テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ・・・ウィリアム・ブレイクの幻想
【「毒のある木」】夜が 天空をすっかりおおいつくしたとき、朝になって わたしが見たら うれしや。わたしの敵は その木の下に のびていた。ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌』「毒のある木」寿学文章訳。邪悪なるものに、天誅下る。
「毒のある木」は、密教の呪詛調伏、怨敵調伏の真言である。
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』289回
「すべての人の生活に美を」ウィリアム・モリスは、ラファエル、D.G.ロセッティ、J.E.ミレイ、エドワード・バーン=ジョーンズらと生涯にわたる交流から藝術作品を生み出した。
【ウィリアム・モリス(William Morris,1834- 1896)】19世紀イギリスの詩人、デザイナー、マルクス主義者。モダンデザインの父と呼ばれる。職人はプロレタリアートになり、労働の喜びや手仕事の美しさも失われた時代にあって、中世に憧れ、プロレタリアートを解放し、生活を芸術化するために、根本的に社会を変えることが不可欠だと考えた。マルクス主義を熱烈に信奉し、エリノア・マルクスらと行動をともにし、社会主義協会を結成した。叙事詩『地上の楽園』、『世界の果ての泉』などの著書がある。
【アーツ&クラフツ】思想家ジョン・ラスキン(1819-1900)と、デザイナーで思想家、詩人でもあったウィリアム・モリス(1834-96)でした。ラファエル前派のD.G.ロセッティやエドワード・バーン=ジョーンズらが参加したモリス・マーシャル・フォークナー商会(のちにモリス商会)を中心に、装飾芸術をめぐって活発な活動がロンドンで繰り広げられました。1880年代末には運動の名称ともなったアーツ&クラフツ展協会が創設され、各地で意欲的な展覧会が開かれたり、工房が作られた。
【ラファエル前派、愛の迷宮、運命の女】
ロセッティとジェーン・バーデン、ロセッティと4人の女、
ジェーン・バーデンは、ロセッティ「プロセルピナ」のモデルである。ロセッティ、モリス、ジェーンの間には、不思議な三角関係がある。ウィリアム・モリス
1859年、25歳のウィリアム・モリス(1834-96)は、19歳のジェーン・バーデン(1839-1914)と結婚する。ロセッティは、エリザベス・シダル(1829-62)と1860年に結婚したが、彼女は1862年亡くなる。エリザベスは、ミレイ「オフィーリア」のモデルである。ロセッティの次のモデルは、ファニー・コンホース、その次のモデルは、アレックス・ワイルディングである。ロセッティ(1828-82)は、ジェーンを愛しつづけ、多彩な愛と藝術の果てに、53歳で死ぬ。エリザベス・シダルは32歳の若さで死ぬが、
ミレイ67歳、モリス62歳の死後、ジェーン・バーデンは、74歳まで生きる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」
【産業革命、19世紀後半】産業革命で大きく変化した19世紀後半のイギリス。便利になった反面、自然が失われ、人々の生活も機械的になっていった。これを危惧したモリスは「すべての人の生活に美を」と暮らしのデザインに踏み出す。会場ではモリスが手がけた様々なデザイン全20点から、彼の哲学を紐解く。粗悪品が許せないモリスは、素材や製法にもこだわった。
有名な「いちご泥棒」はそのひとつ。この作品には当時は大変な手間がかかったインディゴ染めが用いられている。モリスの美意識は、壁紙や布、そしてブックデザインに至るま で貫かれた。
【アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会】モリスの理念に共感した若い世代の建築家やデザイナー達は「アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会」を設立、さらなる啓蒙と芸術と工芸の向上に努めた。ウォルター・クレインやC・F・A・ヴォイジーなど主要メンバー5人の作品を通して協会の活動を紹介。
アーツ・アンド・クラフツ運動は次第に商会やメーカーにも波及していく。「リバティプリント」で知られるリバティ商会などが参入、より多くの人々に美しい商品を提供することに成功する。モリスの掲げた「すべての人の生活に美を」の理想が、次第に現実的になっていく。
【ティファニー・スタジオ、フランク・ロイド・ライト】イギリスで興ったデザインの革命は、アメリカへと広がる。「すべての人に美を」という民主的な芸術は、アメリカの風土に合った美意識だった。終盤ではティファニー・スタジオやフランク・ロイド・ライトら、アメリカにおけるアーツ・アンド・クラフツ運動の旗手へ。
【機械で大量生産】「多くの人に手頃な価格で供給=機械で大量生産」
「すべての人に美を」を理念に掲げたモリスは「良質なものを職人の手仕事で」それを成し遂げたかったのだが、そのやり方ではどうしても廉価で生産できないため、「すべての人に美を」が不可能になってしまうことに悩んでいた。
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★展示作品の一部
ウィリアム・モリス《いちご泥棒》 1883年 個人蔵
ウィリアム・モリス、ケルムスコット・プレス、D.G.ロセッティ『ソネットと抒情詩』
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★参考文献
「ラファエル前派の軌跡展」・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
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「生活と芸術 アーツ&クラフツ展」ウイリアム・モリスから民芸まで・・・いちご泥棒Strawberry Thief
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「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」・・・いちご泥棒 Strawberry Thief
https://bit.ly/3LOqWzq
近代化、工業化の進む19世紀のイギリスで、丁寧な手仕事による日常品で人々の暮らしを美しく彩ることを目指したウィリアム・モリス。その理念を受け継いだアーツ・アンド・クラフツ運動は、やがて世界各地に広がりました。家具、テキスタイル、ガラス器、ジュエリーなど、約150点によって、その世界をご覧いただきます。
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「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」、府中市美術館、9月23日から12月4日まで
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第237回
荒涼とした大地、陰鬱な樹々、沸き立つ雲、輝く虹、湿った空、戦いの海。仔細に見ると荒々しい筆致。ジョン・コンスタブルの風景は、陰鬱で荒々しい。「虹が立つハムステッド・ヒース」、荒々しい大地に立つ虹は、何の予兆だろうか。理想風景は崩壊する。
