エジプト

2025年8月20日 (水)

ツタンカーメンの生涯と謎・・・秘められた古代エジプトの宗教的意味

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第404回
ツタンカーメンの生涯と謎に、秘められた古代エジプトの宗教的意味を考える。
ツタンカーメンの生涯と謎
ネフェルティティの生涯と謎
アクエンアテン王の生涯と謎
ツタンカーメンの生涯は謎に満ちている。ツタンカーメンの心臓が発見されないのは何故か。大神官アイに暗殺されたのか。ネフェルティティの墓はどこにあるのか。アクエンアテン王の異形の容貌は、長頭族か、アマルナ革命はなぜ行ったのか。アテン神とは何か。
ネ第18王朝の王たちの苦難に満ちた人生は、自身の天職と運命とが矛盾する人間に知恵と神秘と力を与える。真言陀羅尼、呪文を唱え、運命を拓く。
ツタンカーメン(在位:紀元前1332〜1323年頃)は、8〜9歳で即位した若きファラオ。19歳で死す。彼の父であるアクエンアテン(アメンホテプⅣ世)は、唯一神アテン(太陽神)を崇拝する急進的な宗教改革を行い、従来の多神教信仰を廃止するという劇的な政策転換を行った。
しかしこの改革は民衆に受け入れられず、アクエンアテンの死後、幼いツタンカーメンは即位とともに伝統的な多神教を復活させた。彼は自身の名前は本来の「ツタンカーテン(アテンに生ける像)」から「ツタンカーメン(アメンに生ける像)」へと改め、かつての国家神アモン(アメン)をはじめとする神々の崇拝を復興させた。宗教的功績こそが、短い治世におけるツタンカーメンの最大の業績。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【大ピラミッドの時代】紀元前26c
エジプト古王国の第4王朝。スネフェル王は試行錯誤しつつ4つのピラミッドを建造。ギザのクフ王とカフラー王のピラミッドは高さ140m超で最大級。高さ65mのメンカウラー王のものと合わせて3大ピラミッド。建材は主に石灰岩。目的・方法は諸説ある。

【古代エジプト黄金時代】
【トトメスⅢ世】紀元前1550年頃、第18王朝のイアフメス1世がヒクソスを撃退、エジプトを再統一した。その後、トトメス3世の時代に領土は最大となり、シリア・パレスチナ地域からヌビアまで支配下に収めた。この拡大により、エジプトは地中海東岸の覇権国家となった。ヌビアから黄金が産出。第3中間期にブラックファラオ輩出。
【トトメスⅡ世王妃ハトシェプストから、「男装の女王」ハトシェプストへ】ハトシェプスト女王、21年間統治する。ハトシェプストの夫トトメス2世は、わずかな治世ののち、亡くなり。側室が生んだ王子トトメス3世はまだ幼く、伝統に従って、王妃ハトシェプストがトトメス3世の共同統治者となる。ハトシェプストは当初から実権を握っており、数年後には「ファラオ」を名乗る。いつしか彼女は完全な男性の格好で、自身を表現するようになる。
王妃ハトシェプスト 新王国・第18王朝時代 トトメス2世~ハトシェプスト女王治世 (前1492~前1458年頃) ボストン美術館蔵 「クレオパトラとエジプト王妃展」東京国立博物館、2015
【アメンホテプⅢ世、アメンホテプⅣ世、アクエンアテン王、ネフェルティティ、ツタンカーメン】アクエンアテン王、29歳で亡くなった。王妃ネフェルティティ、ネフェルネフェル・ウアテンとして3年間統治、40歳で亡くなった。ツタンカーメン9歳で即位、アンケセナーメンと結婚。19歳で亡くなった。ツタンカーメンは、ネフェルティティの墓に埋葬。
【ツタンカーメンの三重の棺】ファラオ本人の姿を象り、両腕を胸の前で交差させ王権の象徴である曲がり杖(ヘカ)とムチ(ネヘフ、フレイル)を握った姿、冥界の神オシリスの姿、王が死後はオシリス神と一体化、再生を遂げることを願う、黄金の棺、金が「神々の肉体」そのものだ
【黄金のマスク】ツタンカーメンの顔そのものを理想化して表現、黄金製の覆面。マスクにはネメス頭巾、その額にはコブラ(下エジプト女神ワジェト)とハゲワシ(上エジプト女神ネクベト)。王が上下二つの国を統べる存在であることと同時に、二柱の女神に守られている
【紀元前3000年、ピラミッド、ヒエログリフ言語体系】
【クフ(Khufu)王のピラミッド】紀元前2500、大回廊、王の間、重力拡散の間、ピラミッド内部に空間を作ることは挑戦的な試み。入り口の上部に見られる「切妻構造」や、大回廊と同じような「持送り式構造」は、建築的には、重量を分散する目的のために作られている
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1、ツタンカーメンの生涯と謎
【ツタンカーメン】Tutankhamen, King Tut, 紀元前1335 ? - 紀元前1327年頃)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位: 紀元前1336年頃 - 紀元前1327年頃。
【ツタンカーメンの墓の謎】
ツタンカーメンの墓は、ネフェルティティの墓がツタンカーメンの墓に転用された。彼が急死したため。【ツタンカーメンの死因】大神官アイ(宰相)による暗殺。戦車からの転落による骨折。諸説あり。
【ツタンカーメンの秘宝】5000点。黄金のマスク。黄金の三重の棺。アンケセナーメンとの休憩の図像の椅子。アヌビス神憎。黄金の厨子。アラバスター製カノポス容器。黄金の胸飾り。隕石の短剣。黄金の短剣。
【ツタンカーメンの心臓が発見されない】
カノポス容器に心臓が含まれていないのは重要な点である。古代エジプト人は心臓を魂の宿る場所と信じていたため、心臓だけは遺体の中に残された。ツタンカーメンの心臓は遺体の中からも発見されず。後述する「心臓の秤量」の審判で必要となるためでもあり。
カノポス・チェストを納めた精巧なカノポス・シュライン(厨子)。金箔で覆われた木製の廟堂の形をしており、台座にはスレッジ(橇)が付いています。屋根部分にはコブラと太陽円盤の装飾が施され、柱にはツタンカーメンの名前と称号を記す聖刻文字が刻まれています。
写真の手前に見える女神像はセルケトで、頭に持つサソリが女神の象徴です。セルケトをはじめとする4女神が四方でこの厨子を囲み、王の内臓が納められた石膏の箱を魔除けの力で守護していた。 他の副葬品も宗教的意味に満ちている。墓から発見されたシャブティ(ウシャブティ)像と呼ばれる小さな人形たちは、死後の王に代わって農作業などの労役を行う従者として作られました。ツタンカーメンの墓には100体以上のシャブティが納められており、彼らを魔法で“働かせる”ための呪文(「シャブティの呪文」)も用意されていました。
『エジプト死者の書』の第6章に相当するその呪文は、葬儀の際に唱えられるかミイラと共に埋葬され、冥界で像に命を吹き込むと信じられていたのです。その他、棺を守護する黒いジャッカルの姿をしたアヌビス神の像、魔除けや再生を象徴するスカラベ(聖甲虫)の護符、永遠の生命を表すアンク(生命の鍵)形の装飾品、日常生活に必要な家具・衣服・楽器・玩具までもが副葬品として納められていました。これらすべてが「現世同様の生活を来世でも送れるように」との願いと、数々の神々の加護を得てツタンカーメンが安らかに冥界を旅できるようにとの祈りを反映している。
