デ・キリコ、形而上絵画の謎・・・形而上絵画と古典絵画を往還する
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第147回
緑陰の森を歩いて美術館に行く。不思議な迷宮、エッシャー「上昇と下降」1960、「滝」1961、「ベルヴェデーレ、物見の塔」1958。奇想版画家、エッシャーは、なぜ、建築不可能な建築、無限を閉じ込めた有限を描きつづけたのか。迷宮の旅人の謎。
イタリアの迷宮都市、アマルフィ海岸の迷宮、アルハンブラ宮殿。運命の女に出会う。
1922年—1937年、24歳から39歳まで、イタリア、スペインを旅する。1922年、アルハンブラ宮殿に出会う。1923年、イタリアでイエッタに出会う。
1922年-24年、イタリアを旅する。1923年、25歳のとき、イエッタ・ウミカーと出会う。運命の女。イタリアの旅、スペインの旅で、建築不可能な構造物、無限を有限のなかに閉じ込めた建築、無限模様に魅せられる。
版画家は、世界で最も美しい海岸、アマルフィ、アルハンブラ、迷宮都市に魅せられ、バッハの無限旋律に耽溺し、現実と非現実の狭間を彷徨い、迷宮の謎に挑みつづけた。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいる。」『善悪の彼岸』146節。
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【エッシャー 迷宮への旅 アルハンブラ】1922年、スペインの旅でアルハンブラ宮殿に出会う。1924年、旅行先のイタリアで出会ったイエッタ・ウミカーと結婚。1926年、長男ジョージが生まれローマに移り住む。1930年、風景画の最高傑作『カストロバルバ』制作。1935年長男がイタリア少年国粋党の制服着用を義務づけられファシズムを嫌いスイスに移住。だが、スイスの雪景色に倦怠する。南の海に憬れ、自らスペイン南部にいたる船旅を計画。旅行中スペイン、グラナダのアルハンブラ宮殿で、ムーア人のアラベスク模様を見て感銘を受ける。1937年、39歳アルハンブラ宮殿の再訪、以後、作風は一変する。繰り返し模様の作品に挑戦しはじめる。エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)は、73歳まで、迷宮に挑みつづける。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
大久保正雄『藝術と運命との戦い、運命の女』
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展示作品の一部
エッシャー「アマルフィ海岸」1934、「サンジミニャーノ」1922、「地下聖堂での行列」1927、「カストロヴァルヴァ アブルッツィ地方」1930、「水没した聖堂」1929、「バベルの塔」1928、「昼と夜」1938
エッシャー「上昇と下降」1960、「滝」1961、「相対性」1953、「メタモルフォーゼⅡ」1939、「ベルヴェデーレ、物見の塔」1958
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参考文献
大久保正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
https://bit.ly/2vikIlL
クロード・モネ『日傘の女』・・・藝術家と運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2JcRwVI
藝術と運命との戦い、藝術家と運命の女 印象派、ジョルジュ・スーラ
http://bit.ly/2vfh8dP
http://bit.ly/2zgVKGe
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8つのキーワードを通して説く、奇想版画家の「謎」。「科学」「聖書」「風景」「人物」「広告」「技法」「反射」「錯視」の8つの観点からエッシャーの作品に迫ります。
20世紀のオランダ、ヨーロッパ芸術のなかで、エッシャーは極めて独特な位置に立つ芸術家。20世紀を代表する奇想の版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher 1898-1972)。“視覚の魔術師”と呼ばれる。独特の構図と唯一無二の技法を使った「だまし絵(トロンプ・ルイユ)」の作品で有名だ。コンピュータの存在しない時代に発想した、緻密で数学的なアートワークは人々を驚かせた。広報資料より
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★ミラクル エッシャー展、奇想版画家の謎を解く8つの鍵
生誕120年 イスラエル博物館所蔵 ミラクル エッシャー展
上野の森美術館、2018 年6 月6 日(水) - 7 月29 日(日)
あべのハルカス美術館、11月16日(金)~2019年1月14日(月・祝)
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女
