印象派

2017年11月 6日 (月)

「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」・・・藝術家と運命の戦い

2017goghandjapan大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第129回
嵐の過ぎ去った午後、枯れ葉が舞う森を歩いて美術館に行く。
ファン・ゴッホにとって、浮世絵は理想郷の異界、理想郷を求めてアルルに旅立った。
1880年代のパリは、ジャポニスム(日本趣味)の最盛期。ファン・ゴッホがパリに出てきた1886年『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号が出版される。ゴッホはこの表紙の英泉の花魁図を模写して『花魁』に描き込む。ゴッホは400枚の浮世絵をもっていた。浮世絵の中の鮮やかな色彩世界を求めて、「フランスにおける日本」南仏へと旅立つ。
藝術家は、運命と戦う。運命とは何か。藝術家は、魂の深淵を覗く。智と愛と血の深淵。
ゴッホは、33歳から37歳に、傑作が描かれる。
ゴッホは、なぜアルル時代からオーヴェール・シュル・オワーズ時代が最盛期なのか。
ゴッホは、なぜ耳を切ったのか。なぜ自殺したのか。ゴッホは、何に苦悩したのか。
藝術家は、魂の深淵を覗く。藝術家は、心に地獄を抱えている。苦悩する魂を救うものは何か。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
ゴッホとアルル
ファン・ゴッホは1888年2月20日の早朝、アルルに着く。列車の車中での気持ちをゴーガンにこう伝える。「この冬、パリからアルルへと向かう旅の途上でおぼえた胸の高鳴りは、今もいきいきと僕の記憶に残っている。「日本にもう着くか、もう着くか」と心おどらせていた。子供みたいに。」

1853年、オランダ南部のフロート・ズンデルトに生まれる。
1869(16歳)、グーピル画廊のハーグ支店に就職する。1876(23歳)グーピル画廊を解雇される。
1878(25歳)、ブリュッセルの伝道師養成学校に仮入学するが正規入学は認められない。
1879(26歳)、ベルギーのボリナージュ炭鉱で伝道活動を行うが、常軌を逸した活動。資格を停止される。
1880(27歳)、画家になる決心を固める。
1886(33歳)1月、アントウェルペンの王立美術アカデミーに入る。
1886年、2月末、突然パリの弟テオのもとにやって来る。ゴッホ、33歳でパリに移住する。印象派の画家と浮世絵に出会う。
1886年5月、『パリ・イリュストレ』日本特集号が出版される。
1887(34歳)、 カフェ「ル・タンブラン」浮世絵展を開く。ビングの店で大量の浮世絵を研究。英泉の《花魁》、広重の《亀戸梅屋舗》《大はしあたけの夕立》を模写。
ゴッホ、35歳でアルルに移住する。10月、「黄色い家」でのゴーガンとの共同生活が始まる。
1888年12月、(35歳)「耳切り事件」。1年2か月アルルに住む。
ゴッホ、36歳でサン・レミの病院に移住する。
1890年(37歳)、ゴッホ、37歳5月、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移る。医師ポール=フェルディナン・ガシェが主治医になる。
7月27日、銃弾を受けて負傷。
7月29日、テオに看取られて永眠。
7月30日、オーヴェール=シュル=オワーズの墓地に埋葬される。
*『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』図録より
――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命の戦い 藝術家と運命の女』
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展示作品の一部
フィンセント・ファン・ゴッホ「花魁(溪斎英泉による)」1887年 油彩・綿布 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
溪斎英泉「雲龍打掛の花魁」1820~1830年代 木版、紙(縦大判錦絵、縦2枚続)千葉市美術館蔵
安藤広重「亀戸梅屋敷」1857
フィンセント・ファン・ゴッホ「寝室」1888年 油彩・カンヴァス ファン・ゴッホ美術館
ゴッホ「雪景色」1888年 油彩・カンヴァス 個人蔵
フィンセント・ファン・ゴッホ「アイリスの咲くアルル風景」1888年 油彩・カンヴァス  ファン・ゴッホ美術館
「夾竹桃と本のある静物」1888年 油彩・カンヴァス メトロポリタン美術館蔵(ジョン・L.・ローブ夫妻寄贈)
「オリーヴ園」1889年 油彩・カンヴァス クレラー=ミュラー美術館蔵
「ポプラ林の中の二人」1890年 油彩・カンヴァス シンシナティ美術館蔵
式場隆三郎『ファン・ゴッホの生涯と精神病』1932
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参考文献
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派編
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
――
★「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」、Van Gogh & Japan、東京都美術館
2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝)
http://www.tobikan.jp/exhibition/2017_goghandjapan.html
東京都美術館、2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月・祝)
京都国立近代美術館、2018年1月20日(土)~3月4日(日)

