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2013年8月23日 (金)

プーシキン美術館展 フランス絵画300年・・・詩人に霊感を与えるミューズ

Pushkin2013大久保 正雄『旅する哲学者 美への旅』
夏の夜、美術館に行く。「詩人に霊感を与えるミューズ」は、藝術にとって象徴的である。
美しき乙女に導かれるパルメニデスの騎行の旅、ディオティマに秘儀伝授を受けるソクラテス。ソクラテスと遊女(ヘタイラ)アスパシア(『ソクラテスの思い出』第2巻6章)。金剛界曼荼羅「理趣会」の愛金剛女菩薩。藤原俊成と妻美福門院加賀(藤原親忠女-1193)。藤原定家と母美福門院加賀。アンリ・ルソー「詩人に霊感を与えるミューズ」は、詩人ギョーム・ド・アポリネールと恋人の画家マリー・ローランサンを描く。神の生命の戦略によって、藝術家、哲学者には、美しい女が、天の使いとしてやってくる。(大久保正雄『美の天使たち』)
ルネサンス文化、ギリシア文化の影響を受ける西洋美術史。クロード・ロラン「アポロとマルシュアスのいる風景」、ダヴィッド「ヘクトルの死を嘆くアンドロマケ」、ド・ラ・ペーニャ 「クピドとプシュケ」、ジャン=レオン・ジェローム『カンダウレス王』。17世紀、ニコラ・プッサン、クロード・ロランから、アンリ・ルソー、シャガールまで、西洋美術史は、ギリシア文化、ルネサンス文化の象徴にみちている。(大久保正雄『地中海紀行』)

展示作品
クロード・ロラン「アポロとマルシュアスのいる風景」1639
ニコラ・プッサン「アモリびとを打ち破るヨシュア」1624-25年頃 
ダヴィッド「ヘクトルの死を嘆くアンドロマケ」1783
フランソワ・ブーシェ「ユピテルとカリスト」1744年 
18世紀ロココ芸術を代表するブーシェ。女神ディアナの従者カリストを我がものにしようと、ディアナに扮して近づくユピテル。その後ろにはユピテルの象徴である鷲が潜み、誘惑する瞬間。
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル「聖杯の前の聖母」1841年 
ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ 「クピドとプシュケ」1851年
ジャン=レオン・ジェローム『カンダウレス王』1859-60
Jean-Léon Gérôme (1824–1904) : King Candaules, 1859-60
カンダウレス王は自分の妻ニュシア(別伝によればルド)の美しさを自慢するあまり、ギュゲスに妻の裸体を見させた。ギュゲスはカンダウレスの年下の友人であった。怒った妻はギュゲスに対し、自殺するか王を殺して王位と自分とを我が物とするか迫った。ギュゲスは王を殺し、王国と王妃を手に入れる。(ヘロドトス『歴史』第1巻第8‐13節)
別の伝説によれば、ギュゲスは自分の姿を見えなくさせる魔力を持つギュゲースの指輪を用いてカンダウレスを殺した。プラトン『国家』
ウジェーヌ・フロマンタンの『ナイルの渡し船を待ちながら』1872年
ピエール=オーギュスト・ルノワール「ジャンヌ・サマリーの肖像」1877年
フィンセント・ファン・ゴッホ「医師レーの肖像」1889年
アレクシ・ジョゼフ・ペリニョン『エリザヴェータ・バリャチンスカヤ公爵夫人の肖像』1853 
Alexis-Joseph Perignon (1806-1882):Elizaveta Alexandrovna Bariatinskaia
Elizaveta Alexandrovna Tchernicheva (1826-1902), épouse du prince Vladimir Ivanovich Bariatinsky, 1853
アレクシ=ジョセフ・ペリニョン『エリザヴェータ・バリャチンスカヤ公爵夫人の肖像』
手にバラと扇を持ち、青の縁取りのある白いドレスをまとう美しい女。美しい肌にネックレスの真珠の輝きが映える。
アンリ・ルソー「詩人に霊感を与えるミューズ」1909年
The Muse Inspiring the Poet :La Muse Inspirant le Poete; portrait of Guillaume Apollinaire and Marie Laurencin
ペンを片手に立つ詩人のギヨーム・アポリネールと、寄り添う画家マリー・ローランサン。リュクサンブール公園の樹木が、恋人たちを祝福するかのようにアーチを作り生い茂る。ルソーは、アポリネールの顔や手を採寸しながら描いたといわれるが、二人の姿は異様であり、風刺画のようだ。画家の友人たちへの賛辞の形なのか。
――――――――――
モスクワのプーシキン美術館から、珠玉のフランス絵画が来日します
知る人ぞ知る、フランス絵画の宝庫ロシア。17世紀古典主義の巨匠プッサンにはじまり、18世紀ロココの代表ブーシェ、19世紀のアングル、ドラクロワ、ミレー、印象派やポスト印象派のモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、そして20世紀のピカソやマティスまで――。プーシキン美術館のコレクションの中核をなすフランス絵画の質の高さは、フランス本国もうらやむほどのものです。
本展では、選りすぐりの66点で、フランス絵画300年の栄光の歴史をたどります。なかでも、ルノワールの印象派時代最高の肖像画と評される≪ジャンヌ・サマリーの肖像≫は、最大の見どころです。 「ロシアが憧れたフランス」の粋を、どうぞお楽しみください。
http://pushkin2013.com/
――――――――――
4月26日~6月23日:愛知県美術館、
7月6日~9月16日:横浜美術館、
9月28日~12月8日:神戸市立博物館
http://www.yaf.or.jp/yma/index.php