【埋葬品に込められた象徴 — 副葬品とカノポス容器】
ツタンカーメンの墓からは5,000点を超える副葬品が出土した。それら一つ一つが、古代エジプト人の死後の世界への備えと信仰を物語っています。注目すべきは、ミイラと共に埋葬されたカノポス容器と呼ばれる内臓収納用の壺や箱です。ツタンカーメンの場合、石膏で装飾された大きな木製の厨子(カノポス・シュライン)の内部に、美しい石膏(アラバスター)製の四角い棺桶状の箱(カノポス・チェスト)が収められていた。
箱の中は四つの区画に仕切られ、それぞれに少年王の顔をかたどった小さな金の棺(ミニチュアのカノプス棺)が納められており、肝臓・肺・胃・腸の四つの内臓が保管されていた。
箱の蓋の上部にはコブラ(ウラエウス)の飾りがずらりと並び、箱の四隅と側面には女神イシス、ネフティス、ネイト、セルケトの4柱の女神像が腕を広げて立っている。彼女らはそれぞれ四方を守護し、内部の王の臓器を守る役割を担っている。
【黄金のマスク】ツタンカーメンの顔そのものを理想化して表現黄金製の覆面です。マスクにはネメス頭巾、その額にはコブラ(下エジプト女神ワジェト)とハゲワシ(上エジプト女神ネクベト)。王が上下二つの国を統べる存在であることと同時に、二柱の女神に守られている。
【黄金の中棺の蓋部分】木製棺に金箔やガラスが細工され、ファラオの顔が精巧に再現されている。瞳は黒曜石と水晶で象られ、生きているかのような表情。額には守護神であるコブラ(ウラエウス)とハゲワシの飾りあり、上下エジプトの統一王であることを示しています。胸元には青い石(ラピスラズリ)などで彩られた首飾りが描かれ、手に握る曲がり杖とムチが王の権威とオシリス神の再生力を表しています。黄金のマスクもこの中棺と同様の意匠で作られており、まるで生前の王が神々しい姿で眠っているかのような印象を与えます。
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2、ネフェルティティの生涯と謎
【ネフェルティティ】紀元前1370年-紀元前1330年BC1371-1331。15歳で、アメンホテプⅣ世と結婚。6人の娘を生む。2人は王妃となる。男子は生まず。彼女はツタンカーメンの義母となる
【ネフェルティティの謎】ネフェルティティの両親が誰かは不明。2つの説があり、1つは、後にファラオとなる大神官アイと、その妻テイ(Tey)のあいだの娘とする説、もう1つは、ミタンニ王女タドゥキパ(Tadukhipa)を彼女に比定する説。ネフェルティティの墓はどこにあるのか。
【ネフェルティティの記録の消失】在位12年(紀元前1338年)と推定される碑文が、彼女の娘メケトアテンについて言及する最後の記録である。この日付の後、少ししてメケタトンは死去した。アマルナの王家の谷にあるアクエンアテンの墓の浮き彫りは、彼女の葬儀の様を表している。アクエンアテンの在位14年(紀元前1336年)、ネフェルティティ自身に関する歴史的記述が一切消える。アクエンアテン王の死後、3年間統治する。女王にはならず、圧倒的影響力もつ。ネフェルティティ像、ベルリン博物館。アマルナ移転前。
紀元前1331年、40歳で死す。ネフェルティティの死はミステリー。名前、消され、墓、消滅。【ネフェルティティがネフェルネフェルウアテン(Neferneferuaten)の名で女性ファラオとなった】と主張「エイダン・ドドソン」だが3年で退位らしい。
【ネフェルティティ、子女】メリトアテン( ネフェルティティの長女)。スメンクカーラーの妃。メケトアテン(ネフェルティティの次女)。アンケセンパーテン (三女)。のちのアンケセナーメン、 ネフェルネフェルウアテン・タシェリト、 メリトアテン、 ネフェルネフェルウラー、 セテプエンラー、 メケトアテン【アンケセナーメン】ツタンカーメン王妃
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3、アクエンアテン王の生涯と謎
父はアメンホテプ3世、母は正妃ティイ。
【アクエンアテン王の謎】異形の容貌は、長頭族か、アマルナ様式の孤蝶表現か。アマルナ革命はなぜ行ったのか。アテン神とは何か。アメン神=ラーとはどう違うのか。
【アクエンアテン王のミイラと棺】王家の谷のKV55 、2010年、ザヒ・ハワスらの調査により、DNA鑑定でツタンカーメンのミイラと比較した結果、このミイラはほぼ間違いなくアクエンアテンであることが発表された。それと共に、母ティイとツタンカーメンの母のミイラ(共にアメンホテプ2世王墓(KV35)で発見)も身元が特定され、ツタンカーメンの母はアクエンアテンの同父同母の姉妹であることが明らかになった
【アメンホテプⅣ世=アクエンアテン王】紀元前1362年? - 紀元前1333年、29歳
【アマルナ革命】
治世5年目(前1367年ごろ)アテン神を崇敬。アク・エン・アテン(「アテン神に有益なる者」)に改名した。アマルナ(テル・エル・アマルナ)として知られる新都アケトアテン(「アテンの地平」の意)の建設開始。アマルナ様式。
在位7年(紀元前1343年)、王国の首都はテーベより、アケトアテンへと遷都された。新都の建設はなお進行中であり、更に2年を要して紀元前1341年頃に都市としての体裁を整えたと考えられる。
【アマルナ革命、失敗】
在位中はアメン神とその妻ムト女神の名前を神殿から削り取る、神像を破壊する等して迫害。他の神にも及んだ。アテン神に傾倒するあまり国民の支持を失い、またトトメス3世より維持してきたアジア植民地に注意を払わず、治世末期にはエジプトは大きく領土を減らした。アクエンアテン自身も後継者と定めたスメンクカーラーの死去後数年で亡くなり、
【アメン神への信仰復興】次王ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の治世ではアテン神信仰からアメン神への信仰復興が行われた
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参考文献
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp
ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎
https://bit.ly/39mttQ1
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩
https://bit.ly/2zLyazA
クレオパトラとエジプトの王妃展・・・生と死の秘密、時の迷宮への旅
https://bit.ly/2Uve73e
石浦章一「ツタンカーメンの謎に新説!正体不明のミイラが彼の母親だった!?、「王家のDNA」解析からわかったこと
ラムセス大王・・・カデシュの戦い、平和条約。王妃ネフェルタリ、94歳で死す
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/07/post-fae6b5.html
ツタンカーメンの生涯と謎・・・秘められた古代エジプトの宗教的意味
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-207710.html

