仏教

2017年9月29日 (金)

「運慶」 東京国立博物館・・・魂の深淵

Unkei2017_2大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第126回
秋の午後、銀杏の森を歩いて博物館に行く。運慶の全作品31点のうち22点が勢揃いする。
運慶の魂の深淵にあるものは何か。魂は何に葛藤したのか。20代の運慶が作った「大日如来」と、40代の運慶が作った「大日如来」との間にある時間は何を意味するのか。
「金剛力士像 阿吽、東大寺南大門」制作に挑む運慶は、怪物に挑む者のようだ。
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが深淵を覗くならば、深淵もまたおまえを見返すのだ。(『善悪の彼岸』146節)
平安後期の定朝様式、平等院鳳凰堂、阿弥陀如来。これに革命をもたらしたのが奈良仏師、康慶・運慶親子による慶派。玉眼を入れる写実的でリアリティある造形、筋肉描写が力強く衣の襞の彫りが深い。運慶の最初の作品は、「大日如来坐像」(圓城寺1176)。十一か月かけて一人で製作した。
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「大日如来坐像」(光得寺)、光背の太陽光線、雲に乗る菩薩、蓮華座の4頭の獅子、蓮弁の水の滴り。運慶「大日如来」(光得寺)、鑁阿寺より伝来。1196年(建久7年)。足利義兼が制作依頼した像で、義兼が自ら背負って諸国を歩いたとされる。
運慶は、建久八年(1197)、東寺講堂(839)の立体曼荼羅の二十一体を修復した。このとき、三百年前の奈良仏師の息づかいに触れ、弘仁貞観の密教仏から学んだ。東寺の立体曼荼羅は、雲に乗る36躯体の菩薩、蓮華座の8頭の獅子、中心に大日如来、「金剛界曼荼羅」成身会を表している。
「毘沙門天立像」(願成就院蔵)鎌倉時代・文治2年(1186)を作ったころから、運慶の作風は研ぎ澄まされた。 
運慶の刻印として仏像の内側に納められている「像内納入品」、「五輪塔」、「心月輪」は何を意味するのか。
興福寺北円堂の無著・世親菩薩立像(1212年)は、日本彫刻史上の最高傑作といわれる。
【興福寺四天王の謎】南円堂の四天王立像(13世紀)と、運慶作、北円堂の無著・世親像(1212)が、いずれも芯のある木材を組み合わせ、元は北円堂に在ったものか。
★「四天王」は大乗仏教に於いて、世界の中心たる須弥山の頂上に住む神々の王、帝釈天に仕える四柱の神。 持国天(東) 増長天(南) 広目天(西) 多聞天(北)。仏法を護る。
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平重衡による南都焼討1180年、興福寺が全焼、東大寺は主要伽藍が焼け落ちる。平家、壇ノ浦にて滅亡1185年。承久の変1221年、北条義時が後鳥羽上皇を破る。激動の嵐のなかで、運慶は何を考えたのか。
藤原定家、妖艶の極致を示す御室五十首の歌は、建久七年の政変(1196年11月)の無慚の世の不遇の中で詠まれた。 
春の夜のゆめのうき橋とだえして峰にわかるる横雲のそら 新古今三八
藤原定家、御室五十首は、憂愁と妖艶の極致である。

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美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女』
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アレクサンドロス大王の東征によって、ガンダーラ彫刻が生まれ、南北朝の北魏様式、飛鳥白鳳の彫刻に辿りついた。
飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、弘仁貞観文化、国風文化、彫刻史を顧みると、思い出す。
法隆寺夢殿救世観音菩薩像、薬師寺金堂薬師三尊像、東大寺法華堂、不空検索観音、日光月光菩薩像、東寺講堂立体曼荼羅、仁王経曼荼羅の二十一体の仏像。平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像。
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運慶(生年不詳 1150- 貞応2年12月11日(1224年1月3日))73歳で亡くなる。
定朝の流派は、3つに分かれる。院派、円派、奈良仏師。慶派は、定朝の孫弟子、頼助から始まる奈良仏師の流派である。慶派の祖、康慶の子、運慶。
運慶の父・康慶、運慶の実子・湛慶、康弁ら親子3代が慶派の盛期である。
【金剛力士像】1180年、平重衡による「南都焼打」があり、東大寺興福寺は消失。「東大寺南大門、金剛力士像 阿吽」は1203年に再建、慶派の仏師29人で、2ヶ月で完成された。
運慶・快慶「東大寺南大門、金剛力士像 阿吽」1203。高さ8.4メートルの仁王。血管が浮き出した「阿形像」と筋肉の盛り上がる「吽形像」は宇宙の始めと終わりを表している。
湛慶「蓮華王院、千眼千手菩薩像」、これらは、慶派の頂点である。
「四天王立像」(興福寺南円堂)は、運慶の父・康慶の作とされてきたが、運慶作と判明している興福寺北円堂の無著・世親陵菩薩立像などと同じ桂材製であることから、運慶作の可能性がある。
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展示作品の一部
国宝 大日如来坐像、 運慶作、平安時代・安元2年(1176)、円成寺蔵
重要文化財 仏頭、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、興福寺蔵
国宝 運慶願経(法華経巻第八)、平安時代・寿永2年(1183)
国宝 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治2年(1186)、静岡・願成就院蔵
国宝 八大童子立像のうち恵光童子・制多伽童子、運慶作、鎌倉時代・建久8年(1197)頃、和歌山・金剛峯寺蔵
重要文化財 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像、重要文化財 不動明王立像、重要文化財 毘沙門天立像、運慶作、鎌倉時代・文治5年(1189)、神奈川・浄楽寺蔵
国宝 無著菩薩立像・世親菩薩立像、運慶作、鎌倉時代・建暦2年(1212)頃、興福寺蔵
重要文化財 聖観音菩薩立像、運慶・湛慶作、鎌倉時代・正治3年(1201)頃、愛知・瀧山寺蔵
重要文化財 十二神将立像、京都・浄瑠璃寺伝来、鎌倉時代・13世紀
静嘉堂文庫美術館蔵(子神・丑神・寅神・卯神・午神・酉神・亥神)
東京国立博物館蔵(辰神・巳神・未神・申神・戌神)
国宝 天燈鬼立像・龍燈鬼立像、康弁作(龍燈鬼立像)、鎌倉時代・建保3年(1215)、興福寺蔵
大日如来坐像  1軀 鎌倉時代・12~13世紀 栃木・光得寺
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★ 特別展「運慶」 東京国立博物館、 平成館 特別展示室
2017年9月26日(火) ~ 2017年11月26日(日)
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運慶の生年は不明ですが、息子・湛慶が承安3年(1173)生まれであること、処女作と見られる円成寺の大日如来坐像(国宝)を安元元年(1175)に着手していることから、おおよそ1150年頃と考えられます。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝から仏師集団は三つの系統に分かれましたが、運慶の父・康慶は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属していました。院派、円派の保守的な作風に対して、奈良仏師は新たな造形を開発しようとする気概があったようです。ここでは、運慶の父あるいはその師匠の造った像と、若き運慶の作品を展示し、運慶独自の造形がどのように生まれたのか、その源流をたどる。東京国立博物館
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861