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2017年8月26日 (土)

藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女

Georges_seurat__un_dimanche_aprsmid大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第124回 ジョルジュ・スーラ
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女
師のいない未知の世界に冒険した藝術家。世界を旅し、旅路で果てた画家。過酷な運命との戦い、貧乏な藝術家たち。世に受け入れられなかった藝術家たち。苦悩のた画家たちは、何と戦い、何に復讐しようとしたのか。
ジョルジュ・スーラは、不朽の絵画『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を構築した。モネは運命の女、カミーユに出逢う。
運命の女。藝術家たちを救う女神は、どこにいるのか。美しい女神が、舞い降りる。
デ・キリコ、ダリ、ポール・デルボー、ルネ・マグリット、ピカソ。
―――
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
―――
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術と運命との戦い』
大久保正雄『藝術家と運命の愛』
よい師に出会うことは人生において重要である。だが、求めて優れた師に出会うことはまれである。どんなに絶望的な状況でも、知性をもって、戦い続けることだ。『旅する哲学者 美への旅』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
―――
ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat, 1859-1891)
ジョルジュ・スーラは、点描画を極め、天才的な才能をあらわしたが、世に認められず。25歳で傑作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884を2年かけて描く。「パリ近郊のセーヌ川の中州で夏の一日を過ごす人々」を描いた。60人以上の人が描かれている。1886年5月、第8回印象派展(最後の印象派展)に出品された。「新印象派」neo-impressionismeという名称は、この作品を見た批評家フェリックス・フェネオンが記事の中で最初に使った。筆触分割と補色対比、点描画法の第一人者。モネに嫉妬された。31歳で死す。秘密主義を貫き、私生活の多くは謎である。病死であるが、死因も不明である。作品は、8点残した。
モネと運命の女、カミーユ
モネは、『印象、日の出』1872を描き、印象派impressionismeの祖と曲解される。
1879年、ヴェトゥイユでカミーユ・モネは32歳の若さで夭折。妻カミーユの死後、富裕な人生を歩む。ジョルジュ・スーラを呪い殺した後、スーラの技法を用いて、画家として成功した。富裕になり贅沢な生活を送った。晩年、若死にしたスーラの呪縛で悩まされたが、富裕な後半生を生きた。
グランド・ジャット島の日曜日の午後 (1884-86)(シカゴ美術館)
アニエールの水浴 (1883-84)(ロンドン、ナショナルギャラリー)
サーカス (1890-91)(オルセー美術館)
ポーズする女(正面)(1886-87)(オルセー美術館)
ポール・アン・ベッサンの外港 (1888)(オルセー美術館)
アンサンブル(サーカスの客寄せ)(1887)(メナード美術館)
Sunday Afternoon on the Island of la Grande Jatte,1884- 1886
Port En Bessin Entrance To The Outer Harbor,1888
Claude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
クロード・モネClaude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
―――
参考文献
ハーヨ・デュヒティング『ジョルジュ・スーラ-1859-1891 点に要約された絵画- 』タッシェン・ジャパン2000
パスカル・ボナフー『ゴッホ―燃え上がる色彩』知の再発見双書
ゴッホ『星月夜』・・・生命の糸杉と天への回帰
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-16aa.html
没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった、国立新美術館
2010年10月1日(金)~12月20日(月)まで
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで、国立新美術館、2013年10月4日(金)~12月23日(月・祝)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-5ed6.html
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-2d7c.html
新印象派―光と色のドラマ、東京都美術館
http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_neoimpressionism.html
ベルギー、奇想の系譜、ザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-09fb.html
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-62f4.html

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2017年8月 1日 (火)

クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死

Monetpromenade_1875Monetterrasseクロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。(大久保正雄『藝術と運命の戦い』)
クロード・モネ(Claude Monet, 1840—1926)。若き日、貧困にあえぐ。愛する女の死と悲しみから藝術が生まれる。
貧乏画家のモネはカミーユと恋に落ち、子供が生まれる。モデルを雇うお金がないモネの描く人物画は、カミーユがモデルを務めている。
モネの妻カミーユ32歳で死す。のちに、支援者の令嬢18歳のシュザンヌ・オシュデで『ひがさの女』を描く。
1859、19歳でパリに行き、カミーユ・ピサロに出会う。
1866年、恋人カミーユ・ドンシューを描く。『カミーユ、緑衣の女』1866,サロンに出展、絶賛される。1867年、カミーユ、未婚のままモネとの間に長男を出産、1870年にようやく結婚した。
1867、モネ『海辺のテラス、サンタドレス』。
1871年、アルジャントゥイユに移る。
モネ『印象 -日の出(Impression, soleil levant)』1872年。1874年、第1回、印象派展に展示。
クロード・モネ『日傘を差す女、 カミーユとジャン・モネ』1875年。
しかし、1875年7月、カミーユは当時不治の病だった結核にかかり、
1879年、カミーユ(1847—79旧姓カミーユ・ドンシュー)は1879年、32歳の若さで死ぬ。モネ、39歳。
以後、人物画を描くことはまれになった。モネはその後1892年に再婚。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
―――
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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モネ『散歩、日傘をさす女』(La promenade, La femme à l'ombrelle)1875年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー
アルジャントゥイユの草原に立ち日傘をさす女性は、当時の妻カミーユ・ドンシュー(カミーユは1879年に死去し、モネはその後1892年に再婚する)。傍らに添う幼児は長男ジャン(当時5歳)をモデルに制作。
モネ『日傘の女』『戸外の人物習作(右向きの日傘の女)』(Essai de figure en plein air, dit Femme à l'ombrelle toumée vers la gauche)1886年、オルセー美術館
『戸外の人物習作(左向きの日傘の女)』(Essai de figure en plein air, dit Femme à l'ombrelle toumée vers la droite)1886年オルセー美術館
印象派の庇護者オシュデ夫妻の三女で、当時18歳のシュザンヌ・オシュデをモデルにジヴェルニー近郊のオルティエ島の土手に立つ人物を描いた。
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★モネ『死の床のカミーユ・モネ』1879
モネ『印象 -日の出(Impression, soleil levant)』1872年, Musée d'Orsay
モネ『海辺のテラス、サンタドレス』Terrasse a Sainte-Adresse,1867, Metropolitan NY
モネ『カミーユ、緑衣の女』1866,サロンに出展、絶賛される。
モネ『庭のカミーユと子供』1875,ボストン美術館
1874年─パリ「第一回印象派展」とその時代、1994年9月20日- 1994年11月27日、国立西洋美術館
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モネ大回顧展、国立新美術館、2007年4月7日―7月2日
新印象派 光と色のドラマ、東京都美術館、2015年1月24日―3月29日
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで、国立新美術館、2013年10月4日(金)~12月23日(月・祝)
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-5ed6.html
没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった、国立新美術館 2010年10月1日(金)~12月20日(月)まで
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-fbc5.html
「オルセー美術館展2010 ─ポスト印象派」国立新美術館、2010年5月26日-8月16日
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/2010-2445.html

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2016年11月22日 (火)