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2025年7月18日 (金)

ラムセス大王・・・カデシュの戦い、平和条約。王妃ネフェルタリ、94歳で死す

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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第404回
ラムセス大王は、ツタンカーメン王の50年後、ラムセス大王の120年後はクレオパトラ。ラムセス2世は、27歳で王になり、67年間、君臨。100人から130人の子を産む。建築王、ラムセス2世のアブシンベル神殿には4体のラムセス2世像が刻まれている。
ヒッタイト王国と戦い、ミタンニ王国と交流し、67年間統治した、ラムセス2世の知恵と戦略はだれから学んだのか。
3300年の眠りから目覚める。封印を解かれしラムセス大王降臨 大王の息吹かな
【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうけた。67年間王位につく。第19王朝。ネフェルタリ、ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。在位、前1279-1213年。治世67年目、94歳薨去。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。
18歳出なくなったツタンカーメン王、29歳で亡くなったアクエンアテン王と比べても、ラムセス2世は幸福だっただろう。壮絶な人生を生きた小林一茶、修羅の人生、宮沢賢治は言うまでもない。
【エジプト大博物館GEM】Jaicaによる日本の支援は842億円である。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【ネフェルタリ、ラムセス2世王妃】
ラムセス2世【カデシュの戦い】紀元前1286年頃、エジプト新王国ラムセス2世と、ヒッタイト王ムワタリとの間で戦われた戦争。シリア・パレスチナの領有権をめぐり、オロンテス川近くにある交易の要衝で戦った。ヒッタイトは鉄製武器を用いることによって、世界史上に頭角を現した軍事国家。紀元前1275年頃、ラムセス2世はカデシュに軍を進め、シリア・パレスティナ覇権を争う。
ラムセス2世【人類最初の平和条約】ラムセス2世の治世第21年に、ヒッタイト王ハットゥシリ3世との間で、シリア・パレスティナとそこを通る交易ルートの支配権を分割保有することに同意する公式の平和条約が締結された。ラムセス2世の武勲とともにカルナック神殿、ラムセス2世の葬祭殿(ラムセウム)にヒエログリフで刻まれている。
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【エジプト文明史】先王国ナールメル、紀元前3000年クフ王、古王国(前2700~前2200年頃)第3ー8王朝メンフィス。第4王朝のファラオ(王)、クフ(在位紀元前2551~28年、中王国(前2100~前1700年頃)第11-12王朝テーベ。
新王国(前1600~前1100年頃)第18-20王朝、アメンホテプ4世29歳、ネフェルティティ40歳、ツタンカーメン王18歳、カデシュの戦い前1274年。ネフェルタリ死去前1255年、ラムセス2世92歳前1213年。
【偉大なる大王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ネフェルティティ40歳。ツタンカーメン18歳。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【太陽の船】クフ王「第1の船」。古王国時代第4王朝のファラオ(王)、クフ(在位紀元前2551~28年、石室があり、中には解体した状態の木造船が収蔵されていた。クフ王の跡を継いだとされるラージェデフ王のカルトゥーシュが石室内壁から発見、クフ王の葬送に関わる
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展示作品
レバノン杉製の「ラムセス2世の棺」、
ツタンカーメンからラムセス2世まで、ウラエウスが移動された。ネメス頭巾の額に、南北の女神の象徴、コブラとハゲワシがあったと推定される。
レバノン杉は、オシリス神話においてビブロスでオシリスの遺体を守った水とされる。王の肉体を冥界の王オシリスに変える不思議な力をもつ。腹部にラムセス2世を表すヒエログリフ。
【ファラオは死後、オシリス神になる】
オシリスとして描かれた王、両腕を胸の上で交差して組み、2本の王笏、左手に王笏(ネヘカ)支配者の象徴、右手に穀竿 (ネカカ)農耕の象徴、ネメス頭巾の額にコブラ、顎下に髭を蓄え、シュラウド(死装束)は足元まで伸びる。オシリス神、冥界の支配者であることを表している。ファラオの魂は、1年に1度黄金のマスクに、戻ってくる。ミタンニ王国から、黄金、宝石、隕石を輸入した。錆びない腐らない金と美。
棺の蓋に「ラムセス、アメンから愛されし者」「ラーのマアトは力強い。ラーに選ばれた者」というカルトゥーシュ(王名枠)が書かれている。ラムセス2世の遺体が3度、移送されたことが詳細に書かれている。ラムセス2世のミイラは、第20王朝末期、父セティ1世の墓に移され、第21王朝には司祭によってイアフヘテプ1世の墓へ、最終的にディル・エル・バハリに移された。
■展示作品の一部
【レバノン杉製の「ラムセス2世の棺」】エジプト博物館蔵
アメンエムオペの棺から出土した金箔が施された木製のマスク 第3中間期、第21王朝 エジプト博物館蔵
イタ王女の短剣 エジプト博物館蔵 画像、有村元春
雄羊の頭を配した器を捧げるスフィンクスとしてのラムセス2世像》新王国時代 第19王朝
シェションク2世の棺とカノポス棺、銀の棺(エジプト博物館)
シェションク2世のブレスレット 第22王朝 エジプト博物館蔵
シトハトホルイウネト王女の髪飾り、
ラムセス大王の指輪
プスセンネス1世の襟飾り 第21王朝、5千個の金の環 8㎏
ネフェルウフタハ王女の襟飾り
イアフメス1世の碑文が刻まれた水差し
エンジェバエンデドの黄金のマスク。
第12王朝の蓋つき化粧ポット
シトハトホルイウネト王女の鏡
「ラムセス大王展、プレスリリース」より
――
【オシリス・イシスの神話】
オシリス(冥界の王)イシス(豊穣の女神)セト(戦いの神)ネフティス(葬祭の女神)の四柱の長兄。オシリス・イシスと結婚しホルスを生む。
王としてこの世に君臨したオシリスは、世界で一番初めにミイラにされ、あの世(冥界)で死者の王となる。
【弟はなぜ、兄に反抗、殺害するのか】【オシリスが冥界の王になるまで】オシリスは、弟のセトが兄の支配に対し反発し、生きたまま棺に入れ、ナイル川に流す。妻のイシスが死体を探し出す。セトに奪われ更にバラバラにされて、エジプト全土に捨てられる。イシスとネフティス(妹でありセトの妻)の二人がかかりで探す。アヌビスも協力しミイラとして復活を果たす。復活後、イシスとの間にホルスが生まれる。地上はホルスに任せ、オシリスは冥界(アアル)の王となる。冥界において死者を裁くものとして君臨する。
【ホルス】太陽・天空の神・王の守護神、ハヤブサないし、ハヤブサの頭を持つ人間の姿で表される。妻はハトホル。父親を殺した叔父のセトと争いの末、上下エジプトの王となります。
ファラオはホルスの化身と考えられ、必ず〈生けるホルス〉の称号を持っています。
神話には大ホルスと小ホルスが存在するが、次第に小ホルスが大ホスルの役割を兼ねて優勢となりました。
大ホルス:太陽神ラーとハトホルの息子。太陽神ホルス 鷹神
小ホルス:オシリスとイシスの息子
【ハトホル】愛と美、幸福の女神、国王の保護者。世界を生み出した天の牝牛、妊婦を守る女神などたくさんの役割があります。牝牛ないし、牝牛の頭を持つ人間の姿で表されます。
人間で表される場合、角の間に太陽円盤を乗せ牝牛の耳を持っています。太陽神ラーを父に持ち、配偶神は父であるラー、アヌビス、小ホルスなど
ハトホルの「ホル」はホルスのことを意味しています。セトとホルスが戦った際に、ホルスの傷を癒したことから治癒の神でもあります。また、死者を冥界に導く役割も担っています。
【アヌビス】1)ミイラ作りの神 2)墓の守り神 3)オシリス以前の冥界を支配していた。犬やジャッカルの頭を持つ人間で表される。オシリスとネフティス(セトの妻)の子
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参考文献
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩
クレオパトラとエジプトの王妃展・・・生と死の秘密、時の迷宮への旅
石浦章一「ツタンカーメンの謎に新説!正体不明のミイラが彼の母親だった!?、「王家のDNA」解析からわかったこと
ラムセス大王・・・カデシュの戦い、平和条約。王妃ネフェルタリ、94歳で死す
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ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金
2025年3月8日(土)~9月7日(日)
会場:「ラムセス・ミュージアムat CREVIA BASE Tokyo」(東京都江東区豊洲6-4-25)
アクセス:ゆりかもめ「市場前」駅徒歩3分
エジプト政府公認の過去最大級のエジプト展2021年から世界巡回中の「ラムセス大王展」アジア初上陸。ラムセス2世は、ヒッタイトとのカデシュの戦い、王妃ネフェルタリ、アブ・シンベル神殿の建造で知られる「古代エジプト史上最も偉大な王」(ザヒ氏)
180点の目玉、半世紀ぶりにエジプト国外で公開される日本初公開、レバノン杉製の「ラムセス2世の棺」は必見である。

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2022年12月 3日 (土)

ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王

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Egypt-tutankamen-2022-4
Tutankhamun-2022
Nefertitietakhenaton
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』300回
【ツタンカーメンの謎】3300年の眠りから醒めたファラオツタンカーメン(Tut・ankh・amun)tut・ankh・amen, King Tut, 紀元前1341年頃 - 紀元前1323年頃)は、古代エジプト第18王朝の 9歳で即位し、19歳で亡くなった悲劇の少年王。ツタンカーメンの死因は何か。ツタンカーメンの黄金の短剣、隕石鉄の短剣はミタンニ王国から来たのか。アクエンアテン王のアマルナ改革は何故か。
【偉大なる王の死】アレクサンドロス3世、33歳。ダレイオス1世66歳。ダレイオス3世60歳。ラムセス2世92歳、子供100人を残す。ハトシャプスト女王49歳。アクエンアテン王29歳。ツタンカーメン19歳。アンケセナーメン27歳。美しきネフェルティティ63歳。
【世界一の美女はだれか】エジプト3大美女、クレオパトラ、ネフェルティティ、ネフェルタリ。中国の傾国の美女、西施、楊貴妃、李延年の妹。日本の美女、額田王、光明子、大伴坂上郎女、橘 嘉智子、小野小町、織田信長の妹、お市の方、犬姫、淀君、江、初。織田信長の長女、徳姫。江の娘千姫。静御前。信長最愛の妻生駒吉乃、マリー・ド・ブルゴーニュ。
【エジプト最大の版図】
【トトメス3世】紀元前1550年頃、第18王朝のイアフメス1世がヒクソスを撃退、エジプトを再統一した。その後、トトメス3世の時代に領土は最大となり、シリア・パレスチナ地域からヌビアまで支配下に収めた。この拡大により、エジプトは地中海東岸の覇権国家となりました。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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1 ツタンカーメン
【ツタンカーメン発掘100年】1922年11月26日、王家の谷(Valley of the Kings)にあるツタンカーメン(Tut・ankh・amun)の墓を小さな穴から覗き込んだ英国人考古学者ハワード・カーターは、黄金のマスクや夥しい数の財宝に息をのんだ。
古学者ハワード・カーターは、ツタンカーメン王墓発掘を夢み、カーナボン卿は資金提供。2人は妄想狂と呼ばれた。
【ツタンカーメン黄金のマスク】「輝かしい、壮麗なともいえるほどの、磨きあげられた黄金のマスク、あるいは王の肖像が、頭と肩を覆っており(中略)打ち出しの黄金のマスクは、古代における美しい、ユニークな肖像の傑作で、若くして死に奪い去られた青春をしのばせる、悲しい、しかし、しずかな表情をたたえている」ハワード・カーター『ツタンカーメン発掘記』(ちくま学芸文庫)
【ツタンカーメンの謎、黄金の短剣、隕石鉄の短剣】9歳で即位、19歳で死す。死因は謎である。暗殺、落馬事故、病死。アマルナ文書によれば、アメンホテプ3世の正妃ティイは、黄金の短剣、隕石鉄の短剣を持っていた。ツタンカーメンの母は、アメンホテプ3世の孫、ミタンニ系。アメンホテプ3世の正妃ティイ(Tiy)は妹で、兄妹ともにミタンニにルーツを持つ。ツタンカーメンの副葬品
【アンケセナーメン(Ankhesenamen)】ネフェルティティの娘、ツタンカーメンと婚姻。*ファラオ・アクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女であり、ファラオ・ツタンカーメンの妻。ツタンカーメンの母はだれか。アメンホテプ3世の正妃ティイの娘。
ツタンカーメンとアンケセナーメン
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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2 アメンホテプ3世の正妃ティイ(Tiy)
ツタンカーメンの祖母【ティイ(Tiy)紀元前14世紀中葉)】は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアメンホテプ3世の正妃である。アメンホテプ4世の母であり、王太后である。
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3 アクエンアテン=アメンホテプ4世、ツタンカーメンの父
【アクエンアテン=アメンホテプ4世(Akhenaten/ Amenhotep IV)】紀元前1362年? - 紀元前1333年?)、
【アメンホテプ4世(アクエンアテン)、ネフェルティティ、ツタンカーメン】王名表から削除された。
アテン宗教改革に関わった時代の王たちは存在そのものを消される。古代エジプト時代聖地とされたアビドスの神殿にある歴代の王の名「王名表」にツタンカーメンの名は無い。ツタンカーメンの名は彼の父らと共に歴史上から抹殺された。
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【アメンヘテプ3世の王妃ティイ】王の死後、息子のアメンヘテプ4世とともにアマルナ王宮に移り住み。「アメンヘテプ3世の記念スカラベ(王妃ティイとの結婚)」によると、ティイの父親はイウヤ、母親はチュウヤ。太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行したアメンヘテプ4世は、アメンヘテプ3世と王妃ティイの息子。ツタンカーメンは、ティイの孫。(新王国・第18王朝時代、アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)) ティイの毛髪がツタンカーメン墓から発見。
【アテン神信仰の始まり】アメンヘテプ3世が、人造湖の完成式典で「輝くアテン」という名の船に乗り、自らの王宮を「ネブマアトラーはアテンの輝き」と呼ぶ、アテン神を意識することで、アメン神官団を牽制している。アテン神は空に輝く日輪の神で、地上に降り注ぐ光はアテン神の手として描かれた。アメンヘテプ4世は、父王アメンヘテプ3世の治世30年を祝う祭礼に際して、カルナクにアテン神殿を建設。
【アマルナへ遷都】アメンヘテプ3世の跡を継いで即位したアメンヘテプ4世は、アクエンアテンと改名し、アテン神を唯一神とする宗教改革に乗り出した。治世5年頃には、宗教的な伝統やしがらみと決別するために、アマルナの地に新しい王都を建設。【アマルナ文書】アマルナの王宮址で発掘され「アマルナ文書」と呼ばれる文書。アマルナ文書の大部分は、アメンヘテプ3世の治世後半からアクエンアテン王の治世に、エジプトが諸外国と交わした外交文書。ミタンニ王は3代続けてエジプトの王室と婚姻関係を結んでおり、両国は親密な関係にありました。「トゥシュラッタ王の手紙」は、王の母としてアマルナで暮らしていた王妃ティイに宛てたもの。
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4 ネフェルティティ=アメンヘテプ4世(アクエンアテンと改名)の王妃
【ネフェルティティ】アメンヘテプ4世(アクエンアテンと改名)の王妃ネフェルトイティ(ネフェルティティ)。アメンヘテプ4世はアテン神を唯一神とする宗教改革を行い、アマルナに新都を建設した。名前もアメンヘテプ(アメン神は満足する)から、アクエンアテン(アテン神に有益な者)と改名。新王国・第18王朝時代アクエンアテン王治世(前1351~前1334年頃)
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5 ツタンカーメン王即位
【ツタンカーメン】ツタンカーメンは8歳から9歳の時に、「神の父(it netjer)」の称号を持つ宰相アイと将軍ホルエムヘブの下で王位に就いてファラオとなった。幼い王はその幼さゆえに、両者の圧力に強く影響された、治世3年か4年の時、両者の助言によってアメン信仰の再興に踏み切った。テーベの守護神であるアメン の伝統的な信仰を復活させ、「トゥトアンクア・メ・ン・」(「アメン神の生ける似姿」の意)と改名した。
古き信仰への回帰
ツタンカーメンは、アクエンアテンの時代には、唯一神アテン信仰が説かれていたため「トゥトアンクア・テ・ン・」と名乗っていたが、テーベの守護神であるアメン の伝統的な信仰を復活させ、「トゥトアンクア・メ・ン・」(「アメン神の生ける似姿」の意)と改名した。王妃アンクエスエンパーアテンもまた同様に「アンクエスエンアメン(アンケセナーメン)」へと改名した。さらに、首都をアケトアテン(テル・エル・アマルナ)からメンフィスに移した。彼は主神をアテンからアメンに変え、一神教から多神教に戻した。
彼のファラオとしての最初の行動は、アクエンアテンをアマルナから王家の谷に再埋葬することだった。エジプトでは葬儀を主催する者が次の統治者であるとい
う慣習があるため、この行動によりツタンカーメンの王権は強化された。また、最高の金属や石を使って神々の新しい像を作り、最高級のレバノンスギを使って新しい行列用の車を作り、金や銀で装飾した。神官とそれに付き添う踊り子、歌い手、侍者たちはその地位を回復し、将来を保証するために王室による保護令が出されたとされる。
ツタンカーメンの下で行われた政策を示している実証は、後にホルエムヘブに奪われ、カルナックで発見された「復古の碑(Stele of restoration)」
★★★
6 ハトシェプスト女王
【古代エジプトの王妃】【ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)】ハトシェプスト女王葬祭殿
7 ラムセス2世 ネフェルタリ
【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうけた。67年間王位につく。第19王朝。ネフェルタリ、ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳薨去。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。
【ネフェルタリ、ラムセス2世王妃】
ラムセス2世【カデシュの戦い】紀元前1286年頃、エジプト新王国ラムセス2世と、ヒッタイト王ムワタリとの間で戦われた戦争。シリア・パレスチナの領有権をめぐり、オロンテス川近くにある交易の要衝で戦った。ヒッタイトは鉄製武器を用いることによって、世界史上に頭角を現した軍事国家。紀元前1275年頃、ラムセス2世はカデシュに軍を進め、シリア・パレスティナ覇権を争う。
ラムセス2世【人類最初の平和条約】ラムセス2世の治世第21年に、ヒッタイト王ハットゥシリ2世との間で、シリア・パレスティナとそこを通る交易ルートの支配権を分割保有することに同意する公式の平和条約が締結された。ラムセス2世の武勲とともにカルナック神殿、ラムセス2世の葬祭殿(ラムセウム)にヒエログリフで刻まれている。
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7 アテン神
【アテン神】アテン、アトン(Aten)は、エジプ トの太陽神の一つ。
起源
第12王朝時代に書かれた「シヌへの物語」、亡くなった王は天に上げられて神(日輪)と一体となった、と説明されている。シヌへの物語にあるように、日輪を神格化した神でテーベで祀られていた。中王国時代においてアテンは太陽神ラーの1つの側面として考えられていた。第18王朝の頃に太陽神に対する信仰が盛んになり、アメンホテプⅢ世の頃にはラーのように鷹の頭を持つ神された。アメンホテプⅣ世が唱えたアテン神の公式名は「アテンとして帰って来た父ラーの名によって、地平線で歓喜する地平線の支配者ラー」と、アマルナの境界線を示す多数の碑文に刻まれている
宗教改革の開始
第11王朝のテーベの支配者たちは、ハヤブサの頭を持つ戦いの神、メンチュウを国家神とした。第12王朝時代、アメンが台頭し広く信仰されるようになった。アメン信仰はアメンホテプ4世の治世中に全盛期を迎え、アメンを讃えていたエジプトの神官たち(アメン神団)はファラオをも凌ぐ権勢を誇った。
アメンホテプⅣ世は、即位から5年までの間に、アテン信仰の導入を始めた。伝統的な神々への崇拝を禁止しなかった。
即位5年目、自分の名前をアクエンアテンに改名、アメンの文字を削った。
即位7年目、首都をテーベからアマルナへ遷都。この新都には、「アテンの地平」を意味するアケト・アテンという名を与えた。
アテン神の変貌
先端が手の形状を取る太陽光線を何本も放ち、 光線の一つに生命の象徴アンクを握った太陽円盤の形で表現された。アマルナ改革によりアンクを持った手は、アクエンアテンに手渡されている。
アマルナ美術
太陽光線を崇める。美術においてもリアルな表現が行われ、アマルナ時代の美術様式は「アマルナ様式 」と呼ばれる。
宗教改革の失敗
この宗教改革は、急激だったために、アメン神団の抵抗が激しく失敗に終わった。アメンホテプ4世アクエンアテンは失意のうちに亡くなった。その息子であるツタンカーメン王の時代にエジプトはアメン信仰に戻った。アテン信仰は消滅した。
唯一神起源説
フロイトは、アクエンアテンの治世年と出エジプトの年と推定される年代がほぼ同じである事を根拠に、アテン神が同じ唯一神教であるユダヤ教の神ヤーウェの原形とする説を唱えた。
――
参考文献
近藤二郎「エジプト美術、世界一周 芸術新潮2009年9」
近藤二郎監修「国立ベルリン・エジプト博物館 古代エジプト展 天地創造の神話」図録2020
「クレオパトラとエジプトの王妃展」図録2015
A.J.スペンサー編(近藤二郎監訳・ 小林朋則訳)『大英博物館図説古代エジプト史』原書房、2009年
ジョージ・ハート著 (近藤二郎監訳・鈴木八司訳)『エジプトの神々』(大英博物館双書 古代の神と王の小事典) 學藝書林、2011年
近藤二郎『ヒエログリフを愉しむ 古代エジプト聖刻文字の世界』2004集英社新書
『古代オリエント集』 筑摩書房. (1999)
ジークムント・フロイト『モーセと一神教』ISBN 978-4480087935「唯一神教アマルナ起源説」。
イアン・ショー(近藤二郎・河合望共訳)『古代エジプト』岩波書店、2007年
河合望『ツタンカーメン 少年王の謎』 (集英社新書)
河合望『古代エジプト全史』雄山閣2021
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王
の愛と苦悩
クレオパトラとエジプトの王妃展・・・生と死の秘密、時の迷宮への旅
石浦章一「ツタンカーメンの謎に新説!正体不明のミイラが彼の母親だった!?、「王家のDNA」解析からわかったこと
ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎
https://bit.ly/39mttQ1
ツタンカーメン発掘100年・・・古代エジプトの王と王妃と女王
https://bit.ly/3usmqyp