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2010年1月26日 (火)

「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」・・・人と時間と空間の出会い

20091128   12月25日夕暮れ、恵比寿ガーデンプレイスに行く。大きな樅の木とバカラのシャンデリアが煌めき、華やかなクリスマスの街が輝いている。人と時間と空間の出会いは一期一会である。
「スナップショットの名手」と呼ばれた木村と「決定的瞬間」という言葉を広めたブレッソンの展覧会である。木村伊兵衛は、1954(昭和29)年にパリを訪ねてブレッソンと会い、影響を受けた。
■演出されたような人物配置、奇跡としか言いようのないゆるぎない構図。
しかし、静止の前の動きの瞬間を切り取ったかのようである。Image à la sauvette(掠め取られた瞬間)と訳されている。
ブレッソン『決定的瞬間』(英題 The Decisive Momentフランス版原題 Image à la sauvette(逃げ去る映像)1952年出版)が展示されている。
■いにしえの巨匠たちの肖像
1950年代の藝術家たち、アンリ・マティス、谷崎潤一郎らのポートレイトは、品格があり、時代の精神が封じ込められている。これと比べると、現代の作家、藝術家は軽薄の極みである。
■アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908- 2004)は、主にストリート写真を撮ったが、芸術家や友人たちを撮ったポートレイトもある。2004年8月3日、95歳で南フランス・プロヴァンスの別荘で死去した。
木村伊兵衛(1901-1974)は報道・宣伝写真やストリートスナップ、ポートレート、舞台写真などにおいて数多くの傑作を残している。
二人は、街角、広場、ポートレートを撮った。1950年代の時間が閉じ込められている。世界が貧しかった時代、市民の息づかいが感じられる。二人は日本とフランスの写真史の巨匠であり、同時代を生きた2人には交流があり、互いを撮った写真も残っている。
決定的瞬間とは「外界の現実と写真家の内面が出合う瞬間がある、何の変哲もないものにもそういう瞬間が見つかる。」ことである(cf.スナップショットの創始者たち、産経新聞2009.12.23記事、参照)
■主な展示作品
木村伊兵衛
「本郷森川町」「浅草」1953「ローマ」「セーヌ附近」「霧のメニール・モンタン、パリ」1954「谷崎潤一郎」1950「宇野浩二」1953「永井荷風」1954
アンリ・カルティエ=ブレッソン
「シエナ、イタリア」1933「サンラザール駅裏、パリ」1932「天使と尼僧」「アンリ・マティス」1951
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木村伊兵衛(1901~1974)とアンリ・カルティエ=ブレッソン(1908~2004)は、日本とヨーロッパと活躍した場は異なりますが、ともに近代的写真表現を切り拓いた写真家として重要な存在です。この二人は、ともに「ライカ」というカメラを人間の眼の延長としてとらえ、揺れ動く現実の諸相を切り取り、それまでになかった新しい「写真」のあり方を証明したといえるでしょう。二人の作品には普遍的ともいえる共通性を見て取れますが、その一方で、日本とヨーロッパというそれぞれが生きた現実の違いも、微妙ではありながら決定的な差異として見て取れることも重要な事実です。
本展では、木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソンという偉大な二人の写真家の個性を堪能するだけではなく、近代的写真表現が絶対的普遍的でありながら、同時にいかに個別的相対的なものであったということを見ようとするものです。木村伊兵衛作品は東京都写真美術館のコレクションを中心に、またアンリ・カルティエ=ブレッソン作品は当館のコレクションを中心に国内各美術館の所蔵作品も含め、全体で153点をご紹介いたします。
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★木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし
東京都写真美術館11月28日(土)-2月7日(日)
http://www.syabi.com/details/kimura.html