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2017年7月18日 (火)

「タイ、仏の国の輝き」東京国立博物館・・・暁の寺、唯識の幻

20170704夏の深緑の森を歩いて、博物館に行く。ナーガ上の仏陀坐像、熱帯の森の沈黙。バンコクの暁の寺(Wat Arun)の幻想が蘇る。
永遠を旅する哲学者は、時を超え、黄昏の丘を超えて、美へ旅する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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高校時代の読書、三島由紀夫『暁の寺』(1970)を思い出す。第一部の時代は1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)まで。本多繁邦は、バンコクで7歳の王女・月光姫と出会う。月光姫は主人公を見ると懐かしがる。黙って死んだお詫びがしたいと言う。仏教の輪廻転生、唯識の世界に足を踏み入れ、戦争中、宗教書を読みあさり研究に没頭する主人公の憂愁。
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ナーガ上の仏陀坐像、火焔飾りの黄金の仏陀像、仏陀遊行像をみると詩を思い出す。
思想は一つの意匠であるか 鬱蒼としげつた森林の樹木のかげで. ひとつの思想を歩ませながら. 佛は蒼明の自然を感じた. どんな瞑想をもいきいきとさせ. どんな涅槃(ねはん)にも溶け入るやうな. そんな美しい月夜をみた。「思想は一つの意匠であるか」佛は月影を踏み行きながら かれのやさしい心にたづねた。*萩原朔太郎「思想は一つの意匠であるか」
上座部仏教(Theravada Buddhism)の国タイ。タイ族前史の古代国家、タイ黎明期のスコータイ朝、国際交易国家アユタヤー朝、現王朝のラタナコーシン朝における仏教美術の名品。
仏教の原始教団は、多くの部派に分裂し、部派仏教がうまれた。その中で、最も厳格に戒律を守り、伝統を継承しようとした保守派を上座部という。上座(thera)とは教団内の指導的な長老を意味する。
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展示作品の一部
「ナーガ上の仏陀坐像」スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来
シュリーヴィジャヤ様式 12世紀末~13世紀、バンコク国立博物館蔵
「法輪」スパンブリー県ウートーン遺跡第11号仏塔跡出土、ドヴァーラヴァティー時代 7世紀、ウートーン国立博物館蔵
「仏陀坐像」スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来、スコータイ時代 15世紀、サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
「仏陀遊行像」スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来
スコータイ時代 14 ~15世紀、サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
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識体の転変
第八識、阿頼耶識は、大円鏡智に転じる。
第七識、末那識は、平等性智に転じる。
★転識得智 9識は、金剛頂経の説く瞑想法(五相成身観)によって各々五智に転じる。
大日如来の知恵 五智如来の知恵
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-0e2c.html
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★タイ、仏の国の輝き、東京国立博物館
2017年7月4日(火) ~ 8月27日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1848

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2016年11月 7日 (月)