ゴッホ『星月夜』・・・生命の糸杉と天への回帰

Van_gogh_starry_night_1889_2Gogh_harvest_1888地中海の糸杉の丘の上に、神殿が聳える。糸杉の町の夜空に、星が降る。星降る夜、生命は天界へ回帰する。
糸杉は生命の象徴であり、星月夜は天界を意味する。『星月夜』は天界への回帰を意味しているのか。生死の境をさまよった藝術家たち。星空に生命界と宇宙の一体を観じる人。
ハープ協奏曲のように心がうっとりする書物を書くこと。病院の病床で、魂が癒される言葉を書くことが、天に徳を積む仕事である。*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
ゴッホは、1888年、南仏に行ってから、生命の燃焼する絵画を描く。麦畑、花咲く野、カフェテラス、果樹園、跳ね橋。『夜のカフェテラス』、『ラ・クロの収穫』、『種まく人』、『アルルの跳ね橋』。『星月夜』、『糸杉と星のみえる道』に、鮮烈な心象風景が刻まれている。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
宮澤賢治は、ゴッホの糸杉に共感した。宮澤賢治『春と修羅』(mental sketch modified) 1924に、糸杉が現れる。糸杉と星月夜が二人を結びつける。
【天に徳を積む仕事】
天に徳を積む仕事がある。困っている人を助けること。人の心を豊かにすること。世に埋もれている才能を光ある場所に送り出すこと。これは小人にはできない、天人の仕事である。*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
【人間性】いかに高級な藝術、料理を楽しんでも人間性は高くならない。人を高めるのは困っている人を助けること。人の心を癒すこと、豊かにすることである。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
【夭折した藝術家】
「たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。」ゴッホの言葉
「愛は永久不滅だ。姿形を変えることはあるが、本質は決して変わらない。」ゴッホ
「輝く天の仕事もするだろう」宮澤賢治『春と修羅第二集』
ゴッホ(1853-1890)は、27歳から37歳まで、数万点の絵を描いたが、1枚しか売れず。1888年アルルに住み、鮮烈な絵を描き始める。37歳で死ぬ。
宮澤賢治(1896—1933)は、28歳の時『春と修羅』『注文の多い料理店』を出す。37歳で病死する。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より「宮澤賢治 輝く天の仕事 美への旅」
https://t.co/MCQLkf9YVW
―――――
ゴッホ(Vincent van Gogh1853-1890)は、1877年、画家になることを決意した。1886年、ファン・ゴッホはパリに出る。印象派の輝く色彩と新印象派の点描技法に強い影響をうけ、第8回印象派展に参加した。1888年2月末、ファン・ゴッホはパリの喧騒を離れ、南仏アルルに移り住む。南仏の強い光のもと傑作の数々を生み出す。ゴッホの人生は、1988—90に凝縮されている。
★ゴッホ『夜のカフェテラス』1888、『ラ・クロの収穫』1888、『種まく人』1888、『アルルの跳ね橋』、『ひまわり』、『黄色い家』1888、『星月夜』1889、『糸杉と星のみえる道』1890、『夕暮れの風景』1890、『ドービニーの庭』1890、『オーヴェールの教会』『からすのいる麦畑』1890
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「夜空の星をみているといつも夢見心地になるが、それは地図の上で町や村を表す黒い点を見てあれこれと夢想することに近い。何故、夜空に輝く点にはフランス地図の上の点のように近づくことができないのか不思議に思う ~中略~ 僕らは死によって星へと到達するのだ」http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh.html
―――――
19世紀パリの画家
マネ、ドガ、パリのブルジョワ絵画、1860年、パリの銀行家
Manet, Degas,
印象派、1874年
モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ピサロ、シスレー
Monet, Renoir, Cezanne, Degas, Camille Pissarro, Sisley
新印象主義、1886以後
ジョルジュ・スーラ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン
Georges Seurat, Cezanne,Gogh,Gauguin
ジョルジュ・スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884
Georges Seurat, 1859-1891、31歳で死す。
Vincent Van Gogh.1853-1891 37歳で死す。
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ゴッホとゴーギャン展、東京都美術館、2016.10.8(土)~12.18(日)
ゴッホ展、孤高の画家の原風景、東京国立近代美術館、2005.3.23-5.22
印象派を超えて、点描の画家たち、国立新美術館、2013.104~12.23
没後120年「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」国立新美術館 2010年10月1日~12月20日
「新印象派、光と色のドラマ」、東京都美術館、2015.1.24-3.29
★ゴッホ『星月夜』1889, Metropolitan Museum, New York
★ゴッホ『ラ・クロの収穫』1888

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2013年11月10日 (日)

印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで・・・枯葉舞う秋の夕暮れ

201310041枯葉舞う秋の午後、美術館に行く。モネ「サン・ジェルマンの森の中で」アルフレッド・シスレー「舟遊び」をみると、柔らかな光に包まれる。枯葉舞う秋の午後、春のうららかな静謐な光は、印象派の世界を思い起こす。
象徴主義の詩人ボードレールは、夕暮れを愛した。
時こそ今は水枝さす、こぬれに花の顫ふころ、花は薫じて追風に、不断の香の爐に似たり。匂も音も夕空に、ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ。「薄暮の曲」シャルル・ボードレール上田敏『海潮音』
光の画家、モネ『印象 -日の出Impression, soleil levant』(1872マルモッタン美術館)は、イギリス・ロマン主義の風景画家ウィリアム・ターナー『ノラム城、日の出Norham Castle, Sunrise』(1840)に強い影響を受けて生まれた。『散歩、日傘を差す女La promenade, La femme à l'ombrelle』(1875ワシントン・ナショナル・ギャラリー) には、アルジャントゥイユ、亡くなったカミーユ(モネ夫人)の面影が刻まれている。
分割主義(Divisinism)を確立したジョルジョ・スーラ(Georges Seurat)『グランド・ジャッド島の日曜日の午後』(1886)は、色彩分割の最高傑作である。夏の強い日差しが、淡い光に溶けて春のようである。新印象派(neo-impressionism)と呼ばれる。最後の印象派展第8回に出展された。スーラ(1859-1891)は、31歳の若さで亡くなった。「ポール・アン・ベッサンの外港」(1888)を残した。
この展覧会のテーマは、色彩の分割主義の展開である。「印象派の筆触分割と視覚混合から、新印象派のスーラの分割主義、新印象派の影響を受けたゴッホの補色関係の色彩構築、モンドリアンの三原色に分割された宇宙的な調和に満ちた抽象絵画へ」。
印象派(Impressionisme)の展開は、遠近法の解体、色彩の独立、抽象画へ、絵画の解体の歴史である。