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2010年1月12日 (火)

印象派、ポスト印象派、オンパレード 2010

2010012011 東京は、世界で最も美術展の多い都市である。しかし日本でとくに多いのは印象派、オルセー美術館展である。

2010年は、印象派、ポスト印象派の美術展のオンパレード。9つの美術展がある。
オルセー美術館からの作品の展示が3つある。
「ルノワール展」「マネとモダン・パリ」「オルセー美術館展 ポスト印象派」
その他、印象派、ポスト印象派の美術展が6つある。
■印象派、ポスト印象派
1/20~4/5   ルノワール展、国立新美術館
1/16~3/14  イタリアの印象派 マッキアイオーリ展 庭園美術館
4/6~7/25   マネとモダン・パリ、三菱一号館
4/17~6/20  ボストン美術館展、森アーツセンターギャラリー
5/26~8/16  オルセー美術館展 ポスト印象派2010、国立新美術館
4/20~7/25  印象派はお好きですか?ブリヂストン美術館
10/1~12/20  ゴッホ展─こうして私はゴッホになった─、国立新美術館、ファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館のコレクション
7/2~9/4    ポーラ美術館コレクション展:印象派とエコール・ド・パリ、横浜美術館
9/18~12/31  ドガ展、横浜美術館
印象派マニアにとっては至福の時だろう。印象派マニアは、心ゆくまでご覧下さい。
■黄金時代のイタリア美術
黄金時代のイタリア美術の展覧会は少ない。2010年は、

「ボルゲーゼ美術館展」1月16日(土)~4月4日(日)

「ナポリ・宮廷と美─カポディモンテ美術館展 ルネサンスからバロックまで」国立西洋美術館6/26~9月/26、

「ウフィッツィ美術館展、ヴァザーリの回廊」損保ジャパン東郷青児美術館9/11~11/14、である。

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2009年9月21日 (月)

海のエジプト展 海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝

Egypt_200906278月の午後、横浜に行く。海底に沈んだ3つの古代都市、アレクサンドリア、ヘラクレイオン、カノープス、地中海の海底から発掘された文化遺産の展示である。セラペイオンがある癒やしの都カノープス。ヘラクレス神殿の神々とファラオの都ヘラクレイオン。クレオパトラが愛した都アレクサンドリア。紀元前700年から後800年まで、古代エジプトの末期王朝からプトレマイオス朝、ギリシア、ローマ時代へとつながる1500年間の歴史をたどる。ヘレニズム時代紀元前1世紀から5世紀、アレクサンドリアの展示が中心である。
■アレクサンドリアは、紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設された、プトレマイオス王朝の都。現在エジプト第2の都市である。地中海文化の香りとエジプトの猥雑が混在する都市は、旅人を魅了する。ムーセイオン(大図書館と博物館)、世界の七不思議で有名なパロス灯台が建っていた。ヘレニズム文化の藝術・経済の中心地として名を馳せた。女王クレオパトラの悲劇の舞台として知られる。海洋考古学の調査で、王家の宮殿があったアンティロドス島の位置が確認され、港の全体像が解明された。
■アレクサンドリアの神々
エジプト神話には、父母と子どもの三神体系がある。
プトレマイオス王朝時代、エジプトの神々とギリシアの神々が対応されて、神々の体系が構築された。ファラオは、アメン神、ホルス神と同一視されて権威づけられた。
1)アメン神:テーベの主神(ゼウス)、ムウト神(ヘラ)、コンス神:月の神(アレス)
2)オシリス神:冥界の王(ディオニュソス、バッカス)、イシス神(デーメーテール)、ホルス神:頭部がハヤブサ。幼児期はハルポクラテス(アポロン)。
■展示作品
カノープス
イシス女神像[ローマ支配時代]
セラピス神頭部[プトレマイオス朝、前2世紀]
ファラオ像頭部[第26王朝(サイス朝)、前7~前6世紀]
王妃の像[プトレマイオス朝、前3世紀ごろ]
ヘラクレイオン
ヘラクレイオンもヘラクレス神殿があった場所として文献上に名前の残る都市のひとつ。
ハピ神像[プトレマイオス朝、前4世紀ごろ]
ファラオ像[プトレマイオス朝、前4世紀ごろ]
王妃像[プトレマイオス朝、前4世紀ごろ]
プトレマイオス1世の金貨[プトレマイオス朝、プトレマイオス1世の治世(前305~前283年)]
アレクサンドリア
カエサリオンの頭部[プトレマイオス朝、前1世紀ごろ]
ネメス頭巾を身につける表現が許されたのは王のみ。頭巾の上の蛇の飾りは王を示している。髪型の自然な表情にはギリシアの影響が見られる。女王クレオパトラとカエサルとの間の息子、カエサリオンを表したものと考えられる。
プトレマイオス12世のスフィンクス[プトレマイオス朝、前1世紀ごろ]
プトレマイオス12世は女王クレオパトラの父。スフィンクスの人間の頭は知恵、ライオンの体はファラオの肉体の強さの象徴。ヘレニズム時代にも好んで建立された。
女王クレオパトラの銅貨[プトレマイオス朝、クレオパトラ7世の治世(前51~前30年)]
女王クレオパトラの横顔が刻まれたブロンズのコイン。高貴な身分の証である小さな冠をかぶっている。
★海のエジプト展 海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝
2009年6月27日(土)~9月23日(水・祝)
パシフィコ横浜 展示ホールD(神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-1)