禅-心とかたち、東京国立博物館・・・不立文字

Sesshu_ekadanpi_15c秋の森を歩いて、博物館に行く。禅の美は、無の美である。龍安寺の石庭の枯山水。雪舟「秋冬山水図」「慧可断臂図」「山水長巻」を思い出す。
落花は意ありて流水に随い、流水は心なくして落花を送る。禅の言葉には「不立文字」「以心伝心」「八風吹不動」「一期一会」「無」がある。心を以って心を伝える。伝えられる心とは何か。『無門関』『涅槃経』『碧巌録』『臨済録』、無の思想の源泉は何か。
禅の言語活動は、問答という形をとって展開するが、問答形式では禅の無意味性がむき出しになる。ある僧が趙州禅師に問うた。「如何なるか是れ祖師西来の意」。趙州答えて曰く「庭前の柏樹子」。(井筒俊彦「禅における言語的意味の問題」『意識と本質』)
禅の思想は「不立文字」、「言無展事」である(洞山守初)。言語は存在をあますところなく提示することができない。(井筒俊彦「禅における言語的意味の問題」『意識と本質』)ここから、禅は言語不信の迷路を迷走する。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿。美しい魂は、光輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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仏教の修業は、戒定慧、その一つ禅定。六波羅蜜における布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智は、菩薩行である。達磨が印度から中国に伝来し、唐時代、臨済義玄によって広げられ、鎌倉時代、日本に伝来した。禅は、禅定、精神統一の教えである。密教の身密、口密、意密の一つ。
戦国時代、武将たちは、臨済宗の僧に知恵を求めた。織田信長は比叡山延暦寺焼討を行ったが、信長の名は、僧沢彦宗恩による。信長「天下布武」は臨済宗妙心寺派の僧沢彦宗恩の教示による。旧制度、公家寺家の利権を破壊することが目的である。策彦周良は、禅と中国文化を教えた。南化玄興は、「山を安土と名づくは、太平の兆し」と述べた。北条早雲には以天宗清、武田信玄には快川紹喜、徳川家康には以心崇伝、禅僧のブレーンがいた。
雪舟
禅宗、臨済宗ゆかりの藝術家には、雪舟、若冲がいる。雪舟は至高の画家と呼ばれ、若冲は奇想の画家と呼ばれる。雪舟は、臨済宗、宝福寺で出家した。和尚に柱に縛りつけられる。雪舟は、涙を足でこすって鼠の絵をかいた。(狩野山雪、永納『本朝画史』)
雪舟の真筆は、23件36点。山下裕二(逸脱の画聖、ほんとうの雪舟へ『芸術新潮』2002、3)
雪舟(応永27年(1420年)-永正3年8月8日(1506年))、室町時代に活動した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱は「等楊」と称した。備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防に移る。その後、遣明船に同乗して中国(明)に渡り、李在より中国の画法を学んだ。
代表作、「四季山水図(山水長巻)」1486「秋冬山水図」「天橋立図」「破墨山水図」1495「慧可断臂図」15世紀。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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■展示作品
「慧可断臂図」雪舟等楊筆 室町時代 明応5年(1496)愛知・齊年寺蔵
坐禅をする達磨に向かい、神光(のちの慧可)という僧が弟子となるべく己の左腕を切り落とす場面。画面全体を覆い尽くす重々しい岩壁と、刻まれたレリーフの如く微動だにしない両者の姿。異様な静寂が緊張感を生み出し、隔絶した雰囲気。雪舟77歳の大作。
「臨済義玄像」一休宗純賛 伝曾我蛇足筆 室町時代 15世紀 京都・真珠庵蔵
臨済宗の宗祖、臨済義玄(?-867)は、棒や喝を用いる峻烈な家風、「臨済将軍」とも評される。この臨済像は、通常の禅僧肖像画の穏やかな表情と異なり、怒るように眉間に皴を寄せ、眼を剝いている。口を開いて一喝し、拳でこちらの胸を突く雰囲気。顔や手の表現により、臨済禅の激しい家風が示されている。
「織田信長像」狩野永徳筆 安土桃山時代 天正12年(1584)京都・大徳寺蔵
足利義昭から許された桐紋と織田家の木瓜紋を配した肩衣袴姿に脇差をさし、扇子を握って上畳に座る信長の肖像。細面に切れ長の目、眉間の皺が意志の強さと神経質な性格をあらわす。信長の葬儀が行われた大徳寺塔頭総見院に伝来し、信長と豊臣秀吉の寵愛を受けた狩野永徳が、信長の三回忌法要のために描いたと考えられる。本図の下に別の信長像が描かれていたことが確認され、何らかの理由で描き直された姿で完成された。
「十八羅漢坐像の羅怙羅尊者」范道生作 江戸時代 寛文4年(1664)京都・萬福寺蔵
羅漢(阿羅漢)はアルハットを音写した、釈尊の弟子のなかで、その教えをよく理解した優れた修行者。その一人の羅怙羅尊者は、釈尊の実子。顔が醜かったとも伝えられる羅怙羅だが、心には仏が宿っていることを自分の胸を開いてみせる。本像は、中国人仏師・范道生の作。黄檗宗を日本に伝えた隠元が求めたのは、このような中国風の像。
「瓢鮎図」大岳周崇等三十一僧賛 大巧如拙筆 室町時代 15世紀 京都・退蔵院蔵
禅に傾倒した室町幕府第四代将軍、足利義持が「丸くすべすべした瓢簞で、ぬるぬるした鮎をおさえ捕ることができるか」というテーマを出して、絵を如拙に描かせ、詩を五山の禅僧たちに詠ませ、衝立に仕立て座右に置いていた。この作品の当初の姿。現在は掛幅に改装。如拙は応永年間(1394-1428)に京都の相国寺を拠点に活躍した禅僧画家。この作品は室町時代初期の水墨画の名作、禅宗界の絵画様式と主題が、将軍家や武家社会など禅宗界の外縁に広がる。
「大仙院障壁画 四季花鳥図」狩野元信筆 室町時代・永正10年(1513) 京都・大仙院蔵
「南禅寺本坊小方丈障壁画 群虎図」狩野探幽筆 江戸時代・17世紀  京都・南禅寺蔵
「呂洞賓図」雪村周継筆 室町時代・16世紀 奈良・大和文華館蔵
「油滴天目」建窯 中国 南宋時代・12~13世紀 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
「無準師範像」国宝 自賛 中国 南宋時代・嘉煕2年(1238)京都・東福寺蔵
「蘭渓道隆坐像」重要文化財 鎌倉時代・13世紀 神奈川・建長寺蔵
「達磨像」白隠慧鶴筆 江戸時代・18世紀 大分・萬壽寺蔵
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1807
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臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念
特別展「禅―心をかたちに―」東京国立博物館
平成館2016年10月18日(火) ~ 2016年11月27日(日)
http://zen.exhn.jp/
★雪舟「慧可断臂図」15世紀。

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2015年3月19日 (木)

「インドの仏 仏教美術の源流」・・・仏陀の秘密

Gupta_buddha黄昏の丘を越えて、桜の森に行く。午後の博物館。愛を語る午餐の宴。ガンダーラ美術はギリシア的美があり、微笑みを湛えて美しい。グプタ彫刻は洗練の美がある。
黄昏時にはこの世が、苦悩も歓楽も、夢幻のように、溶けて消え、夕闇の空に霧のように立ち昇る。夕暮れの諧調。
美への旅、大久保正雄『ふしぎな美術館』より
仏陀は、カピラ城に生まれた。29歳の時、出家する。6年間修行して、菩提樹の下で悟りを開いた。「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦」。
仏陀は、人生を苦と見た。シッダルタは、カピラ城の城門を出て、老病死に出会う。北門を出て修行僧に出会い、出家の意思を固める。シッダルタは、人生を苦と見た。『四門出遊』。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦。出典「瑜伽師地論」『四法印』。生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。四苦八苦がある『四苦八苦』。苦の原因は、十二縁起。無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死→(無明に繋がる)。『十二縁起』。
仏陀の秘密、大久保正雄『旅する哲学者』より
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★主要な展示作品
9 仏伝「出家踰城」 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
19 仏坐像 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
20 仏頭 パキスタン・タキシラ、チルトープ クシャーン朝・2世紀頃
24 仏立像 インド・ウッタルプラデーシュ州、サールナート グプタ朝・5世紀頃
30 弥勒菩薩坐像 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
50 カサルパナ観音立像 バングラデシュ・ラージシャーヒー、チョウラパーラ パーラ朝・11-12世紀頃
53 金剛法菩薩坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・9世紀頃
54 金剛薩埵菩薩坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・11世紀頃
55 摩利支天立像 インド・ビハール州 パーラ朝・11世紀頃
56 仏頂尊勝坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・11世紀頃
59 八千頌般若波羅蜜多経 女尊 東インド、バレンドラ・ブーミ派 パーラ朝・11世紀頃
72 五護陀羅尼経 不空成就如来 東インド、バレンドラ・ブーミ派  14世紀頃
74 五護陀羅尼経 密呪随持明妃 東インド、バレンドラ・ブーミ派  14世紀頃
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特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」東京国立博物館
3月17日(火)~5月17日(日) 表慶館
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1701
アジア有数の規模を誇る、コルカタ・インド博物館の所蔵品。仏教の生まれた地・インドの美術品を通して、美術の源流をたどる展覧会。
東京国立博物館「インドの仏 仏教美術の源流」プレスリリース
http://www.tnm.jp/uploads/r_press/114.pdf
★これまでのインド仏教美術展
インド・マトゥラー彫刻展、パキスタン・ガンダーラ彫刻展、東京国立博物館
2002年10月29日(火)~12月15日(日)
☆gupta buddha

