象徴派

2020年11月16日 (月)

「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と象徴派、ロマン主義の苦悶

Odilon-redon-mystique-dislogue-1896
Redon-2020
Redon-1879jpg  
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』229回

19世紀はリアリズムの世紀であり、20世紀はアンチリアリズムの世紀である。(奥泉光『漱石の孤独』)。その境界に、印象派と幻想派、象徴派の藝術家が活躍した。ロマン主義の苦悶の時代である。
【ファムファタール、運命の女】ギュスターヴ・モロー、クリムト、ロセッティ、ラファエロ前派、アルフォンス・ミュシャ、象徴派、幻想の藝術家たち。印象派の時代に反旗を翻した、ロマン主義、象徴派、幻想派の画家たちは運命の女を探求した。
オディロン・ルドンは、20世紀のシュールレアリスムを予言する象徴派である。《神秘的な対話》(1896)は、薔薇色の雲が飛ぶ蒼穹の古代神殿で美女が対話する。魂は果てしなく蒼穹を飛翔する。眼は奇妙な気球のように無限に向かう。ルドンは、ジョルジョ・デ・キリコ、サルヴァドール・ダリ、ポール・デルヴォー、超現実主義の先駆者である。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
主な展示作品
三菱一号館美術館はロートレック作品約260点を所蔵しており、岐阜県美術館はルドン作品約250点からなる世界有数のルドン・コレクションを所蔵している。
【「NOIR—ルドンの黒」】ルドンが木炭を使って制作した作品群。1840年にフランスの南西部の町ボルドーで生まれたルドンは、79年にリトグラフの作品集『夢のなかで』を刊行、版画家としてデビュー。動物と植物、夢と現実、意識と無意識が交錯する奇怪な形態、木炭画作品は、ルドンの独自の幻想世界を構築した。
【画家、版画家 トゥールーズ・ロートレック】後期印象派の画家とされる。パリの逸楽と憂鬱。トゥールーズ・ロートレック《アリスティド・ブリュアン》1895
【ゴーギャン「ノア ノア」(1893-94)。木版画シリーズ】「楽園」を求めてタヒチに滞在していたゴーギャンは、1893年にパリに一度戻り、タヒチの作品を披露した。しかし、人々の反応は期待を裏切った。ゴーギャンは、再びタヒチに旅立つ。作品をより良く理解してもらうため、ゴーギャンは木版画集『ノア ノア』を刊行。
ポール・ゴーギャン《『ノアノア』ナヴェナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》《『ノアノア』ナヴェナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》(1893-94)
【山本芳翠】1878年パリ万博のためにパリを訪れた山本芳翠は、博覧会終了後、ルドンが学んだ国立美術学校教授ジャン=レオン・ジェロームに師事。約10年間に滞在していた。その時期に制作した作品のほとんどは航海中に失われた。
山本芳翠《裸婦》(1880)重要美術品、現存する数少ない作例。
山本芳翠《浦島》1895
【ルドンの色彩画】「近代—彼方の白光」では、ルドンの色彩作品。20世紀の幕開け目前に、ルドンは黒の世界から色彩の世界へと完全に移行。当時、ルドン最大の支援者であり収蔵家のロベール・ド・ドムシー男爵は、1900年に城館の大食堂全体の装飾をルドンに委ねた。16点におよぶ巨大な壁画は、15点が1978年に取り外され、最終的にオルセー美術館に所蔵。
ルドン《グラン・ブーケ(大きな花束)》(1901)は2010年に当初の設置場所から外され、後に三菱一号館美術館に収蔵された。高さ2.5メートルにおよぶ色鮮やかに際立つ作品は、ルドンの装飾絵画のなかで最も突出した規模を誇る。
ルドンがパステルを用いて制作した作品ルドン《神秘的な対話》(1896頃)、ルドン《翼のある横向きの胸像(スフィンクス)》(1898-1900頃)、ルドン《オフィーリア》(1901-02頃)、
そして亡くなったルドンの追悼作品。ポール・セリュジエ《消えゆく仏陀—オディロン・ルドンに捧ぐ》(1916)1916年にポール・セリュジエが哀悼の意を示して制作した
人間の精神と夢を表現したルドンと人間の本質を突いたロートレックの世界を、同時代の画家たちの作品とともに展示する。
――
三菱一号館美術館の開館10周年の最後を飾る本展覧会は、丸の内初のオフィスビルとして三菱一号館が竣工した年、「1894年」を軸に、同館のコレクションの中核をなす画家である、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの時代に焦点を当てる。
1894年はルドンが色彩の作品を初めて発表した年であり、ロートレック、ルドン、ゴーガンが参加した『レスタンプ・オリジナル』の刊行年(1893-95)とも重なる。一方、同時代の日本では、フランスへ留学し、ルドンと同じ師のもとで学んだ山本芳翠が、代表作《浦島》を制作した時代でもあった。日本の洋画家と欧州の美術史の関係にも着目する。
本展は岐阜県美術館との共同企画であり、同館が誇る世界有数のルドン・コレクションから貴重な木炭とパステル画、ゴーガンの多色刷りの木版画を中心とした作品群、山本芳翠をはじめとする明治洋画の旗手たちの作品を出品。国内外あわせて140点を超える作品で構成する。
――
参考文献
マリオ・プラーツ『ロマンティック・アゴニー』Mario Ptaz:RomanticAgony(ロマン主義の苦悶)。
オディロン・ルドン 夢の起源・・・「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」
https://bit.ly/3lCXLAQ
奥泉光『漱石の孤独』

「1894 Visions ルドン、ロートレック展」・・・世紀末の印象派と象徴派、ロマン主義の苦悶

――
「ルドン、ロートレック 1894Vision展」、三菱一号館美術館、10月24日~1月17日

| | コメント (0)

2019年7月20日 (土)