西洋風景画、クロード・ロランから始まる。クロード・ロラン、夕暮れの風景、夕暮れの海景
クロード・ロラン(1600年代-1682)は、古代の理想風景を追求する風景画家、海景画家である。古代イタリアの古典主義の神話画、夕暮れの田園風景、夕暮れの港の海景を描いた。『タルソスに上陸するクレオパトラ』1642『クリュセイスを父親のもとに送り返すオデュッセウス』1644『海港 シバの女王の上陸』1668
ジョン・コンスタブルはクロード・ロランを「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」「全てが美しく-全てが愛らしく-全てが心地よく安らかで心が温まる」と絶賛。
西洋風景画の系譜
17世紀、1620年代、クロード・ロランから始まる。1637年頃から風景画家、海景画家としての名声を高め。フランス人のニコラ・プッサンとも交友があり、ローマン・カンパーニャを共に旅している。17世紀オランダ風景画、ヤーコプ・ファン・ロイスダール、19世紀カミーユ・コロー、19世紀イギリス、J.M.W.ターナー、ジョン・コンスタブル。ターナーは、クロード・ロランの理想風景画の影響を受けた。コンスタブルは17世紀オランダ風景画の影響を受ける。『草地から望むソールズベリー大聖堂』1831。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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ポレオン戦争の勝利、ワーテルローの戦い1815、ネイサン・ロスチャイルド
1815年のワーテルローの戦いは、ナポレオンが勝てばイギリスのコンソル公債は暴落し、イギリスが勝てば逆に高騰するだろうと予想された。ネイサンはロスチャイルド家の情報伝達体制を駆使、イギリス勝利の情報を掴んだ。ロスチャイルド家の優れた情報収集体制は金融界に知れ渡っていた。みなネイサンの動向を注視していた。ネイサンはまず公債を売った。それを見た他の投資家たちはイギリスの敗戦を確信し、一斉に売りに入った。公債が暴落したところでネイサンは急遽莫大な量の買いに入った。イギリスの勝利の報告が入ると公債は急騰し、ネイサンは莫大な利益を上げることに成功。これは「ネイサンの逆売り」として伝説化。1817年ロスチャイルド五兄弟全員にオーストリア帝国のハプスブルク家より「フォン(von)」の称号を送られ、1822年には5兄弟に男爵位と紋章が授与された。ネイサンは称号や紋章のような名誉には関心がなく、男爵の称号も全く使用しなかった。勲章も贈られたが、身につけなかった。自由主義国イギリスではハプスブルク帝国の専制国家から授与された爵位など価値はない。
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1、風景画家コンスタブルの大回顧展 35年ぶり、伊勢丹美術館1986年
19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)は、1歳年長のJ. M. W. ターナー(1775-1851年)とともに自国の風景画を刷新した。彼らの制作は対照的で、ターナーが各地を旅して国内外の景観の膨大な素描を残したのに対し、コンスタブルは自らの生活や家庭環境に結びつく場所を描き続けた。
2、戸外での風景画制作
1776年、イングランド東部のサフォーク州イースト・バーゴルトに生まれたコンスタブルは、ロンドンの美術学校ロイヤル・アカデミーに入学後、優位に置かれていた肖像画などを手掛けつつも、自分が愛着をもつ土地を描いていた。1802年、「自然が根源的にもつ本質を探る」ため、戸外での風景画制作を始めた。本展では、《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》をはじめ、コンスタブルが身近な土地を描いた油彩画の数々。
3、風景表現の探求 ハムステッドの高台にて 結核を患う妻
コンスタブルは1816年末に結婚し、家庭生活を維持するべく肖像画制作に励む一方、風景画にも注力。1819年にはロイヤル・アカデミーの准会員に選出され、評価を高めた。1820年代初頭には、ロンドンの北に位置するハムステッドの澄んだ空気のもとで家族と過ごし、1824年以降には結核を患う妻の療養のためにブライトンをたびたび訪れるようになる。会場では、ハムステッドで画家を魅了した雲の習作や、家族や友人と過ごした土地の風景を描いた。
4、想像力を駆使した後期の作品 妻マライアの死
1828年に妻を亡くした数ヶ月後、コンスタブルは、ロイヤル・アカデミーの正会員に選出され、批評に縛られずに主題や技法を選ぶ自由を得た。以後、過去に描いてきたサフォークなどの風景に取り組み、後期には、画中のモティーフを自由に配置しなおすなど、想像力を駆使した作品を手掛けた。《虹が立つハムステッド・ヒース》など、壮大で「ピクチャレスク」な風景画を描く。1837年死す、享年61歳。
5、ターナーとコンスタブルの対決、1832年ロイヤル・アカデミー
コンスタブルの大作《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》。この作品は、ターナーの《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》とともに、1832年のロイヤル・アカデミー夏季展に出品された華やかな風景画。これら2作が日本では初めて並んで展示される。
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参考文献
ケネス・クラーク「風景画論」(佐々木英也訳、ちくま学芸文庫、2007年)
「イタリアの光 クロード・ロランと理想風景」国立西洋美術館1998
「コロー 光と追憶の変奏曲」国立西洋美術館2008「銀灰色の靄に包まれた喚起力と連想の芸術」コロー《モルトフォンテーヌの想い出》1864
《ヴィル=ダヴレー、牛飼い女のいる森の入口》道に差し込む光線、《ローマのコロセウムの習作》《ファルネーゼ公園から見たフォロ・ロマーノ》光と影、《プッサンの散歩道》《ティヴォリ、ヴィラ・デステ庭園》
「コロー 光と追憶の変奏曲」・・・夕暮れの光に包まれるイタリアの風景
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「コロー 光と追憶の変奏曲」・・夕暮れの光から銀灰色の靄に包まれた思い出の森へ
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「ターナー 英国最高の風景画家」東京都美術館2013
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア》1832
《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》1820
ターナー展 英国最高の巨匠・・・イタリアの黄昏、黄金の光
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「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」2016、森アーツセンター