展示作品
Ⅰ 印象派の筆触
モネ・シスレー・ピサロ、印象派において「筆触分割」と「視覚混合」が、点描によって試みられた。
クロード・モネ「サン・ジェルマンの森の中で」1882
アルフレッド・シスレー「舟遊び」
アルフレッド・シスレー「森のはずれ 6月」1884
アルフレッド・シスレー「モレのポプラ並木」
カミーユ・ピサロ「エラニーの教会と農園」
Ⅱ スーラとシニャック―分割主義の誕生と展開 The Origin and Development of Divisinism
ジョルジョ・スーラ「入り江の一角、オンフルール港」1886
ジョルジョ・スーラ「ポール・アンベッサンの日曜日」1888
ジョルジョ・スーラ「若い女」=「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」のための習作1884-85、コンテ・クレヨンによる素描
ポール・シニャック「マルセイユ港の入り口」1898
マクシミリアン・リュス「パリ、モンマルトルからの眺め」1887
モーリス・ドニ「病院での夕暮れの祈り」1890
Ⅲ ゴッホと分割主義
ゴッホは、糸巻を使って、補色関係を研究して、色彩を配色した。ゴッホは、ブラン「色環図」を参照した。
フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」1887
フィンセント・ファン・ゴッホ「種まく人」1888
フィンセント・ファン・ゴッホ「レストランの内部」1887
フィンセント・ファン・ゴッホ「麦束のある月の出の風景」1887
Ⅳ ベルギーとオランダの分割主義
レイセルベルヘの作品が美しい。
テオ・ファン・レイセルベルヘ「満潮のペール=キリディ」1889
テオ・ファン・レイセルベルヘ「7月の朝、果樹園に集う家族」1890
テオ・ファン・レイセルベルヘ「読書する女」1900
Ⅴ.モンドリアン―究極の帰結
ピート・モンドリアン「赤と黄と青のあるコンポジション」1927年クレラー=ミュラー美術館
――――――――――
 19世紀末から20世紀前半のヨーロッパ絵画において色彩は、外界の事物を再現するという役割から次第に解放され、ひとつの表現として自立していきます。色彩の独立は、印象派の筆触分割に、その萌芽を見出すことができます。新印象派の代表的な画家であるスーラは、印象派の感覚的な筆触分割には飽きたらず、科学的な知識をもとに独自の点描技法を開拓しました。色彩を純色の小さな点に分解して描く分割主義は、フランスを超えてヨーロッパ各地に瞬く間に広がります。そして、シニャックによる理論化にも後押しされて、抽象絵画の創設にも大きく貢献しました。オランダからパリに出たゴッホは、新印象派の技法に大きな着想を得て色彩を探求し、やはり点描を通過したモンドリアンは後年、三原色に分割された宇宙的な調和に満ちた抽象絵画へと到達したのです。
 本展は、ゴッホの優れたコレクションで知られるオランダのクレラー=ミュラー美術館の特別協力のもと、スーラ、ゴッホ、モンドリアンを中心にした、フランス、オランダ、ベルギーの画家たちによる色彩の探求を検証するものです。国内の所蔵機関の協力も得て一堂に展示される、油彩画、水彩画、素描、約90点にも及ぶ珠玉の作品を通じ、絵画の真髄ともいえる色彩の輝きを新たな目で捉えなおします。
http://km2013.jp/
――――――――――
■印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで
クレラー=ミュラー美術館所蔵作品を中心に
2013年10月4日(金)~12月23日(月・祝)
国立新美術館 企画展示室1E
http://km2013.jp/highlight.html
Divisinismプレスリリース:http://km2013.jp/image/pressrelease.pdf
★「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」(Georges Seurat,Un dimanche après-midi à l'Île de la Grande Jatte,The Art Institute of Chicago,1886)
Georges_seurat