シュールレアリスムの藝術家は、夢と現実の狭間で生きる。過酷な現実を超えて、夢のような人生を生きる画家がいる。大地と海の狭間に、美術の城を建て、そこで死ぬまで暮らした画家がいる。
藝術家が運命と戦うとき、藝術家を救う運命の女が現れる。ルネサンス以後、愛は貧しき人を救う物語が書かれる。美しき女相続人ポーシャがバサーニオの運命を救う(『ヴェニスの商人』)。「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である。」(『トロイラスとクレシダ』)
運命の出会い。運命の女。出会うべき人には必ず出会う。一瞬も遅からず、早からず。内に求める心がなければ、眼前にその人ありといえども見えず。
ピカソ(Pablo Piccaso, 1881-1973)は、7人の女性に出会い、作品の世界に、女性を描いた。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』
藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いの中から藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女と出会う。運命の恋人は女神である。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術と運命の戦い』
大久保正雄『藝術家の運命と愛』
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美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
黄昏の丘、黄昏の森。美しい魂に、幸運の女神が舞い降りる。美しい守護霊が救う。美しい魂は、輝く天の仕事をなす。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【シュールレアリスムの画家たち】Surrealisme
1、ジョルジュ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico,1888-1978)
デ・キリコは、26歳の時、1枚の絵『街の神秘と憂愁』1914が、形而上絵画Metaphysical Paintingとして評価され、90年の生涯を、夢と絵画の現実の狭間で生きる。
美しさの誉れ高い2度目の妻イザベッラの肖像画も沢山残している。
ローマのスペイン広場の家で90歳まで、絵画制作をつづける。
形而上絵画
1910年始め、ミラノを離れてフィレンツェへ移動し、そこでベックリンの作品を下敷きに最初の形而上絵画シリーズ形而上学的な街角"Metaphysical Town Square"を制作。サンタ・クローチェ聖堂で啓示を受けて描き上げた『秋の午後の謎 』『神託の謎』『時間の謎』「自画像」が代表作である。
1920年代にデ・キリコがルネッサンスやバロックの時代に関心を示すようになり、古典的絵画と形而上絵画の間をさまよい、制作をつづける。
晩年の30年間をスペイン広場で過ごしたデ・キリコの住まいは美術館になっている。ローマのジョルジョ・デ・キリコ美術館には、デ・キリコの妻イサベラの肖像画など、主に1940~1950年代の作品が展示されている。デ・キリコ自身の生活の匂いがそこにある。*Casa Museo di Giorgio De Chirico, Roma
主な作品
ジョルジュ・デ・キリコ『神託の謎』(Enigma of the Oracle/Enigme de l'oracle)1910年
『秋の午後の謎』(Enigma of an Autumnal Afternoon/Enigme d'un apres-midi d'antomne)1910年
『時間の謎』(Enigma of the Hour/Enigme de l'heure)1910年
『自画像』(Self Portrait (Autoportrait)/Portrait de l'artiste par lui-même(Autoportrait))1910年
Giorgio de Chirico. The Nostalgia of the Infinite.1911
ジョルジュ・デ・キリコ『街の神秘と憂愁』Melancholy and Mystery of a Street,1914
ジョルジュ・デ・キリコ『イタリア広場』Piazza d'Italia,1913
『イタリア広場』Piazza d'Italia,1955
―――
2、サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali,1904—1989)
27歳の時、『記憶の固執』1931を描き、生涯の最高傑作となる。『記憶の固執』は『柔らかい時計』『溶ける時計』とも呼ばれる。ガラが食べていたカマンベールチーズが溶けていく状態を見てインスピレーションを得たといわれる。カタルーニャのカダケスの海を背景に画いている。ニューヨーク近代美術館に収蔵されている。