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ヤン・バプティスト・ウェーニクス《地中海の港》1650
コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン《港町の近くにて》1615-20
カレル・ファブリティウス《帽子と胴よろいをつけた男(自画像)》1654
「テート美術館所蔵 コンスタブル展 図録」三菱一号館美術館
Press Releaseテート美術館所蔵 コンスタブル展、三菱一号館美術館
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展示作品の一部
ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816 -17年、油彩/カンヴァス、101.6×127.0cm、テート美術館蔵Tate
ジョン・コンスタブル《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》1816年、油彩/カンヴァス、30.5×25.1cm、テート美術館蔵Tate
ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》 1832年発表、 油彩/カンヴァス、130.8×218.0cm、テート美術館蔵Tate
ジョン・コンスタブル《チェーン桟橋、ブライトン》1826-27年、油彩/カンヴァス、127.0×182.9cm、テート美術館蔵Tate
ジョン・コンスタブル《草地から望むソールズベリー大聖堂のスケッチ》1829年?、油彩/カンヴァス、36.5×51.1cm、テート美術館蔵Tate
ジョン・コンスタブル《デダムの谷の眺め》1802年、油彩/紙・カンヴァス、51.5×61.0cm、郡山市立美術館蔵
J. M. W. ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年、油彩/カンヴァス、91.4×122.0cm、東京富士美術館蔵
ジョン・コンスタブル《虹が立つハムステッド・ヒース》1836年、油彩/カンヴァス、50.8×76.2cm、テート美術館蔵Tate
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19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)は、一歳年長のJ. M. W. ターナーとともに自国の風景画を刷新し、その評価を引き上げたことで知られます。 ターナーが絶えず各地を旅して、国内外の景観を膨大な数の素描に収めたのとは対照的に、コンスタブルは、ひたすら自身の生活や家庭環境と密接に結びつく場所を描きました。故郷サフォーク州の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を写した生気あふれる作品の数々は、この画家が何を慈しみ、大切に育んだのかを雄弁に物語ってやみません。
日本では35年ぶりとなる本回顧展では、世界有数の良質なコンスタブルの作品群を収蔵するテート美術館から、ロイヤル・アカデミー展で発表された大型の風景画や再評価の進む肖像画などの油彩画、水彩画、素描およそ40点にくわえて、同時代の画家の作品約20点をご紹介します。 国内で所蔵される秀作を含む全85点を通じて、ひたむきな探求の末にコンスタブルが豊かに実らせた瑞々しい風景画の世界を展覧します。
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テート美術館所蔵 コンスタブル展、三菱一号館美術館、2021年2月20日(土)~5月30日(日)
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第177回
藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティDante Gabriel Rossetti (1828-82)は、運命との戦いの果てに、生涯の最後に、3枚の絵を残した。
「祝福されし乙女」「ムネモシュネ」「プロセルピナ」(1876-1882) 3部作である。「祝福されし乙女」は、地上の恋人と死んだ女の霊的交流をえがく。「ムネモシュネ」は記憶の女神、「プロセルピナ」は冥界とこの世を行き来する。
ロセッティ(1828-82)は、ラファエル前派(1848-53)から脱出して、『ウェヌス・ウェルティコルディア』(1863-1868)をへて、運命の女の主題に耽溺する。
ウェヌスは、トロイの王子「パリスの審判」で選んだアプロディーテ。【ペレウスの饗宴】「神々の饗宴」でエギナ島の王ペレウスと海の女神テティスとの結婚式に招待されなかった不和の女神エリスが「最も美しい女神に」と書いた手紙とリンゴを使いのヘルメスに持たせて送り込ませた。黄金の林檎をめぐって3人の女神が争う。【女神の争い】三女神は最も美しい装いを凝らしてトロイの王子パリスの前に立った。女神は贈り物を約束する。ヘラは世界を支配する力、アテナはいかなる戦争にも勝利を得る力、アプロディーテは最も美しい美女、それぞれ与える約束をした。パリスの審判。『キュプリア』
藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★参考文献
【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。パブロ・ピカソ
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
孤高の思想家と藝術家の苦悩、孫崎享×大久保正雄『藝術対談、美と復讐』
https://bit.ly/2AxsN84
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「妻(1862没)の遺体とともに埋葬した詩稿を69年発掘し、70年《詩集》を刊行。《詩集》の〈天国の乙女〉は地上の恋人と死んだ女の霊的交流をえがき《バラッドとソネット》(1881)には〈白い船〉〈王の悲劇〉のほかに、名高い連作ソネット集〈生命の家The House of Life〉の大部分を収めた。そこには,絵画における理想の女性像である妻およびジェーンとの愛の葛藤に悩み精神的救済をもとめる詩人の姿が浮彫になっている。」出典『世界大百科事典』【ロセッティ】The House of Life
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Rossetti 『祝福されし乙女』(1875-1878)
ロセッティの詩から絵画が生みだされた唯一の作品である。
Dante Gabriel Rossetti – The Bower Meadow1872
「祝福されし乙女」The blessed damozel
The blessed damozel leaned out
From the gold bar of Heaven;
Her eyes were deeper than the depth
Of waters stilled at even;
She had three lilies in her hand,
And the stars in her hair were seven.