「みんなのミュシャ展」・・・ミュシャ様式、線の魔術、運命の扉、波うつ長い髪の女

Mucha-2019
Mucha-1898
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』187回
初夏の風そよぐ午後、美術館に行く。ミュシャは、運命の女を追求した。運命の女と呼ばれる理由は何故か。運命の女(Femme fatale)の源泉は、トロイの王子パリスが選択したスパルタの王妃ヘレンである。*
【藝術家と運命の戦い、運命の扉】アルフォンス・ミュシャ、27歳で、挿絵画家になる。34歳の時、サラ・ベルナールのポスターを描く。パリで、ミュシャ様式、アール・ヌーヴォーが隆盛する。1900年、アール・ヌーヴォーが終息する。1910年、50歳の時『スラヴ叙事詩』に着手。プラハにて78歳で死す。
――
デッサン、イラストレーター、ポスター藝術、ミュシャ様式の頂点へ上り詰めた画家。1860年、アルフォンス・ミュシャ、ハプスブルク帝国下のモラヴィア、イヴァンチッツェに生まれる。アルフォンス・ミュシャは、1887年、27歳でパリ、アカデミー・ジュリアン入学。この年、日本の浮世絵、ジャポニスムが流行した。経済的困窮で、挿絵画家になる。
【運命の扉、サラ・ベルナールとの出会い、『ジスモンダ』】
世紀末のパリに出たが、鳴かず飛ばずだったミュシャが一夜にしてアール・ヌーヴォーの寵児に躍り出るきっかけとなった作品。当時すでに生きた伝説の大女優サラ・ベルナールのポスターがなぜ無名のミュシャに発注されたのか。印刷工場で働いていたミュシャが版画を制作した。
1895年のサラの正月公演のため、1894年のクリスマスの夜、一夜にして作られた。『ジスモンダ』はサラの戯作者ヴィクトリアン・サルドゥーの中世を舞台とする宗教劇。ジスモンダが手にしたシュロの枝は「シュロの日曜日」というキリスト教の祭日に因む。当時ポスター作家として人気を博していたロートレックにもシェレにもないビザンティン風のエキゾティックな衣裳、サラの印象的なポーズ、モザイクを模したレタリングなどが人気の秘密であった。
――
【ミュシャ様式、アール・ヌーヴォー】
1895年元旦、アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』のポスターでパリのアート・シーンの注目を集め始める。アール・ヌーヴォー様式の発信源の一つとなるジークフリード・ビングの画廊、メゾン・ド・ラール・ヌーヴォーがオープン。
ミュシャのデザインは「ミュシャ様式」というニックネームで大衆に親しまれ、「アール・ヌーヴォー」と同義語になる。優美な女性と、繊細な線、大胆な構図、曲線と円形、花の装飾。
1898年、ウィーン分離派展に参加。フリーメイソン、パリ支部の会員。
1900年、アール・ヌーヴォー、終息。ミュシャ様式、忘れ去られる。
1906年、アルフォンス・ミュシャ、マルシュカとプラハの聖ロフ教会で結婚。
1910年、アルフォンス・ミュシャ、故郷に戻り、スピロフ城を借りて、アトリエにする。50歳の時、『スラヴ叙事詩』に着手。1910—1928年まで。
1939年、アルフォンス・ミュシャ、プラハにて死去。78歳。
1960-70年代、グラフィック・アートとして、復活する。
【美人画の歴史、運命の女】ロマン主義、ラファエロ前派、ロセッティ、ギュスターヴ・モロー、象徴派、ミュシャ様式。19世紀は、美人画の歴史であった。ヨーロッパの美女の歴史の根源は、ギリシア神話、パリスの審判、アフロディーテ、アテナ、ヘラ、三女神の争い。パリスは、アフロディーテの差し出す美女、ヘレンを選び、トロイ滅亡を招く。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
【偉大な王と運命の戦い】アレクサンドロス大王、クレオパトラ7世、フリードリッヒ大王。偉大な王たちは、運命と戦う。絶対権力者が手に入れられない4つの秘宝がある。偉大な王たちが手に入れられない4つの自由。偉大な王たちが超えられない運命がある。
【思想家、藝術家と運命の戦い】思想と藝術は、苦悩と悲しみから生まれる。思想家、藝術家は運命と戦う。藝術家は運命に苦悩する。運命との戦いから思想と藝術は生まれる。
藝術家は、運命の女神と出会う。美しい女神が、舞い降りる。美を探求する、藝術家を救う。運命の愛から、藝術は生まれる。
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い、女神との出会い』
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
―――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい夕暮れ。美しい魂に、美しい女神が舞い降りる。美しい守護霊があなたを救う。天のために戦う、美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
大久保 正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』1894年 カラーリトグラフ 216 x 74.2 cm©Mucha Trust 2019
アルフォンス・ミュシャ『舞踏―連作〈四芸術〉より』1898  カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©Mucha Trust 2019
アルフォンス・ミュシャ『黄道十二宮』1896 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵  ©MuchaTrust2019
アルフォンス・ミュシャ『ジョブ』1896  カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵  ©MuchaTrust2019
――
参考文献
大久保 正雄『藝術家と運命との戦い、運命の女』
「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、2019
シュールレアリスムの夢と美女、藝術家と運命の女・・・デ・キリコ、ダリ、ポール・デルヴォー
https://bit.ly/2vikIlL
クロード・モネ『日傘の女』・・・運命の女、カミーユの愛と死
https://bit.ly/2uUs3pu
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道、国立新美術館・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派
https://bit.ly/2QbsUwT
「ミュシャ展 パリの夢、モラヴィアの祈り」2013
http://www.ntv.co.jp/mucha/
「ミュシャ展 『スラヴ叙事詩』」国立新美術館2017
http://www.nact.jp/exhibition_special/2016/alfons-mucha/
――
アール・ヌーヴォーを代表する芸術家、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)。「線の魔術」ともいえる繊細で華やかな作品は「ミュシャ様式」と呼ばれ、後世のアーティストに影響を与えてきたとともに、没後80年経ったいまなお、世界中の人々を魅了し続けている。
世紀末のパリでグラフィック・アーティストとして成功し、美術史上最初のグローバルな芸術運動アール・ヌーヴォーの旗手となったミュシャ。そのミュシャがプラハで逝去してからちょうど80年という節目に当たる2019年、「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ―― 線の魔術」を開催する。
本展は、ミュシャのグラフィック・アーティストとしての仕事を振り返り、さらにはミュシャ様式と呼ばれた独創的なスタイルが、後世のグラフィック・アートにどのような影響を与えたのかを俯瞰しながら、ミュシャが私たちの時代の視覚文化に与え続けてきたインパクトを検証する展覧会である。
250点以上の作品を通じて、時代を超えて愛される画家の秘密を紐解く、これまでにない画期的なミュシャ展となる。 2019年7月13日(土)Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)東京展を皮切りに、京都、札幌、名古屋、静岡、松本で2019〜2020年にかけて開催する。
https://www.ntv.co.jp/topics/articles/19ng2236py6fa3auji.html
――
★京都展:2019年 10月12日(土)〜2020年1月13日(月・祝)京都文化博物館
札幌展:2020年1月25日(土)〜4月12日(日)札幌芸術の森美術館
名古屋展:2020年4月25日(土)〜6月28日(日)名古屋市美術館
静岡展:2020 年7月11日(土)〜9月6日(日)静岡県立美術館
松本展:2020 年9月19日(土)〜11月29日(日)松本市美術館
――
★「みんなのミュシャ展」Bunkamuraザ・ミュージアム、7月13日~9月29日

| | コメント (0)