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2013年10月16日 (水)

国宝 興福寺仏頭展・・・白鳳文化の香り

20130903興福寺仏頭は、白鳳文化の香りがする。飛鳥山田寺薬師如来の仏頭である。炎上して残った無傷の右頬に高貴さがある。
白鳳時代の仏像は、夢違観音、薬師寺の日光菩薩、月光菩薩を思い出す。微笑みを微かに帯び美しく玲瓏たる美を湛えている。玲瓏の美には、悲しみの影がある。純粋な魂の悲しみである。
玲瓏とは、透き通るように光り輝く美しさである。
「玉階に白露生じ、夜久しくして羅襪を侵す。水精の簾を却下し、玲瓏秋月を望む。」李白『玉階怨』
夜は更けて玉の階に白露が生じ、佇む妃の薄絹の靴下に滲みとおる。水晶のすだれをおろし、玲瓏と光輝き秋の夜空に冴える月影をみる。玲瓏と光り輝く月。月光の中に溶けるような女。
玲瓏は、光り輝く月の美である。
白鳳彫刻は、珠玉の美である。高貴な美の影には、悲しみがある。藤原京の本薬師寺、斑鳩法隆寺、飛鳥山田寺、飛鳥文化後期の洗練の美である。「法隆寺観音菩薩立像、銅造」(夢違観音)、「法隆寺阿弥陀三尊像、銅造」(伝橘夫人念持仏)、「薬師寺金堂薬師三尊像、銅造」「薬師寺東院堂聖観音立像、銅造」。
興福寺仏頭(山田寺薬師三尊像、薬師如来仏頭)には、高貴な面影がある。非業の死を遂げた蘇我倉山田石川麻呂の面影がやどるのか。
■展示作品
国宝「銅造仏頭」(飛鳥山田寺薬師如来仏頭、白鳳時代 興福寺蔵) 天武14年(685)、天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂のために造った飛鳥山田寺講堂本尊像の頭部。山田寺の開基は、蘇我倉山田石川麻呂(649年没)。皇極天皇2年(643)には金堂の建立が始まる。天武天皇7年(678)「丈六仏像を鋳造」とあり、天武天皇14年(685)にはその丈六仏像が開眼されている。開眼の年、天皇が浄土寺(山田寺の法号)に行幸した(『日本書紀』)。石川麻呂の孫にあたる持統天皇と夫の天武天皇の後援がある。
国宝「木造十二神将立像」(鎌倉時代13世紀 興福寺 東金堂 国宝 桧材 寄木造 彩色 彫眼 鎌倉時代 像高113.0~126.6cm建永2年1207)十二神将は守護神の性格をあらわすために武装し、薬師如来の12の誓願に応じてあらわれる薬師如来の分身。
1. 毘羯羅(びから)大将像 2. 招杜羅(しょうとら)大将像 3. 真達羅(しんだら)大将像
4. 摩虎羅(まこら)大将像 5. 波夷羅(はいら)大将像  6. 因達羅(いんだら)大将像
7. 珊底羅(さんていら)大将像 8. あに羅(あにら)大将像 9. 安底羅(あんていら)大将像
10. 迷企羅(めきら)大将像 11. 伐折羅(ばさら)大将像 12. 宮毘羅(くびら)大将像
国宝「板彫十二神将像」(興福寺 平安時代)
――――――――――
奈良・興福寺の創建1300年を記念して「国宝 興福寺仏頭展」を開催します。展覧会では現存する東金堂をテーマとし、同寺の代表的な名宝である国宝「銅造仏頭」(白鳳時代)をはじめ、東金堂ゆかりの名品を展示します。「仏頭」の守護神として造られた国宝「木造十二神将立像」(鎌倉時代)、浮彫の最高傑作として有名な国宝「板彫十二神将像」(平安時代)の各12点、計24点が初めてそろって登場するほか、法相宗に関わる至宝も展示。「仏頭」と同じ白鳳仏として、東京・調布の深大寺所蔵の重要文化財「銅造釈迦如来倚像」も特別陳列され、国宝25点、重要文化財31点など約70点の至宝が集う豪華な展示となります。ヴァーチャル・リアリティー(VR)技術を使って、仏頭頭部の復元に挑むとともに、同寺で進む中金堂再建事業についても紹介します。
1.国宝25点、重要文化財31点 珠玉のラインアップ
興福寺は全国の国宝仏像彫刻のおよそ15%を所蔵する、まさに仏像の宝庫です。また平城京の時代から法相宗の教えを広め、絵画や書跡など宗派の名品を1300年の間、数々の災害から守り今日に伝えてきました。本展では、その中から国宝・重要文化財合わせて50点を超える重厚なラインアップを組みました。ことし一番の見ごたえある仏教美術の展覧会です。http://butto.exhn.jp/
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「国宝 阿修羅展」・・・天平文化の香り
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-7283.html
興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ 東京藝術大学大学美術館
2004年9月18日(土)-11月3日(水・祝)
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2004/kohfukuji/kohfukuji_ja.htm
興福寺創建1300年記念 「国宝 阿修羅展」東京国立博物館
2009年3月31日(火) ~ 2009年6月7日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=652