天に召されし乙女、天国の
黄金の欄干から身を乗り出して
その目は夕暮れの
深い淵より深く
手に三本の百合の花を、
髪に七つの星を戴いて
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ロセッティ『プロセルピナ』Rosetti,Proserpina(1874、第8版1882)。8枚の絵画を描いた。
「ムネモシュネ」と「プロセルピナ」はF・R・レイランド(ホイッスラーの孔雀の間をもつ大富豪)のドローイング・ルームにかけられていた。1892年。この二枚の中央が「祝福されし乙女」。
Six Rossetti paintings as hung in Leyland's drawing room, 1892. Proserpine hangs fourth from the left.
https://en.wikipedia.org/wiki/Proserpine_(Rossetti_painting)
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ロセッティ『ムネモシュネ』Mnemosyune(1876-1881)。記憶の女神、ゼウスと9夜を共にして、9人のムーサイを生む。黄泉の国で、レーテ(忘却)川と対をなす池(記憶)の化身。亡くなった魂が転生する際に、レーテ川で生前のことを思い出せなくなるのに対し、ムネモシュネの池の水を飲むことにより転生を止めさせる。
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ロセッティ「プロセルピナ」Proserpine(1874)冥界の女王であり冥界の囚われ人である。地下と地上、2つの世界で半年ずつ過ごさなければならないという宿命を持ち、地下においてはプルートーの妻として過ごし、地上においては春の女神として花々を咲かせる。
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ロセッティ『ウェヌス・ウェルティコルディア』(1863-1868)
お前に渡そうと林檎の実を手にしながら
胸のうちでは渡さずにおくと決めたかのよう
思いに耽りつつ、その目はお前の魂のうちに
見える物の跡をたどっている。
たぶんこう言うのだ、「見よ、かの者は心安らかなり。
ああ!その唇には林檎を――その胸には
つかの間の快楽のあと、突き刺さる投げ矢を――
その足はとこしえにさまよい歩かしめよ!」
しばし彼女の眼差しは静かにはにかむ。
だが、魔力を及ぼす実を与える時には
プリュギアの若者を見た時の如く目は燃え上がる。
そうして、彼女の鳥の張り詰めた喉は悲しみを予告し
彼女の遠い海は一枚貝のように呻き
彼女の暗い木立を貫いてトロイの光が打つ。
(松村伸一訳)『D.G.ロセッティ作品集』岩波文庫、ロセッティ,D.G.【著】/南條 竹則/松村 伸一【編訳】
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★ ラスキン生誕200年記念「ラファエル前派の軌跡展」
三菱一号館美術館、2019年3月14日~6月9日
あべのハルカス美術館、2019年10月5日(土)~12月15日(日)
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第175回
春の花の匂いが庭に満ちる。沈丁花の花が香る道を歩いて美術館に行く。ロセッティ「ウェヌス・ウェルティコルディア」(1868)、「祝福されし乙女」(1875-1878)、「ムネモシュネ」(1876-1881)、3点が強烈な魅力を放つ。薔薇の強烈な芳香のようである。ロセッティは、詩人であり、画家である。詩集『生命の家』と神話の世界を絵画によって表現、象徴的世界を創造した。
1848年、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイらはラファエル前派同盟を結成した。彼らの精神的な指導者となり、19世紀の英国美術の発展に大きな影響を与えた思想家、ジョン・ラスキンの生誕200年記念展覧会。ラスキンは、ミレイを高く評価したが、その後、どうような物語が展開したのか。
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ラファエル前派、愛の迷宮、運命の女、
ロセッティとジェーン・バーデン、ロセッティと4人の女
ジェーン・バーデンは、ロセッティ「プロセルピナ」のモデルである。ロセッティ、モリス、ジェーンの間には、不思議な三角関係がある。1859年、25歳のウィリアム・モリス(1834-96)は、19歳のジェーン・バーデン(1839-1914)と結婚する。ロセッティは、エリザベス・シダル(1829-62)と1860年に結婚したが、彼女は1862年亡くなる。エリザベスは、ミレイ「オフィーリア」のモデルである。ロセッティの次のモデルは、ファニー・コンホース、その次のモデルは、アレックス・ワイルディングである。ロセッティ(1828-82)は、ジェーンを愛しつづけ、多彩な愛と藝術の果てに、53歳で死ぬ。エリザベス・シダルは32歳の若さで死ぬが、ミレイ67歳、モリス62歳の死後、ジェーン・バーデンは、74歳まで生きる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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ラファエル前派、愛の迷宮、運命の女
ジョン・エバレット・ミレイとエフィー・グレイ
ミレイ(1829-96)は、史上最年少の11歳でロイヤル・アカデミー付属学校に入学、「神童」と騒がれる。『両親の家のキリスト』(1849-50)とラファエル前派に対する批判の中で、21歳のミレイは苦悩する。ミレイは、友人の仲介で権威ある評論家ラスキンに擁護を嘆願した。ラスキンは「タイムズ」紙上で彼らを擁護する文章を発表、ラファエル前派(Pre-Raphaelites Brotherhood)を支援する。ジョン・ラスキンは、美術評論家、ロマン派文学を愛好し『近代絵画論』1834を著し名を成す。ミレイは『オフィーリア』(1851-52)を描く。
ジョン・ラスキンの妻エフィーは、ミレイと出会い、結婚する。ミレイは、1855年にエフィー・グレイ(1828-97)と略奪結婚した。エフィー24歳。ラファエル前派の愛の迷宮である。
ジョン・ラスキンの妻でありながら、ラスキンの友人である画家ミレイと恋に落ちたエフィー・グレイ。ヴィクトリア朝時代の著名な2人の男を翻弄し、前代未聞のスキャンダルを起こした。エフィーは2人の偉大な男、ラスキンとミレイにとってファム・ファタール(運命の女)。
ミレイ(1829-96)は67歳で死を迎える。死の間際、ヴィクトリア女王から「何かできることはないか」とメッセージが届けられた。ミレイはすぐさまエフィーの謁見許可を懇願。その願いは受け入れられ、翌日、エフィーはウィンザー城に召喚された。女王に正式な拝謁を許され、言葉を賜り、結婚から41年目にしてようやく名実ともにエフィー・ミレイとなる。(参考文献cf.映画『Effie Gray』2014、BBC「Desperate Romantics」2009)