2019年5月18日 (土)

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道・・・装飾に覆われた運命の女、黄金様式と象徴派

Wien2019
Gustav-klimt-liebe-1895
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第182回
装飾に覆われた魔性の女、叶わぬ恋に懊悩する藝術家、無垢の少女の美。クリムトは、ヌード、妊娠、官能的なテーマを黄金様式で作品化、甘美で妖艶なエロスと死の香りは象徴派へと展開する。クリムト最期の言葉は「エミーリエを呼んでくれ」。世紀末の藝術家は、何を追求したのか。19世紀の階級社会と産業資本主義の抑圧が重くのしかかる世界。世紀末の藝術家はエロスとファッション、装飾と神秘に耽溺する。ラファエル前派は、ロイヤル・アカデミーに反旗を翻し、分離派のクリムトはウィーン大学天井画事件で体制に反旗を翻した。1860年代から始まる印象派に背を向け、象徴派の藝術家たちは、運命の女を追求した。世紀末の藝術家の生きる根拠は何か。藝術家たちは、19世紀の女性のファッションに革命をもたらした。
【クリムトとエミーリエ・フレーゲ】クリムトは1891年、生涯の恋人、エミーリエ・フレーゲと出会い、フレーゲ三姉妹を通じて、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まる。クリムトは生涯結婚せず。彼女は、クリムト(Gustav Klimt 1862-1918)の死後、78歳まで、34年生きる。
クリムトは、エミーリエ・フレーゲの肖像画を2枚描いている。「17歳のエミーリエ・フレーゲ」と「27歳のエミーリエ・フレーゲ」である。
――
【エミーリエ・フレーゲ】自分の意志で行動する聡明な女性。エミーリエ・フレーゲ(Emilie Louise Flöge 1874-1952)は、服飾デザイナーで、1904年、30歳の時にファッション・サロン「フレーゲ姉妹」を三姉妹で共同経営した。ウィーンのファッション界をリードした。1938年、閉店。
【ラファエル前派とアーティスティック・ドレス】1865年、モリスは、妻ジェーンのためにドレスをデザインしている。モリス、ミレイ、ロセッティ、ラファエル前派の画家たちは、モデルたちの装いがタイムレスで、後世に残る不朽の名作となるため、初期ルネサンス風のドレスを制作し、モデルたちに着せた。
【ジョルジュ・スーラ『ポーズする女たち』1888】『グランドジャッド島の日曜日の午後』の前で【コルセットを脱ぐ女たち】が描かれている。スーラは、19世紀の女性の人工的モードを批判している。(Georges Seurat Les poseuses1886-1888)
――
【世紀末の藝術家、美女を求めて】
ロセッティ、ギュスターヴ・モロー、象徴派の美女の探求は、ベルギー象徴派へと展開する。【ベルギー象徴派】フェルナン・クノップフ(Fernand Khnopff) (1858-1921)『スフィンクスの愛撫』両性具有的な人物とスフィンクスの両方のモデルが画家の最愛の妹マルグリット。(1898年に開催された第1回ウィーン分離派展出品作)。彼のモデルとなっているのは殆ど6つ下の妹マルグリット・クノップフ。ジャン・デルヴィル(Jean Delville) (1867-1953)『オルフェウスの死』(1898)『レテ河の水を飲むダンテ』(1919)。デルヴィルは、70歳までブリュッセル美術アカデミーの教授をする。
【アール・ヌーボー、ミュシャの運命の女】
アール・ヌーボーの画家、アルフォンス・ミュシャ、素描《少女と鳩》1899年。早世した初恋のひと、ユリエ・フィアロヴァー(ユリンカ)の面影を描きつづけた。ミュシャ(1860-1939)、『舞踏 連作、四藝術』1898年。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
グスタフ・クリムト《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年 油彩/カンヴァス 178 x 80 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum
グスタフ・クリムト《パラス・アテナ》1898年 油彩/カンヴァス 75 x 75 cm ウィーン・ミュージアム蔵
グスタフ・クリムト《愛》(「アレゴリー:新連作」のための原画 No.46)1895年 油彩/カンヴァス 62.5 x 46.5cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum /
エゴン・シーレ《自画像》1911年 油彩/板 27.5 x 34 cm ウィーン・ミュージアム蔵 
エゴン・シーレ《ひまわり》1909-10年 油彩/カンヴァス 149.5 x 30 cm ウィーン・ミュージアム蔵
マルティン・ファン・メイテンス《幼いヨーゼフ2世を伴ったマリア・テレジア》
1744年 油彩/カンヴァス 216.2 x 162.5 cm ウィーン・ミュージアム蔵
――
★参考文献
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」東京都美術館・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
https://bit.ly/2ZM5pyR
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
――
本橋弥生「エミーリエのドレスとクリムトのスモックはファッションだったのか」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
「フェルナン・クノップフ☆謎多き巨匠」パリ市立プティ・ パレ美術館(Petit Palais)2019
https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/post-990.html
――
ベルギー象徴派
フェルナン・クノップス、ジャン・デルヴィル
『ベルギー、奇想の系譜』・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/2u6J1nr
ベルギー幻想美術館 クノップフからデルヴォー、マグリットまで・・・金木犀の香る夜
https://bit.ly/2MvYgQd
――
19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは、絵画や建築、工芸、デザイン、ファッションなど、それぞれの領域を超えて、新しい芸術を求める動きが盛んになり、ウィーン独自の装飾的で煌きらびやかな文化が開花しました。今日では「世紀末芸術」と呼ばれるこの時代に、画家グスタフ・クリムト(1862-1918)やエゴン・シーレ(1890-1918)、建築家オットー・ヴァーグナー(1841-1918)、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1958)、アドルフ・ロース(1870-1933)など各界を代表する芸術家たちが登場し、ウィーンの文化は黄金期を迎えます。それは美術の分野のみならず、音楽や精神医学など多岐にわたるものでした。本展は、ウィーンの世紀末文化を「近代化モダニズムへの過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です。18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し、ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へとつながっていった軌跡をたどる本展は、ウィーンの豊穣な文化を知る展覧会の決定版と言えます。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/wienmodern2019/
――
日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
国立新美術館2019年4月24日(水)~8月5日(月)
国立国際美術館2019年8月27日(火)~12月8日(日)

| | コメント (0)