運命の女、ガラ
1929年夏、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリのアトリエを訪ねた。ダリの妻となるガラ・エリュアールとの出会いである。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。1983年5月を最後に絵画制作を止める。1974年、フィゲラスのダリ劇場美術館(Teatre-Museu Dali)を開き、ダリの世界を構築する。
ダリ『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』1936
Soft Construction with Boiled Beans(Premonition of Civil War)
ダリ『記憶の固執』La persistencia de la memoria,1931
ダリ『記憶の固執の崩壊』La Desintegración de la Persistencia de la Memoria,1954
ダリ『降りてくる夜の影』1931『謎めいた要素のある風景』1934
ダリ「レダ・アトミカ」Dali,Leda,Atomica,1949
参考文献
『ダリ』知の再発見双書
生誕100周年記念「ダリ展」、上野の森美術館、2006年
―――
3、ポール・デルヴォー
ポール・デルヴォー(Paul Delvaux, 1897~1994)は、困難な運命との苦闘の末、別離した運命の女性と再会する。1929年32歳の時、運命の恋人アンヌ=マリー・ド・マルトラール(タム)と出会う。しかし別離。別れから17年後、恋人と運命的な再会を果たす。1934年「ミノートル展」で、デ・キリコの作品に出会いシュールレアリスムの影響を受ける。『眠れるヴィーナス』の幻想を描きつづける。デルヴォーは、96歳まで優美な白昼夢をヨーロッパの夜の風景に紡ぎつづけた。
ポール・デルヴォー「眠れるヴィーナス」19044年Paul Delvaux, Venere dormiente,1944 Tate Modern Gallery
ポール・デルヴォー「海は近い」1965 姫路市立美術館
ポール・デルヴォー「水のニンフ(セイレーン)」1937 姫路市立美術館
Paul Delvaux, The sea is near.1965.De zee is nabij – 1965
Paul Delvaux,Water Nymphs, Sirens. 1937
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4、ルネ・マグリット
ルネ・マグリット(Rene Magritte,1898‐1967)は、ジョルジョ・デ・キリコの「愛の歌」(1914)に感銘を受け、シュルレアリスムに傾倒する。妻ジョルジェットとともにパリへ引っ越し、アンドレ・ブルトンを中心とするパリのシュルレアリストたちのグループに合流したマグリットは、言葉とイメージの関係を主題とする作品を多く生み出した。Surrealism(1926−1930)時代。69年の生涯を画家として生きる。
ルネ・マグリット「大家族」、1963年、油彩・キャンヴァス 宇都宮美術館
―――
★参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
ダリ『記憶の固執』・・・スペインの荒涼とした大地
http://platonacademy.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-4ee9.html
マグリット展・・・夕暮れの瞬間、光の帝国
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6e86.html
ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅・・・夢と現実の織りなす世界
http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-bc20.html
ベルギー、奇想の系譜、ザ・ミュージアム・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
http://bit.ly/2u6J1nr
デ・キリコ展1920—1950、東京都庭園美術館、1993年
―――
パブロ・ピカソが愛した7人の女性、作品に与え続けた大きな影響
https://matome.naver.jp/odai/2146640490474122401
ピカソが最も恐れた画家「ジョルジョ・デ・キリコ」の不思議な絵
https://matome.naver.jp/odai/2138324132769724701
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
秋の午後、森を歩いて美術館に行く。ダリの絵をみると、スペインの荒涼とした大地を思い出す。寂寥の大地に広がる夢と幻想。