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2009年2月 3日 (火)

「三瀬夏之介展~冬の夏~」佐藤美術館・・・現代の奇想派

Mise_natsunosuke_200901画家三瀬夏之介さんと山本冬彦さんのギャラリートークがあり、佐藤美術館に行く。対談の内容は「作家とコレクター」である。
山本さん「画家は、売れなくても自分が作りたい作品を作っていくか、売れる作品を作る富裕な藝術家になるか、そのどちらかである。」
三瀬さん「画家だけでは不安なので、教員の仕事をしているが、仕事をしているそこから学ぶものがある。生活の資をそこから得ているので、時代に合わせずに何とかやって行ける」
画家は、孤高の画家を貫いて生きるか、村上隆のように流行画家になるか、いずれか二者択一だという山本冬彦さんの結論はその通りである。作家とコレクター、画廊を、藝術家とパトロン、哲学者と支持者、と考えると、さまざまな文化に応用可能である。
■画家との対話
「山本冬彦コレクション展」ギャラリー椿に移動して、ここで三瀬夏之介さんと話した。
私は速水御舟が好きなので、好きな画家はだれですか。と聞くと、
「速水御舟は好きではなく、蕭白が好きです。曽我蕭白、伊藤若冲、川鍋暁斎、ほか京都の画家が好きです。」
日本画の技法は、鉱物を画面に膠で定着するので、フレスコ画、フェルメールのラピスラズリなど、西洋の古典的絵画の技法と似ていますね、と聞く。
「日本画は、日本画という名前ですが、今、顔料は日本で産出せずアフガニスタンなど海外から輸入しているのです。」
曽我蕭白『群仙図屏風』に話が及んだ。そういえば、三瀬夏之介氏の絵は、曽我蕭白に似ている。私の『地中海紀行』の資料を渡すと、フィレンツェが好きだ、と言っていた。三瀬夏之介は、現代の奇想派である。
「歴史を知らなければ何の文化も生み出せない。」三瀬夏之介
★【アートソムリエ 山本冬彦氏とトーク&ギャラリークルーズ!】
1月31日(土)13‐16時、佐藤美術館、ギャラリー椿
「ぼくの神さま」2008年4.25、250cm×545cm
「日本画滅亡論」2007年
「日本画復活論」2007年
「奇景」2003年-2008年、三十四曲一隻屏風
3階、4階合わせて出品総点数は130点以上。
★佐藤美術館、立島惠氏にお世話になりました。
シナプスの小人
http://www.natsunosuke.com/index.html
三瀬夏之介
http://blog.livedoor.jp/kikei1973/
「三瀬夏之介展~冬の夏~」佐藤美術館2009年1月15日(木)~2月22日(日)
http://homepage3.nifty.com/sato-museum/index.html
―――――――――
 70年代生まれの日本画作家のなかで現在最も注目されている三瀬夏之介の個展を佐藤美術館において開催します。
 三瀬は、奈良に生まれ奈良で育ちそして京都市立芸術大学及び大学院で学びました。2002年トリエンナーレ豊橋で大賞を受賞、その後は文化庁作品買上や国内外多数の展覧会への出品等、今や日本画の世界だけでなく美術界全体から注目される存在となりつつあります。そして一昨年は、一年間イタリア、フィレンツェに渡り、また昨年は大原美術館のアーティストインレジデンスに参加するなどその活動はますます幅を広げ且つ精力的になっています。
 三瀬の作品の変遷は大きく分けて3つの段階を経て今日に至っています。先ず、錆(緑青)を表現素材として用いた作品、箔(金箔)を多用した風景(山など)。そして現在取り組んでいるのは墨を主に用いたモノクロームの大作です。和紙に描くということ、箔や墨を用いるということだけ取って見れば日本画と言えないことはありませんが、三瀬の作品はいわゆる既存の日本画のイメージとは大きくかけ離れています。
 作品のモチーフは、日本の山々、聖堂などの西洋建築物からネッシー、大魔神、円盤に至るまでありとあらゆるものが対象となり更には描くだけにとどまらずコラージュを施されている作品もあります。また、大作は膨大な量のスケッチの切れ端を繋ぎ合わせるという作業の積み重ねからつくられます。それは、まさに自らの記憶の断片をひとつひとつ繋ぎ合わせ再構築するかのような精神作業を伴い、まさに圧巻としか言いようのない迫力で訴え見るものを魅了します。
 本展は、三瀬のイタリアでの多くの思索そして帰国後の表現の蓄積からなる最近作を一挙に展示公開いたします。
 いままで見たこともないような日本画、三瀬夏之介の表現世界をどうぞこの機会に是非ご覧下さい。