2019年5月 6日 (月)

クリムト『ベートーベン・フリーズ』・・・理念を目ざす藝術家の戦い。黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う

Gustavklimt-beethoven-friezedetail1902 
Gk-the-kiss-1907-gustav-klimt-wikiart
Gk-emilie-frege-1891-gustav-klimt
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第181回
春爛漫、花の匂い漂う森を歩いて、美術館に行く。紫の躑躅と牡丹と八重桜の咲き匂う森から、秘書は駆け寄ってきた。秘書と八重櫻、園里黄桜が咲く道を歩いて行く。
灼熱のウィーンの夏の日の思い出が蘇る。ベルヴェデーレ宮殿の庭を歩いていくと、ハーピストが向こうから歩いてきた。ハプスブルク帝国、東欧の世界遺産の美をめぐる旅。あの夏、ベルヴェデーレ宮殿でクリムト『接吻』(1907-8)をみた。稲光の光る嵐の夜のドナウ川クルーズ、チェスキー・クルムロフ城を思い出す。
【理念を目ざす藝術家の戦い】クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』は、黄金の甲冑で武装した騎士が、敵対する力と戦い、竪琴をもつ詩の女神に出会い、純粋な幸福と愛に辿りつく旅路。楽園の天使の合唱、シラーの詩「麗しき神々の火花よ」「この接吻を世界に」。*
夕暮れに、竪琴をもつ美の女神、美の楽園の天使が、美しい魂に舞い降りる。
【グスタフ・クリムト「接吻」ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館】恋人たち二人の足下の花園は断崖、かろうじて女性の両足が支える。男はグスタフ、女はエミーリエ。1891年、生涯の恋人、エミーリエ・フレーゲ(Emilie Louise Flöge 1874-1952)と出会い、フレーゲ三姉妹を通じて、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まる。クリムトは生涯結婚せず。彼女は、クリムト(Gustav Klimt 1862-1918)の死後、34年生きる。
【理念を目ざす思想家の戦い】詩の霊感、藝術の魔力は、至高体験(Peak Experience)へと人を導く。天人には天人の喜びがあり、天から舞い降りた天の童子は、この世で修羅の道を歩み、この世の果てに美をめざす。理念を目ざす思想家は、密教真言の呪力で敵と戦い、怨敵調伏する。至高の美を探求する哲学者の旅。
【美女を探求する藝術家】ロセッティ『プロセルピナ』『祝福されし乙女』、ギュスターヴ・モロー『出現』『サロメ』『一角獣』、カラバッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』、レオナルド『レダ』。ロセッティの運命の女、ジェーン・バーデン。ギュスターヴ・モローの見つめ合う男女『オルフェウスの首を抱くトラキアの娘』『オイディプスとスフィンクス』『ヨハネとサロメ』。グスタフ・クリムト『接吻』の二人は何を意味するのか。断崖で口づけする二人。
クリムトは、エロスと装飾絵画の藝術家である。象徴的な絵画を200点、描いた。新しい運動の理念を象徴する絵画、「パラス・アテナ」「ヌーダ・ヴェリタス」。女性の神秘を追求した絵画、「ユディトⅠ」「サロメ」「ダナエ」。理念を目ざす藝術家の戦い、『ベートーヴェン・フリーズ』1902、「人生は戦いなり(黄金の騎士)」、「接吻」。生殖から死までの生命の円環、「女の三世代」。愛と性欲の神秘、対立と争い、老いと死を迎える人間の衰退、これらを絵画の中で象徴的に描いた。(Cf.マークス・フェリンガー)
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
*大久保正雄『藝術家と運命との戦い』
――
美は真であり、真は美である。これは、地上にて汝の知る一切であり、知るべきすべてである。
美しい魂は、輝く天の仕事をなし遂げる。美しい女神が舞い下りる。美しい守護精霊が、あなたを救う。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』Gustav Klimt The Beethoven Frieze 1902
1:幸福への憧れ 上空に精霊たちが連なって浮遊する。これを辿ると「幸福への憧れ」。人生の苦悩を象徴する裸の男女は、「完全武装の勇者」(黄金の鎧の騎士)に助けを請い、騎士は人類を代表して、幸福を探求する。勇者を包み込むように寄り添う二人の女「同情」と「功名心」。
2:敵対する力 人類に敵対する力、危険や誘惑、世の中に潜在する敵に立ち向かう。ゴリラのような獣は、怪物テュフォン。獣が大きく広げた羽の中に蹲る痩身の女「心を蝕む悲しみ」。テュフォンの左側に立つテュフォンの娘、ゴルゴン三姉妹。「病気・狂気・死」。テュフォンの右側に佇む三人の女「肉欲・淫蕩・不節制」。
3:詩 浮遊する精霊たちに導かれる。竪琴を手にした女、詩の女神。人類の幸福への憧れが詩に癒される。
4:この接吻を全世界に、純粋な喜び、純粋な幸福、純粋な愛 藝術の女たちの祝福を受け、楽園の天使たちが合唱する。抱擁し接吻する男女。「この接吻を全世界に」。Diesen Kuss der ganzen Welt
――
参考文献
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
「クリムト展 ウィーンと日本 1900」東京都美術館・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想
https://bit.ly/2ZM5pyR
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて
https://bit.ly/2v5uxlY
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
https://bit.ly/2UoqUWz
――
マークス・フェリンガー「生命の円環― クリムト自身を映す象徴主義」『クリムト展 ウィーンと日本1900』図録
マークス・フェリンガー「クリムトにとって絵画は、肖像画も風景画も装飾品。」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
【グスタフ・クリムト《接吻》(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵)】1890、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーンの貴族や上流階級との交流が始まった。二人の足下にある花園は断崖で、かろうじてかかった女性の両足が、転落の予感と背中合わせという二人の瀬戸際の運命的な愛を暗示。1907年《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》や《接吻》(1907-8)を制作、クリムトの黄金様式が頂点を迎えた。
千足伸行「グスタフ・クリムト《接吻》 溶け落ちる永遠」.
https://artscape.jp/study/art-achive/10152843_1982.html
革新とエロス、多彩な油彩画 「クリムト展 ウィーンと日本1900」
https://www.asahi.com/event/DA3S13984987.html
ライジンガー真樹 クリムトが捧げるベートーベンへのオマージュ 1
https://tokuhain.arukikata.co.jp/vienna/2010/11/post_238.html
――
Gustav Klimt The Beethoven Frieze 1902
Gustav Klimt The Kiss 1907-08
Gustav Klimt Emilie Flöge (aged 17)1891
――
19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムト(1862-1918)。華やかな装飾性と世紀末的な官能性をあわせもつその作品は、いまなお圧倒的な人気を誇ります。没後100年を記念する本展覧会では、初期の自然主義的な作品から、分離派結成後の黄金様式の時代の代表作、甘美な女性像や数多く手掛けた風景画まで、日本では過去最多となる25点以上の油彩画を紹介します。ウィーンの分離派会館を飾る壁画の精巧な複製による再現展示のほか、同時代のウィーンで活動した画家たちの作品や、クリムトが影響を受けた日本の美術品などもあわせ、ウィーン世紀末美術の精華をご覧ください。東京都美術館
https://www.tobikan.jp/exhibition/index.html
――
★クリムト展 ウィーンと日本 1900、東京都美術館、4月23日(火)~7月10日(水)
豊田市美術館、7月23日(火)~10月14日(月・祝)