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2020年11月28日 (土)

ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎

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Egypt-2009
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』230回

東欧の世界遺産をめぐる旅に行った時、ベルリン博物館を訪れた夏の日を思い出す。
近藤二郎先生の案内で、エジプト博物館の作品をみる。エジプトの謎が蘇る。なぜハトシェプスト (トトメス2世王妃) は、ひげをつけ男装して女王となったのか。【アマルナ美術の謎】アクエンアテン王の異様な容貌と姿は何故か。ネフェルティティ王妃はどこからきたのか。ツタンカーメンの母はだれか。ツタンカーメンはなぜ18歳で死んだのか。なぜアメンホテプ4世はアテン神を導入したのか。アメン神もアテン神も太陽神、どう違うのか。『死者の書』30章の呪文はどう導くのか。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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エジプトの宗教センターは、4か所、ヘリオポリス、メンフィス、ヘルモポリス、テーベ。ヘルモポリスとヘルモポリスは2大宗教都市。
【神々の系譜 9柱神】ヘリオポリスの創生神話
混沌ヌンから創造神アトゥムが生まれ、アトゥムから大気神シュウと湿気女神テフヌウトが生まれ、シュウとテフヌウトから大地ゲブと天空女神ヌフトが生まれ、ゲブとヌフトからオシリスとイシスとセトとネフティスが生まれ、オシリスとイシスからホルスが生まれ、オシリスとネフティスからアヌビスが生まれた。冥界王オシリスと母なる女神イシスから生まれたホルスはファラオとなる。
【冥界王オシリス神】オシリスは、弟セトに殺されバラバラにされるが、妻イシスの呪力によって復活を果たす。息子ホルスがセトに勝利し、地上の王として君臨する。
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【エジプト王朝、3大美女】ネフェルティティ、アメンホテプ4世の王妃。第18王朝。「美しき者来りぬ」。ネフェルタリ、ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。第19王朝。クレオパトラ7世39歳。紀元前30年。権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【エジプトの謎、ネフェルティティ(NeFeRTiTi)】【アマルナ革命、アメンからアテンへ】アクエンアテン(aKH-eN-aToN)王=アメンホテプ4世。王妃ネフェルティティ、アケトアテン(テル・エル・アマルナ)へ遷都。アメン神官、官僚たちが反撥。革命挫折。ツタンカーメン=トゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen) (アメン神の生きた似姿)、再びテーベへ復帰。
【ツタンカーメン(Tut-ankh-amen)】紀元前1356年頃、生まれ1324年死す。古代エジプト文明、最盛期といわれる第18王朝、第11代の王。9才にして王となったが18才の若さにして亡くなった。ネフェルテイティ王妃が自身の3女をツタンカーメンと結婚させたのは、ツタンカーメンが王アクエンアテンの血を引く息子だからである。ネフェルティティ は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアクエンアテンの正妃であり、ファラオ、トゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)の義母。
【ネフェルティティの娘、アンケセナーメン(Ankhesenamen)】ツタンカーメンと婚姻。*ファラオ・アクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女であり、ファラオ・ツタンカーメンの妻。ツタンカーメンの母はだれか。
【ラムセス2世】生涯に8人の正妃、及び多くの側室を娶り、100人以上の子をもうけた。67年間王位につく。第19王朝。ネフェルタリ、ラムセス2世の第一王妃、8人の妃の中で最も美貌、若くして死す。在位、前1279-1213年。治世62年目、92歳薨去。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。
【古代エジプトの4大美女】ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)、ネフェルティティ(アクエンアテン王妃)、ネフェルタリ(ラムセス2世王妃)、クレオパトラ7世(プトレマイオス15世、カエサリオン母)。エジプト文化の最高の瞬間に立つ。
【ハトシャプスト女王、夫はトトメス2世】ハトシェプストの意味は「最も高貴なる女性」。ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)は、二重統治、禁じ手の女王となった。付け髭をつけて男装。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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アマルナ改革
【アメンホテプ4世(Amenhotep IV、紀元前1362年? - 紀元前1333年?) 】彼の行った改革は、アマルナ改革として有名である。アテン神(Aten)を崇拝し、治世5年目(前1367年ごろ)にアテン信仰の導入を始めたが、まだ伝統的な神々への崇拝を禁止しなかった。
即位5年目に名前をアクエンアテン(Akhenaten)に改名、即位7年目に首都をテーベから、アトン神へ捧げる首都アケトアテン(Achetaten)(アマルナ)を建設。王朝発祥の地テーベ(Θῆβαι, Thēbai)を放棄し、遷都した。
即位9年目に入ると、アメンホテプⅣ世は旧来のエジプトの神々を排斥し、アテンが唯一の神であると宗教改革を推し進めた。アメン・ラーの力に対抗する王の試みの一つであった。
アメン(Amen、アモン(Ammon)、アムン(Amun)(テーベの町の守護神)を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことをアメンホテプ4世が嫌い、宗教的権力を王権と一本化することを狙った。アメンホテプ4世自身がアトンを称える詩を執筆している。
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展示作品の一部
「ネフェルティティ王妃」ベルリン博物館、BC1351‐1334
「アクエンアテン王頭部、レリーフ断片」ベルリン博物館、BC1351‐1334
「アクエンアテン王とネフェルティティ王妃、ステラ断片」ベルリン博物館、BC1351‐1334
「ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)のスフィンクス像」ベルリン博物館、BC1479‐1458
「ホルス神に授乳する女神イシス」BC664‐525
「セクメト女神座像」BC1388‐1351
「タレメチェンバステトの『死者の書』」BC332‐246
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ベルリン国立博物館群のエジプト博物館
ベルリン国立博物館群は、ドイツの首都・ベルリンに流れるシュプレー川に浮かぶ「博物館島」にある5つの博物館を中核とする総合博物館群です。プロイセン王国歴代のコレクションを礎とし、先史時代から現代にいたるまで、世界的な規模と質を誇るコレクションを擁しています。
さらに、第二次世界大戦や東西ドイツ分裂の時期を経て、1999年には「博物館島」全体がユネスコの世界文化遺産に登録され、2000年代からは各博物館の改築やコレクションの整理が急ピッチで進められています。
エジプト博物館は、「博物館島」にある5つの博物館のうち、2009年に改修を終えた「新博物館」内にあり、世界で最も有名な女性像の一つとして知られる「ネフェルトイティ(ネフェルティティ)の胸像」を所蔵している博物館として有名です。
紀元前3000年頃の動物の彫像から、古代エジプトに終焉を告げたローマ皇帝の肖像まで、壮大なエジプト史を網羅する同館のコレクションは、17世紀のブランデンブルク選帝侯の所蔵品を発端とし、その後のプロイセン王が主導した発掘や購入により、世界有数のエジプトコレクションとなりました。とりわけ、宗教改革によって個性的な芸術が生まれたアマルナ時代の充実した所蔵品と6万点にものぼるパピルス・コレクションは必見です。
展示構成
第1章 天地創造と神々の世界
「天地創造と終焉の物語」世界の始まりは混沌とした原初の海「ヌン」であった。
その海から、すべてのものが生まれ、育まれた。しかし、世界の終わりがやってくると、すべてのものは再び原初の海へ飲み込まれていく。
古代エジプト社会においては、全知全能の神々の力によって、空や雲、砂漠、風などの自然や、人間や獣、昆虫などの生物、太陽や月、星ぼしに至るまで、この世の全てが創造されたと考えられていました。原初の海「ヌン」と呼ばれる暗闇が支配する混沌とした状態から神々の意思により秩序ある世界が創造されたのです。古代エジプト人は、この秩序をマアトと呼びました。この章では、神々の姿や、神々が創った森羅万象を見ていきます。
第2章 ファラオと宇宙の秩序
宇宙の全体を支配する秩序・摂理(マアト)は、絶対であり、個々の人間が遵守すべき最も重要な規範・道徳としても考えられていました。人間社会のリーダーであるファラオは、社会の中でマアトを守り、実行する最高責任者でした。異民族の侵入やファラオに対する謀反といったようなマアトを揺るがす大きな事件に対しては、「善き神」であるファラオ自身が、強いリーダーシップをもってマアトを実践していくことが必要とされていたのです。
第3章 死後の審判
死者は、墓地の守護神でミイラ作りの神でもあるジャッカルの頭をしたアヌビスにより、「二つのマアト(正義)の広間」に導かれます。ここで死者の審判が行われ、死者の心臓は天秤ばかりにかけられ、マアトを象徴する羽根と釣り合うか計られます。古代エジプト人は考えたり思ったりする器官は脳ではなく心臓だと考えていました。 江戸東京博物館
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参考文献
近藤二郎「エジプト美術、世界一周 芸術新潮2009年9」
「国立ベルリン・エジプト博物館 古代エジプト展 天地創造の神話」図録
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩
https://bit.ly/2zLyazA
クレオパトラとエジプトの王妃展・・・生と死の秘密、時の迷宮への旅
https://bit.ly/2Uve73e
石浦章一「ツタンカーメンの謎に新説!正体不明のミイラが彼の母親だった!?、「王家のDNA」解析からわかったこと

ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」・・・絶世の美女ネフェルティティ王妃とアマルナ美術の謎

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「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」、江戸東京博物館、2020年11月21日(土) ~2021年4月4日(日)
京都市京セラ美術館(2021年4月17日[土]~6月27日[日])、静岡市の静岡県立美術館(7月10日[土]~9月5日[日])、東京・八王子市の東京富士美術館(秋開幕予定)へ巡回

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2015年7月27日 (月)

クレオパトラとエジプトの王妃展・・・生と死の秘密、時の迷宮への旅

20150711大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
黄昏の丘、美しい夕暮れ。森を歩いて、博物館に行く。時の迷宮の扉。扉を開くと、古代エジプトの大列柱室に出る。美しい守護精霊が降臨する。
地中海の夕暮れ、海に佇み、黄金の時間にまどろみ、美しい守護精霊が舞い降りる。
最後の女王クレオパトラ7世 妖艶な死
7か国語を操る知性をもつ、将軍プトレマイオスの末裔。策略と妖艶な美と才知で、権力の狭間で、エジプト最後の王朝の戦略を練った。プトレマイオス13世、14世を殺される。ローマの将軍カエサルとナイル河の旅に出る。アレクサンドロス大王、武将プトレマイオスによって築かれた王朝、最後の女王。プトレマイオス15世=カエサリオンを産み、ローマでカエサルの凱旋式に出席する。カエサルは、前44年3月15日、暗殺される。アントニウスとオクタヴィウスの後継者争いが起こる。クレオパトラは、キュノドス川のタルソスでアントニウスと会う。クレオパトラ28才、アントニウス42才。「美が咲き誇り、才知が煌めいていた」(プルタルコス) クレオパトラは、双子の兄妹を産む。アクティウムの海戦でアントニウスと敗走。アレクサンドリアの王宮にもどり、オクタヴィアヌスの策の裏をかき最後の策略を用いて、霊廟に立てこもり、自殺した。39歳。(プルタルコス『英雄伝』)ルネサンス以後、華麗にして妖艶なクレオパトラのイメージが展開する。妖艶な美女の死の瞬間は、シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』に刻まれる。
大久保正雄『地中海紀行』クレオパトラの死、より
地中海の英霊の聲
偉大な人間は、偉大な死を死ぬ。地中海の英霊の聲が蘇る。
地中海を彩る英雄の死、フィリッポス2世の死、アレクサンドロスの死、プトレマイオスの死、クレオパトラの死。ユリウス・カエサルの死、アントニウスの死、アクティウムの海戦で、クレオパトラは破れ、エジプトは滅亡する。
地中海五千年の歴史は、国家の滅亡の歴史である。ペルシア帝国の滅亡、アレクサンドロス帝国の滅亡、エジプト帝国の滅亡、プトレマイオス王朝の滅亡、ローマ帝国の滅亡、ビザンティン帝国の滅亡。地中海五千年の歴史に、ギリシア人の英知が生きる。イデアの把握は、あらゆる芸術の唯一にして、真の源泉である。
大久保正雄『旅する哲学者』、美への旅、より
エジプト美術の最高峰
エジプト美術の最高傑作は、第18王朝、宗教改革とアマルナ遷都の改革を行ったアクエンアテン王と王妃ネフェルティティによる、アマルナ美術である。
古代エジプトの4大美女は、ハトシェプスト女王(トトメス2世王妃)、ネフェルティティ(アクエンアテン王妃)、ネフェルタリ(ラムセス2世王妃)、クレオパトラ7世(プトレマイオス15世、カエサリオン母)。古代エジプトの4大美女は、エジプト文化の最高の瞬間に立ち会う。
大久保正雄『旅する哲学者』、美への旅、より
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主要展示作品
「ラメセス2世の王妃イシスネフェルト」新王国・第19王朝時代、ラメセス2世治世(前1279~前1213年頃)ブリュッセル、王立美術歴史博物館蔵
「王妃ハトシェプスト」新王国・第18王朝時代 トトメス2世~ハトシェプスト女王治世(前1492~前1458年頃)ボストン美術館蔵(アメリカ)
「ウジャト眼の首飾」新王国・第18王朝時代(前1550~前1292年頃)、ウィーン美術史美術館蔵
「アメン神妻のスフィンクス」第3中間期・第25王朝時代~末期王朝・第26王朝時代
タハルカ王治世~プサメティコス1世治世9年(前690~前656年頃)ベルリン・エジプト博物館蔵
「ハトホル女神をかたどった柱頭」第3中間期・第22王朝時代、オソルコン1世~オソルコン2世治世(前925~前837年頃)大英博物館蔵
「王妃のマスク」新王国・第18王朝時代(前1550~前1292年頃)マンチェスター博物館蔵
「アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ」新王国・第18王朝時代 アメンヘテプ3世治世(前1388~前1350年頃)ブリュッセル、王立美術歴史博物館蔵
「「王妃の頭部」新王国・第18王朝時代 アクエンアテン王治世 (前1351~前1334年頃)
ベルリン・エジプト博物館蔵
「クレオパトラ」プトレマイオス朝時代(前1世紀中頃)トリノ古代博物館蔵
「キアラモンティのカエサル」ローマ時代(前27~前20年頃)ヴァチカン美術館蔵
「クレオパトラの死」アッキーレ・グリセンティ筆 1878~1879年ブレシア市立美術館蔵
アクティウムの海戦のレリーフ、ローマ時代 ユリウス・クラウディウス朝(前27〜後68年)大理石、スペイン、カルドナ侯爵コレクション。
クレオパトラとアントニウスの銀貨、シリア、プトレマイオス朝時代 クレオパトラ7世治世(前51~前30年) 古代オリエント博物館
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「クレオパトラとエジプトの王妃展」東京国立博物館
2015年7月11日(土) ~ 2015年9月23日(水)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1714
http://egypt2015.jp
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Alexandre CABANEL ,Cleopatra Testing Poisons on Condemned Prisoners (1887)
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2012年8月28日 (火)