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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■展示作品の一部
ロセッティ「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」Rossetti ,Venus verticordia,1863-68、 油彩/カンヴァス、83.8×71.2 cm、ラッセル=コーツ美術館 (C) Russell-Cotes Art Gallery & Museum, Bournemouth
ロセッティ「祝福されし乙女」Dante Gabriel Rossetti ,The Blessed Damozel, (1875-1878)
ロセッティ「ムネモシュネ」Rossetti ,Mnemosyune, (1876-1881)
エドワード・バーン=ジョーンズ「慈悲深き騎士」863年、水彩、100.3×69.2 cm、 バーミンガム美術館
エドワード・バーン=ジョーンズ「赦しの樹」(1881-82)
エドワード・バーン=ジョーンズ「ペレウスの饗宴」(1872-81) Edward Burne-Jones 「The Feast of Peleus」(1872-1881)。エギナ島の王ペレウスと海の女神テティスとの結婚式に招待されなかった不和の女神エリスが「最も美しい女神に」と書いた手紙とリンゴを使いのヘルメスに持たせて送り込ませる。
エドワード・バーン=ジョーンズ「嘆きの歌」1866年、水彩・ボディカラー/カンヴァスに貼った紙、47.5×79.5 cm、ウィリアム・モリス・ギャラリー
© William Morris Gallery, London
フレデリック・レイトン「母と子(サクランボ)」1864-65年頃、油彩/カンヴァス、48.2×82 cm、 ブラックバーン美術館
モリス・マーシャル・フォークナー商会「シンデレラ(連作タイル画)―「灰かぶり」と呼ばれていた娘がガラスの靴を与えられ、やがて王女となる物語」1863-64年、6枚の錫釉陶器タイルからなるパネル、56×138 cm、リヴァプール国立美術館、 ウォーカー・アート・ギャラリー (C) National Museums Liverpool, Walker Art Gallery
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★参考文献
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
「ザ・ビューティフル ― 英国の唯美主義 1860‐1900」・・・大英帝国の黄昏
https://bit.ly/2wvtgG5
「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」・・・愛の美と死
https://bit.ly/2MP7hTJ
「バーン・ジョーンズ展―装飾と象徴―」・・・眠れる森の美女
https://bit.ly/2PnusXj
「ロセッティ展:ラファエル前派の夢」Bunkamuraザ・ミュージアム、1990
英国ヴィクトリア朝絵画の巨匠「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」・・・愛の美と死
https://bit.ly/3jw0YDE
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「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館
1848年、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらが結成したラファエル前派兄弟団は、英国美術の全面的な刷新をめざして、世の中にすさまじい衝撃をもたらしました。この前衛芸術家たちの作品は、観る者の心に訴えかけ、広く共感を呼びました。人々は、社会の基盤が移りゆくなかで、彼らの芸術に大きな意義を見出したのです。
その精神的な指導者であるジョン・ラスキンは、あらゆる人にかかわる芸術の必要性を説く一方で、彼らとエドワード・バーン=ジョーンズやウィリアム・モリスら、そして偉大な風景画家J.M.Wターナーとを関連づけて考察しました。
本展では、英米の美術館に所蔵される油彩画や水彩画、素描、ステンドグラス、タペストリ、家具など約150点を通じて、彼らの功績をたどり、この時代のゆたかな成果を展覧します。
1 ヴィクトリア朝の英国を代表する芸術家が一堂に ターナー、ロセッティ、バーン=ジョーンズ、モリス
ラスキンの生誕200年を記念する本展には、かれが見いだし、当時のアート・シーンの中心へと引き上げた、前衛芸術家の作品がつどいます。 ターナー《カレの砂浜―引き潮時の餌採り》、ロセッティ《ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)》、バーン=ジョーンズ《赦しの樹》などの傑作が、海を越えて一堂に会します。
https://mimt.jp/
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★ラスキン生誕200年記念「ラファエル前派の軌跡展」
三菱一号館美術館、2019年3月14日~6月9日
あべのハルカス美術館、2019年10月5日(土)~12月15日(日
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第141回
春爛漫、桜並木、桜の花咲く道を歩いて、横浜美術館に行く。
ヌードは、欲望、誘惑、美、強さ、死、誇示、表現の自由の戦い、禁じられた恋、永遠のテーマであるが、国家、社会、宗教、道徳によって批判、抑圧されてきた。
藝術家は、表現の自由のために戦う。古典主義と反古典主義、リアリズムとシュルリアリズム。フレデリック・ロード・レイトン「プシュケの水浴」(1890)、エル・グレコ「詩人のためらい」(1913)ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」(19044)。
オーギュスト・ロダン『接吻』(1901年)は、儚く、刹那的な行為、瞬間の美を大理石で不滅にした。ギリシアのペンテリコン大理石で彫刻した。理想的な形とエロティシズムを表現した。
オーギュスト・ロダン『接吻』(1898年)。死の口づけ。死に向かう愛。フランチャスカ・ダ・リミニとパオロの恋。求め合い、引き寄せ、擁き合い、死に向かう。禁じられた恋。二人を死に導く口づけ。ダンテ『神曲』「地獄篇」に登場するパオロとフランチェスカの悲恋をモチーフにした作品。『考える人』同様『地獄の門』を装飾するレリーフの1つとして構想され「フランチェスカ・ダ・リミニ」の題名で呼ばれた。1900年パリ万国博覧会、1918年ロダン美術館が所蔵。