| | コメント (0)

2019年5月 1日 (水)

「クリムト展 ウィーンと日本 1900」・・・黄金の甲冑で武装した騎士、詩の女神に出会う、純粋な愛と理想

Klimt2019

大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第180回
ベルヴェデーレ宮殿の庭を歩いていくと、ハーピストが向こうから歩いてきた。灼熱のウィーンの夏の日の思い出。ハプスブルク帝国、東欧の世界遺産をめぐる旅。あの夏、ベルヴェデーレ宮殿でクリムト『接吻』(1907-8)をみた。ベルヴェデーレの裏庭のスフィンクスからシュテファン寺院と市街を眺める。ベルリン博物館島、マイセン、ドレスデン、ウィーン、ザルツカンマーグート、ヴォルフガング湖、白馬亭、ザルツブルク、プラハ、カレル橋、チェスキークルムロフ城、ドナウの薔薇ブダペスト。稲光が光り雷鳴が鳴る、嵐の夜のドナウ川クルーズ、ブダペストからチューリッヒへ飛行、蘇る青春の日の旅。
春爛漫、花の匂い漂う森を歩いて、美術館に行く。紫の躑躅と牡丹と八重桜の咲き匂う森から、秘書は駆け寄ってきた。彼女と八重櫻、園里黄桜が咲く道を歩いて行く。
クリムト『ベートーヴェン・フリーズ』は、黄金の甲冑で武装した騎士が、敵対する力と戦い、竪琴をもつ詩の女神に出会い、純粋な幸福と愛に辿りつく旅路。楽園の天使の合唱、シラーの詩「麗しき神々の火花よ」「この接吻を世界に」。夕暮れに、竪琴をもつ美の女神、美の楽園の天使が、美しい魂に舞い降りる。
【グスタフ・クリムト「接吻」ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館】二人の足下の花が咲き乱れる花園は断崖で、かろうじて支える女性の両足。1891年、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まる。彼女は、クリムト(1862-1918)の死後、34年生きる。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より 
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
クリムト、人生と藝術・・・華やかな装飾絵画と女たち
大久保正雄『藝術家と運命との戦い』より
1、【新古典主義様式】クリムトは1883年、弟エルンストと画家仲間のフランツ・マッチュと、室内装飾を手がけるアトリエ「芸術家カンパニー」を共同経営。ウィーンの市街地が再開発された時代。今も残る、美術史美術館やブルク劇場の壁画。
黄金様式の作風は、この時代には生まれなかった。1888年ブルク劇場オープと同時に完成した天井画「タオルミーナの劇場」。
【クリムト、エミリエ・フレーゲとの出会い】
1891年、クリムトはエミリエ・フレーゲと出会い、彼女と生涯行動をともにする。クリムトの代表作『接吻』(1908)のモデルはエミリエ。フレーゲ3姉妹との出会いによって、オーストリア貴族と富裕層とのつきあいが始まる。エミリエとの出会いが、分離派、黄金様式、装飾藝術を生みだす。
【クリムト30歳、父と弟の死】
1892年、父が脳卒中で死す。弟エルンスト・クリムト、心膜炎で急死。生と死のテーマが胚胎する。
――
2、【世紀末のクリムト1898】
19世紀末のクリムトの様式の特徴は、『ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)』でみられる象徴主義的な人物造形。『古代ギリシャとエジプト』『アテナ』1898。『ヌーダ・ヴェリタス』でクリムトは、ハプスブルグ家の政治と社会の両方を批判。苦しみを忘れるように女性の裸体を描く。
【ウィーン大学大講堂天井画事件1900】1894年クリムトはウィーン大学の大講堂の壁画の天井装飾画の3作品の依頼を受ける。19世紀内の完成は間に合わず《医学》《哲学》《法学》の3作品。理性を権威とする大学の意向と反対のポルノグラフィ。論争となる。クリムトの表現は性的で、当局と大衆の反撥を受ける。
3、【クリムト、1897年、ウィーン分離派、黄金様式】
【クリムト、1897年、ウィーン分離派創設、初代会長】クリムト『ヌーダ・ヴェリタス』(1899)は「確立された価値観を覆す」ことを宣言した。クリムトは第14回ウィーン分離派展示会『ベートーベン・フリーズ』(1902年)を発表。
4、【クリムト「黄金様式」】1901年から始まる。『ユディト』1901、『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』1907年『接吻』1908、黄金時代に制作した金箔絵画。
【グスタフ・クリムト『ユディト』1901】敵の将軍、ホロフェルネスの首を刎ね、手に持つヘブライ人の女ユディトの姿。 クリムトは切断されたホロフェルネスの首を手に持つユディトが恍惚の瞬間の表情を描く。
【クリムト『接吻』愛のテーマ】クリムト『接吻』1907-8。花が咲き乱れる花園の断崖の上に立つ二人。女の両足が断崖に踏みとどまる。女はエミリエ・フレーゲ、男はクリムト自身。『ベートーヴェン・フリーズ』1902『生命の木』1905、から展開した。
――
5、【クリムト、女たち、装飾絵画】愛と死
【苦悩するクリムト、36歳】1899年、7月、9月、2人の女が非嫡出子を生み、クリムトは窮地に陥る。誘惑する女と残酷な現実に苦悩する。《亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像》1902、3番目の子が死亡する。