興福寺創建1300年記念 国宝 興福寺仏頭展
東京藝術大学大学美術館 9月3日(火)~ 11月24日(日)
http://butto.exhn.jp/

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2011年11月28日 (月)

「法然と親鸞 ゆかりの名宝」東京国立博物館・・・宗教は麻薬

20111025 「二河白道」(火の河=瞋憎と水の河=貪愛は、清浄な信心を現世と極楽浄土をつなぐ白い道)、「来迎図」ににおける全身を金色に輝かせた阿弥陀聖衆が雲に乗って経巻を前に合掌する往生者を迎える姿は、イメージによる幻術である。
現在では鎌倉新仏教は異端であり、中世の主流は南都北嶺の顯密勢力であった(顯密体制論、黒田俊男『日本中世の国家と宗教』「中世における顕密体制の展開」岩波書店1975)と解釈さている。
奈良仏教(南都六宗)と平安仏教(空海と最澄)は、最高度の学問思想を構築し華麗な仏教美術を生み出した。
鎌倉新仏教の開祖といわれる、法然・親鸞、栄西、道元、一遍、日蓮は、崇高な目的を忘却して、部分的思考に歪曲した。鎌倉仏教は仏教の堕落である。宗教は阿片である。
法然の絶対他力、専修念仏。親鸞の一向専修、一念発起、悪人正機。栄西の坐禅、公案。道元の修証一如、只管打坐。鎌倉仏教は、空海の三密(意密、口密、身密)の一部分を、この世を滅却する手段として専修した。
■法然と親鸞
法然は、9歳の時、夜襲で父を殺された。「敵人をうらむる事なかれ」という父の遺言に従って13歳で比叡山に上り出家。法然『選択本願念仏集』の趣旨は「阿弥陀如来はすべての人々を平等に救うために念仏だけを選択して本願の行とする」である。法然は、興福寺からの奏上で念仏禁止を訴えられ、建永元年(1206)後鳥羽上皇の寵愛していた二人の女官が無断で出家するという住蓮・安楽事件が起き、後鳥羽上皇の院宣によって追放される。この事件によって翌2年、門弟4名が死罪。専修念仏は禁止され、法然は四国へ流罪。
親鸞は、9歳のとき出家し、比叡山で20年の修行を積むが、悟りを得ることができず京都六角堂に参籠。法然に師事する。承元元年(1207)越後へ流罪となり、赦免後、関東の各地において20年にわたる布教活動を行った。
■主な展示
重要文化財 「選択本願念仏集」(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)鎌倉時代・12~13世紀 京都・廬山寺蔵
国宝 「教行信証」(坂東本) 第1冊~第6冊 親鸞筆 鎌倉時代・13世紀 京都・東本願寺(京都市烏丸七条)蔵
重要文化財 「二河白道図」(にがびゃくどうず)鎌倉時代・13世紀 京都・光明寺蔵
重要文化財 歎異抄(たんにしょう) 蓮如筆 室町時代・15世紀 京都・西本願寺蔵
重要文化財 「阿弥陀如来立像」鎌倉時代・建暦2年(1212) 浄土宗蔵
重要文化財 「恵信尼自筆書状類」 恵信尼筆鎌倉時代・13世紀 京都・西本願寺蔵
国宝 「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(早来迎)鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵
重要文化財 「地獄極楽図屏風」鎌倉時代・13~14世紀 京都・金戒光明寺蔵
重要文化財 「法然上人像」(隆信御影) 南北朝時代・14世紀 京都・知恩院蔵
重要文化財 「親鸞聖人影像」(熊皮御影) 室町時代・15世紀 奈良国立博物館蔵
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保元・平治の乱などの戦乱や地震などの天変地異が続き、政治・社会が混迷した平安末期。来世の往生を願った富者は財を尽くして功徳を積み、僧侶は教義論争に明け暮れるなか、鎌倉仏教の先駆者・法然(1133~1212)は現れました。民衆を含む万人の救済を考えた法然は、「念仏をとなえれば誰もが救われる」と阿弥陀如来の名号をとなえることを説き、浄土宗の宗祖となりました。
その教えを受けたのが、40歳年下で、のちに浄土真宗の宗祖となる親鸞(1173~1262)です。法然と同じく比叡山での修行を積んだ後、29歳のとき法然に出会い、たとえ地獄におちようとも、その教えを信じて念仏をすると決断しました。しかし専修念仏の教えは既成教団から弾圧を受け、法然は四国へ、親鸞は越後へ流罪となります。その後、二人が再会することはかないませんでしたが、親鸞は越後への配流後、関東などでの布教活動を経て、京都に戻り、真摯な研鑽を続けて思索を深めました。
この特別展は、法然没後800回忌、親鸞没後750回忌を機に、両宗派からの全面的な協力を得て、法然と親鸞ゆかりの名宝を一堂にあつめ、その全体像をご紹介する、史上初の展覧会です。国宝・重要文化財が半数を占める第一級の美術品およそ190件をとおして、二人の生き方やその魅力をご紹介します。大震災に見舞われ、社会の転換期を迎える今日、二人の教えと生き方は現代人にも大きな示唆を与えるに違いありません。
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★「法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌 特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」東京国立博物館
2011年10月25日~ 2011年12月4日

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2011年3月 3日 (木)