ロダン『接吻』(1901年)。エロティックすぎるとの批判を受けて発注者ウォレンのもとに戻されその死まで手元に秘蔵された。1955年、オークションでも売れなかったこの彫刻をロンドンのテート・ギャラリーが買い上げコレクションの1つとなる。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
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思想表現の自由の戦い 国家による思想統制、言論統制との戦い
国家による思想統制、教育統制が行われる国において、思想言論の自由は存在しない、またヌード表現の自由は存在しない。古代ギリシアは、思想言論の自由、表現の自由の国であった。しかし、ルネサンス、ヴィクトリア朝、ラファエル前派、現代において、ヌード表現の自由は存在しない。現代は、古代ギリシアの表現の域を超えていない。
思想表現の自由を守る人々
マンチェスター市立美術館は、J. W.ウォーターハウス「ヒュラスとニンフたち」(1896)を撤去。バルテュス「夢見るテレーズ」(1938)の撤去要請をメトロポリタン美術館は拒否した。「メトロポリタン美術館の広報主任ケン・ウェインは「メトロポリタン美術館は、あらゆる時代と文化において重要な意味を持つ美術品を、収集・研究・保存・公開することで、人々と創造性・知識・アイデアをつなぐ架け橋となることをミッションとしています。」『美術手帖』
https://bijutsutecho.com/news/9741/
ヌードは、愛と美と死の象徴であり、古代ギリシアの都市は、神殿にヌード彫刻が林立した。ルネサンス時代、ヌードは神々のヌードに限定され、ヴィクトリア朝時代、19世紀後半、ヴィクトリアン・ヌードが流行したが、神話画に限定された。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
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★「ヌード NUDE」展示作品の一部
オーギュスト・ロダン「接吻」1901-4年 ペンテリコン大理石
フレデリック・ロード・レイトン「プシュケの水浴」1890年Frederick Leighton,Bath of Psyche
ウィリアム・エッティ「下臣ギュゲスに王妃の裸を覘かせるリュディア王、カンダウレス王」1830 William Etty;Candaules, King of Lydia, Shews his Wife by Stealth to Gyges
ハーバート・ドレイパー「イカロス哀悼」1898
ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」19044年Paul Delvaux, Venere dormiente,1944
エル・グレコ「詩人のためらい」1913 El Greco, Uncertainty of the Poet 1913
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西洋美術200年にわたる裸体表現の歴史
1. テーマは「ヌード」。西洋の芸術家たちの挑戦の軌跡を追う。
「ヌード」は西洋の芸術家たちが絶えず向き合ってきた永遠のテーマです。しかし、「ヌード」をテーマにした大規模な展覧会は前例が少なく、挑戦的な試みです。本展は、この難しいテーマに意欲的に取り組み、ヴィクトリア朝から現代までのヌードの歴史を辿ります。
2. 近現代美術の殿堂、英国テートからヌードの傑作が集結。
1897年の開館以来、世界屈指の近現代美術コレクションと先進的な活動で常に美術界をリードしてきたテート。その至高の作品群よりヌードを主題とした作品が集結します。ロダンの大理石彫刻《接吻》をはじめ、ターナーが描いた貴重なヌード作品や、マティス、ピカソ、ホックニーなど19 世紀後半から現代まで、それぞれの時代を代表する芸術家たちの作品が出品されます。
3. ロダンの大理石彫刻《接吻》が日本初公開!
ロダンの代表作であり、男女の愛を永遠にとどめた《接吻》。情熱に満ち、惹かれ合うふたりの純粋な姿が、甘美な輝きに包まれています。「恋愛こそ生命の花です」*、こう語るロダンにとって、愛することは生きることそのものであり、また制作の原点であったといえるでしょう。ブロンズ像で広く知られる《接吻》ですが、高さ180センチ余りのスケールで制作された迫力の大理石像は世界にわずか3体限り。そのうちの一体がついに日本初公開です。*高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』より
http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20180324-496.html
―――
*「ヴィクトリアン・ヌード 19世紀英国のモラルと芸術」東京藝術大学大学美術館2003
アンナ・リー・メリット"ヴェヌス・ヴェルティコルディア"
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ"プシュケの水浴"
フレデリック・レイトン"イカロス哀悼"
ハーバート・ドレイパー"クピドとプシュケ"
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2003/Victorian/list/list_ja.htm
2003年5月24日~8月31日
東京藝術大学大学美術館 03-5685-7755(代表)
http://www.geidai.ac.jp/museum/
―――
★「ヌード NUDE-英国テート・コレクションより」横浜美術館、2018年3月24日-6月24日
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大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第127回
処刑された若き女王、魔女、妖精、夢魔、血まみれメアリー、切り裂きジャック、崇高な城の廃墟。19世紀エリザベス朝の大英帝国の妖精画家たちの幻想。中野京子『怖い絵』(2007)にもとずく美術展である。神話と聖書、悪魔、地獄、怪物、異界と幻視、崇高の風景。チャールズ・シムズ『そして妖精たちは服をもって逃げた』(1918)には、画家の運命が秘められている。
陰惨、悲惨、怪奇な絵画に満ちた不気味な美術館。恐怖と怪奇を好む女性が雲霞のごとく集まる。魑魅魍魎に取りつかれた少女、幻想界に生きる異界マダムが蝟集する。病んだ女性は、嫉妬、愛憎、残酷、恐怖を好む。美内すずえ『ガラスの仮面』1976、秋吉理香子『ジゼル』2015、塩野七生『チェーザレ・ボルジア優雅なる冷酷』1970、『ヴェルサイユのばら』1978。
――
ポール・ドラローシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(1833)
黒い闇、ジェーンの若々しい白い肌、サテンの純白ドレス。白と黒の対比。床には血を吸うために敷かれた藁。布で目隠しをされたジェーン、斬首台に導く司祭。右側に斧を手に立つ死刑執行人、左側に侍女らが泣く。