【クリムト、55歳で死す】1911年作品『死と生』が、1911年、ローマ国際芸術展で最優秀賞を受賞。1915年に母アンナが死去。3年後の1918年2月6日にクリムトは当時世界的に流行していたスペイン風邪で死去。ウィーン、ヒーツィングにあるヒエットジンガー墓地に埋葬された。55歳。
【クリムト、愛人たち、装飾絵画】毎日のようにクリムトの家の扉をたたく富裕層のパトロンで溢れかえり、騒がしい日々。富裕層の夫人、令嬢、モデルの女性がいつもクリムトの家にやってきて、みずから服を脱ぎ、ヌードになる。
クリムトは、生涯結婚しなかったが、多くのモデルと愛人関係にあり、非嫡出子の存在が14人確認されている。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
展示作品の一部
グスタフ・クリムト《ユディトⅠ》 1901年 油彩、カンヴァス 84 x 42 cm ウィーン、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館© Belvedere, Vienna, Photo: Johannes Stoll
グスタフ・クリムト《女の三世代》1905年ローマ国立近代美術館Galleria Nazionale d’Arte Moderna e Contemporanea, Roma
《女の三世代》1905は、眠る幼子と幼子を抱く若い母とうなだれる老女、三世代の生命の円環。
グスタフ・クリムト《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》1899年 油彩、カンヴァス 244×56.5cmオーストリア演劇博物館© KHM-Museumsverband, Theatermuseum Vienna
グスタフ・クリムト《ベートーヴェン・フリーズ》正面の壁「敵意に満ちた力」
《ベートーヴェン・フリーズ》第3の壁1984年(原寸大複製/オリジナルは1901-1902年、216×3438cm)ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館 © Belvedere, Vienna
グスタフ・クリムト《17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像》1891年 パステル、厚紙67×41.5cm 個人蔵
グスタフ・クリムト《ヘレーネ・クリムトの肖像》1898年 油彩、厚紙 59.7×49.9 cm
個人蔵(ベルン美術館寄託)Kunstmuseum Bern, loan from private collection
グスタフ・クリムト《亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像》1902年 チョーク、紙
グスタフ・クリムト《アッター湖畔のカンマー城III》1909/10年 油彩、カンヴァス
グスタフ・クリムト《オイゲニア・プリマフェージの肖像》1913/14年 油彩、カンヴァス
フランツ・マッチュ「女神(ミューズ)とチェスをするレオナルド・ダ・ヴィンチ」1889油彩、カンヴァス
エルンスト・クリムト「フランチェスカ・ダ・リミニ」1890油彩、カンヴァス
フランツ・マッチュ「ソフォクレス『アンティゴネ』上演中のアテネのディオニュソス劇場(ブルク劇場天井画のための下絵)」1886年 油彩、カンヴァス
――
参考文献
マークス・フェリンガー「生命の円環― クリムト自身を映す象徴主義」『クリムト展 ウィーンと日本1900』図録
マークス・フェリンガー「クリムトにとって、絵画は肖像画も風景画も装飾品である。」
福元崇志「表現することの逆説」『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』図録
【グスタフ・クリムト《接吻》(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵)】1890、生涯の恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーンの貴族や上流階級との交流が始まった。二人の足下にある花園は断崖で、かろうじてかかった女性の両足が、転落の予感と背中合わせという二人の瀬戸際の運命的な愛を暗示。1907年《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》や《接吻》(1907-8)を制作、クリムトの黄金様式が頂点を迎えた。
千足伸行「グスタフ・クリムト《接吻》 溶け落ちる永遠」.
https://artscape.jp/study/art-achive/10152843_1982.html
革新とエロス、多彩な油彩画 「クリムト展 ウィーンと日本1900」
https://www.asahi.com/event/DA3S13984987.html
ライジンガー真樹 クリムトが捧げるベートーベンへのオマージュ 1
https://tokuhain.arukikata.co.jp/vienna/2010/11/post_238.html
――
クリムト展 ウィーンと日本 1900、東京都美術館、4月23日(火)~7月10日(水)
豊田市美術館、7月23日(火)~10月14日(月・祝)
https://www.tobikan.jp/exhibition/index.html

| | コメント (0)

2019年4月16日 (火)