ツタンカーメン展、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩

Tutankhamun_0Nefertitietakhenaton大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
18歳のファラオの死と悲劇の王妃アンケセナーメン。アマルナ美術を生み出したアクエンアテン王の改革と美しき王妃ネフェルティティの王宮の謎。
ツタンカーメンは、9歳で即位し、権力の頂点に立った。アクエンアテンとネフェルティティの3女であるアンケセナーメンと結婚した。だが18歳で急死した。
父王、偉大なアクエンアテン王は、神官団と戦い宗教改革、官僚制改革を実行した。そしてアマルナ芸術を残した。だが、ツタンカーメンは、なぜ太陽神アテン神から多神教アメン・ラー神へ復帰したのか。なぜテル・エル・アマルナからテーベへ遷都したのか。謎である。
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★王妃アンケセナーメン、枯れた矢車菊の花束
3300年の時を超えて、ツタンカーメンの墓は1922年11月4日イギリスのエジプト学者ハワード・カーターによって発見された。この中に2000点以上の宝物が眠っていた。ツタンカーメンは3重の人型棺の中に収められていた。枯れた矢車菊が、棺のそばに置かれていた。王妃アンケセナーメンが、葬儀が終わって埋葬するときに野に咲いている矢車菊を入れたらしい。発見者のハワード・カーターは心に残った出土品はこの矢車菊だと言っている。カーターは『ツタンカーメンの呪い』を受けることなく65歳まで生きた。[王妃が手向けた矢車菊の花束(カイロ・エジプト考古学博物館蔵)](cf.ハワード・カーター『ツタンカーメン発掘記』)
「黄金の玉座」(カイロ・エジプト考古学博物館)には、ツタンカーメン王と王妃アンケセナーメンの姿が描かれている。王は右腕を椅子の背に乗せてくつろいで腰かけ、王妃は右手を王の身体に当てて香油を塗る、若い2人の親密な場面が描かれている。
★ネフェルティティ、美しき者きたりぬ
ネフェルティティ(BC1396-1359 NeFeRTiTi、紀元前14世紀)は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアクエンアテン(aKH-eN-aToN, イクナートン、アメンホテプ4世)の王妃。ファラオ、トゥト・アンク・アメン(Tutankhamun「アメンの生ける似姿」の意味 BC1342年頃 - BC 1324年頃)の義母である。
彼女の名の意味は、NeFeR-T-(美しい・者)が iTi(訪れた)。ネフェルティティは、謎を秘めた未完成の美しい胸像が著名であり、古代エジプトの美女の一人と考えられている。「ネフェルティティの胸像」(ベルリン、エジプト博物館所蔵)
★参考文献
ハワード・カーター『ツタンカーメン発掘記』筑摩叢書1971
鈴木八司『沈黙の世界史 王と神とナイル エジプト』新潮社1970年
鈴木まどか『エジプト美術の謎』1992
ツタンカーメン、黄金の秘宝と少年王の真実・・・少年王の愛と苦悩
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展示作品の一部
「アテン神を礼拝するアクエンアテン王一家のレリーフ」(Relief of King Akhenaten family to worship God Aten)、新王国 第18王朝 前1365年頃 テル・エル・アマルナ出土 アラバスター 浮彫り、テル・エル・アマルナ大王宮大広間、欄干。
 アテン神を象徴する太陽球から発せられる光線は、アテン神からの祝福を表し、それを受けるアクエンアテン一家が描かれている。太陽光線の先端は掌の形をしており、生命を象徴する「アンク」を王の鼻先にかざしている。王と共に祝福を受けているのは、王妃ネフェルティティと王女メリトアテン。
「アクエンアテン王の巨像頭部」砂岩:ルクソール東岸 東カルナック、アテン神殿、柱廊。アメンヘテプ4世は、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を行い、自らの名をアクエンアテン「(アテンに有益なもの)の意」に改めた。高さ5m以上の巨大なオシリス柱として、治世2~5年にかけてつくられ、カルナックのアテン神殿に設置された。特徴は、逆三角形の長い頭、細い目、厚い唇、尖った顎。
「ネフェルティティ王妃の頭部像」ミラ・ラヒーナ(メンフィス)、メルエンプタハ王宮
「王女の頭部像」
「下エジプト王冠を被ったツタンカーメンの像」「上エジプト王冠を被ったツタンカーメンの像」ルクソール(テーベ)王家の谷、ツタンカーメン王墓
「ツタンカーメンの棺形カノポス容器」ルクソール(テーベ)王家の谷、ツタンカーメン王墓
「チュウヤの人形棺」ルクソール(テーベ)王家の谷、チュウヤ墓
「アクエンアテン王のシャブティ」テル・エル・アマルナ、王家の溺れ谷
「ネフェルティティ王妃レリーフ」テル・エル・アマルナ、アテン大神殿
「ツタンカーメンの胸飾り」ルクソール(テーベ)王家の谷、ツタンカーメン王墓
「有翼スカラベ付き胸飾り」ルクソール(テーベ)王家の谷、ツタンカーメン王墓。
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ツタンカーメン展~黄金の秘宝と少年王の真実~
3300年の時を超えて、今なお人々を魅了し続ける古代エジプトの秘宝。中でも人気が高いツタンカーメン王にゆかりの品々が展示される『ツタンカーメン展』が開催。今回は、ツタンカーメンの王墓から見つかった副葬品約50点など、日本未公開の展示品を含むエジプト考古学博物館(カイロ博物館)所蔵の122点を展示。さらに、世界最高峰のエジプト考古学者ザヒ・ハワス博士の研究成果にも注目したい。
この貴重な機会に、謎に包まれたツタンカーメンの秘密に触れてみてはいかがだろうか。
http://kingtut.jp/
http://www.fujitv.co.jp/events/kingtut/top.html
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★ツタンカーメン展~黄金の秘宝と少年王の真実~、上野の森美術館
2012.8/4[土]~12/9[日] 開催時間 10:00~18:00 ※最終入場は17:00まで
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2012年8月19日 (日)