16歳で断頭台に散った9日間の若き女王レディ・ジェーン・グレイ。エリザベス1世が即位する4年前1554年2月。ロンドン塔に幽閉されていた「前女王」が処刑された。反逆罪で投獄され、カトリックへの改宗を拒んだため7カ月後、ロンドン塔の断頭台に散った。16歳4か月。
ヘンリー8世の姪の娘ジェーンは、父と舅の野心の犠牲となって女王に即位させられ、権力闘争と宗教対立の歴史の荒波に翻弄される。メアリー1世死後、カトリック復帰運動は沈下し英国国教会は国家宗教として確立。
ブラッディ・マリー、血まみれメアリー
イングランド女王メアリー1世(1516~58年)の異名である。カトリックのメアリーは300人のプロテスタントを処刑した.。「血まみれメアリー」と呼ばれた。即位後、最初に処刑したのが自分より先に「イングランド初の女王」を宣言したジェーン・グレイ(1537~54年)。
――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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展示作品の一部
ポール・ドラローシュPaul Delaroche「レディ・ジェーン・グレイの処刑」1833
ハーバート・ジェイムズ・ドレイパーHerbert Draper「オデュッセウスとセイレーン」1910
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスJohn William Waterhouse「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」1891
チャールズ・シムズ『そして妖精たちは服をもって逃げた』1918
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怖い絵展、上野の森美術館2017年10月7日(土)~12月17日(日
http://www.kowaie.com/sakuhin.html
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
1月29日、朝、美術館に行く。唯美主義、耽美派の美術展。英国は、詩の王国である。帝国の黄昏に咲く最後の美の花、退廃の美である。
19世紀、大英帝国ヴィクトリア朝時代(1837年から1901年)、ロマン主義、ラファエル前派、唯美主義、アート・アンド・クラフト。黄昏にひらく愛と美の花。イギリス美術の黄金時代である。
唯美主義(Aestheticism)は、視覚的美、感覚的美の追求の藝術である。一八六〇年代から、ロセッティ、モリス、ホイッスラーらによって始められ、フレデリック・レイトン、アルバート・ムーアたちのイギリス古典主義「オリンピアの画家たち」によって展開された。唯美主義の美の象徴は、「孔雀の羽」によって表現される(フレデリック・レイトン『パヴォニア』1858-59年)。産業革命後、世界の工場と化し大英帝国の繁栄のなかで蔓延した物質主義に抵抗して藝術至上主義「藝術のための藝術(Art for Art’s sake)」を主張した。ウィリアム・モリスの「生活と藝術を一致させる」アーツ・アンド・クラフト運動へと展開し、華麗な装飾藝術を生みだした。19世紀末オスカー・ワイルド、ビアズリーの世紀末藝術のデカダンスへと解体して行く。
「現代は労働過剰で教育不足の時代だ。人々は勤勉になるあまり、完全に知性を失っている。」「自分を愛することは、一生のロマンスのはじまり。」オスカー・ワイルド
■展示作品
ダンテ・ガブリル・ロセッティ「愛の杯」1867国立西洋美術館
フレデリック・レイトン『パヴォニア』(1858-59年 個人蔵)
フレデリック・レイトン「さくらんぼ」(1864-65年ブラックバーン美術館)
アルバート・ムーア「真夏」(1887年ラッセル=コート美術館)
アルバート・ムーア「花」(1881年テート・ギャラリー)
アルバート・ムーア「夢みる人々」(1850-82年バーミンガム美術館)展示中止
ウィリアム・モリス「タイル・パネル」1876ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館
――――――――――
19世紀半ばに興ったイギリスの唯美主義に焦点をあて、絵画から宝飾品に至るまでの幅広い作品を集めた展覧会です。
産業革命の成功で繁栄するヴィクトリア朝時代のイギリスで、功利主義に異を唱え、物事の美しさを主張する人々が前衛芸術家たちの中から生まれてきました。その作品には、物語や教訓ではなく、視覚・触覚的な悦びを重視し、絵画や工芸だけでなく日用品のデザインまでをも華やかにしていきます。古代ギリシャやジャポニズムの影響も受けており、ロセッティやホイッスラーは扇や染付の収集に力を入れました。パトロンたちは唯美主義者たちの作品を購入するほかに、住居や服装を美的に整えるなど、生活様式も取り入れました。やがて、大衆へと浸透し大きな運動へと発展します。
会場では、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の所蔵品をベースに油彩、水彩、素描、家具、工芸、宝飾品など約140点を展示。ラファエル前派を率いたダンテ・ゲイブリル・ロセッティからアルバート・ムーア、オーブリー・ビアズリー、オスカー・ワイルドに至るまで、多様で独創的な美と悦楽の世界を楽しめます。
http://mimt.jp/
――――――――――
「ザ・ビューティフル ― 英国の唯美主義 1860‐1900」
2014年1月30日(木)~5月6日(火・祝)
三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)
http://mimt.jp/
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
ロセッティは、美と真実を追求した。ラファエル前派の絵画は、愛の迷宮である。ミレイ「オフィーリア」(1851-52)は、絶望のうちに溺死するヒロイン、川に流されながら歌うオフィーリアと、33歳で亡くなったエリザベスの面影が重なる。ロセッティ「プロセルピナ」(1874)は、運命の女ジェイン・モリスの人生を反映する。
ラファエル前派は、因襲と階級社会、権威に抗して、中世の愛の夢、美しい自然への回帰を志向する。ロマン主義藝術の一つの流れである。シェイクスピア『ハムレット』『リア王』『尺には尺は』、「アーサー王伝説」、『トリスタンとイゾルデ』、ダンテ『神曲』、チョーサー『薔薇物語』、テニスン「水車小屋に娘」、中世の物語の世界が創り出された。
ジェイン・バーデン(1839-1914)は、ロセッティが終生追い求めた理想の女性であり、ファム・ファタル(femme fatal運命の女)と言われる。ラファエル前派の美のミューズである。ラファエル前派の藝術家と女たちには、愛と美の深淵がある。モリスは、ジェインをモデルに唯一の油彩画「麗しのイズー」(1859)を描き、ミレイはエリザベスをモデルに「オフィーリア」(1851-52)を描いた。ロセッティは、亡き妻エリザベスをモデルに「ベアタ・ベアトリクス」(1864)、ジェーンをモデルに「プロセルピナ」(1874)を描く。