「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて

Moreau2019
Gustave-moreau-apparition-1876
Gustave-moreau-europe-1868
Gustave-moreau-salome-1875
Gustave-moreau-unicorne-1885
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』第179回
花吹雪、桜の花びら舞う道を歩いて、美術館に行く。夢を集める藝術家、パリの館に閉じ籠もる神秘家。ギュスターブ・モローは、ボードレール『悪の華』を愛読し、ギリシア神話、古代史を愛好した。幻の美女たちを求め、画きつづけた。生涯独身だったモローは、母親ポーリーヌと58年間共に暮らした。母親を描いた素描は40点。ポーリーヌは、81歳で死す。10歳年下の女、穏やかで高潔な精神をもった女性アレクサンドリーヌとの親交は31年続いた。アレクサンドリーヌは、54歳で死す。愛する人の死、友人たちの死、ギュスターブ・モローは、自らの運命を意識し、72歳で死ぬまで絵画制作に没頭する。
【愛する人の死とギュスターブ・モロー美術館】
モローは、15歳と31歳の時、イタリアを旅する。「オイディプスとスフィンクス」(1861-64)を始めとして、ギリシア神話の主題を描く。恋人が1890年に死去。「エウリュディケの墓の上のオルフェウス(Orphée sur la tombe d'Eurydice)」(1890) )を制作。友人の死、愛する女性の死をへて、自らの運命を意識し、72歳で死ぬまで、自らの館を美術館にすることに努力する。ジャヤバルマン7世が自らの死を意識してバイヨン寺院を建設したように、ギュスターブ・モローは美術館をつくった。*
【藝術と魔術】藝術は悲しみと苦しみから生まれる。絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。敵との闘争における武器なのだ。いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。夢は現実を超え、現実を変革する。
大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
*大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
――
幻の美女を求めて
ギュスターヴ・モロー、ロセッティ(1828-82)、クリムト(1862-1918)、19世紀の画家たちは、なぜ運命の女を追求したのか。ルネサンス、バロックの藝術家は、ギリシア神話、古代史をイメージ化した。レオナルド・ダ・ヴィンチ『レダと白鳥』、ミケランジェロ『レダ』、カラバッジョ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』。藝術家は、幻の美女を求める。
【愛する人の死】ギュスターブ・モローは、2人の女性を愛した。「世界で一番大切な存在」母、ポーリーヌ・モロー(1884没)。最愛の恋人アレクサンドリーヌ・デュルー(1836-1890没)。悲しみに暮れたモローは「エウリュディケの墓の上のオルフェウス(Orphée sur la tombe d'Eurydice)」1890を制作。『パルカと死の天使』1890。
【運命の女(ファムファタール) 】ギュスターブ・モローは、魅力的な女を描きつづけた。男を狂わせる運命の女(ファムファタール)。1、男を破滅に導く女、セイレーン。レダ、ヘレネ、クレオパトラ。トラキアの乙女。2、欲望を求める女、皇妃メッサリーナ。3、無垢な美しさが人を狂わせる女の誘惑、エウロペ、一角獣を抱く貴婦人。
*大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
――
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)
父、ルイ・モローは、建築家。
1841年、15歳 1回目のイタリア旅行。フィレンツェ、ピサを旅する。
1852年 モローの両親がギュスターブのために、ラ・ロシュフーコー通り14番に、土地と家を購入。
1856年 友人、テオドール・シャセリオーが37歳で死去。
1857年-58年、31歳から32歳。1857年10月から1859年まで、2回目のイタリア滞在。
偉大な芸術家たち(ミケランジェロ、ヴェロネーゼ、ラファエロ、コレッジョ等)の作品を模写する。ローマに滞在した後、モローはフィレンツェ、ミラノ、ベネチアを訪れ、そこでカルパッチョを知る。若いエドガー・ドガと親交を結ぶ。両親とナポリに滞在した後、
1859年9月パリに戻る。デッサンのモデルとなったアレクサンドリーヌ・デュルーに出会う。モロー33歳、アレクサンドリーヌ23歳。彼女は1890年に54歳で他界するまで、モローの「最高でたった一人の女友達」となる。
1862年 父、ルイ・モロー72歳で死去。「私は己の死と、私の作品の行く末を案じている」ギュスターブ・モロー
1864年『オイディプスとスフィンクス(Oedipe et le Sphinx)』1864
1865年『オルフェウス Orpheus』1865 オルフェウスはギリシアの吟遊詩人。最愛の妻エウリュディケが亡くなり、冥界まで行って連れ帰ろうとしたが、失敗した。トラキアの乙女たちがオルフェウスの気を引こうとしたが、彼は拒んだ。ディオニュソスの祭の最中、娘は槍を掴むとオルフェウスに投げつけ、他の娘たちも加わり、彼は八つ裂きにされた。頭と竪琴は河に投げ込まれ河をさまよい、ニンフたちに発見された。
1884年、母、ポーリーヌ・モロー、81歳で死去。
1890年、64歳 恋人アレクサンドリーヌ・デュルー、54歳で死去。
1892年、66歳、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)、教授となる。
1895年、69歳、自邸を美術館にするため、建築家アルベール・ラフォンに依頼する。改築を開始。
1898年、ギュスターブ・モロー、72歳で死去。
――
参考文献
「ギュスターヴ・モロー ギュスターヴ・モロー美術館所蔵」図録Bunkamura、2005
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」図録2019
貴婦人と一角獣展・・・タピスリーの謎、五感と「我が唯一の望み」
https://bit.ly/2pwbOwY
運命の女
「ラファエル前派の軌跡展」三菱一号館美術館・・・ロセッティ、ヴィーナスの魅惑と強烈な芳香
https://bit.ly/2Coy0jB
ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢・・・愛と美の深淵
https://bit.ly/2MGcs9l
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「祝福されし乙女」・・・藝術家と運命との戦い、ロセッティ最後の絵画
https://bit.ly/2UoqUWz
ベルギー、奇想の系譜、Bunkamura・・・怪奇と幻想うごめくフランドル
https://bit.ly/2u6J1nr

「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」・・・夢を集める藝術家、パリの館の神秘家。幻の美女を求めて

高階秀爾、中山公男『象徴派の絵画』朝日新聞社1992
――
【三島由紀夫『癩王のテラス』】肉体の崩壊と共に、大伽藍が完成してゆくといふ、そのおそろしい対照が、あたかも自分の全存在を芸術作品に移譲して滅びてゆく芸術家の人生の比喩のやうに思はれたのである。生がすべて滅び、バイヨンのやうな無上の奇怪な芸術作品が、圧倒的な太陽の下に、静寂をきはめて存続してゐるアンコール・トムを訪れたとき、人は芸術作品といふものの、或る超人的な永生のいやらしさを思はずにはゐられない。壮麗であり又不気味であり、きはめて崇高であるが、同時に、嘔吐を催されるやうなものがそこにあつた。三島由紀夫
――
展示作品の一部
ギュスターヴ・モロー「出現」(L'Apparition)1876頃 キャンバスに油彩 142×103cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo ©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF。
ヘロデ王の前で踊るサロメの目の前に出現したヨハネの首の幻影。聖なるものの出現。神秘の出現。
モロー「エウロペの誘拐」(L'enlèvement d'Europe)(1868)
モロー「一角獣」1885年頃 油彩/カンヴァス 115×90cm ギュスターヴ・ モロ一美術館蔵 Photo ©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMFギュスターヴ・ モロ一美術館蔵
モローが1883年にパリのクリュニー中世美術館で6枚のタピスリー《貴婦人と一角獣》を見たことから生み出された作品、モロー芸術の傑作。
――
象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、神話や聖書をテーマにした作品で知られています。産業の発展とともに、現実主義的、物質主義的な潮流にあった19世紀後半のフランスにおいて彼は、幻想的な内面世界を描くことで、真実を見いだそうとしました。本展は、そのようなモローが描いた女性像に焦点をあてた展覧会です。出品作品は、パリのギュスターヴ・モロー美術館が所蔵する、洗礼者ヨハネの首の幻影を見るサロメを描いた名作《出現》や、貞節の象徴とされた幻獣を描いた《一角獣》を含む油彩・水彩・素描など約70点によって構成されます。神話や聖書に登場する、男性を死へと導くファム・ファタル(宿命の女)としての女性、誘惑され破滅へと導かれる危うい存在としての女性、そしてモローが実生活において愛した母や恋人。展覧会では、彼女たちそれぞれの物語やモローとの関係を紐解いていき、新たな切り口でモロー芸術の創造の原点に迫ります。
https://panasonic.co.jp/ls/museum/
――
「ギュスターブ・モロー展 サロメと宿命の女たち」
パナソニック汐留美術館、4月6日~6月23日
あべのハルカス美術館. 7月13日(土)~9月23日(月・祝)

