文化・芸術

2008年3月 8日 (土)

海辺の学校・・・最後の授業

Garbera_shena外房の海岸に行き、潮騒のとどろく海辺の学校で、講義をしている。
海辺の学校で、「小論文講義」の授業をしている。
ある日は、森有正『遥かなノートルダム』、『星の王子さま』の一節を使って、「美とは何か」を講義する。
教室に、海から潮騒のとどろきが聞こえてくる。
早春の日の海は、北斎の海のように美しい。
授業が終わると、夕暮れの光をあびて、海が紅く染まっている。
文章の極意は「事実ではない。何を証明できるか」である。
考えることは、感動することである。
目にみえる風景、絵画の中の世界、物語、歴史の世界を手がかりに、見えない抽象的な議論を考えることを教える。考える授業である。
■最後の授業
今日は最後の授業である。
私の論文『国家は滅びても、都市は滅びない』を用いて、「ヨーロッパ文化の三つの様式」、「国家とは何か」について、講義する。
今日は、厳粛な空気に包まれる。生徒たちは勢揃いしている。アルフォンス・ドーデ『最後の授業』のようである。生徒は高校2年生、17才である。
■講義依頼
 私個人に指名でときどき講義の依頼がくる。講義の依頼があれば、基本的にはどこにでも行き講義するのである。
 「先生の授業は、面白い、分かりやすい、楽しい、深い」と受講記録に書いてくる学生たちが多い。が、ある女子は「先生が、面白い」と書く。多くの学生は「また先生の授業を受けたい」と書いている。
 「先生のように世界を旅して美を探したい」と書く女子がいた。
 教師自身が、学問・藝術の楽しみを知っているということが、教育の条件だと私は考えている。知ることの歓びは、波動であり、波のように心から心へと、伝わっていくのである。
■花束
 今日は授業の終わったあと、生徒たちから花束を渡された。ガーベラの花束である。
 卒業式に、花束を渡されることはよくある。だが、通常授業で花束を渡されるのは初めてである。予想外のことであり、不覚の涙を禁じえない。教室で、思わず涙がこぼれた。
 ガーベラの花言葉は「崇高な愛、崇高な美、神秘」である。
■壽萬亀(じゅまんがめ)
 講義終了後、A校長と、晩餐の約束である。A先生は、横浜時代から交流がある。先生は70才、平家物語が専門である。しばし、別れの盃である。
 「今日、花束をもらいました。最初で最後ですね」
 「レオナルド先生、人気ありますねえ。私なんか45年間、教壇に立っているけれど、花束貰ったことないですよ。」
 黒鯛、ぶり、槍烏賊、蛸、黒鮪の刺身、赤むつを焼き、蕗の薹、海老の天麩羅、菜の花など食べ、壽萬亀を飲みながら歓談する、海辺の春の宵である。
 横浜かどこかで、A先生と再会することを約して、盃を交わす。A先生は、駅まで送ってくれた。
 深夜、夢とうつつの境で、東京湾を渡り、東京駅八重洲口につく。
 この授業は来期も依頼されていて、またこの学校に来る予定である。

☆壽萬亀(じゅまんがめ)、純米吟醸
http://www.awa.or.jp/home/kameda/index.html
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2007年12月29日 (土)

座談会、景観の美しい都市をいかにしてつくるか 川崎市役所会議室にて

日本の街はどこも醜い。東京ミッドタウン、六本木ヒルズ、汐留地区、表参道ヒルズ、どれも軽佻浮薄、ヨーロッパの街に比べて、醜い。単なるコンクリートの函である。商業主義の『魍魎の匣』である。東京のなかで比較的よいのは、恵比寿ガーデンプレイスである。

12月28日。今日はもう冬休みだが、座談会を行う。私はコーディネーターとしてこの会合を立案、実行する。川崎市議会のある川崎市役所第2庁舎、会議室にて。
出席者は、民主党の堀添健議員、言語学者、数学者、医師、翻訳家、そして私。私の専門は哲学・美学・都市論・国家論である。出席者はすべて私の友人、知人である。
座談会「都市環境と政治」
討論テーマのなかで、比較的、市民の共感を得られやすいのは、
表題の「景観の美しい都市をいかにしてつくるか」である。
だが、その方法は、国民の手に余る。ここまで醜悪な国は、修復できない。という結論に到る。

川崎市の年間予算は、1兆2千億円。ヨーロッパの国家、数カ国分である。
だが川崎市が独自に執行できるのはその1%である。あとは国家の手に握られている。

会合の後、宴会。議員御薦めの萬福大飯店(横浜中華街の支店)に入ろうとするが満席。一同、街を漂流する。中国料理太陽軒に入る。青椒肉絲など、食す。

*1 基本的に、日本は都市計画がないので、乱開発される運命にある。
なぜならば、日本では、都市計画=開発=ビル建設だからである。
真の都市計画=都市のグランドデザインである。
さらに、規制緩和により、開発しやすくなっている。これが日本の都市と田園を荒廃させる原因である。
ヨーロッパの都市は美しいが、規制によって景観が維持されている。

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2007年11月13日 (火)

岡倉天心

岡倉天心は「美とは何か」を考える知性、「美を見る目」と「普遍的な教養」をもっていた。そして優れた人を評価し、生かすことができる「人格」をもっていた。現代人には天心のような知識人、人物はいない。知識人という概念が崩壊したからである。2007/11/13

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