私が、スペイン、ポルトガル、イベリア半島を旅したのは、遠い時の彼方のようである。
チューリッヒから夜間飛行でイベリア半島上空を、リスボンに飛行し、オビドス、シントラ、ロカ岬、メリダ、ポルトガルをめぐって、国境の町バダホスからスペインに入り、ミハス、コスタ・デル・ソル、コルドバ、グラナダ、アンダルシア地方を旅して、トレド、マドリッドから、バルセロナに飛行した。飛行機の下にみえる、スペインの荒涼たる大地と地中海。
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
はちみつ色の夕暮れ、黄昏の丘、黄昏の森を歩き、迷宮図書館に行く。糸杉の丘、知の神殿が聳える。
美しい魂は、輝く天の仕事をなす。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 美のイデアへの旅』
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ダリ『記憶の固執』1931、『記憶の固執の崩壊』1954、『降りてくる夜の影』1931『謎めいた要素のある風景』1934。
『記憶の固執』、ダリのアトリエからみえるポルト・リガトの海と岩と柔らかい時計がある。ある日の午後、溶けた時計が見えた。「私は二つの柔らかい時計を見た。そのうちひとつはオリーヴの木の枝に嘆かわしい姿でぶらさがっていた。」ダリ『わが秘められた生涯』1942
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幻想派は、現実と夢の狭間で生きる。現実の苦しみに耐えられず、夢の世界に逃れ、夢の世界に目覚める。
ダリの20年前に、デ・キリコは、幻想と神秘と郷愁の絵画を創出した。デ・キリコは、初期に代表作を描く。その後の人生は自己模倣と古典の研究である。デ・キリコはイザベッラを愛し、ダリはガラを愛した。
【形而上絵画派】Métaphysique
ジョルジュ・デ・キリコGiorgio de Chirico,1888-1978
イタリアの街の神秘を描いた。デ・キリコは、1910年始め、フィレンツェへ行く。そこでシリーズ"Metaphysical Town Square"を制作。サンタ・クローチェ教会で霊感を受けて描き上げた作品「秋の午後の謎 」「神託の謎」「時間の謎」がある。
1911年にパリに行く。モンマルトルでピカソやアポリネールに出会い、1912年にサロン・ドートンヌ、1913年にパリのアンデパンダン展に出展。詩人・美術評論家のギョーム・ド・アポリネールに「形而上絵画Peinture métaphysique」と評価される。世界に登場する。
デ・キリコは、1枚の絵『街の神秘と憂愁』1914が、形而上絵画Metaphysical Paintingとして評価され、90年の生涯を、夢と絵画の現実の狭間で生きる。
後のシュールレアリスムsurréalismeに影響を与える。目に見える形をそのまま描くのではなく、物事の本質的を表現する。現実を超えた幻想、夢と現実の狭間の本質を追求する。デ・キリコは、形而上絵画だけでなく古典的な作品も描いている。
美しさの誉れ高い2度目の妻イザベッラの肖像画も沢山残している。
形而上絵画。建築物の影が伸びる人気の無い広場。謎めいた憂愁が漂い、神秘的で詩的な雰囲気。目に見える日常の裏側に潜む神秘と謎。
Giorgio de Chirico,Museum,Roma、スペイン広場に、デ・キリコのアトリエが残されている。
Giorgio de Chirico,1888-1978
『街の神秘と憂愁』Mystery and Melancholy ,1914
『イタリア広場』Giorgio de Chirico,Piazza d'Italia ,1913
『Veneziaサンジョルジョマッジョーレ島』1955
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【シュールレアリスムの画家たち】Surrealisme
サルヴァドール・ダリSalvador Dali
27歳の時、『記憶の固執』1931を描き、生涯の最高傑作となる。
ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで生まれる。1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学、詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、映画監督ルイス・ブニュエルと知り合う。1927年、パリに赴き、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得る。1929年夏、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリのアトリエを訪ねた。ダリの妻となるガラ・エリュアールとの出会いである。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年に結婚。1982年にガラが死去。「自分の人生の舵を失った」。ジローナのプボル城に引き籠もった。1983年5月を最後に絵画制作を止める。
