百年の時を超えて伝えられる空海の書『聾瞽指帰』、「伝真言院曼荼羅」に思いを馳せる。
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平安京は、羅城門を入口に朱雀大路が延び羅城門を挟み、左右に二つの寺院を配置した。大内裏からみて左側の寺が東寺である。西寺は今はない。国家安泰を願って二つの寺を都の東西に配置した。永暦15年、国家鎮護のために建てられた東寺を、弘仁14年(823)嵯峨天皇より空海に下賜されて真言密教の道場となり、伽藍が整えられた。室町時代に京都大地震があった。その後、度重なる内乱、地震、火災によって焼失したが、再建された。
東寺は、南大門の背後に、金堂、講堂、食堂の伽藍が一直線に配置されている。
■立体曼荼羅 東寺講堂には立体曼荼羅(羯磨曼荼羅)がある。『仁王経』曼荼羅を二十一体の仏像を配置することによって表現しているとされる。東寺金堂には薬師三尊像がある。
講堂内の壇上の中央の如来部に「大日如来」を中心に五智如来、右側の菩薩部に「金剛般若波羅密多菩薩」を中心に五菩薩、左側の明王部に「不動明王」を中心に五大明王、四隅に「持国天」、「多聞天」、「増長天」「広目天」の四天王、両端に「梵天」と「帝釈天」、合計二十一体の仏像が配置されている。空海は難解な密教を図画を用いて開示する(空海『請来目録』)。その方法の一つが立体曼荼羅である。『金剛頂経』「金剛界大曼荼羅」に相当する「成身会」を表現する。
■五智如来は、五大如来と呼ばれ密教の五つの知恵を体現する。金剛界五仏。中心の大日如来(法界体性智)、東の阿閦如来(大円鏡智)、南の宝憧如来(平等性智)、西の阿弥陀如来(妙観察智)、北の不空成就如来(成所作智)である。大日如来は他の四つの知恵を兼備している。
■五菩薩は、中央の金剛般若波羅密多菩薩、東方の金剛薩垂菩薩、西方の金剛法菩薩(観自在菩薩)、南方の金剛宝菩薩、北方の金剛業菩薩の五尊からなる。
■五大明王は、教令輪身と呼ばれ、教えにそむく民衆を導き内外の諸魔を降伏する忿怒の形相をもった五智如来の化身あるいは使者。中央の不動明王、東方の降三世明王、西方の大威徳明王、南方の軍荼利明王、北方の金剛夜叉明王 の五尊からなる。
■密教世界の中心を四角で守護する、外敵を睥睨する四天王は、東方の持国天、西方の広目天、南方の増長天、北方の多聞天の四尊からなる。古代インドの創造主ブラフマン梵天と戦闘の神インドラ帝釈天を加えた六尊で天(神)部が構成されている。
講堂は空海が高野山で入定の年、承和二年(835)に完成。文明十八年(1486)の土一揆で焼失。延徳三年(1491)創建時の基壇の上に再建された。火災と京都地震で6体の仏像を失った。
★参考文献
正木晃『密教』講談社選書メチエ2004
京都国立博物館他編『創建1200年記念 東寺国宝展図録』朝日新聞社1995

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2009年12月28日 (月)