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2010年12月21日 (火)

カミーユ・ピサロ『虹』・・・移ろいゆく光の美

Camille_pissarro_the_rainbow_1877_0 展示室の片隅で、カミーユ・ピサロ『虹』に魅きつけられた。移ろいゆく光と影の美、はかなく一瞬に消えて行く虹。光の粒と影、滅び行く陽光の美しさ。印象派の画家たちが追求した主題である。ゴッホ展(国立新美術館2010)で、片隅にこの絵が展示されていて目に止まった。これはピサロが17年間住んだポントワーズの風景であろうか。競争社会の果て、田園の優雅を感じる。
『虹』をみて、ヨーロッパの美術館の数々の絵を思い出した。ジャン・フランソワ・ミレー『虹』。春の嵐、去りゆく暗雲、雨が上がって虹が空に架かり西から日が射し東は陰る。バルビゾンの春の夕暮れ、移ろいやすい瞬間。
ヴェネツィアのアカデミア美術館でみたジョルジョーネ『嵐』。『虹』の消えゆく光、その源流には、カラヴァッジオ『果物籠』の虚しさ(vanitas)があると思われる。
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カミーユ・ピサロ『虹』(Camille Pissarro, The Rainbow, 1877Kröller-Müller Museum, Otterlo,Netherlands)
ピーテル・パウル・ルーベンス『虹のある風景』(Peter Paul Rubens, Landscape with a Rainbow, 1630-1635,State Hermitage Museum, St. Petersburg)
ジョルジョーネ『嵐』(Giorgione, Tempesta, 1505-1507, 82×73cm Gallerie dell'Accademia, Venezia)
ジャン・フランソワ・ミレー『虹』(春)(Jean-Francois Millet, Le Printemps (Spring),1868-1873 Musée d'Orsay)
★画像は、カミーユ・ピサロ『虹』、ジャン・フランソワ・ミレー『虹』(春)
■没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった
国立新美術館 2010年10月1日(金)~12月20日(月)
九州国立博物館 2011年1月1日(土・祝)[元日]~2月13日(日)
名古屋市美術館 2011年2月22日(火)~4月10日(日)
http://www.gogh-ten.jp/index.html
Millet_springatbarbizon_jeanfrancoi

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2010年12月 4日 (土)

ドガ「エトワール」・・・瞬間の美の中の永遠

Degas2010 秋の夕暮れ横浜に行くと、港から潮風が吹いてくる。10月8日金曜日ナイトミュージアム。内山淳子学芸員のギャラリーツアーをきく。
「踊り子の画家」と呼ばれるドガは、一瞬の動きのなかに美を追求した。
ドガ(Edgar Degas:1834-1917)は、1855年、エコール・デ・ボザールでアングル派の画家ルイ・ラモートに師事した。精密なデッサンの線の技法で新古典主義の油彩から出発した。1856年、1858年にはイタリアを訪れ、古典美術を研究。1862年以後、モネの影響を受け印象派の手法を身につけてる。1870年36才の時に目の異常に気づく。視力が衰え始め、視力の衰えに応じて、素材、絵画技法を変えて行く。衰えて行く肉体のように、儚い一瞬の動きをとどめるために、滅びやすいパステルを用いて「エトワールEtoire」(1876-77)を紙の上に画いた。彼の肉体が滅び行くにつれて、藝術は変容を始める。
「バレエの踊り子」と「浴女」を題材にした作品が多い。女たちの滅びゆく一瞬の動作を永遠にとどめる素描力に卓越している。
■主要展示作品
「バレエの授業」(1873-76)
「エトワール」(1876-77)
「緑の部屋の踊り子たち」
「浴盤 湯浴みする女」
「身体を拭く裸婦」
「舞台の袖の踊り子」
「マネとマネ夫人像」
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冷静さと機知をあわせ持ち、客観的な視点で近代都市パリの情景を描き残したエドガー・ドガ(1834-1917)。
ドガは、印象派展に第1回から出品し、そのグループの中心的な存在でした。しかし、屋外で光と色彩に満ちた風景画を描いた多くの印象派の画家たちとは異なり、主にアトリエの中で制作し、踊り子や馬の一瞬の動きや都市の人工的な光をテーマとして、知的で詩情あふれる世界を築きました。油彩の他、パステル、版画、彫刻など様々な技法を研究し新しい表現を試みると同時に、日本美術や写真など、当時紹介されたばかりの美術の要素を取り入れ、近代絵画の可能性を大きく切り開いた画家といえるでしょう。
このたび、オルセー美術館の全面的な協力を得て、国内では21年ぶりとなるドガの回顧展が実現することとなりました。オルセー美術館所蔵のドガの名品45点に、国内外のコレクションから選りすぐった貴重な作品を加え、初期から晩年にわたる約120点を展観いたします。生涯を通じ新たな芸術の可能性に挑戦しつづけた画家ドガの、尽きぬ魅力を堪能できる展覧会です。
■ドガ展、横浜美術館、2010年9月18日から12月31日
http://www.degas2010.com/