運慶、中世密教と鎌倉幕府・・・日本のバロック

20110121 紅梅、白梅の咲く道を歩いて、称名寺、金沢文庫に行く。称名寺の庭は浄土式庭園である。太鼓橋を渡ると白梅の木が満開である。運慶の密教彫刻を見る。
運慶(生年不詳、貞応2年12月11日1224年1月3日)は平安末期、鎌倉初期の仏師。戦乱の時代、『新古今和歌集』『平家物語』の時代である。運慶彫刻は、興福寺の天平彫刻を学び古典美を復興した日本のルネサンス、バロックである。運慶の最古作は円成寺の大日如来像(安元2年1176年)。金剛界の大日如来で智拳印を結んでいる。
平家の兵火(治承4年1180年)により奈良の東大寺、興福寺が焼亡。興福寺再興は円派院派の京都仏師と康慶・運慶の奈良仏師とが分担した。東大寺南大門金剛力士(仁王)は像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率いて2か月で造立(建仁3年1203年造立)。慶派一門の仏師を率いて、興福寺北円堂の本尊弥勒仏坐像と無著・世親像を造立(承元2年1208年から建暦2年1212年)。無著・世親像は肖像彫刻として日本彫刻史上屈指の名作と呼ばれる。
【主要展示作品】
国宝 大日如来坐像 運慶作     安元二年(1176)   奈良・円成寺所蔵
重文 毘沙門天立像 運慶作     文治五年(1189)   神奈川・浄楽寺所蔵
重文 不動明王立像 運慶作     文治五年(1189)   神奈川・浄楽寺所蔵
重文 帝釈天立像 伝運慶・湛慶作  正治三年(1201)頃  愛知・滝山寺所蔵
重文 厨子入大日如来坐像      鎌倉時代初期    栃木・光得寺所蔵
重文 大日如来坐像         鎌倉時代初期    真如苑所蔵
国宝 金剛力士立像 像内納入品  建仁三年(1203)  奈良・東大寺所蔵
重文 東大寺続要録          室町時代       奈良・東大寺所蔵
重文 舞楽面(陵王、抜頭)      鎌倉時代初期    神奈川・瀬戸神社所蔵
重文 大威徳明王坐像 運慶作    建保四年(1216)   神奈川・光明院所蔵(神奈川県立金沢文庫保管)
重文 東寺講堂御仏所被籠御舎利員数(称名寺聖教のうち) 鎌倉時代 神奈川・称名寺所蔵(神奈川県立金沢文庫保管)ほか
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■運慶-中世密教と鎌倉幕府-
神奈川県立金沢文庫80年 特別展
2011年1月21日(金)~3月6日(日)
 仏師運慶は、最もよく知られる日本の芸術家の一人です。その卓越した技量による力強い作風は、鎌倉という新時代に相応しいものとしてよく知られています。しかし、その高名さとは対照的に、運慶の真作は数えるほどしか残っていません。本展覧会では、その数少ない運慶の仏像を一堂に会します。そして「中世密教」と鎌倉幕府の関係から、運慶作品の制作背景の秘密に迫ります。
全点展示期間2月8日(火)~2月27日(日)

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2011年2月 4日 (金)

仏教伝来の道・・・ギリシアの美とインドの叡智の融合

Buddha_on_first_sermon_2011 春の兆しを感じる。桜の蕾の芽ぐむ午後、森を歩いて博物館に行く。ギリシア彫刻とインド仏教が出会い融合して仏教美術が生まれた。仏教美術はギリシアの美とインドの叡智の融合である。ガンダーラから1千年の仏教美術の旅が始まる。
シュンガ朝(前1世紀)、ガンダーラ様式・クシャーナ朝(1世紀~3世紀)、マトゥラー様式・グプタ朝(3世紀~4世紀)、サルナート様式・グプタ朝(320~550)、バーミヤン石窟(7~8世紀)、敦煌・莫高窟(8世紀)、雲崗石窟・北魏時代(5~6世紀)、宝慶寺・唐時代(8世紀)、カンボジア・アンコール王朝(12~13世紀)。日本への仏教伝来は『上宮聖徳法王帝説』や『元興寺伽藍縁起』によると538年である。迦毘羅城で釈迦が生誕(紀元前466~368年)してから1千年、遥かなる旅である。仏陀の思想、四諦「苦諦、集諦、滅諦、道諦」(『相応部経典』)、四法印「諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静」(『法句経』)の思想が、東洋の果ての地に辿りつき開花した。
主要展示作品
■第1章 インド・パキスタン―マトゥラー・ガンダーラ
2-1ラクシュミー女神像奉献板 インド・チャンドラケートゥガル シュンガ朝・前1~1世紀 山梨・平山郁夫シルクロード美術館蔵
3 仏塔 インド・アマラーヴァティー サータヴァーハナ朝・2~3世紀 山梨・平山郁夫シルクロード美術館蔵
5菩薩像頭部 インド・マトゥラー クシャン朝・2~3世紀 山梨・平山郁夫シルクロード美術館蔵
8 仏伝図「初転法輪」 パキスタン・ガンダーラ クシャン朝・2~3世紀 山梨・平山郁夫シルクロード美術館蔵
12 菩薩半跏思惟坐像 パキスタン・ガンダーラ クシャン朝・2~3世紀 山梨・平山郁夫シルクロード美術館蔵
15弥勒菩薩遊戯坐像 パキスタン・ガンダーラ・スワート 8~10世紀 山梨・平山郁夫シルクロード美術館蔵
■第2章 アフガニスタン―バーミヤン
18仏伝図「降魔成道」アフガニスタン・カピサ地方 2~3世紀 流出文化財保護日本委員会保管
19焔肩仏坐像 アフガニスタン・カピサ地方 2~3世紀 流出文化財保護日本委員会保管
21焔肩仏立像 アフガニスタン・カピサ地方 3~4世紀 流出文化財保護日本委員会保管
22仏伝図「誕生」アフガニスタン・カピサ地方 3~4世紀 流出文化財保護日本委員会保管
23 壁画 仏陀坐像
23-1壁画 仏陀坐像 アフガニスタン・バーミヤン石窟K3窟北側壁龕西壁ヴォールト部分 7~8世紀 流出文化財保護
■第3章 中国―西域
28壁画 有翼天使像 中国・新疆ウイグル自治区ミーラン 3~4世紀 東京国立博物館蔵
■第4章 中国―敦煌
38菩薩立像幡 中国・甘粛省敦煌莫高窟 唐時代・8世紀 東京国立博物館蔵
41重文 大方広仏華厳経 巻第八  中国・甘粛省敦煌 唐時代・8世紀 京都国立博物館蔵
■第5章 中国―西安・洛陽・大同
43仏頭 中国・山西省雲崗石窟 北魏時代・5世紀 東京国立博物館蔵
47-4 重文 十一面観音龕 中国・西安市宝慶寺 唐時代・長安3年(703)銘 東京国立博物館蔵
48四面仏 中国・西安市 唐~五代時代・9~10世紀 東京国立博物館蔵
■第6章 カンボジア―アンコールワット
51観音菩薩立像 カンボジア・シェムリアップ州 アンコール プラサートアクヨム プレアンコール期・7世紀 プノンペン国立博物館蔵
53ナーガ上の仏陀坐像 カンボジア・シェムリアップ州 アンコールトム東南部のテラスNo.61 アンコール期・12世紀 東京国立博物館蔵
55仏陀坐像 カンボジア・シェムリアップ州 アンコールトム プラサートバイヨン アンコール期・12~13世紀 プノンペン国立博物館蔵
56観音菩薩立像 カンボジア・シェムリアップ州 アンコールトム死者の門 アンコール期・12~13世紀 東京国立博物館蔵
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■「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」東京国立博物館1月18日(火)~3月6日(日)
 2009年12月、日本画家の平山郁夫氏が永遠の眠りにつかれました。平山氏は、創作活動と表裏一体をなすものとして、世界各地で危機に瀕している、かけがえのない文化遺産の保護に尽力しました。そして、文化遺産を保護していくためには信仰心と重なる平和への強い祈りが重要であると考え、インドから中国を経て日本に伝わった仏教の伝来過程にも注目し、関連遺跡をくまなく旅しています。
 この展覧会では、平山郁夫氏の文化財保護に関わる偉大な活動を顕彰し、その業績をとおして文化財保護の重要性や課題などを改めて広く知っていただこうとするものです。インド・パキスタンをはじめ、アフガニスタン、中国、カンボジアなど、平山氏がことに関心を寄せた仏教伝来の道に沿った仏像や壁画の数々とともに、文化財保護活動の集大成として制作し、薬師寺玄奘三蔵院に奉納された畢生の大作・大唐西域壁画を全点展示いたします。
第1部 文化財の保護と継承―仏教伝来の道
 序章 平山郁夫 取材の軌跡
 第1章 インド・パキスタン―マトゥラー・ガンダーラ
 第2章 アフガニスタン―バーミヤン
 第3章 中国―西域
 第4章 中国―敦煌
 第5章 中国―西安・洛陽・大同
 第6章 カンボジア―アンコールワット
第2部 文化財保護活動の結実―「大唐西域壁画」
 大唐西域壁画
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★参考「初転法輪の仏陀」サルナート博物館Gupta period (5th century)