聖地チベット、ポタラ宮と天空の至宝・・・優雅で妖艶な密教美術

34531072_2801044141 枯葉舞う冬の夕暮れ、美術館に行く。標高四千メートルの高地チベット。チベット密教は至高の地に展開した、魂の奥の院である。魂の至高の境地を探求する後期密教経典『カーラチャクラ・タントラ』、その思想を表現する仏像、図像、曼荼羅の華麗な世界である。迷える大衆を仏教に引き入れるため憤怒相を現す仏、人を迷わせる明妃ダーキニー、智慧と慈悲の合一を示す雌雄が抱擁する歓喜仏、仏教の究極の形態の一つがここにある。
■展示作品
「グヒヤサマージャ坐像タンカ」ポタラ宮、15世紀
後期密教経典のうち、最も早い8-9世紀頃に成立した『秘密集会タントラ』(グヒヤサマージャタントラ)の主尊。
「カーラチャクラ父母仏立像」14世紀前半、シャル寺
チベット密教美術の最高傑作。方便である慈悲の象徴である父と、空の智慧(般若)の象徴である母が抱き合う姿は一体となうことで悟りの世界に到達するという教えを象徴する。後期密教における忿怒尊。4つの顔にはそれぞれ3つの眼があり、24本の腕には金剛杵、鈴、斧、弓、索などが見られ、ヴィシュヴァマーター妃と抱き合っている。男性仏と女性仏が一体化して到達する悟りの境地を表現する。
「カーラチャクラマンダラ・タンカ」清代・17−18世紀、ノルブリンカ城
時間と空間を統合した究極のマンダラ世界。中央の意輪の最内部には、主尊カーラチャクラと、明妃のヴィシュヴァマーターが父母仏、周囲の八葉蓮弁には8人の女神が配されている。一番外側の第三重の身密マンダラでは大蓮華が12個描かれ、1年を象徴する。
★チベット密教美術は、インド後期密教の到達点である経典、無上瑜伽タントラ、『秘密集会タントラ』、『ヘーヴァジラ・タントラ』、『カーラチャクラ(時輪)タントラ』の世界を見える形象によって表現する。
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■展示構成
序章 吐蕃王国のチベット統一
7世紀初め、ソンツェンガンポがチベット高原を統一し吐蕃王国を建設。仏教国の唐とネパールから二人の妃を迎えた。
第一章 仏教文化の受容と発展
7世紀末のティソンデツェン王の時代に仏教が吐蕃王国の国教とされると、周辺仏教国から僧侶、仏像、経典がチベットに流入した。
第二章 チベット密教の精華
9世紀中頃ランダルマ王が仏教を廃し、その後暗殺されたのを契機に吐蕃王国は混乱し滅亡。仏教も迫害される。10-11世紀頃からチベットは再び仏教(後期密教)を受け入れる。後期密教では守護、護法の面が際立ち、精巧かつ豪華なチベット密教美術の表現が盛んになる。
第三章 元・明・清との往来
13世紀、蒙古の西蔵進攻に際し、サキャ派の指導者サキャ・パンディタとその甥パクパは侵略を阻止しただけでなく、パクパは仏教界の頂点に立ち、チベットの行政権とモンゴル全体の仏教行政権を獲得した。チベット仏教とモンゴル帝国の緊密な関係が生まれ、チベット様式の文化が元・明・清の各王朝で作られた。
第四章 チベットの暮らし
各地の寺院ではチャム(跳神舞)が行われ、護法や忿怒神の仮面をつけた僧が舞う。医療において究極の目的は煩悩からの解脱にあり、薬師如来が医学を講釈することになる。
■密教史
日本密教は、6-7世紀頃にインドから中国に伝わり、9世紀に空海、最澄によって伝えられた。「中期密教」と呼ばれ、『大日経』に説かれる胎蔵マンダラと『金剛頂経』に概略が説かれる金剛界マンダラを重視した。
これ対して、チベット密教は、8世紀以降にインドからチベットに伝わり、教義が整理された。「後期密教」と呼ばれ、瑜伽タントラ、無上瑜伽タントラと呼ばれる密教経典が流行した。その本尊の多くは、多面多臂で恐ろしい形相をしており、配偶女尊と抱き合う忿怒歓喜仏の姿が多くとられている。主な宗派としてカギュ派、サキャ派、ゲルク派、シチェー派がある。(cf.『聖地チベット』図録、展示資料より)
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★聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝-
上野の森美術館、2009年9月19日(土)-2010年1月11日(月・祝)
公式サイト:http://www.seichi-tibet.jp/

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