| | コメント (0)

2013年7月 3日 (水)

オディロン・ルドン 夢の起源・・・「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」

201306291大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』より
夏至の日の夕暮れ、美術館に行く。
『エドガー・アラン・ポー全集』を飾る版画の数々が、記憶の中から蘇る。ルドン「眼は奇妙な気球のように無限へ向かう」は、荒野に旅する眼である。夢幻的世界への旅立ち。夢と現実を境界なく旅する飛行船のようである。世界は、夢と現実とからできている。夢の大切さを教えたのは、美しき女だった。美しき女の導く旅によって、世界は美しい詩想の世界へと変貌した。春の日の旅立ち。美しき乙女の導くパルメニデスの騎行のように。
印象派の光の時代にあって、幻想と黒を追求したルドンは、孤高の画家と呼ばれる。植物学者アルマン・クラヴォー、エドガー・アラン・ポーの詩と短編に霊感を受けて、幻想の世界を冒険した。色彩を追求したのは50歳以後だった。
ルドンは、植物学者の友人の影響を受けて1879年、39歳の時に石版画集『夢のなかで』を発表してデビュー。1882年『エドガー・ポーに』を発表する。1880年カミーユ・ファルトと結婚した。『目を閉じて(閉じられた目、瞑目)』(Les yeux clos)(1890年)は、長男ジャンの死から三年後の1889年に次男アリが誕生した翌年に制作、「水平線の彼方に眼を閉じた女」を描く。ここから、ルドンは、色彩の時代に入る。ルドンは、瞑目する女によって、現実の幸福に到達したのか。《神秘的な対話》(1896年)、この世界は、幸福感に包まれている。
――――――――――
第1部 幻想のふるさとボルドー ―夢と自然の発見
第2部 「黒」の画家 ―怪物たちの誕生
第3部 色彩のファンタジー
展示作品
《『夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出のために)』6.日の光》1891年 リトグラフ、紙 岐阜県美術館
《蜘蛛》1887年 リトグラフ、紙 岐阜県美術館
《『ゴヤ頌』 2.沼の花、悲しげな人間の顔》1885年 リトグラフ、紙 岐阜県美術館
《『起源』 3.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた
醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた》1883年 リトグラフ、紙 岐阜県美術館
《『夢のなかで』 2.発芽》
1879年 リトグラフ、紙 岐阜県美術館
《『エドガー・ポーに』1.眼は奇妙な気球のように無限に向かう》1882年 リトグラフ、紙 岐阜県美術館
《光の横顔》1886年 リトグラフ、紙 岐阜県美術館
《神秘的な騎士あるいはオイディプスとスフィンクス》1892年頃 木炭、パステルで加筆、画布で裏打ちした紙 ボルドー美術館
《神秘的な対話》1896年頃 油彩、画布 岐阜県美術館
《幻影》1910年頃 油彩、厚紙 ボルドー美術館
《若き日の仏陀》1905年 油彩、画布 京都国立近代美術館
《アポロンの戦車》1909年 油彩、パステル、厚紙 ボルドー美術館
母》1916年 油彩、画布 ボルドー美術館
《丸い光の中の子供》パステル、紙、新潟市美術館【展示期間7月30(火)‐8月25日(日)】
《ペガサスに乗るミューズ》1907‐10年頃 油彩、画布 群馬県立近代美術館
《花》1905‐10年頃 油彩、画布 岐阜県美術館
《眼をとじて》1900年以降 油彩、画布 岐阜県美術館
――――――――――
フランス象徴主義を代表する画家オディロン・ルドン(1840-1916)。ルドンは黒一色の怪奇で、空想的な世界を展開した後、50歳を過ぎて夢幻的な色の世界へと変貌した特異な画家として知られています。彼と同時代には、モネやルノワールといった印象派の画家たちが活躍していました。彼らが大気の変化とともに刻々とその様を変える現実世界の光の表現を求めていたなかで、内面を重視し夢の世界を描いたルドンは、次世代の画家や文学者、批評家たちから注目を集めました。本展では、ルドンの芸術の源泉である「夢」と「自然」のルーツを、生まれ故郷であるフランス南西部の都市ボルドーに求めました。青年期に触れた自然科学や19世紀中頃には時代遅れになりつつあったロマン主義を、その後「黒」から「色彩」へどう昇華し展開していったのか。故郷のボルドー美術館、国内最大のルドン・コレクションを所蔵する岐阜県美術館の全面協力のもと、各地から集められた約150点で孤高の画家ルドンの全貌を辿ります。
http://www.satv.co.jp/0500event/0010event/redon/
http://www.sompo-japan.co.jp/museum/exevit/index_redon.html
――――――――――
■オディロン・ルドン 夢の起源 幻想のふるさと、ボルドーから
損保ジャパン東郷青児美術館 4月20日―6 月23 日(日)
静岡市美術館(2013年6月29日~8月25日)
岐阜県美術館(2013年9月3日~10月27日)
新潟市美術館(2013年11月2日~12月23日)

| | コメント (1) | トラックバック (0)