★ガンダーラ「菩薩立像」Gandhara Bodisattva.1st-2nd century

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2010年12月 1日 (水)

東大寺大仏-天平の至宝・・・蓮の花弁に香る天平文化

20101119 晩秋の夕暮れ、枯葉舞う森を歩いて、博物館に行く。天地院、金鐘寺伽藍の廃墟を思いながら、東大寺軒丸瓦に刻まれた複弁蓮華文の文様をみると、天平文化の香りが立ち昇ってくる。東大寺は、蓮華経の世界観に基づいている。廬舎那仏が教えを説く世界である。宇宙仏(法身仏)である盧舎那仏(Vairocana)が発展した形態が、大日如来(摩訶毘盧遮那仏:Mahāvairocana)である。
■盧舎那仏の蓮弁、蓮華蔵世界・・・三千大千世界
盧舎那仏の蓮弁に蓮華蔵世界が刻まれている。華厳経の世界観を表わす線刻された図像は天平時代の造形美である。
一枚の蓮弁の世界に須弥山があり、その上に24の世界があり、その上に一つの釈迦如来が教化する。14枚の蓮弁の上に盧舎那仏が座して、華厳経を説く。
蓮弁の図像については、華厳経に基づくとする説、梵網経に基づくとする説がある。
「千華上ノ仏ハ、是レ吾ガ化身ナリ。千百億ノ釈迦ハ、是レ千釈迦ノ化身ニシテ、吾已ニ本原ニシテ、オノオノ盧舎那仏トナル」(『梵網経』)
■主要展示作品
「誕生釈迦仏立像及び灌仏盤」(国宝)(奈良時代8世紀、東大寺蔵)、釈迦の姿は、生まれてすぐに七歩あゆみ、右手は天を指し、左手は地を指して「天上天下唯我独尊」と告げたさまを表している。釈迦の誕生日である毎年4月8日は東大寺大仏の前におかれ、甘茶を灌がれ、祝われてきた。甘茶の受皿となる灌仏盤に、美しい模様が描かれている。
「八角燈籠」(国宝) (奈良時代8世紀、東大寺蔵)、レリーフの音聲菩薩が美しい。
「金鈿荘大刀」奈良時代 東大寺蔵
「伎楽面」(重文)、大仏開眼供養会に使用された。
「西大門勅額」奈良時代 東大寺蔵
「良弁僧正坐像」(国宝) (平安時代9世紀、東大寺蔵)、東大寺初代別当。
快慶作「僧形八幡神坐像」
「正倉院宝物 墨画仏像」(奈良時代8世紀、東大寺蔵)、菩薩が飛来する姿を、一筆で画いている。
「不空羂索観音菩薩立像光背」奈良時代 東大寺蔵
「重源上人坐像」鎌倉時代 東大寺蔵
「阿弥陀如来立像」快慶作 鎌倉時代 東大寺蔵
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第1章 東大寺のはじまり―前身寺院と東大寺創建―
第2部 大仏造立
VRシアター「大仏の世界」
第3部 天平の至宝
第4部 重源と公慶
 東大寺は、聖武天皇と光明皇后が、夭逝した皇子の菩提を弔うため造営した山房に始まり、やがて、聖武天皇の発願により盧舎那仏(るしゃなぶつ)が造立され、国家的な仏教信仰の中心になりました。天平勝宝4年(752)には大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が盛大に執(と)り行われ、インド、中国の僧が参加するなど国際色豊かな文化が生まれました。後世の兵火により2度罹災しますが、そのたびに高僧らが復興、再建に取り組み、創建時の天平文化を代表する至宝が伝わっています。
 本展では大仏造立に関わる作品を通して天平文化の精華をご覧いただきます。大仏殿前の高さ4.5メートルを超える八角燈籠(国宝)が寺外で初公開となるほか、古代の誕生仏では日本最大として知られる誕生釈迦仏立像(国宝)や、大仏開眼供養会などに使用された伎楽面(重要文化財)など、天平の宝物を一堂に展示します。また鎌倉時代、江戸時代に大仏を再興した、重源(ちょうげん)上人、公慶(こうけい)上人の肖像彫刻の傑作などを通じて、今日まで脈々と伝えられる東大寺の歴史を紹介します。さらにバーチャルリアリティー(VR)映像で平安時代末期に焼失した創建時の大仏殿を再現、寺では見ることのできない盧舎那仏の背面を含め、360度ぐるりと大仏をご覧いただきます。
■光明皇后1250年御遠忌記念 特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」
東京国立博物館 平成館、2010年10月8日(金)~12月12日(日)
todaiji2010.jp/