ロセッティ、モリス、ジェーンの間には、不思議な三角関係がある。1859年、25歳のモリスは、19歳のジェーン・バーデン(1839-1914)と結婚。ロセッティは、エリザベス・シダル(1829-62)と1860年に結婚したが、彼女は1862年亡くなる。ミレイは、1855年にエフィーと略奪結婚した。ラファエル前派の愛の迷宮である。
ラファエル前派は、1848年ジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハントによって結成され、5年で終了した。1858年、ロセッティを中心に、第2世代のエドワード・パーン= ジョーンズ、ウィリアム・モリスによって、受け継がれ、「生活と芸術 アーツ&クラフツ」、「唯美主義 藝術のための藝術」へ展開する。
フランス革命後、古典主義に反抗するロマン主義藝術が起こった。ラファエル前派は、ロマン主義藝術の一つの流れである。ラファエル前派は沈滞したイギリス美術に抵抗した。
★「ラファエル前派兄弟団宣言」1、独創的なアイディアを持つこと。2、表現のために、自然を注意深く観察する。3、過去の藝術であっても真摯で率直で誠実なものには共感し、因習的で自己顕示的で型に嵌ったものを排除する。4、絵画でも彫刻でも、絶対的に優れたものを制作すること。
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■主な展示作品
ヒューズ「4月の恋」1855-56年
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ「ベアタ・ベアトリクス」1864-70年頃
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ「プロセルピナ」1874年
ジョン・エヴァレット・ミレイ「オフィーリア」1851-52年
ウィリアム・ホルマン・ハント「良心の目覚め」1853-54年
モリス「麗しのイズー」1856-58年
ミレイ「マリアナ」1850年頃
ミレイ「両親の家のキリスト(大工の仕事場)」1849年
ロセッティ「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」1849-50年
ロセッティ「ダンテの愛」1860年
ロセッティ「最愛の人(花嫁)」1895-66年
バーン=ジョーンズ「『愛』に導かれる巡礼」1896-97年頃
マドックス・ブラウン「リア王とコーデリア」1849-54年
ホルマン・ハント「クローディオとイザベラ」1850-53年
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★イギリス美術の美術展
「バーン・ジョーンズ展―装飾と象徴―」三菱一号館美術館・・・眠れる森の美女
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-c29c.html
「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」Bunkamura・・・極美の世界、人間の儚さと死
「生活と芸術 アーツ&クラフツ展」ウイリアム・モリスから民芸まで 東京都美術館
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-fdb4.html
ターナー展 英国最高の巨匠、東京都美術館・・・イタリアの黄昏、黄金の光
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-b411.html
ロセッティ展、ラファエル前派の夢、Bunkamuraザ・ミュージアム、
1990年1990.09.22-1990.11.14
ウィリアム・ブレイク展、国立西洋美術館1990年9月22日―11月25日
ウィリアム・ブレイク版画展、国立西洋美術館2011年10月22日(土)~2012年1月29日(日)http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/williamblake2011.html
ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900|三菱一号館美術館
2014年1月30日(木)~5月6日(火・祝)
http://mimt.jp/beautiful
『ラファエル前派とその時代展』The Pre-Raphaelites and their Times伊勢丹美術館1985
http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-391.html
「西洋絵画の中のシェイクスピア展」伊勢丹美術館1992/10/29~11/24
――
1848年、ロンドン―
アカデミズムに反抗する「ラファエル前派兄弟団」結成。
1848年ロンドン。 前衛美術運動を起こし、英国の美術史に大きな影響を与えた芸術家グループが7人の若者によって結成された。正式名称は「ラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood )」、略してPR B。中心となったのはロイヤル・アカデミーで学ぶ3人の学生、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)。彼らは盛期ルネサンスの巨匠ラファエロを規範としてその形式だけを踏襲する当時のアカデミズムに反発し、ラファエロ以前の素直で、誠実な初期ルネサンス絵画を理想としこのグループ名を付けた。
具体的には自然をありのままに見つめその姿を正確に写しだそうとして、戸外での制作を試みたり、くっきりした明るい色彩を使用し細部を描き込んだりして、リアリズムに徹した画面を作り上げた。そのような姿勢や絵画は社会から猛反発を受け一種のスキャンダルとなったが、美術批評家ジョン・ラスキンの援護もあり、しだいに受容されていった。グループとしてのまとまった活動は1853年ごろまでにはなくなり、作家たちはそれぞれ独自の道を歩んでいくことになる。しかしラファエル前派の運動は彼らの先輩格にあたる画家フォード・マドックス・ブラウン(1821-93)の賛同を得るなど、周辺にいた作家たちも巻き込みその影響は広範囲に及んだ。
1850年代後半には、ロセッティの周りにエドワード・パーン= ジョーンズ(1833-98)やウィリアム・モリス(1834-96)などより若い作家たちが集まり、ラファエル前派の第二世代を形成し、後の唯美主義やアーツ・アンド・クラフツ運動にもつながっていく。本展はラファエル前派を英国の近代美術に新しい道を切り聞いたアヴァンギャルド運動として紹介する。(プレスリリースより)
――
★ 「テート美術館の至宝 ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢」
2014年1月25日(土)~4月6日(日)
森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52F)
http://prb2014.jp/
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