佐伯祐三 自画像としての風景・・・世紀末の旅人
秘密を風に教えてはいけない、森全体に伝わる。お金には敏感になれ、一気に与えると腐る、棘がある良い人になれ。騙そうとする人は心地よい、体に悪いものは美味い、酒は毒薬。見栄張りの人の心は小さい、真相バラされると憎しみ付きまとう。不公平は当たり前。行きたくない会合は、喜んで行くか、断れ。
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』288回
3人の画家は、運命の出会いを果たし、運命の別れ、それぞれ独自の人生を歩む。
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【『星の王子さま』星めぐり】六つの星を訪れる。六つの星の支配者たちは、サンテグジュペリが飛行機から見た地上の人間たちの姿。王様=命令する人、自惚れる人、飲酒に溺れ酩酊する人、金を数える人、点燈夫=日常業務の人、探検家を利用する学者。人と競争、詐欺と搾取の競争社会。ここにいないのは、指揮官、探検隊、藝術家。
【人生の舞台】16の性格、外交官グループ、提唱者、仲介者、主唱者、広報運動家。番人グループ、管理者、擁護者、幹部、領事官。探検隊グループ、巨匠、冒険家、起業家、エンターテイナー。分析家グループ、建築家、論理学者、指揮官、討論者。人生という舞台、自分の必殺技をどう披露するか。特性、強み弱み、どう発揮するか
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青木繁、浪漫主義の悲劇
夭折の天才画家と称される青木繁の生涯と芸術を考えるとき、22歳で福田たねと出会ったことが、青木にとっての悲劇の始まりだった。17歳の時に画家を志して上京、小山正太郎の画塾・不同舎に入塾した。不同舎で福田たねと出会った。
東京美術学校西洋画科選科在学中の21歳の時に白馬会第8回展に「黄泉比良坂」など神話画稿を出品し、白馬会賞を受賞した。若くしてその才能を認められた青木繁。
1904年、坂本繁二郎、森田恒友、福田たねとともに4人で房州布良(現在の館山市)に旅行し、この旅がきっかけで青木の代表作「海の幸」が生まれた。
たねは第一子を出産、その子は「海の幸」にちなんで「幸彦」と名付けられた。翌年、未婚のまま親子3人で水橋村のたねの実家を訪問し、以後は福田家の援助を受けて生活する。ここで東京府勧業博覧会に出品するため「わだつみのいろこの宮」1907を制作。
1911年、九州各地を放浪しながら制作し、再び文展に出品するが落選。精神も肉体も病み、毎日喀血するようになり、大量喀血、28年8カ月の生涯を閉じた。
3人の運命、青木繁、福田たね、坂本繁二郎
福田たね
たねは、青木が去ってから3年後の明治43年、地元の野尻長十郎と結婚し7人の子をもうけた。野尻の転勤に伴い、日光、大阪、大津、札幌などを転居し、昭和29年の野尻没後には再び絵を描きはじめ、示現会などに出品し、83歳で死去した。
坂本繁二郎(1882-1911)
1924年、3年間のパリ留学を終えて郷里久留米へ戻った後、1931(昭和6)年、八女市へ移り、没するまでその地で制作を続けた。1969年87歳の長寿を全うするまで、その静謐な作風で牛や馬、能面や月などを多く描いた。
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展示作品の一部
青木繁「海の幸」1904
青木繁「わだつみのいろこの宮」1907
坂本繁二郎「うすれ日」(三菱一号館美術館寄託)
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参考文献
「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」アーティゾン美術館、2022
生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎・・・青木繁、28歳で死す
https://bit.ly/3wBtOt1
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青木繁(1882-1911)と坂本繁二郎(1882-1969)は、ともに現在の福岡県久留米市に生まれ、同じ高等小学校で学び、同じ洋画塾「小山正太郎の画塾・不同舎」で画家を志しました。「同時期の入門者には小杉放菴らがいた」。日本の洋画が成熟へと向かう時代の流れのなかで、それぞれに独自の作風を探求しました。青木は東京美術学校(現東京藝術大学)在学中に画壇にデビューし、美術と文学において浪漫主義的風潮が高まる時代のなか、《海の幸》(1904年)で注目を集め、若くして評価されます。しかし、華々しいデビューとは対照的に、晩年は九州各地を放浪し、中央画壇への復帰も叶わず短い生涯を終えました。
一方、坂本は青木に触発されて上京し、数年遅れてデビューします。パリ留学後は、福岡へ戻り、87歳で亡くなるまで長きにわたって、馬、静物、月などを題材にこつこつと制作に励み、静謐な世界観を築きました。作風も性格も全く異なる二人ではありますが、互いを意識して切磋琢磨していたことは確かでしょう。 生誕140年という記念すべき年に開催する本展は、約250点の作品で構成されます。二人の特徴や関係をよく表す作品を中心にすえ、それぞれの生涯をときに交差させながら「ふたつの旅」をひもといていきます。
青木繁
1882(明治15)年、福岡県久留米市生まれ。1903年、東京美術学校(現東京藝術大学)在学中に神話に取材した作品群で画壇デビュー。翌夏、青木は、友人の坂本、森田恒友、恋人の福田たねと房州の漁村(現千葉県館山市)に滞在し、友人たちの目にした大漁陸揚げの話に想像力をかき立てられ大作《海の幸》1904を制作しました。この作品はすぐれた構想力と大胆な表現法によって注目され、今日、日本近代美術史において、明治浪漫主義絵画を代表する作品として位置づけられています。1907年父親危篤に際して帰郷し、父が亡くなると、家族を扶養する問題に直面します。その解決策を見出せないまま九州各地を放浪し、中央画壇への復帰を画策しますが、その希望は叶うことなく、1911年、肺結核のため28歳で亡くなりました。
坂本繁二郎
1882年、福岡県久留米市生まれ。1902年、青木に誘われ上京、不同舎と太平洋画会研究所で学びました。青木が没すると、遺作展開催や画集編纂などその顕彰に尽くします。1912(大正元)年、文展出品作《うすれ日》(三菱一号館美術館寄託)が夏目漱石に評価され、1914年、二科展結成に加わりました。1924年、3年間のパリ留学を終えて郷里久留米へ戻った後、1931(昭和6)年、八女(やめ)市へ移り、没するまでその地で制作を続けました。人工的な要素の強いものを嫌い、自然のままの味わいを好んだ坂本は、身近な自然や静物に向き合い、淡い色彩と均質な描法によって対象を描き出します。1969年87歳の長寿を全うするまで、その静謐な作風で牛や馬、能面や月などを多く描きました。
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生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎、アーティゾン美術館、、7月30日(土)~10月16日(日)
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