『記憶の固執』La persistencia de la memoria,1931
『記憶の固執の崩壊』Disintegration of persistence of memory,1954
シュルレアリスムSurrealismeのはじまりは、アンドレ・ブルトン『溶ける魚』「シュルレアリスム宣言」1924年である。シュルレアリスムに属する主たる画家は、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォー、エドガー・エンデ 。ダリは、ルイス・ブニュエルのシュルレアリスムの映画で、実際に見た夢をモチーフにした『アンダルシアの犬』(1928年)がある。
Surrealisme, Metaphysica
Giorgio De Chirico,
Giorgio De Chirico, Piazza di Italiana,1913
Giorgio De Chirico, Mystery and Meranchory of street,1914
Salvador Dali, 1904—1989
Salvador Dali, Persistance of Memory,1931
Salvador Dali, Disintegration of persistence of memory,1954
Salvador Dali, Melting Watch,1954
Paul Delvaux,1897-1994
Paul Delvaux,Great Sirens,1947
Rene Magritte,1898-1967
Odilon Redon, 1840年4月20日 - 1916年7月6日ポスト印象派、 象徴主義
新印象派に、幻想の画家がいる。夭折した画家たち。
【夭折した画家たち 印象派】Inpressioniste
ゴッホは、神学校に行くことを止め画家になる。生前に売れた絵は1枚だけである。親族に忌み嫌われ、呪いの言葉が耳に聞こえ、耳を切った。それでも、家族の呪詛が耳にみち、自殺した。Vincent Van Gogh.1853-1891。37歳で死す。
ジョルジュ・スーラは、天才的な才能をあらわしたが、世に認められず。25歳で傑作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884を描く。モネに嫉妬され、呪殺された。Georges Seurat, 1859-1891、31歳で死す。呪われた画家たち
モネは、『印象、日の出』1872を描き、印象派の祖と誤解され、富裕な人生を歩む。ジョルジュ・スーラを呪い殺した後、スーラの技法を用いて、画家として成功した。富裕になり贅沢な生活を送った。晩年、若死にしたスーラの呪いで悩まされ、陰惨な人間性になった。
Claude Monet, 1840- 1926、86歳で死ぬ。
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★参考文献
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
『ダリ展』図録2006
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ダリ展、国立新美術館、2016年9月14日(水)~12月12日(月)
http://www.nact.jp/
生誕100周年記念、ダリ展、上野の森美術館、2006年9月23日~1月4日
http://www.ueno-mori.org/
デ・キリコ展1920—1950、東京都庭園美術館、1993年7月16日~8月15日
http://www.teien-art-museum.ne.jp/
ダリ『記憶の固執』La persistencia de la memoria,1931
ダリ『記憶の固執の崩壊』Disintegration of persistence of memory,1954
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大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
黄昏の丘、黄昏の森を越えて、黄昏の街に行く。黄昏の美術館、夕暮れの諧調。星降る夜、愛を語る花の森。美しい天使は、魂が美しい人を助けるためにやってくる。天は見ている。
夕暮散歩して、六本木から出雲大社分祀の道を歩き、美術館に行く。不思議な出会い、不思議な美術館。
夕暮れの後、闇夜が迫る空。ブルーモーメント、蒼い瞬間、夕暮れの魅惑の光景。12分間夕暮れの魔術。夜に輝くガラスの城。マグリット「光の帝国」を思い出す。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
シュルリアリスム(surréalisme)は、夢の中を覘いているような非現実を追求するが、神秘的融即(participation mystique) によって、個と個の壁をのり超える「理事無碍法界」の境地には、到達しない。融即律(principe de participation)は、客体と主体のア・プリオリな同一性である。マグリット「空の鳥」は、二つの現実の構成である。
