海辺の学校・・・最後の授業
外房の海岸に行き、潮騒のとどろく海辺の学校で、講義をしている。
海辺の学校で、「小論文講義」の授業をしている。
ある日は、森有正『遥かなノートルダム』、『星の王子さま』の一節を使って、「美とは何か」を講義する。
教室に、海から潮騒のとどろきが聞こえてくる。
早春の日の海は、北斎の海のように美しい。
授業が終わると、夕暮れの光をあびて、海が紅く染まっている。
文章の極意は「事実ではない。何を証明できるか」である。
考えることは、感動することである。
目にみえる風景、絵画の中の世界、物語、歴史の世界を手がかりに、見えない抽象的な議論を考えることを教える。考える授業である。
■最後の授業
今日は最後の授業である。
私の論文『国家は滅びても、都市は滅びない』を用いて、「ヨーロッパ文化の三つの様式」、「国家とは何か」について、講義する。
今日は、厳粛な空気に包まれる。生徒たちは勢揃いしている。アルフォンス・ドーデ『最後の授業』のようである。生徒は高校2年生、17才である。
■講義依頼
私個人に指名でときどき講義の依頼がくる。講義の依頼があれば、基本的にはどこにでも行き講義するのである。
「先生の授業は、面白い、分かりやすい、楽しい、深い」と受講記録に書いてくる学生たちが多い。が、ある女子は「先生が、面白い」と書く。多くの学生は「また先生の授業を受けたい」と書いている。
「先生のように世界を旅して美を探したい」と書く女子がいた。
教師自身が、学問・藝術の楽しみを知っているということが、教育の条件だと私は考えている。知ることの歓びは、波動であり、波のように心から心へと、伝わっていくのである。
■花束
今日は授業の終わったあと、生徒たちから花束を渡された。ガーベラの花束である。
卒業式に、花束を渡されることはよくある。だが、通常授業で花束を渡されるのは初めてである。予想外のことであり、不覚の涙を禁じえない。教室で、思わず涙がこぼれた。
ガーベラの花言葉は「崇高な愛、崇高な美、神秘」である。
■壽萬亀(じゅまんがめ)
講義終了後、A校長と、晩餐の約束である。A先生は、横浜時代から交流がある。先生は70才、平家物語が専門である。しばし、別れの盃である。
「今日、花束をもらいました。最初で最後ですね」
「レオナルド先生、人気ありますねえ。私なんか45年間、教壇に立っているけれど、花束貰ったことないですよ。」
黒鯛、ぶり、槍烏賊、蛸、黒鮪の刺身、赤むつを焼き、蕗の薹、海老の天麩羅、菜の花など食べ、壽萬亀を飲みながら歓談する、海辺の春の宵である。
横浜かどこかで、A先生と再会することを約して、盃を交わす。A先生は、駅まで送ってくれた。
深夜、夢とうつつの境で、東京湾を渡り、東京駅八重洲口につく。
この授業は来期も依頼されていて、またこの学校に来る予定である。
☆壽萬亀(じゅまんがめ)、純米吟醸
http://www.awa.or.jp/home/kameda/index.html
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