★画像は、佐藤美術館の許可を得て使用しています。

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2008年8月17日 (日)

「巨匠たちの日本美術」(2)・・・若冲と簫白、奇想派の画家たち

Go_637_07Go_637_08_2 「対決-巨匠たちの日本美術」東京国立博物館には、三度、行った。人の少ない博物館で見ても、この展覧会は三時間を要する。
ここで衆目の目にさらされた若冲と簫白は、人々の驚嘆の的であり、瞠目を集める画家である。18世紀異端の画家、奇想派である。この二人は、ほぼ同時代、十八世紀を生きたが、全く異なる生涯を生きた。
■若冲と簫白
若冲と簫白は圧巻である。これだけでもこの展覧会は見る価値がある。
伊藤若冲『仙人掌群鶏図』(大阪・西福寺)重要文化財
伊藤若冲『雪中遊禽図』個人蔵
伊藤若冲『旭日鳳凰図』宮内庁三の丸尚蔵館蔵
曽我簫白『群仙図屏風』(文化庁)重要文化財 *1765?
曽我簫白『唐獅子図』(三重・朝田寺)重要文化財
曽我簫白『寒山拾得図』個人蔵
曽我簫白『鷹図』 1幅 明和元~4年(1764~67)頃 兵庫・香雪美術館蔵
■伊藤若冲・・・濃密な鶏、幻想と写実
伊藤若冲(正徳6年1716年-寛政12年1800年)は、京都・錦小路の青物問屋「枡源」の跡取り息子として生まれる。「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常から与えられた居士号である。大典顕常『藤景和画記』によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかった。商売に熱心でなく、芸事もせず、酒もたしなまず、生涯、妻もめとらなかった。40歳の宝暦5年(1755年)には、家督をすぐ下の弟に譲ってはやばやと隠居、念願の作画三昧の日々に入った。以後、85歳の長寿を全うするまでに多くの名作を残している。
鶏と鳥獣にこだわり、異様な絵画世界を構築した。
■曽我簫白・・・怪異なる仙人、18世紀異端の画家
曽我簫白(享保15年1730年-天明元年1781年)は、6歳で天涯孤独、生家は紺屋。16歳までに家族を失った。このことが簫白の作品に大きく影響を与えた。作品の根底にあるのは、人生の不合理に対する怒りである。青年時代は陽明学過激派。陽明学左派は「狂」を重んじる。狂とは俗世の常識を逸脱することある。それが聖人への道であるとした。この思想のもと、簫白は狂人を演じた。(cf.狩野博幸『曾我蕭白―荒ぶる京の絵師』)
51才で亡くなった画家は、世に知られることなく、200年の歳月に埋もれた。
曽我簫白『群仙図』は、醜悪なる傑作。醜悪きわまる極彩色の幻想である。蝦蟇仙人は、美女が耳かきするわきで不気味な笑を浮かべ、蟇蛙が上に乗っている。だが、200年の歳月をへて、昨日描かれたように、生き生きとしている。