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2010年11月22日 (月)

ゴッホ・・・滅びゆく儚い花

2010100101 錦繍の秋の夕暮れ、美術館に行く。
ゴッホは、27才で絵を描き始め、37才で亡くなる。僅か10年の短命な画家。夭折した画家、孤独死した画家の系譜の一人である。ラファエッロも37才で死んだ。
1880年に画家となる決心をしてブリュッセルでデッサンの勉強を始める。パリ時代(1886-1888)に印象派、モネの影響を受けて独自の藝術に目覚め、アルル時代(1888-1890)に開花した。アルル時代とオーベールの最後の70日、この凝縮した2年間に結実して果てた。アルル時代1年3か月が頂点である。アルルの色彩の鮮明、うねる糸杉の生命、枯れた向日葵、黄色の小麦畑、この時代に彼の藝術は凝縮されている。短くも激しく燃えた画家。最晩年の「アイリス」1890、枯れつつある花に画家自身の生命の燃焼と儚い美しさがある。
少年時代、14歳の時、ゴッホ「星月夜」「アルルの跳ね橋」「夜のカフェテラス」「麦畑」、糸杉とアルルの風景が好きだった。最晩年の作品では「烏の群れ飛ぶ麦畑」が好みだった。

ゴッホがアルルに行った理由は何か。
テオ宛の手紙でこう書いている。
「南仏に滞在したいわけは、次の通りである。日本の絵が大好きで、その影響を受けたのは印象派画家すべてに共通なのに、誰も日本へ行こうとはしない-つまり、日本に似ている南仏に」(J・V・ゴッホ-ボンゲル編、硲伊之助訳『ゴッホの手紙』より
■展示作品
ゴッホ「種を播く人」1881 ミレー「種播く人」のモチーフの影響がある。
「ひばりの飛び立つ麦畑」1887
「灰色のフェルト帽の自画像」1887
「糸杉に囲まれた果樹園」1888
「緑の葡萄畑」1888
「サン・レミの修道院の庭」1889
「アイリス」1890、黄色と紫、補色を対比する手法をドラクロワから学んだ。
カミーユ・ピサロ「虹」1877
クロード・モネ「ヴェトゥイユ」
アルフレッド・シスレー「モレのポプラ並木」
ジョルジュ・スーラ「オンフルールの港の入口」
*ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi:1483年4月6日 - 1520年4月6日)
*フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh:1853年3月30日 - 1890年7月29日)
■没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった
オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という2 大コレクションの全面協力のもと、約120点の作品によってファン・ゴッホ芸術の誕生の謎に迫ります。
国立新美術館 2010年10月1日(金)~12月20日(月)まで
九州国立博物館 2011年1月1日(土・祝)[元日]~2月13日(日)
名古屋市美術館 2011年2月22日(火)~4月10日(日)
http://www.gogh-ten.jp/index.html
20101001001

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2010年7月14日 (水)