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2009年4月24日 (金)

「国宝 阿修羅展」・・・天平文化の香り

Ashuraten 4月3日夕暮れ、満開の桜の森を歩いて「阿修羅展」に行く。花盛りの森だが、吉野枝垂れのこんもりとした桜の木はまだ咲き始めたばかりである。
阿修羅像は、人をひきつける美を湛えている。14、15才の少女にみえる。写実の中に純粋な心を表現した美は喩えようもない。みる角度によって、純真さ、悲しみ、憂い、決意と様々に表情を変える。変幻する容貌が美しい。
去年は、薬師寺の日光菩薩、月光菩薩の前で眠った。今年は、運慶の釈迦如来の前でうたた寝する。
興福寺中金堂は七度火災で炎上した。阿修羅像は、千三百年の時の流れを超えて、やってきた時の旅人である。
■阿修羅像は、三面六臂、734年(天平六年)、脱活乾漆造。天平彫刻の最高傑作である。聖武天皇の后、光明皇后が母の冥福を祈って、天平六年に建立された西金堂に造立安置された八部衆のうちの一躯である。細く長い六本の腕を空間に差しのべて立つ阿修羅像は、均衡のとれたみずみずしい美しさと真摯な姿が、純粋性を感じさせる。阿修羅像には謎がある。女性か男性か、モデルはだれか。実在のモデルが存在すると実感する。この時、光明子の娘、15才の少女、阿倍内親王(孝謙天皇)であるとする説がある。
八部衆または天龍八部衆は、仏法を守護する八つの神々で、仏教以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神が仏教を守護する神となったものである。
■天平文化
藤原四子が姉妹の光明子を聖武天皇と政略結婚させようとしたところ、長屋王が反対した。そこで彼らは長屋王を謀殺。長屋王の変である。ところが新羅からやって来た天然痘で藤原四子は次から次へと死亡。聖武天皇は崇りを恐れた。その後、藤原広嗣の乱が起り、聖武天皇の恐れは増大した。東大寺を建立し、金光明最勝王経と妙法蓮華経を崇拝し配置、東大寺盧遮那仏、東大寺法華堂、転害門、薬師寺東塔、法隆寺東院夢殿が建立された。天平文化は、周(武周)の武則天や唐の玄宗皇帝の文化、爛熟した盛唐の文化の影響を受けた仏教文化である。
■宮澤賢治『春と修羅』
「まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる」(『春と修羅』)宮澤賢治は25才の時、阿修羅像をみたようである。阿修羅の一族は、賢治が震えるほど感動したという島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』に出てくる。『法華経』「序品」が出典。
★展示作品
★「阿弥陀三尊像」。橘夫人念持仏。法隆寺蔵。茎の長い蓮の花の上に坐る三尊、中央の阿弥陀、左右対称の菩薩ともに素晴らしい。木製の厨子が出ている、正面に女性の顔が色彩とともに残っている。白鳳時代あるいは飛鳥時代。
阿弥陀如来を中尊とし、観音菩薩を左脇侍、勢至菩薩を右脇侍とする三尊形式である。(「左」「右」とは中尊から見た「左」「右」)観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲をあらわす化身であり、勢至菩薩は知恵をあらわす化身。一般的には、脇侍の観音菩薩は、宝冠の上に阿弥陀の化仏を表し、勢至菩薩は水瓶を持つ。
★「華原磬」。四匹の龍がからみあう枠が金鼓を吊り下げ、全体が獅子の上に乗っている。すぐ側に「波羅門立像」があり、右手に金鼓を打つ棌、左手に経典を持っている。飛鳥時代。
★「八部衆」(八躯)1.畢婆迦羅(ひばから):髭をたくわえた壮年。2.沙羯羅(さから): 少年。頭に蛇が巻ついている。3.鳩槃荼(くばんだ):焔髪を有する異形。4.乾闥婆(けんだつば):少年。獅子の毛皮の被り物。5.緊那羅(きんなら):額の中央には第三の眼。一角を有する異形。6.迦楼羅(かるら):人体鳥頭の異形。7.五部浄(ごぶじょう): 少年。頭部と右腕が残存。頭には象の被り物。
★「十大弟子」(伝存六躯)1.須菩提(しゅぼだい):最若年。解空第一(空を理解する者)。2.羅睺羅(らごら):他の弟子が草履履きなのに、羅睺羅は沓を履いている。密行第一(戒を微細に保つ者)。3.舎利弗(しゃりほつ):壮年。智慧第一。4.目犍連(もっけんれん): 初老。神通第一。5.迦旃延(かせんねん):肋骨が出た老僧。論議第一。6.富楼那(ふるな):肋骨が浮き出した老僧。説法第一。伝存しない十大弟子は、大迦葉(だいかしょう)= 頭陀第一。阿那律(あなりつ)= 天眼第一。優波離(うぱり)=持律第一 、阿難(あなん)=多聞第一。
★「阿修羅像」中央は憂い、左は唇をかみ締め、右は困惑の顔であるといわれる。衣の模様の金色の輝き、背中にも美しい装飾が彫られている。
★康慶作「四天王」。持国天 、増長天 、多聞天、広目天。鎌倉時代。
★「薬上菩薩」、「薬王菩薩」。鎌倉時代。
★運慶作「釈迦如来頭部」。鎌倉時代。気品高い仏像の頭部である。失われた東大寺盧遮那仏(天平勝宝4年752年、開眼。治承4年1180年の平重衡の兵火、南都焼討により焼失)、山田寺仏頭(薬師如来1411年焼失)を想起させる。
興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」東京国立博物館
2009年3月31日(火)~2009年6月7日http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6113

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