大久保正雄『ふしぎな美術館 異界への扉』より
高島野十郎は、ルーヴル美術館展で、川崎浹と再会した。(昭和29年11月、*川崎浹『過激な隠遁 高島野十郎評伝』『高島野十郎画集―作品と遺稿』求龍堂)。不思議な出会いである。
ティツィアーノ「鏡の前の女」1515、鏡は美の儚さを意味する。北斎「鏡面美人図」は鏡像に酔う女。北斎「酔余美人図」Drunkun Beautyは、酒に酔う女。不思議な出会いが、不思議な美術館にある。
不思議な出会い マグリットとデ・キリコ、ジョルジェット
マグリットは、ジョルジョ・デ・キリコの作品「愛の歌」1914に感銘を受け、シュルレアリスムへと傾倒する。妻ジョルジェットとともにパリへ引っ越し、アンドレ・ブルトンを中心とするパリのシュルレアリストたちのグループに合流したマグリットは、言葉とイメージの関係を主題とする作品を多く生み出した。Surrealism(1926−1930)時代。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
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★マグリット展、主な展示作品
マグリット「空の鳥」1966、「ゴルコンダ 」1953年、「光の帝国 II 」1950、「白紙委任状」1965、「不思議の国のアリス」1946、「困難な航海」1926、「恋人たち」1928。
★ルーヴル美術館展、日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄、主な作品
フェルメール「天文学者」1668、ティツィアーノ「鏡の前の女」1515、
クエンティン・マセイス 「両替商とその妻」1514年、リュバン・ボージャン「チェス盤のある静物」17世紀前半 、ル・ナン兄弟 「農民の食事」1642年、フランソワ・ブーシェ 「オダリスク」1745年、ニコラ・レニエ 「女占い師」1626年頃、ジャン=アントワーヌ・ヴァトー「二人の従姉妹」、レンブラント「聖家族」、または「指物師の家族」1640、オノレ・フラゴナール「嵐」、または「ぬかるみにはまった荷車」1759年頃、ピーテル・デ・ホーホ「酒を飲む女」1658年
――――――――――
マグリット展、国立新美術館
国立新美術館、2015年3月25日(水)~6月29日(月)、
京都市美術館、2015年7月11日(土)~10月12日(月・祝)
ルーヴル美術館展、日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄、
国立新美術館、2015年2月21日(土)~6月1日(月)
京都市美術館、2015年6月16日(火)~9月27日(日)
――――――――――
ルネ・マグリット(1898‐1967)は、ベルギーの国民的画家であり、20世紀美術を代表する芸術家。シュルレアリスムの巨匠として知られていますが、その枠にはとどまらず、独自の芸術世界を作り上げました。マグリットの作品は、言葉やイメージ、時間や重力といった、私たちの思考や行動を規定する要素が何の説明もなく取り払われており、一度見たら忘れられない魅力に満ちています。詩的で神秘的、静謐な中にも不穏でセンセーショナルな部分が潜む――イメージの魔術師が生み出す、不思議な“マグリット・ワールド”。
http://magritte2015.jp/highlight.html
パリのルーヴル美術館のコレクションから厳選された83点を通して、16 世紀から19 世紀半ばまでのヨーロッパ風俗画の展開をたどる「ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」を開催いたします。「風俗画」とは、人々の日常生活の情景を描いた絵画です。そこには、家事にいそしむ召使い、物乞いの少年、つましい食卓につく農民の家族、庭園に集う貴族の男女など、身分や職業を異にする様々な人々の日常がいきいきと描写されています。一方で、風俗画には必ずしもありのままの現実が描かれているわけではありません。日常の装いのなかに、複雑な道徳的・教訓的な意味が込められていることもあります。これらを読み解いていくことも、風俗画ならではの楽しみといえます。 本展には、17世紀オランダを代表する画家、フェルメールの傑作《天文学者》が初来日するほか、ティツィアーノ、レンブラント、ルーベンス、ムリーリョ、ル・ナン兄弟、ヴァトー、ブーシェ、シャルダン、ドラクロワ、ミレーなど、各国・各時代を代表する巨匠たちの名画が一堂に会します。 膨大なコレクションを誇るルーヴル美術館だからこそ実現できる、時代と地域を横断する、かつて例を見ない大規模な風俗画展。ヨーロッパ風俗画の多彩な魅力。
http://www.ntv.co.jp/louvre2015/
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