大英博物館 古代エジプト展・・・永遠の生命とは何か

20120707大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
エジプトのファラオ、秦の始皇帝。階級社会の頂点に立つ者は、永遠の生命をのぞんだ。永遠の生命をのぞむのは何故か。永遠の生命とは何か。皇帝、ファラオたちが求めたのは、地上の権力、地位と金の永続であったのだろう。人は、肉体を失えば、魂のみである。永遠の生命とは何か。
魂は不滅であり、輪廻転生するならば、魂はどこへ行くのか。永遠の生命とは何か。冥界の旅を導く『死者の書』はいかなる意味をもつのか。
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■魂のピラミッド
この世には、階級社会による、富のピラミッドが存在する。地位と金と権力による人間界の支配である。人は、肉体を失えば、魂のみである。
魂のピラミッドも存在する。魂のレベルによる、魂の階級である。知性と品性と愛のレベルによって、魂のピラミッドは構築される。レベルの低い魂が存在する。財産と地位を積み重ねても、レベルの高い魂にはならない。レベルの低い魂には、真実は見えない。人は、肉体を失えば、魂のみである。
「金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい。」(マタイによる福音書19章16-26節)
「たとえ、全世界を手にいれても、魂を失ったならばなんの益になろうか」(マタイ福音書16章26節)
愛とは与えることである。人が死んだ後に残るものは、集めたものではない。与えたものである。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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展示作品の一部
オシリス神像、新王国時代・第20柄王朝 前1100年頃 木、彩色
ミイラマスク、プトレマイオス朝またはローマ支配時代、前1~後1世紀 カルトナージュ、彩色、金箔
グリーンフィールド・パピルス(ネシタネベトイシェルウの『死者の書』第3中間期・第21王朝後期~第22王朝初期(前950-前930年頃) パピルス、インク
動物の風刺パピルス 新王国時代・第19王朝~20王朝(前1295-前1069年頃) パピルス、彩色
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古代エジプト人を来世へ導いた『死者の書』とは?
古代エジプトでは、人は死後に冥界の旅をへて来世で復活すると考えられていました。『死者の書』とは様々な試練が待つ旅路で死者に守護の力を与える呪文集、未来への旅のガイドブックです。その多くは美しい文字や挿絵で彩られたパピルスの巻物として死者に捧げられました。本展は大英博物館が誇る『死者の書』コレクションから全37mの世界最長の『死者の書』、「グリーンフィールド・パピルス」の全容を日本初公開するほか、ミイラや棺、護符、装身具など約180点で、古代エジプト人が祈りを込めた来世への旅路を追体験する展覧会です。
本展覧会は、『死者の書』の記述をもとに、古代エジプト人の死後の世界観と、来世へいたる旅を4つの章で紹介します。第3章では、世界最長の『死者の書』(グリーンフィールド・パピルス)37mの全容を日本で初めて一堂に展示します。
死者の書とは
『死者の書』とは様々な試練が待つ旅路で死者に守護の力を与える呪文集、未来への旅のガイドブックです。その多くは美しい文字や挿絵で彩られたパピルスの巻物として死者に捧げられました。現存する世界最長全長37mの『死者の書』(グリーンフィールド・パピルス)は、テーベを中心に上エジプトを支配していたアメン大司祭パネジェム2世の娘で女性神官のネシタネベトイシェルウの『死者の書』であり、天と地の誕生を表した挿絵は特に有名です。
第Ⅰ章 古代エジプトの死生観
古代エジプト人にとって、現世は仮の世界であり、来世への準備期間であるとみなされ、埋葬のための準備がなされました。また、生前の行為によって、死者の判定が行われました。その結果、死者は、死後に再生・復活し、永遠の生命を得るものと信じられていました。
第Ⅱ章 冥界への旅
古代エジプトでは、死者は様々なものに姿を変えながら、危険に満ちた冥界での旅を続けました。行手には、さまざまな困難が待ちうけ、それらを克服し、再生・復活を果たすために、呪文を唱えることが必要とされました。『死者の書』には約200の呪文(章句)が記されています。
第Ⅲ章 世界最長『死者の書』グリーンフィールド・パピルス
第3中間期第21王朝後期あるいは第22王朝初期(前950-前930年頃)のパピルスで、現存する世界最長全長37mの『死者の書』。テーベを中心に上エジプトを支配していたアメン大司祭パネジェム2世の娘ネシタネベトイシェルウの『死者の書』であり、天と地の誕生を表した挿絵は特に有名です。本展会場では37mの全容を日本で初めて一堂に展示します。
第Ⅳ章 『死者の書』をめぐる研究
『死者の書』は19世紀のエジプト学者が命名したもので、実際には「日のもとに出現すること(の呪文)(ペレト・エム・ヘルウ)」と呼ばれていました。古代エジプトでは、『死者の書』だけでなく、『洞窟の書』や『冥界の書』などの数多くの葬送文書が存在しています。
http://egypt2012.jp/index.html
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★大英博物館 古代エジプト展、森アーツセンターギャラリー
2012年7月7日(土)~9月17日(月・祝) 会期中無休
10:00~22:00
http://egypt2012.jp/index.html
2012年10月6日(土)~11月25日(日)福岡市美術館へ巡回します。

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2009年8月18日 (火)

トリノ・エジプト展 イタリアが愛した美の遺産、東京都美術館・・・夏の夜の森

Torino2009大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
8月7日、蝉しぐれのなか、夕暮れの木漏れ日の森を歩いて、美術館に行く。
オシリス神話、ライオン頭のセクメト女神、アメン神とラー、アクエンアテンとトゥタンカーメン、三つの物語と古代の宗教改革の歴史が蘇ってくる。ほとんどすべてが墓と聖域の副葬品である。死者のためにささげられた美術である。美術監督ダンテ・フェレッティによる大型彫像の並ぶ彫像ギャラリーが壮麗である。
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展示作品の一部
「プタハ神座像」新王国時代、第18王朝、アメンヘテブ3世治世(前1388~前1351年頃)
「ライオン頭のセクメト女神座像」新王国時代、第18王朝、アメンヘテプ3世治世(前1388~前1351年頃)閃緑岩 テーベ、アメンヘテプ3世葬祭殿出土
「オシリス神をかたどった王の巨像頭部」新王国時代、第18王朝、トトメス1世治世(前1504~前1492年頃)砂岩、彩色 カルナク出土
高さ:149cm、幅:48cm、奥行:60cm
「イビの石製人型棺の蓋」末期王朝時代、第26王朝、プサメティク1世治世(前664~前610年頃)変成硬砂岩 テーベ西岸、アサシーフ地区出土
「コンスのピラミディオン」新王国時代、第18~20王朝(前1550~前1070年頃)
パピルスに書かれた「死者の書」プトレマイオス時代~ローマ支配時代(前332~後395年)
「アメン神とツタンカーメン王の像」新王国、第18王朝時代、ツタンカーメン王~ホルエムへプ王治世(前1333-前1292年頃)石灰岩、テーベ出土
「アメン・ラー神に牡羊の頭部を捧げるペンシェナブの像」新王国時代、第19王朝(前1292~前1186年頃)石灰岩、彩色 テーベ出土
■展覧会構成
第1章 トリノ・エジプト博物館
第2章 彫像ギャラリー
第3章 祈りの軌跡
第4章 死者の旅立ち
第5章 再生への扉
観終わってロビーに向かうと烈しい雷と豪雨、ロビーで雨宿りする。
夏の夜の森を歩いて、西洋美術館に行く。
■「かたちは、うつる―国立西洋美術館所蔵版画展」国立西洋美術館、
デューラー「メランコリア」、ピラネージ「パエストゥムのポセイドン神殿」、クロード・ロラン「フォロ・ロマーノ」、ヘンリク・ホルツィウス「ベルベデーレのアポロン」、ウィリアム・ブレイク「サタンの墜落」。西洋絵画は「うつす」ことを目的としていることを示す展示。イタリアの思い出が蘇る。
工事が終了して再開館した常設展に行く。夜の美術館は静寂に包まれる。
■蘇った「常設展」国立西洋美術館
ヴァザーリ、カルロ・ドルチ、クロード・ロラン、ロセッティにいつものように会いに行く。
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近代イタリア統一後の最初の首都となり、冬季オリンピックの開催でも知られるイタリア北西部の都市トリノ。ここに、ロンドンの大英博物館やパリのルーヴル美術館などと比肩する世界屈指のエジプトコレクションが存在します。
トリノ・エジプト博物館は19世紀、ナポレオンのエジプト遠征に従軍し、フランスのアレクサンドリア総領事となったエジプト学者ベルナルド・ドロヴェッティの収集品を中心に創設されました。本展では、同博物館のコレクションから、大型彫像やミイラ、パピルス文書など代表作品約120点を選りすぐり、日本で初めて公開します。
★「トリノ・エジプト展 イタリアが愛した美の遺産」東京都美術館(2009年8月1日~10月4日まで)
http://www.torino-egypt.com/
★国立西洋美術館「かたちは、うつる―国立西洋美術館所蔵版画展」(2009年7月7日~8月16日)、★国立西洋美術館常設展(6月4日~8月30日(日)、★藝大美術館の「コレクションの誕生、成長、変容―藝大美術館所蔵品選―」(8月16日まで)、★国立科学博物館「シカン展」(10月12日まで)、

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