若冲と簫白、対極の人生を生きた画家だが、競争激しい商家に生まれ、血生臭い現実から逃避しつつ極彩色の幻想を画く心には、苦悩が感じられる。

★あなたの好きな奇想の画家はだれですか?
 ギュスターブ・モロー、カルロ・クリヴェリ、カルロ・ドルチ、
 雪村、蘆雪、若冲、簫白
★「対決-巨匠たちの日本美術」(1)

http://mediterranean.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_ebce.html
Syouhaku_2_2 曽我簫白『群仙図屏風』

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2008年8月14日 (木)

「Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ」・・・星のまたたく夜、銀座にて

Magnum 8月10日、雷鳴の鳴る午後、銀座に行く。美術ブロガーの集まりがあり、シャネル・ネクサス・ホールにて「Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ」を見る。
■美しいカフェテラス
パリ、ヨーロッパの都市には、美しいカフェテラスがある。たとえば、ゴッホ『夜のカフェテラス』(Gogh:Cafe Terrace at Night)という名作がある。これはアルルのカフェテラスである。現在も、変わらぬ姿でこの地に残っている。ローマにも、ヴェネツィアにも、プラハにも、美しいカフェテラスがある。
何故、日本には美しいカフェテラスがないのか。それは、日本の都市に美意識がないことが原因であり、日本人の行動様式、社会構造が原因である。結論をいうと、現代日本人には美意識がないのである。
■美術ブロガーの宴
美術ブロガーの集まりは、女性が多い。12名ほど集まった。この会は、わん太夫さんの招集する会である。
スカーレット・ヨハンソンの話題がでたが、私は聞いていなかった。
写真展をみて、その後、銀座Villa Oriental にて、宴をひらく。
ここで、ウルトラマリンさんと会い、彼女に私の論文『魂の美学 プラトンの対話編における美の探求』をわたした。
『エロースとプシューケー』の絵画は、「こころの眼でしか見えないプシューケーのエロースへ愛」を表していることをウルトラマリンさんに話した。
■『写真展 Nostalgie マグナムの写真家たちが見つめたパリ』
09/08/2008 - 07/09/2008
シャネル・ネクサス・ホール
東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビル4階
11:00~20:00
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2008/nostalgie/index.html
Gogh4

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2008年8月 5日 (火)

闇のなかに林立する観世音菩薩・・・せみ時雨の夕暮、法隆寺宝物館にて

Go_631_01 せみ時雨が激しい夕方、森の中を歩き、法隆寺宝物館に向かう。美術倶楽部のK氏と待ち合わせる。ここは、都会の秘密の礼拝堂である。
観世音菩薩、三十六體、が闇の中に林立している空間である。阿弥陀三尊像、菩薩半跏思惟像、如來像、摩耶夫人及び天人像もここに眠っている。1400年の時の彼方から、飛鳥時代の魂が語りかけてくる。
ここは精神力をたかめる霊的空間である。ここで真言(mantra)を唱えると、霊力を発揮する。
研究上のこと、仕事のこと、浮世のこと、悩みはつきない。仕事をしていると、様々な敵、邪悪な者に、出会う。 様々な場所で仕事をしていて、ときどき感じることは、この世には惡が存在するということ、である。
敵を倒すために、あるいは宿願を祈ると、怨敵調伏、宿願成就が実現する。「念ずれば花開く」である。
国宝室に、空海『風信帖』(教王護国寺)が展示されている。K氏と共に、ゆりの木の巨木の下を歩いて国宝室に向かう。
★東京国立博物館、法隆寺宝物館
http://www.tnm.go.jp/jp/guide/map/horyujiHomotsukan.html
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2008年7月26日 (土)