オルセー美術館展2010 ―ポスト印象派・・・可視界の光

2010052601 五月の夕暮れ、美術館に行く。夕暮れの美術館は人影まばらで、絵画と対話する時、静寂に包まれる。
ポスト印象派と名づけられる、1880年以後の画家たちの美術展。見える世界を表現する絵画である。*
唯一、例外は、象徴派のギュスターヴ・モロー「オルフェウス」、古典研究にもとづく緻密な幻想世界、みえる世界を超えた、精神の悲しみを現している。
七枚の絵画は、何度も見る価値がある。必見。
クロード・モネ「日傘の女」1886年油彩・カンヴァス
クロード・モネ「ボルディゲラの別荘」1884年油彩・カンヴァス
ジョルジュ・スーラ「ポール=タン=ベッサンの外港、満潮」1888年
エドガー・ドガ「階段を上がる踊り子」1886-90 油彩・カンヴァス
フィンセント・ファン・ゴッホ「星降る夜」1888年 油彩・カンヴァス
ギュスターヴ・モロー「オルフェウス」1865年 油彩・板
アンリ・ルソー「蛇使いの女」1907年
*印象派(Impressionnisme):1874年、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、モリゾ、ギヨマン、シスレーらが私的に開催した展示会は後に第1回印象派展と呼ばれた。モネ「印象、日の出(Impression, soleil levant)」が語源。
■展示構成
第1章 1886年-最後の印象派
ドガ、モネ、シスレー、ピサロ「ルーアンのボワルデュー橋、夕日、靄のかかった天気」
第2章 スーラと新印象主義
スーラ、シニャック
第3章 セザンヌとセザンヌ主義
セザンヌ「サン・ヴィクトワール山」、モーリス・ドニ「セザンヌ礼讃」1900年
第4章 トゥールーズ=ロートレック
第5章 ゴッホとゴーギャン
ゴッホ「星降る夜」1888年、ゴーギャン「タヒチの女たち」
第6章 ポン=タヴェン派
ベルナール、ポール・セリュジェ、ジョルジュ・ラコンプ
第7章 ナビ派
セリュジェ「護符(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川」1888年、ボナール「格子柄のブラウス」1892、ヴァロットン「ボール」1899年
第8章 内面への眼差し
ナビ派と象徴主義
ギュスタヴ・モロー「オルフェウス」1865年
第9章 アンリ・ルソー
ルソー「戦争」1894年、ルソー「蛇使いの女」1907年
第10章 装飾の勝利
ヴュイヤール「公園 子守、会話、赤い日傘」1894年
―――――――
空前絶後の世界巡回展「これらの絵画がまとめてフランスを離れることは2度とない」
ニコラ・サルコジ フランス共和国大統領
「計画当初には、このように値段のつけられない作品による展覧会を世界巡回させることに懸念もあったが、オルセー美術館が誇る100のマスターピースで展覧会を開催したかった」
ギ・コジュヴァル オルセー美術館館長
「この展覧会は、オーストラリアにおいて空前絶後の出来事である」
ケビン・ラッド オーストラリア連邦首相
■過去最大規模&オルセー美術館展の集大成モネ5点、セザンヌ8点、ゴッホ7点、ゴーギャン9点、ルソー2点をはじめとする絵画115点が、オルセー美術館からごっそり来日。過去に日本で開催されたオルセー美術館展の目玉作品として紹介されてきた作品もずらりと並ぶ、まさに「ベスト・オブ・オルセー」展!
約半数の作品が初来日!モネ《ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光》、セザンヌ《台所のテーブル(篭のある静物)》、ゴッホの《自画像》、ルソーの《蛇使いの女》をはじめ、オルセー美術館から初来日する作品は約60点。本展出品作品の半分以上におよびます。
■ポスト印象派とは
1880年代半ばのフランスでは、印象派の圧倒的な影響を受けた多くの才能が、さらに革新的な表現を探究し、多様な絵画芸術が花開きました。1910年、イギリスの批評家ロジャー・フライは、印象派とは一線を画す傾向を察知し、「マネとポスト印象派」と題した展覧会を組織します。ここに出展されたのが、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラといった画家たちでした。以後、ポスト印象派は、確かな形態描写、堅固な構図、鮮やかな色彩、観念的なものへの志向など、印象派の関心の外にあった傾向を復権し、20世紀初頭の前衛美術の登場を促した動向と位置づけられてきました。
しかし、ポスト印象派は、画家によって画風が大きく異なることから分かるように、何らかのグループでもなく、特定の手法や理論を掲げた運動でもありません。ポスト印象派に含まれる画家たちは、印象派への対抗という一面的な理解では捉えきれない、多様な個性を備えているのです。本展覧会でご紹介するように、その革新的な成果は、世紀末パリに花開いた芸術的、文化的諸相と複雑に絡み合っています。
ちなみに我が国では、「後期印象派」という呼称が長く使われてきました。しかしこの用語は、印象派の後半期を示すかのような誤解を招く恐れがあり、近年では「ポスト印象派」が定着しつつあります。 公式HPより
―――――――
■「オルセー美術館展2010 ─ポスト印象派」
国立新美術館、2010年5月26日-8月16日
http://orsay.exhn.jp/

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