「対決 巨匠たちの日本美術」東京国立博物館(1)・・・雪舟の残照の下に

Sesshushuutoutou 7月14日休館日、特別入館した。
対決という趣向だが、巨匠たちの勝負に囚われずに、日本文化史を彩る名作を人のいない博物館でみる。雪舟、永徳、日本文化を作った二大巨匠の絵画を同一の空間で眺めることができるのは稀有な体験である。人のいない博物館で雪舟と永徳をみる時、歴史の彼方から人の息づかいが蘇ってくる。曇りない眼で、藝術そのものが語る真実をみることが大切である。この展覧会で、雪舟と対決させられているのは雪村であるが、雪舟と永徳の対比のほうが重要であろう。
雪舟の幽玄に対して永徳の派手という印象は、実物を眼にすると感じない。雪舟と永徳を比べてみると、類似している要素を感じるのは私だけだろうか。
雪舟『慧可断臂図』(国宝1496年、斉年寺)
雪舟『四季花鳥図屏風』(京都国立博物館)
雪舟『秋冬山水図』(国宝 東京国立博物館)
狩野永徳『聚光院障壁画』(国宝 京都、聚光院)
狩野永徳『檜図屏風』(国宝 東京国立博物館)
■雪舟の残照の下に
雪舟は、十五世紀の画家である(1420-1506)。十五世紀は、イタリア・ルネサンスの盛期である。レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci:1452年-1519年)とほぼ同時代人である。
雪舟は、四十八才で中国(明)に渡って画を極め、晩年、不滅の傑作を残した。
雪舟は、日本の絵画を一変させ、後世の画家に多大な影響をおよぼした。狩野派が江戸時代、画壇を支配していたが、雪舟を師と仰ぎ、諸大名が雪舟の作品を求めたため、日本最高の画家となった。「涙で描いた鼠」の伝説は名高い。狩野永納『本朝画史』(1693)
雪舟『四季花鳥図屏風』と、永徳『聚光院障壁画』はどこか似ている。狩野永徳が、雪舟の影響を受けたという論証は、探したが、見当たらないようである。
狩野永徳(1543-1590)は、マニエリスムの画家である。時代を圧した狩野永徳の真作は、十作品のみ現存する。桃山前期画壇の頂点に君臨しながらも、描いた作品のほとんどが灰燼に帰した、狩野永徳。
戦乱の中で、織田信長、秀吉、権力者たちの注文を受けて、「怪怪奇奇」(狩野永納『本朝画史』1693)な作品を奔流のごとく生み出した巨人である。大胆な構図、うねるような巨木。日本の一つの美の形を、構築した。
人生の頂点の四十八才で若死にしたのは、権力者の狭間で制作に没頭し、過労であるといわれている。
2名招待されていたので、美術倶楽部のわん太夫さんと一緒に、人の少ない空間で、日本美術史の累々たる名作をみる。
展示替えがあるので、これからまた2回みにいく予定である。
★「対決 巨匠たちの日本美術」2、につづく。
■「対決 巨匠たちの日本美術」東京国立博物館
創刊記念『國華』120周年・朝日新聞130周年
2008年7月8日(火)~8月17日(日)
http://www.asahi.com/kokka/
展示品リスト
http://www.tnm.go.jp/jp/exhibition/special/200807kokka_list.html
雪舟『秋冬山水図』
東京国立博物館「裏庭と池」写真:わん太夫さん

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2008年7月 8日 (火)

友人がイタリアで個展・・・ミラノ、モンテナポレオーニ通りにて

Invito2bmostra2bmilano_2 友人がイタリアで個展をひらきます。ミラノ、モンテナポレオーニ通り、Angelo Fuscoにて。
岩崎祐子。現在、ブエノス・アイレス在住。大学の後輩です。仏文卒。以前はイタリアに住んでいました。 モンテナポレオーニ通りは、有名な高級ブランド街です。
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聖なる森Sacred Grove
Viva fuy in Sylvis;
sum dura occisa securi;
Dum vixi, tacui,
mortua dulce cano
わたしは森に静かに住んでいたが
ある日、残酷な斧で殺されてしまった
生きているあいだは口がきけなかった
死んでからは美しい歌をうたい続ける
   ガスパール・ティーフェンブルッカー
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彼女のブログは、ここです。
http://yukoiwasaki.blogspot.com/
★ミラノに行かれる方は、ギャラリーをご訪問下さい。
私にメッセージを下さい。彼女にメール送ります。
presso Angelo Fusco
Via Montenapoleone 25 Milano
dal 12 al 31 luglio 2008
orario
11:00~13:30
16:00~19:00
画像は、ご本人の許可を得て掲載しています。

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